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澤ゼミ卒論

澤ゼミ生の卒論生が卒論を提出しました。

□ 有配偶女性の就業活動に関わる地域要因
 
□ 都市郊外部におけるソーシャル・キャピタルの有効性の実証研究
   -加古川グリーンシティ防災会と六甲アイランドまちかどネットを事例に-

□ 地域自治の在り方を平成の大合併から見る
   ―滋賀県近江八幡市・東近江市・竜王町を事例に―

□ 退職シニアの社会参加
   -滋賀県草津市を事例に-

□ 地域活性化におけるB級グルメの有効性と限界性
   -津山ホルモンうどんを事例に-
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2016-02-02 18:57 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

修士論文

澤ゼミ生が修士論文を提出しました。

地域に生きる子どもの主体性と安心・安全なまちづくり
ー大阪・千里ニュータウンを事例にして
2016-01-19 20:37 : 澤ゼミ構成員研究活動 : コメント : 0 :

『人文地理学への招待』 序章 地理学を学ぶために

序章 地理学を学ぶために  竹中克行

■改訂の理由
なぜ2009年に刊行された『人文地理学』の大幅な改訂に踏み込んだのか?
→地域・社会の変化、そしてそれを背景とする研究の新たな展開をおさえることで、潜在的な読者の期待に応えようと意図したから。

■各部の位置づけとキーワード

第Ⅰ部:地域への地理学のまなざし
「自然と人間の関係性という視点から、自然環境との密接な関係において生活や生業を組織してきた農村と、自然環境のうえに高度な建造環境をつくることで集住を可能にした都市という、対照的な地域のあり方が識別されることは強調しておかねばならない。」ということに対する基本的な理解の提供。
・時間地理学(1)
1960年代後半にスウェーデンの地理学者T.ヘーゲルストランドが提唱。
ニュートン力学的な時間を前提とし、時空間上で個人の生活行動をとらえ、これを3次元のダイヤグラムで描き出す(地域社会環境論Bを思い出そう)。
→現代人の経験世界にフィット。
・争われる空間(2,3)
時間と同様に、空間もまた、人間の活動を支え、枠づける有限の資源として作用。

第Ⅱ部:経済活動を空間的に読み解く
帰納主義的なモデル構築の分野で日本の地理学が大きな蓄積を有するということを、経済・産業活動を中心対象として検討し、明らかにする。
・固有の性格を有する地域に通底する一般性を導き出すには?(4)

第Ⅲ部:地理学が映し出す想像力の世界
「意味づけられた空間は、物質的な空間との間で緊張に満ちたやりとりを続けている」という問題意識に貫かれたテーマ群について。
・人文主義地理学における空間の捉え方(4,5)
英語圏を中心とする地理学は、人間の思考や情念によって分節化され、周りとの関係性を与えられたまとまりを場所(place)という概念で議論してきた。

第Ⅳ部:過去と現在を繋ぐ地図
歴史学は時間、地理学は空間を、それぞれ切り口として、人間世界に関する考察を深めてきたが、時空間が切り離すことのできない統一体として存在することは自明。時間と空間の交わりを積極的に対象化する歴史地理学の考察。時間と空間の交わりという問題設定の延長上にあるのは、知的統一を基盤とする全体史といった壮大な研究テーマ。地誌と歴史を統一的な視野のもとに描き出す研究は、量産困難な仕事であるが、長い目でみれば、歴史学とともに地理学が挑戦すべき知の領域のひとつ。

第Ⅴ部:地理学と現実地点の接点
「知の体系としての地理学は、地域に対して自らの存在意義をいかにアピールすべきか?」「地域と結ばれた学として、地理学にどのような強みがあるのか?」という問いに対する答えを提示。
・地理学に投げかけられる問いや使命(6,7)
ex. 生活のなかで空間がもつ意味を市民の目線上で見せることを可能にした地理情報システム(GIS)とその弊害。

■論点
・編者は改定の理由として地域・社会の変化をあげているが、2009年~2015年の6年余りで、地域や社会はどのように変化したのか。また、その変化は何によって起こったのか。その原因はひとつか、それとも複数か。それらは密接に関係しているか、独立しているか。

2015-10-22 20:57 : 『人文地理学への招待』(15年度後期ゼミ) : コメント : 0 :

2015年度後期のゼミテキスト

2015年度後期のゼミテキスト(学部)が決定しました。

竹内克行編著『人文地理学への招待』ミネルバ書房、2015年

http://www.minervashobo.co.jp/book/b190336.html
2015-10-22 20:54 : 『人文地理学への招待』(15年度後期ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学  第12章 地域社会の未来

第12章 地域社会の未来

1.コミュニティ業税の限界と遺産
  地方分権改革とコミュニティ行政
  ・1990年代に始動した地方分権改革により、基礎自治体における政策理念への変化
・新しい自治体政策、70年代・80年代のコミュニティ行政に注意をむけつつ、
90年代以降の地方分権改革を契機とした地方自治体政策の変化、「新しいコミュニティ形成」について述べている

  コミュニティ行政の原点
  国民生活審議会調査部会コミュニティ問題小委員会報告・・・大都市に進行する住民自治の空洞化と行政サービスへの過度の依存が、かつてない速さと拡がりを伴って進んでいくことへの危機意識、問題意識を背景にコミュニティ形成を提唱
  ※忘れてはならない諸原則 ➀住民自治の回復と住民参画の必要性という視点
               ➁都市化が進んだ大都市社会においてこそ、コミュニティ形成が必要
               ➂コミュニティとは期待概念であるということ
               ➃コミュニティは意識や関係だけに偏った戦略ではないということ
  ↑
  上記の報告から、大都市における行政システムへの住民参画の実現、地域社会ごとの新しい共同体の構築の必要性、期待&既存の行政サービスの在り方に対するするどい反省を促すという点への期待が語られた

「コミュニティ行政」の現実
実際のコミュニティ行政・・・上記の期待や関心を大きく裏切り、行き詰まる結果となった
➀大都市の自治体は含まれていなかった
  ➁➀の結果より、コミュニティがかつての村落共同体イメージの復活としてとらえられたこと
  ➂センターの設置や運営委員会の設置にとどまってしまったこと
 ➃行政サービスやシステムの見直しが行われなかった
 ➄これまでの地域での社会教育活動と対立する行政方針に結びついた
⇒行政サービスの供給過程と施策の執行過程の一部に、財政負担の軽減を目的として、住民参加を要請するだけのものに



2.自治体政策の変化と新しいコミュニティ 
 コミュニティ行政の遺産
  1970年代・1980年代のコミュニティ行政・・・ハコモノ行政?
  ⇔住民によるコミュニティ施設の運営の定着、ボランティア活動の成長などが生まれた地域も。
   結果として、公共的領域への自発的関与、共同問題の解決を目指すための活動への参加の拡大
   しかし、この点はコミュニティ行政の限界ともいえる
   
議論の出発点から住民が参画していくことの重要性、活動する住民の数を増やすこと、地域社会に関心を持ち続ける住民の確保
→1990年代以降の新しいコミュニティ形成のための準備、コミュニティ行政の遺産

  自治体政策の転換
  各主体を共に公共的領域に責任を持つパートナーと位置付ける協働=パートナーシップの考え方や
これに由来する地域ガバナンスの提唱、実践
  →ポイント:住民が正当性を付与された権限を持ち、意思決定過程に参画していくことのできるシステムを形成できるかどうか

  都市生活様式の問題
都市社会学における都市生活の扱い
➀都市的生活様式論・・・都市生活の共同的側面←ここではこちらを援用
   ➁都市的生活構造論・・・都市生活の個別的側面

  都市的生活様式とは
  都市社会及び地域社会の共同問題の共同処理を、専門サービスによって専門処理することを原則と
するような共同生活の営み方
   ↑
  都市生活における共同問題を行政サービスという専門サービスによってもっぱら処理しているよう
な現状の都市的生活様式が問題とされなければならない
地域社会レベルでは、現状の処理システムの限界に関わる問題でもある
  →この視点にたつと、コミュニティ形成における中心的活動とは、地域社会ごとに処理システムの
限界を突破し、これを改革する活動であるといえる
  (公共的領域への住民の介入、政治的意思決定過程の参画、行政的権限のあけわたし)
  ⇒これらを含めて、新しい都市的生活様式を樹立し、新しいコミュニティを形成する営みと位置付
ける




  問題処理システムの限界
  問題処理システムの問題性
   ➀システムの巨大性と不透明性
   ➁行き過ぎた専門分化と細部における規制
   ➂現状のシステムが専門処理にとって適合的な要素の連関として成立しているため、
住民の関与を最低限に抑えようとする傾向にあること
   ➃副次的・潜在的機能を捨象する点
  
  
コミュニティとは何か
コミュニティとは・・・地域社会における問題処理システムが最適なシステムとして機能し、それによって住民自治が具現し、住民生活の質が高まっているような地域社会の理想状態
コミュニティ形成活動は、➀行政システムの内部の自己変革の活動
➁政治的・行政的意思決定過程への住民の参画、あるいは処理システムへの住民の共同処理の組み込み
 コミュニティ形成に関する議論
  かつては住民の地域社会への関与に関わる意識、住民相互の作りあう関係性に関するテーマ
  ⇔ここで提示する議論は、処理システムの変革、新しい処理システムの形成を掲げている
   つまり
   公共的領域の問題処理を担うシステムの内部に住民参加を実現し、それによって住民自治の拡大を目指すことが最重要
  
3.新しいコミュニティ形成に伴う諸問題
  相互扶助にまつわるイメージ
  村落における相互扶助のタイプ・・・現在もなお住民の共同処理の原型として生き続けている
  →そのため、共同処理という言葉が極めて狭い意味内容としてとらえられることとなる

  さまざまな共同処理と行政の課題:共同問題の公共化
  共同問題の種類別に最適な処理の在り方、多様なタイプの共同処理を専門処理システムの中に組み込むことが重要
協働=パートナーシップを実現するために
➀行政は、古い相互扶助イメージに引きずられずに現状の視点から転換
➁行政は、各団体との間に対等な関係を構築し、公共領域の責任をともに担う関係の構築
 ➂住民の自己組織化能力と問題解決能力を信頼する発想
 ➃情報提供サービスの中で、問題提起を行い、地域社会に顕在する共同問題の顕在化、公共化
 ➄共同問題の公共化と公共化した問題の処理過程への住民の参画や行政的意思決定過程への住民の介入を許容しうる行政処理システムの構築
  周辺からの相互発信
  コミュニティ形成をさせる理念は、中央からの発信に依拠するのではなく、地域からの、周辺からの発信に基づいて多様な改革の道を尊重しあう精神にある

  重層的コミュニティの形成
  コミュニティ形成・・・地域社会ごとに多様であり、地域の空間的範域に応じて成立する重層性をもつシステムでもある
→注意すべきは、問題の種類やタイプ、処理の方法が空間的範域の大小によって異なる点であり、
その範域は主に4つに分類される
最大 基礎自治体および政令指定都市における区
中間 中学校区、連合自治会・町内会
中間 小学校区
最小 単位自治会・町内会

  新しいコミュニティ形成とまちづくり
  中学校区レベルでのコミュニティ空間に対応する処理システムをいかに形成するかがもっとも重要
  →このレベルでのコミュニティ空間こそ、まちづくりの名にふさわしい処理システムの構築が可能

  新しい家郷としてのコミュニティ
  団塊の世代にとってのコミュニティ形成・・・新しい家郷の創造
  昭和30年代「過去物語」・・・団塊の世代にとっての新しい家郷創造の内なるシンボルとして受容され、彼らは家郷創造者として自らを位置付けている

 論点
  ➀本文にあるようなコミュニティや地域、行政等に関して、自分が経験したこと、自分が不満に思
   っていること、感じていることなどを自分自身の立場から捉え直し、共有しあおう
  ➁本文では、p285「重要なことは、次のような点を住民も行政もともに考えていくことである。
共同問題のなかで、専門処理にふさわしくない問題とは何か。にもかかわらず現状では専門処理
してしまっている問題とは何か。住民の共同処理と行政サービスが結合できる要所とはどこか
・・・」や重層的コミュニティの形成、とりわけ中学校区でのコミュニティ空間の形成の重視な
ど、筆者の考えが述べられていたが、これまでの議論や➀で出た意見や問題を捉えたときにそれ
らはどう当てはめて考えることができるだろうか。あるいは解決につながるだろうか。
ひとつの課題を取り上げて考えてみよう.

<班の議論のまとめ>
論点1
地域、行政に関して各々感じていること、という話題で思いつくものをメンバーにあげてもらいました。議論前に出ていた、物的な課題、と人間的な課題のふたつに分けて、さらにその課題が発生している範囲(行政、地域社会、自治会・町内会、家族・個人)に分けて分類する形をとりました。
物的な課題は主にインフラに関するものが多く、溝の修理の際の行政の動きが遅い、防災に備えた設備が無い、空き家問題などがあげられました。一方で人間的な課題となると、行政の融通のきかないやり方に苦言を呈する意見が多くあがりました。また、行政も住民もやりたいことややる気はあるのに、両者の意思疎通がうまくなされないがためにすれ違っているという印象もうけました。また、地域のつながりが美化され、それに頼り切っているのが今の地域社会の現状であり、住民の負担が大きすぎるとの意見も出ました。地域のつながりが美化されるのと、希薄化が同時に起こっているということが浮き彫りになった印象でした。

論 点2
論点1で話していた、物的な課題、主にインフラについては、専門処理に頼るしかないという意見が出たので、主に人間的な課題について話が及びました。中でもやはり専門だけでは難しいのは、義務教育や病院などの専門処理からこぼれおちてしまった人ではないかとの意見がでました。教育や福祉において、専門にアクセスできないのはやはり貧困が大きな原因であると考えられます。また、高齢者の場合では足がないという場合も考えられます。そのような人々を、専門処理にアクセスする人が必要なのではないかという議論になりました。その場合、足になるなどして専門につなげてあげる人と、そもそも自分で処理を施して助けてあげようとしてくれる人の2パターンがあるという意見がでま した。また、古き良き時代の地域社会」においては、このような助け合いが現在よりは行なわれていたと考えられますが、一方でそのような時代においても、現在においても、ある程度引きこもりや認知症などの家族は隠したいという気持ちがあるのではないかとも考えられます。そして、最も大切なのは、美しい地域社会のつながりに全てを依存してしまって、「弱者」に手を貸そうとする人々が無償で、あるいは犠牲を払わなくてはならない状況を改善することだという結論に至りました。どれだけつながりや絆をうたっていても、助ける方も金銭的に安定していないとボランティアは不可能であるからです。


2015-10-19 18:02 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第10章―新しい都市のレジーム―及びエピローグ

第10章新しい都市のレジーム―

グローバル経済は都市にどのような影響を及ぼすのか。


■国際的なビジネスや金融の中心になっている都市-ニューヨーク・ロンドン・東京-が,経済活動のグローバル化に応じて変わっていった過程。
⇒グローバル化の進展に伴い,経済を支配する力が特定の都市にのみ集積されたため,グローバルなネットワークを管理し,支配する基本的な役割も大都市に任せられた。

■金融と企業者サービスが異常なまでの速さで成長したことと,こうした成長が起きた場所が大都市に限られた理由?
・生産拠点が地理的に分散し海外でも生産が行われるようになると,この空間経済を管理したり規制をかけるための結節点の役割を金融・企業者サービスが担うようになり,特定の場所に集中するようになった。
・1980年以降経済的な重要性を喪失し,分散した生産拠点を一カ所で管理し,支配するために成長したのが,金融や高度専門サービスの中心地であった。
・大都市において,トップレベルでの管理,調整の役割が増加し,金融取引の拡大とかなりの額に上る海外直接投資が特定の地域に再び集積し,大都市で国際的な不動産市場が形成されたことで,高度な管理機能とサービス機能を備えた経済の中心が作られていった。

【第一部及び第二部】
1グローバルな管理・支配が実際に担っているのはどのような仕事なのか。
2大都市で生み出されている仕事は正確に言うとどのようなものであるか。
3経済がグローバル化したことで都市階層は変化したか。
⇒「生産」に着目して考察

■金融・生産者サービスの急成長,製造業の衰退
・大都市では産業複合体が形成され,それらの複合体の中でも,中心的な存在として伸びているのが,国際取引を手掛ける企業へのサービス提供に関連したセクターである。
・サービス関連セクターは1980年代以後商品セクターの様相を呈するようになり,この商品セクターに似たサービス・セクターにとって重要な市場として現れてきたのが,ニューヨーク・ロンドン・東京であった。
・三都市への生産者サービスと金融の集積が生じたが,それを単なるサービス産業の成長とみなすのではなく,経済の構造と組織のされ方が全体的に変化してきていることを理解する必要がある。
・生産者サービスに携わる企業が増加したことで,サービスの需要が高まり,サービスは社内で調達されるよりも,市場で購入されるようになるというような傾向は他の大都市でも出てきているが,地域レベルでの話にとどまっている。
・過去20年に及んだ経済再編はさまざまな点で複雑化した組織の需要に応えるサービス・セクターが増えたことと根っこのところでつながっている。こうして生産者サービスが伸びたからこそ,経済がサービス中心になった。
・以前は国民経済を牽引し,層の厚い中産階級の形成・拡大に貢献していた製造業の衰退の上に,新しい成長は成り立っていた。
・新しい成長の多くが,国民国家の弱体化のうえに成り立っている。

■三都市のトランスナショナルな関係
・グローバルな情報通信の時代にあってもなお,離れた場所に位置することが多い多様な企業・ブローカー・個人をつなぐ役割を各都市が果たしており,三都市もトランスナショナルな一つの市場として機能している。
・三都市は競争関係にあるわけではなく,資本の輸出(東京),処理(ロンドン),投下(ニューヨーク)のように,三都市が別々の役割を担うことで一つの役割を果たしている。
※日本が資本の輸出という役割を果たしていたのは昔のことであり,現在ではその役割は失われている。

■二極化
・社会構造の変化は,社会経済の二極化をもたらした。
・商品やサービスを生み出し,提供する企業においては競り落とす力で差が開いてきており,このことによって生産する側の企業にとり,グローバル・シティはますます生きにくい場所となってきている。
・生産コストを減らすための努力-下請け,低賃金・劣悪な環境での非登録移民の雇用など-が行われ,中心的なセクターで低賃金労働者が増えており,彼らにとってもグローバル・シティは住みにくい場所となっている。

■都市の空間編成の変化
・情報通信技術の発達を背景に,経済活動が空間的に分散されてきた一方で,この分散を可能にするために,中心に集められた諸機能は強化されてきた。(地理的分散/集積)
・グローバル・シティに集積したのは,分散した経済活動を管理するための諸機能だけでなく,イノベーションが生み出される場所もグローバル・シティに集まるようになった。
・情報通信技術が発達したが,未だに都市中心にある軸とのつながりは意味を有していることから,情報通信技術の影響はごくごく限られており,経済を構成しているものの多くがデジタル化されず,現在でも物理的な側面をもっている。

【第三部】
新しい産業複合体による経済活動のグローバル化が,都市の経済構造や社会構造に与える影響について。
■フォーディズム期
・フォーディズムの経済を支えていたのは主に,大量の消費者をターゲットとした住宅・道路・自動車・家具・家電の大量供給,大量販売であった。
・大量消費・大量生産に基づく製造業の発展と共に層の厚い中産階級が形成された。
・公共サービスのカバーする範囲が格段に広がった-公衆衛生システムの発展,公営住宅の建設。
・インナーシティ問題-郊外化の結果,三都市の昔ながらの中心地域に貧困層や弱者が取り残されていくようになった。
・制度的枠組みは維持され,労働組織率は上がり,労働者のエンパワーメントが進んだ。
・正規雇用で働く労働者の割合が最高水準に達し,賃金も上昇した。

■ポスト・フォーディズム期
・主導経済セクターはサービス・セクターへと移り,産業複合体において成長が起きている。
・中産階級が増えることはなく,所得格差が開き,企業の競争力や世帯の購買力でも差がついてきている。
⇒経済の二極化
・個人より,企業や政府による国際市場への輸出や中間消費といった,組織による消費のほうが重要になってきている。
⇒グローバル・マーケットが社会・経済を形成
・家族賃金が衰退し,男性がフルタイムで雇用されることが当然ではなくなった。
・パート,有期雇用市場の拡大。
・日雇い労働者やマイノリティ集団に属する労働者,移民労働者の増加。
・年功序列・終身雇用制度の崩壊。
・低賃金労働,スウェットショップ,家庭内産業労働の増加。

■新しいタイプの高所得層の出現,消費構造の変化
・ただひとつ,新しい産業複合体の恩恵を受けている階級が,新しいタイプの専門職・経営者・ブローカーであり,この数は三都市において劇的に増加した。
・彼らには消費力があるだけでなく,何を消費するのか選択肢が用意されており,高所得層向けのジェントリフィケーションとそこから生じる派手な消費が,イデオロギーとして働いている。
・投資額が低すぎず,高すぎもしない中間投資(株・美術品・骨董品・奢侈品)が恰好の投資ターゲットとなっている。→美術品市場の成長,奢侈品への消費の増加。
・十分な収入とコスモポリタン的な企業風土が合わさることで,新しいライフスタイルや新しいタイプの経済活動が営まれる魅力的な空間が出来上がった。

■ジェントリフィケーション
・日々の生活における芸術の重要性が高まってきている。(exうらぶれた倉庫を価値あるものに)

・現在の経済活動において,芸術家という職業が,不動産開発から奢侈品の消費に至るまで,潜在的なビジネスチャンスを実現し,利益を生むための装置になってきている。
・一方でニューヨークやロンドンでは,一昔前まで,入り口が固く閉じられたままの店舗や打ち捨てられたビルばかりだった場所が,今では商業地区や住宅地として栄え,コミュニティ一帯の環境が改善された。
⇒移民流のジェントリフィケーション

世界経済で指令を発する場,金融と高度な企業者サービスのイノベーションが生まれる場,そして資本にとって重要な市場というように,都市はさまざまな役割を担うようになり,その役割を果たすために,特定の諸都市が協力し合っている。そしてこうした諸都市は,金融と製造のグローバル化によって新しい形の集積が進む中で,戦略的な役割を果たしている。
また金融が牽引する経済成長から集積が起きた結果,さまざまな側面で新しい秩序が生まれてきている。大量生産が主流の時代には,公共財の供給と福祉国家が重要な意味を持ったが,新しい規範においてはその重要性は失われている。消費の規範は,直接的には金融や生産者サービス,これらが必要とする多様な産業サービスにおける労働を通じて,間接的には社会的生産の領域において,社会構造を目に見える形で変えている。

➡経済成長を決める新しい産業複合体と,産業複合体を構成し,再生産している社会政治的な形が両方そろう場が大都市であり,両方そろっているというところに,グローバル・シティの基本的な特徴がある。

―エピローグ―
■6つの論点
1グローバル・シティ論の枠組み
2金融に関する問題
3生産者サービス
4諸都市の関係
5グローバル・シティにおける不平等
6グローバル・シティでは都市空間の秩序が一新されたかどうか

Ⅰ.グローバル・シティ論
(ⅰ)グローバル化と均質化
■グローバル・シティ
・グローバル化は国家の外で生じているといった単純な現象ではなく,資本の流れを調節・管理し,そこで必要とされるサービスを提供する働き,そして多国籍企業や国際的な市場の多角的な経済活動に必要なサービスを提供する働きである。
・グローバル・シティでグローバル化を進めているのは,国の組織や国内企業などナショナルなアクターであり,グローバル・シティとはグローバル経済の鍵となるダイナミクスや条件が植えつけられたローカルな場ということになる。
・グローバル・シティは単独では存在せず,それぞれがグローバル市場やグローバル企業のうち,きまった市場・企業へのサービス提供に特化する傾向にあり,国境を越えて戦略的な場を結びつける役割を担っている。
・グローバル・シティたりえるかどうかは,国による規制緩和や公的セクターの民営化,国内企業・外資系企業と市場が都市をどのくらい経済活動の基盤にしているかで決まる。

■グローバル・シティの均質化?
・グローバル・シティの諸機能が世界中の様々な都市で発展しているということは,都市間の差がある意味なくなってきているとも言い得るが,発展中のグローバル・シティの諸機能はかなり専門的であるし,これに関わる機関も多様であり,この場合の「差の消滅」は,消費者市場やグローバル娯楽産業にみられる均質化や収斂とは大きく異なっている。
・グローバルな視座からみれば,あるシステムやダイナミズムやその具体的な形が複数の国にまたがっていることがわかり,諸都市が画一化していると捉えることにはならない。
・グローバル・シティにおける差の消滅とは,都市の均一化のことではなく,専門特化した諸機能が都市で発展したり,部分的に取り込まれるなかで,諸機能が大都市にもたらすであろう影響が似てきているということである。

(ⅱ)先行研究とグローバル・シティ論の違い
◇フリードマンとゲッツの枠組みとの違い
グローバルな支配能力の生産に着目することで,情報化経済の中にあっても,物理的な条件や生産が行われる場,そして特定の経済活動が決まった場所でしか行われないという「拘束性」が存在し,場所の必要性を明らかにした。
◇カステルとの違い
グローバル・シティをネットワークとして捉えるだけでなく,場(プレイス)としても認識し,ネットワークが特定の場に深く根付いていることを明らかにした。つまり,ネットワークやフローだけでなく,グローバル化の概念に場所性(プレイスネス)を導入することを重要視した。
◇「グローバル都市―地域(リージョン)」という概念
グローバル化を考えるうえで都市と地域を分けて考えること。
◇グローバル・シティと都市全般を概念上区別すること
グローバル・シティで生じている経済的グローバル化のダイナミクスや条件が都市内部で生じることは,都市全域で進んでいるわけではない。
◇グローバル・シティの諸機能という概念
グローバル経済の管理やグローバル経済に必要なサービスの提供という点で,専門性がかなり高い機能をもつ都市を見分けるため。
◇国際都市とグローバル・シティの区別
精緻な分析をするためにフィレンツェやヴェニスなどの国際都市とグローバル・シティを区別する。

(ⅲ)グローバル・シティとグローバル都市―地域
◇グローバル・シティ
・格差や権力といった問題を扱うことに適している。
・境界線がはっきりした入れ物としての都市ではなく,中心で起きているダイナミクスに焦点を当てることができ,そのダイナミクスが制度的・空間的にどれくらい広がり浸透しているかについても重視できる。
・競争よりも,越境的なネットワークや分業を強化するグローバル・シティの主導産業を重視。
・経済以外の領域―政治・文化・社会・犯罪など―で生じている越境的なネットワークの利用を把握できる。
◇グローバル都市―地域
・グローバル化を好意的に解釈できる。
・経済的な利益をより均等に配分するにはどうしたらいいか考えることに適している。
・広い領域を見渡すことで,都市への一極集中ではない,より分散した形での成長の可能性が見いだせる。
・競争と競争力を重視。

(ⅳ)帝国主義の中心都市とグローバル・シティ
国民国家と国家間システムによって経済が統治されるようになった歴史的段階を経て,グローバルな経済システムが作られたことを,理論的かつ実証的に明らかにする必要がある。

(ⅴ)識別と測定
グローバル・シティにしかない変数を見分け,測定する際に,従来の概念やデータ,調査技術では,閉鎖性に基づいた規模の概念が使われていたため,問題があいまいになっている。調査対象を一定の範囲内に限定すると,グローバル・シティの特徴である越境的なネットワークなど特定の場所を越えて広がるものを測定できない。

Ⅱ.金融秩序
金融市場や個々の金融機関よりも,金融センターに力点を置き,都市間の関係を競争よりむしろ分業として理解することが重要である。

(ⅰ)金融センターvs.金融機関・金融市場
・金融センターという物理的な「場」の重要性を考慮することで,多様な状況や様々な資本の投入を明らかにできる。
・金融機関や金融市場が最近のデジタル技術から得られる利益を最大化するためには,複雑な組織が重要になってくるが,経済的なつながりの規模は,非・電子空間でのほうがさらに広く,金融機関や金融業が完全にデジタル化されることはない。
・多様な金融センターがネットワーク化されることで,最大限の利益が得られるようになっている。
・ある産業が空間的に集積し,そこで大きな成長が生まれるという規模の経済が,金融センターのダイナミズムにも当てはまる。

(ⅱ)競争vs.分業
・金融センター同士の競争ではなく,金融センターによる役割分担に着目することで,新たな産業の空間構成が見えてくる。
・金融センターを結ぶ国境を越えるネットワークに着目すれば,各センター同士は互いに統合されたシステムとして働いていることが明らかになってくる。
→金融センターは複雑なネットワークにおける欠かせない場として重要な戦略的役割を負っている。

(ⅲ)グローバル企業と国家
グローバル時代の国家の役割についてはまだ満足に考察しきれていない。

(ⅳ)金融業の本質
金融業ではグローバル化によりサービス提供以外の特色が強まってきており,1980,90年代のイノベーションの導入により「実物」経済にサービスを提供する役割から切り離されていった。

Ⅲ.生産者サービス
◇生産者サービスの細分化
・生産者サービスを指標として使う場合には,それを細分化したうえで分析しなければならない。
◇生産者サービスとグローバル・シティの関係
・グローバル・シティより小さい都市で生産者サービスが成長しているからと言って,グローバル・シティがより手ごろな地域へ移っていると説明するのは短絡的であり,小都市で生産者サービスの成長率が高いのは,これに対する需要があらゆるセクターの企業で増えたからに過ぎない。
→生産者サービスのなかでも,グローバル企業やグローバル市場の需要に応えるものは非常に複雑な仕組みを持っているため,これを小都市が担うことは難しい。
・フォーディズム的/ケインズ主義的な時代に生産の場という都市の役割は失われていったが,現在サービスを生み出す経済活動が都市で活発になってきていることから,都市が今一度「生産」の場として浮上してきている。
→金融業とサービスが盛んになるにつれ都市は新しいタイプの生産の役割を担うようになった。
◇国内向けの仕事とグローバル向けの仕事を対置させているという誤解
・国際的な職業が都市にあつまっていたとしても,その都市をグローバル・シティとみなすことはできず,グローバル・シティの基準を満たすためには,グローバル企業やグローバル市場の需要に応じられる専門サービスや専門職がかたまって存在する必要がある。
→グローバル・シティ論の重要なポイント:グローバル企業やグローバル市場が調整されているのか,専門サービスが提供されているのかどうか。
・グローバル・シティの諸機能は多種多様な職業によって支えられているにもかかわらず,国内向けの職業のように,そう認識されていないものもある。
◇生産者サービスの製造業における関わり
・生産者サービスの成長に製造業は欠かせないが,生産者サービスと製造業の立地は必ずしも同じ地域である必要はない。
・生産者サービスは企業の一部であるため,製造するところをどこにするかは,さほど重要ではない。

Ⅳ.社会と空間の二極化
◇二極化≠中産階級の消失
グローバル化にはフォーディズムのように中産階級を増やす効果がなかったどころか,トップレベルの専門職の価値を高める追い風になった。
中産階級は全く消えておらず,ただ成長のダイナミクスの基本的な方向性が中産階級を増やす方向には向かっていないということ。
◇グローバル・シティにおいて貧困が生じる原因
・高給職と低賃金労働が増加している背景には,近年成長しているグローバル・シティの諸機能を担う経済セクターがある。
◇グローバル化の影響力
・様々な市場とそれが都市の社会的・空間的特徴に及ぼす影響を丁寧に検証することで,すべてではないにせよ,グローバル化の影響力を分析できる。
・都市の全体的な職業や経済セクターの構造,犯罪や退廃・貧困・社会的排除などの問題,二極化などの傾向は決してグローバル・シティの指標ではない。

【論点】
p387「ナショナルなアクターがグローバル化を引き起こすダイナミクスを,筆者は国民国家の始まりとして認識している。…グローバル・シティでグローバル化を進めているのは,国の組織や国内企業などナショナルなアクターである」
p392「グローバル化に場所性がある,つまり特定の場所に縛られているということは,国民国家や国土など「ナショナル」な構造にグローバル化が埋め込まれているということである」

と本文にあるように,グローバリゼーションと国家の関係性が指摘されているが,グローバル化によって国家の役割はどのように変化したのだろうか。また,その変化によって社会・経済的にはどのような影響があっただろうか。
2015-08-08 16:10 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第9章 経済再編―階級と空間の二極化―

第9章 経済再編―階級と空間の二極化―

【主題】
1.金融,生産者サービスの台頭やグローバル化による,様々な格差の拡大を受けて,社会形態は一新されてきたのか。
2.雇用関係はどのように変化したか。
3.三都市の経済における人種と国籍の問題。

Ⅰ.主導セクターへの全体的な影響
高度サービスが経済の中心になっている都市では,主導経済セクターとそれ以外の経済セクターは,どのような関係にあるのか。

①一般的な経済発展論
経済が発展するにつれ,市場と市場における諸関係が社会制度に影響するようになる。
・経済水準が高くなるのと平行して包括的な正規労働市場が開拓されていく。
・各種の規制が敷かれる,十分な失業手当・退職金,労働組合が機能
➡フォーディズム…労働者に気前よく給料を支払い,十分な余暇を与え,消費を促す。
②経済の基盤産業と基盤産業でないものを対置させるモデル
都市形成に携わる産業による「輸出」向けの経済活動は,基盤経済にサービスを提供する他のセクターの発展にも寄与しており,この点で輸出向けの経済活動は乗数効果を生み出す媒体でもある。
③脱工業化モデル
労働人口に占める高学歴者の割合が増え,知識産業が重要な位置を占めると,生活の質が全体的に良くなり,経済目標に限定されない社会目標へ関心が集まる。
・ダニエル・ベル「サービスの序列(ヒエラルキー)」
脱工業化社会のなかで専門職・技術職といった知識産業が急成長し,社会の中心課題が,資本や労働者の組織化から科学的知識をどうまとめていくかという関心へと移行する。これにより企業と労働の在り方はより人間的らしく,社会的なものになっていく。
➡実際に生産者サービスや金融業を知識産業とするなら,知識産業は成長したし,先進諸国で主要な経済セクターになっている。また専門職層の雇用は増加し,給与額も上がっている。

 こうしたモデルの出発点は,経済の中間セクターの順調な成長がストップした歴史的に重要な時期とどれくらい重なるのか。

■第二次世界大戦後の成長-中産階級と正規労働市場の拡大
資本の集約・標準化・郊外化(中産階級の形成)によって労働市場で正規雇用が広がった。保険・金融や製造に携わるタテ割りの大企業は,昇進・十分な雇用保障・各種福利厚生で彩られた国内労働市場をうりにしていた。

■1970,80年代以降
サービス経済への全体的な移行と製造業の衰退と新しい経済セクターの台頭。新旧セクターで労働が再編されたため,大都市では雇用がこれまでとは違う形で提供されるようになった。

Ⅱ.社会地理
都市空間と新しい主導セクターが支配する大都市の経済がどう影響しあい,空間の変化が生じたのか。

断絶-主導経済が成長し続けた結果,既存の空間編成が変わったこと,大きな衰退から新しい土地利用ないし社会空間の形態が生じたこと。
サービス産業への移行やその結果の階級構造の変容,消費とサービス提供の民営化への移行などといった変化が目に見える形で現れたもの
➡ジェントリフィケーション(富裕化)
貧困が集積し,建造物が老朽化したインナーシティにおいて,高所得者向けの住居・商業施設を目的とした再開発が行われる一方で,従来の住民が立ち退きを迫られる。

■ニューヨーク
・オフィス業務に特化したマンハッタンの役割は1950年から80年の30年間にわたり,増加の一途をたどった。1990年代に入ってもマンハッタンは地域の中心であり続け,極端な集中がやむことはなかった。マンハッタンで中心となっているビジネスは,企業者サービス,金融サービス,小売,観光業,コンサルティング,広告,コンピューターサービスで,すべて順調すぎるほど成長した。
・高度専門職でマンハッタン在住があてはまるのは,たいてい白人の若い層である。
・マンハッタンの居住者の内訳では,管理職・専門職・サービス労働者が極端に多い。なかでも急激に成長したのが専門職であり,サービス労働者の比重は過去30年間で減少してきている。
・高所得者層の収入が上昇する一方で,貧しい勤労者世帯の数が急激に増加した。
・女性が重要な要因となり,ジェントリフィケーションが進行している→貧困層の立ち退きを伴う。
・エスニシティごとのセグリゲーション(住み分け)の進行→世帯収入に応じた空間の階層化を反映。
・1980年代に低家賃住宅市場の縮小,景気低迷,低所得者世帯の収入減少が重なり,ホームレスが急増した。

■ロンドンと南東部
・ロンドン中心部は1980年代以降,オフィス業務に特化してきた場所であり,1990年代後半になると,金融・銀行・保険が極端に集中するようになった。また,高度専門職層がマンハッタンと同時期に拡大した。
・国際金融・生産者サービスの中心として成長する中で,高所得者層の賃金は上昇したが,低所得者層の賃金は上がらなかった。また,インナーロンドンに貧困層が集中するのと同時進行で,ロンドン中心部に済む高所得者層が増えた。
・規制緩和以降の学歴と能力重視の傾向により,女性にも就業機会が開かれるようになった。
・高額な消費をいとわない高収入層が生まれ,特有のライフスタイルが形作られた。
・低所得層,特にマイノリティが集住していたインナーシティを含め,高所得者層をターゲットとしたジェントリフィケーションが進行した。
・南東部には高所得世帯が多く集まり,低賃金労働が必要とされる基盤が出来上がっている。
・多くの公的サービス職業は,民営化と規制緩和によって民間セクターに移され,削減されていったことで,正規雇用市場は縮小し,臨時の不安定就業雇用が拡大した。これにより貧困の集積が進み,ホームレスも増大した。

■東京
ニューヨーク・ロンドンとの相違点
・グローバル化により1980年代は巨大な成長と資本蓄積を経験したが,90年代になるとこうした進展は見られなくなった。
・特定の種類の経済活動だけが東京に集積されてきた。
・グローバルシティとしての東京の軌跡において,政府が大きな役割を果たした。
・生活水準の向上より産業の成長を重視する資源分配により,ニューヨークやロンドンに比して格差が小さくなっている。

ニューヨーク・ロンドンとの類似点
・1980年代以降,企業者サービスと金融サービスが成長した結果,専門職の需要が増大した。
・ジェントリフィケーションの結果,瀟洒な住宅・商業地区が現れる中で貧困も悪化し,高所得者向けの住宅供給の拡大と低所得者世帯の立ち退きが生じた。

≪東京のインナーシティ≫
インナーシティとは,中心業務地区を取り囲む一帯をさし,郊外に比べ都市の中心部に位置していることから「インナーシティ」と呼ばれ,マイノリティや貧困層の集住地域が形成される。

〇地域社会の衰退
商業・住宅・古い製造業が混在する区に現れ,雇用の減少し,若年層の転出により相対的に高齢者人口が増加している。
〇地域経済の衰退
製造業が経済基盤として活況を呈していた土地において,製造業が衰退した。その一方で他地域では製造業以外の産業が影響して経済活動の水準が上がり,通勤人口も激増している。
〇住宅事情をはじめとする物理的条件の悪化
豊島区・北区-粗末な住宅と貧困層が密集している。
中央区・港区-商業中心地でありながら,粗悪な住宅や荒廃した家屋が存在する。ビジネスセンターが急速に拡大する一方で,住人は激減している。
〇社会的な不利益とマイノリティとされる住人の関係
・日本は完全な同質社会であるといわれてきたが,現在は東南アジアからの移民が増大している。
・台東区・荒川区においてエスニック・マイノリティが社会的にもっとも不利益をこうむっている。
・新宿と渋谷には大きな韓国人コミュニティがあり,外国籍のアジア系女性のほとんどは「エンターテイナー」として雇われている。

➡商業中心地区に隣接し,かつ一昔前には製造・商業の中心であった地域で,社会・経済・物理的な面での最大の衰退が生じている。

Ⅲ.消費
人々の消費の形が変化し,一通りの基本的な欲求が満たされたことで,人々は他の人々との違い=差異を追い求める時代となった。つまり,同じものを大量に生産するのではなく,必要な時に必要なだけ生産されるようになったのである。

・低賃金労働は消費(あるいは社会的再生産)の領域で生じており,ジェントリフィケーションが行えるかどうかは,膨大な数の低賃金労働者を利用できるか否かにかかっている。高所得層向けのジェントリフィケーションを受けて,大量生産・大量消費ではない類の商品やサービスへの需要が生じ,結果的に労働集約的な生産方法がとられている。そして,特注生産や限られた生産量,小さな小売店では雇用のインフォーマル化と労働の不安定化が進んでいる。
・直接的には労働の構造,間接的には成長セクターで働く人々の高収入に基づくライフスタイルの登場によって,低賃金労働が創出されている。
・戦後の代表的な成長産業であった生活必需品や耐久消費財の生産が減少したことで,製造業の価値は下がり,労働組合の衰退,労働契約上の各種保護の減少,臨時雇用や不安定雇用,または非正規雇用の増加が起こっている。

◇大都市において経済活動での労働のインフォーマル化と不安定化が広がった原因
1.大都市では所得分布の二極化が進んでいるうえに,主な成長セクターが地理的に集まっていること。
2.大都市に膨大な人口が集中したため,安くて規模の小さいサービスが急増したこと。
3.人件費やそのほかの必要性から,労働集約的な製造業のうち低賃金で規模が小さい企業は,平均サイズの都市よりもロンドン・ニューヨーク・東京に多く集まる傾向にあったこと。

Ⅳ.不安定就業労働市場とインフォーマル労働市場
ニューヨーク・ロンドン・東京において労働のインフォーマル化が続いているが,東京が他の二都市と異なる点が,東京で増えた不安定就業が「日雇い労働」やパートタイム労働であったことである。高度産業国における正社員から臨時雇用への切り替えの重要な要因として,サービス職へのシフトがあり,増えたサービス職の大半を担っているのが女性である。

◇インフォーマル経済拡大の原因
・政府の管理や規制から逃れ,人件費を削減するため。
・臨時雇用の増加,母子家庭の増加,製造業に基盤があった労働組合の衰退,そして男性労働者の大量解雇などにより,家族賃金が制度的に崩れてきているため。

■ニューヨークでのインフォーマル化
・インフォーマル労働は,移民コミュニティに集まってはいるものの,コミュニティからの需要だけでなく,より大きな経済圏で生じる需要にも応えている。
・インフォーマルな経済活動が,とくにジェントリフィケーションなど急速な社会経済的変化を遂げている地域に集中している。
・インフォーマル労働は規制や市場原理と関係ないはずだが,工業・産業サービス地域として浮上している区域に集積している。つまり,インフォーマル労働が行われる場所は移民コミュニティが多いが,より広い経済圏を相手とした商売も行っていることを示唆している。
・インフォーマル経済が行われる空間において,重要な立地条件は,移民コミュニティ・ジェントリフィケーションが行われている地域・市全体の市場をターゲットとするインフォーマルな製造業と産業サービスがある地域である。
・インフォーマル経済の労働には同じ作業の単純な繰り返しを仕事とする非熟練労働と,高い技術が求められたり,または技術の習得が必要とされる労働というふたつのタイプが存在する。

■ロンドンにおける労働の不定期化
・不安定就業の状態化は昔からある産業において習慣化しつつあるが,建設やエンジニアリングといった専門サービスや銀行業でも,時給ベースで働く労働者が増え,正社員と同じ権利をもつ非正規社員は減っている。雇用者側が規制を逃れようとするため,こうした非正規労働者は自営業として分類されており,これも高度サービス・セクターにみられる所得の二極化の原因となっている。
・アパレルにおいて人件費が最も抑えられる労働者であるエスニック・マイノリティと女性を利用するために,家庭内産業労働や低賃金労働が増加している。
・アメリカと同じくイギリスにおいてもパートタイマーの立場をさらに弱くする法律が議会を通過し,パートタイム雇用は奨励され,その利用が正当化されている。

■東京の日雇い労働者
・1980年代に日雇い労働者の数が膨れ上がった。日本には日雇い労働者の大きな職業紹介所(寄せ場)が横浜・東京・名古屋・大阪の四カ所にある。
・日本の日雇い労働者は雇用関係の不安定化でもっとも鮮烈な例であり,女性のパートタイム労働と並んで,労働人口の階層化が進んでいることを象徴している。

Ⅴ.労働市場における人種と国籍
ニューヨークやロンドンの社会的・経済的変化を考察するうえで,人種と国籍を無視することはできない。しかし東京ではやや事情が異なっており,ここ2,30年の非登録移民の流入を契機として,今後移民をどうするかという問題がようやく出てきたのが現状である。移民は大中心都市の低賃金労働や不安定就業労働市場に集まっている。

■ニューヨーク市のマイノリティと移民労働力
・1980年以降,高給職が増える一方で,黒人とヒスパニックが占める割合が全職種で高くなり,白人の占める割合が減っていった。
・黒人とヒスパニックが新たな低賃金労働に参入しているのと同時に,白人から既存の低賃金労働を奪っている。
・女性の割合がどの集団でも増えている。
・地位の高い仕事では,マイノリティの数は未だに少ない。
・「移民集約型産業」(労働者のうち少なくとも5分の1が移民)と呼ぶ集団に,アメリカ生まれのアングロサクソン系と外国生まれのヒスパニック系がやや似た形で集中していることから,低賃金労働を作り出しているのは,移民というよりは経済と言えるかもしれない。

■ロンドンの黒人とアジア系労働力
・1950年代,移民がイギリスに大量流入し,アフロ・カリブ系の移民の約半数はロンドンに定住し,残りは他の大都市に落ち着いた。2000年の時点で,エスニック・マイノリティの出自を持つ居住者は,インナーロンドンでは29%,アウターロンドンでは22%にのぼった。
・1962年までに最初の移民法となる一連の法律が施行されたことを受け,移民は制限されるようになった。さらに1979年には臨時労働許可証が廃止された。
・黒人労働者やアジア系労働者は衰退がもっとも濃い影を落とした製造業に集まっている。
・マイノリティ集団は,集団の人口比に対して失業率が高くなっているが,それが最も顕著なのが黒人労働者である。
・低賃金労働の発生率は非白人層でかなり高くなっている。

■日本への近年の非登録移民
・1950,60年代にアメリカや西欧諸国が労働力を外国人労働者に頼っていたのに対し,日本では地方から都市への出稼ぎ労働者が,外国人移民に代わる役割を果たしていた。
・1980年代にアジアから移民労働者が流入したことで,日本経済はまったく新たな局面を迎えた。都会で生まれた移民第二世代が完全に成長し,労働力となった。また,激務を伴う仕事(例えば遠洋漁業)や低賃金労働での労働力不足はますます明らかになっていった。
・国会では1990年になってようやく入管法の改正が認められ,日本が受け入れる外国人労働者の職業領域の数を28まで増やした。そのほとんどは専門職である。他方でこの改正をもって非熟練・半熟練労働者の入国が制限・管理されるようになった。
◇非登録移民が日本に移住をきめた理由
1.来日する前から,労働力移動のプロセスに何らかの形で巻き込まれていたため。
2.移民労働者の出身国における日本のプレゼンスが高まった結果,日本に関する情報が入ってくるのと相まって,連関が構築され,移住先の候補として日本が浮かぶようになったため。

→労働力の不安定化は,移民労働者にとって間口が広がるチャンスである一方,雇用者側にとっては制約が減ることであり,また,人件費削減につながる。また,製造業の衰退,サービス業の台頭によって独立した小企業が増え,こうした企業は日本企業の大多数が加入している大規模な経済団体に加入していない。これは不安定化のもう一つの形といえる。

■経済の再編成と社会的な地域構造における移民
大量の移民が衰退している後進セクターに低賃金労働を提供しているという従来の研究の見方では全面的な説明とならない。

・移民が安い労働力を提供しているとされるサービス関連職や製造関連職は,成長している高度専門サービスや,こうした分野で働く高所得層のライフスタイルから生じる需要に応じて創りだされている。移民労働者が担う衰退している経済セクターが,都市経済で最もダイナミックなセクターの需要を満たしている。
・1970年代のニューヨーク,1960年代のロンドンにおいて,移民がいなければ放置されたままであった家屋や閉店したままの店舗が連なる地域で,移民は職を見つけ働いた。移民コミュニティは都市の空間・経済セクターの再生に積極的に関わっている主体であり,コミュニティのための直接労働と,資金の個人投資を集積させることで利益を最大化する構造,あるいは媒体である。
・大量の移民は戦略的なセクターにサービスを提供する労働に組み込まれており,その組み込まれるプロセスで,グローバル・シティが重要な役割を果たしている。そして実際に組み込まれていくなかで,移民労働者は見えない存在になっていく。
・移民は移民であるがゆえにインフォーマル経済におあつらえ向きの労働力や企業家になり得るし,大都市を中心に低賃金労働者が増えたことは,移民にとってみれば,雇用機会の創出として理解できる。

Ⅵ.まとめ
1.近年のジェントリフィケーションの特徴は,その規模の大きさと新しい消費イデオロギーを生んでいることである。つまり,中産階級の消費パターン(機能性・低価格・郊外)から大都市のエリート層の消費パターン(スタイル・高価格・超都会的)へと変化が生じている。このような新しい商業文化が台頭する一方,貧困の厳しさが増している。
2.三都市において不安定就業労働市場が組織化され,こうした雇用関係がサービス・セクター中心の経済で拡大し,中心的になった。不安定のダイナミクスは都市ごとに違った様相を呈しているが,各種パート労働の増加は一般的かつ広くみられる傾向である。
■ニューヨーク
不安定就業労働市場が成長した結果,予期していなかったインフォーマル経済の登場というダイナミクスが生じた。
■ロンドン
かつて国家が提供したサービスの多くを民営化した結果,雇用の不安定化が,もっとも劇的に生じ,そのために雇用条件が制度的に悪化した。
■東京
「日雇い労働者」が急激に増加し,労働者の層も多様化している。このような中で,制度による保護や賃金水準が急激に悪化している。

3.人種・国籍によって,雇用分布・賃金分布は異なっており,ニューヨークの黒人や第三世界からの移民は極端に賃金の低い,より古いサービス職に集まっている。ロンドンでは,移民への門戸が閉ざされたにもかかわらず非登録あるいは半合法移民が流入し続け,彼らは低賃金労働に従事している。労働者と世帯の間で孤立化が進み,経済的重要性をもたない者の割合が増加している一方で,柔軟性の高い期限付きの低賃金労働力に完全に組み込まれつつある移民労働者もいる。東京への非登録移民の流入の主要な要因は,経済の急速な国際化,なかでも近年の非登録移民の主要出身国への海外直接投資・海外援助・海外移転の増加と,不安定就業労働市場の存在感の高まりである。最近の移民の多くは雇用関係の不安定化の広がりのプロセスに組み込まれている。つまり,大都市を中心に起きている経済の国際化と雇用関係の不安定化により,新たな移民が生まれ,かつ吸収されているのである。

論点
製造業の衰退と金融・生産者サービスの台頭やグローバリゼーションにより,日本でも不安定就業労働市場が拡大し,移民労働者が増加するなど雇用形態の変化が生じている。では,1960,70年代の高度経済成長期と現在では,雇用や労働の在り方は具体的にどのように変化したのだろうか。またその変化により,社会や私たちの日常生活にも何か影響があっただろうか。

<議論>
高度経済成長期と現在の雇用・労働のあり方に関する変化を捉えるため、まずそれぞれの時期における雇用・労働の特徴となる事項をリストアップした。その結果、高度経済成長期には「終身雇用・年功序列・会社からの手厚い補助」「非熟練労働」「正規雇用・集団就職・正規雇用の多さ」「労働組合の強さ」などが挙げられた。現代では「転職、リストラが一般化」「ブラック企業・ワーキングプアの登場」「専門職のニーズの高まり」「正規雇用の少なさ・過剰な就職活動」「規制緩和によるフリーター、派遣労働者の増加・労働組合の崩壊」が挙げられた。これら高度経済成長期と現代の特徴は対応しているカテゴリに分けた。(各時代の特徴は対応するカテゴリ順に紹介している)また、高度経済成長期には見られなかった新しい特徴として、「外国人労働者の増加・女性の積極的な登用・定年後も働く労働者の増加」が挙がった。
こうした特徴の変化から、いま私たちの日常生活に現われている影響として「収入の二極化・雇用のグローバル化・個人社会・資格重視・生涯勉強」が挙げられた。特にポジティブな影響として「束縛がない・選択肢の増加」が、ネガティブな影響として「一生涯競争が続く・不安の強い社会」が挙げられた。
今回の論点では、現代社会のネガティブな側面が多く論議された。たしかに社会的な格差の拡大や就職したからといって安心できることはない点など社会的な不安はますます大きくなっている。一方で、努力次第で年齢に関係なく昇進できる点や職種・働き方の選択肢が増えてきている点は、良い点だと評価できるのではないだろうか。単純に「高度経済成長期は良かった」「現代社会は悪い点ばかりだ」と評価するのではなく、現代の格差社会の下位層に対する補償が弱い点のみを問題視することが重要だと考える。
こうした問題点の原因に、日本の企業依存的な福祉制度がある。所属する企業、また就労状況により、享受できる福祉に差が生まれてしまうからだ。弱まってしまった福祉国家体制を強化することが求められると考える。
2015-08-03 13:10 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第8章 雇用と所得

第8章 雇用と所得

三都市は一つの物語を共有しているのか?

70年代 ニューヨークとロンドン: 雇用者が大幅減り、生産者サービスと金融が成長
    東京:雇用が安定していたが、製造業の雇用の減少が著しい
    三都市共通:製造業が後退(ある産業が成長)、
          政府の財政危機(政府の雇用減少)
ニューヨーク
1960年以来
 1雇用の喪失を伴う、製造業の大きくな衰退が挙げられる。
 2多くの本社がなくなり、結果的にオフィス業務が大幅に減った。
 3財政状況の急速な悪化。
 4マンハッタンに集積している金融サービスと生産者サービスの急激な成長。

二つの大きな傾向がはっきりと現れてきた。
 1製造業の撤退。
 2生産者サービスの急速な拡大。

  製造業が衰退した原因(ロンドンと共通)
  1成長期における土地不足や製造業に適した土地がみつからなっかた。
2道路ができたことで、都市の中心としての比較優位性が下がってしまった。
3職業の中の特定の部門が弱点を抱えていたため、土地や資源をめぐる他の経済部門との競争力が弱まった。
  4国際的、政治的、経済的そして技術的状況が変わったことで、都市への大規模な集積を起こした諸要素は、1960年代後半にその妥当性と重要性を失っていった。

  対照的に、ニューヨーク全体はサービス関連職の数は増えていた。中にはすべての経済活動(特にFIRE)がマンハッタンに極端に集積している。

ロンドン
1960年以来
 1、かつて軽工業の重要な拠点であるが、1985年までに製造業での雇用が80万も失っていった。
 2、20年の経済停滞の中、雇用と人口が減っている。
 3、1984年から、金融と生産者サービスを急成長した。

製造業の衰退の原因(複雑)
 1国際競争の激化、また工業の近代化への投資不足による生産性の低下。
 2工業生産で広大なスベースへの要求が高まった時期に、場所と土地が不足していたため、拡大に歯止めがかかった。(ニューヨークと共通)

製造業の衰退の中、高賃金で付加価値の高い職業が好調である。(印刷、ハイテク、通信産業)

イギリスとロントンの雇用変化について、1970年代後半以後の衰退深刻だった。サービス業ロントンの方が安定している。イギリス全体の方が増えっている。80年代を入ると企業者と個人向けサービス業の雇用を増加した。銀行と金融の雇用も増え、ロンドン市内に集積している。その結果、ロンドン市内で他の部門(卸売、小売と他サービス)で働く者の割合は少なくなっている。

地理的な分散も、サービス職に影響を及ぼしてきた。変化の原因は都市全般に当てはまるものがあり、ロンドン特有のものもある(南東部)。

東京
特徴:政府の役割が大きい
1950年代、政府は重工業と化学工業の規制を始め、製造業は全体的に後退していた。
1970年以後、雇用の安定期に入った。ニューヨークとロンドンに比べれば、製造業における雇用喪失それほど目立たず、FIREの急成長も見られなっかた。
1980年代、政府は都市の再編を大きな役割を果たした(三全総から四全総へ)。東京は大きな変化したが、全体的な雇用状況から把握することはできない。都市構造再編に伴い、コストが製造業の成長を急激に圧迫するようになるにつれ、高度サービス職による土地利用が増加した。問題としては都市機能が集積し過ぎ、土地利用の違いから関係者の間に摩擦が生まれている。
1977〜1985年、生産者サービスは71%を拡大した。
1986〜1996年、FIREは25%以上成長した。
1990年代後半には、全産業に対してサービス産業が占める割合が、東京の商業中心地区では77%にまでなった。東京は製造業からサービス産業中心へ変容した。

賃金
背景(二つの傾向)
1賃金格差の拡大
考えられる要因:教育への報償、スキルに応じて格差、テクノロジー、人口学の変化(働く女性の増加、ベビーブーム世代の成人化による若年労働者の増加)、経済部門の転換、賃金分布における格差拡大

2最も急速に拡大するサービス産業のなかに、低収入と高収入の仕事が極端に集中している
生産者サービスの拡大によって、従来の労使合意などの、制度的枠組みを壊れつつである 。国の制度の是非も取られる
低賃金労働が増えている背景には、成長部門での臨時労働の職種の増加がある
仕事のスキルの高さと関係なく、高いと低い両方増加している
ニューヨーク

アメリカ全体の統計をみると、賃金格差が広がっている。さらにニューヨークが著しい
明白である。賃金分布のトップ層の賃金上昇し、ボトム層の賃金減少し、さらに二極化している。結果、製造と非製造、マンハッタンとニューヨークの他の行政区、企業者サービスと他のサービスの間にギャップができている。

ロンドン

イギリス全体は製造業よりも、金融と専門サービスなど活発な経済部門で賃金格差が開いている。ロンドンにおいて、職業を問わず、賃金についてイギリス全体より圧倒的高い。また、単純労働と専門職の賃金の差も、同じくらい目立っている。イギリス全体もこうしたギャップを見られる。
ニューヨークと違い、社会的な二極化が進んでいるとはいえない。イギリスとロンドンの場合、賃金格差が広がったとはいえ、全集団が実質的な増収を経験した。

東京

賃金格差が拡大しているが、ロントンとニューヨークと比べるとその差が小さい。東京の場合、景気のブレを関わらず、最も高い月収を得ていたのが金融・保険で働く男性であった。賃金格差は各行政区と時代背景の違いにより、変化している。景気のブレと関係なく、専門職の拡大は長期にわたって見られる傾向である。

賃金と格差

問題の検証
1格差と二極化というグローバル・シティに内在する問題
サッセン強調したいのは、二極化の問題は格差拡大に止まらないという点である。つまり、所得の多い少ないによって仕事と家族のあり方に新しい高度専門職層と最下層との間の差が開き、その結果、社会の形が変わっていくということです。

2 グローバル・シティとグローバル・シティ以外の英米諸都市の間にある格差
活発な経済、なかでも生産者サービスが伸びたことで高度成長を遂げている都市では、低所得者層の平均所得が増えている。一方、生産者サービスではなく、製造業中心の都市では逆に、所得の中央値は低下し、経済も停滞した。
生産者サービスへの移行が格差を生み出す原因の一つだと考えている。さらに、その生産者サービスは、都市の専門特化から生じたものである。
広いで見れば、生産者サービスへの地域的な特化が家計収入を平均以上に引き上げ、他地域との差が開いた。
階層化された都市システムのランクを付く場合、低所得労働を見るときに、どのように構成されているか重要な論点である。高度成長期を遂げている部門も低所得労働をもっと多く生み出している場合もあるからだ。
他の都市と比べた場合、グローバル・シティであるという状況ゆえに、最底辺層にとってマイナスな状況が表面化しにくい

まとめ
ニューヨーク、ロンドン、東京は、雇用・賃金で似た傾向が見られた。
1製造業が縮小、生産者サービスが伸びた。
2平均給与が最も高いのは金融だが、性別による格差がかなりある。
3専門職とサービス職が激増している。
4パートタイム労働が成長産業を中心に増えている。

ニューヨークとロンドンでは、都市の内部で賃金格差が拡大していたが、東京にはそれほどではない。

三都市における格差はさらに広がって、低所得労働が増えて、所得の二極化が進んでいる。

<論点>
「正社員登録 助成を恒久化 政府方針「1人50万円」増額も」讀賣新聞 2015.07.19朝刊より

皆さんこの新聞を見って、この行政の動きはどう思いますか。良かったのか、物足りないなのか、それとも無駄なのか。なぜ?この方針は今後の日本に対してどのような影響を予想ができますか。(正社員vs非正規雇用)

<班の議論>
【第2グループ】
私たちのグループではまず、「キャリアアップ助成金」という政策が打ち出されたその背景について、国・産業(企業)・個人の観点から考察した。国家レベルでは福祉国家の衰退、新自由主義の台頭にみられるような、国家による社会・経済への最小限の介入、そして社会保障制度の縮小が挙げられた。また、リーマンショック以後の不況も大きな影響を及ぼしているという意見が上がった。次に産業(企業)レベルでは、年功序列・終身雇用制度の崩壊による非正規雇用の拡大(フリーターやパートの増加)、それに伴う労働組合の弱体化に関する意見が最も多かった。そして、規制緩和に伴う民営化(privatization)によって企業が幅をきかせ、雇い止めや不当解雇が横行していること、また、本文にあったように製造業の衰退に代わるサービス業の増大とサービス業従事者の低賃金化が挙げられた。個人レベルでは、正規雇用と非正規雇用の収入の格差、不況による生活の負担感、そして人々が組合やコミュニティから切り離され個人が断片化し、これらによって人々の中で不安感が高まっているという意見で一致した。
次に、このような背景を踏まえて「キャリアアップ助成金」という政策がどのような影響をもたらすかについて議論をした。しかし、上がるのはこの政策に対する疑問ばかりであった。多くは1986年の施行以来規制緩和され続け、非正規雇用を押し広げてきた「労働者派遣法」に対して有効性を持つのか、従来の国の政策と矛盾があるのではないかというものである。また、非正規雇用労働者が正規雇用労働者になる条件は何なのか、だれが正社員になれるのか、企業に渡った助成金は本当に労働者に還元されるのか、といった疑問が挙げられた。「キャリアアップ助成金」の利点としては、国が現在の不安定な労働市場に対して動きを見せたことで、今後非正規雇用の形態が改善される契機になるのではないか、という希望が見いだせる可能性もあるという意見のみであった。
議論の結果、「キャリアアップ助成金」は格差や分断が広がる労働市場に対して、何の影響力もなく、依然二極化は進行するだろうという結論に至った。非正規雇用を減らすためには、より抜本的な改革を行わなければ何も変わらないという意見でまとまった。

≪総合司会コメント≫
第8章ではニューヨーク、ロンドン、東京の三都市における経済基盤の変化が、それぞれの職業分布と賃金分布に着目して説明される。
1950,60年代までは、製造業に牽引されたフォーディズム都市が大量生産・大量消費そして規模の経済の増大を可能にした。また、この時代は労使合意に代表されるような、よく行き届いた手厚い制度的枠組みが機能していた。しかし1970,80年代になると、このような社会,経済のかたちは大きな転換期を迎える。すなわち、製造業からサービス産業への大転換が行われたのである。製造業は撤退し、金融・生産者サービスに支えられた急激な成長という新しい段階に入った。三都市では雇用者数が全体的に大幅に減少し、深刻な金融危機を経験した。そしてその対策として、公的サービスと行政サービスが削減された。また、経済基盤の変化によって賃金格差の拡大が生じた。都市の専門特化から専門職の給与は引き上げられる一方、サービス職の給与は低くなるばかりである。製造業従事者の所得は減り、レイオフは頻発、労働組合があって所得もそれなりに得られた工場の閉鎖が続いている。サービス経済に全体的に移行したことで、製造業を基盤とする経済よりもっと低賃金労働が増えている。このようなプロセスが重なり、所得の二極化が進んでいるのである。
現在、日本においては福祉国家が衰退し、ポスト・フォーディズムの時代を迎えた。労働派遣に対しても規制緩和が行われ、正規雇用市場は縮小している。このような中で政府は「キャリアアップ助成金」という、非正規雇用の労働者を正規雇用へと転換した企業への助成制度を拡充する方針を打ち出した。今日の授業では、この「キャリアアップ助成金」という政策が何故今、この時期に提言されたのか、そしてこの政策によって今後何か変化はあるのか、について二つのグループに分かれ、議論を行った。
その結果、両グループ共に、この政策が実際に非正規雇用労働者のなかでも、本当に正社員になることを望んでいる人に適応されるのか(誰に適応されるのか)、また「労働者派遣法」が施行されている中で果たして成果が生まれるのだろうか、などの疑問が上がり、「キャリアアップ助成金」という政策は現在進行し続けている社会、経済の二極化を抑制するものとはならない、という結論に至った。
賃金をいかに下げていくかを競うグローバリゼーションの流れの中にあって、正社員のみで会社を運営していくことは、コストがかかり過ぎて生産現場を日本に置いておけなくなるため、さらに失業者を生み出すこととなる。やはり一定数は非正規雇用労働者を登用せねばならないのである。問題はその割合であり、それを決めるのは非常に困難であるが、我々が向き合っていかねばならない課題である。また、福祉国家の衰退により手薄くなった各種の社会保障制度を代替する組織や制度をいかに生み出していくかということも、同時に極めて重要な課題であると考える。

2015-07-27 17:55 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

『都市のリアル』の書評が三田社会学に掲載されました

澤ゼミで昨年度講読した『都市のリアル』の書評が「三田社会学」第20号(2015年)に掲載されました。
この書評は、ゼミでの討論を元に作成したものです。

http://www.mita-sociology.jp/
2015-07-15 20:20 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバルシティ 第7章 グローバル都市システムをつくるもの ― ネットワークと階層

第7章 グローバル都市システムをつくるもの ― ネットワークと階層

・ニューヨーク、ロンドン、東京がビジネスと金融の中心地として近年の変化:
①1970年代後半から、ビジネス・セクターと金融セクターの構造と規模、ネットワークの性質が変わっている。
②1980年代に入ると金融業が再編され、規制は緩和されると同時に多様化し、競争は激しくなり、大手商業銀行の市場占有率は下がり、取引量が飛躍的に伸びた。

・本章で考える主な問題:
①ニューヨーク・ロンドン・東京の三都市は互いにどう関係しており、グローバル市場とどうつながっているのか。
②ニューヨーク・ロンドン・東京とほかの大都市の関係について考えてみたい。

●ネットワーク化されたシステムへ
・第5章ではグローバルに展開する複雑な事業にとって社会的なつながりが重要であり、ネットワークが越境的に成長した。
第一、規制緩和された金融センターは、ネットワークを通じてグローバル市場に統合 され、金融業務が国境を越えて行われ、分業体制が現れつつある。
第二、世界の多くの国際金融センターは、 国内外の資本の出入口(ゲートウェー) として機能している。
第三、出入口としての機能はグローバル市場への統合だけではなく、金融危機が発生した場合の出入口でもある。
第四、金融システムでは、各国が競争だけをしているわけではい。金融センターがいくつか集まり、専門特化した分野で協力しあうことが増えている。
第五、東京は依然として、資本の重要な出所になっている。グローバル金融市場が東京において拡大する可能性がある。
第六、香港はさまざまな世界が交錯する場であり、中国と諸外国の内外の企業を結ぶ戦略的な結節点としての役割を負ってきた。
第七、電子的なネットワークの規模の拡大している。しかしだからといって、金融取引のための物理的な中心地が必要なくなってしまうわけでなく、むしろ、戦略的な連携ないし機能上の連携のために、都市間の取引が急増することになる。

●拡大と集積
・金融センターが次々グローバル市場に統合されている同時に、資産が集まる地域にばらつきがあり、センターの中でもさらに主導的な位置にある場に過剰に集積している。
・東京の株式市場の劇的な変化:1980年代の初めは、東京市場はニューヨークに比べて、規模がまだ小さいく、1980年代後半には世界最大の株式市場にまで成長した。
・運用資産の集積は、株式市場の資本化ほど目立っていないが、大きな意味を持っている。
・ニューヨークとロンドンは会計、広告、経営コンサルティング、国際的な法律サービス、エンジニアリング・サービス、情報関連サービスやその他企業者サービスを生み出し、かつ輸出する場として主導的な拠点になっている。
・高度な生産者サービスを主導としている企業は国境を越えて広がるネットワークを数多く築いてきており、その中で特殊な地域的連携や組織的連携がとられている。こういった多国間ネットワークがあることで、企業は自社が提供できるサービスを増やせる。
・1988年には、ニューヨーク・ロンドン・東京の三都市だけで、世界の100大銀行のおよそ半分、そして世界の証券会社上位25社のほとんどを占めていた。
 1997年になってみると、トップ100に入る銀行はわずか28行、トップ25社に入る証券会社は19社まで落ちていた。それにも関わらず、三都市の全資産・資本の90%以上を占めるようになったこと。
・1980年代に東京は、国際金融センターで主要な位置を占めるべく成長していることを世界に知らしめていた。しかし、ニューヨークやロンドンのように規制が緩和されることはなく、このため外資系企業は望んだような収益性を実現できなかった。

●国際取引における主要通貨
・自国の通貨が国際的な基軸通貨のメリット:
第一、輸入代金の支払いをするのに外貨の獲得する必要がない。貿易収支で赤字が生じても国内の経済政策で比較的容易に対応できる。
第二、貿易や資本の取引の大半が自国の通貨で行われるため、為替相場の変動にあまり敏感にならずに済む。
第三、金融の国際的なセクターの中でも主導的な役割を負うようになる。

・基軸通貨であることには代償もある。
第一、世界中の国に流動性を供与しているために、経常収支ないし長期資本収支で赤字に転落しやすくなってしまう。ただ、この赤字が一定の限界を超えてしまうことはない。なぜなら、もしそんなことがおきれば基軸通貨としての役割は損なわれてしまうからだ。
第二、これは基軸通貨国だけではなく、グローバルな経済すステムを危機に晒すことになる。
第三、金融市場の国際化がかなり進んでいる時期に基軸通貨であるということは、海外の企業・政府などによって自国の通貨が大量に保有される可能性があり、国内で金融調節を行ってもその実効力が低くなってしまう。
     ↓
・基軸通貨であるために、当該国は強い経済を維持するだけではなく、資本市場の国際化が進む中で、国際貿易と世界金融で確固たる地位を築かねばならない。
・米ドル:国際金融システムにおいて、米ドルは今でも通貨として重要な役割を担っている。とはいえ、その役割は確実に減ってきている。
・ユーロ:今では、ユーロはマルクよりはるかに重要な役割を担う。
・日本円:1980年代、国際における日本の地位が向上し、国際金融市場へ参加が増えると、円はドルに次ぐ重要な国際通貨となった。ただし、経常取引での円の役割は米ドルやドイツ・マルクに比べると小さかった。

●国際的な不動産市場
・1980年代、ニューヨークやロンドン、東京などでは都市中心部の地価が急騰した。
・なぜ不動産市場が高騰したかというと、金融業やサービス企業だけではなく、高給專門職層が主要都市で急増したからである。
・注目点:ニューヨークやロンドンの中心部の地価が、1980年代になって国民経済全体の状況と無関係となっていた。高額入札者の側にしても、都市中心部の土地に対しては、いくら上乗せしてでも獲得したいが、すごしでも中心部から外れた場所には、全く関心を示さなかった。
・都市中心部の不動産開発のうち、所有者も出資者も金融業であるものがどの程度あるかによって、不動産市場が循環される傾向が強まる。
・不動産からもっとも高い収益を得られているのは、国際的な不動産市場の拠点のなかでも主導的な位置を占めているところである。国民経済の様々な状況に左右されない国際不動産市場において、建造物は商品化される。
・1980年代に三都市で実施された大規模な建設ポロジェクトは巨額の投資が行われていて、金融、エンジニアリング、建築などをはじめとする專門技術・知識を提供する企業のなかでもトップクラスの企業が多く参加していた。

●まとめ
・ニューヨークとロンドン、それから波があるものの東京には、外資系のサービス企業と金融企業がますあす集まってきている。
・政府が最低限しか関わらない経済活動の新しい領域が生まれた。国内企業・外資企業が事業を展開している空間は、越境的な経済空間であり、三都市にはこうした空間がある。
・1980年代に入り、様々な国境を越える経済活動にとって、ニューヨーク・ロンドン・東京は重要な拠点となった。
 1990年代になって三都市に現れた特徴から、それぞれの都市でこれまでにない形で経済活動が国際化していたことがわかる。つまり、従来の「国際化」で見られた対外直接投資や買収とではない、それを超えた形で、という意味である。
・国際的な金融取引の大幅な拡大、グローバルに広がるネットワークへの株式市場の一体化、生産者サービスの国際的な市場の成長。これらは多くの主要都市で経済基盤に取り込まれてきている。
 しかしそれでも、こうした取引や市場は、ニューヨーク・ロンドン・東京・パリ・フランクフルトあるいは香港とごく限られた都市に過剰に集積している。
・このように、特定の都市への過剰な集積が進む中で、越境的なネットワークに加わるグローバル・シティの数は増えてきている。そしてこのネットワークこそ、グローバル経済の組織的な構造を支える重要な要素である。

論点:
 P194で筆者は、「資産が集まる地域にばらつきがあり、センターの中でもさらに主導的な位置にある場に過剰に集積している」のようにと述べている。私たち普段はこのような集積していることを感じられているのか?そして、このような集積は私たちの日常生活にどんな影響を与えているのか?

班では、自分の住んでいるところが集積しているかしていないかに立場を分け、それぞれ人の動き・交通・経済・コミュニティにどのような影響が及んでいるかについて議論した。
その結果、集積しているところに住んでいる人たちは、地元は人が多いが落ち着きはなく、交通アクセスが便利であると述べた。また、地価が向上しお金の循環もいいが、過剰な開発と地価の高騰のために同じような大型店が集まり、コミュニティは薄い。だが、その分コミュニティにしばられない多様な生活スタイルも保障されていることがわかった。
一方、集積していないところに住んでいる人たちによると、地元は夜になると人はおらず、電車は普通しか止まらない。また、大都市には行かず郊外のショッピングセンターに行ってしまう。空き地が駐車場と化し、高層マンションもなく、手ごろな値段のスーパーもないが地元の商店街もそこそこに賑わっている。街の雰囲気にほとんど変化がなく、いい意味で静かな住宅街であり、町内会などコミュニティが強く、子どもの見守り隊など治安を守る組織がある。
これは、主に集積しているところに住んでいる人の移動手段が電車であり、集積していないところに住んでいない人の移動手段が車という、普段足として使っているものの違いから生じるのではないかと考察した。

<議論>
最初に、お金や不動産などの資本の集積を日常生活で感じるかを確認した。神戸で生活をしているため、関西というエリアに限定して議論を進めた。今回、こちらの班は2人が中国人、1人が日本人という構成だったが、中国人学生は集積を感じると答えた。しかも、その集積地は大阪の中でも梅田や心斎橋であった。その理由は、知名度が高いことから中心地という認識が形成され、また、アルバイトの自給が高いことからもお金が集積しているという認識がなされているからというものであった。具体例としては、外国人観光客の集中による外貨の吸収、駅構内など公共交通機関の整備、人やモノの集積と関連して多様なニーズを満たすサービスや店舗の存在があげられる。もし、その資本の集積地で生活を営むとすれば、地価の上昇や人の集中による混雑が問題点としてあげられるが、多様なサービスや店舗があることにより、非常に便利で遊ぶことには事欠かない環境を保障されることになるだろう。また、雇用も創出される。
 反対に、資本の集積を感じられないと答えたのは、神戸市在住の日本人学生であった。神戸は所謂地方都市である。「京阪神」とまとめられるように、関西では大阪や京都と共に栄えているとされる神戸では、大阪に頼ることなしに生活を営むことができる機能が備わっていると言っても良い。したがって、普段の生活の中では、特定の場所への資本の集積を意識することはない。たとえ集積していたとしても日常生活に支障がないからである。しかし、「大阪都構想」のような神戸の経済までもを揺るがすような大変革が起ころうとすると、嫌でも資本の集積を意識することとなる。それは自分の身近な生活が変わる可能性があるからである。
 しかし、神戸の人間も関西の資本の集積地であると考えられる梅田や心斎橋から恩恵を受けている。主として雇用などである。一方で、いつか自分の生活空間が資本を蓄えた集積地に喰われてしまうかもしれないという恐れがある。この恐れと前述した恩恵とは表裏一体のであると考えられる。

<総合司会コメント>
社会の大きな動きが日常生活にどういった影響を与えるのかを探る議論は非常に興味深いが、難しい。私たちは、普段テレビのニュースや新聞でたくさんの情報を得るが、それが実際の日常生活にどのように影響するかまで深く考えることはあまりないように思う。したがって、いざ「大きな動きは身近な場所でどのように現れているか」を考えようとしてもなかなか出てこない。大きな動きをどこか遠くで起こっていることと理解するのではなく、たしかにどこか遠くで起こっていることだが波のようにいつか自分のもとにも届くものに違いないと認識し、起こり得る影響について考えることはグローバリゼーションが進む現代を生きる人間が求められているもののような気がしてならない。本日の議論で言えば資本の蓄積になるのだが、学生は不動産にもお金にもどちらかというと縁遠い存在かもしれない。だからこそ、アンテナをはり、お金やモノの動きについて敏感にならねばならないのではないか。恐らくその動きは、他のあらゆる領域にも波のようにいつか届くはずである。
2015-07-13 22:34 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第10章 高齢化と地域社会

第10章 高齢化と地域社会

1.日本社会における高齢化の特徴

・高齢化社会:高齢化率(総人口に占める65才以上人口の割合)が7%を超えた社会

・日本における高齢化の特徴
ⅰ進展のスピードが急速であること
ⅱ高率の高齢化が予測されること
+少子化の進行
→超高齢社会に突入することが予想される
 (全人口の4割が高齢者となることが予想される)

・高齢者の量的拡大がもたらす変化(高齢化の第一義的意味)
高齢化率の上昇―15才未満の年少人口の減少→人口構成(社会)の変容
高齢者のいる世帯の増加―児童のいる世帯の減少→世帯の在り方(家族)の変容

・高齢化の進展がもたらした質的変化(高齢化の第二義的意味)
家族の変化に伴う高齢者のライフスタイルの変容と地域社会の変化
 =日常生活における高齢者の選択肢の拡大と捉えられる

・高齢者は職業生活からの引退を経験している者が多く、家族はよりいっそう重要な生活の基盤となる
∴高齢者の日常生活の変化=「家族」における変化と連動

以下、「家族」における変化について厚生労働省の国民生活基礎調査より

①「子供夫婦との同居」が比率の急減
+「配偶者のいない子との同居」が増加
晩婚化の進行の影響
同居の形態が将来にわたって維持されるものとはいえない場合が多く、不安定
(夫婦のみ世帯、または一人暮らし世帯への移行)
②「夫婦のみ世帯」「一人暮らし世帯」の増加
高齢になっても子供夫婦とは同居せず、夫婦のみ、または一人で暮らしていくと考える人が増えてきている

→家規範の衰退が高齢者の形成する家族の構成面の変化として表れる
 高齢者の家族における地位の変化

⇒伝統的な家規範が急速な高齢化の進展の中で弱体化、衰退傾向を見せ始め、
 これまでの生き方とは異なる新たな高齢者の生き方、自立した高齢者の在り方が
 模索され、提示され始めている

2.都市の高齢者

厚生労働省、国民生活基礎調査
「子供夫婦との同居」「夫婦のみ世帯」の割合
:家規範の浸透度、弱体度、または高齢者の形成する家族の構成面での変化を示す指標となる

Ⅰ地域的な差異を顕著に表す
→家規範の弱体度、浸透度に地域的差異がある
⇒都市化の進行と関連
 両者の中間形態にその他の市が位置しており、これらは全国平均に近い

Ⅱ差異はあるものの全国的に共通して「子供夫婦との同居」は減少傾向「夫婦のみ世帯」は増加
→家規範の全国的な衰退、弱体化

・大都市
「子供夫婦との同居」10。5%
「夫婦のみ世帯」43.6%

「配偶者のいない子との同居」23%
大都市では特に晩婚化、未婚化の傾向が強いため
核家族の形成の延長として出現、日本的特徴(家規範)の名残といえる

⇒伝統的な家規範の衰退
 それに代わる「夫婦家族」規範の理念の誕生、具現化

*「夫婦家族」規範
・一代完結
・結婚した子供とは同居しないことが前提
・離婚、子連れ婚などの増加により多様化

+マスコミの影響を通じて全国に伝搬
→「夫婦家族」規範が全国規模になる
 「子供夫婦との同居」が全国的に減少している点からも明らか

・郡部
「子供夫婦との同居」46.5%→29.8%
「夫婦のみ世帯」23.0%→33.2%
→都市型スタイルへの転換点を迎えつつある


3地域の重要性の増大

・老親扶養の変容

家規範…既婚の同居子による老親扶養が前提
    =「日本型福祉」
 ↓
弱体化、衰退 家族による扶養、日本型福祉がとくに大都市では機能しえないものに
 ↓
夫婦家族理念…近親がそれぞれ独立しながらも地理的距離にかかわらず交際、互助、扶助等の重要なネットワークを持つ(異居近親家族) 修正拡大家族の存在

⇒老親扶養における親族関係の選択肢の拡大
 ex,扶養、扶助の中心的な役割を果たすのは必ずしも長男である必要がなくなる
    娘夫婦との同居、別居

・地域の重要性
 夫婦家族規範が浸透し、それに基づくライフスタイルを選択する高齢者が増加したとき、高齢者は家族以外との様々なネットワークを必要とする。

日常的な互助関係を持つ近隣ネットワーク
緊急時にも対応可能な地域内の関係機能とのネットワーク
生活充実のための友人ネットワーク

全てのネットワークが必要不可欠

→友人、隣近所の隣人など、地域の役割が重要
 人間関係における選択肢の拡大

=高齢者の社会参加における選択肢の拡大

⇒それぞれのニーズにあった地域社会における多種多様な集団の成立が必要

+高齢者の社会参加、外出行動を保障するハード面での町づくりが必要
 ex,バリアフリー、ユニバーサルデザインの推奨


家族、扶養の在り方の変化
⇒これまでの家族、施設を中心とする福祉から住民参加型の地域福祉へ何が必要か、どのような扶助が必要か、見極めることができる地域社会の成立が必要

<論点>
①家規範に代わって、夫婦家族規範が誕生、具現化した。
この変化の中で高齢者の生活や高齢者を取り巻く環境はどう変化したか。
高齢者になりきって考えてみよう。

②上記の事柄に対して地域や社会、(または行政?企業?)は彼らにどのように関わっていったらよいか。


<第1班>
論点①家規範の変容によって、高齢者を取り巻く環境は大きく変化した。地域とのつながりの希薄化、若い世代との交流の現象など、地域社会における変化だけでなく、家族の在り方、家族との関わり方も大きく変化した。たとえば、自分の子供夫婦は、高齢者が住む家の隣か近くに家を建てるが、同居という形態ではなくあくまで別の家族としての生活を営んでいる。そういった中で、主に介護の場面で、従来であれば介護は家族の、特に女性の仕事であったのが、サービスに頼るようになるケースが増えてきた。教科書の中においては、近年のこのような変化は、高齢者の選択肢を増やすものであるとの記述があったが、我々の班の中では、それに対して疑問を持つ声が上 がった。確かに、近年高齢者にはさまざまな選択肢が増えたのは事実である。しかし、それを選択できるかどうかはまた別の問題であると考えられる。我々は、体力、気力、貧困、ネットワーク格差など様々な原因から、目の前に選択肢をたくさん並べられても選択することができない高齢者が多いのではないかという結論に達した。よって、高齢者の選択肢が増えたとはいってもそれを選択できるのは健康で、生活に余裕がある高齢者のみであり、一部の高齢者にとって選択肢はむしろ狭くなったのではないだろうか。

論点②①で議論したような高齢者に対し、周囲の環境はどのように関わっていけばよいのだろうか。我々の意見としては、まず最初に高齢者に関わることが出来るのは家族であり、次に地域の人々、次に地域行政、サービス産業という順番で関わっていくことが出来るのではないかと考えた。地域の人々に求められるのは、やはり日頃から地域社会でのネットワークを形成することである。これは、介護という面だけでなくたとえば防災、防犯などにも繋がる、大きな課題と言える。そうするためには地域行政の力を借りることも必要であると考えられる。そして、地域行政が現代会では削減の傾向にある介護福祉を、より一層充実させることが望ましい。しかし、行政にばか り頼ることは現実的ではない。これからますます高齢者が増え、税金をおさめる現役世代の人口が減っていく中で、行政に過剰な期待を寄せることはできないと考えた。そこで、やはり老人ホームなどの民間のサービス企業に頼らざるを得なくなるが、ここでは貧困な人がサービスを受けられない問題が生じる。議論①と合わせて考えると、やはり高齢者をとりまく大きな問題として貧困問題があげられ、これは貧困になる前に防ぐことが大切であると考えられる。貧困に陥っている高齢者を救うことも必要だが、貧困な高齢者を生み出さない、ひいては貧困者を生み出さない社会のしくみが必要であると考えられる。

<第2班>
論点1
私たちが想定する高齢者は以下の点が特徴である。
・65歳以上の都市在住であり、子ども夫婦とは別居状態にある。
・近所づきあいは深くなく、「あそこの老人ホームいいよ」程度の情報交換をする程度。
こういった高齢者は、自分の両親や、嫁ぎ先の両親の介護の経験がある場合が多い。したがって、自分の子どもが「将来は介護をするよ」と言ってきても自分の過去の経験上、申し訳ないという気持ちや情けなさからサービスに頼るという選択を取りがちになる。お金を払えば割り切れるため、自らネットワークを切るという行動である。その後、介護は老人ホームに任せるのが当然と考える世代が登場する。しかし、ここでお金の問題が浮上する。同居であれば介護は生活の中に吸収されるのかもしれないが、閉鎖的であり、ストレスもたまりやすく限界が来ると考えられる。
こうした高齢者を取り巻く環境の変化としては、子どもとの別居による、サービスを介した新たなコミュニティ形成が考えられる。高齢者の変化としては、子どもに頼る部分とサービスに頼る部分の割合の変化が上げられる。

論点2
先述したように個人や家族単位で考えるといつかは限界が来る。それは、介護の負担や不満から来るものであると考えられる。結局のところサービスに頼ることになったとしても、自分自身の貯蓄の有無が大きな意味を持つ。現在の介護施設は高額で、このままでは富める者しか生きながらえないということになる。それではどうすれば良いか。地域、行政、民間の関与の方法について考える。まず、近所づきあいをきちんとしておくという前提にはなるが、近所の高齢者の病院への送り迎えや家事代行などは地域の人間でも「やってもいい」ことにあたると考える。しかし、どうしても気が引けてしまうのは、風呂や下の世話である。この地域の人間が「どうしてもできない」ことに対して民間や行政はアプローチする。行政は、現在人気のある行政課の中に介護課を新設する。介護課はマネジメントをするのではなく、実際に現場に行って仕事をする。これは、イメージアップにもつながるが、なにより、ニーズを拾うという行政の本来の在り方にかなったものである。そして、民間はこれまでどおり介護職を用意するが、高所得者向けにシフトチェンジすることで、介護福祉士の賃金を上げる。低所得者向けのサービスは行政が行なうことですみわけをするということになる。そして、介護を通して、地域、行政、民間がコミュニケーションをとっていくことを望む。そして、最後に、介護という仕事の意義であるが、自分の将来像をイメージでき、人生設計ができるという点と、長期的に物事を考えるという点が介護職についた者が得られる学びであると考えた。
介護職の意義については、まだ考える余地がある。近い将来に死ぬかもしれない高齢者に対するサービスがほとんどである介護は評価されにくいと感じる。しかし、この介護職の意義について、もちろん介護職についている人自身が考えなければならないが、介護職についていない人間が考えなくても良いという理由にはならない。

<総合司会コメント>

今回は高齢化社会において、高齢者が抱える問題とそれをどのように解決するかについて議論した。
高齢化社会において地域が高齢者の扶助を行う必要性がテキストでも議論の中でも論じられた。また行政や企業が介護を担う、あるいは介護休暇制度で家族による介護を支援するなどについても言及があった。しかし地域、行政、企業が高齢者を支えることに関しては地域コミュニティの問題、財源の問題、高齢者の貧困の問題など三者それぞれに難しさがあることが強く感じられる結果となった。家規範の衰退により、家族のあり方、高齢者のよりどころの選択肢は広がったように思えるが、貧困、孤立などの問題から選択の余地がない高齢者も多いと考えられる。家規範の衰退とともに家族に頼ることのできなくなった高齢者は誰に頼れば良いのか。家規範のなくなりつつある時代に、子供をつくること、あるいは結婚することはリスクなのか。ゼミ生自身の家族の問題も例として考えながら、人生の一つ一つの選択がいかに生きいかに死んでいくかに深く関わるということを実感した。将来いかに老いていくかを左右する選択は、すでに目の前にあるのかもしれない。
2015-07-07 17:36 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第9章 自営業者たちと地域社会

第9章 自営業者たちと地域社会

本章の目的
地域社会のまちづくりの主体となっている自営業者に焦点を当て、自営業者とまちづくりの関係、地域社会における位置づけ、期待される活動、について考察する。

1. 「自営業者」とは誰か
・自営業者とは

地域社会で日常消費生活における消費財・サービスを提供しているのは、多くの場合、自営業主とその家族従業者(ファミリービジネス)
⇒ここでは彼らを合わせて自営業者とする
※地域における自営業主には医師などの専門的職業従事者、建設・運輸関連、対個人サービス関連の業主も含まれるが、地域への密着度から小売部門の業主を中心に検討する

・中小企業とは
中小事業所の比率は生産の全分野において97%を超える
=「二重構造」は変化しつつ現代に生き続けている

中小企業とは以下のものをいう。
①製造・建設・運輸部門で資本金(または出資金)が3億円以下の会社並びに常用する従業員が300人以下の会社または個人による事業
②卸売業で、1億円以下、100人以下の事業
③サービス業で、5000万円以下、100人以下の事業
④小売業で、5000万円以下、50人以下の事業
ただし、以下⑤の場合を「小規模企業者」とする
⑤常用従業員規模が20人(商業・サービス業を主たる事業とするものは5人)以下の事業

地域社会で日常的に接触する自営業の特徴は
・⑤の商業・サービス業に属する「小規模事業者」
しかし「商業統計表」によると小規模小売業に関して自己雇用者(家族従業者を含む)の比率が急落
  ↑
事業そのものを「法人化」して株式会社や有限会社に(「法人なり」)
⇒個人業主としてよりは税法上有利
※実態は零細・小商店主や家族が会社役員に
・日常生活に密着した生活財を供給
・地域社会、主として「町内」に軸足   ⇒地域密着性が大きい
現代の大都市内部:職住分離が進み、その地域に住んでいる手ごたえ、実感を持たない人も…それでも特定の地域に住むことで商店街という名で特定の街区に集積した異業種の小経営複合によるビジネスに依存
・所得水準は相対的に低い
・耐久消費財の保有率はきわめて高い

★本章の主題としての地域社会との関係構造という点から
小売業は地域社会と最も日常的なコンタクトをもつ
地域生活の在り方にその存在も展望も左右される

2. 地域社会における自営業者の位置づけ
「最寄品」:日用必需品(生鮮食品・酒類・米・調味料・履物・書籍雑誌・乾物など)
  ↕
「買回品」:好みや価格帯の選択により消費対象を求めるショッピング行動を前提

商店街=自営業者の経済活動の局地的集中地域
最寄品+サービス業としての理容・クリーニングなどが中心
地域住民と業者の間の「なじみ」の関係

しかし今日の都市の労働力人口:多くが職住分離⇒住空間では「定時制」住民に
逆に営業空間は「全日制」市民としての専業主婦や高齢者に占められる
さらに消費行動は規制緩和に伴い、つぎのような複合消費空間に吸引される
・大規模小売店(百貨店・スーパー・モールなど)
買回品を主な商品とし、小売業を「産業化」←管理技術の徹底的動員・都市化とモータリゼーション
・新業態(ディスカウント/アウトレット、オフプライスストア、ネットショッピングなど)
・コンビニ
→このような大規模小売店舗や新業態に地域の小規模経営は抵抗できるのか?
ex)郊外での大型スーパー→地方都市の中心部商店街の空洞化
⇒都市の街頭の活力の再生のための手段を探求する
 地域の活力再生に対する地域住民の思いを汲み取る
 ・ビジネス・プライド、経営者としての「使命感」
 ・商品やサービスについての付加価値 ex)地域ブランド
  ↑
 ・付加価値を評価し購買へつなげる存在としての顧客に関する情報蓄積
   代理仕入れ、消費価値の提示、ライフスタイルの提案
     ↓
   顧客のネットワーク形成、顧客層(ファンとも呼べる)の形成
★個々の経営単位が零細でも、多様な業種の集合としての商店街は「経営コンプレックス」
 異業種間の連携により社会資本が蓄積される
BUT地域社会生活の活力が低下すれば街頭は活力を失う

・女性の役割
「家族のビジネスは家族の問題(ビジネス)である」(ベスター2007、382頁)
小規模自営の場合、家族従業者としての妻の役割の重要さが指摘される
BUT経営全般、特に意思決定を巡っては夫の業主としての立場が強い
無償の家族従業者の存在は重要であるが、主婦の無償の経営貢献について客観的貢献度を計算することは難しい

3. 自営業者とまちづくり
自営で小売することの可能なアイテムの再検討も大きな課題となる
何を最寄品とし、何を買回品とするかという住民のニーズに柔軟に対応する必要
       ↑マイナス要因
    業者の店舗・住宅分離
特に「最寄」品は「なじみ」や「親しさ」により消費が規定される傾向
 ⇒コミュニティの一部としての商店、業主と消費者が生活を空間的に共有している事実などの認知が有効
    ↓
自営業者が地域社会の「全日制」住民として地域に定着する必要
そのために…
経営の安定の確保
 ・自己雇用
 ・家族労働
 ・経営に対する家業意識の世代間継承
   課題 後継者問題・経営改革の必要性
       かつてのような再生産戦略の機会がない
       ⇒職住一致で早期から後継者に経営者として「社会化」させる
事業に対するプライド=使命感=転職意識を伝える

4. 自営業者と地域リーダーシップ
景気変動や消費市場の構造変化などの危機に飲み込まれた過去の経験から、小経営を存続させるための制度
・広範囲の業種別協同組合
・異業種を結びつける中心市街地活性化対策
・まちづくり機関(TMO: town management organization)
このような制度は業者にとって経営安定、そのための顧客の信頼形成という目的に加え、地域社会の活力再生という目的でも期待されている。その効果がひるがえってビジネスの活力を生む。

もともと自営業者のなかの「有力者」が地域に根づき、安定、住民との接触による信頼性の確保を通じて、地域社会の紛争解決能力などを発揮してきた
→現代では新しいリーダーシップとして自営業者が地域活性化を担う必要性
自営業者:地域社会との間に「第一級の利害関係」
地域への密着・地域生活への貢献がもっとも必要
自営業者にとって日常レベルでの地域社会は定住圏・生活圏・商圏である
地域活性化の試みと接合することは新たな生き残りの戦術となる
★地域にとっても自営業者にとっても、自営業者が地域活性化に取り組む意義

自営業者に向けられる期待
(1) 地域住民の一員として、かつ地域内各種団体(PTA、町内会など)の役職の担い手の柱として期待
(2) 地域社会・地域文化のもつ価値の存続や創出の担い手として好ましいリーダーシップを期待
そのために求められるパーソナルな資源…新しいビジネス世代に期待


5. 挑戦を続ける自営業者
・町の魅力
谷中銀座商店街の事例:多様なイベントを通じてコミュニティ事業とセールス開催を成功させたまちづくり、コミュニティと商店街を一体化する試み ←町としての訴求力の低下に対する危機感から
地域ごとの違いをふまえる必要はあるが、このような革新は急務
ここで、自営業者=リーダーシップをとる存在
・「コンパクトコミュニティ」
自営業者が地域住民のニーズを把握→小経営と地域との共生を支える
住民の相互援助の一環として、自営業者が生活財・サービスを供給するなかで高齢者・障害者住民に対する配慮も加える
特定の地域生活が抱える問題の解決に貢献
 そのためには行政や地方議会との意思疎通や協力体制を作り、住民も組み込む必要
 そしてその組み込みは自営業者の役割と行動に依存する

論点
①日常生活の中で小規模経営の自営業者との関係はどのような場面で存在するか。もしあまり関係を感じないとすればそれはなぜか。
②自営業者と地域社会は深い関係性を持つ。自営業者が抱える問題、地域社会全体が抱える問題の双方を解決するためには、どのようなまちづくりができるか。(谷中銀座商店街の事例も参考に)

2015-06-29 14:41 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第6章 グローバル・シティ―脱工業化時代の生産の場

第6章 グローバル・シティ―脱工業化時代の生産の場

●空間的技術的な変化によって、グローバル・シティが世界経済で負わされるようになった役割を明らかにする
・そのためにサービス産業と金融(2つの成長セクター)の空間経済を分析する
・ニューヨーク、ロンドン、東京が2つのセクターの場として担う役割とその限界を検証
⇒2つの成長セクターが大都市圏や国全体の経済にどう統合されているのか
・生産者サービスに限定して分析し、3都市がそれぞれの国の都市システムでどのような位置付けにあるかを考える

生産者サービスの場所―国家、地域、そして都市
<3か国に共通するもの>
① 国全体で、全産業における雇用の伸び率より生産者サービスの雇用の伸び率が高い
⇒そしてニューヨーク、ロンドン、東京の伸び率より全国の伸び率の方が高い
(1977~1996年のデータより)

② 3都市における生産者サービスの全雇用に占める割合は、全国レベルより33%から100%高い
⇒ロンドン・ニューヨークでは保険業の職が失われるも、金融業全体では伸びる

③ 生産者サービス全体では3都市の雇用分布に大きな影響を及ぼす
⇒ 国全体の生産者サービス雇用における3都市の重要性が高まっている
⇒立地係数が特に不動産業で高い、1970年代から90年代にかけておおむね立地係数は低くなっているが、生産者サービスの絶対数が増えているため偏った集積は変わらず

④ 大都市圏中心に位置し成長する生産者サービスと、地域全体で成長する生産者サービスではタイプが異なる
⇒特定地域に集中しつつ、地域内では分散している(例:ロンドン)
⇒ある特定のセクターの成長が、他の複数のセクターの成長を促す?

⑤ 生産者サービスが3都市の商業中心地や金融街へ過剰に集積
⇒マンハッタンでは金融・保険・不動産セクターと企業者サービスが集中
⇒シティでは一度集積が弱まるも1986年の規制緩和以降再拡大
⇒千代田・中央・港・新宿も都内金融・保険・不動産セクターの4割が集中
都市階層の新たな要素
①生産者サービスの空間経済における3都市以外の都市の位置付け
②都市のタイプによって異なる生産者サービスの構成
→2番手以降の都市との格差が激しいロンドン(1991)、東京も全国の雇用に占める割合は名古屋・大阪の2倍(1995)、他の大都市と同程度のニューヨーク(1997)

●イギリス
・グローバル市場志向のロンドンに生産者サービスが過度の集積
⇒生産者サービスの雇用はロンドン地域が全国の3分の1以上を占める(121万9000人)
⇒しかし国全体の生産者サービス雇用の成長で、ロンドンへの偏りは修正される(1970年代は4割がロンドン)

・専門特化の企業者サービスにより南東部が国民経済から切り離される
⇒南東部とその他の地区の差異の原因は生産者サービス
⇒製造業都市では、製造業で働きながらも製造に携わらない者の割合が高い(研究開発中心の小規模企業)
⇒しかしロンドンでは、生産者サービス全体に占める上記の職の割合は国内で最低
⇒中心機能のロンドンへの移転は、雇用が少ない原因と関係しているのか?

・ロンドンと他の都市の階層
⇒ロンドンに近い二番手の都市では、金融サービスがロンドンに移っていく(南東部、バーミンガム)、バックオフィスなどは低コストの都市に分散する
⇒ロンドンの中小企業が利用する社外アドバイザーは93%が南東部に立地

・ロンドンとシティ
ソフトウェア関連のセクターが発展、ロンドンと南東部のセクターを多様化させる
⇒ロンドンに優秀な人材が集まりITセクターの柔軟な労働条件のもとで働く結果、知識主導型のITセクターで様々な部門が発展(…その中心がシティ)
ITセクターでも内部の構成要素ごとに立地に違いあり
⇒金融ソフトウェア・出版・企業者サービスはシティの東側に、マルチメディアはロンドンの西側に
⇒ロンドンの中でも特定の地域に集積していることは、集積効果の重要性と経済の最先端セクターにおける「場」の概念の複雑さを示す

・1970年代はロンドンが中心となる巨大な経済複合体により、南東部でも生産者サービスが成長した
⇒しかし経済のサブシステムが地域で異なるため、ハイテク・サービスや現地向けのサービスは南東部、国際市場向けの生産者サービスはロンドンと分化
⇒そのためロンドン以外の南東部では製造業の弱体化と共に生産者サービスが衰退
⇒ロンドンと残りの地域は断絶された

●アメリカ
・ニューヨーク、ロサンゼルス、シカゴに生産者サービスが集中
⇒ニューヨークの金融サービス業が再編され、一部企業に収益が集中
⇒しかしシカゴはグローバル・シティとはいえない?

・農工業複合体を相手に発展したシカゴの金融業は、複合体と共に衰退。
⇒しかし生産者サービスの一部は成長し、世界市場向けになっている。
⇒先物取引市場の取引量や額は上昇傾向、地元の巨大企業の多くが移転しながらも法人向けの高度サービスはシカゴに残る
⇒グローバル市場に参入する周辺都市の企業との取引によって生き残っている?

●日本
・グローバル市場を志向する主要セクターがすべて東京に集積
⇒しかし製造業の重要性は失われていない、東京は国内経済の命令・統御機能を担っており国際的サービス機能の場としては発展途上、政府が経済活動の役割を担う
⇒金融と保険の3大都市への集積、しかし製造業中心だった大阪と東京の差は広がる

まとめ
・3か国の生産者サービスの空間経済は国全体への分散と特定の地域への過剰集積
⇒それぞれの国の従来の都市階層に沿って分布するはずが、イギリスはロンドンへの過剰集積が南東部全体の成長の原動力に、日本は東京に最先端部門が集まり大阪との格差が拡大、アメリカはニューヨークとロサンゼルスがシカゴと差をつける

・グローバル市場を志向することによる成長…都市の階層間に断絶もたらす
⇒バランスのとれた都市システムや国の統合の背景に、製造業主体のフォーディズムが不可欠な要因となっていたのではないか
⇒日常業務が地理的に分散しても、労働の組織化のための情報通信の比重が増加。戦略的機能は中心地に集積

・金融の中心地と産業の中心地では生産者サービスの複合体が異なる
⇒金融の中心地の成長にはグローバル市場への輸出と関わりがある
…主要都市が生産とサービスの取引に適した市場であることに、過剰な集積がどの程度関係するか

・産業や地域の違いを超えて、サービスの財化が進む
⇒経済や規制の枠組みが複雑であったことから民間・公共を問わず中間サービスが必要に、労働も情報技術の発展により組織化の形が変わる
⇒労働の組織化の変化はあらゆる産業・地域で起きている

論点
①日本がアメリカ、イギリスと比べて製造業が衰退していない要因はなぜか
②国の製造業が衰退することや、中枢機能が特定の都市に集積することで、私たちの生活に及ぼされる影響はどのようなものがあるか。本章での現象をヒントに考える

<中国グループ> 
中国グループは今の中国の都市が成長している背景を踏まえて、都市において製造業が発展することと中枢機能が特定の都市に集積することが生活に与える影響について議論をした。
 議論のまとめは空間的に都市と地方二つの部分を分けっている。それぞれの空間に人口、経済、環境三つのカテゴリーに意見を集約した。
 中国の場合、近年の都市の外来人口を増え続いている。人を集めいている同時に外来人口による戸籍問題と城内村問題など都市問題をだんだん現れている。一方、地方には都会へ出稼に行く人を増え、家庭の分裂と農村部の子育て問題などを深刻になっている。
 経済面を考えると、中枢機能を都市に集積することによって、都市部には就職のチャンスを増えている。ゴローバルの影響で外国の資本の輸入し、都市の形を変え、都市中の店も商品も多様化になっている。しかし同時に、都市の過剰開発と知的財産に対する侵害行為など問題を指摘されている。
 都市の間と都市内部の諸関係を見ると、都市間の高速道路と鉄道などインフラ整備を整備さらたことで、大都市の間の連係が昔より密着になっている。大都市内部のインフラ整備も整えている、市内交通が便利になっている。一方、都市発展と拡大の同時に環境問題も深刻になっている。
 疑問と課題として、中国の行政実行の特徴によると、大きな都市開発プランを立って実行することがまだ可能である。しかし、ここまで実行したプランが市場の試練を通れるかどうかという疑問を持っている。それに、資本は流れやすい方向に流れていくから、都市は資本の性質により同型都市に変えていく傾向が見られる、同じような開発は元々都市の個性が無くしていく可能性も考えられる。


<総合司会コメント>
国の製造業が衰退することや、中枢機能が特定の都市に集積することで、私たちの生活に及ばされる影響はどのようなものがあるか、今回も前回と同じように日本人チームと中国人チームに分かれて議論した。
 日本人チームは、製造業の衰退により、公害がなくなるといった環境面と若者の職業選択の悪化といった社会面への影響が挙げられた。また、東京での事例を考え、製造業の衰退につれて、若者の流出により地方の衰退が発生した。グローバル化により、若者とエリート外国人の奪い合いなどが考えられる。 
 中国人チームは国の製造業が発展することを前提として、我々の生活に受ける影響を大都市と地方それぞれの視点から人の面・経済面・環境面に細分化して議論した。結論として製造業の発展により、生活が便利になる一方で、社会排除、過剰生産リスク、偽物問題も発生している。グローバル化によって中国は多核化しており、都市の個性化もなくなる恐れがある。
 今回、両チームが自国の事情に踏まえ、製造業の変化と都市に機能集積により、我々の生活が受ける影響を挙げていた。共通点もあれば、国によって相違点もある。
2015-06-19 18:52 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第8章 学校と地域

第8章 学校と地域

1.子どもを育てるということ
戦前、国家の強力な教育統制が天皇制を招いたという反省から戦後あらためて確認された重要な大原則:子どもの教育権は(国家ではなく)親にある

BUT 教育は親の責任だから他人は干渉できない→だからこそ学校などの公的機関がしかるべき処置をとるべき などと議論されるように
→子どもを育てること=教育の社会的な位置づけについて基本的なことを改めて確認する必要性

①国家にとっての子ども
○なぜ国家は子どもの教育に介入するのか
・国家が本格的に子どもの教育に介入するようになったのは近代の公教育制度の導入以降
⇔それ以前は、子育ては、村落などの地縁による社会的なつながりや、教会などの信教や思想に基づく社会的なつながりによって支えられていた
・子育ての目標・・・将来その社会を支えていくための能力を養うこと
その社会がどのような能力の育成を必要とするかによって自ずと教育のあり方は変わる
→近代社会に必要だった能力=一つの職場に空間的に集められ、いっせいに分業に従事するという「大工場」的労働形態において発揮される能力
→子どもたちが学校という一つの空間に集められ、団体的な訓練と言語、体系的な科学知識を習得・活用することを義務づけられるという、学校教育制度の必要性
→近代以降の企業組織や官僚機構においても共通な社会的必要
→国家が代表して担当する義務教育制度の整備
これらが国家にとっての子どもとその教育への介入を要請した根拠

国家による子育てへの介入=教育行政というかたちをとって展開
◯教育行政における基本的な権限関係をどう設定するか
・日本の戦後教育改革のモデルとなった英米の考え方:国家ではなく地域が子どもをどう育てるかを決めるべき
=教育を司る組織は独立の行政委員会 (×国家 ×自治体の一般的な行政組織)
教育内容を決めるのはあくまで地域の父母

・日本の戦後改革で、教育委員会法が新たに制定→教育委員が公選されるようになる
(生まれ落ちたところの最初の社会的なつながりこそが、その子どもの教育に第一義的な影響力をもつべきだという考え方が前提)
BUT 教育委員の公選制度が実施されたのはたった一度のみ
日本の実情に合わないという理由で、廃止が強行採決される
→代わりに現在の「地方教育行政の組織及び運営に関する法律」が制定される
教育委員会そのものは維持されたが、教育委員の公選制度は廃止、他の行政組織以上に文科省直轄の影響を受けやすい⇔戦後改革の理念

このように日本の教育行政の仕組みは国家レベルからの関与が極めて強い
→教育内容やそこで求められる能力は地域の伝統や文化から切り離されたらものになりやすい
→成績のよい子どもほど地域から離れていってしまう傾向
地方自治体は、自らの地域に貢献してくれる優秀な人材を自ら要請する権限をもたない

②親にとっての子ども
 親にとって重要なこと:親が属する社会的世界において、子どもがよりよい子ども
に育つこと
 ↑子どもに、最終的に属する社会的世界の選択の自由や権利を保障することと
はまったく別のことであり、「親にとっての子ども」という点で何ら問題はない
BUT 日本の近代…このような親の願いを「保守的」と断じ、子どもの階層的な上昇を望まない親は、親ではないかのような風潮
ex) 子どもを受験競争へかりたてる親
→ここで初めて、子どもをどこで育てるか、地域とどのように関わるかという問題へとつながる

2.どこで子どもを育てるか
子どもをどう育てるか≒子どもをどこで育てるか
(子どもをどのような社会的つながりに生きる人間として期待するのか)

○生きていくべき社会的つながりをどれと捉えるか
①具体的に居住しているローカルな地域のつながり
子どもを育てる場所=その地域
②ある種の階層的なつながり
たまたまその地域に望みの階層が集住していないかぎり、地域にこだわる理由なし
→地域にはこだわらない学校の選択という問題が生じる
 →学校の選択の幅を広げる、教育の自由化の必要性
 →教育の自由化が進めば、地域的なつながりにこだわることに制約よりももっと別
 の積極的な理由が必要…新しい課題

3.地域で子どもを育てる人々
 地域で子どもを育てるということが、普通のこととして成立しやすい都市地域
 ①商店街を中心とした区域
 ローカルな空間に利害を有する商売が、世代的にも再生産される可能性をもつ
 =子どもは地元の公立学校に通い育ち、地元の友人たちとの社会的つながりを重視した育ち方を志向、やがてはその町に定着した仕事に就くことを自然に受け入れる
 親もそれを期待→地域ぐるみで学校を支援

 ②中小の町工場が集まった地域
 子どもたちが町工場に蓄積された技術、取引関係、工場街としての独特の気質を継承することが求められるため、親は子どもをその地域で育てようとする

 ③企業城下町を含む工業地帯の一角(労働者の街)ex)炭鉱町
 ※子どもたちが父親と同じような熟練労働者になることを志す場合

 →地域で子どもを育てるということが積極的な意味をもつためには、子どもたちが親と同じような仕事を通じて町を支えていく見込みをもてることが重要
 BUT 日本の実情:そのような可能性が実際にはなかなか実現しなかった
・公立学校で教える教育内容にその意見が反映される制度的仕組みをもたなかったため(背景:教育委員の公選制度廃止、教育内容は全国一律に統制)
 ・地域における、子どもに自分と同じ自営業者や労働者に誇りをもって育てようという考え方の希薄さ(上を目指す志向)

 適性に応じた複線的な教育制度を模索するには、地域的、階層的、民族的に多様な在り方を尊重し、地域や学校を単位とした教育の自由と自治を大幅に認める必要
 ⇔一元的な評価基準に基づく全体的な競争があおられるかぎり、本当の意味で自ら選択できる教育の自由は成立する余地がない

 地域全体が階層的・地域的移動を前提とする郊外の新興住宅地
 :新しい町での子育てを考える人々とその活動が展開(4節で詳述)
BUT 子どもたちが成人して他出→地域全体の少子化、高齢化の進行
⇒新しい活動の蓄積を世代的に再生産していくことが困難

4.母親たちの挑戦と挫折
公立の学校における制度的制約としての「地域」とは違った、教育と地域の関わりを模索するという試みが大量現象として現れる
=1970年代~80年代にかけて展開した地域の教育文化運動
特に70年代の中頃からさかんになったのが、PTA民主化の動き、高校全入運動、子ども会活動の実践

背景
・人口学的な要因
ベビーブーム世代が子育て期→高校進学希望者の激増に定員数が追い付かない
→高校全入運動
・地域社会に関わる要因
高度経済成長に伴う都市化、核家族化
→家族員数の減少、それらを代替できるような地域のつながりの崩壊、外の遊び場の減少による子どもの文化状況の変化(ex テレビ)
→子育てをめぐる困難が増大、従来までの地域の人々による子どもの育成×

母親たちの挑戦~PTA、教育委員会民主化の動き~
○当時のPTAの実情
・本来なら公的な予算の範囲で整備すべき教材の類いまで、PTAが寄付
・PTAの運営は教員が任されている、教員がPTA会費を払っていない
→このような実情への疑問からPTAとは何か?が問われるように
→社会教育関連の講座が開講、戦後導入された民主的な制度を学び、それを活用していくという動き

○立ちはだかる壁
・教師の変容…父母とともにPTA民主化に取り組む、熱心な教師への風あたりの厳しさ
・教育委員会や校長サイドからのしめつけと無理解 (ex 会合場所の借り受けを、「政治的な団体に貸し出すのは不適当」と断られる)
↑教育委員会のあり方への疑問→中野区の教育委員準公選制度
BUT これに追随する自治体は現れず…
  母親たちの挑戦はついぞ行政に受け入れられるところとはならなかった
  →臨調路線の1つとしての教育の自由化

5.教育の自由化ということ
教育の自由化:個人がその好みと能力にあわせて、たとえ義務教育の段階でも(地域とは関係なく)自由に学校を選択するようにするべき
=地域ではなく、階層的なつながりの再生産を容易にする

○地域ではなく階層に基づく教育制度を導入することの是非
社会的つながりの問題である教育から「地域」という限定をなくすということ
=各地域を離れた国家ないしグローバル・レベルでの結びつきの形成を、単に民間に任せるのではなく、国家が意識的に支援するということ
<問題>
地域的な制約を無視できない人
地域に積極的な意義を見出す人   をどうするか
地域に留まらざるをえない人
→この人々が地域の学校をどうするかを自分で決める正当な権限をもつことを可能にする必要
→「地域」の価値を見直すことにもつながっていくのかもしれない

論点
①わたしたちがいま生きている現代社会において、「地域」と「教育」はどのような部分で関わっているだろうか。
②もし教育の自由化が進行した場合、「地域」と「教育」の関わり方は①からどのように変化するだろうか。またその変化に対して、地域の学校、地域の人々、行政はどのような対応をとるべきだろうか。(それぞれの立場からでも、複数の立場からでも構いません)


<第1班>
論点①
我々の班は、まず「地域」と「教育」のかかわりについて、思いつく具体的な場面を挙げた。その中で挙がってきた具体例は、「登校班の見守り」「運動会」「トライやるウィーク」「田植え体験」などがあったが、これらの事例を我々は、A.地域が積極的に学校に関わっているグループとB.学校の行事の一つとして、形として行っているものに分類した。A.には「登校班の見守り」や「部活動の応援」などが含まれ、地域住民や子供が積極的、能動的に活動している例である。B.には「トライやるウィーク」や「田植え体験」などは、地域が学校から依頼されて行っているものであり、消極的で受動的なのではないかと分析した。もちろん、この両者の中間も存在しており、地域住民も見に来るが、PTAや地区役員などとして準備に駆り出されるという意味で「学校の運動会」をここに位置づけた。このように、我々は現在の教育と地域との関係には能動的な面と受動的な面があると分析した。

論点②
①のような現状があったとき、今後教育の自由化によって起こる変化をはじめに考えた。まず、上記B.のような活動は、教育の自由化によって減っていくと考えられる。そもそも教育の自由化により生徒が学区外の学校も選択できるようになると、ひとつの学校の生徒が同じ地域を共有していないことが想定されるため、学校が地域と結びつこうとする動きそのものが衰退していくのではないかと想定されるからである。つまり、学校が地域を持たなくなるということである。そうすると必然的にA.の方の活動もすたれていくと考えられる。元々、A.のような活動は、地域住民の学校(母校)への愛着から生まれていたものであり、教育の自由化によって学校が地域の学校でなくなればA.の活動もなくなってしまうのではないかと考えられるためである。そこで、我々はこのように変化した状態をどのような状態に改善すればよいのかを考えた。我々が理想とする教育と地域の在り方とは、学校が地域から愛され、学校はその地域の将来の人材を育てるための機関として機能するというものだ。このことにより、学校に対する誇りや郷土への愛着を持ち、“帰ってきたい”という気持ちを与えることが大切なのではないかと考えた。しかし、この場合学校だけで若者を地域に引き留めておくことはできず、結局日本社会の構造や地域社会の復興といったもっとマクロ的な視点からの改善が必要である。また、ある種囲い込みのようにして、都会へ出たい若者を地域にしばりつけておくのが果た してよいことなのか、など一概に言えない部分も多く、議論は不明瞭なまま終わった。

<総合司会コメント>
今回は、主に学校教育の自由化について議論が及んだ。学校と地域はこれまで、さまざまな行事やイベントにより密接にかかわってきたが、子育ての在り方、職業選択の仕方などの変化に伴いその関わりも減ってきているのではないだろうか。さらに、私立の学校に代表されるような「地域を持たない」学校が教育の自由化によって増加することで、ますます地域と学校との間の関係は薄れていくように感じる。それは即ち地域社会への愛着の希薄化につながり、これが地域社会の衰退をさらに招くのではないかと感じた。
2015-06-19 14:20 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第7章 子育てと地域社会

第7章 子育てと地域社会

1.都市化の進展と子育て環境の変化
 1950年代:高度経済成長
 ・三大都市への大規模で集中的な人口移動、都市化
  地方の「直系家族(3世代家族)」から離れて都心で単身生活
→のちに郊外へ引っ越し、「核家族」を形成
 1960年代~70年代半ば:「夫婦性別役割分業」が確立  
→夫:サラリーマンで終日仕事/妻:専業主婦で家事・育児を一手に引き受ける
=近所づきあいはあまりしない
 
 ・都市化に伴い育児環境も変化
   それまでの育児…「複合的育児」
(育児は家事や労働と一体、同居家族だけでなく親戚や近所の人も必然的に協力、
数多いきょうだいや同年齢の子供たちのなかでもまれる経験)
⇔都市化すると…「単相的育児」
(両親とくに母親による限定的な一面的な育児←性別役割分業の確立による)
 ↓
夫は長時間労働・通勤で育児にノータッチ、親族ネットワークの減少
→母親の負担の増加
⇒「育児ノイローゼ」密室育児」「コミュニティ論」「コミュニティ形成論」

2.1980年代以降に見られる家族の変容
 ・80年代以降の特徴:「未婚化・晩婚化」「既婚夫婦の出生率の低下」⇒「少子化」
  →家族という集団に会する基本的な考え方の変化=「家規範」の衰退
 
 「未婚化・晩婚化」
  →積極的にシングルを選択している人が多いわけではない
   (いい人を探すうちに40歳をすぎてしまっている…)
   (50~54歳の未婚率:男14.0%、女6.1%(2005年))
  →「結婚しない」=「結婚しなければならない」という強制力が働かなくなった
  =「結婚規範」の衰退
    └日本社会において結婚とは家と家との契約だった
     →恋愛結婚になり自由に配偶者を選択できるようになっても、結婚して子供を持つという行為自体が「家」規範と密接な関連を持っていた
 ※70年代までは未婚率大きな変化なし=「結婚規範」「家規範」のはたらきアリ
 ⇔80年代以降明確に男女とも未婚率上昇=「結婚規範」「家規範」の衰退
 ↓
「拡大家族世帯数(その他の親族世帯数)」の減少
 ・70年代…核家族も増えていたが拡大家族世帯数も増えていた
(長兄を実家に残して他の兄弟が都市部へ)
     =この時期の「核家族化」は「家」を否定していない
     =「家」的理念の衰退や「夫婦家族」的理念の進行ではなかった
 ・90年代…拡大家族世帯数の減少
     =老夫婦のみの世帯の増加、「家」の衰退
     ⇒「夫婦家族」化=「家規範」の衰退

・規範の衰退と経済合理性の台頭
 「未婚化」「少子化」は、結婚or子供によって得られる利益が少ないから?
 →これは、規範が衰退したから起こることであり、規範があれば経済合理的行動が作用する余地はない
 →結果として夫婦の出生率の低下
・規範は、「報酬」を与える ex)結婚したから一人前だ!
⇔現在の日本社会は「家」にまつわる家族規範に代わる家族規範を確立できていない
 →「未婚化・晩婚化」「少子化」はとどまるところを知らない
 =「個人化した家族」個人の利益の最優先

3.1980年代以降の育児環境の変化
・家族の変化の要因は、育児環境の変化の原因でもある
→育児環境の変化の要因①~⑤

①子供の数の激減
 ・1997年には老年人口比率が年少人口比率を逆転
 →子供が社会の中で少数派に
 ⇒子供と子育てにかかわる人々の勢力が格段に弱まる
  実際に子供のエネルギーに出会うと、高齢者「うるさい!もっと静かにしつけなさい!」
 →子供に対する圧力が増大し、育児環境を困難に

②世帯構成の変化
 ・「単独世帯」の増加(独身者、高齢者)
  「核家族」…夫婦と子供の世帯は半分ほど(中でも老親と成人した未婚子女が増)
→夫婦のみ世帯の急増、片親世帯も微増
 ⇒ライフスタイルの多様化
 →小さな子供を持つ世帯を少数派に追いやってしまった

③援助をしてくれる親族の減少
 ・少子化の進行はきょうだい数の減少をもたらす
 →頼りになる兄弟、親族のネットワークの減少
  都市部ではもともと保有している近親数が少ない
 ※また、子育て世代の親の親(祖父母)が高齢化により生存している場合も多く、親が介護に追われ子供の子育てに協力できない

④有配偶有子女性の就業意欲の上昇
 ・「就業希望」をもつ有配偶女性は8~9割
 →都市部で「保育所入所待機乳幼児」問題、
 ⇒高い就業意欲がありながら、それを実現するための代替的保育の人材(ex.親戚)が欠けているために保育所という公共サービスに対して利用要望が高まっている 
 ・母親の「就業意欲」は専業主婦であってもきわめて高い
 ⇔専業主婦志向の強かった60年代,70年代の有配偶女性とは根本的に違う
 →今、家事・育児をしていてもそれに満足しているわけではない

⑤意識の変化
 1970年代までの女性のライフスタイル
 →結婚を機に寿退社、専業主婦となり家事・育児に専念
 ↓
 家規範の衰退とともに女性のライフスタイルにさまざまな選択肢が登場
 →自己実現欲求からくるフラストレーションの高まり
 →育児環境、夫に対するフラストレーションの高まり
 →(妻の主観的意識のうえでは)育児環境の悪化

4.育児環境とその変革のさまざまな試み
・現在の育児環境…家族規範の衰退とともにライフスタイルの選択が可能に
→フラストレーションのもとに
…子供、子供のいる世帯が減少し、周囲の圧力は増大
親族、地域ネットワークは減少し「育児ノイローゼ」
育児の密室化の進行→「幼児(児童)虐待」の急激な増加
⇒ますますの貧困化「育児の空洞化」
 =家庭養育機能を支え、保管する近隣、地域の大人たちが急速に失われてきている
 ⇒「相互扶助」の衰退
 ⇒行政を中心とする専門サービスへの依存度拡大
=都市的生活様式の拡大
 ⇔行政サービスは平等で一律、個別の要求に柔軟に対応してくれない
 ⇔行政サービス以外の専門サービスは、対応柔軟だが高価
 ↓↓↓
「地域での助け合い」…臨機応変の小回りのきくサービス
 ex)育児サークル、先輩ママによる一時預かりやアドバイス、
社協・NPOによる育児支援、家庭保育園
→行政はサービス利用者と提供者を結びつける仕組みを組織化
 独自に育児支援をする+育児サークルやNPOの活動を取り込み、行政活動の柔軟性up
⇒行政が、育児サークルやNPO活動などの「相互扶助」的活動を、行政が提供する「専門サービス」と相互補完的関係にあるものとして位置づける
⇒行政サービス自体の柔軟性高める
    ×
 周辺で行われる自主的な活動を支援し、有機的に取り込んでいく
    +
 日本社会での就業のあり方の変革
    ↓
 「少子社会・日本」に大きな転換


<論点>
①「家規範」の衰退によって起こった変化、問題にはどのようなものがあるだろうか?様々な視点からあげてみる。
②現在、働きながら子育てをする女性にとって育児は困難なものである。なぜ困難なのだろうか?また、それに対し、行政や地域社会(あるいは夫?)はどのようなはたらきかけができるだろうか?

2015-06-19 14:17 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第5章 生産者サービス

第5章 生産者サービス

◆生産者サービスについて
・生産者サービスと金融の在り方の変容、先進工業国の経済と国際化で担っている役割の変化
→➀産業の生産、➁経済における役割、➂市場よりその性質をみる必要性
・生産者サービスの中でも中心になっているのは、企業向けの市場と消費者向けの市場が混在する産業。
・生産者サービスの利用者は、最終消費者ではなく、民間・公共問わず組織である。

本章で分析したいこと・・・生産者サービス産業の成長力、立地パターン、集積・専門特化・規制緩和の関係

特に筆者が気になること
➀生産者サービス産業が集まる地域には、企業同士が密なつながりをもつ地域的複合体ができるのだろうか
➁金融センターには産業の中心地とは異なる生産者サービスの複合体ができるのだろうか
➂サービスの専門特化が進むことは、生産の標準化やグローバル規模への市場拡大を支える情報通信技術の発達とどう関係しているのか
➃規模の経済性や多角化の経済性が可能性として存在していることは、生産者サービスの配置のされ方にどう影響しているのだろうか
➄生産者サービスには先端的な通信技術が必要だが、この必要性はこういったサービス立地パターンにどのように影響しているのだろうか
➅特定の地域への集積が進む中で、中心的な諸機能が置かれる場とはいったい何なのだろうか

◆サービスというカテゴリー
・新古典派経済学やケインズ経済学・・・モノ(財)の生産とサービスの生産の差異は看過されてきた
・最近のサービスに関する研究・・・新産業経済という概念を用いた分析が多い。
・ガルブレイスとフックス・・・生産者サービスの概念、経営管理の技術的な基盤研究の先駆け
・ドゥロネとギャドレ・・・サービス産業の成長が生産の過程で使われる中間投入財あるいは補完的な投入財としてのサービスへの需要拡大と関係しているという見方、消費サービスの需要拡大がサービス・セクターの初期の成長をもたらしたと説明。
・生産様式の変化への着目・・・専門サービスの需要増加
・現代社会を支える基盤での研究・・・多くのサービスを必要とする生産様式とサービス技術の近代化と産業化を重視する姿勢。情報の発展様式が制度や経済の基盤に。

†成長と専門特化
・注目すべきサービスの区別・・・需要に応じてサービスが生産される受動的な視点と供給にとって決定的に重要なサービスとしてみる能動的な視点。
→マーシャルらの研究
・企業の規模拡大・複雑化・多角化・・・機能の細分化による地理的な分散→本社の機能の複雑化
・生産サービス産業の発展・・・例:アメリカ企業における多国籍企業の躍進
・サービスの専門特化・・・市場の規模が拡大すると、生産者サービスで専門特化が進む
→生産者サービスに投入される財が専門特化する一方で、生産者サービスが生み出す財は標準化する
→1980年代~グローバル経済の地理的な特徴と構成要素の変化・・・専門サービスの投入財としての需要拡大、技術革新の必要性の増大。市場への極度の集中。


†立地と集塊
・1980年代・・・消費者サービスは生産者サービス以上に均等に分布しており、全社は中心地域と周辺地域での立地に大差はないという研究結果
→最近では、中心地域と生産者サービスの専門特化には高い相関性がある
→生産者サービスの置かれる場所が集積するのは、他の生産者サービスとの近接性が重要
・技術の発展・・・消費と生産は時間的にも空間的にも切り離され、モノの生産のように、サービスが生み出される場も一か所に集中するようになった
⇔集中が進む一方で、地理的な分散も進んでいるという二重の傾向
・グローバルシティの諸機能・・・技術・規模・経済の組織構造から考える必要性
・どこに本社を置くか…情報の多様化による質の問題

◆金融は空間的にどう構成されるのか
・金融市場・・・サービス市場での価値の特徴と異なる、政府の規制に大きな影響を受けている
→規制、制約の多様化が金融の技術革新が生み出されるようになった
・金融の特徴・・・➀国家の規制の制約、➁産物がモノではないため可動性が高い

†金融サービスの国内立地パターン
・規模と多角化の変更
・トップ企業の依存・・・空間的な集約
・地域特化の経済・都市化の経済・・・例:ロンドン

†デジタル化時代―分散より集積?
・金融業が急成長した結果による、特定のセンターに企業や市場の集積
・金融の集積が起きている都市の減少⇔グローバルなネットワークに組み込まれる金融センターの増加
 
・地理的に分散化が可能であるはずなのに、主だった金融センターの市場占有率の増加
 なぜなのか?
➀社会的に連続性と中心機能の重要性
 筆者の研究によると、
  (1)情報技術の恩恵を最大限に活かすためにはインフラ以外の資源も必要である
  (2)一般化されていない入手困難な情報の入手には、社会的インフラが必要である
→専門知識・技術と社会的な結びつきが金融センターにあるため、技術によって可能になるつながりを企業ないし市場は最大限活用できる

➁国境を超えるネットワーク
 ・グローバルな市場統合による重複システムの廃止・・・協力体制の複雑化、金融センターの重要化
→こうした中、金融センターを越境的に結ぶ新しいタイプの「合併」が生まれる
  (1)一握りの市場のみを結びつける複数の電子ネットワークが統合されるもの
  (2)金融市場の間で築かれている戦略的な提携
⇒金融センターは単に競合しているわけではなく、互いに協調しあい、分業が成立している

◆中心性が作られる新しい形態
・地理的な分散を可能にする組織形態や技術⇔先進国の経済システムには中心が存在
 ↓その背景とは…
・企業の3つの立地パターン
 ➀複雑な契約や下請け、ネットワーク化された供給者を必要としない、専門特化した製品やサービスを売る企業・・・システムの統合を維持できる範囲での立地
 ➁グローバル経済に深く関わっており、かつ複雑な本社機能をもつ企業・・・生産拠点への集積が有利に働き、ネットワーク化が進んだサービスセクターがあれば立地はどこでもいい
 ➂サービス企業の非常に専門特化したネットワーク・・・同業他社との密接な関係から抜け出すことができず、場所に縛られている

・再編された中心地の地理的な4つの形態
 ➀商業中心地区
 ➁中心の広域化、脱領域化
 ➂領域に縛られない「中心」、一部はデジタル空間
 ➃電子空間

◆まとめ
・現段階での金融業の特徴・・・専門サービスが生産に必要な中間投入財として成長してきたこと
              国内外の企業・政府が専門サービスを買える市場が発展したこと

問題関心・・・➀生産者サービスの空間がどう構成されているのか
      ➁生産者サービスが都市とどう関係付けられているのか

要点
➀都市では専門特化が進み、集積の利益が成り立っているため、都市への立地が好まれるようになった
➁生産者サービスの生産・供給に関わる新しい情報技術は重要性を増してきているが、その結果、地理的分散だけでなく再び集積が起きている
→活発な社会的つながりから構成される緊密なネットワークの重要性
➂主要な生産者サービス企業はグローバル企業にサービスを提供しているため、都市のネットワークの中で事業を展開することが増えている

◆論点
 本章では生産者サービスの発展や立地の変化、専門特化について見てきたが、そのような変化と人々の移動や生活、労働環境にはどのような影響があったと考えられるだろうか。また、人々がそのような変化を感じる機会はあるだろうか。
(前回の製造業の場合と比較したり、これまでの議論を思い出しながら考えてみたりしてもいいかもしれません。)
2015-06-18 16:09 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第6章 なぜ地域が大切か ―見直される地域の重要性

第6章 なぜ地域が大切か ―見直される地域の重要性

【前提】
現在:噴出する多様な生活問題 → 住民による「地域」に対する期待・関心の向上
【本章の目的】
見直される地域の重要性を「安全・安心」「プロダクティブ・エイジング」「地方都市の衰退と再生」という3つの観点から考えていく

1.見直される地域
●地域が重要視され出した<理由>
ⅰ)地域における「安心・安全」
  「防災」:‘95年 阪神淡路大震災
  「防犯」:‘97年 神戸連続幼児殺傷事件、‘01年 池田小児童殺傷事件 ⇒ 子供を狙った犯罪
 →老若男女が「地域」に関心 ex.「安心・安全のまちづくり」の標語

ⅱ)「プロダクティブ・エイジング(productive aging)= 生産的な老い」(老齢学者R.N.バトラー)
 定義:「プロダクティビティ(生産性)」を有した高齢者を社会的に積極的に活用すること。
                   ↑
 高齢者への社会通念(=高齢者は依存的なためにその増加が社会的負担増に直結)への反論
 現在…約680万人の団塊世代が退職 → 会社人間の「地域デビュー」への模索

ⅲ)「地方都市の衰退と再生」
 [地方都市の現状] 人口減少・高齢化 + モータリゼーション + 郊外大型商業施設
→中心地の衰退化(ex.「シャッター通り」)
[課題] 無秩序な都市拡張を抑制し、街なかを再生させるための地域の「かたち」
〈課題解決に向けた動きの一例…〉
「地域ブランド」の育成:地域分権・高齢社会の流れの中で、地域の自立が要請
→地域資源の見直し・ブランド力のある産業創出・雇用と観光客増加を模索

●「まちづくり」の現在
「まちづくり」(≠都市計画):市民主体・総合性・個性(≠画一性)・量から質・生活の小単位尊重・理念から実践    ← 住民参加による
 [意義]
ⅰ)→ 危機への対応力。平時の「生活協力」→ 非常時の「共同防衛」
ⅱ)→ 高齢者の「相互扶助(互酬)」、ライフスタイルとしての「社会貢献」
ⅲ)→ まちづくりの「持続可能性」←中心市街地の商店街再生+低環境負荷
+歩いて暮らせるコンパクトなまちづくり

2.安心・安全のまちづくり
●防災のまちづくり
阪神淡路大震災での救命救援~生活復興において再評価 ⇒ 伝統的地域集団「町内会・自治会」
 →平時の「生活協力」が震災時の「共同防衛」に直結

Ex.神戸市長田区真野地区
[歴史]
1960年代 住工混在によって生じた公害被害への反対運動からまちづくり活動開始
1980年代 自治会主導で「真野まちづくり推進会」を結成、市と協議し地域整備を推進
⇔しかし、これらの活動は、元来「防災」を重点化していたわけではない
                 ⇓
震災発生…
①「初期消火の成功」、②「的確な救出活動」、③「迅速な体制作り」 に成功
生活復興期…
震災以前のまちづくりに関わった専門家ボランティアのネットワークの活用
ex.「真野ふれあい住宅」:個人/共有スペースのある「コレクティブハウス」

●防犯のまちづくり
社会的関心の高まりの契機:子供に対する凶悪犯罪の発生>>空き巣・強盗・ひったくり・・・

[子供への凶悪犯罪発生の「原因」に対するパラダイムシフト]
 従来:「人」に着目 → 効果的な防犯対策取りづらい
+無理な「不審者」探しが、差別・排除につながる
 現在:「場所」に着目 → 物的環境の設計、人的環境の改善を通して、未然に防止
⇒犯罪が起きやすい「場所」に注目!
…犯罪に遭いにくい環境の整備
〈ハード面〉
ex.米・ゲーテッドコミュニティ、日本・セキュリティーマンションや公共空間の監視カメラ
                +
〈ソフト面〉
 「割れ窓理論」:侵入は許さないという「縄張り意識」や「当事者意識」の向上によって、心理的バリアを築き、犯罪を予防 ex.「地域安全マップ」

3.プロダクティブ・エイジング
●変容する高齢者像
従来…「高齢者」= 「支えられる側」=「サービスの受給者」
→「高齢者の増大」=「社会的負担増」
しかし!
日本の高齢者の8割は身体的に健康で、自立  /  平均寿命80歳超え
⇒「老い」への発想 =「依存性」 → 「プロダクティビティ(生産性)」
   
…「プロダクティビティ」な活動とは?(柴田博による)
①有償労働 ②無償労働 ③高齢者の相互扶助 ④若い世代へのサポート
→③・④の世代内または世代間の相互扶助が地域の重要性の見直しでポイント
ex.「住民参加型在宅福祉サービス団体」
‘80年代後半以降、介助~家事援助に至る幅広い活動。世代間の対等な立場関係。
⇔担い手はほとんど女性…
→企業で得たプロダクティビティを持つ退職男性をどう地域で活かすかが期待・課題

●介護保険制度の改正
2006年改正:高齢者…要支援・要介護状態にならない、要介護者は重度化させない
→「予防重視型システム」の確立、「地域支援事業」の創設

「地域支援事業」:高齢者が要支援・要介護になる前からの予防として、地域による包括的・継続的なマネジメントを強化。「介護予防一般高齢者施策(A)」(=全高齢者対象)と「介護予防特定高齢者施策(B)」(=介護予防の支援が必要な特定高齢者対象)からなる。
 A)全高齢者の生活機能の維持・改善のための「ポピュレーションアプローチ」
   ex.介護予防に関する知識・情報提供、介護予防に資する地域組織の育成・支援
 B)虚弱高齢者の生活機能低下の早期発見・対応を行う「ハイリスクアプローチ」
   ・「通所型介護予防事業」:地域における閉じこもり予防活動。
   ・「訪問型介護予防事業」:生活機能を把握・評価し、通所型サービスの参加を促す。
    担い手は専門職+傾聴ボランティア(地域住民)
 ↑
介護予防事業=地域包括支援センター中心に実施 → 対象地域空間を明確に画定
⇒行政的範域と重要な機関の利用圏を重視した新地域空間の見直しと画定が不可欠

4.地方都市の衰退と再生
●どうするシャッター通り
 ex.‘70年代 車依存型ニュータウンを造成した地方都市
   中心市街地の空洞化 + 高齢化した郊外ニュータウンの衰退 ← 現在、同時進行中…!
[原因]
・都市計画での法規制の弱さ ← 郊外への大型商業施設の出店を許す
・地権者の権利意識 ← 新規事業者への土地の貸し渋り
⇒2006年「まちづくり3法」(都市計画法・中心市街地活性化法・大店立地法)改正
→〈結果〉・無秩序な郊外開発に一定の歯止め(延床1万㎡超規制)
・「選択と集中」:国が中心市街地活性化に意欲的と判断した市町村に重点的に支援


●コンパクトシティ
「コンパクトシティ」:‘90年代 欧州発祥。スプロール化を抑制し、公共交通を促進して、エネルギー効率の良いサステイナブルな都市形態。
 [動機と目的]
〈欧州〉地球環境問題 → 土地利用計画・交通計画を軸に、環境計画と統合し、住宅政策とも連動 → 都市の活性化の維持・再生、田園や自然環境の保全
〈日本〉地方都市の中心市街地空洞化対策

[命題]
〔海道〕・密度の高さ ・多様さ ・ヒューマンスケール ・独自性 + 「9原則」
〔鈴木〕〈日本〉・公共交通マネジメント:自動車以外のアクセスの選択性向上
・地域循環型経済システムの構築:地域資源活用(農林水産)
・中心市街地におけるタウンマネジメント:官民・NPO等の連携
 ・街なか居住政策:既成市街地における居住
⇔しかし、これまで…
 中心市街地活性化の議論…商業活性化の議論に矮小化 = 「商業者」中心
                             ↓
「選択と集中」を主眼とする3法改正で…「消費者」である住民・地権者・NPO等まちづくり関係者を巻き込む体制が不可欠

5.「共」の再構築
●ボランティア元年
3つの観点からの「まちづくり」…
「安全・安心」/高齢者の「プロダクティビティ」の活用/「地方都市の再生」
                    ↑
どれも行政や市場による専門処理に適さない、或いは、解決されない生活問題
=都市生活の問題点「人間関係の希薄化」・「専門処理システムの限界」が露呈
                ⇓
地域の重要性の見直しにつながった
=「共」の再構築を求める

 [「共」の再構築の契機]
阪神大震災のボランティア:〈特徴〉若者・未経験者・専門技術のない一般人・外部
→・‘98年 NPO法制定:ボランティア団体が特定非営利活動法人として法人格取得可能に。
・‘00年 介護保険制度施行:NPO法人=在宅介護サービスの特定事業者になれる。
 →住民参加型在宅福祉サービス団体も参入可。

●NPOと町内会・自治会
NPO法人格をもつ団体:〈総数〉3万超(‘07年)
         〈分野〉「保健・医療・福祉」「社会教育」「まちづくり」「子供の健全・育成」
⇒「共」の再構築の担い手・・・増加

⇔しかし、時として・・・
既存の伝統的な地縁組織「町内会・自治会」〈旧住民〉 VS NPO〈新住民〉

⇒防災・防犯・地域福祉などの面では、両者の「協働」が求められる!
  互いの強みを生かす…[町内会]行政と連携し、地域情報や活動場所を提供
  [NPO]専門的ノウハウに基づく講座やプログラムを提供
さらには・・・地域の生活問題に関心・意欲のある住民を組織化し、活動の展開を可能とする「中間集団」としての役割を果たすこと


論点
論点①
団塊の世代の人々が65歳を上回り、そのほとんどが社会の第一線を退いた現在の日本。しか    し、彼らの豊富な知識や経験は、地域の中でも何らかの形で十分生かせるはずである。かつて「会社人間」で地域に飛び込めない彼らを地域に取り込み、地域の一員となって居場所を確保し、活躍してもらうには、地域にはどのような工夫が必要か?(行政/自治体/NPO等、それぞれの立場からの工夫でもよい。)

論点②
これまでの章での議論でもあったが、「新住民/旧住民」、「NPO/町内会」など属性や成立過程の異なる2者はことごとく対立しあうという構図が見て取れた。しかし、これからの「まちづくり」を成功に導くには、両者の強みを活かして「協働」することが不可欠である。現在、この「協働」が上手くいっていないのならば、その阻害要因は一体何か?(その解決策があるならば、モデルケースとして、そこまで踏み込んで議論してください。

<論点①>
社会の第一線を退いた団塊世代の人々が、多くのプロダクティビティを活かせる可能性を秘めているにも関わらず、なかなか地域に飛び込めない現状がある。特に「地域の活動に参加したいけれどできない。」という状況を打破することは重要なことだと考えらえる。
私たちの班はまず、その理由として3つを考えた。実にシンプルなものだが①一緒に参加する友人がいない。②参加できる機会がない(情報が入ってこない。)③いざとなると腰が重い。である。特に長年会社勤めをしていたため地域の人々と関わる機会がなかった人々にとっては、①の問題は重大なものであろう。
以上を踏まえ、これらの問題をまるごと解決できる舞台として考えたのが「病院」である。既に地域の病院は、高齢者にとってはある種のコミュニケーションの場として機能している場合がある。これを利用して、病院にコミュニティスペースを設置して、気軽に話ができるお茶会などを開く。ここには様々な年齢層の人々が集まり、時には高齢者同士、時には高齢者と若い母親の子育て相談、多様な使い方ができると考えられる。そしてこのスペースには地域活動の内容や報告を掲示することで、情報提供の場にもなる。シルバー人材センターなどの求人情報もここに掲示すれば、より効率的に機能するだろう。
病院におけるこれらの取組みが浸透すれば、先述の現状も解決できる可能性があるうえ、ここでできた新たなコミュニティが高齢者同士の相互扶助や若い世代との交流も生み、退職してプロダクティビティを持て余すシニア世代の活躍の場を広げることができると考えた。

<論点②>
新住民と旧住民、NPOと自治会、若者とシニア、男性と女性、富める者と貧しい者、異なる二者の対立は幾つも挙げられる。そもそもこの対立が生じる理由は、「地域で暮らす中で、両者の視点が異なるから。」つまり、求める生活やリスクに対する意識などが、属性によって異なるからであると考えた。当然目的が異なるならば互いに協力関係にはならないし、両者の活動の中で利害関係が一致することはないだろう。
ここで、「協働」という言葉について考えてみる。協働は、異なる2つの主体が1つの目的のためにはたらく。という意味がある。しかし、先に挙げたように、まず目的が違う両者が、共通のはたらきをするとは考えにくい。では、対立する二者が協働できるのはどのような時だろうか。悲しいことだが、それは災害時だけではないかという結論に至った。そのような誰にとってもマイナスの出来事に対しては、地域という場では助け合いをして生きていくという共通の目的ができる。そしてそれに備えて、ハザードマップを皆で作成して、地域の中の誰にでも共通するリスクの洗い出しをすることは、協働と言えるだろう。
最後に、それでも理想である地域像は、人々が自分の幸せを地域の幸せと感じること、そして反対に地域の幸せを自分の幸せと感じること。個人と地域の幸せを同等のものと捉えられる人が増えたならば、それはまさに協働が自然に生まれる地域であろう。
しかしこれは、いささかスピリチュアルで、現実には難しいことだと薄々感じている。
2015-06-11 16:25 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

澤ゼミ大学院生の論文が掲載

澤ゼミ大学院生の論文が掲載されました。

伊藤 優季(2015)
婚活支援事業における自治体の役割―兵庫県加西市と兵庫県多可町を事例に―
兵庫地理 第60号 pp.29-45
2015-06-02 16:16 : 澤ゼミ構成員研究活動 : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第4章 金融業の国際化と拡大

第4章 金融業の国際化と拡大

金融業では、1980年代初頭を境にして規模や組織が大きく変わり、金融商品と金融サービスの需要と供給にも急激な変化がみられた。

▼ 条件/背景?
①規制緩和による国内市場の解放。
②主要金融機関の市場への参加が増えるにつれ、莫大な資金が市場へ流入。  
ex) 保険会社、年金ファンド、信託銀行など
③イノベーションが開発され、莫大な金融資産が市場性の高い商品へ転換。

▼結果
⑴ 金融業の規模は拡大し、取引のペースが早くなった。
⑵ 金融業界全体に占める銀行融資の割合が劇的に減った。
⑶ 債券や株式に加え、非流動性の商品を市場に売り出す。

▼本章の目的
以下の四点を中心に金融業の変化(規模・構成)を具体的にみていく。
⒈ 証券投資家と機関投資家の重要性の高まり
⒉ 国際的な株式市場の形成
⒊ 1980年代に日本の投資家が担うようになった新しい役割
⒋ 1990年代の大規模な金融再編

成長の条件と要素

1972年以降、国際的な金融活動は全体的に高い成長率を維持してきた。
> 1972—1985年
資金源:原油価格の高騰に伴って増えた石油収益である。
資金: アメリカの巨大多国籍銀行によって扱われている。
> 1980年代〜
資金源:国際的な証券取引が飛躍的に増えた。
資本: 先進国の間でのみ、行き交うようになった。
国際金融市場
> 1960年代
 ユーロカレンシー市場が国際金融市場としてはじめて登場した。
> 1970年代初頭まで
 国外に支店・子会社・営業所を作り、海外で事業を展開するノンバンクにサービスを提供する。
 ただし、多国籍企業が台頭し,情報通信技術が発達したことで、国内銀行の海外支店は存在意義を失った。
> 1976年—1980年
 国際金融の重要な要素として現れたのが、オフショア金融の拠点とユーロダラー市場である。
→国内市場に特有の規制や制約が回避されるようになり、銀行資本の流動性が高まった。
> 1980年〜
 1982年の第三世界累積債務危機により、アメリカの多国籍銀行の地位は揺らぎ、国際金融活動における銀行のシェアーは激減し、貸付の多くは証券市場を経って先進国間で行われる。
 証券会社と金融サービス会社は、国際金融市場を支配する最も重要なノンバンク金融機関として国際金融に関わる幅広い経済活動をカバーしていた。

→ノンバンクが背負い込んだリスクは未曾有。成長を支えていた投機の水準は極めて高くなった。世界的な規模で統合が進んだという事はブラックマンデーやメキシコ危機(94-95年)、アジア通貨危機(97年)、ロシア財政危機(98年)が世界的な連鎖の中で起きたことを意味する。

国際的な株式市場の形成

▼ 形成
>1980年代以前
・株取引のための国際市場は存在しなかった。
・国際資本投資の規模が小さく、極限られた証券取引所でのみ行われていた。
・海外株式に上場している株式へアクセスは制限された。
>1980年初頭から
・株式と債券の国際取引は飛躍的に伸びてきている。
・国境を超えた株取引が増え、規制緩和と大口の機関投資家が投じた巨額の資本を背景にし、国際株式市場まで形成された。
▼ 目的
→買う側:よりよい株価収益率が見込める他国の株式市場に転がっているチャンスを利用する
→発行する側:潤沢な資金と新しい投資機会の獲得
▼ 拡大
 世界ほとんどの株式市場の規模が大きくなり、価値の急騰によって投資家が自国以外の株式市場に惹き付けられた。
▼ 株式市場起伏
 1980年代に一気に進んだが、1990年代に差しかかる頃に減速した。1900年代中盤・終盤には、幾多の危機を迎えながらも資本化は再び加速した。
▼ 株式市場の成長における傾向(1999年まで)
 ① 多くの国で株式市場は拡大した。
 ② 世界の株式市場の時価総額に占めるアメリカの割合が減った。
 ③ 時価総額が増えたものの、一部の決まった市場に集積した。(米、英、日)

金融の証券化

▼ 証券化
 多様な金融資産や債務が売買可能な証券へと転換され、仲介のない直接取引ができること。
▼ 求められる条件: 新しい金融イノベーション
▼ 証券化した結果: 多くの金融商品の誕生
  →以前より広い市場が必要(国内規制緩和・国際化)

→投資信託などの金融機関が市場でのシェアーを増やす一方、国際的な銀行融資は金額もシェアーも大幅に減っていた。
→国際的な資本市場で主な金融商品は、普通社債やシンジケートローン、多彩なユーロ商品である。

グローバル資本市場のいま

・国内金融市場の規制緩和
・国際資本のフローの自由化 →金融市場の驚異的な成長
・コンピュータと情報通信技術の普及

▼ 本節の討論
 金融市場の成長:金融の歴史が新たな段階に達したか/今のグローバル資本市場の国民経済に占める構造的な比重が、以前にも増して大きくなったのか

▼ 1980年—<金融時代の開幕>
特徴:イノベーションを生み出す推進力
今日の金融:
⑴市場取引が行われる場は、一定の地域に集中。
⑵金融商品とその実際のもととなる資産との間に距離のある商品の増加。

▼ 筆者の観点
 現在グローバル資本市場とWWⅠ前の金本位制の時代と重要な違いが三つある。
⒈年金ファンドや保険会社などの機関に、市場を支配する力が集まってきた。
⒉新しい情報技術がもたらす金融市場の属性-速さや瞬時に通信ができる。
⒊金融イノベーションが爆発的に増えた。

金融危機

▼ 資本市場のグローバルな統合 ―<諸刃の剣>
1990年代に経済成長を促すもの ⇔ 東アジア諸国で経済危機の発生

▼ 東アジア通貨危機
 背景
・資本市場のグローバル化な統合によって債務過剰を引き起こし、投資家たちは東アジア諸国の市場に1990年代初頭になだれ込み、経済危機が起きると一気に退散したため、好景気が崩壊した。
・商業銀行の衰退にかわる証券業界の台頭。この業界がもつ技術的な機能も向上した。
・資産の管理・運用によるヘッジ活動が積極的に行われるようになった。
・銀行は証券界に対抗するのではなく、長期的な成長予測を受入、資本の流入を増やす事
で金融情勢の変化を促した。投資のリスクや質を全般的に軽視する傾向を広め、資本の流出に一役をかっていた。

→市場における金融機関の自己規律の欠如が「モラル・ハザード」問題として浮き彫りになった。

▼ 金融危機からわかること
・資本が移動しやすくなるなかで、国内政策の自律性が弱まっている。特に、発展途上国。
・国内機関投資家の強固な基盤(年金ファンド、保険会社、投資ファンドなど)を発展させることが重要。
・金融システムを自由化させ、資本の可動性が高まる国が増えるなか、資本の流出入の管理は以前にも増して複雑になってきている。
・これまでの経済危機は、先進工業国より発展途上国にたいして甚大な影響を及ぼしてきた。


まとめ

70年代                  
主導 銀行業務を行う多国籍銀行        
分布 発展途上国(資本提供・公債の提供)
オフショアバンキングセンターの設立の発展
80年代
主導    投資銀行や証券会社
分布    先進国(資本の輸出・輸入)
       主要都市が金融センターとして成長したため、資本がオフショア銀行から本国に戻された。

本章の分析にとって重要なポイント
→市場と金融センターの重要性が、金融再編と同時に高まっていったこと。

金融市場:需要・供給の役割を果たす。
主な金融市場:従来と異なる第二タイプの経済活動が活発になった。
 (極めて投機的な金融商品の売買、新しい商品の実験)

→銀行の提供するサービスの範囲を超えた。「有用性」の捉え方も変化した;
 有用性の高い商品の市場は規模・範囲が広くなると共に、複雑になった;
 多様な専門企業や膨大な取引に対応するだけではなく、金融商品をより生み出すための
進んだ機能を支えるようになった;
 技術・資本集約的な経済活動を行うことで、金融業の価値はいっそう高まっている。

→仲介機能を持っていた銀行のメカニズムが単純なのに対し、金融市場は複雑で、競争が激しく、革新的でリスクが高い。仲介機能が銀行から金融センターへ移った。

【論点】
金融業の国際化と拡大によって資本のフローは、世界的に自由化が進み、主要都市(ニューヨーク、ロンドン、東京、香港et)が金融センターとして成長してきた。
 こうした都市は富裕層にとってショッピングや投資、投機など魅力的である。しかし、現地の一般市民は、金融の国際化と拡大に伴い、日常生活にどのような影響を受けているのか。

<中国人グループ>
 論点については、金融業の国際化と拡大によって主要都市が金融センターとして成長してきたことは富裕層にとって魅力的であるのに対し、一般市民の日常生活にどのような影響を与えているかについて①「プラスの影響」と②「マイナスの影響」の2つに分けて討論した。
 また、①と②を「生活」「人口」「金銭」という3分類にグループ化し、分析ができた。「生活」グループはプラスの影響が多くみられた。「都市開発による都市全体の便利性の上昇」、「ライフスタイルの多様化」などが挙げられた。マイナスの影響として考えられるものは「都市原住民のコミュニティの崩壊」、「競争の増加」である。「人口」グループは、人口の増加による「エリートの集中」がプラスの影響として挙げられる一方、「差別」「人ごみ」というマイナス影響も考えられた。また、「金銭」グループはマイナスの影響が目立った。その中で「所得格差」、「貧困問題」などが特徴的であった。また「就職チャンスの増加」といったプラスの影響が挙げられた。
 金融市場のグローバル化に対抗するNPO、NGOといった組織が必要であると結論付けた。

≪総合司会のコメント≫
金融の国際化と拡大に伴い、現地の一般市民の日常生活にどのような影響を与えているか、今回もまた日本人チームと中国人チームに分かれて議論した。
日本人チームは、東京での事例を考え、一般市民の受ける影響と実際に日本に外資を流し入れた人々が受ける影響に分けた。そこで、外資系企業やグローバル化の流入により、長期的なスパンで物事を見る視点が欠け、短期間で利益を上げる視点が重視されるようになったことが結論づけられた。
中国人チームは、特にモデルを設定せず、一般市民が受けるプラスの影響とマイナスの影響について議論した。一般市民が受ける影響を生活面・人の面・お金の面に更に細分化していた。結論は、結果的には便利になるけど、格差がより広がることになるので、NGO,NPOの民間組織がより重要になってくるというものであった。
今回は、日本人チームも中国人チームも、一般市民が受ける影響について挙げていたが、文化の違いで差が出るかと思われたが、実際は挙げた項目には共通性が高かった。グローバル化による影響は、日本でも中国でも同じように現れているのではないかと考えた。
2015-05-29 20:17 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第5章 「地域が歴史を創り出す 歴史が地域を造り出す」

地域の社会学 第5章 「地域が歴史を創り出す 歴史が地域を造り出す」

1. 地域の歴史を考える

○社会学と歴史
社会学…常識を科学的に反省する知的行為
⇒歴史が現在の社会を築き上げる(常識)ではなく、現在の社会が歴史を創り出す
(Ex. 日本の市町村における文化振興・イベント開催)
∴地域が歴史を創り出す過程に注目する必要がある…①

また、社会学の見地から
現在の地域の歴史的起源を探り当てることも重要になる
・現在の社会を別様に見直したり、未知の側面を発見する
・歴史が持つ物語から断絶や、断層を見出し、社会の特殊な成り立ちを暴露する
(このような特徴から歴史が社会を築き上げるという考えとは異なる)
∴歴史が地域を造り出す起源を探り当てることも重要…②

以下、①を「地域が歴史を創り出す次元」、②を「歴史が地域を造り出す次元」の研究として進める

2. 地域が歴史を創り出す次元の諸問題

○歴史を創り出すことをめぐる諸問題
・歴史創造の主体は誰か
地域を支配する権力者や、地域に居住する住民すべてが当てはまる
→実際は複数の異なる主体間の協働と対立を通して創り出される
・創り出される歴史の内容は何か
人々の行為、集積されたモノ、単なる出来事、それらの集合としての物語、etc・・・
行為や出来事を生み出すのは市民、物語を生み出すのは権力者
・歴史の政治的機能は何か
地域の集合的アイデンティティの調達、個人次元の文化消費の一つ・・・
→対立や矛盾が最も強く現れる

※このようにして一旦創り上げられた歴史を批判的に考察するために②の視点が重要となる


○私人が創り出す私的な歴史
筆者の母方の曾祖父…石川県野々市町の没落地主
経済的没落の中で歴史研究(在野の郷土史)に目覚め、死後二冊の著作が刊行された
→ともに郷土の町に存在した武家と寺院の歴史を調べたもの
but…『加賀史料集成』と名付けられた遺稿から、彼の考える「郷土」の範囲が不明確
これをきっかけに県は公的史料集である『加賀史料』の刊行を決定
歴史創造の主体は誰か 筆者の母方の曾祖父 石川県
創り出される歴史の内容は何か 郷土の人々の行為や出来事 人々の行為や出来事を一繋ぎにした物語
歴史の政治的機能は何か 個人次元の文化消費として郷土の史料を纏めた私的資料集として機能する(「郷土」の範囲は不明確) 加賀、能登両国の史料を纏めた県の公的史料集として機能する
上記のように、地域が歴史を創り出す過程においては、歴史創造の主体によって創り出される内容や政治的機能が構造的に対立する

3. 聴き取り調査による戦略的着手

○語られる歴史
聴き取り調査…社会学的地域調査方法の1つ
→歴史を創り出す行為(発話)そのものと、歴史が創り出される瞬間(物語の結晶化)を捉えることができる
→→聞き取られた話が歴史であるとはどのような意味でそう言えるのか?
・それが歴史と呼べるだけの、時間軸を持ったひと連なりの秩序をもつこと
・それが地域の歴史であるといえるだけの、話者の集合性や内容の共通性を備えた話であること
…村落社会では、ある程度の集合性や共通性を確保できたが、現在の都市社会ではそれが困難になりつつある(「語りの個人化」)
上記の特徴を利用して、地域の歴史を創り出す実験室を設けることができる
聴き取り調査を集合的に実施し、公衆的討議を通して物語が結晶化する過程を観察し、聴き手が秩序ある歴史に編み上げる

4. 歴史が地域を造り出す次元をめぐる諸問題

地域の歴史的起源を探り当てる作業
…地域に固有の事情・過程を1つひとつ明らかにしていく無限の運動
ここから学問は、一貫した理論と方法に従って一定の秩序を持った物語を導き出す

社会学の場合…
Ⅰ. 個人の郷土への関心や愛着、義務的拘束を研究する
市民の意識が保存や復興といった公共事業をもたらすとしても、元々の意識は個々人のもの
→地域の歴史的事象への愛着は、私的であるがゆえに部分的で不安定なものでしかない
Ⅱ. ある集団を単位として、その内部構成や対外関係の長期的変動を探究する
仮に歴史を持たないと考えられてきた民俗的集団に関してもこれを明らかにすることは、国家がもつ歴史を見直すことに繋がる
→現在の都市社会においては、個人間に焦点を合わせることが課題となる
Ⅲ. 身体や行為の集合体の特殊な構成を、それらを制御しているモノやコトバと関連付けて考える
探究すべき身体・行為と制度のセットが入れ替わると、劇的に作用が変化する
→「唐突な制度改革」から「新しい生活と社会関係」が生まれることもあるということも考慮する必要がある
いずれの方法も、現在の社会の起源を断片的な事件や史料を手掛かりに探り当てようとするもの。これにより、現在の社会を相対化するような視点がもたらされる。


論点
・地域が持つ「歴史」にはどのようなものがあるだろうか。
・7月4日に行うFWの舞台である、奈良県橿原市今井町。この地域が「歴史を創り出した」のか、「歴史によって造り出された」のかという視点から、地域が持つ歴史について自由に考えを巡らせてみよう。その際、論点1で挙げた地域が持つ「歴史」を利用しながら考えよう。

<論点1>
地域が持つ「歴史」にはどのようなものがあるだろうか。
私たちの班では、地域が持つ「歴史」はほぼ人によって造り出されたものではないかという前提のもと、どのような主体がどのような目的で歴史を築き上げたのかということを考えた。
まずどのような主体が歴史を築き上げたのかについて、各々が考える、地域が持つ「歴史」を挙げていき、それを造り出している主体別に分類したところ、地域が持つ「歴史」はほとんどが「行政」「企業」「住民」の3つの主体によって造り出されていることが分かった。また1つの主体だけでなく、2つまたは3つの主体によって造り出されている「歴史」があることにも気付いた。
次にそれらの主体がどのような目的で歴史を築き上げたのか。歴史を築き上げた理由は主体によってさまざまであると考えた。例えば行政が造り出したまちの景観や歴史的建造物などの「歴史」は、観光地にするためといった動機が考えられ、住民が造り出したお祭りなどの地域の行事の「歴史」は、その地域の象徴となるような何かを残すため、あるいは流れの中で何となく造り出すことになったなどの理由が考えられた。

<論点2>
7月4日に行うFWの舞台である、奈良県橿原市今井町。この地域が「歴史を創り出した」のか、「歴史によって造り出された」のかという視点から、地域が持つ歴史について自由に考えを巡らせてみよう。その際、論点1で挙げた地域が持つ「歴史」を利用しながら考えよう。
奈良県橿原市今井町をモデルとして、地域が持つ歴史を考えるという論点であったため、まず今井町がどのような地域であるかということを改めて調べた。今井町は重要伝統的建造物保存地区に選定されており、江戸時代からの街並みが今でも残っている町であるという。その今井町を「歴史によって造り出された」地域であるのか、もしくは「歴史を創り出した」地域であるのかという2つの視点から考察し、重要伝統的建造物保存地区に選定される前は「歴史によって造り出された」がその後からは「歴史を創り出している」のではないかと結論付けた。しかしここで二つの疑問点が生じた。一つ目は、なぜ重要伝統的建造物保存地区に選定されるまで今井町が残っていたか(どのような「歴史」が重要伝統的建造物保存地区に選定されるような今井町を造り出したのか)ということ、二つ目は現在「歴史を創り出している」今井町はどのように捉えられるのかということである。
一つ目の疑問点に対しては、
①住民が強烈なアイデンティティや愛着を持って町を守り続けていた
②開発しにくい土地で中心地とならなかったため自然と残った、なんとなく残った
の二つの理由が考えられた。
二つ目の疑問点に対して、今井町内に住んでいる人とそれ以外の人の二つの立場から考えた。その議論の中で、今井町外の人は古い街並みを残す今井町をただただ魅力的に感じているが、今井町内に住んでいる人は実は「今井町」自体への意識は希薄でむしろ魅力的なまちを保つことを面倒と思っているのかもしれないという考えに至った。
よって7月4日のFWでは、住民の「今井町」保存への意識、「今井町」のルーツの認知度に特に注目したい。

<第1班>
【論点1】
地域がもつ歴史を挙げると次の3つを挙げることができた。
① 強く活かす歴史
② 潜在的可能性がある歴史
③ 活かされにくい歴史
「強く活かす歴史」は、住民や行政における共通した価値であり、観光に活かすことが出来る。「潜在的可能性がある歴史」は、人によって捉え方が異なるので観光化の可能性はゼロではない。そして「活かされにくい歴史」は、耳にしても「ふーん」としか言いようのないものであり、過ぎ去った過去と捉えられてしまうために、消えていく運命にあると言える。

【論点2】
地域の歴史についての論点だが、まずその地域の富豪たちが歴史をつくりだす。そして自治してきたというプライドがつくり出されていく。時代が進み、人口減少や富豪層の弱体化によってこれまでの栄華の維持が難しくなった後も、先述のプライドによって、文化財指定などを通じて町並み保存に注力することになる。この取り組みを通じて地域の歴史は再構成される(=つくられる)。最終的に観光化されるとなるとさらに時代劇などを通じてストーリーがつくられる。7月のフィールドワークでは、このつくられた歴史やそのストーリー性、街の人々の今井町へのプライドの有無などに注目していきたい。

<第2班>
論点①
地域が持つ歴史にはどのようなものがあるか、我々が挙げたのは「家柄」「地名」「神社・寺」「災害」「伝統行事」などであった。これらはそれぞれ密接に関係しており、主に地名などに影響を及ぼしている。これらを我々は「地域の歴史」と認識しており、そう認識するきっかけは郷土学習であるといえる。この郷土学習という場面において我々は歴史を認識し、そうしてまたそのうえに新しい行事や伝統を作っていく。後の時代から認識されたとき、これはまた歴史になる。このような循環の中で作られてきたのが、地域が持つ歴史であると考えた。

論点②
①で取り上げたようなものを我々は郷土学習を通じて地域住民共通の地域の歴史として認識する。歴史がつくりあげてきた地域の姿を「伝統行事」「土地利用」「建造物」などに見出し、それを歴史だと認識する。そして、我々はこの地域の姿をさまざまなフィルターを通してみているのではないだろうか。ここでいうフィルターとは、例えば「住民の誇り」「外部へのアピール」「観光産業」「意味づけ」などが挙がった。ここにおいて、地域は自分たちだけのものではなくなっており、交通が発達し、移動が頻繁になった現代だからこそ外部へのアピールという観点が加わっていると考えられるのである。そうした中で、自分たちの地域がどうありたいか、どう見られたいかという大きなフィル ターにかけ、そのイメージにそぐわないものは排除し、なりたいイメージを追求するようになったと考えられる。イメージにそぐわないものの排除とは、例えば古い空き家の取り壊しなどが挙げられる。逆に、イメージの追求とは、例えば「新しく作った昔っぽい家」「きれいなお堀」などが挙げられる。これらは人々に受け入れられて新しい歴史となることもあるが、人の目や評判、時代の流れによって都合よくつくりかえられていくのではないだろうか。このようにして地域が歴史を作り出しているのだと我々は考えた。今回のフィールドワークにおいても、この「新しい古いもの」に着目してみたいと思う。

<総合司会コメント>
本日の議論は「地域が創り出す歴史」と「歴史が造り出す地域」のふたつをキーワードとして展開された。現在、地域の歴史として残されているものは果してどのような経緯で残されてきたのかということを普段私たちはどの程度意識しているのか。歴史はその時々で都合よく書き換えられていくということを、個人的には再確認する機会となった。これから、私たちが残す歴史もまた、遠い未来の人間にとっては、取捨選択された、創り出された歴史になるはずである。議論を通して、歴史というものの面白さと恐ろしさを同時に感じた。
 また、来る7月4日に奈良県橿原市今井町へフィールドワークに行くことが決まっているが、それに向けて非常に有意義な時間であったと思う。ゼミ生同士が議論し、それを共有したことで、「フィールドワークを通して何を見たいか」がはっきりとしたように思うからである。まだ先の話ではあるが、フィールドワークがいまから楽しみである。もちろん当日は、過ごしやすい穏やかな気候を期待する。
2015-05-28 18:39 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第3章 対外直接投資の新しいパターン

第3章 対外直接投資の新しいパターン

資本の再配置を示す指標のひとつ:「対外直接投資指標(FDI)」

○本章の目的
対外直接投資はどのようなパターンで、どのくらいの規模で行われているのか?どういった国が関わっているのか?を明らかにする

対外直接投資のおもなパターン
対外直接投資の基本的なパターンは変化している
<パターン1>
1960s,そして特に1970s
先進国による対外直接投資が飛躍的に増える
1980s, 1990s
これを上回る規模で国際的な金融への投資が行われるようになる
<パターン2>
一握りの国が投資の多くを独占する傾向が強まってきている
<パターン3>
1980年代にはサービスへの対外直接投資が、製造業や資源抽出産業への対外直接投資を上回る勢いで伸びた

対外直接投資の内訳の変化
1950s(対外直接投資が、資本がどこにありどこに流れていくのかという点で評価されていた時期)
大部分は原料などの一次産品や資源をもとにした製造業に集中
1980s
技術集約的な製造業やサービス産業がターゲット
1990s
サービス産業が全体の半分を占める。
そのうち3分の2が金融と貿易活動の経済活動に注がれていた
1999 4兆1000億ドルにもなる対外直接投資ストックの60%をサービス産業が占める

対外直接投資の定義
「企業の経営管理における発言権の獲得を目的として、投資家が自国以外の国で事業を展開している企業にたいし、永続的な権益を得るために行う投資」
―『国際収支マニュアル』(IMF 1977)より
→「外国人の所有」とする外国人・外国企業による出資金の基準がない
OECDによる指標を用いると、各国のデータが比較できる。
単一の投資家による出資率が10%以下であっても、その投資家が事業にたいして一定の発言力をもっている海外関連企業や、政策決定への参加、経営者の交換など、さまざまな指標を対外直接投資に入れるよう推奨
→対外直接投資であるのか判断しにくい事例でも、どういった場合が「外国人ないし外国企業による所有」なのか明確になる。

議決権をもてるほど株式を所有しなくとも、対外直接投資は成立しうる。
大企業:株式をたくさん保有する必要は必ずしもない。
→株と無関係な契約上の取り決めを通す
株式保有と結びつかない形での支配は、サービス産業にとって海外投資とはなにか理解する上でとくに重要になる。
(海外へのサービス提供は株式保有という形をとらない場合が多い)

株式保有がゼロの場合も対外直接投資としてみなすと、分類上の問題が生じる。
対外直接投資ストック:株式と負債を計る指標
対外直接投資から生じた収益は、株式投資や債権投資の利益として定義
→株式保有がゼロの非金融無形資産から得られる収益とは区別

世界の対外直接投資ストック:年々額は上がってきている
対外直接投資のここ20年間の動きから見えるパターン
1.先進国が発展途上国へ投資する
1970s   対外直接投資は軒並み増加(特に輸出用生産への投資)
それ以降  投資の増加率は減少
1990s以降 先進国への対外直接投資の増加
2.アメリカの地位が急転
~1979 対外直接投資を積極的に行う主要国
1981  対外直接投資を受け取る代表的な国に
(1984,1986 世界中の対外直接投資のうち50%がアメリカに流れる)
3.日本が世界の対外直接投資で果たす役割が増した。
1985には対外直接投資を行う代表的な国に成長していた
資本の輸出国として旧西独、蘭、仏といった欧州資本輸出国を圧倒
1990sはバブル崩壊により大きく落ち込む
⇔1980s,1990sを通して対外直接投資の主要受入国になることはなかった
4.対外直接投資の対象が変わった
1988~1997 第一次産業への投資は半減
サービス産業への投資は先進国・発展途上国ともに増加
製造業への投資に大きな変動はなし
対外直接投資の割合が高いものは金融業、つぎに貿易業
先進国:対外直接投資を最も多く受け入れる経済セクターが金融業と貿易
発展途上国:不動産業と化学産業へ投資される額が最多
5.世界的に見て対外直接投資がかなり集積する傾向にある
1984 全世界の対外直接投資ストック合計の65%が米英日で占められる
1997 発展途上国への対外直接投資は-4%
   先進国   +68%
先進国への投資のほとんどは先進国が行っている。
6.対外直接投資の大半を握っているのが先進国の多国籍企業
1980s初頭 対外直接投資の97%は多国籍企業によるもの
自社の海外関連企業に投資する多国籍企業の数は6万社にまで膨らんでいる。
こうした企業の多くは中小企業
7.国境を越えた企業の吸収合併(M&A)が増えた
現在の対外直接投資のほとんどはM&Aから生じている
大抵の場合は先進国間で行われている
近年、発展途上国でも民営化や規制緩和が進んでいるためアジア・ラテンアメリカの特定の国には対外直接投資が新たに始まっている。

国際的なサービス取引
国際化の進み具合は、企業の売上総額に占める海外売上高を一つの指標として考えられる。
例:米国でのサービス産業は急成長し、国内経済におけるシェアも増加
  しかし、国際的なサービス取引の割合は低い
輸出入ができないサービス(non-tradable)は、生産された場所で販売されなければならないものであることが多い
→国境を越えたサービス提供が対外直接投資という形をとる

サービスの国際取引の計測方法問題
サービスの国際取引と投資額はじっさいよりも少なく算出されている
→投資額の場合、対外直接投資額を出すときに、株式が関係しない取引は計算されない
「国連多国籍企業センター」(現在は廃止):的確なデータ収集
→関連企業の販売と付加価値を計算することと、対外直接投資の算出が一致していることが明らかになった

「関税と貿易に関する一般協定(GATT)のサービスに関する交渉グループ(Group of Negotiations on Services)」
:サービス貿易における原則やルールの基本となる定義上・統計上の問題を重視
「サービス貿易に関する一般協定(GATS)」(1994)
:サービス貿易を4つに分類・定義
1.越境取引(ある加盟国から他の加盟国の需要者へ提供されるサービス)
2.国外での消費(ある加盟国の領土内において、他の加盟国の需要者へ提供されるサービス)
3.商業拠点(ある加盟国のサービス企業によって、他の加盟国にあるビジネス拠点を通して提供されるサービス)
4.人の移動(ある加盟国の個人が他の加盟国へ移動して提供されるサービス)

サービスの国際取引も実際には様々な形がある。
→対外直接投資と越境取引がおもな形
越境取引:唯一「商品貿易」という形をとる取引
サービスの売る側・買う側どちらにしても、人の移動がサービスの国際取引に不可欠であることが多い。
例:旅行
海外の関連企業を介して提供されるのが一般的なものもある
例:ホテル、個人向け銀行サービス、レンタカーなど
ライセンス提供やフランチャイズ契約などの株取引でない形をとるものもある
例:法律や会計などの専門サービスのやり取り
製造業や第一次産業に分類される多国籍企業でも、関連会社がサービス関係というパターンは多い

「海外へ提供されているサービス」の判断基準
1.サービスを提供する外国に生産者側が滞在する場合でも、一定の期間内であるか
2.多国籍企業が海外支社をつくる時、支社に必要な「資源」を送るが、そのなかに管理者や従業員の派遣が含まれていないかどうか
3.提供されるサービスの性質がどうなっているか
4.ルートがどうなっているのか

まとめ
国際的な取引に関わる地域の地理学と取引の内容は根本的に変化している。
米国が対外直接投資の主要受入国になった
日本は対外直接投資の純輸出国として台頭してきた
対外直接投資の内訳における変化
サービス・セクターへの投資が急激に重要性を帯びてきた。
サービスをめぐる国際的な経済活動のうち、70%もの活動がほんの一握りの国によって行われていた。
とくに、日本・アメリカ・イギリスへの集積が目立つ

本書の問題関心において興味深い点
1.サービスの国際化の中心にいるのは多国籍企業
2.専門職サービスを提供するおもな企業では、海外売上による収益が総収益の相当な部分を占める

こうした対外直接投資のパターンを通して、国際投資の再編が見えてくる。
1970s さまざまな地域への対外直接投資増加は、生産の国際化にとって重要
1980s,1990s 金融のフローが一気に増加
集積の度合いも1970sを上回る
→「集積構造」の再編も読み取れる。(次章)

【論点】
近年では、発展途上国への対外直接投資も伸びてきている。
発展途上国の中でも、対外直接投資の伸びている国/まだ伸びていない国があると考えられる。
今後発展途上国が対外直接投資を伸ばすためには、どういった要因の関わりあいが必要だと考えられるだろうか。


〈日本人グループ〉
発展途上国が対外直接投資(FDI)を伸ばすための要因について考察するために日本人グループでは、発展途上国が先進国からの援助などを契機として自国の経済力を底上げし、それによって対外直接投資を実際に行えるようになる、という時間軸を想定しそれに沿って議論を行った。
まず、第一段階の前提となる部分で、先進国から援助を受け、資本投下を引き出すための準備段階では、発展途上国がなぜ対外直接投資を志向するようになるかについて議論した。そこでは、やはり発展途上国には先進国に対する憧憬が存在し、先進国を追いかけて最終的には対外直接投資を他国から受け取り、かつ他国に対し行うというような、対等な関係になりたいという思いがあるのではないかという意見でまとまった。
次に、第一段階は発展途上国が対外直接投資を行えるようになるまで、先進国からの援助に牽引される段階とした。この段階は何よりもまず自国の資本および経済力を底上げすることが重視されるという意見で一致した。そのためには製造業の発達と、製造業に関する技術的な教育や人材育成が必要であると考えた。
この第一段階を経て、安価に大量の製品を製造できるなどという点で、発展途上国の国際的な認知度が高まり、さらに先進国からの資本投下を獲得することで生産力が向上し、次の第二段階へと至るとした。
第二段階は、経済力を高めるとともに、対外直接投資を始めるにあたって具体的な取り組みが行われる段階であるとした。この第二段階にあたる意見が最も多く散見された。経済力については、GDPを高めるための具体的な政策が行われ、そのような中で経済力が引き上げられていくと共に、軍事力も拡張されることが考えられた。一方、対外直接投資を開始するために重要な点は自国の「グローバル化」であるという意見で一致した。グローバル化のためには、他文化への理解を深め、自国での意識変化を行うための教育が必要であるし、国どうしを繋ぐ役割を果たす人材養成のために、留学などの形で人材派遣が行われるとした。政治的経済的な政策としては、企業の民営化や規制緩和など新自由主義的な政策に移行していくことが考えられた。ハード面の取り組みとしては、インターネット環境の整備、モビリティ環境の充実といった意見が挙げられた。
最後に、第三段階は実際に対外直接投資が開始される段階であるとした。この段階では投資を行うことがステータスとなり、投資を行うための資本力も備わって経済的余裕が生まれると考えた。それによって、発展途上国からも多国籍企業が展開されていくことになるのではないか、という結論に至った。

【補足】
発展途上国が対外直接投資を行うための要因について考察する前に、現在発展途上国とはいったいどのような国を指すのか、どういった指標を用いて分類するのか、例えばシンガポールやタイ、韓国、中国などの国は、先進国と発展途上国のどちらに分類されるのか、といった議論を全員で考え、共有する必要があったのではないかと考える。また、今回考察した発展途上国が行う対外直接投資は、先進国が現在行っているような金融業や貿易業を主としたものと同じような内容になるのか、それとも現在発展途上国で割合の高い不動産業と化学産業への投資が加速されるのか、などといった具体的な議論にまで及ぶことができなかった。総合司会の方のコメントにあるように、発展途上国について考える場合でも、実際は先進国的な観点からの考察に終始してしまっているように思われる。今回のグループ発表で示したような図式はあまりに夢想的で楽観的に過ぎるかもしれないが、それをどうすれば実際生じている問題に引きつけていけるようになるのかを考察していくことが今後の重要な課題であると考える。

<中国出身の留学生グループ>
論点について、中国出身の留学生グループが自分の母国を発展途上国のモデルとして想定して、発展途上国が対外直接投資を伸ばすため考える要因を挙げていて、「競うこと」より「つながること」はさらに重要だと議論した。
まずはハード面の要因について、FDIを伸ばすために資本、インフラ、商品の品質の重視が必要と挙げられていた。そしてソフト面に関しては、主に技術、人材、政策、相手の国の文化の四つの方面から論議した。生産力を推進するために、技術の革新とサービス意識の向上に十分な考慮が必要である。グロバール化の背景で、さらに多様な人材が求められている。外国語の人材だけではなく、国境を越える専門技術者、法律の人材、流通の人材などは対外投資を伸ばすため無くてはならない条件である。政策面に関しては、やはり整える金融体制、政治環境が必要と思われる。相手国の文化を互いに理解することが対外投資の環境づくりには有利だと考える。それ以外に、先進国の支援も対外投資を伸ばすため考える要因の一つと挙げられ、資本面と技術面があり、ソフト面とハード面の両方も含めていると思われる。
対外直接投資を伸ばすと考える時に、「技術の革新」、「人材の育成」などは一見的に「競う」ために挙げられていたが、グロバール化の市場の中に「つながる」意味も持っていて、「競うこと」より「つながること」はさらに重要だと思われる。




≪総合司会コメント≫
今回の議論は、日本人チームと中国人チームに分けたが、この2つのチームに共通していたのは『過去5年間で名目GDPが世界5位に入っている』ことである。つまり、日本も中国も先進国に当てはまると仮定すると、今回の議論は、あくまで先進国の国民から見たものに過ぎない。中国は名目GDPで世界第2位になるまで、外国の大企業の製品に関わる工場において大量生産を行うことで国力を増強していたが、名目GDPが世界第2位になった今、技術も経済も先進国のトップに躍り出る程発達している。即ち、中国を最早発展途上国と定義するのは困難であると考える。日本人チームと中国人チームは、先進国チームと発展途上国のチームではなかったのである。よって、発展途上国が対外直接投資を伸ばすにはどのような要因が必要になるかについて議論したが、発展途上国が抱える問題や不安要素について考慮しきれていなかったと考える。両チーム共に「投資を伸ばす過程で先進国の援助も必要である」、「多方面における人材の育成が必要」と述べていたが、そもそも先進国の援助を受けたとしてもそれを活用できる土壌はあるのか、といった検討が見受けられなかったのは、発展途上国の人々の視点がなかったからの様に思えた。
2015-05-22 17:00 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第4章 地域に生きる集団とネットワーク

第4章 地域に生きる集団とネットワーク

地域という場において人々が織り成す社会的な関係に注目する。
・現代の都市生活において「地域」はどのような意味を持つのか。
・一見、自由に展開している私たちの社会関係は、地域という空間的な範域とどのように関連していると考えればよいか、あるいは考える必要はないのか。


1. 人と地域の関わり
・すべての相互行為は空間という土台のうえで物的なメディアを介してなされる。
→しかし、社会学の古典的な概念では人と人とが結びつく空間を見落としてしまう 。

・人間が地域という空間と関係する在り方
①地域と長期的に結びつく在り方(定住)
②短期的にしか結びつかないという在り方(流動)
→基本となるのは住居であり、現住所。

・上記①②の空間の理解は①’②’につながる。
所有:特定の土地・空間との比較的長期にわたる関わりを前提(地方での生活で優先)…①’
利用:特定の土地・空間との関わりは一時的である場合が多い(都市部で優先)…②’
→両者が互いに刺激し合い、地域生活が展開してきた。
→つまり、人と空間との関わりは個別的に想定できるものではなく、常に社会的に行なわれるということ。

・特定の個人と特定の空間との関係は常に他の人々との関係を前提として成立している。
=特定の空間の成立はその背後に独特の社会の存立を予測させる。
→私たちが織り成す社会的つながりは、地域と無縁であるどころか、実は地域という空間そのものを構成するものにほかならない。
→都市空間をめぐる人々の社会関係も決して単純に地域と無関係に展開しているのではなく、必ずしも特定地域に累積しないようなかたちで都市空間と関連し、むしろそれを構成的に生み出しているとみるべき。


2. 制度、組織との接点
・「個人→集団→組織→制度」という区別は具体的な人間の身体からもはやそれには依存しない社会的な構築物への一連の展開を念頭においた社会学の古典的な概念。
個人:人と人との社会的なつながりの最小単位。
集団:複数の特定の個性ある個人が集まって持続的なつながりが生まれたもの。
組織:集団が、決められた役割を果たす個人であれば誰でも良いような形にまで形式的に整備されたもの。
制度:複数の組織からなる全体的な関連が、通常は文書によって規定されることで、恒常的に確定されるようになったもの。
→社会学はこのなかでも、集団や組織の分析を得意とするため、地域的な集団が存在しなかったり、あっても重要視されないようになると「地域」を捉えることが難しくなった。
→新たな視点として登場したのが「ネットワーク分析」の視点。
→しかし、「ネットワーク分析」は「制度」 の関わりという視点に補われて初めてその潜在能力を発揮する。(筆者の主張①)

・現実の地域に展開する社会的な関わりの世界を捉える場合に、たんなる集団レベルの分析だけでなく、それらの集団を形成する機縁となった制度や組織との関係が浮かび上がる。
→また、それらの一つひとつについて特定の地域的空間と持続的な関係を結ぶのか否か、という定着と流動という視点も組み合わせていくならば、かなりのことが見えてくるはず。

・戦後、自ら判断し責任のとれる強い個人の成熟が民主主義社会の前提として求められたが、いまや再保守化の延長線上で自己責任が強調されるというかたちでいやおうなくそのような個人への転換が前提とされている。
→しかし、そのような個人の成立がどのような社会的つながりによって支えられるのかという視点が問題視されていない。
→社会的つながりこそが、そのような自立した個人の存立を保障するものと考える。(筆者の主張②)


3. ネットワークの視点
・さまざまな空間や場所と結びついた制度や組織が存在し、それらを後ろ盾としつつも独自に展開する社会的世界が集団や個人によって構成される。
→制度や組織自体が限られた地理的空間に強く準拠していたため、特定の地域に多くの社会集団が累積して独自の社会的世界を構成していた。
→都市化により、このような集団が失われる事によって出てきた新たな分析手法が社会的ネットワークという概念やネットワーク分析。

・ネットワークという概念は個人と個人の限定的なつながりそのものを分析の単位とする。
→その時その時の人と人とのつながりの連鎖のなかで社会的世界が展開する都市的な状況には、極めて適合的な分析概念。
→集団はそのようなネットワークの連鎖を追った結果、事後的に発見できる場合があるだけのものと想定し直される。

・地域社会は個人を単位としたネットワークの連鎖の全体として描くことができ、それらのネットワークの密度が高い部分に集団が発見されるという明快な図式が成立する。
→しかし、このネットワーク分析をもってしても明らかにできないのは「地域という空間の位置づけ」 。
→これを明らかにするためには、空間や場所と結びついた制度や組織との接点(ネットワークの「文脈」/ネットワーク形成の「契機(きっかけ)」)という視点が必要不可欠。…①
→特定の個人がどのような形で地域と関連するネットワークをもつか、もたないかは、その人がどのような形で地域と結びついた組織や制度のなかに位置付けられているか決まる。
→ネットワーク分析の強みは、個人を単位とした社会的ネットワークの構成と個人が占める制度上の位置を関連させて捉えることのできる点。
→突き詰めていくと「階層」という概念に導かれる。階層的な隔たりは地域との関わりという点と有意に関連する。

・現代の社会は複数の個人からなるネットワークの総体として、少なくとも現象的には描かれるのかもしれないが、その背景にはさまざまな序列と格差をもった制度が存在し、かつまたそれが空間的な秩序を伴ういくつかの階層へと分離していることを読み込んでいく必要がある。…②

①②の2点より、ネットワークの視点を空間的に組織された制度との関連で活用していくことが求められる。
・ネットワーク分析とは本来、選択する個人の主体性を捉えることを主眼としたものであるため、このような活用の仕方に抵抗を感じることがあるかもしれない。
そのような活用の仕方ではむしろ構図的な制度によってすべてが決まってしまうというふうにしか理解できないのでは?
→社会学が問うべきは歴史的な主体性。つまり構造的な制度の在り方そのものを変更していこうとする営みであるため、自らを拘束している制度そのものを捉えなおそうとする営み。
→人と制度をつないでいく側面、人が制度に働きかける局面こそが、人間の主体的選択の場面としてより重要。


4. 人と制度をつなぐもの
・人がいかなる制度のもとでも、それらを捉え直し、組み替えて自らの選好を示すことは確かだが、それら制度の不都合を克服しようとする人は少ないのでは?
→いったんできあがった制度は維持される傾向が強い。
ex. 行政権力の優越(適切なリーダーシップが発揮されていなければ非常に問題)

・グローバルな構造変動にさらされている現代において問われるリーダーシップ。行政権力の相対化はいかにして可能か?
①議会主義の活用
②市民の直接政治参加/行政参画
ex. 情報公開、オンブズマン制度を巡る動き、NPO・NGOを巡る胎動 
→このような試みとせめぎ合いが生じる戦略的な舞台として、人々の地
域生活と地域を物理的にどうするかをめぐる制度レベルでの攻防の展開
する地方自治体がクローズアップされる。

・都市や地域をめぐる社会学的な研究は、人々の社会的ネットワークと集団形成のはざまに階層性をもって展開する政策や制度をめぐるせめぎ合いに敏感であることが求められている。


5 .論点
①どのような制度のもとに、私たちのネットワークや集団は形成されているのか。
②のどかな農村地帯が郊外住宅地として開発されました。この地域の小中学校は生徒数が減少していたので校長先生は大喜び。さて、どのような制度や組織を整備すれば、この地域をより住みやすい、にぎやかな地域にできるでしょうか。

<第1班>
論点1
ライフサイクルの流れに沿って、それぞれの段階で私たちがどのようなネットワークや集団に属し、それらがどのような制度に基づいているのかを考えた。
まず誕生とともに私たちは家族制度のもと、家族や親戚といった血縁のネットワークに組み込まれる。そして成長し小学校に通うようになると学校制度にもとづいた集団が形成される。例としては学校の同級生同士や部活動でのネットワークが挙げられる。中学校、高校でも学校制度のもとで同様のネットワークが形成され、大学に入ると大学制度のもとで新たな集団に属するようになる。そして高校あるいは大学卒業後は社会人となり、雇用制度のもとでネットワークが形成される。
上記以外に、人生のどの段階においても都道府県制、市町村制など地域の制度にもとづいたネットワークが存在し、自治会や婦人会などの集団が形成されている。この地域のネットワークは特に学校が地域と密着している小中学生で強く、少年スポーツ団などの集団がある。社会人になると地域での人との繋がりは弱くなり、学校との関係も薄まるが、結婚し子供が生まれると子供を介し、再び地域に根差した学校制度のもとでPTAなどの集団に属すようになる。
以上のようなライフサイクルから外れてしまう人々(ニートや未婚者、家族のいない高齢者など)は、制度から取り残され、他者との関係を持つことができず孤立してしまうと考えられる。

論点2
農村地帯が郊外住宅地として開発された場合、開発以前から農村地帯に居住する旧住民と開発された住宅地に新たに入居する新住民が存在すると考えられる。旧住民は旧来から存在する密なネットワークを持っているが、新住民にとってそのようなネットワークは必要性が感じられず煩わしいものに感じられる。しかし防災や防犯の面では地域での繋がりを維持することが不可欠であり、地域の住民同士で顔のわかる繋がりを持つことが「住みやすい、にぎやかな地域」であるといえる。
顔のわかるネットワークを作るためには、まずは既にネットワークを持つ旧住民と新住民との間で顔合わせを行うことが必要である。しかしこのような顔合わせは自治会などが実施しても参加率を高くすることは難しいと考えられるため、住宅地を開発した企業が地域のネットワークも売り物として組み込み、新住民の入居までに全員の顔を合わせる機会を設けるべきである。また新住民の入居後も、毎朝のラジオ体操を実施するなどして地域の交流を深めるイベントが必要である。このようなイベントは地域の制度や学校制度をもとに運営はできると考えられるが、住民の参加率を高めるためにはポイント制度が有効ではないか。ポイントを地域の朝市などの商品や農家の余った野菜と交換できるようにすれば新住民・旧住民双方にメリットがある。懸念点はこのポイント制度の財源である。国や自治体から地域に財源を回す制度が必要である。



<総合司会コメント>
人々のネットワーク、そしてそこで組織化される集団、その背景にある制度、この3つが地域でいかに展開しているかを概観した。1人の人間が年齢を重ねるに応じてネットワークは広がり、所属する集団も移り変わる。しかし、例えば正常なライフコースから外れてしまった人々、わかりやすく例を挙げれば貧困に陥った人は、制度に包摂されず、制度の中の集団からも離脱しネットワークも断ち切られる リスクが増える。地域の社会的ネットワークを保つ重要性は、それが様々な人にとってセーフティネットとして機能するということに裏打ちされるのである。
2015-05-21 21:39 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学  第3章 地域を枠づける制度と組織

第3章 地域を枠づける制度と組織

●この章の目的と扱う内容
目的:地域社会の結びつきは、地域を単位として作動する制度やシステムを介してなされており、その意思決定を不特定多数の人々が行う場として地域が位置づけられることを明らかにする。
内容:まず地域について1節で、土地・空間に関与する主体としてどのような組織・個人・集団・団体が存在するか、その関わり方はいかなるものかを概観する。2節以降は、1節で概観した主体について個別具体的に検討する。「国家と地方自治体」「学校と教育委員会」「市場と資本」「政治とマスメディア」の順に展開する。

●キーワード制度と組織、土地・空間、地方自治、地方分権、都市政策・地域政策、意思決定

1節 制度と組織
地域の物質的基盤としての土地・空間
⇒ここに関わる主体として大まかに下の5つが存在

コミュニティ論演習A/レジュメ_ページ_1

◎土地・空間との関わり方
⇒売買や貸与、それによる収益確保、住宅・オフィス商店としての利用、管理による規制、全体として秩序づけ保障する
◎「共同体の解体」と「空間の商品化」
⇒集団による管理から個人による自由な処分へ、個人が直面する空間的拘束が具体的集団から形式的な管理規則に変化し、地域が見えにくくなる
◎公的機関の支配的な影響力
⇒個人と企業は私有財産制度と市場原理が存立を保障し、その中で自由な購買・営利・居住活動ができる。そしてインフラを提供し、管理保障に特権的影響力を持つのが公的機関
◎社会的つながりの重要性
⇒社会的孤立が叫ばれる現代、管理規則とは異なる人間のつながりの維持が見直される。つながりを再生産する空間的基盤として、住居・社交場・施設が不可欠。人々と地域を結びつける絆の形成に寄与。(ex.下町の商店街、公共施設の整備・改善とそれを支える住民運動、NPO・NGO)

地域政策を民主的に進めていくために、どんな組織が必要か?

2節 国家と地方公共団体
公共機関の地域への関与の仕方
①土地・空間を私的に所有(軍用地、官邸、皇居など)
②公有地を管理(河川、林野、道路など)
③空間・土地を管理する民間企業の規制(都市計画、地域政策、インフラ)
④個人の空間・土地への関与の保障(所有権、財産権、警察権)

◎国家と地方公共団体では①~④の関与を巡って力関係による差
⇒機関委任事務 を通し、都市・地域政策が国家→都道府県→市町村と上意下達
⇒管轄する空間の広さと規模に応じて考えると、住民サービスには最小単位の自治体の施策が反映される「地方分権」へ(ex.外国人への公的サービス、公害防止条例など)

◎行政の専門性の高まり⇔市民の地方政治への関心希薄化
⇒しかし身近な問題を政治的に解決できるのは地方自治体


「地方自治は民主主義の学校」の実践へ

3節 学校と教育委員会
◎教育…地域にとって、基本的人権と民主主義にとって重要
⇒地方自治体(政治的実践の場)と教育(社会的実践の場)は重なる
⇒学校や教育委員会も地域の要望を反映させていくのが本来の形

◎しかし教育には地方より国家の意向が強く反映
⇒中央教育審議会による教育目標の設定、教科書検定など
⇒超越的権威となる国家が教え込むというイデオロギー装置に
◎教育についての地方自治
子どもをどのように育て、大人が生涯を通じてどのように学ぶか
⇒市民の教育文化活動と、対応する学校や教育行政のあり方を地域で決める
⇒地域産業の歴史的蓄積や文化状況を踏まえた教育を

◎教育委員会の委員は公選にすべき?
戦後教育改革で一度は教育委員を住民の直接選挙で選出した(教育委員会法)
⇒しかし実情に合わないと、首長が議会の同意を得て任命する形に(教育行政法)
⇒一般行政とは独立の行政機関 ゆえ、余計に旧文部省の中央統制が強化された

◎地域主導という戦後教育改革の理念は、住民主導の教育文化活動に受け継がれる
⇒つまり、学校教育よりも社会教育の場面で住民自治の教育がなされてきた


地域において住民による教育文化活動がどのように堆積してきたか

4節 市場と資本
◎企業と市場経済…行政よりも地域に影響力を与える
⇒企業城下町では、当該企業が固定資産税と事業税による地方税の源に、関係者が地方議会に送り込まれ市政に影響力を持つ
⇒工業地域、商業地域、業務中心地など、地域の景観や空間的特徴も作り上げる

◎事業活動の内容や資本の性格によって地域との関わり方は異なる
⇒企業規模が大きくなれば、経営者や従業員は地域社会には無頓着に
⇒全国規模・国際規模の企業が、立地周辺の住民生活に悪影響を及ぼすことも

◎製造業と地域の労働力との関わり
製造業に必要なもの:個々の技術力と、他と円滑に協働する団体的訓練を積んだ労働力
⇒基礎的な適応力(学力)と協調性を持つ…学校教育で求められる能力と対応
⇒製造業は労働力の再生産に強く関心を示す資本、そのため地域の教育や文化との結びつきが強い(but.国内の労働力移動は容易だったため、国家の教育と結びついてきた)


◎金融資本と建設資本
事業にあたって、建設と破壊を必要とする
金融:利得を回収するため投資先をフレキシブルに変更、地域がその投資先となるため産業のスクラップ・アンド・ビルトが起きる
⇒地域住民の雇用も柔軟化する
建設:土建国家で営まれてきた数々の公共事業(大規模都市・地域開発、インフラ開発)で地方の雇用を確保、地域の建造環境、自然環境、景観や文化的アイデンティティを変えていく
⇒地方分権の推進で、公共事業の見直しをどれだけ図れるか

◎グローバル資本の地域への影響
ローカル資本の町工場や商業…町内会を通じて地域社会のパートナーに
グローバル資本の企業城下町…グローバル経済の変動により打撃を受けることも
(ex.釜石、豊田など)

◎資本と地域の関係について、地方自治体が果たすべき独自の役割
⇒地域社会に根差した産業を維持し、教育政策もその労働力の再生産に寄与
⇒安定した雇用と慣れ親しんだ景観を保って、愛着のある場所での定住を実現


地方分権で自治体の経済政策を模索

5節 政治とマスメディア
◎地方議会・政治とマスメディアの関わり
マスメディアが形成する世論や言論が、議会を通して威力を発揮する(政策や条例の制定支持)
また統一地方選の動向や結果にはマスメディアの力が大きく絡む(争点の設定など)
⇒マスメディアと地域政治との関わりを検討する必要

◎メディアの性質上の問題
日本のメディアは東京一極集中
⇒地域政治の問題はナショナルなレベルでしか報道されない
⇒身近な自治体政治への住民の関心が薄い要因に


地域政治と住民自治の活性化のため、ローカルメディアの発達を
論点1
地域の①自治体、②教育機関、③企業 ④住民組織が私たちの生活に及ぼす影響はどんなものなのか、メリット・デメリットの両面から議論する。
論点2
②上記の組織のあるべき姿について本章では各項ごとに記述されているが、あるべき姿は実現可能なものなのか、住民に及ぼす影響と組織の性質上の限界に着目して批判的に考察する。(①~④いずれかにしぼっても構いませんし、①~④のうち本章において相互関係的にあるべき姿が述べられているものがあれば、相互に検討してもいいです)

【論点1】
① 自治体
メリット:治安維持・公衆衛生・補助金
デメリット:税金を払う必要性・規制をうける

② 教育機関
メリット:子供の見守り・教育の場
デメリット:地元との摩擦(うるさいなど)

③ 企業
メリット:雇用の場・地域活性化の担い手
デメリット:公害問題を引き起こす・不況の原因にもなる

④ 住民組織
メリット:防災への取り組み・ごみの清掃・地域のつながり
デメリット:地域に無関心な住民が参加しない・問題解決能力に欠ける

⑤ まとめ
メリットとしては、なにかが発生したときに助けてくれる存在であり、サービスの提供主であること。一方デメリットとしては、労働力や家族にかける時間などを個人は提供する(=奪われる)立場になることが挙げられる。

【論点2】
「地方自治は民主主義の学校」という視点から議論を行った。そのために必要とされているのはやはり、課題を住民自ら解決できるという実感の創出だ。地域への関心を住民が持つには、居住地や勤務地の一致や郷土教育の推進など子供のころからのアプローチが必要だ。しかし、課題として都市部への人口一極集中による、地方の人材難、仕事に手いっぱいという現代のライフスタイルなどにより、真の住民自治・地方自治の実現は難しい状況になっている。そのため、自らが当事者になった時に初めて地域の問題点に気づくということが一般的になってしまっている。(例:子育て)

<総合司会コメント>
論点①にかかわって
 地域の「自治体」、「教育機関」、「企業」、「住民組織」が私たちの生活に及ぼす影響はどんなものなのかを議論していくとき、メリットについては上記四つの枠組みや組織のいずれにおいても、いくつものメリットを拾い出すことができた。その反対に、デメリットについては、ほとんど拾い出すことができなかった。そのわけとして次のような点が考えられる。
その一、それは、議論した私たちが上記四つの地域社会の枠組みや組織の現状を、所与のもの、あるいは私たちが支配的な力により枠組みされている現状をありのままに受け止めていることの表れであるかもしれない。
その二、テキストで使われている「国家と地方自治体」を、論点では「自治体」と置き換えたが、地域に生きる住民にとって身近な「自治体」に対してデメリットのイメージは起こりにくいものだったのではないか。
その三、同じくテキストで使われている「学校と教育委員会」を「教育機関」、また「市場と資本」を「企業」と置き換えたが、そのことにより、テキストの中で意図されているそれぞれの枠組みや組織の社会に対する影響力、規制力を積極的に拾い出す議論につながりにくかったのかもしれない。

論点②にかかわって     
上記四つの地域社会の枠組みや組織の現状を、あるべき姿にするための課題や方策を、グループ論議で数多く上げることができた。それら一つ一つが重要な点を指摘しているが、章末の「セミナー」にあるように、「自分が特別な感情を抱く土地・空間に関係するルールについてどれだけの影響力を行使することができるか」について考えてみる必要がある。なぜなら、若者が政治に関心を持たなくなったことや、地域行事に参加しなくなったことを私たち自身がどのように自分自身の問題としてとらえるかは、「地域社会のつながり」や「地域社会の枠組み」をどうとらえるかに直接かかわる問題であると考えるからである。

2015-05-17 16:13 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第2章 分散と新しい形の集中

第2章 分散と新しい形の集中

1.グローバル化と資本の再編
グローバル化にとって重要な地域、産業、そして制度的な取り決めを明らかにし、それらが従前のものとどう異なるか考える必要がある。それには、「資本の移動」とはなにか知らねばならない。→資本移動の表れだとされている経済活動の地理的な分散だけではなく、①集中、②大量の資本の国際移動を通じて剰余価値を生み出しているものが再編されていること、③所有について分析しなければならない。
所有の多国籍化を進めているのはおもに、かつての産業の中心地からの資本流出、新興工業国への資本流出。これまでの研究では、資本の移動と「場所」の関わりは、場所を問わず移動できる資本の性質をもとに論じられることが多かった。ex.先進国から発展途上国への製造業の移転
しかし資本の移動は、移動しやすさだけではなく、技術的な条件も必要とする。→資本を移動させる技術であったり、世界中に分散した生産システムを支配し続ける力
資本の可動性が高まると、生産が行われる地域や金融市場のネットワークに変化が起こるだけでなく、経営管理や支配、生産・金融の新しい組織へのサービス提供を確かなものにしておくための生産への需要も生まれる。こうしたさまざまな生産がじっさいにどこで行われるかは、生み出すものの種類によって異なっている。⇔いずれもかなり集積する傾向にある。
資本の可動性が高まって影響を受けるのは生産だけではなく、雇用関係も再編される。→産業の空洞化の原因であり、結果でもある労働市場のダイナミクスや、輸出加工区に設けられた低賃金労働者を雇える飛び地という点から注目されてきたが、資本の可動性という視点で雇用関係を分析したものはない。

2.資本の可動性と集塊(アグロメレーション)
大企業が生産をグローバルな規模で行うには、ある種の経済的な国際体制が必要である。一般に、トランスナショナルな経済活動という新しいロジックは、多国籍企業という形をとって1970年代に姿を現し始めたといわれている。1970年代以降、製造・サービス・金融で資本がどういった形で動いたのか分析すれば、世界経済の編制のされ方と、その具体的な特徴が明らかになる。
製造が行われる場が地理的に広がりはじめたことは、1980年代を際立たせる特徴の1つである。資本移動という問題が前面に出てきたのも、この時代に地理的分散が起きたからであった。この年代から、海外で生産あるいは組み立てられたパーツが、総仕上げのために再輸入されることが増えた。→生産プロセスの国際化 工場が位置する国ではなく、資本を提供する国向けの生産が目的の場合には、対外直接投資は輸出向けの生産にたいして行われることになる。これは生産のネットワークが、先進工業国の企業によってグローバルに作られていることを意味している。
製造業の地理的な分散には、技術的な要因だけではなく、社会的な背景もある。技術面だけでなく社会的にさまざまな変化がおきたことで、分散が進んだということである。低賃金労働を最大限に活用し、資本家に対する労働者の力を補強するようなメカニズムが働くのを最小限にくい止められる関係が理想的である。「分散」にはこのような意味も含まれる。
資本移動を語るうえでポイントとなるのは、対外直接投資や吸収合併、ジョイント・ベンチャーを通じて、巨大企業による所有と支配が多国籍化してきていることである。
日本の今後の展開を読むには、日本の経済構造を考慮に入れた分析が求められる。→具体的には、日本で経済再編が進むなかで、①さまざまな製品の生産拠点は海外へ移り(衣料品や自動車部品など)、②重化学工業からハイテク・知識集約型産業への転換が起き、そして③日系の海外金融機関が設立されてきた。海外の日系メーカーで働く従業員が急増したことは、それだけ日本企業の国際化が進み、海外生産も増えたことを意味している。
企業の展開をコントロールしている組織の形はいくつかあるが、そのうちの1つは、世界中に散らばる海外関連企業のグローバルなネットワークである。
経済活動の地理的な分散は、生産だけではなくオフィス業務の組織編制にもみられる。オフィス業務の分散傾向がもっとも著しいのはアメリカで、イギリスでもだんだん表面化しつつある。ex.海外オフィスへの日常業務の移転
経済活動の分散が進んでいるもう1つの分野はサービスであり、専門的な起業者サービスが国境を越えて提供されるうえでは、多国籍企業が重要な役割を担っている。→多国籍企業は企業者サービスを供給する側と必要とする側のあいだに立ち、両者を満足させることができるから
経済活動の地理的分散が進んでいる3つめの分野は、小売業である。→具体的には、経済活動の集積が進むなか、大企業が消費者サービスの販売に乗り出したことで、分散が促されている。大企業が入ってくるということは、消費者サービスの供給に規模の経済が発生し、その分野の市場が広がるかも知れない
経済活動の地理的な分散は、「成長の極」である成長拠点が置かれる場が変わったことを意味している。→成長する場が散らばってきている。⇔経済大国では、資本の余剰が生じるのは、所有や支配の多くを1カ所に集積させている経済セクターである。
大企業は規模の大きさを活かし、取引や流通にかかるコストを内部化できたので、資本の流通を邪魔するものは減り、利潤率を均等化することができる資本の能力は高まった。
分散した経済活動を支配するためには、計画立案やトップレベルでの経営管理、専門特化した企業者サービスなどを投入するシステムがなくてはならない。
1970年代には、世界中で新しい地域市場が開拓されたり、母国での規制を逃れて海外で金融取引が行われるなど、金融業で分散の傾向が現れた。製造やサービスとおなじく、金融業でも経済活動の範囲が飛躍的に広がり、第三世界も巻き込まれた。
1980年代に、債務問題が登場して、おもな金融センターへの志向性や集積がふたたびみられるようになった。→現在重要なのは、金融商品の売買を繰り返すことで、金融資本の流通を最大化すること

3.資本の移動と労働市場の形成
資本の可動性が高まると、労働市場の形成やグローバルな労働力の規制ははっきりと影響される。
経済活動の地理的な分散が進むなかで、生産が空間的・社会的にどう編制されているかも変わってきた。→「周辺」の労働市場が利用可能に
「周辺」では、労働が生産の段階に応じてこまかく差異化されたままである。→供給される労働力が今後も構造的に差異化されつづけていく
分散とは結びつかないのは、その地点で完結するサービス職
移民労働者の雇用は資本の可動性の替わりとして機能しているのではなく、むしろ資本の移動に伴って生じたもの→資本が国境を越えて移動することで労働市場は国際化するから←技術さえあれば誰でも採用される、労働者の移動にも影響
資本の移動から生じる労働者の移動には、非熟練労働者と専門職労働者の場合を別パターンで表している。

まとめ
資本移動とは、たんに場所を選ばず移動できること「資本の移動=地理的な移動」だけではない
①資本の可動性が高くなると、経済活動が地理的に分散するだけでなく、集積が新しい形で起こる。
②資本の移動は経済活動の地理的な分散をもたらすだけでなく、地域を形づくっているさまざまな関係をも変える。
今日の大都市の成長を理解するうえで、経済活動の地理的な分散と集積が同時に起きていることは、見逃してはならない。
こうした状況で分散が進んでいくなかで、「センター」が管理や支配を引きつづき行うには、新しい条件が必要とされる→実証研究

<論点>
論点①言葉さえ通じればどの国でも働けるグローバル化した市場において、専門職労働者と非熟練労働者の移動方法はパターンが異なると書いてあったが、彼らをそれぞれ移動させる動機は何か。Ex.待遇の良さ、充実した雇用
論点②経済活動の地理的な分散と集積の因果関係は、人々の日常生活にどのような影響を与えるのか。

<第1班>
論点①については、専門職労働者と非熟練労働者の2つのグループに分け、移動の動機の違いについて、社会的要因と個人的要因に分けて議論した。専門職労働者の移動の動機の社会的要因には、治安・待遇の良さ・労働環境・教育環境の良さといった「都市に関する魅力」のプラス要因、会社の方針・グローバル教育による洗脳といったマイナス要因が挙げられた。個人的要因には、地位・名誉・高い目的意識・やりがい・自己実現といった前向きなものが挙げられた。一方で、非熟練労働者の移動の社会的要因には、個人的要因には同郷者の存在・自分の生活のためといった後ろ向きなものが挙げられた。尚、非熟練労働者の移動の要因として、高賃金・作業の効率の良さが挙げられたが、これは生活に追われていると想定される非熟練労働者の最低限の要求とみなし、社会的要因にも個人的要因にも属さない要因とした。専門職労働者と非熟練労働者の移動の要因の最大の違いは、「最低限の生活が保障されており、高次元の自己欲求を満たしたい」か「生活に追われており、自己実現などを考える余裕もないかどうか」であると結論付けた。

 論点②においては、移動に伴う変化として、慣れるものと慣れないものに分けた。(仮に時間がかかろうと)慣れるものとして、慣習・言語・マナーをはじめとする文化の違いを挙げ、慣れないものとしては物価・選挙権がないこと・社会保障の薄さといった社会的権利を挙げた。慣れるかどうか個人差によるもの(考え方・人間関係・ストレス)はどちらにも属さないものとした。そして、それらの変化に対する反応として、専門職労働者は「慣れたらよい」あるいは「必ず帰れるのだから耐える」という肯定的な反応を示す一方で、非熟練労働者は「慣れるしかない」という消極的な反応を示すと報告した。この反応の違いの背景には、移動した経緯が生活に追われているかどうかによって異なる、故郷との距離感が存在すると結論付けた。

<第2班>
【論点1】
経営コンサルタントに代表される専門職労働者と、接客業などに従事する非熟練労働者における市場のグローバルな移動の要因として考えられるものを以下の3点を軸に分類した。①専門職労働者特有の要因、②非熟練労働者特有の要因、③両者に共通してみられる要因、である。労働者の移動を促す要因は、その職種を問わず共通であるものが多いと考えられ、3つ目の軸に該当するものが多かった。
また、3つの軸それぞれに見られる要因は「金銭」「職場」「社会環境」「自己実現」という4分類にグループ化できた。「社会環境」グループの要因は、両者に共通して言えることが多かった。非熟練労働者特有の要因として挙げられたものは、「職場」「社会環境」グループの中でも雇用機会に関するものが目立ったが、「自己実現」グループの要因は挙げられなかった。反対に、専門職労働者特有の要因として挙げられたものには、「自己の能力を発揮したい」「自己価値の向上」といった「自己実現」グループの要因が特徴的であった。

【論点2】
 労働者の移動に伴って日常生活で変化するものについて議論した。移動に伴い変化するものは、「今後も変化していくもの」と「今後変化しないもの」の2つに大別できた。
 「今後も変化するもの」としては、個人の能力・賃金・生活様式、家族との関係が挙げられた。唯一悪い変化だとみなされたものは、家族との関係のうち「親孝行ができない」という点であった。
 「今後変化しないもの」としては、新しい国の中での競争、他言語での生活、新規コミュニティでの生活が挙がった。これらは良い変化だと判断されたが、故郷を懐かしむ気持ちはネガティブな側面を持つとの意見も上がった。
 また、家族を除いたコミュニティの変化は、本人の努力次第で今後も変化する可能性を秘めている。これは一概に善悪の判断はできない。
 
<総合司会コメント>
今回の議論で一番難しいなと感じたのは、専門職労働者と非熟練労働者という聞きなれない言葉について、班員全員が同じイメージを共有することである。議論をするうえで、まず前提をおさえるのは当然かと思われるが、とくに非熟練労働者という言葉については、なかなかうまくいかなかったように思う。というのも、私たちが大学まで進学し、比較的専門職労働者になる可能性が高いライフ・コースを歩んでおり、本章で言われるような非熟練労働者との接触の機会をあまり持たないからではないか。それによるイメージの欠如が議論に反映されてしまったように思える。貧困やそれに関連するものごとについて議論するときにはいつも思うのだが、どうしても議論が机上の空論状態になる気がする。そしてそのたびに、自分とは違う境遇の他者についての理解がどれほど疎かになっているのかを思い知らされている。
2015-05-12 20:46 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第2章 地域社会とは何だろう

第2章 地域社会とは何だろう

1.日本の社会学と「地域社会」概念
《自然村概念とその影響》 - 鈴木栄太郎『日本農村社会学』(1940年)
 第一社会地区=最小単位である小字や組
 第二社会地区=第一社会地区の集団累積体である大字や部落
  ○この地域空間に、社会集団、個人間の社会関係、関心共同の地域的累積が特に濃密である。自然村概念の特徴一、「社会関係の地域的累積」
  ○江戸時代の幕藩期には行政村であったが、明治期に実施された市町村制以降には、かつての行政村としての境界が、自然なムラの境界に転じ、旧村の空間が基礎的地域社会の単位として機能していることを示し、これを自然村=ムラと名づけた。
自然村概念の特徴二、「行政村からの転化」
第三社会地区=行政的町村

しかし、「自然村概念」の影響を受けた後の社会学者の注目は、
・自然村内部での社会関係と集団の累積、それを支える住民の共同の社会意識の存在に向けられ、
 ・都市社会においても自然村に類似した基礎的地域社会を見出し、これを実証研究の対象にしなければならないという暗黙の背後仮説をつくりだし、
 ・都市の地域社会にあっても、次の二つの基準が強調されることとなった。
第一に、人々の社会関係の累積が見いだされ、自然な境界が実証的に確認されること
第二に、空間内部において人びとの共同の社会意識が存在すること

《パークの自然地区概念の輸入と適用》
「自然村概念」の影響を受けた社会学者は、上記の二つの基準で都市社会をとらえようとし、都市の中に伝統的共同体や共同体としての基本の枠組みをとらえようとした。しかし、都市化の進展とともに、彼らの地域社会概念と現実の地域社会との乖離の幅は、ますます大きなものとなっていった。そこで、海外の著名な諸家の説を導入しながら、それらを「自然村概念」存続の糧として利用した。
パークの自然地区概念
歴史的伝統のまったくない新興都市への人口移動の過程で、人々が居住地争いを行い、文字どおりに自然な過程の所産としての棲み分けられた居住地を意味する概念である。
封建領主による町割も、近代都市行政による都市計画もないなかで棲み分けが実現していくことを指す。
社会学者による歪曲
 地域社会における関係の累積と、地域社会の境界が自然な過程で出現してきたはずであるという仮説的前提に支えられ、パークの「自然」の意味内容を曲げて「自然村概念」と結びつけた。
《マッキーバーとヒラリーの業績の転用》
☆マッキーバーのコミュニティ概念
  コミュニティを共同生活の営まれる地域空間と規定している。
  その地域空間は、小さな地域社会から都市や国家を含む多層かつ多様な空間として描いている。つまり、狭い地域空間に限定していたわけではない。
  また、コミュニティの共同性についても、大都市社会全体の共同性をも含むような、柔軟なとらえ方をしていた。
★日本の社会学による転用
  既成概念の仮説的前提に引きずられ、コミュニティ規定に関わる箇所のみを取り出し、狭く固く限定するとともに、共同性を理解し、仮説的前提を補強する材料とした。
☆ヒラリーのコミュニティ概念
  研究者諸家による94のコミュニティの定義を比較検討し、三つの共通する指標にまとめた。1つは、コミュニティ構成員間の相互作用、2つは、コミュニティごとの空間境界、3つは、心理的絆を支える共属感情や共通規範である。
★日本の社会学者の受け止め
  社会関係の一定の地域空間内における集積とそれを支える共通規範の存在を地域社会概念の必須要件と見る日本の社会学者にとっては、自らの正しさを保障する格好の研究成果と受け止められた。

《現状分析概念と期待概念の並立 : もう1つの混乱》
1969年に国民生活審議会コミュニティ小委員会の報告書において、「コミュニティ」とは、大都市における未来の望ましい地域社会のあり方を意味する用語として採用された。
しかし、「コミュニティ」は、現状の地域社会と同じ意味に用いられ続けた。社会学者でさえ、「コミュニティ」(=期待概念)と「地域社会」(=(現状分析概念))を同義にとらえつづけ、両概念の違いを明確にしてこなかったことが、混乱の原因となった。


2.地域社会の空間範域
《コミュニティと地域社会》
  「コミュニティ」とは、現状の地域社会の先にある「望ましい地域社会」をさし、目標としての地域社会、未来の地域社会を論ずるために必要とされる期待概念である。
  「地域社会」とは、過去から現在に至る地域社会の状態の推移および現在の地域社会の状態を実証的に捉えるために必要とされる分析概念である。
 上記の両概念は、別個に定立されるが、同時に深く関係し合う。
《旧来の背後仮説》
 既成の地域社会概念が地域社会の現実との乖離を広げ、また概念の理解をめぐる混乱を深めていったのは、社会学者の多くがこの概念(既成の地域社会概念)の背後仮説にさまざまな思いを託したからでもある。それは、
 ・自然村に類似する地域社会を都市の中にも見出したいという願望、
 ・社会関係の累積の自然発生とそれによる地域空間の境界の自然な設定への期待、
・地域社会は、住民の自発的に形成するつながりを基盤として構成されるものでなければならないという信念、
・住民の共属感情や共同規範の存在を地域社会概念の要件に含める先行研究の成果を重視し、これを踏襲することへのこだわり等々である。
これらの背後仮説は、都市化の急速な進展を見るまでは、ある種の有用性を保有していた。しかし、高度成長期に、日本の各地の都市で、とりわけ大都市の内部でその照応関係の多くは失われていった。現在では、背後仮説自体、全く不適合なものになってしまっている。
《新しい概念定立へ向けて》
いま必要なことは、背後仮説とそれに支えられてきた既成の地域社会概念を根底的に見直すことである。
具体的には、既成の地域社会概念によるこだわりをいったん放棄することが必要である。
さらに、既成の概念がこれまで軽視してきた視点や知見を逆に重視し、これらを読み直す作業を進め、新しい地域社会概念定立のために活用することである。
《2つのタイプの共同性》
鈴木栄太郎もパークも、共同性を、前社会状態における共同性と社会(ソサエティ)状態における共同性の2つのタイプに分けて考えていた。前者を前社会的共同性、後者を社会的共同性と呼ぶならば、既成の地域社会概念がこだわった共同性は、明らかに、後者の社会的共同性であった。
 前社会的共同性=居住自体が他の居住者との意図せざる共同(パーク)、見えない秩序(鈴木栄太郎)を前提としていること、そのような意味における共同性。
パークはこのレベルの共同的関係にある地域空間を社会(ソサエティ)成立以前の共同状態として、「コミュニティ」と呼ぶ。鈴木栄太郎の「前社会的統一」とほぼ同義と見なしてよい。
 社会的共同性=居住者同士の相互作用の展開に基づいて、一定空間における共同生活の約束事やルール、共通の社会規範が形成されていくような、一般的によくいわれるような共同性。
《地域空間の限定》
都市的生活様式、つまり専門処理システムへの依存が深まり広がるとともに、住民の共同による問題処理の領域が大幅に縮小したために、現代都市の居住者の生活世界は一定の地域空間をはるかに超えて成立している。また居住者の意図に基づく共同の活動を具体的に見出すことも困難になっている。
しかし、地域社会概念が、地域と呼びうる一定の空間を対象とする以上、新しく定立される地域社会概念といえども、地域空間の画定という要件は欠かすことができない。
新しい地域社会概念の定立にとって、行政的範域と重要な機関の利用圏を重視した新しい地域空間の画定が必要である。

3.新しい地域社会概念
《地域社会概念の新たな規定》
新たな「地域社会概念」定立の軸として求められる三つの基準
第一に、新しい「共」の空間を創出するために、住民自治の回復と拡大を実現するような社会空間であること。
第二に、地域の「専門処理システム」という資源の利用による共同の問題の処理という側面に、地域社会の広い意味における共同性を措定すること。
第三に、社会関係の累積や共同規範といった基準にこだわらず、現状分析に有効な一般概念として定立させること。
以上を踏まえて、「新しい地域社会概念」は、広義には、居住地を中心に拡がる一定範域の空間-社会システムを意味し、具体的には基礎自治体の範域を最大の空間範域とし、その空間の内に居住することを契機に発生する種々の共同問題を処理するシステムを主要な構成要素として成立する社会である、といえる。
《地域社会の重層的構成 : 地域空間の画定》
地域社会の問題処理システムは、空間的範域に対応して重層的構造を持っている。したがって、空間的範域もこれに応じた区分が求められる。
  すなわち、地域社会は、いっそう具体的に、基礎自治体等の行政範域、小・中学校の通学圏、地域住民組織の範囲によってそれぞれに重層的空間構成をとり、それぞれの地域空間に相応する共同問題の処理システムが成立し、これを媒介とする住民の共同が成立している社会として規定し直されることになろう。
《地域空間別問題処理システム : 地域社会における共同性》
  地域社会は、重層化された地域空間の範域に対応する問題処理システムを成立させている。重層化された地域空間と処理システムごとに、人々のつながりのありようを含め、社会的諸関係は変化する。したがって、空間範域に応じて、地域社会の現状分析のターゲットは、少しずつ異なる。
地域社会概念は、地域空間と地域社会のこのような重層的構成に対応して、それぞれの地域空間・社会に成立する問題処理システムの現状を分析しうる概念として整備されていかねばならない。それはこの概念が、処理システムの現状における問題点を発見し、システム内部への住民の関与の拠点を検索することにおいて有効な分析的概念であり続けるために必要な課題である。

<論点>
論点① 

地域社会問題の典型は、大都市の郊外社会に多くみられる。郊外社会は、もともとは伝統的な農村であった場合が多いのだが、大量の人口移動を受け入れた結果、どのような変化や問題が見られるようになったか、新住民と旧住民の両方の立場で議論してみよう。

論点② 
P37中ほどに、筆者は、『地域社会の概念は、地域社会に成立し、維持されている処理システムの現状の問題点を、鋭く摘出することを通して、住民自治を拡大するための拠点を明らかにするものとして、ここに新しく定立されたといえよう。』と述べている。『地域社会に成立し、維持されている処理システムの現状の問題点』があるからこそ、地域の再生・活性化が強く求められるようになったと言えるだろう。問題点としてどのようなことを指摘できるだろうか、議論してみよう。

<第1班>
論点①本章の言葉を借りれば「自然村」の農村には、旧住民と呼ばれる人々が住んでいる。しかし、近郊都市の開発により、新住民がその農村に移住をしてくる。もちろん、異質な他者に対して、旧住民はあまり良いイメージを持たないだろう。そしてそれは新住民にも伝わってしまう。その結果として、生まれてくる問題点、つまり負の変化は、旧住民と新住民のつながりの希薄化である。しかし、この新住民の移住は農村にとってデメリットばかりではない。新住民は旧住民に比べて若いと考えられるため、子どもや若者が増え、そのための施設も新設される。そしてまた、新しい視点を取り入れることも可能である。これらによって、その地域は若くなる。これは正の変化と言えるのではないか。

論点②現在維持されているシステムとして「ごみ捨て」を例に議論した。この「ごみ捨て」は地域の暗黙の了解や慣習と言ったものに支えられていると考えられる。しかし、新住民が移住してくることによってその暗黙の了解や慣習にはじめて疑問が投げかけられ、地域の問題として認識される。このことによって、旧住民は今までのシステムを変えたくないのに対し、新住民は変えたいという、システムに求めるものの違いが見えてくるはずである。にも関わらず、現在はそういった問題に対する共通の意志決定の場が存在しない。これこそが問題である。
しかし、本当にそのような場は存在しないのだろうか。自治体や町内会といった地域の組織は本来そういった役割を担うべきである。なぜ機能していないのか、それは、地域の組織が、リーダー格の人の意見に従うだけ、言いだしっぺがやるという風潮といったような中身のない場になりさがっいるからだと考えた。本当の問題はこちらだったのである。これを改善するためには、第三者の存在が必要である。それは、仲介役が入ることによって、地域の組織の中に存在するカーストのようなものを越えて、より意見が反映されやすい場にできると考えるからである。最近では、行政以外にも、まちづくりコンサルタントというような民間業者が存在する。地域の組織と長いつきあいをする反面、そういった第三者が地域の組織運営を円滑にし、自立させ、適当なところで身を引くことで、問題解決の道は開けるのではないか。

<第2班>
論点①
 私たちのグループは、新住民と旧住民の考えや意見の対立が、大量の人口移動を受け入れることによって、どのような対立が見られるか、を検討した。
その結果、農村地域に暮らしてきた旧住民と、サラリーマン世帯の多い新住民とでは、資源の利用に関わる意識の違いがあることや、伝統を重んじる意識の違いや、環境の変化のとらえ方の違いが見られことに着目することができた。
しかし、それらの「違い」は、人口移動がはじまったときに発生するものと、時間が経過していくと現れてくるものがあることに気付いた。そこで、新住民と旧住民の対立が、時間の経過とともにどのように変化していくのかによって整理し直してみた。
 時間の経過していくことによって、最終的には、高齢化、自然環境の現象、独居老人の増加、空き家の増加という、現代における都市郊外社会の問題点に行きつくことが確認できた。
 しかし、議論に関する重要なキーワードである、「二つのタイプの共同性」や「地域社会の重層的構成」などについての検討を進めなかったために、郊外社会の中で、それらが具体的にどのようなことを指すのかについて深めた議論にならなかったと言える。

論点②
 この論点に関しては、まずはじめに、地域社会の住民の暮らしや意識の中に、どのような問題点・変化があるのかを挙げてみた。そして、それらの意識の中の問題点が、「住民の暮らし」「自治組織」「子育て」などにどのように影響しているのかを検討した。そうすることによって、地域の再生・活性化が強く求められるようになった地域社会の現状を、とらえやすいのではないかと考えたからである。
 現状を分析してみて、地域の自治組織の重要性は理解するものの、役職に対しての「負担感」や「なり手の減少」「選出方法の形骸化」がなぜ起こってくるのか、という点を掘り下げた議論にはならなかった。しかし、そのような点、つまり、住民の共属感情や共同規範の存在を前提とした地域社会を前提とし、それらが希薄化していることを問題とすることは、筆者のいう「既成の地域社会概念」で地域社会の現実をとらえることに他ならないのかもしれない。
 今回の議論においては、「自治組織」や「PTA」などの問題処理システムがかかえる課題にテーマを絞って、議論を進める必要があったようだ。

<総合司会コメント>
新住民と旧住民との間にある壁をどのようにすれば取り払うことが出来るだろうか。現状では自治会の形骸化によって、住民共通の意思決定の場がないことが問題となっている。新住民にとっても旧住民にとっても話し合いの場がないと、結局気に入って住むことにしたであろうその地域の住みやすさが低下してしまう。そこで解決案として、コンサルの導入、自治会強制参加案などが出された。自治会強制参加案などは一見実現可能性が低いように思えるが、ゼミは議論の場。「大胆な意見を掘り下げていくことによって、出来ることが分かってくる」という先生のコメントをお聞きしてはっと気付かされた。今後のゼミでもこうした大胆な意見や構想をお互い交わすことでより一層ゼミの面白さが増し、盛り上がるのではないだろうか。
2015-05-12 20:39 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

グローバル・シティ 第1章 本書について

第1章 本書について

1.本書の主題
・主題:都市と経済の関係性
「都市は経済によって形作られてきたといえる。」

・1960年代、経済活動が新しくなるとともに、特定の場所で世界経済の構造の変化。具体的には以下の3点。
①かつて有力産業の中心地だった都市の解体。
②第三世界のいくつかの国で産業化が急速に進んだ。
③金融業の急激な国際化を経て、世界中で取引できるネットワークの形成。
→都市と国際経済の関係が変化。

2.国際経済の変遷とグローバル・シティの登場
・W.W.Ⅱ以降
アメリカが牛耳る世界経済とブレトン・ウッズ体制(1944)によるグローバル貿易のルールが国際レジームを支える。
・1970年代初頭~
上記形態が崩壊、そこにアメリカの巨大な多国籍企業と多国籍銀行が参入。
→国際経済秩序の管理機能が企業の本社から流出。
・1980年代初頭~
アメリカの多国籍企業は第三世界の累積債務危機という問題にぶつかる。
アメリカ企業の対外国企業の市場占有率低下。
→グローバル経済を支える地理的条件や、グローバル経済の構成のされ方が変化する中で複雑な二重性 が生まれたが、これのおかげで国際経済は完全崩壊を免れる。
→大都市は新しい戦略的な役割を担うようになった(本書の出発点)。

・大都市は1980年代初頭まで、国際貿易・銀行業の中心であったが、この役割に加え、以下の機能も担うようになった。
①指令塔が密集する場。
②金融セクターと専門サービス・セクターにとって重要な場所。
③金融や専門サービスという主導産業における生産の場。
④③でできたものの売買の場(市場)。
→膨大な資源を支配する力が都市に集積されるなかで、金融や専門サービス・セクターは都市の社会的・経済的秩序を作りかえる。
→これが国際経済と都市の在り方に大きな影響を与えることになり、新しい都市(グローバル・シティ )が誕生。
→また、先述した都市の新たな4つの機能ができたのと同じ頃に、ニューヨーク・ロンドン・東京では、経済基盤・都市空間の構成のされ方、社会構造が大きく変化。
→歴史、文化、政治、経済すべてが異なる場所で同じ時期に同じことが起こるのは一般的にはありえない。…(1)

・グローバル・シティは、空間、都市内部のダイナミクス、社会構造というそれぞれ大きな意味をもつ要素が組み合わさって構成されている独特な場所である。

・世界経済の重要な骨組みがつくられるのは決まってグローバル・シティをはじめとする都市。
→その必然性を分析すれば、(1)が起こった背景や秩序が見えてくるのではないか?

3.本書のテーマ
・本書のテーマは以下の4つである。
①二重性
②二重性に基づく経済成長がグローバル・シティ内部の経済秩序にどう影響するか。
③経済の展開が各国の都市システムとグローバル・シティの国民国家への関わり方に同影響するか。
④新しい成長の形や条件がグローバル・シティの社会秩序に及ぼす影響。

4.本書への導入
・生産者サービスと金融の成長は、経済的な二極化の要因のひとつとなった。
→なぜこのふたつのセクターは急成長し、グローバル・シティに集積したのか?…(2)
→本書への導入として、この問いに対して説明する。

・1970年代以降、生産者サービスと金融が急速に成長、グローバル・シティに集積。
→1980年代に起きた成長は、製造業からサービス業への移行という経済の大きな流れに乗っただけであり、集積した原因は、サービス・セクターでは直接顔をあわせるコミュニケーションが必要だったから。
→しかし、これは間違ってはいないが、あたってもいない(サッセン 2008)。

・(2)を考える上で、「近代的な技術が登場しても、19世紀から行なわれていたような労働はなくなっていないこと」は踏まえておかねばならない。
→これを踏まえて考えると、(2)の背景にあるものが「グローバルな組み立てライン」だということに気付く。
→プランニング、内部管理、製品の開発・研究の重要性が増し、複雑になっている。経営陣トップに高度に専門特化したスキルが求められる。
→「生産者サービスに対する企業の依存が高まり、これがさらに、生産者サービスを売る企業間でハイレベルな専門知識を育み、発展させている」(Stanback and Novelle 1982: 15)

・高度な専門サービスへの需要が高まる背景には、経済活動の地理的分散や生産者サービスだけでなく、国際的な銀行の成長と、最近多様化してきた金融業も要因としてある。
→ここ10年で金融業が多様化・国際化した結果、グローバルに展開する金融を「管理」する機能がごく限られた大都市に集積、金融イノベーションも少数の大都市でのみ生み出されるようになった。

・グローバルなネットワークを管理し支配するためには専門サービスが必要である。
→多様な専門サービスへの需要がつくられ、高まった。

・企業を顧客とする高度専門サービス業は、生産者サービスのなかでも非常に重要な位置を占めており、この部門が伸びたことと生み出されているモノの性質を考慮すれば、管理する機能とサービス提供機能が中心に集積し、1980年代に大都市の好景気を刺激した背景が見える。
→ただし、集積した原因は、専門サービスを共に提供する企業の隣接と、そこで働く高所得層の大都市での生活への需要・要望の高まりである。
→生産者サービスと金融の成長が、もっぱらグローバル・シティのみで起きている背景。

5.本書の仮説
・今日の経済成長に大きく貢献している産業・地域・職種は、W.W.Ⅱ直後には中心的なものではなかった。
→衰退という深層構造の変化なくして、新しい成長はありえなかった(サッセン 2008)。
→1980、1990年代の経済の「高空飛行」を支えたものは、昔ながらの製造業を衰えさせたダイナミクスである。
→衰退と成長を引き起こしたシステムの連続性を本書で論じたい。

①製造業が地理的分散したために(これが古い産業の中心を衰退させた)経営とプランニング、これらが必要とする専門サービス(グローバル・シティの成長の重要な源)を管理する機能が中心に集積することになった。
②金融業でもとくに中心的なセクターは、他の産業(なかでも製造業)に悪影響を及ぼす政策・状況からたびたび恩恵を被っていたため、全体的に見ると、大都市では専門サービスが成長したが、それ以外の地域では経済基盤はゆらいだ
③①②を手がかりとすると、グローバル・シティとグローバル・シティがある国民国家、世界経済の関係が変わってきているといえる。
④成長が生まれる条件がこれまでと違う新しいものになった結果、グローバル・シティで階層が再編され、二極化が進んでいる。

6.論点
論点① 
サッセンは本書においてグローバル・シティのひとつとしての東京を論じようとしているが、東京について私たちはどのようなイメージを持っているか。
論点②グローバル・シティは確かに世界を統治する巨大都市であるが、周辺の都市とどのような関係性にあり、どのような関係性を持つことが理想か。

<第1班まとめ>
論点①
「こういう人がいそう」「こういう土地のイメージ」「経済的にはこんな感じ」というような「東京」のイメージは、メディアによって私たちに浸透しているように思える。ただし、それは、「東京」自体がそのイメージの発信を要求し、メディアがその役割を担い、私たちが受容することによって認識されるものではないか。そして、「東京」のイメージを持った私たちに、更なる「東京」のイメージを与えるべく、「東京」次のイメージ生産をし、メディアがその発信をするというスパイラルへと続いていくと考えた。
論点②
大阪を周辺都市として議論した。現在、東京は日本における政治・経済の中心であることに間違いはなく、大阪は圧倒的とは言わないまでも、都市としては東京に劣っている。つまり、東京ありきで存在しているようなものである。しかし、東京への対抗心ゆえ、大阪が都市として成長していることもまた事実であるから、東京は大阪から学ぶこともある。したがって、東京と大阪の役割をはっきりとさせることで同じ時間で得られることも2倍になるのではないかと考えた。具体的内容に関しては、時間の関係で議論できなかったが、東京が驕るのではなく、うまく住み分けをすることによって、日本全体がよくなるのではないかというひとつの提案である。
2015-05-10 18:44 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

地域の社会学 第1章 〈地域〉へのアプローチ

第1章 〈地域〉へのアプローチ

キーワード:〈地域〉・多義性・多重性・家族・共同処理・「中流」意識・生活互助・「共」・〈住民〉自治

★前置き★
→〈地域〉という表記は、社会学的概念として明確化する第2章まで使用される。

★本章の目的★
→〈地域〉をテーマとするテキストの多くが〈地域〉の重要性を自明のものとして解説を進めている。しかし実際は、私たちの〈地域〉に対する意識や関わりはあまりない場合が多い。では、私たちは〈地域〉を無用、関わりがないと日常では感じていながら、それでもなお〈地域〉が重要だと言えるのかを問い直し、現代における〈地域〉の重要性について議論する。

1.混乱する〈地域〉のイメージ
1-a)〈地域〉という言葉の多義性
★よく耳にする〈地域〉がついた言葉:地域社会・地域生活・地域問題・地域住民など
→〈地域〉は日常生活において重要な意味をもっている!
⇔意味内容の確定は困難!
 =人々そのもの・結びつき・空間・空間における施設・サービスの配置状況など
 →これらすべてを包含する場合もある…
 →〈地域〉と言う言葉には多義性がある!
 =一つの視点からでは捉えることは不可能!

1-b)〈地域〉という言葉の多重性
★指示する空間的範囲:きわめて曖昧・広大(例:隣近所・ご町内・市町村・都道府県…)
→話の文脈に合わせて〈地域〉の空間的範囲が縮小‐拡大する
             +
 聞き手・話し手も理解の範囲で相互に空間的範囲を縮小‐拡大し了承
=〈地域〉という言葉は多重性も持つ!
→人々が持つ多様な実感を1つの言葉に表現できる稀有な日常用語

1-c)実感する〈地域〉の重要性
●多義性・多重性がありながら日常生活で頻繁に使われる〈地域〉という言葉
→〈地域〉は日常生活に密着・不可欠・根ざした言葉。
→居住地を含む社会・空間を指示する点において一貫。
→人々は〈地域〉の重要性を実感として捉えてきた
=居住する空間と社会に何らかの関わりを持たざるをえない

1-d)居住地としての地域
●労働によって報酬を得ることを基軸にする日常生活=就労者に限定
              ↕
●住むことを基軸・原点とする日常生活=すべての居住者が経験
→居住を軸とする日常生活の舞台は今日中を軸として拡がる社会関係と空間を舞台に展開
→この社会関係と空間こそが人々が語る〈地域〉そのもの
→〈地域〉を重要視する要因

1-e)可視化する「地域」:まちづくり
例:地方小都市における古い町並みの景観保存:「小京都」
→訪問者の感想:「町並み保存に対する努力はすごい」など…
=〈地域〉の存在・活動の成果が可視化
→町並みの保存・再生:〈地域〉と密接な結びつき
→社会関係と空間の基礎的単位として〈地域〉が重要な役割を果たす
            ↓
★城下町から続く小都市:土着の自営業主が集住する〈地域〉
→居住を軸とする生活と職業を軸にする生活とが重なる
→職業における共同の問題(例:集客・観光地化など)が直接〈地域〉の問題になる
→住民からまちづくりのあり方を提起しやすい
⇔変化を嫌う伝統主義ものこる
→利害調整は簡単ではない
★このような共同で解決すべき問題は「町並み保存」の城下町に限らず、どこにでも存在する!

2.〈地域〉への関係の縮小
2-a)生活圏の拡大
★現状の私たちの日常生活:〈地域〉の重要性は低下
≪背景≫
●1日の行動範囲は〈地域〉の範囲を大きく超える
●〈地域〉で過ごす時間が大幅に低下(サラリーマン・10代後半~20代の若者にとって〈地域〉は寝るための場所と化している。)←大都市ほど職住分離は進んでいる
→少しも〈地域〉が見えてこない日常生活が拡がっている

2-b)2つの実感の乖離
★多くの未婚の青年男女:〈地域〉を超えて生活
→〈地域〉とのつながりが希薄化
★〈地域〉の重要性を実感しつつ、同時に〈地域〉の無用性を実感
→その乖離をいまや「常識」として私達は受け入れている!

2-c)無用性実感の拡大
先述の乖離:実感する無用性の方がはるかに強く意識される
→住民の〈地域〉への関与の低下へストレートに結びつく
≪背景≫
●都市・都市近郊への人口流入・匿名性空間の拡大
→日常行動圏・生活時間配分の比重が〈地域〉外へ
●〈地域〉における共同の生活問題に対する住民による共同処理の縮小

2-d)都市的生活様式と地域
★住民による共同処理の大幅縮小
背景その1:都市的生活様式の拡大・高度化
→共同の生活問題解決を行政・サービス業に任せる
→住民の相互扶助による処理を省略
=住民の〈地域〉への関与が縮小

2-e)家族の構成的変化
★住民による共同処理の大幅縮小
背景その2:家族における構造的変化
→1950年代後半~1980年代前半:核家族化
       ↓
 1980年代後半:高齢者夫婦のみの世帯増加
★核家族化の進展は「家」と〈地域〉とのつながり方を大きく変化させた!

2-f)家族と〈地域〉のつながりの変化
★1950年代前半までの「家」:半開放的家族システム
→(例)・家長:家長のみが集まる集会に参加
   ・嫁:嫁のみが集まる集会に参加
→「家」成員それぞれがそれぞれの地域集団に所属
→村の共同問題を分担して共同処理
=「家」と〈地域〉との関係は具体的で密接
★1950年代後半以降:〈地域〉に対して閉鎖的に
核家族:夫婦と未婚子女のみから成立・プライバシーを優先
→〈地域〉に対して閉鎖的
=これまでの「家」と〈地域〉間の仕組みに変化
→家族と〈地域〉のつながりの希薄化
→地域集団の衰退
→地域問題解決における、行政・サービス業に対する高度依存
→住民による共同処理の大幅縮小

3.今、なぜ〈地域〉は重要なのか
3-a)暮らしを支え合う地域の機能の変化
★前章までの内容以外で〈地域〉と人々のつながりの希薄化をもたらした可能性があるもの
→大多数の人々が「中流」意識を持つ社会
 例:「隣近所の助け合い」の衰退:日々の暮らしに困ることがないため
→地域内での相互扶助:人々が〈地域〉を具体的に実感する出来事
=プライバシーより日々の暮らしを優先せざるを得ない時代の話。
→お互いの距離の取りかた・ルールなどは長年かけて培われていた
★生活水準の向上(=中流化)
→相互扶助が不要化(助け合わなくともカネさえあればサービスを受けられる)
→〈地域〉が有する生活互助機能が衰退

3-b)〈地域〉に対する関心の高まり
★〈地域〉とは一体何かはますます曖昧になっている
⇔〈地域〉への関心・重要性への認識は高まりをみせている
→●〈地域〉は今でも居住地として重要であることは間違いない
 →〈地域〉が人々にもたらす影響・人々が〈地域〉にもたらす影響の解明
 =都市社会学・地域社会学の基本的使命
 ●近代社会システム(例:グローバル化・・環境問題・現代政治システムの限界等)の改革に〈地域〉の再生が不可欠であるという認識
 →〈地域〉の重要性の再発見

3-c)新しい〈地域〉イメージの構築に向けて
★グローバル化の進展における負の側面:社会的不平等の拡大
→●〈地域〉内では階層・エスニシティによる居住地のすみ分け
 ●〈地域〉内における紛争の増加
→〈地域〉の変化はグローバル化の1つの帰結
★高齢者・障碍者・子育て支援のネットワーク作り
→●旧来の〈地域〉イメージでは新しいシステムは構築できない課題
              +
 ●行政という専門処理にすべてを委ねてはならない課題
★新たな〈地域〉イメージの構築へ
→①〈地域〉を政治や行政サービスに拮抗しつつ協働する〈住民〉自治の社会的空間へ
 ②近代社会システムの限界=専門処理(行政)の限界
 →住民による共同処理を拡大することを中心とする〈地域〉システム改革の必要性
 ③〈地域〉の空間的範域を明確化
 →政治・行政との関係性・住民自治の拡大・新たな社会システム・処理システムに対応した範囲
★近代社会システムの限界打破・住民自治の拠点としての新たな〈地域〉イメージが求められている!!!

4.まとめ
★〈地域〉の基本的重要性:居住地に拡がる社会―空間
⇔生活圏拡大・都市的生活様式の高度化・生活水準向上・家族編成の変化
=〈地域〉の無用性を実感
      +
 〈地域〉の諸問題を行政に依存して解決・処理することが当然という認識が一般化
→自治能力が低下
    ↕ …ミスマッチ発生→解消が緊急の課題・急務。
 協働のニーズの高まり
 →政治・行政との関係性・住民自治の拡大・新たな社会システム・処理システムに対応した範囲で〈地域〉の空間的範域を明確化すべき
★近代社会システムの限界打破・住民自治の拠点としての新たな〈地域〉イメージが求められている!!!

5.論点
論点①:
〈地域〉が抱える課題に関して、限界集落等の農村部集落と都市・都市近郊部との間にどのような共通点・差異が存在するか。
論点②:
近代社会システムの限界打破・住民自治の拠点としての新たな〈地域〉イメージを考案してみよう。(農村部・インナーシティ・都市郊外部:各グループで1つ選択)

<班の議論の紹介>
<第1班>
●論点1
農村・郊外・都心ではそれぞれ、福祉・教育・経済・インフラなどコミュニティの生活に関わる様々な問題がある。そしてそれらはコミュニティ自体の問題とも相互に関係している。農村・郊外・都心によって、インフラの整備具合、財政基盤、人口規模、制度は異なる。しかし、共通するものとして、高齢化や学校・保育施設・介護施設の不足という問題がある。またコミュニティ内の人間関係における問題として は、「村八分」という意識が特に農村や郊外で見られる。また人間関係の希薄化は、人口減少の農村でも個人化が進む都市部でも見られる。

●論点2
ここでは、「地方都市郊外の農村と住宅地が混在する地域における課題」と具体的なモデルケースを想定した。その中で社会的弱者が含まれる高齢者・子ども・低賃金or失業中の単身者が直面している問題について、コミュニティ・制度・経済の面から例を挙げた。そしてこのような問題について住民が自主的にどう解決を図っていけるかを考えた。
高齢者については、コミュニティ面では老老介護、制度面では医療の未発達や介護施設の不足、経済面では年金不足などの問題がある。子どもについては、コミュニティ面 では遊び場や安全確保の不足、さらに家庭内の状況が地域に対しクローズされていること、制度面では待機児童や教育格差、経済面では教育費の増加といった問題がある。そして単身者については、コミュニティ面では人間関係の希薄化や居住地分断、制度面では社会保障サービスの不足、経済面では収入の不安定さや仕事がないといった問題がある。この3者には貧困のリスクがつきまとっており、産業が空洞化する地方の現状も背景にある。
上記の問題への対処法として、まず見守り活動などを元気な高齢者が行っていくことが挙げられる。高齢者と子どもの両者の遊び場を提供したり、子育てサロンを整備していくこともできる。子供会や放課後学童保育などもあるだろう。こうした地域活 動は以前から行われてきたが、地域企業などと協力してサービスとし、仕事の無い単身者の雇用口とすることもできる。企業が住民の自治的活動と連携し、個々の住民の情報を把握して行政に報告することで、行政もきめ細やかなサービスが可能になると考える。

<第2班>
論点①:
〈地域〉が抱える課題に関して、限界集落等の農村部集落と都市・都市近郊部との間にどのような共通点・差異が存在するか。
⇒まず、地域が抱える問題について挙げてみることにした。その後「都市部ならでは」「農村部ならでは」「都市部・農村部共通」に分類した。さらに地域問題は「人」が関わるもの、「設備」が関係するものの2つに大別できることが分かった。総じて言うことができるのは、新住民と旧住民との間に壁があり、交流が希薄だということだ。地域の高齢化、自治会が面倒だという認識などが結局は地域問題を話し合い解決する場をなくしてしまい、トラブル発生が発生したり、トラブルが解決しないことに繋がっている。

論点②:
近代社会システムの限界打破・住民自治の拠点としての新たな〈地域〉イメージを考案してみよう。
⇒当班では郊外をイメージして議論した。戦前においては強力な住民自治組織があったため、行政への依存度は低かった。しかし、戦後期に入り、イエ制度の崩壊・核家族化・高齢化などによって地域の関わりが希薄なると、住民問題解決(ごみ問題など)における行政への依存度は大きく高まった。このことで住民の地域に対する関心も低下し、近隣トラブルなどが発生が増加した。このことによって地域の問題が可視化する。ここで住民同士が嫌がらずに面と向かって問題を解決することが出来れば、地域への関心も芽生える。しかし、ここでも行政に問題解決を外部化してしまうと、「無関心のスパイラル」が生じ、いつまでたっても地域住民がすんでいる地域に目を向けることはないだろう。地域問題に面とむかって立ち向かうことで意識改革が出来れば、住民が団結して組織化し行政と対となることが可能になる。ここから「ローカル・ガバナンス」がすすむのではないだろうか。また、このとき行政は住民をサポートする立場に回り、行政にしかできないことで住民をサポートしていくべきだ。また、この「ローカル・ガバナンス」が可能な地域は、小中学校の登校班・「丁目」レベルではないかと私たちは考えた。

<総合司会コメント>
〈地域〉について、論点①では〈地域〉が抱える問題を、論点②では現代にフィットする新たな〈地域〉イメージについて議論した。
〈地域〉が抱える問題は、たとえ場所によって異なるように見えたとしても、根底には共通するものがある。しかし、その解決方法こそ〈地域〉の色が出るところではないか。例えば、郊外と言えど、それぞれに特色があるはずである。それも考慮して新たな〈地域〉システムを創造することは実に興味深い。
この先、私たちに〈地域〉の問題解決の機会が与えられたならば、ぜひ本日の議論を活かしたいものだが、そもそも、私たちのような大学生こそ、多くの時間を〈地域〉の外で過ごし、自分自身の〈地域〉に疎い存在ではないか。学んだことや、有り余る体力を無駄にせず、還元できる〈地域〉はないものか。その〈地域〉システムを私たちの目線で提案してみても面白かったかもしれない。

2015-05-01 21:22 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

2015年度前期大学院ゼミのテキスト決定

2015年度前期大学院ゼミのテキストが決まりました。
サッセン『グローバル・シティ』筑摩書房

このブログで、章ごとに内容紹介と論点(2つ)、その議論の内容を紹介します。
2015-05-01 21:14 : 『グローバル・シティ(サッセン)』(15年度前期大学院ゼミ) : コメント : 0 :

2015年度前期学部ゼミのテキスト決定

2015年度前期学部ゼミのテキストが決まりました。
『地域の社会学』有斐閣


このブログで、章ごとに内容紹介と論点(2つ)、その議論の内容を紹介します。
2015-05-01 21:12 : 『地域の社会学』(15年度前期学部ゼミ) : コメント : 0 :

現代インド4 台頭する新経済空間

以下の書籍に分担執筆しました。

台頭する新経済空間 (現代インド4)台頭する新経済空間 (現代インド4)
(2015/04/25)
不明

商品詳細を見る


<主要目次>

序 章 経済発展と新たな経済空間(岡橋秀典) 

第I編 現代インドの空間構造
 第1章 空間構造の形成と変動(岡橋秀典)
 第2章 グローバル化にともなう空間の再編成―脱領域化と再領域化の両義性(澤 宗則)

第II編 開発政策の展開と経済空間の統合
 第3章 包括的成長におけるインフラ整備の役割(小田尚也)
 第4章 労働市場と人材開発(岡田亜弥)
 [補論1]若者の失業問題(佐々木宏)
 第5章 資源開発とエネルギー問題(南埜 猛・石上悦朗)
 第6章 都市化と都市システムの再編(日野正輝・宇根義己)

第III編 新経済空間としての大都市の発展
 第7章 自動車産業の発展と産業集積(友澤和夫)
 [補論2]繊維・アパレル産業(宇根義己)
 第8章 ICTサービス産業の大都市集積と地理的な分散(鍬塚賢太郎)
 第9章 大都市の発展と郊外空間(由井義通)
 [補論3]インドにおけるショッピングモールの発展(土屋 純)
 第10章 変容する都市公共空間と露天商(岩谷彩子)
 [補論4]貧困層教育とNGO(針塚瑞樹)
 第11章 郊外農村の社会経済変動(森日出樹)
 [補論5]大都市への農産物供給(荒木一視)
 第12章 都市環境問題と環境教育(三宅博之) 

巻頭資料 インド社会経済アトラス(GISによる主題図集)


第2章 グローバル化にともなう空間の再編成―脱領域化と再領域化の両義性
上記の章を執筆しました。
2015-04-10 20:44 : 澤が執筆した書籍(共著など) : コメント : 0 :

澤ゼミの今年の卒論

澤ゼミの卒論題目です(21015年2月2日提出)

大学生の就職活動と「場所」の関係性
  - ショート・ライフヒストリーからの抽出

地域主体の町づくりにおける「伝統の継承」、「場所への愛着」、「ライフコース」の関係性の考察
  -大阪市平野郷地区を事例に

末期限界集落における在住者の地域へのまなざしと人間発達
   - 兵庫県淡路島南部 山間部小規模集落を事例に

身体障害者の地域自立生活における支援のあり方
2015-02-03 17:38 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》議論のまとめ

終章Ⅱ 《都市的なるもの》議論のまとめ

「都市で『自由』を味わった経験はあるか」という問いがスタートであったが、そのような経験は極めて少ないであろうという判断から、自由を感じられる地域やタイミング、また反対に自由を阻害されるものを例として挙げていった。
 自由を感じられる地域としては下町が、自由を感じられるタイミングとしてはハロウィンでの仮装や関西の某野球球団が優勝した時など、ある意味お祭りのような極めて限定したものが挙がった。
 反対に自由を阻害するものとしては、公共の空間であるはずの公園で特定の遊びを禁止されたり、自由な学びが保障されているはずの学校で不自由さを感じたりといったものが挙げられた。中でも、人々の自由を保障するために整備されているはずの法律によって、私たちの生活が縛られていること、お金さえあれば大抵のものを手にできる自由があるが、逆にお金がなければどんどん不自由になっていくこと、この両者の二面性に注目していかなければならないと考えられる。
 富を持つ者が政治権力と結びつき、自分たちに都合の良い政治を進めていくことで、富を持つ者の自由がどんどん増していく一方で、貧しい人たちの自由はどんどん奪われている。中間層は富める者の恩恵にあずかって自由を感じるときもあるだろうが、反対に富める者にしか有利でない政策が進めば不自由を感じることもあるだろう。
 富める者への規制を強化すれば私たち中間層以下は自由を感じやすくなるのか、というと必ずしもそういうことにはならないだろう。どんなに社会の諸制度が整ったとしても、人々が他人と関わり合い社会の中で生きていくときには、自由を感じる場面もあれば不自由を感じる場面も出てくるのではないだろうか。
2015-01-25 16:52 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(目次)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む

<今回の概要>
この章では、H・ルフェーヴルの《都市的なるもの》というアイデアを、W・ベンヤミンの「翻訳」の考え方を補助線として用い生産的に読み解くことで、現在の都市研究の閉塞性を乗り越える方向を模索する。

この回は、ゼミでの発表担当者のレジュメが長大なので、以下のその目次を掲載します。

1 目次

2 ヴァルター・ベンヤミンについて
2.1 生まれと育ちについて
2.1.1 幼少期
2.1.2 ギムナジウムと寄宿学校時代
2.1.3 フライブルグ大学・ベルリン大学時代
2.1.4 青年運動との訣別
2.1.5 博士号取得後
2.1.6 アーシャ・ラツィスとの出会いと、共産主義への接近
2.1.7 亡命
2.2 ベンヤミンの「翻訳」について
2.2.1 ブーバー宛の書簡
2.2.2 「言語一般および人間の言語について」から
2.2.3 「翻訳者の使命」から

3 アンリ・ルフェーヴルについて
3.1 ルフェーヴルの生涯
3.2 ルフェーヴルの考えについて
3.2.1 『〈都市的なるもの〉の現在』の記述の抜粋
3.2.2 『都市的世界』からの抜粋
3.2.3 『都市への権利』のあとがきからの抜粋

4 終章Ⅱについて
4.1 今回のテーマ
4.2 ルフェーヴルと《都市的なるもの》
4.2.1 ルフェーヴルとベンヤミン
4.2.2 《都市的なるもの》
4.2.3 使用価値の領域
4.2.4 出会いと集まりの場
4.2.5 可能的かつ潜在的な対象
4.3 問い逃がされる残余
4.3.1 都市社会のスペクトル〈幽霊〉
4.3.2 都市論への「翻訳」
4.3.3 専門領域が問い逃す残余
4.4 ベンヤミンと翻訳
4.4.1 翻訳可能性
4.4.2 純粋言語
4.4.3 翻訳者の課題
4.5 都市論への「翻訳」
4.5.1 領域横断性との差異
4.5.2 《都市的なるもの》の救出
4.5.3 おわりに

5 論点について
5.1 今まであった論点について振り返り
5.2 終章Ⅱについて
5.3 今回の議論の目的設定
5.4 論点1
5.5 論点2

注記:この章に関しては、現在ブログ掲載の作業中で、未完成です。
2015-01-24 16:47 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ベンヤミンについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ベンヤミンについて)

2 ヴァルター・ベンヤミンについて 
2.1 生まれと育ちについて
2.1.1 幼少期
2.1.2 ギムナジウムと寄宿学校時代
2.1.3 フライブルグ大学・ベルリン大学時代
2.1.4 青年運動との訣別
2.1.5 博士号取得後
2.1.6 アーシャ・ラツィスとの出会いと、共産主義への接近
2.1.7 亡命
2.2 ベンヤミンの「翻訳」について
2.2.1 ブーバー宛の書簡
2.2.2 「言語一般および人間の言語について」から
2.2.3 「翻訳者の使命」から




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2015-01-23 16:50 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

3 アンリ・ルフェーヴルについて
3.1 ルフェーヴルの生涯
3.2 ルフェーヴルの考えについて
3.2.1 『〈都市的なるもの〉の現在』の記述の抜粋
3.2.2 『都市的世界』からの抜粋
3.2.3 『都市への権利』のあとがきからの抜粋

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2015-01-22 16:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(終章Ⅱについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(終章Ⅱについて)

4 終章Ⅱについて
4.1 今回のテーマ
4.2 ルフェーヴルと《都市的なるもの》
4.2.1 ルフェーヴルとベンヤミン
4.2.2 《都市的なるもの》
4.2.3 使用価値の領域
4.2.4 出会いと集まりの場
4.2.5 可能的かつ潜在的な対象
4.3 問い逃がされる残余
4.3.1 都市社会のスペクトル〈幽霊〉
4.3.2 都市論への「翻訳」
4.3.3 専門領域が問い逃す残余
4.4 ベンヤミンと翻訳
4.4.1 翻訳可能性
4.4.2 純粋言語
4.4.3 翻訳者の課題
4.5 都市論への「翻訳」
4.5.1 領域横断性との差異
4.5.2 《都市的なるもの》の救出
4.5.3 おわりに

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2015-01-21 16:55 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(論点について)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(論点について)

5 論点について
5.1 今まであった論点について振り返り
5.2 終章Ⅱについて
5.3 今回の議論の目的設定
5.4 論点1
5.5 論点2


注記:この章に関しては、現在ブログ掲載の作業中で、未完成です。

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2015-01-20 16:57 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅰ 上からと下から ―都市を見る漱石の目、鷗外の目―

終章Ⅰ 上からと下から ―都市を見る漱石の目、鷗外の目―

キーワード
夏目漱石のロンドン 森鷗外のベルリン 上からの視点 下からの視点
遠近法空間と生きられた空間


【モダンの空間】
1970年代 空間論的転回が社会学に波及し、新都市社会学という大きな流れへ
→都市をモダンの現象として捉え、モダンの空間のありようと関連・再考する動き

ポストモダン論議の深まり
モダンの空間の認識≠「生きられた空間」から「遠近法空間」への発展主義的な二項対立図式
=「生きられた空間」と「遠近法空間」が併存しせめぎ合う両義的な地平
※グローバル化の深化に伴って浮上したグローカル化の位置づけと密接な関係

【「遠近法空間」と「生きられた空間」】
「遠近法空間」…空間の画一化・均質化
空間の「絶対性」を前提、「幾何学の連続的空間」として敷衍
→認識主体の視覚を至上とする遠近法主義と「全体化」の論理が支配
「単線的で同質的で連続的な空間」であるクロック・タイムと啓蒙の認識を構成
→国民国家の形成に貢献(国土空間の創出・人々の規律化)

「生きられた空間」…空間の内的差異・分節化
感覚的・質的に生きることで、様々な社会でたどられた経路・パターンを共有することで得られる「動き、近接性、特異性、知覚、象徴性、意味とともにある空間」
→非連続的で非同型的
範型は意味を運ぶものとして捉え、ルフェーヴルの空間認識で見出される

※「生きられた空間」論調の背景
グローバル化が進みヒトやイメージの移動と電子的メディアが決定的になるなか、人々が自分たち自身の社会のリズムや歴史以外に多くの空間があるという認識が背景に
→「遠近法空間」が社会の後景となり、「生きられた空間」社会の前景へ

モダンな空間→「遠近法空間」として捉え、「生きられた空間」を反措定として位置付ける論調×
両者がダイナミックにからみ合う地平で捉える論調が強調

※都市へのまなざし
「遠近法空間」として見据える立場=「上からの視点」→森鷗外『舞姫』
「生きられた空間」として見据える立場=「下からの視点」→夏目漱石『倫敦塔』

【上からの視点――鴎外の都市へのまなざし】
鷗外『舞姫』=「上からの視点」→都市を視覚的・静止的に捉える「鳥の目」に基づく
上から「他者」として客観的に凝視するまなざし
主客二分法に立脚した認識論優位の立場

【下からの視点――漱石の都市へのまなざし】
漱石『倫敦塔』→「下からの視点」→都市を聴覚的・触覚的に捉える「虫の耳、皮膚」に基づく
※都市の基調をなす動きや音に対する内的恐怖
都市を内側から描写する「都市住民」としてのまなざし
主客二分法を超えたところでの存在論的立場

【モダンの空間の両義性】
「上からの視点(認識論的立場)」と「下からの視点(存在論的立場)」のせめぎ合い
  →時代状況や知の動向によって強くもなり、弱くもなる
両者のどちらかが優位であるというような二項対立図式に委ねてしまことはできない

コミュニタリアニズムの議論→「生きられた空間」に焦点
新自由主義に基づく議論→資本のグローバルな展開とともに均一・均質な「幾何学的空間」が肯定され、「遠近法空間」に焦点
 →そうした線形図式に陥る危険性から脱却し、モダンの空間の両義性認識の中核をなす「上からの視点」と「下からの視点」の対抗的相補性の議論へ

【いま再び漱石の「下からの視点」を問う】
「上からの視点」が浮き彫りにした「外部空間」としての迷路的空間
  →「上からの視点」では「遠近法空間」の周縁としか捉えられない
  →「下からの視点」では「生きられた空間」として捉え、「遠近法空間」との繋がりを見出す
   内在的な関わりによって都市に対する総体的な認識が切り開かれる
    
 鷗外の「上からの視点」→「遠近法空間」は視覚的・静止的描写に依拠したため、都市の構造から乖離、一方向的に均一・均質に展びていく幾何学的平面に還元
 漱石の「下からの視点」→内面的恐怖とともに、「遠近法空間」で切り離された都市の構造が持つダイナミクス/躍動する生の豊かさを捉え、「遠近法空間」と「生きられた空間」の間にある相互に包み込み、包み込まれる関係を構築

【論点】
<論点1>
・普段、私たちは自分たちが住む都市の様々な空間をどのように捉えているのか。その捉え方が「上からの視点(遠近法空間)」か「下からの視点(生きられた空間)」かどうか分類してみる。
<論点2>
・本章では「遠近法空間」と「生きられた空間」を二項対立図式ではなく、対抗的相補性として両者を捉えようとする議論を深め、モダンの空間の両義性の認識を探ろうとしていた。そこで1つ目の論点で得た分類を活用し、現代の都市において「遠近法空間」と「生きられた空間」同士がどのような繋がりを見せているのか考えてみよう。

第1班
<論点1>
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このグループでは、自分たちの都市空間のとらえ方を具体的に出してみることにした。
まず「上からの視点」で出てきたのは、住宅街、商業地域、農業地域という土地の使われ方によるとらえ方、住宅地図、地図、衛星写真、山の頂上やビルという鳥瞰的なとらえ方が多く出てきた。そのほかには、行った事のない土地をネットのマップで調べる、人口統計で町の特徴をとらえる等の視点が出てきた。
これらは、都市を外から見る把握方法であり、まさに視覚優位の、静止的な都市のとらえ方であると言える。これらに共通しているのは、私たちの「上からの視点」であり、ランドマークとなる建物・目印、道路のつながり、土地の使われ方を、どの土地であっても同じ目線で、「何の違和感も抱かずに入り込み、しかも徹頭徹尾『上から』『外から』他者として見下ろすという態度」(テキストP215)で見ている点である。このような私たち自身の態度については、話し合いの中で確認できた。
 しかし、私たちの経験する「上からの視点」の中に、鴎外と同じような「上昇志向」を経験したかどうかを話し合う時間がなかった。神戸大学に進学して、キャンパスから神戸の街を見下ろしたときや、神戸大学の学生になって誇らしい気持ちで通学路を歩いたときのことを出し合ってもよかったと思う。
そうすれば、鴎外が感じた都市に対する「自負心」や「他者として利用する」気持ちなどが理解できたかもしれない。
 次に「下からの視点」では、経験に基づいて多くのとらえ方が出てきた。それらの点をさらに共通する観点で分類してみると、「人」と「環境」とに分けられると考えた。
 「人」では、都市に暮らす人(若者、高齢者の割合)、観光客の多さ、人の多さ、人の交流、着ているもの、幼少時代の経験などをあげた。視覚・触覚などの感覚で都市をとらえるという視点は難しいと感じた。「環境」では、町の臭い、町の雰囲気、動物・植物の存在、街の照明(明るさ)、商店の種類、人の話し声、神聖な場所の存在、鉄道・道路などの生活空間などをあげた。漱石が感じた「街が発する激しい動きや音に対する内面的恐怖」を感じる場合を検討すると、「環境」については、「快/不快」で考えてみる視点があるという意見が出た。そして、不快と感じる環境の中で、内面的恐怖を感じる人がいるのではないかと考えた。例えば、街の照明(明るさ)、町の臭い、鉄道・道路などの生活空間などである。これらはまた、人によって感じ方が異なる感覚である。しかし、あくまで「都市に住まう者」が感じる視点であることに違いないものをあげられたと思う。

<論点2>
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 現代の都市における「上からの視点」と「下からの視点」の繋がりを具体的な問題で考えてみようとした。ただし繋がり方には大きく二通りあると考えた。一つは、「上からの視点」と「下からの視点」がぶつかり合っている例であり、もう一つは、問題の解決へのつながりを見つけようとする例である。
 まず、ぶつかり合っている例としては、「総合病院の建設が患者・医師・地域のつながりの希薄化をもたらしている」場合があること、「高層マンションの建設が人口の密集を生み出したが、住民同士のつながりが弱まった」場合が多いこと、「市町村合併が古い地名を無くし、サービスの低下により生活の豊かさがなくなった」例があること、「地方都市に大学を誘致したが、若者のマナーの悪さが住環境の悪化をもたらしている」例があることなどをあげた。これらの例をグループで検討するなかで、それぞれの例の中に、「上からの視点」と「下からの視点」を見ることができるが、どちらかの視点がより大事にされなければならないというものではなく、実際には両方の視点がともに大事にされなくてはならないと考えた。現実の中では、「上からの視点」には都市の内部に生きる人びとの「研ぎ澄まされた日常感覚」が欠如しているといえる。
 さらに、問題の解決へのつながりを見つけようとする例では、「ホタルが住める川の環境を守ろうとする住民の取り組みを、環境保全の施政をアピールしたい行政が後押しする」例があること、「街灯のない道路を怖いと感じる住民の要望に、住みよい街づくり・防犯のまちをアピールしたい行政が応えた」例があること、「小学校の通学区域の再編で、面積や人口を基準に区域割りしようとする行政に対して、住民側から子どもの通学時間による疲労度や、昔からの地域や親や子どものつながりによる見直しを求めた結果、改善が実現した」例があることなどである。これらの例にみられるのは、「都市の内部に暮らす人びとの生活者の日常感覚」が生かされていることである。

第2班
<論点1>
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<論点2>
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2014-12-31 16:39 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第11 章 「サウンドスケープ今昔 ―あふれる音の向こうに―」

第11 章 「サウンドスケープ今昔 ―あふれる音の向こうに―」

KEY WORDS: はとバス うたごえ なつメロ ご当地ソング サンドスケープ


○はじめに
首都・東京…ランドスケープ(景色)の変容が目まぐるしい
→東京に住まう人にとって、拠って立つ場所が虚ろに。
⇔「うたごえバス」=これらの人を包む、空間と時間を越えた社会化の装置として機能。
想い出の東京を歌と共に過去へとさかのぼらせる。

同じ歌によって各々が想いを馳せることで、自らのアイデンティティを手繰る同志としての紐帯が発生
=「歌う」という目的集団に参加した個人がアイデンティティを編み上げる手段

1.サウンドスケープ・うたごえ・なつメロ
「サウンドスケープ」=音風景。「目に見えない音を軸に、環境を再認識すること(環境工学・小松)」
音楽学者・辻本:
サウンドスケープ研究対象…農村や島嶼等の地域社会+グローバル化した現代の都市の音文化
→現代的で都市的な音風景にフィールドワークを広げることを提案
サウンドスケープの特徴:「美しい音」を志向する音風景の「デザイン」という要素が含まれ
音に対する快・不快の主観性が曖昧
⇔ありのままの社会を捉えようとする社会科学分野では、既に都市の若者のストリートライブが研究
⇒サウンドスケープ研究=社会科学との連携で、従来の問題を乗り越える可能性

筆者の批判:既存の社会科学が取り扱うサウンドスケープの研究領域
=「都市部」の「文化に先進的な」一部の「若者」に限定的

本章の「うたごえバス」=従来サウンドスケープ研究の対象外であった「普通の」「中高年」が主役
○音楽の三層構造
①「コモン・ミュージック」=同世代共通音楽。特定の世代が同調できる音楽ジャンルが存在することで、特定世代を囲い込んで輪切りにする効果。
②「スタンダード」=時代を超えた名曲。
③「パーソナル・ミュージック」=他者に知られず、自分だけでこっそりと愛したい曲。
⇒仮説:「音楽の三層構造」理論がうたごえ世代とうたごえバスレパートリーの関係にも言えるのか。

○「うたごえ」と「なつメロ」
「うたごえ」=うたごえ運動(戦後)→うたごえブーム(1950 年代~60 年半ば)
〈労働運動〉 〈うたごえ喫茶…労働歌・ロシア民謡〉

「なつかしのうたごえサロン」(現在)…中高年層の大衆的ブームだった広義の「うたごえ」を懐かしむ心情(≠運動)

●音楽学者二者による「うたごえ運動」の意義
・長木:「参加者が現場で自ら方法論を発見する道筋に力点を置く姿勢」を再評価
・渡辺:「労働歌(=下層)と唱歌(上層)が癒着しあって、『コミュニティーソング』となったことの特異性」+戦後の「うたごえ運動」
=官民やイデオロギーを超越し、「国民音楽」を目指して機能。
「なつメロ」=過去の特定の時点を人々に想起させる存在。「あの頃」を思い出させるノスタルジアの音楽。

相違点:「うたごえ」…世代限定の輪切り可≠「なつメロ」…世代限定の輪切り不可
→「うたごえ」=昭和20~30 年代に青春時代を過ごした世代をラベリングする一種のジャンル化

次節:戦後すぐのなつメロである「うたごえ」をサウンドスケープと捉え、車窓からの東京の風景と関連づけて提示

2.走る走馬灯―うたごえバス
○「走るうたごえ」
はとバス「あの歌この歌東京ドライブ」A・B コース
A コース:「あの歌が聞きたい!!なつかしの名曲で綴る東京ドライブ」
昭和20~30 年代の歌謡曲。下町めぐり(靖国神社)。客層60 代後半~70 代中心。
戦後の東京を舞台にしたご当地ソング。
→・集団就職や進学での上京組…故郷に家族を残し単身上京した当時の様子を想起。
・敗戦後の復興や高度経済成長期に若者が懸命に働いた記憶を想起。
B コース:「よみがえる青春!!フォークソング・ヒット歌謡で綴る東京ドライブ」
昭和40~50 年代のフォーク。山の手コース(都庁)。客層40 代後半~60 代。

●「うたごえバス」の特徴
・20 曲近い歌を歌い続ける
・現役ガイドに加えてOG ガイドが同乗し、都内の名所ごとの今昔比較やご当地ソングの披露を行う

客のツアーの目的=昭和の東京を生きたOG ガイドの肉声(←「懐かしさ」=歌声)によって呼び寄せられた昭和の東京にいざなわれること。(≠観光地見学)
⇒A コース=終戦と復興、平和…集合的記憶 両コース共通
B コース=個人的記憶 …「コモン・ミュージック」で各々の青春を想起
→昔の歌…集合的記憶と綾なす個人の思い出の瞬時再現可

3.サウンドスケープ・記憶・メディア
○「東京の歌」の変遷
第11章 1

○うたごえバスのコース選定方法
①歌よりその時代を生きた人々の思い出に強く結びつく場所を選定
②その場所にそぐう歌を選曲
⇔うたごえバスの下町コースで歌われる歌=輝かしい時代の東京を歌った「東京憧憬」・「上京」ソング

これらのご当地ソングに出てくる地名は期せずして、ご当地ソングゆかりの観光地に該当

乗客:「輝いていた頃の東京は車窓からリアルに見えなくても、歌うことでそれぞれが当時記憶を再構成」
=「昭和の東京」の喚起←OG ガイドと当時の歌なしには不可
∴うたごえ世代(=乗客):「憧れの東京」=サウンドスケープの中に存在≠ラウンドスケープ
→社会学者・佐藤:「音」=「見えないものを位置づけ、感じ取る日常の想像力」の発揮に期待
文化人類学者・アパデュライ:「想像力が社会生活で並外れた力を得た」
⇒筆者:うたごえバス=リアルと想像力の曖昧な境界を走る
→即席のコミュニティーを現出させる装置

○うたごえバスの人気の高さはどうしてか?
社会学者・デーヴィス…
音楽や映画等の視聴覚メディア=大量生産・意味の画一化がされやすく、後の時代に象徴的に制御される可能性が高い。
⇒メディアによるノスタルジア支配の理論←中高年・うたごえ世代を中心とする「うたごえバス」の人気の背景
=「マスメディアが中高年の青春の歌をノスタルジアの下に再編成し、受け手はこれを享受」

○おわりに
修学旅行見学コースの変化
従来の「浅草」「上野」「銀座」+テレビ局などメディア関係・アニメーション
→メディア中心地・東京への憧れは形を変えて継続
修学旅行での同級生との共有体験…・集合的記憶として個人の内面に蓄積。
・中高年となった時に集合的アイデンティティを確認する材料。

共通の聴覚体験=都市で生き抜くための「伴走者」となることを教示
⇒「歌」を結び目とした新たな紐帯の誕生(≠既存の地域や職場等の所属集団)

[論点]
①あなたのこれまでの人生の中で、心に残っている曲を(出来れば)理由も付して挙げ、「音楽の三層構造」のいずれに該当するか分類してみる。

②本章は、「歌(とりわけコモンミュージック)」を基に世代別の集合的記憶や個人的記憶を想起させることで新たな人間間の繋がりを創り出そうとしている試みの一つであった。このように固定的な既存の所属集団のコミュニティーとは違った、新たなコミュニティーの創成方法を企画してみよう。


<第1班>
論点①

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最初に、各自の心に残っている歌を理由も付けて、挙げられるだけ挙げた。次にそれを発売或いは流行した時期別に並び替え、さらに音楽の三層構造である「コモン」/「スタンダード」/「パーソナル」のいずれかに割り振った。すると、大学生世代が当事者世代として耳にしている歌(2000 年代)は主にテレビの主題歌やCM 挿入歌、学校の卒業式で合唱曲として歌ったことのあるものが多かったため、三層構造のいずれに入っていても、他の年代の曲に比べて認知度は高かった。しかし、時代が遡るにつれて、大学生世代の認知度は名曲と呼ばれる「スタンダード」のみに偏りを見せるようになり、「コモン」や「パーソナル」に属する曲は、親など上の世代の影響や映画・小説・ラジオなどで各々が認知してその曲を聴くようになるというプロセスを踏んでいるので、全体としての認知度は低下する傾向を見せた。
私たちの班では、現役をリタイアされたと同時に社会人入試で入られた方がいらっしゃったので、70 年代前後に青春時代を過ごされた方の記憶に残る音楽観も見ることができた。
分布を確認すると70 年代に多く分布し、理由と重ね合わせてみると受験勉強や子供の出産時の喜び、家族愛など若い時代の体験や経験と曲が一緒になって記憶され、歌と共に当時が想起されていることが確認できた。また、古い時代に分類された曲ほど「スタンダード」に分類されていないものであっても、いまなお多くの人に認知されているものが多く、メディアがテレビ・ラジオ中心で、今よりも「音楽」という分野が細分化されていないこともわかった。

論点②
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地縁等に基づくコミュニティとは別に新たなコミュニティの在り方を考えるという論点であったため、私たちの班は設定を「自分たちが現役を退いた際に作れるコミュニティ」として議論を始めた。
論点①の後半でも述べたように、例えば「音楽」という分野は現在では昔に比べて細分化されている傾向にあって、本章で取り上げられていたような「うたごえバス」で歌われる、同世代がほとんどみんな知っている歌の数というのは、我々大学生世代(20 代前半)では少ないのが現状である。
しかしながらコミュニティというのは、本章でいう場合の「コモンミュージック」にあたる同世代で共有できる何か軸となる「モノ」が不可欠である。そこで、媒体となる「モノ」を子供時代に流行った「ゲーム類」として設定した。
これは我々の世代であれば多かれ少なかれ触れたことのある遊びであるため、懐かしさや集合的記憶の想起は比較的簡単に行われやすく、高齢期に入ったのちでも、これらを媒体にして同世代のコミュニティを再編成できると思われる。
設定では、特に老人ホームを核として地域の同世代の住民も参加できるようになれば、より広い範囲で継続的な同世代のコミュニティが実現できる可能性がある。
また現在でも存在する趣味仲間で集う団体やサークルなども一つのコミュニティの形として続いていくと考えられる。
前者の「モノ」を媒体としたコミュニティも基本的にはそれを囲んで直にコミュニケーションを図られる形が本来的には望ましいが、通信機器を使いこなしている世代が老齢期を迎えた際は、必ずしも直接的に集わなくとも、オンラインでのつながりを持つという新しいコミュニティの在り方もこれからは出てくるのではないかという声もあった。
課題としては、いくら同世代であっても「ゲーム類」というものに固執した際、それに触れてこなかった人がコミュニティに入りづらいことや「ゲーム」というものの性質上、体を動かす機会が少ないことから健康面での不安が残るといった指摘ができる。

<第2班>
論点①

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論点②
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第3班
論点①


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論点②CIMG2835.jpg
まずは、新たなコミュニティとなる基盤として、人々をどのようにつなぐのか?について話し合いました。結果、人々のもつ”記憶”を基にすることに決まりました。
また、新たなコミュニティの分類として、継続的なコミュニティを目的とするのか、あるいはその場限りのコミュニティ形成を目的とするのかについても話し合い、継続的なコミュニティの形成を目的とすることになりました。
このようにして、私たちの班では、「人々の記憶を想起させることで継続的なコミュニティをつくること」を基本とし、コミュニティ創成の方法を考えていきました。
本文では人々を”歌”でつなぐ事例が挙げられていましたが、今回私たちの班では”玩具”を用いて人々をつなぐ企画を考えました。
玩具、おもちゃは形は変われど世代を超えて愛されており、現在遊ばれているおもちゃの中にも過去のおもちゃが元となって新たなおもちゃとして遊ばれているものもあります。
また、個人が遊んだという記憶と、ある特定の世代が持つ”このおもちゃ”で遊んだという記憶、あるいは親子が同じようなおもちゃで遊んだという世代を超えた記憶を持つ等といったいう側面を持ちます。
その面を活かして、私たちは、世代を超えて高齢者や親世代と子ども、また親同士や子ども同士をつなぐことが可能ではないかと考えました。
その具体案として今回挙げられたのが、昔のおもちゃと今のおもちゃを使ったイベントの企画です。量販店やSCなどで子どもを連れた高齢者や親をターゲットとし、おもちゃに触れる機会を設けることで、人々の交流を図ろうとするものです。この企画を継続的に行うことで、「毎週見かけるあの子(人)」という認識を持たせ、人々の交流が生まれることを意図しています。
全体として、私たちが議論しているときも「あのおもちゃで遊んだ」「今はないけど、あれあったよね」といった自分たちの過去を懐かしみ、おもちゃで遊んだ記憶を共有する様子が見られていたのが印象的でした。
2014-11-14 16:22 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第9章 「新しい絆のゆくえ ソーシャル・キャピタルのいまを解く」

第9章 「新しい絆のゆくえ ソーシャル・キャピタルのいまを解く」

KEY WORDS: ソーシャル・キャピタル コミュニティ再建 震災 社会的孤立


1,個人化する社会とソーシャル・キャピタル 極度の「個人化」やコミュニティにおけるつながりの希薄化
⇒孤独死や「無縁社会」などの社会問題が深刻化
 人間関係が分断されていく現代社会
…この現状に対して、コミュニティにおける絆の再生という文脈から注目される概念
                 ↓
  Social Capital(社会関係資本 以下SC)とは…
 あるグループ内、あるいはグループ間のネットワーク(絆)、互酬性などの規範、信頼
 
日本では伝統的に、地縁血縁に基づいて相互扶助機能を持つ“結”や“講”といった地縁型共同性が強固に存在
  →共同体の規範を生み、帰属心を高める地縁型SC。
しかし…
 都市化の進展によって弱体化、機能縮小傾向
      ↕
〈「絆」再認識の契機としての大震災〉
 ①阪神淡路大震災後、仮設住宅が郊外に建設されたことで被災者をとりまくSCが分断され、被災者の孤独死が社会問題に。
 ②東日本大震災では、被災地域に地域共同体の伝統が存続し、相互扶助の絆が強固に残っていることがわかり、地縁型SCのメリットが見直される。
                  ↓
 ~本章の目的~
 地域のつながりをいかに再生させ、コミュニティの再建につなげるのか、SCが震災の復興過程でどのような役割を果たすのかを明らかにする。

2,ソーシャル・キャピタルという視座
〈SCをめぐる議論〉
・1910年ハニファン(米)が、学校に対するコミュニティの関与を強調する際に利用。
・都市研究の領域では、ジェイコブズが『アメリカ大都市の生と死』(1961)の中で、伝統的な都市コミュニティにおけるユニークな近隣のネットワークに注目し、これをSCと捉える視点を提示。
・パットナムがイタリア北部と南部の市民活動を比較し、「協働的行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる信頼、規範(互酬性)、ネットワークのような社会的組織の特徴」としてのSCを定義し、重要性を明らかにしたことで、SCの概念が脚光を浴びる。
    ↓
SCの基本概念の登場
⇒個人のネットワークを「社会関係資本」として可視化、社会的文脈の中に無意識に埋め込まれていた「つながり」に光を当てることが可能に。

「役割から見るSCの区分」

・結束型
…集団や組織の内部におけるネットワークが集団の結束力を高める。
特徴:非常に強い結束力、排他性、内部の閉鎖的な関係性
例:労働組合 エスニック集団 

・橋渡し型
…集団や組織のネットワークが外部集団との結びつきをもたらす。
特徴:開放的、情報が収集しやすく革新的な動きが可能
例:NPO 環境団体

※両者は補完的な関係にある。

3,2つの大震災とソーシャル・キャピタル<阪神・淡路大震災と孤独死>
「震災弱者(高齢者や障害者)」が優先的に仮設住宅に入居できた。
しかし…
住み慣れたコミュニティを離れ、周囲とのかかわりが薄い土地での生活(「社会的孤立」)。
生活や生命を支えていた最小限の支え合いの関係性を失い、人間関係から分断される
(孤独な「生」)。
最終的に200名以上の「孤独死」
  外部からの多様なボランティア団体・NPO・NGO(橋渡し型SC)の介入
  被災者の生きがいとなる仕事づくりなどの活動を展開

<東日本大震災と地縁型SC>
 三陸海岸沿い…地縁型SCが強い地域が多い。
         ⇔仮設住宅への移動によりコミュニティの分断・変化 
 例:宮城県女川町竹浦地区
   地縁型SCが強固
→住民の希望を基に、住民主体で集落全体の復興プランを提案する先進的な取り組み
 ①集落ごとの現地高台移転に向け、勉強会・候補地調査・住民アンケート
②伝統芸能「獅子振り」の復活を集落の「絆」を取り戻すきっかけに。
③外部からの移住者や専門家などを積極的に受け入れる(橋渡し型SCへの働きかけ)

(復興を阻む問題点)
 1,「平等性・公平性」を主張する行政との衝突
 2,個人財産に対する補助金などの公的介入の問題
  (竹浦地区の復興住宅建築の設計には、建築の専門コンサルタントの趣向が強く入っている。←公的資金を支出するべきか?)

4,ソーシャル・キャピタルの多様な側面
〈橋渡し型SCの立ち上がり〉
 東日本大震災後、地縁型SCの重要性の再確認
加えて…
 橋渡し型SCを基盤とするNPO・NGOの活動
 (例:被災地にて活動する多数のボランティア組織や民間団体同士の活動内容の調整)
  =被災地コミュニティと外部団体・専門家をつなぐネットワーク(橋渡し型SC)の
   存在の重要性

〈地縁型SCとコミュニティの分断〉
 ・地縁型SCが逆に人間関係を複雑にしてしまう状況
  例:津波の被害から逃れ家が残った「在宅被災者」と、家が流され避難生活を送る被災者の間の軋轢。
       “自分だけ家が残ったという「後ろめたさ」「罪悪感」”
 
・地縁型SCが強固だったからこそ浮かび上がる経済格差
  例:高台移転及び住宅再建において
     自力で家を建てられる=経済的余裕がある
     建てられない=経済的余裕がない

5,ソーシャル・キャピタルと市民社会
2つの大震災によって浮き彫りになった SC が人々の「生」に与える影響の大きさ
            ↓
    結束型SCと橋渡し型SCの補完的な基盤
⇒国家にも市場にも収斂されない市民社会を生む。

SCの強固さが個人の自由な選択を阻んだり
人間関係を複雑化したりする側面も見据えたうえで…

震災によって創出・再生されたさまざまなつながりが、SCとして社会に根付く。

市民社会の成熟を導く原動力に。


[論点]

①あなたの所属するコミュニティの中で、日常生活の様々な場面においてSCが機能したと考えられる経験があれば挙げてみる。ない場合、機能すると期待される場面を考えてみる。
②個人化、人間関係の希薄化が進行する現代社会においてもSCがプラスに機能するコミュニティを創り上げるために、個人・地域・行政が果たすべき役割をそれぞれ考えてみる。(教科書に取り上げられた2つの大震災から見えたSCの重要性を参考に。)

第1班
<論点1>


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Social Capital/社会関係資本がどのような場所で発生するか、と考えたときに、考えられるコミュニティの形態は不特定多数が集まり、そこで橋渡し型のコミュニティが生まれる場、もしくは、或る程度特定の少数の人が集まり、そのつながりを強化する結束型のコミュニティが生まれる場の二つが考えられる。
前者はカフェ、バーや、交流会のようなものが考えられ、後者は地域のコミュニティ機構が考えられる。この二つは完全に独立したものではなく、相互の連なりの中にあるものであり、例えばインターネット上のSNSで形成されるコミュニティはいずれの側面も持ちうるものだろうという意見が挙げられた。

<論点2>
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この論点に対しては、SCを取り巻くそれぞれの構造を理解し、そして限界を指摘するという形で議論が展開された。というのも、地域で形成されるSCと、行政が形成しようとするSCの間にギャップが存在しているということ。そして行政側がそれを活用しようとするけれども、制度上の限界があること。
また、地域側から、要望を出そうにも、それが行政という枠組みの中へと落としこまれるために、そのままでの採用は難しいということが多い。そのギャップを埋め、相互の間を取り持つ形での運用が期待されるのがNPOなどの組織であるが、それも行政側からの資金による運営で在ることが多く、完全に対等で独
立し、相互作用を生むような個人-地域-行政の関係を形成する事は難しいのではないかという結論に至った。

第2班
<論点1>

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所属しているコミュニティでソーシャルキャピタルが機能したと考えられる経験ということで、具体的なコミュニティであった経験を列挙していった。それらを分類していく中で、家族や地縁といった比較的長期に渡って継続して機能するソーシャルキャピタルや、テスト対策など、何かあるときにお互いに利害関係が一致するときだけ機能するソーシャルキャピタルが存在することが分かった。また、ネット上のコミュニティにおけるつながりも不特定多数が存在するソーシャルキャピタルと言えるのではないか、という話が挙がった。

<論点2>
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ソーシャルキャピタルがプラスに機能するコミュニティの創成ということで、具体的に「都市部で災害が発生したときに機能するコミュニティ」を創るために、日頃から個人・地域・行政がそれぞれ果たすべき役割を考えた。
個人としては、積極的にあいさつを交わしたり、防災訓練などの地域活動に参加したりして、日頃から顔見知りを作っておくということが挙げられた。地域としては、顔見知りを作ったり、有事の際に優先的に対応しないといけない高齢者を把握しておいたりするためにも、防災訓練を積極的に実施したり、地域住民の安否を確認するために、名簿を作成したりLINEグループを作成したりするという意見が挙がった。行政としては、防災訓練やまちづくりの指導を行ったり、実際に災害が起きたときに備えて公園の整備をしたりするという意見が挙がった。
ソーシャルキャピタルが上手く機能するコミュニティを創るためには、個々人からの情報提供が非常に重要であるが、それは裏を返せばプライバシーを公開することにも繋がる。個人化、人間関係の希薄化が著しい都市部でそのようなコミュニティを形成していくのは非常に難しいことだと感じた。

第3版
<論点1>

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①現在持っているコミュニティとそこから受けるpositiveとnegative
私たちが現在持っているコミュニティを分類し、そこから受けるpositiveな面とnegativeな面をあげた。血縁、友人、バイト関係、趣味関係、同郷団体等があがったが、そこから私たちが享受しているのは、情報やごはんのお裾分け等の「モノの共有」と心の支え、記憶等の「感情の共有」である。しかし、必ずしもこのように良いものばかりを享受しているわけではなく、コミュニティとしての繋がりがあるからこその義務感や、振り返りたくない過去を振り返らざるを得ない環境等、negativeなものも同時に受け取ることとなっている。

<論点2>
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セーフティーネット祭りを企画しよう
コンセプトは「非日常をもって非日常を制す」である。常識はずれの議論かもしれないが、本気である。非日常というのはpositiveなものとnegativeなものとがある。positiveなものの代表例を祭り、negativeなものの代表例を災害とする。セーフティーネット祭りとは、災害時に備えたセーフティーネットをつくるためのものである。そこでは、避難経路を神輿ではなく家財道具や担架を担いでみんなで練り歩いたり、タダで炊き出しを食べながらおしゃべりをしたりする。PRのポスターは付近の地図を拡大し、避難経路を赤線で引いたデザインにする。祭りの参加者に配られるのは、災害時に包帯にもなり、防寒具にもなる(これは自身が東日本大震災で被災された方から伺った)フェイスタオルである。開催までの流れは以下の通りである。
①「祭りって楽しそうだなあ」と思う。
②運営団体の発足。(ここでこの運営団体に参加するのは、無意味なことでもたのしければやりたい!といったタイプの人間で構わない。強制力がありすぎると、地域住民間に溝ができる恐れ。)
③行政へ、資金援助や広報をお願いする。
④開催へ(その際、この祭りは多くの地域住民並びにNPO、外部の人間に参加してもらうことが目的であるから、参加しやすいオープンな雰囲気が欠かせない)
この祭りでできたセーフティネットや学んだ防災に関する知識は災害という別の非日常で活かす。あえて防災訓練といわず、イベント化するのは、たのしみながらでないと続かないと考えたからであり、また、都市部や郊外等、場所の歴史がない地域において、1年の中で特別な存在となり、地域の繋がりも強固になると考えたからである。コミュニティは作るものであるが、作り方にはいろいろな方法がある。人間関係が希薄になりがちな地域における、非常時に機能する新たなコミュニティの形成方法を考えた結果、「セーフティーネット祭り」という画期的なアイディアにたどり着いた。

<総合司会>
教科書の本文からも、議論からも、ソーシャルキャピタルというのは普段は意識されにくく、震災など何か有事の際に初めて意識され、機能するものだという印象を受けた。しかし、現代社会は人とのつながりが薄れ、個人化・人間関係の希薄化が進行している。その結果、阪神・淡路大震災では200人以上の人が孤独死で亡くなってしまった。反対に、東日本大震災では地縁によるソーシャルキャピタルが強すぎるために、被災状況の差によって人間関係が複雑化してしまっているという現状もある。
ソーシャルキャピタルというのは人とのつながりや信頼から成る生身で非常に難しいものであると思う。だからこそ、そのようなつながり(悪く言えばしがらみ)から逃れたいがために、人間関係の希薄化が進行していると考えられる。面倒な人間関係を全て取っ払ってしまったときに残るのは、第8章でも挙げられていた孤独死に至る「孤独な生」なのではないだろうか。
人とつながる以上、面倒なしがらみも一緒に抱えてしまうのはある意味で仕方のないことなのではないだろうか。そのような側面を意識しつつ、孤独な生を防ぎ、有事の際にもソーシャルキャピタルが機能しうるコミュニティを創っていくための生き方を日頃から意識しなければならないと感じた。
2014-11-12 18:12 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第8章 生と死のあいだ 都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護

第8章 生と死のあいだ 都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護

KEY WARDS → 孤独死 自発的な社会的排除 ケイパビリティ エイジング・イン・プレイス


1.都市高齢者の「いま」
 孤独死の時代
「無縁死」(孤独死)=「ひとり孤独に亡くなり引き取り手もない死」→年間3万2千人
                          (年間の死亡者数は約100万人)
 ↓この現象は加速度的に進む
 少子高齢社会の到来が主たる原因
 →総人口は減少するが、75歳以上の人口が大きく増加。
  (75歳を越えると医療や介護の必要性が一気に高まる)
 →この現象は都市部で特に顕著
  →高度経済成長期に地方から都市に出てきた団塊の世代が都市部で高齢期に突入する
 ↓
 高齢世帯(高齢単身・夫婦のみ世帯)の増加⇔三世代世帯は減少
 ↓
 多世帯・大家族を前提として高齢期の生活を支えることは難しくなりつつある。
 →孤独死の割合がさらに高まる

 都市高齢者の身体と生活の危うさ
高齢化問題→平均寿命の延びが大きく影響(2009年時点で男性79.6年、女性86.4年)

平均寿命≠健康寿命(健康に生きられる期間)
死亡原因…がん、心疾患、脳血管疾患
介護が必要になる原因…脳血管疾患、認知症、老衰、間接疾患、骨折・転倒
→適切な治療を受けても生活自立度は低下する。

75歳以上人口の増加に伴って要介護度の高い高齢者も急増する
→実際に介護をしているのは6割以上が同居家族。
 都市高齢者世帯を中心に、要介護度の高まりとともに、「老老介護」の占める割合も絶対数も高まる→日常的な介護者がいない単身高齢者の増大も予想される

高齢者世帯の家計
収入に対して支出が上回る
(高齢無職単身世帯で3万783円、2人以上世帯で5万2873円(総務省「家計調査」2011年))
→預貯金の取り崩しによって生計を維持
→生活保護受給者の増加

生活の困窮は、預貯金が底をつくまで家庭内で不可視化される ≒ 家族介護
→可視化されるのは、家庭と家計が崩壊したとき
→問題の本質が見えにくくなっている。明らかになったときには手遅れということも。

「自己責任」の風潮の広まり
→「自分のことで家族や他人に迷惑をかけたくない」という思い
 「他人の世話になる無力な自己」を拒否するプライド
→自ら進んで社会の周縁に身を置いてしまう=自発的な社会的排除

孤独死
物理的な孤独死→世帯構成の変容から見ても必然の流れ
社会的・精神的な孤独死=「緩やかな自死」→自己決定の問題として済ませてはいけない

2.都市高齢者の孤独と医療
 都市高齢者を取り巻く医療の変容
死亡場所の国際比較→日本は圧倒的に病院での死亡が多い。
病気という「異常」を治療する場で、生命にとっては「正常」な現象である死を迎える。
→介護施設や高齢者住宅(心身に障害を有した高齢者の受け皿)の整備が不十分
⇔医療機関が社会福祉的な機能を担う

⇔人々の生と死を支えてきた医療の崩壊
1980年代~医療費抑制政策⇔高齢化の進行+医療の高度化=医療需要の増大
↓結果
医師不足、診療機能の縮小、救急患者の受け入れ不能といった問題の発生
 ⇔
病床数は他国を圧倒→低密度医療が進められた結果、急性期医療の需要増大に対応できず
 ↓対策
医療機関の「再編・集約化」「機能分化」→急性期医療の効率的な提供をめざす
→急性期病院の入院日数の短縮
 →退院時期とは、急性期病院への入院非適応となり、地域や他医療機関での療養が可能になったときを指す
 →患者・家族は「追い出された」という感覚を持つこともある。

「病院で死ねない」状況 ← 死亡者数の増大が原因 
(2040年には49万人の看取り場所が不足する見込み(「わが国の医療についての基本資料」))

今日の高齢者
病院での積極的な治療<住み慣れた地域や家庭での日常生活を望む
→「平穏死」「自然死」
住み慣れた家や地域での日常生活維持は心身の健康維持という観点からも望ましい。

在宅医療…1人ひとりの患者の希望を実現するべく、主として患者の自宅における適度な医療提供を通じて、可能な限り患者とその家族の生活を尊重し、患者とその家族のQOL(生活の質)の向上を図ろうとするもの
 ↓
「治す医療」から「支える医療」へ
一人ひとりの患者・家族の生活状況を踏まえた、治す医療と支える医療の連携が重要

 治す医療と支える医療のあいだ
急性期病院の退院支援の現場←治す医療と支える医療のはざまに立つ
→治療後も高度な医療提供や看護・介護を受けないと生活が送れなくなる
理由①医療の高度化による長期延命
 →侵襲度の高い医療処置(気管切開、人工呼吸器、経管栄養など)を受けたために、自宅復帰や施設移行が困難になる
理由②長期伏臥により認知症を含む廃用症候群が生じる
 →身体活動量が低下し、心身機能の二次的障害が発生
理由③疾患の慢性化、合併症や後遺症の併発
 →退院後も継続した治療や医療管理が必要

病院は高度な医療管理と医療安全のために均質化された「非日常」の空間
 ↓
患者は生活の自律を失い、受け身の医療が展開される可能性がある
 ↓
医療が生の自律を奪ってしまう危険性

「人間のために」整備されたシステムが人間の自律を喪失させ、不能化、システム依存、生の平板化へと陥らせる → 近代的逆説

人、物、場所とのつながりのなかで積極的に生きるという意志が失われることが問題
 ↓
患者や家族が、心身機能が低下した状態を受容し、新たな生活を主体的にイメージし、構築していくことが必要

 治す医療と支える医療をつなぐ退院支援
退院支援→に生活の自立・自律を第一に、医療を組み立てるという発想
①:できる限り早くから、自宅に帰るという目的意識を共有
  →医療者とともに、病気と向き合う気持ちを維持していくことができる
②:患者・家族が、病態を理解したうえで、実現可能な退院後の生活像を主体的に設計するための支援
  →入院中の医療やケアも患者が望む自立した生活を可能にする退院後の医療管理を念頭に置く
③:①②を踏まえて在宅療養の環境を整えるサービス調整を行う(従来の退院調整)

ケイパビリティ(潜在能力)
本人の主観的な選好や選択とは別に、ある1つの目的を達成するために採用できる手段の多様性のこと

ケイパビリティの平等
生きる手段の多様性が万人に広く開かれていること
 ↓
退院支援も、生きる手段が限定され、生の可能性を自発的に狭めてしまうなかで、その多様性を開き、当事者の主体性を取り戻そうとする営為(=エンパワメント)といえる

3.都市高齢者の孤独と介護
家族介護という神話
在宅療養に移行した際には、介護が問題となる
→自由な選択の結果としての家族介護と、代替となる選択肢がない家族介護は、意味合いがまったく異なる
 →家族介護が問題になったのは、従来の家族介護では支えきれないほど、介護が長期化・高度化・高密度化したから

高齢者施設は貧困者救済の延長線上にあり、施設介護はスティグマ化(他者や社会集団によって負の表象とされる)され、家族に在宅介護を強いる圧力として作用
→福祉政策の貧困は「日本型福祉社会」なるイデオロギーのもとに覆い隠されてきた
 ↓
2000年介護保険制度の実現→「介護の社会化」が部分的に実現
「保険」という制度に「受益者負担」の原則を持ち込むことで、公的サービス利用に対するスティグマをなくす効果があった
 ⇔
要介護度が高まると、家族の介護力なしで在宅の生活が可能になる段階には達していない

 施設介護からエイジング・イン・プレイスへ
介護保険施設への入所のニーズの高まり
 ⇔
施設定員数の不足、介護保険利用も居宅サービスが中心(特に都市部で顕著)、介護保険財政の逼迫により新たな施設建設も困難

施設入所→入所者の生の自律を削ぐという問題
→施設の類型により提供されるサービスが固定化されており、入所者のニーズに合わせた柔軟なサービスを提供することができない
→心身の状態の変化に応じて必要なサービスを提供してくれる施設に移るのも困難

「住まいとケア」の分離に根ざした「地域居住」(エイジング・イン・プレイス)の発想
→自宅に住まい、自らのケイパビリティを最大化するかたちで、さまざまなサービスを日常生活圏内でフレキシブルに組み合わせて提供してもらうスタイル(地域包括ケア)

2006年~地域密着型サービスが始まる。特に、小規模多機能型居宅介護施設
→生活圏内にある同一の施設が、デイサービス(通所)、ショートステイ、訪問介護などの多様なサービスを提供
 →住み慣れた地域や自宅での生活を支える

2012年~介護保険による24時間地域巡回型訪問介護サービスが始まる
→1日複数回・短時間の定期訪問や随時訪問により「必要なタイミング」で「必要な量と内容」のケアを提供する

地域密着型の介護事業者などによるフォーマルなネットワークと友人、隣人、ボランティア、NPOによるインフォーマルなネットワークを多様につなぐ都市生活空間が必要

「サービス中心モデル」:利用者の多様なニーズを画一化して施設をカテゴリー化し、固有性を有した人そのものをカテゴリー化してしまう
 ⇔
地域居住:本人が住みたい場所に住み、必要なケアをフレキシブルに提供
     →「住む人を選ばない、住む場所を押し付けない、住む時期を決めつけない、そして自己決定により町中を自由に動き回れることを可能にする」モデル

4.都市高齢者の「自立」に向けて
「無意味な延命」⇔さまざまな人やものとのつながりを土台とした「自立」的な生の構築
「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」が問われなければならない

経済的な貧困→就労機会の提供、生活保護の適用
心身の異常→必要な医療と介護の提供
住む場所や施設がない→サービス付きの高齢者住宅の整備
 ↓
都市高齢者は、それだけでは解決できない問題を抱えていく
 ↓
死の外部化によって成り立ってきた生産主義的な「都市」の論理という前提
→自らは標準化=規範化された都市生活から乖離してしまう
→そこから失望と諦念が生まれる
→自発的な社会的周縁化、社会的排除に至ってしまうという問題

医療と介護の役割
・心身の維持や回復
・生と死の分断ではなく、それが混在する中で、都市に住まい都市に生き都市に死ぬ人びとの人間性の維持と回復をもたらすものであるべき

○論点
1.介護保険が整備され、様々なサービスが提供されているが、私たちの祖父母は実際にどのような生活を送っているのだろうか?そして、そこにはどのような問題が潜んでいるのだろうか?

2.1を踏まえて、少子高齢化が急速に進展しているという前提のもと、私たちはどうやって生き、死を迎えたいか?そのためには何が必要なのだろうか?


<第1班>
論点①


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グループメンバーの祖父母、両親は皆多少の健康不安を抱えつつも元気であったことから、「なぜ元気に生活できるのか」を考えてみた。
その結果、3点が明らかになった。1点目は仕事などをしており、自律・自立していること。2点目は生きがいを持って生活していること。生きがいには自己完結型と他者との関わりが生じるものの2つがあると考えられる。最後の3点目は健康不安などを抱えつつも、その中で最期への準備をしていることだ。

論点②

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「孤独死」を迎えないためにはどうすればよいかを議論した。まず我々は「長生きをする」前提で議論を進めていることに気付いた。長生きするためには健康である必要があるが、身体的健康のみならず、精神的健康も非常に重要な観点になってくる。
議論内容に戻るが、「就職→結婚→子供・孫の誕生」が孤独死を防ぐための1つの流れではないかということになった。しかし、この流れの通りに生きなければ孤独死を迎えるということでもないし、この通りに生きても孤独死を迎える可能性は低くない。そのため考えたのは、「家族」だけではなく「家族以外の他者」とのつながりを切らないということだ。何らかのコミュニティに属すること、そしてコミュニティ自ら抜けるということを防ぐことが大切だと思われる。

<第2班>
論点①


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論点②
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[論点2]は教科書本文や[論点1]の内容を踏まえた上で、自らの生と死について考える議論となった。私たちにとっては、まだ「死」を直近のものとして捉えるのは少し難しいようにも思える。しかし、少子高齢化が進み、無縁社会とも言われる都市に住まい都市に死ぬ1人の人間として、生と死を分断することなく一本の繋がりとして捉えた時、望ましい「死」を迎えるためには「生」のあいだの様々な要素(就職・結婚・人とのつながり…)が必要になることが見えてきた。例えば、私たちにとって間近に控えた就職も、長い目で見れば1人ひとりの「死」につながる重要な選択の時だということ。とりわけ女性にとっては結婚が、居住地選択という点でその後の人生に大きく関わるということ。「死に方」につながる数々の問題がすでに私たちの目の前に存在していることに改めて気付いた。ここに、教科書本文にある“「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」を問わなければならない”という文章が、より説得力を持つものとして各班メンバーの心に残ることとなった。

<第3班>
論点①



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論点②
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<総合司会コメント>




2014-10-31 17:36 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 1 :

浜松

浜松フィールドワーク合宿 2014年9月29日~30日
写真はクリックすると別画面で拡大します

浜松城
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ブラジル銀行浜松支店
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旅行代理店
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ブラジルのプロテスタント教会
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2014-10-05 18:03 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

世界民族百科事典(丸善出版)

世界民族百科事典世界民族百科事典
(2014/07/05)
国立民族学博物館

商品詳細を見る


目 次

1. 概念・研究 [担当編集委員 : 佐々木 史郎]
民族の文化人類学的研究/民族と人種(形質人類学的研究)/民族と国際政治/民族学(エスノロジー)/民族誌/エスニシティ/エトノス/人種(レイス)/部族/歴史上の民族に類する集団/民族と文化/民族と言語 ほか

2. 国家・ナショナリズム [担当編集委員 : 杉本 良男]
ネーション/ナショナリズム/近代国民国家/民族自決/エトニとネーション/創られた伝統/資本主義とネーション/吉本隆明『共同幻想論』/想像の共同体/非西欧世界のナショナリズム/マルクス主義と民族/「人種」のるつぼ ほか

3. 紛争・戦争 [担当編集委員 : 栗本 英世]
「民族紛争」は「民族」が原因か/新しい戦争/グローバル化と紛争/民主化・自由化と紛争/希少資源と紛争/移民と紛争/ジェノサイドと民族浄化/部族・民族民兵/民族自決権/平和構築/和解と共存 ほか

4.宗教・信仰 [担当編集委員 : 三尾 稔]
分類される「宗教」/民族宗教/正統と異端/政教分離主義/布教・伝道/千年王国運動/原理主義/宗教多元主義/聖地/巡礼/聖者・聖人/教団/移民と宗教/祭礼/トーテム/祖先崇拝/シャーマン/通過儀礼と民族アイデンティティ

5. 言語・文字 [担当編集委員 : 庄司 博史]
言語の分類/言語運動/文字の出現とその展開/少数言語と危機言語/移民言語/言語政策/標準語・方言/母語/言語混交(ピジン、クレオール)/国語国字論争/無文字言語/民俗分類/手話/多言語化・多言語主義/コミュニケーション ほか

6. 歴史・神話 [担当編集委員 : 樫永 真佐夫]
時間と空間/類似的神話/神話の論理/メシアニズムと少数民族/自民族劣等神話/英雄崇拝/神話と物語/庶民の歴史/うわさ、流言飛語/神話から歴史へ/国史編纂と歴史教育/歴史と公的記憶/記憶の場/夢を介した個人史と民族史 ほか

7. 場所・空間 [担当編集委員 : 森 明子]
空間の象徴的意味/聖地/市場/ストリート/盛り場/アンクレーブ/郊外/定住化・再定住/領土/失われた領土と国民形成/アサイラム空間/トランスナショナル社会空間/移民とローカリティ/記憶・語り・場所/故郷 ほか

8. 先住民・マイノリティ [担当編集委員 : 野林 厚志]
先住民運動/先住権(含先住権原)/先住民の権利と政策/先住民知識(含知的財産)/国際機関と先住民/先住民ネットワーク/母語教育/オーストラリア・アボリジニ/マオリ/オセアニア先住民/北米先住民/中南米先住民 ほか

9. 移動・移民 [担当編集委員 : 南 真木人・中牧 弘允]
ノマド/漂泊の民/中東湾岸の家事労働者/スポーツ移民/移民コミュニティ/移民送出のシステムとネットワーク/移民経済/移住政策/災害による移動/国籍/移民の統合/先住民権と移民/移民児童の教育/クレオール文化 ほか

10. 国際社会 [担当編集委員 : 鈴木 紀]
国際社会の構成/国際連合/オリンピック/近代世界システム/文明の衝突/国際開発/開発途上国/BOP/第三世界/多国籍企業/市民社会/NGO/人権/マスメディア/インターネット

11. 仕事・労働 [担当編集委員 : 信田 敏宏]
生業,生産,労働/ものづくり/カースト制と仕事/プランテーション/金融/宝石と分業/家事/工芸と職人/芸能者/トラベラー・ロマ/行商・物売り/物乞い・ホームレス/プロ・スポーツ/傭兵/セックス・ワーカー/仕事と遊び・余暇

12. 生活文化 [担当編集委員 : 朝倉 敏夫]
衣とアイデンティティ/衣のグローカリゼーション/衣と流行/ディアスポラとパレスチナ刺繍/エスニック・ファッション/衣と王権/食とアイデンティティ/食のカテゴリー化と認識/食のグローバリゼーション/スローフードとローカル/フード・セキュリティ/食の忌避と禁忌 ほか

13. 芸能・芸術 [担当編集委員 : 寺田 吉孝]
先住民と音楽/西洋芸術音楽/声/楽器/ワールドミュージック/パフォーマンス/民俗芸能/グローバル化する舞踊/民族誌映画/民族芸術/プリミティヴアート―その歴史と位置づけ/手工芸/紛争後の平和構築とアート ほか

14. 文化遺産・博物館 [担当編集委員 : 吉田 憲司]
世界遺産と民族/無形文化遺産/民族学博物館/民族集団と博物館/博物館と返還/民族誌展示のありかた/国立民族学博物館(みんぱく)/博覧会と民族の表象/アイヌ民族と博物館/博物館における文化遺産の保存 ほか

15. コミュニティ [担当編集委員 : 平井 京之介]
コミュニティ/地域共同体/寺院/出稼ぎ労働者コミュニティ/在日コミュニティ/コミュニティの象徴的構築/コミューン/ユートピア/アソシエーション/新しい社会運動/まちづくり/エスニック・コミュニティ ほか

16. グローバル経済 [担当編集委員 : 岸上 伸啓]
貧困/格差の拡大/都市化/グローバル・シティ/国際犯罪/インフォーマルセクター/リスク社会/市場経済/消費/金融危機/観光/脱国家化/フェアトレード/連帯経済

17. 環境・資源 [担当編集委員 : 池谷 和信]
環境と民族/環境史/自然資源利用(陸域)/自然資源管理(海域)/環境倫理/土着の知識(TEKとSEK)/コモンズ/環境破壊/熱帯雨林問題/稀少資源/環境運動/資源問題/人口問題/捕鯨問題/象牙問題/自然公園/生物多様性/環境と災害

18. 家族・ジェンダー [担当編集委員 : 宇田川 妙子]
親族組織/系譜/血・血縁/家族・家内領域/婚姻/母・母性,父・父性/養育,世代間関係/生殖医療技術/再生産・人口・出生率/女性,女性性/男性性/同性愛,トランスジェンダー/ジェンダーと民族の交錯/グローバル化する性別分業 ほか

19. 身体・医療 [担当編集委員 : 白川 千尋]
民族と病気/文化特異性障害/民族と身体的特徴/身体技法/身体運動/身体変工/身体装飾/マッサージ/民族医療/民族薬学/ドラッグ/浄・不浄/誕生と死/遺体処理/カニバリズム/エソテリックツアー

20. 他者・表象 [担当編集委員 : 関 雄二]
民族分類/文字記録/美術による民族と国家の表象/映像メディア/バーチャル空間/空間認識と文化継承/「新しい人権主義」と他者の表象/表象に対する権利/民族表象と運動/表象と政治/移民と表象/表象の消費 ほか

「インド系移民」について、澤が執筆しました。

2014-08-24 18:29 : 澤が執筆した書籍(共著など) : コメント : 0 :

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

Key words: 都市雑業  人間らしい働き方と生活  アウトリーチ ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

1.ワークの面から見た都市

都市部のワークの実情(P122表7-1より)
・就労機会の圧倒的な多さ (ワークの「量」)
・非正規の新規求人が4割弱を占める (ワークの「質」)
⇒都市における人手不足は著しいが、そのほとんどが「システムの高速稼働が可能なように作業を加える業務」
言わば「都市雑業」であり、あまり人が好んで就くような職種ではない

都市では選ばなければ仕事は見つかる

都市では・・・
経済のグローバル化の中で「底辺への競争」に歯止めが掛からず、①労働条件のさらなる引き下げと②業務のさらなる下方分解が進んでいる
①従業上の地位の「変更」等によりコストの「高すぎる」労働者を安く使用する
②出来る限り訓練コストが少なくなるよう「それなら誰でも出来る」と言える業務を作り出す

⇒人間らしい働き方と生活が実現するとは言えない労働状況下にある都市でも、就労機会が多いことからワークを求めての人口流入は止まない

2.ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

「選ばなければ仕事は見つかる」都市部…ワーク・ライフ・リスクが非可視化そして潜在化しやすい
⇒無職状態を挟みながら溢れる都市雑業を転々としながらなんとか「もって」しまう
(地方部の工業団地…リスクは大手の撤退、職場の消滅など目に見える形で顕在化する)


このような労働状況下におかれた都市勤労層のしんどい状況とは?
稼得単独世帯
生産年齢にあって一人暮らしをしている勤労者(雨宮処凛さんの例)
若者の暮らしは都市雑業を転々とすることによりなんとか「もって」しまう(not 人間らしい働き方生き方)

核家族世帯
「夫婦と子供から成る世帯」について考察
高度成長期以降の典型的な家族モデル「夫が正社員で働き、妻は専業主婦か家計補助のパート」
年功賃金制から職能資格制度に変わりつつある現在、このモデルは決して安定したものでは無くなる
⇒リーマンショック等大きな構造転換が訪れるとリスクは非常に悪化した形で表れる
But 問題なのは潜在的なリスクの存在、「職を選ぶ」ことによりリスクは突如顕在化してくる

生活保護受給者
就労している生活保護受給者…常に潜在的なリスクに曝されている
⇒正しく職業訓練を受けて就業したとしてもディーセント・ワークが保障されるとは限らない
∴雇用形態はどうであれ、人間らしい働き方を保障出来ない社会構造に問題があるのでは

3.先進的基礎自治体の取り組み

都市勤労層のしんどい状況に対処する主体…「行政に最も近い行政単位」基礎自治体
But ほとんどの基礎自治体には雇用行政の経験がない


国と自治体の「分業」により、基礎自治体には労政と福祉を繋ぐノウハウが欠如している
先進的な自治体はこれらを繋ぐ様々な施策に取り組んでいる(Ex.大阪府豊中市)

その特徴…
①組織間の連携
②アウトリーチな取り組み
アウトリーチ…福祉などの分野における地域社会への奉仕活動

未だ先進的な自治体のみの動きに留まっている
その理由…
①「法律による行政の原理」、加えて行政の対処する範囲の拡大
②「申請主義」

先進自治体の取り組みは問題の「解決」というより「可視化」として評価されるべき

<論点>
論点① 私たちは働く際には何かやりがいを持っている。それでは私たちは仕事の何にやりがいを見出すのだろうか。そしてそれは如何なる理由で見出すのだろうか。

論点② 今回見たような「人間らしい働き方と生活」が保障されない社会構造を変革するために、1)行政、2)労働組合、3)労働者本人がすべきこととは何だろうか。


<第1班>
論点①
 

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私たちはまだ「アルバイト」としての仕事しか経験したことがないため、まずアルバイト先を決めたときの基準を出し合った。それらは大きく自分のスキルアップにつながるか、自分の個性が活かせるか、それが社会貢献となるかなどの「自己実現系」、賃金、職場と自宅の距離、雰囲気などの「職場環境系」、仕事内容の楽さなどの「その他」にカテゴライズできた。

しかし、それらはあくまでアルバイトを始めるにあたっての個々人の基準であり、「基準=やりがい」ではない。アルバイトを続けていくうちに私たちは何かを得るはずである。得るものについても出し合い、仕事能率の向上などの「達成系」、能力を認められたり、他人とのコミュニケーションがうまくいくなどの「認められる系」、賃金や好きなものに囲まれる環境など「もらう系」と3つにカテゴライズした。私たちは自分の中にある基準に従い仕事を選ぶが、それがやりがいになるためにはある程度の時間の経過が必要であり、そのやりがいは個々人によってさまざまであると議論をまとめた。

論点②

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まず最初に「人間らしい生き方=食べられるかどうか」、「人間らしい働き方=モノのように扱われることなく、自分の仕事にやりがいと誇りをもっている」と定義した。また、私たちの班では、労働は単なる作業とみなすか、社交の延長とみなすかの2種類あるとした。

人間らしい生き方をできない人々は労働を単なる作業とみなす可能性が高いのではないか。というのも、食べられないのだから、仕事に対してやりがいなどとは言っていられないと考えたからである。その解決策に関しては、今回の章に書いてあったことが当てはまるように思う。しかし、人間らしい生き方がすでにできている人々は次の段階を求める、すなわち仕事に対してやりがいをもとめるようになるのではないか。そしてまた、もともと人間らしい生活ができていた人々が急にその生活をすることが困難になった場合、本来ならば単なる作業の労働にいくと考えられるのだが、過去の仕事とどうしても比較してしまい、なかなか切り替えられないケースも想定できる。こちらに関しては、労働者の仕事に対する「なんか違うな」という気持ちの曖昧さにひとつの原因があると考えた。きちんと仕事とのマッチングができていればやりがいを感じることのない労働は減るのではないだろうか。

そもそも、この問題の原因はどこにあるのか。経済政策なのか、市場主義社会なのだろうか。議論は広がったが、どうしても終着点が見えなかった。澤先生もおっしゃったとおり、私たちには貧困の感覚が欠けている。当事者意識を持って議論をできないのは実に残念なことである。

<第2班>
論点①


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班員がバイトに対して持っている「働く際のやりがい」は、やはり「入口はお金が欲しい」というものだった。なぜだろうと考えた時、「マズローの欲求5段階説」に当てはめて考えてみてはどうかとなった。まず「給料」は一番低次な「安全・生理的欲求」に位置する。そして、「職場での楽しみや働きやすい雰囲気」を求めるのは「社会的欲求」に当たる。具体的に言うと、給料だけよく、職場の雰囲気が悪ければ「社会的欲求」は満たされずストレスがたまるということだ。達成感や顧客の満足などはさらに高次な「承認欲求・自己実現欲求」に位置し、この二つの欲求はリンクしている。結論としては「より高次の欲求が満たされる職場ほど仕事が長続きする」というものだった。

論点②
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「人間らしい働き方と生活」は、私たちにとっては先述の「安全・生理的欲求」と「社会的欲求」のいずれもが満たされている「働き方や生活」である。そういった「働き方や生活」が保障されるために①行政は、「安全・生理的欲求」に関する賃金問題などの解決が求められ、②労働組合と③労働者には「社会的欲求」が満たされるような職場づくりが求められる。

<第3班>
論点①


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まず初めに、仕事に対するやりがいを個人の経験に基づいて各自が挙げた。すると「やりがい」を「自分自身に求めるもの」/「他者に求めるもの」の2種類に分けられることができた。次に前者の内で優先順位をつけると、「生活のためにお金を得る」という項目が最初に核となる部分として存在し、これをさらに追求する過程で他の「自己のため」に属するやりがいを同時的に追求・達成していくことで、この連関が環状となって、さらに自己を上昇させ、仕事によって総じて自己を高めようという意識が形成されているのではないかという議論がでた。また同時に、後者に対するやりがいは、前者の連関のサイクルが好循環となって機能した時にのみ、つまり労働者自身にとって精神・金銭面で余裕のある時にだけ強く意識されるものである。そのため、前者の好循環のサイクルから外れたような労働環境におかれた労働者には、後者にやりがいを見出すまで思いが及ばないのではないかと考えられ、企業の人件費削減等の労働者への圧力は仕事に対する「やりがい」の幅を縮減している要因の一つとも捉えることができ、非正規で低賃金労働者層の増えた我が国では仕事にやりがいを感じられない人が増加していると考えられる。

論点②

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論点①での議論を踏まえ、「人間らしい働き方と生活」を保障するために、行政・労組・労働者に企業を加え、この四者が行うべきことを列挙したが、いずれも過去に行われていた制度や方針、或いは日本の企業が現在国際的におかれている状況下においては実行されるのが極めて現実的でないと考えられる案などが出され、議論は袋小路に陥った。そこで、社会構造の抜本的な改革は難しくとも、将来日本の労働市場を支える子供たちを救う手だてはないだろうかという議論になった。そもそも子供は親の収入の多寡によって、その教育の水準が左右されやすく、特に低所得層の子供は教育水準が低いため、個人の持ちうる能力を十分に引き出せずに、結局親と同等の経済的階層を引き継ぐことになりやすい。こうした家庭に、行政の施策として学習のための費用の一部を補助し、子供には基礎的な学力を等しく付けさせて、せめてもの機会の均等を図るべきだという話がまとまった。

 しかし、こうした低所得層の子供に対する学習援助が行われても、有能な一部の人間は論点①の前者の好循環サイクルに乗れる可能性は確かに高まるが、その他の多くは競争社会の企業で篩いにかけられて依然そこからは外れることとなることは明白であり、根本的な解決策を見出すことはできないまま、議論は終了した。

<総合司会コメント>
都市で働く人々のなかに、仕事に生きがいを持てない人が増加している。本来労働(仕事)は、「生活の糧(賃金)を得ると言うだけでなく、自分の能力を発達させ、社会に役立ち、職場で仲間と出会い、協力し合うという、社会人としての生き方そのものだったのである。」(暉峻淑子(2012)「社会人の生き方」岩波新書)しかし、現実には、ようやくその日が暮らせる生活の糧しかえられない人、ますます単純化される仕事に長時間拘束される人、就きたい仕事はあるが、正規の仕事はなく日々雑業に追われている人など、しんどさを抱える人々が都市にはあふれている。まじめにこつこつ努力することが成功への近道だった時代は、はるかに過去のものとなったのだろう。私たち一人ひとりのまじめな努力では解決できない労働に関する「しんどさ」「きしみ」が、どこからくるのかを考えようとした。多くの議論が現実からかけ離れた上滑りになってしまうのは、高齢者や貧困層など社会的弱者と言われる人々の生活実態を理解できていないからであろう。

さらに、論点②において「社会構造を変革するために」論議したが、社会の変革がどういうところから起こるのか、それは私たち以外のだれかが取り組む問題なのか、私たち自身の取り組みなのか、経験がないためになかなか問題を掘り下げられないもどかしさを感じた。同じ人間として、わが身をきしむ現実の場に置いてみて、その現実に対して何が必要か、私たち一人ひとりに何ができるかを議論できる力が必要だと感じた。

2014-07-21 15:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

キーワード 近代家族 家族規範 私事化 多様化


1.知識としての家族

・知識としての家族…教科書で「理念型としての家族」が描かれているだけ
・家族の実態、家族の責任、家族の抱える問題…教科書に載らない

私たちは家族の中で生まれ、育ち、家族は最も身近な存在である。私たちの個人的な経験の大きさは、幼少期のみならず、成人に至っても家族を相対化することを難しくさせている。にもかかわらず、私たちは同じような家族意識を持ち、家族規範に縛られている。
では、私たちの家族のイメージは、どこからくるのか。

2.幻想としての家族

・私たちは日常会話の中でしばしば家族について語る。
話題となる「家族」は、規範としての家族、理想としての家族、自分自身の身近な家族などがかわるがわる登場する。特に伝統的家族をイメージする際には、ノスタルジーのもと寄せ集められた次のような断片がパッチワークのようにつなげられる。
(断片としての家族)・昔は大家族だった ・昔は三世代家族が多かった ・昔は子どもの数が多かった・昔は母親が専業主婦、父親は仕事中心の生活を送っていた・昔の子どもは家事をしていた

家族イメージのつくられ方
・昔の大家族のイメージ → 主に東北日本の家族
・現代の家族のイメージ → 東北から都市へ移動した次男、三男、娘たちの築いた核家族である。
・日常生活においてメディアから「家族」が流されている。
・新聞・雑誌の普及により都市家族と農村家族が混在した幻想としての家族が作り出された。
・パッチワークされた家族のイメージはテレビのホームドラマによって普及していった。
          
現実には多様な個人の家族経験は分節化し、常に「メディアで流される家族」と「個人の家族経験の一部」がつなぎ合わされ強化されていった。
→ それが「家族イメージ」

3.家族の何が変化したのか

「変化」していく家族
家族が多様化した。
高校教科書では、・少子高齢化と家族形態の変化、・家族がもつ役割の変化
厚生白書では、 ・単独世帯の増加による親族世帯の減少
     ・親族世帯のなかで核家族が増加している傾向
・「家族の果たす役割」
生活保障、経済的な機能→精神的な安定、子どもの養育へと変化

 高齢者が子どもと住む割合は確かに低下し、その他の親族世帯(3世代家族を主に含む)の割合は、2割以下に低下した。特に、高齢者から見れば子ども夫婦と同居する割合は、大きく低下した。
 高齢者と同居していた者が高齢になったときに核家族化により単身になったという変化ではなく、高齢者と別居していた次男三男夫婦が高齢になった時に夫婦のみ世帯、あるいは単身世帯になった。これが1970年代以降注視されていた核家族化の帰結である。

離婚・再婚の「変化」
・離婚は増加しており、有配偶離婚率(夫婦数に対する離婚数の比率)は1980年の3.03%から2000年には約2倍の5.98%にまでなり、2010年も5.72%と、高水準を維持。
・再婚は、たしかに増加しており、再婚によって生じる家族構成にも変化がある。
 
高度経済成長期から低成長期へ移行した頃、離別後に母親が子どもと暮らすことが多数を占めるようになると、子どもと別れて暮らす男性は子どものいない女性と「初婚家族」を形成し、子どもと暮らす女性は再婚しないという時期がしばらく続く。今日では、子どものいる女性の再婚割合が上昇している。

少子化や家族形成過程の大きな変化
 標準世帯=標準的な家族はマジョリティではないことや標準世帯を標準とすることの限界が広く認知されるようになった。それでもなお、通念的家族は残存し続けている。


4.「家族する」家族

標準的な家族の消滅 → むしろ「家族」の実践、「家族すること」は強化されている
 
家族は、
・法的な関係にある家族成員に対して責任を果たすよう促す圧力①
・家族の絆、情緒性への関心は高まり、「家族」の実践により親密な関係を形成確認しなければならないという圧力②
家族外部から、そして内部からさらされている。

圧力① 家族成員に対する責任の要請が強まったのは、1980年代の日本型福祉国家への舵切りであり、介護保険の導入後も家族への依存なしには高齢者個人が自立した生活を行うのが困難な状況は続いている。
参考 : 扶養義務者(家族)に利用者負担、在宅介護の指導、介護期間の長期化、長期入院問題

圧力② 今日でも、別所帯であるにもかかわらず稼得可能な家族がいる生活保護受給へのバッシング、夫婦別姓への反対や性別分業の肯定など旧来の家族を維持する仕組みの一部が持続、支持されていることからも、家族規範の強さをうかがい知れる。

「家族する」とはどういうことか
・家族 : 「所与のもの」→「構築されるもの」と見る視覚の変化、あるいは多様化
・「家族する」こと : 「表面的とするもの」→「現代家族の中核的なもの」へと変化
・「自分が家族だと思う範囲」→「家族」とする見方→「ファミリー・アイデンティティ」
・家族することの有無 →「家族のメンバー」の確定

 主観的家族の定義においては、メンバーシップの条件は外され、家族の機能については精神的な安定のみを、そして強調されるのは関係性である。ありのままの自分を受け入れてくれるというこの関係を形成するために、家族のなかで家族を演じ、互いの演技により家族する家族は成立していく。

 ただし、日本においては、男女あるいは夫婦としての感情的関係は希薄である。
 日本における家族の親密性はケア役割と稼得役割の分業によって結びついてきた。
・「家族する」ことは、夫婦関係の希薄な日本において重要な感情表現ではない。
・「家族する」ことは親子中心に行われてきたともいえる。
・「家族する」ことに価値が置かれる一方、通念的家族、従来の家族規範は、多様化の陰に隠れながら維持されている。

5.孤立する家族、個人
    
私事化
・ 公的な関心や集団に関することよりも、自分自身の私的な関心によって行動基準を変えていく傾向が強くなることを「私事化」と呼ぶ。
・私事化の傾向が強くなれば、人々は公共善ではなく利益追求に向かうため、相互の連帯に弛緩(しかん=ゆるむこと、たるむこと)が起こり、共同性に揺らぎが現れる。
(「日本社会の変化と規範意識」 森田 洋司氏(大阪樟蔭女子大学学長))
・家族の変化としては、形態の多様化よりも、私事化の方が大きな変化ではないか。
・私事化は「家内領域と公共領域の分離」は個々の家族が自律性を高めていく過程であり、「わたくし」を「おおやけ」より優先させる生活意識やライフスタイルの普遍化していく過程にも重なる。
 
 しかし、私事化において自律とされているものは、むしろ分離、孤立であり、ばらばらの個に解体される現象をさしている。

・このような見方は、都市化によりコミュニティが解体し、人々が孤立したとするコミュニティ解体論や家族崩壊論とも重なる。
・社会制度との関連では、政府の政策的取り組みが、改善するはずの(生活保障の)状況をかえって悪化させるという事態「生活保障の逆機能」に立ち至っている。
   ※世界トップクラスの相対的貧困率、自殺率、世界最低クラスの出生率など
・「男性稼ぎ主」型の社会では、事業主が社会保険料負担を回避するためにフルタイム雇用者を絞り込み、若者と女性が労働市場の外に排除されている。その結果ますます社会保障の対象となる人々が増加している。(「男性稼ぎ主」型の逆機能)
・従来家族機能とされていた生活保障が社会化したにもかかわらず、それは十分ではなく、かえって貧困が放置されるようになっている。(家族の逆機能)

6.明日の「家族」

・私たちが見ているのは、「現実の家族」ではなく「幻想としての家族」である。
・「幻想としての家族」は、「現実の家族」を覆い隠している。
・幻想や理想像のままに家族の機能をあてにすることは、逆機能としてあらわれ個人の生活リスクを高めているのである。
※家族には成員の強い情緒的関係性があるはずなのに、成員間に支配・被支配の関係がうまれることによって「子どもや高齢者への虐待」「DV」「家庭内暴力」などがおこる。
※家族同居による老親扶養は、身辺介護、情緒的援助がしやすいはずなのに、扶養者・被扶養者の関係に情緒的葛藤やプライバシーの侵害などがおこる。

家族形成の過程は多様化し、それは家族の内実をも多様化させている。
家族に対する見方や家族意識も多様化の途にあるが、いまだ私たちは家族の呪縛のなかにいる。もはや家族とは目に見えた確かなものではない。「家族」することを否定したり、従来の家族という形態に異論を唱えたりしても、それでもなお、「親密圏」と言ってもいいが、必ずしも家族とは限らない家族的存在を求めている。

論点①
「メディアに登場する家族には、どのような家族像があるか、それはどのような社会を反映しているだろうか。現実の家族、幻想としての家族という視点も加えて議論してみよう。」
メディア : 雑誌、テレビドラマ、コマーシャル、映画、ニュース、新聞、アニメなど。

論点②
「家族が私事化するということは、具体的にどのようなことをいうのか。そして、そのことがなぜ分離、孤立になるのか、なぜばらばらな個に解体されることになるのか、原因を探り、それを解決する手立てを議論してみよう。」


<第1班>
論点①
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メディアに登場する家族像や家族形態を列挙し、それを年代別に整理していった。それらを基にして、家族像の変遷にはどのような社会的な要因が関連しているのかを話し合った。結論としては、核家族という形態は現在も維持されているが、結婚に対しての価値観の変化や夫婦間での価値観の違い、私事化の進展などから、夫婦別姓、別居、母子家庭、父子家庭、離婚、再婚、おひとりさまなど、多様な家族像が想定された。

論点②
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そもそも、核家族という理想的な家族像があることが前提で論点が設定されていたが、前述の議論より、私事化が進展し、多様な家族像が想定され、それは解決すべきものなのだろうか、というところから議論をした。私事化によって形成された多様な家族像は、親から子どもへと引き継がれ、少子化→労働人口の減少→社会保障の崩壊というスパイラルが生み出されるのではないか、という結論に至った。

このスパイラルによる問題を解決するために、私事化してしまった多様な家族像を核家族に戻すことは現実的ではないため、家族によらない解決策が必要だと考えたが、明確な解決策は提示できなかった。

<第2班>
論点①

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まず最初に、班の人がそれぞれ具体例をポストイットに書き込む。
「限定せずに思いついたものを書いてゆく」形式。
一つ目のテーマに用いれる時間が二十分のうち五分程度をその時間に充てる。
(その事例書き込みの時間中にどのような事をすると、より実りのある議論になるのだろうか・・・)

5分終了の後、各自それぞれ提出。
一人一人に書き込んだ内容にばらつきがみられる。
ニュースで報道された事項を書く者と、家族をテーマにした作品を挙げる者。
また、レジュメに書かれていた「メディア」の定義は「雑誌、ドラマ、CM、映画、ニュース、新聞、アニメ」となっている。
時間制限をかけられた状況、あるいは思いつくままに書いていく状況だと、近いものから拾っていく傾向にあるのだろうか。

提出ののち、家族を主題に取り上げた報道や作品が多いという話題に。
恐らく、「情緒的関係」と見なされている事や、社会関係の基礎単位であるためという事項がある。
また、それを取り上げる側、作品を作る側の意図もあると思われた。
報道者の精神、芸術家の精神、営利行為の精神、などいくつかにパターン化される精神性(意図?)の存在にも注目できたらと思った。
あるいは、メディア全体を取り巻く力学にも目を向けられたらなおよかった。
テーマが「メディアにおいて家族はどのような表象として取り上げられているか」であるので、
それを生の物語として取り扱う事は避けるべきだろうと後々思った。

ポストイットを「報道/作品/CM(で取り上げられた家族)」という3分類で分けることに。
いずれのものもこの3分類のうちのいずれかに当てはまったため。
かつ、作品系のポストイットの種類がそこまで多くはなかったので、「小説/映画/・・・」などで分けるより一まとめにしてしまった方がよいと判断。

☆疑問点
・「SNS」はメディアなのだろうか。
・フェイスブックなどは「閉じた関係」だが、ツイッター、掲示板などは大よそ「開かれた関係」に近いと見なすことに妥当性があるはず。
現実の関係は「ウチ/ソト」、「馬があう/あわない」や「親密/疎遠」「知り合い/知らない人」といった切り分けがなされる。
ネット上の情報の相互関係はそれとどのような違いがあるのだろうか。
・「SNSにおけるウチ/ソト」とはどのように定義できるのだろうか。
・メディアは「公」という性質が強いように思うが、
情報の行き交い方に違いがあるインターネット空間では「ウチ/ソト」を分けるものは何なのだろうか。


論点②

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論点①と同様に5分かけて例を出す。
「孤食」「町内会の意義の低下」「2世帯住宅の増加」など。
それぞれを「家の中の私事化」と「家族間の指示化」に分ける。
次に、私事化の原因と、その結果起きる問題を挙げる。
原因を「物質的原因」と「精神的原因」の二つに分ける。
物質的原因として、「食事にかけるコストの低下」「ウチとソトを明確に分けない建築様式」などを挙げた。
おそらく、食事に関しては「労働時間の在り方」や「子どもが学校に行っていない」などが加えてあげられ、
かつ町内会に関しては「長屋制度が風化した」、「都市の過密化の結果、隣近所で知り合わなければいけない数が増えすぎたため」なども加えられるかと考える。
ただ、同時に「私事化以前の社会状況」について豊富で正確な知識があるわけではないため、どうしてもイメージで語るところが大きい。
そこはどうやって解決できるだろうか・・・
議論にipadだのインターネットで調べる、本や論文を見ることができる状態を作ることでそれをある程度改善できるだろうか・・・
できたとしても、様々な制限や偏見をぬぐえない所がある。
今の検索システム(ciniiも)はどうしても「検索ワードに関わるリンク」をそのまま出す。
ネットに存在する言説を分析した結果も出してほしい。
「こういう言葉と一緒に用いられます」だの、「こういう風に議論で使われています」だの。
「ネット上に存在する知識を整理してその結果を、定式化・文章化して出してくる」言説分析の仕組みがあるサービスがあったらうれしいですね。
図とかも自動で調べた上で、それをチャート化して、根幹の主張と対立する主張をまとめてくれたり。
あったとしても、それに頼り切る事はできませんが。

「解決」については、「全体、あるいはマクロ的問題について解決案を出すのは難しいので、ミクロあるいは局所的に解決する事を志向しよう」という方向性を主張。
揚げらていたものの中で「葬式に人が来ない」が局所的問題にとれたので(のちに説明するが、ここが問題になる)
葬式に人を来させるアイデアを出すことに。
「寺がそれで利益を上げていることが嫌だ」や「場所が面倒」、「多すぎると土日がどんどん潰れていく」などが問題点として挙がる。ただ、解決案を出すまでには至らなかった。

そして上記の問題について言及する。
「葬式を対象とすることに意義が感じられない」という声が上がる。
擬制的に、かつ時間との兼ね合いや、現実的な解決案が出せる可能性、今までになかった案が出せる可能性として葬式を挙げたつもりだったが、そこに社会的な意義がないと指摘。
確かに「葬式文化の復活」は目標としてしっくりこないというのも当然である。
それより「地縁でない、なんらかの集団・機能によって包摂される社会の設立のために」という大目標を掲げ、
それより下部の目標として、「地縁が減少した結果、認知症の老人を支える機能を持つ集団がなくなった。それを解決する仕組み作り」を掲げ、加えてより下部の目標として「認知症の老人が料金支払いを忘れない・間違えないサービス・システム作り」あるいは「認知症の老人は感情的になりやすい。町中でも激昂されている方を見かけるときがある。これをどう解決するか」というように問題を設定すればよかった。
つまり「解決の意義のある大きな問題」の1セグメントを対象とする。つまり「そこにカテゴライズされる問題分野」を考える。
上で言う所の「地縁消滅」―「高齢者問題」の関係である。
そして「それが具体的に問題として発生し、かつ頻繁に、それを患う人に多く起きる場面」を想定する。
「料金の支払い」がそれに当たる。
具体的な場面、かつ意義ある問題という2つの事項を押さえながら議論を進めれば、おそらくもっといい話し合いになっていたはず。そう思います。

<第3班>
論点①
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論点1をめぐって、私たちはまず「幻想としての家族」を出発点として、自分が思い出す家族のイメージをそれぞれポストイットに書き込む。そして挙げられたことは主にポジティブなことで、表面的ないいことばかりであった。幻想として家族のイメージは画一化され、断片化されたパッチワークのようなことと考える。
現実は本当に思う通りに順調に進むのかという疑問から、現実社会における家族のネガティブなことを考えなければならない。班の人が家族のネガティブな現実をポストイットについて、夫婦、子供、親(高齢者)、自分が死亡した後に生じた問題などの視点から、それぞれの問題点を書き込む。その結果、現実の多様化をわかるようになった。
そのネガティブな問題点の理由を考えるとき、私たちの知識が限りで、「利益求めのため」、「人間性の弱点」で止まって、家庭内だけの解決が難しいという結論がでた。


論点②

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<総合司会コメント>
近現代の三世代以上の大家族、核家族のモデルは実態に合わないものとなってきている。女性の社会進出による性別役割分担の変化、「家」から「個」への価値観の転換、さらに経済状況の変化による一億総中流モデルの崩壊、出産・育児を困難にさせる社会システム、こうした背景が複雑に絡み合って家族のあり方を変化させている。また、家族間コミュニティ(≒ご近所コミュニティ)の希薄化も、時を同じくして進む現象である。こうした中で高齢化や無縁化が大きな社会問題として取り上げられるようになっており、一方でそれをきめ細やかに包摂でき るだけの公的システムが機能不全に陥っている現状がある。

家族内、家族間、家族が属する社会、この3つが相互的に関わって問題を複雑化させている現状をどう捉えたらよいか。議論では家族の解体にまで話が及んだ。これまで家族が担ってきた機能は民間の外部サービスによって代行される。しかしその受益者とならない弱い立場の人々は、「自助」のもとに家族内外の自主的扶助を求められる。国家がそうした人々を包摂できるだけの体力を有していないことも事実である。現状をより正確に捉え解決につなげていくためには、まず家族の多様化を理解することと、その背景にある社会環境の変化に目を配ることが必要不可欠だろう。
2014-07-11 14:23 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第4章 働くものの目線 サービス産業化する都市の内側

働くものの目線 サービス産業化する都市の内側
<本章の目的>
非正規雇用の従業員と一部の正規雇用の管理職からなる外食産業の現場にスポットを当て、低コスト・効率重視の現代都市的労働のあり様を浮かび上がらせる。

<キーワード>
「サービス産業」「店舗管理職」「非正規雇用」「フロアコントロール」


1.序論・サービス産業化する都市

20世紀における都市への人口集中(1920年代:18.0%⇒1970年代:75%)
産業集中が主な要因
都市型産業は第1次→第2次→第3次へとシフト(P.クラークの法則)
隆盛を極める第3次産業は非正規雇用に依存
⇒この中で外食産業にフォーカス

・外食産業の市場規模は約23兆2386億円(2012)
⇒中でもファストフードの売り上げは上昇傾向
●好調の外在的要因
①廉価での顧客に対するニーズ適応
②駅近・駐車場無料・ドライブスルーなどの高アクセシビリティ
③ 24時間営業と都市のフレキシブルな労働形態とのマッチング

●内在的要因
①テレビ・雑誌・ソーシャルメディアを用いた宣伝効果
②女性など新規顧客獲得努力
③人件費抑制の雇用形態(外食産業では91.1%が非正規雇用)
*弊害…すき家ワンオペ問題、マクドナルド「名ばかり管理職」問題

2.外食ファストフード店舗の実態調査

・ファストフード店における業務管理

QSC(Quality、Service、Cleanlines)の徹底
そのもとで管理職は

販売促進業務 売上数値管理 人材育成・面談 設備管理
この4つに従事

特に重視されるのが⇒フロアコントロール

顧客がいるフロアをつぶさに観察しながら、最短時間での商品提供に向けクルーの連携を図ること。
・フロアコントロールに必要なのは
クルー管理の技術…店舗ごとの仕事の流れ・ルール伝達
実地での商品提供業務の指導(OJT)でクルーの連鎖的機能を狙う
適材適所のクルー配置…商品提供が円滑でない場合カウンターの人員配置を工夫
母数を増やすより効率的

少ないコストで短時間にどれだけの売り上げを伸ばせるか
=低賃金と高い労働生産性が必須条件…「時間が無い」は許されない
*もちろん、時間が無い中での衛生管理も欠かさず(監査不合格なら店舗管理職の賃金に影響)

的確な指示と配置で
1時間に8万円の売り上げ+フロアの連携が上手くいく
→クルーのモチベーション上昇

・店舗管理者に求められる資質

クルーとの距離を保ちながら適性を見抜く判断力
働くことが楽しいと思える職場をつくれる構築力

自ら仕事を創出できる発見力

クルーとの信頼関係を構築できる人柄

・こんな時には…?
年配の部下を扱うときは、プライドを損なわせない配慮が必要
クルー間でのトラブルにはシフトの組み替え
クルーの能力によって接し方を変えない
→別クルーの前で同僚の評価をするのはNG
⇒「馴れ合いは禁止」「仕事とプライベートの切り替えを徹底」

・24時間のシフト編成と売上
シフト編成はクルー間の横の集団関係を構築する上で重要
馴れ合い重視・機械的どちらもNG

<クルー同士のマッチングを重視>
大学生と夜間高校生のクルー組み合わせ…生活環境が異なる者同士の化学反応
欠員フォローで細かく対応
→クルー同士のチームワーク意識を醸成

+で…人件費抑制の心がけ、販売促進意識の向上
→労働生産性と利益率が向上

But! 人材不足問題
24時間シフトに対してクルー人員は不足傾向
●求人時の問題
①競合他社との差異化戦略の不足②対外的ブランディング戦略機能せず
③学生アルバイト軽視
●採用後の問題…離職率の高さ
原因…流動化された労働市場(主婦層・学生が主)、店舗管理職の過剰労働
→子育てクルーは昇進拒否・離職傾向

対応策…店舗間の人員補充(ヘルプクルー経験を通した店舗間連携の深まりにも期待)
しかし、突然の深夜帯ヘルプ・長距離移動ヘルプの頻発
⇒さらなる労働環境の悪化に

3.まとめ・店舗管理職の都市労働

明確な目標+現状改善=純利益増大(合理的経営へ)
そのために
店舗管理職が抱える仕事…店舗経営、管理業務、人材育成
求められるクルーマネジメントとフロアコントロール→労働生産性向上と利益率アップ
⇒しかしこれらは管理職の過剰労働につながりやすい

労働市場の流動化が進んだ外食産業…出ていくものを惜しむことのできない都市労働の実態が浮かびあがる

<論点>

①本章の調査内容や付録の新聞記事の内容を踏まえ、飲食業の店舗管理職者および非正規クルーが置かれている労働環境上の問題点を挙げ、その原因を考察する。(グループメンバーの個人的体験もあり)

②飲食業の人手不足問題および過重労働問題について、有効な解決策を提示する。この時「ブラック企業は労働力移動によって自然淘汰される」という結論に留まることなく、現場労働者・企業・行政・消費者が改善へ向けてどのような行動をとることができるか、現場レベルと政策レベルの両方から考察する。


<第1班>

論点①

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労働環境上の問題点を各自で思い思いに書きだした上で、責任者/非正規雇用者/労働を取り巻く環境の三つのカテゴリに分類した。それを基に議論を重ねると、人口集中や、利便性の追求、都市的が都市たるものとして求められた結果として議題の労働環境が必然的にうみだされているのではないか。という構造が見て取れた。同時に、非正規労働における労働組合の不存在、また都市住民による就労先としての需要といった要因が絡み、健全とはいえない今の環境を維持しているのではないか、と考えられた。

論点②

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前述の議論を踏まえて、あげた原因をもとに現場/消費者/企業/行政の観点から、どのような対応が考えられるか、ということについてそれぞれ意見を挙げた。いずれも理想的なものではあるが、現場においては抵抗力の上昇、消費者においては購買選択の中への労働環境指標の導入促進、企業においては将来的な購買層を育てるための投資という考え方、行政としては労働基準監督官の増員や、法令順守の徹底。などが挙げられた。
この議論では、法律の機能不全が前提にあるため、新たな規制を設けて改善するという意見よりも、意識改革といった方面での意見が多かった。

<第2班>

論点①

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はじめに、各々のアルバイトでの実体験などをもとに労働環境上、問題であると考えられる項目について列挙した。次にそれをふまえて、それらの要因や原因の属性が『個人』/『労働環境全体』のどちらにあるのかを二分類し、さらにそれらを『外在的』/『内在的』なもので分け、計4分類で振り分けた。すると、正規・非正規間の賃金差が仕事へのモチベーションの違いに繋がり、それに起因して全体としての仕事の質に対する向上の阻害が生じるといったことや立場の違いによって根本的にクルー間での意思疎通が円滑に図られていないこと、地位や賃金に見合わない労働量を負わされていることなどが、それぞれがはじめに挙げた具体的事象の根本に潜在している問題なのではないか、という結論に達した。

論点②

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先に挙げた問題の根源を自由競争の資本主義社会における廉価での過剰な顧客サービス主義構造にみた私たちは、この構造自体が人手不足や過重労働問題に否応無しに直結することから、これらを回避する策として、最も強制力を持つ行政には、これまで個々人の主観の域を脱せなかった過重労働の基準を『労働量』という数値化された明確な条件として法的に策定し、それをクリアしない限りにおいて企業の操業を規制するという案が出た。しかし、これだけでは企業側からの反発も当然予想されるため、協力的に賛同した企業には社会貢献推進企業として消費者に提示できるなどのメリットを用意して、行政―企業間で妥協点を見出す必要性がある。また、議論ではこの他、労働者/消費者の立場からも改善を図る策を検討したがいずれも強制力を持たないために、結果として行政を通じての改善が現実的ではないかという意見も見られたが、そのように働きかけを行うのは他でもない労働者/消費者の側であることから、労働環境に関する課題への意識を持ち、実際に行動におこすことの不可欠性があると言える。

<第3班>

論点①

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教科書の内容やグループメンバーの実体験を踏まえ、飲食業の労働環境の問題点として大きく分けて3つが挙げられた。1つ目に、年齢層も多様でかつ社会的立場も異なる者どうしが同じ環境で働くことによる、人間関係の煩わしさ。2つ目に、管理職とアルバイトどちらにも過剰労働を強いる、慢性的な人員不足。そして3つ目に企業の人件費削減を受けた賃金の低さだ。
 飲食業においては、以上のようなマイナスイメージが増大することで人員不足が深刻化し、現場の労働環境はさらに悪化するという負のスパイラルに陥っているのではないかと結論付けられた。

論点②

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利潤の最大化を図る企業、給料や生きがいを求める現場の労働者、利便性を求める消費者。現状の問題点は、飲食業が成長を遂げる中で消費者が求めるサービスの質の高まりとともに、現場を顧みない企業側の過剰サービスによって発生していると考えられる。
このことを踏まえると、消費者側にできることは「現場労働者へのねぎらいを忘れない」などといった精神面での改善くらいしか考えが及ばなかった。しかし、企業側に対しては政策レベルでの解決策として、何らかの規制強化をしたり規則を設けたりすることで「無意味な24時間営業を減らす。」「店舗数を減らして1店舗の人員を増やす。」「現場に目を行き届かせ、ゆとりある働き方を促す。」などが可能であると考えた。
以上のように、行き過ぎたサービスが今本当に必要なのか企業側と消費者側が共に再考し、現場の負担を減らすための取り組みが、現場レベル・政策レベルで可能であるという考えに至った。

<総合司会コメント>

第三次産業の労働環境をテーマに扱っているが、これらの問題は都市であること・都市を構成する要素と不可分に関わっている。それは人口の集中であり、また、非フルタイム労働者としての若者、女性が求める就労先としての存在でもあり、そして第三次産業に従事する者を対象とした市場である。言いかえれば一次産業、二次産業を主とする地方では都市のような飲食、コンビニエンスストアのあり方と、地方にあるそれとでは少し様相が異なってくる。

労働環境の問題について、現場を回すには圧倒的に不足している人員と、対して可能な限り人権費を削減したい経営側との相互の不一致、またその印象により労働者の定着がすすまないという負のスパイラル、人的資源をすり減らして利益を生み出しているといったような都市の中の矛盾の一つの顕在化とも取れるだろう。

法律の順守は前提として過剰サービス気味にある現状から抑制方向に入る、労働者が抵抗力を持つ、など、意識改革、啓蒙的な部分での改善が必要という意見があげられた一方、非正規での労働組合という意見がすくなかったとの先生の指摘もあった。
2014-07-10 19:35 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

ゼミ生の雑誌掲載論文のpdf

兵庫地理学協会発行の「兵庫地理」のバックナンバーの一部(~2010年まで)がpdfとして公開されました。

澤ゼミ生〔当時)の「兵庫地理」掲載論文は、以下のページをご覧下さい。

震災モニュメントと記憶の諸実践:慰霊と教訓、継承と受容の間で / 吉新, 雄太 / 相澤, 亮太郎
兵庫地理 54 / 2009-03-31

郊外団地における男性退職者の場所の再構築:兵庫県明舞団地を事例にして / 宮本, 真樹
兵庫地理 54 / 2009-03-31

インド・新興工業団地近接農村における宗教空間の変容:マディヤ・プラデーシュ州インドールの近郊農村を事例に / 相澤, 亮太郎
兵庫地理 53 / 2008-03-31

金沢市における旧町名復活にみる地域アイデンティティと地域イメージ / 宮本, 真樹
兵庫地理 53 / 2008-03-31

阪神・淡路大震災におけるテント村の形成と消滅:災害後に“住み残る”ことの困難 / 相澤, 亮太郎
兵庫地理 52 / 2007-03-31

神戸郊外における場所意識 : 写真投影法による分析 / 大西, 昭彦
兵庫地理 51 / 2006-03-31

神戸をめぐる場所への愛着:ライフヒストリーとエッセイからの場所愛抽出 / 相澤, 亮太郎
兵庫地理 47 / 2002-03-31


なお、PDFで公開はまだされていませんが、「兵庫地理」には、下記の論文も掲載されました。澤ゼミ生〔当時)の論文です。

都市近郊地域における農地所有者を中心とした社会関係資本の形成-伊丹市と明石市を事例として-/ 植田 國裕
兵庫地理 58 / 2013-03-31

地域づくりにおける社会関係資本の形成-兵庫県丹波市における新規定住者獲得に向けた取り組みを事例に-/ 植田 國裕
兵庫地理 57 / 2012-03-31

「人文地理」に掲載されたゼミ生〔当時)の雑誌論文は下記の通りです。一部がPDFでダウンロード出来ます。

水害常習地域の空間認識―大垣市の社会科副読本、ハザードマップ、手描き地図に着目して― / 相澤, 亮太郎
人文地理 59-3 / 2007-06

阪神淡路大震災被災地における地蔵祭祀―場所の構築と記憶―/ 相澤, 亮太郎
人文地理 57-4 / 2005-10
2014-06-28 18:33 : 澤ゼミ構成員研究活動 : コメント : 0 :

第3章 不安の深層から 見えない犯罪の裏側を探る−

第3章 不安の深層から 見えない犯罪の裏側を探る−

KEY WORDS:安全・安心、セキュリティの技術、都市環境、防犯のまなざし

本章の目的

地域防犯活動におけるセキュリティの技術とまなざしの倫理を明らかにし、不安と環境の循環を超える都市コミュニティの可能性にせまる

1 流動化する社会と見えない犯罪

都市のモビリティと逸脱
・モビリティの発展…境界の乗り越え、逸脱の偏在
・セキュリティの技術の発展… 都市空間の境界の再形成・可視化、発展の方向付け
不可視かつ境界を越えるリスク要因を科学技術によって可視化することは、現代社会の流動性を扱う際の端的な様式を成し、同様に、見えない犯罪への対応にも当てはまる。

犯罪における境界のゆらぎ
・近年における犯罪にかかわる諸特徴
環境因への着目→「地域社会がどうあるべきか」という議論
「体感治安」への着目
いつ何時でも、あらゆるもの・こと・場所が機会となって、どんな人でも犯罪に関わる/巻き込まれるかもしれないという不安は、コミュニティ全体の議論へ、同時に、境界の必要性についての議論へ

境界の乗り越えと消滅
・「地理的境界」の消滅…犯罪行動に伴う範囲の広域化
・「社会的境界」の消滅…治安のための共同体そのものが犯罪の温床となりえるリスク社会の自己再帰性を表す
・地理的・社会的境界の消滅…いつでもどこでも薄く広く危険が存在する状況

2 犯罪を可視化するセキュリティの技術

移動のトレースとデータベース
・自動車ナンバー読み取り装置によるデータベース化や防犯カメラ設置数の増加
→「個人監視」から「大量監視」へ

排除と必然性の環境
・「データ監視」の出現…治安維持のみならず、排除のための新たな境界、自己を他者とは異なる明確な主体となることを促す
・インターネットショッピングのおすすめ商品、SNSの「知り合いかも?」
→規制の存在に気づかせることなく、技術的・物理的に行為の可能性の縮減する規制の方法
→自らが特定の何者かになる「自由」を与えてくれる(ように思える)
→自分の行為と志向性との間に矛盾や摩擦を感じない

データベースが、事前に偶然性を必然性に変える

スキャナー化するまなざし
・犯罪の事前予防・防止への関心の強まり
「状況的モデル」
「コミュニティ・モデル」
犯罪環境に着目するまなざしは、都市空間を犯罪環境の要素となる地点の集合に分解、記号化、変換し、新たに編集可能な都市空間を構成することで、あるべき安全な環境を見出そうとする

・犯罪者の主体像の転換
 
割れた窓を見つけ出す
・「割れ窓理論」…日本においても支柱とされた
犯罪環境への着目は、制度化されたまなざしを生み出し、新たな境界の再生産を導くための「防犯のまなざし」を提供する。
 
境界形成と防犯のまなざし
・環境犯罪学の立場から(小宮信夫)
「領域性」…「物理的なバリア」、「心理的なバリア」からなる
「監視性」…「領域内をみやすくしてきちんとフォロー」、「みようとする意識、地域への関心、当事者意識」からなる
・防犯に適した環境整備への批判
犯罪の場所の移転を促し、犯罪予防の環境を用意できない地域が不利益を被る可能性。市民相互の信頼の喪失。社会的排除。公共空間の私事化など
  
3 地域防犯活動による境界形成

準備される共同性
・防犯ボランティア団体のはたらき…失われた共同性を取り戻そうとする
安全・安心まちづくりは、ハード面での整備だけでなく、共同体的価値を有する環境・地域社会の構築を目指すものである
 
自明でアクティブな行為主体
・地域社会・防犯ボランティア団体の構成の偏り
・「資格/能力ある市民」…安全・安心まちづくりという共同体的価値のもとに形成される縄張り意識と当事者意識、擬似的な公共空間の中で地域防犯活動が実施され、そこで活動する主体
→共同体的価値、セキュリティの技術によって能力が供給
→「困難の物語」を共有することなく、境界を形成し排除の倫理を宿す可能性
 
仙台M地区における地域防犯活動の始まり
・地域の変化に対応しようとする活動から生じる
安全・安心への邁進とその後の取り組み
・取り組みが注目され、対外的な評価を意識した
→結果、隊員間のコミュニケーションの希薄、意識・意欲の差が生じた

4 まちを見出す新たな可能性

地域の安全・安心を別の観点から捉える機会はどこにあるのか?
→歴史的まちづくりの視点、価値の多様性を基底として見出されるのでは

鹿児島市Y地区の概要—−自動車社会化
・住宅地・自動車社会→空き巣、車上荒らしの増加

まちのよさを生かす防犯NPO
・まちづくりNPO法人「ねぎぼうず」から防犯NPO「おげんきかい」へ
まちの時間的・空間的拡がりへの意識をいかに保ち、より多くの成員と共有し、防犯のまなざしを相対化する中で、「まちづくり防犯NPO」としての利点をどのように生かしていくのか?
→根本は地域を見直し、つなぎ、心を開くことができる場所づくり

おわりに

・地域防犯/ボランティア活動については、防犯のまなざしを絶対的なものとしない限りで評価可能なものとなる。
→防犯が目的であるだけでなく、まちをつくる手段としてセキュリティの技術を相対 
 化しながらそれとつきあう姿勢の必要性
・「防犯のまなざし」の影響力の強まり
→多様性の縮減、境界の中に閉じる傾向
⇔日常生活とまちづくりが持つ多様性・潜在性の評価が課題

論点
①私たちの日常生活において、データベース化、セキュリティ技術の向上、防犯のまなざし、安全・安心のまちづくりへの取り組み等といったものはどのような場や時に使用され、機能しているか。(排除だったり、規制だったり、必然性を生んだり…)
② ①より、多くのものに守られ、規制されている現在の都市環境においては、安全・安心に関して様々な矛盾や二面性、不安定さを持っているといえる。その様な不安定な都市環境の中で、私たちは個人、あるいは地域としてどのようなことを考えながら、あるいは重視しながら他者と関わっていくことができるだろうか。


<第1班>
論点①
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論点①に対して、私たちのグループはデータベース化社会、セキュリティ技術の向上を背景とする現代社会の、犯罪に対する防犯対策から考え始めた。防犯対策の具体例を挙げた上で、「どのような時に機能しているか」に関して、犯罪前の予防策としての「事前防犯」と犯罪後の対応策としての「犯罪後対策」の二つを分けられた。そして、挙げられた防犯対策を「排除」(境界により、自己と他者を明確的に分離する方法)と「規制」(技術的、物理的に犯罪行為の可能性の縮減する方法)の二つを分けられた。「どのような場に機能しているか」に関して、「乗り物、学校、駅」など私たちの日常生活に関われている場所を考えた。したがって、犯罪の危機は私たちの身近いところに潜んで、いつ何時でも、あらゆるもの・こと・場所が機会となって、どんな人でも犯罪に関わる、巻き込まれる可能性があることがよくわかるようになった。防犯対策、あるいは治安維持への取り組みは個人対応や組織管理などいろんな対応形式があって、一体どのような取り組み方は良いなのか、論点②の討議で明らかにしたいと思う。

論点②
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論点②に対して、私たちのグループは都市環境の安全、安心に関する二面性の視点から考え始めた。論点①に挙げられた防犯対策が安心感に与える効果を準として、軸を作った。一般論としては、ゲーテッドコミュニティーやオートロックなどが確かに犯罪者を排除されることに機能し、人々に安心感に与え、治安維持にもいいと言える。しかし、監視カメラの設置、刃物規制や、行動追跡など、治安維持に効く一方で、監視社会が人々に不安感を与えるのも事実である。
このような二面性に対して、監視社会の穴を陥らないため、地域内の結びつくことを強める必要があると考える。理想像としては、個人対応や、コミュニティ単位の防犯、信頼関係を作るのはとても大事だと思う。一方で、現況としては、犯罪に関わる人の論理観に委ねる部分があって、機械的な防犯対策をすべて放棄することも不可能であり、できるだけ利用範囲内で、不正利用にならないよう、厳格に規制する必要があると私たちが考えた。

<第2班>
論点①

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論点②
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<第3班>

論点①

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①私たちの日常生活において、データベース化、セキュリティ技術の向上、防犯のまなざし、安全・安心のまちづくりへの取り組み等といったものはどのような場や時に使用され、機能しているか。(排除だったり、規制だったり、必然性を生んだり…)

⇒まず、議論を始めるにあたって、論点の中で例示されている4点を中心として、身の回りで使用、機能していると感じているものを挙げていき、4つに分類わけを行った。そして、それらがどのように関連しているか、重なっているかについて話し合うことで整理していった。ここでポイントとなったのが、安全や安心を目的とし、技術の向上や防犯を行うことが、一方で排除や規制といった負の面も生み出しているのではないかという両義性であった。例を挙げると、人々の情報のデータベース化を行い、日常生活の効率化を図る一方で、そのデータベースによって人々が分類、区別され、その結果、排除が生まれてしまうのである。
以上、このような両義性を班員で共有し、重要な点とすることで、論点②につなげることにした。

論点②

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論点①より、多くのものに守られ、規制されている現在の都市環境においては、安全・安心に関して様々な矛盾や二面性、不安定さを持っているといえる。その様な不安定な都市環境の中で、私たちは個人、あるいは地域としてどのようなことを考えながら、あるいは重視しながら他者と関わっていくことができるだろうか。
⇒この議論においては、論点①より得た両義性を基に、そのような両義性、矛盾をもちながらどのように私たちはコミュニティの中で関わりうるかについて考えた。この議論でのポイントは、議論の本筋を安心・安全や、防犯、セキュリティ、データベースの4点とそれらが生む両義性ではなく、別の観点からとらえるということであった。まちづくりをしていくうちに、防犯、安全・安心が包括されていくような視点からコミュニティを考える、というものである。そこでは、両義性や矛盾でよって形成された、すべてが自己責任といった“閉じた社会”ではなく、責任を個人に求めることのない“開かれた社会”となるのである。また、その「“開かれた社会”とは何か?」、「そういった社会にするためには?」という問いに対する手がかりとなるものが、あいさつであったり、テキスト中においては、歴史的まちづくりの視点、まちづくり防犯NPOといったりするものである。時間的な制限もあり、今回の議論は以上でまとまることとなったが、この点は今後より議論が必要な部分であると考えられる。

<総合司会コメント>
私たちの日常生活のありとあらゆる場面において安心・安全な社会づくりへの取り組みが行われている。それは事前対策もあれば、事後対策もある。担い手も個人や組織と様々だ。また自主防犯・カメラでの監視・データベース化と時代が進むにつれて効率化も進んでいる。しかし、効率化によって排除や、表向きは防犯のために行った事であっても結果として不安が増大するなどという裏目が出てしまう事がより顕著になってきた。そうした二面性を持つ安心・安全への街づくりは、多様性を失い、同質性を高めた、「閉じた社会」をつくりあげてしまう。結果として少し怪しいと感じたらすぐに排除の力が働く社会になってしまうのだ。
 そうした社会にならないためにはどうしたら良いのか。議論ではそこまで話が及んだ。挨拶程度が出来る近隣との付き合いや、NPOを活かした街づくりが必要なのではないかという意見が出た。だが現実的には、人々の倫理観や価値観は人それぞれであるため、そうした社会の実現も難しいのかも知れない。
2014-06-27 15:47 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第2章 都市は甦るか 〜不安感の漂う中で〜

第2章 都市は甦るか 〜不安感の漂う中で〜

KEY WORDS:危機・世界都市・人口問題・犯罪リスク

1.現代都市と危機

1-a)はじめに
・都市にとっての危機:天災・大事件
→都市にとって危機が持つ意味とは何か・都市は危機をどう回避するか(危機回避の方策)
・危機の例 ニューヨーク:治安問題(事件)同時多発テロ事件(大事件)
日本東北沿岸部:東日本大震災(天災)

1-b)現代都市と危機の諸相
都市社会学者ワースによる都市の定義(米):「人口量の多さ」「居住者の社会的異質性」「人口密度の高さ」から定義
日本:高度経済成長期の都市化 
→大部分の日本人が集合的に生活する空間、緊密に依存しあう空間に
(現代都市のなりたちが内包する危機やリスクとの関連)
・都市は同時代の社会問題や、個人の日常生活を取り巻くリスクを先鋭的にあらわす
・水道・交通・施設などの物理的インフラ網に支えられる都市は、そのネットワークが緊密で高度であるほど不測の事態への対応が困難
・都市を生活共同体としてのコミュニティと見た場合、「匿名性」や「人間関係の希薄さ」と特徴づけられる都市的な人間関係は意思決定の難しさにつながる(リスクへの対応に関して)
→「若さ」「健康」「仕事の安定」など個人の生活レベルに問題がない場合
=リスクと認識されにくい
→災害など個人で制御不能な危機を想定すると、大きなリスクになる
・人口規模や人口構成の安定性(自治体・行政目線)は住民の「生活の質」を左右しかねない重要な要素
→バランス崩壊で都市の危機を招きかねない(cf.少子高齢化社会)

2.世界都市と近年の危機

2-a)「世界都市」ニューヨーク
・ニューヨーク:東京・ロンドンに並ぶ「世界都市(Global city)」
・1970年代:経済衰退の「底」→工業都市からの脱却:「世界都市」戦略
→金融市場の世界的中心地・世界レベルの観光・エンターテイメントの都として経済再生に成功
・ニューヨークの特徴:多人種・多民族集団→「異質なもの」に寛容・開放的
⇔異質な集団間の差別・軋轢の可能性

2-b)犯罪リスクの政治化
・ニューヨーク「9・11」以前の危機:犯罪問題
→1970・80年代に犯罪率急増: 「凶悪犯罪が多発する危険な街」
→ジュリアーニ前市長による施策:軽微な犯罪も徹底的に取り締まる
→警察官による路上パトロールを徹底(「割れ窓理論」)
→1990年代に殺人率大幅減:「安心・安全で清潔な街」へと変化

2-c)払った代償
・ニューヨーク市警の治安維持活動に問題点:
人種・民族的マイノリティに偏向した不当な停止・送検(stop and frisk)を実施
→多数の市民の「不安」は軽減される⇔マイノリティを中心とする市民の安全が代償に
(example) タイムズスクエアの再開発(1990年代後半)
圧力に抗うことが出来ない人々にとっての公共空間の再生
=不動産会社・巨大法人の利害に基づく空間の再編
=公共空間からのコミュニティの撤退を意味するのでは?

2-d)「9・11テロ」の発生
「9・11同時多発テロ」:都市とリスクを論じる上で重要
→テロ:人口密度が高い現代都市がテロ攻撃に対して脆弱で無防備であることを明らかに
→市民の心に「恐怖心」を植え付ける
→「テロとの戦い」:様々なテロ対策
⇔(無差別)テロ:個人レベルでは制御できない →得体の知れない恐怖・不安
→主権国家の主張の正当性が意味をなさない空間
→リスク制御としてのテロ対策:否応なしに政治問題の中心
⇔リスク評価は困難・終わりが見えない課題

2-d)「不安」社会と監視空間
テロ抑止の方策:監視体制の強化
→監視カメラ・手荷物検査・インターネット上の監視・盗聴など
=「安全のためには手段を選ばない」 ⇔市民が等しく負担するわけではない
→アフリカ系男性・アラブ系イスラム教徒などにしわ寄せ:嫌がらせ・ヘイトクライム
→市民の犠牲が代償となった未然抑止策⇔テロ未遂事件(2010年)
→さらなる監視の強化・「不安」への対応がエンドレス化
→秩序の維持や再生のために多様性・異質性への寛容といった都市の魅力が失われる可能性

3.日本の都市の危機

3-a)「3・11」の発生
東日本大震災:日本社会にとって未曾有の出来事・危機の象徴
→津波・原発事故・都市機能麻痺(首都圏の帰宅困難者など)

3-b)3・11大震災の甚大な被害
・未曾有の災害:複数県にまたがる被害
→・漁業・水産加工業などの主要産業が壊滅=雇用の喪失
・放射能汚染:原発事故の収束・汚染地域の住民の将来の見通しは立たず

3-c)震災から2年の課題
・順調に進まない復興
・問題と課題
①人口流出(特に若年層):震災前からの課題でもある
 復興ビジョンの策定が長期化するほど人口流出加速
②意思決定の主体性:「当事者の意思」or「行政・国のリーダーシップ」
被災者が望む復興ビジョンと県・国が望む復興ビジョンとの不一致
③復興における将来的な地域格差:意思決定・手続き=自治体の境界で縛り
NPO・ボランティアなどの受け入れに自治体で差
職員不足・大規模な合併に伴う地域間の復興への温度差
→被災自治体の積極的連携で再生を模索するのが望ましい?

3-d)東北から日本へ~都市の共通の課題
被災地から離れつつある人々の心:震災以前から問題を抱える日本列島を反映
→被災地支援の余裕がない
・「活性化」の頓挫→構造的問題に直面
・少子高齢化社会→医療・福祉の深刻な状況
・難しい経済成長・国や地方自治体の財政難など

3-e)都市間競争の激化と地域間格差
生き残りをかける構想:「都市間競争」
人口変動のリスクを制御する従来の都市経営に限界
→公共投資は財政難のなか容易に使えない
「ハードからソフトへ」:有効な手段は未だ模索中
競争の勝ち組?である東京:団地の高齢化・孤立死・買い物難民問題など
→現代日本:地方・大都市圏関係なく諸問題解決のニーズは高まっている
⇔行政の財政難・人的資源難・地域住民組織の形骸化や弱体化などの共通の課題
→解決は困難な状況

4.持続可能な都市を求めて

4-a)「持続可能」の意味するもの
都市としての安定性を高め、住民の生活を向上させる取り組み
→ニューヨーク:競争を通じた経済成長の獲得をもっとも重視(犠牲はつきもの)
⇔日本の都市のビジョンは不透明→「持続可能な都市」思想
=住民1人の生活の質の確保を重視する都市づくり(画期的方策見つかっていない)

4-b)日本での取り組み:脱成長時代の都市経営モデルの模索
人口増を目指す「企業誘致」「郊外への拡大的開発」からの脱却
→都市のコンパクト化・環境との共生(代替・自然エネルギーの開発促進)

4-c)地域住民組織の課題
家族だけに個人の生活を支える機能を求めることは不可能←高齢化・小家族化
→「孤立死」抑止・防犯や防災における地域社会の重要性
⇔地域住民組織:弱体化・若者や働き盛りの人々の参加が少ない

4-d)おわりに
地縁:集団的生活の危機を乗り越えるために必要なものとして再評価
→居住する地域が抱える問題・危機を認識
→問題・危機への対処への取り組みに自ら関わろうとする意識が必要
=住民1人1人が責任をもって意思決定のプロセスに参加する姿勢が地域社会には不可欠。
→そのうえでNPO・専門職・行政との協働のあり方を模索していくべき

<論点>
論点①:「危機」への対応における問題点について、ニューヨークと東日本大震災被災地とを比較・整理してみる。
論点②:①を受けて、ニューヨークのような格差を前提とした都市づくりではない、日本が選択すべき都市像とは何かを考えてみる。



<第1班>
論点①
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論点①ニューヨークと東日本被災地の、「危機」への対応を、対になる観点で整理できると考えた。ニューヨークは「危機的状況の発生自体を防ぐ」という観点で、テロ対策、監視システムの構築、軽犯罪の取り締まりなどに取り組み、東日本被災地は、「発生後の被害を減らす」という観点で防波堤の建設、住民の高台移転などに取り組んでいる。また、政府主導の対応としてニューヨークでは、危機管理に関わる情報のデータベース化とそれへのアクセス管理が、東日本被災地では、代替・自然エネルギーの開発や廃棄物処理場問題に関わる現場との意見のすり合わせが求められる。
しかし問題の表面化、深刻化もすすみ、ニューヨークでは「都市の魅力が失われる」「社会に不安が蔓延する」「対イスラムへの図式化が進む」ことが心配される。これに対して東日本被災地では「少子高齢化が急速に進行」「地方の財政難」「放射線対策の遅れ」などが心配されるというように整理してみた。


論点②
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論点②日本が選択すべき都市像に関わるキーワードは、「危機管理」と「住みやすい都市」であると考えた。危機管理として今求められる災害対策は、「都市の直下型地震対策」「行政機能のマヒ」「帰宅難民」「避難場所の確保」などである。これ等の課題に対しては、例えば、「防災訓練の実施」「都市機能の分散」などが急務とされている。さらに日本においてもテロ対策が危機管理の重要な課題となっている。個人情報の特定や監視カメラの配備などによる犯罪リスクの軽減は、今後ますます必要とされると考える。
「住みやすい都市」に関わるキーワードとして、「労働問題」「人口問題」「マイノリティへの対応」を考えた。「労働問題」に関しては、低賃金の解消、基幹産業の活性化などで働きやすい都市環境を作る必要がある。また、「人口問題」に関しては、少子高齢化対策が急務であると考える。内容的には、子育て支援策や都市のバリアフリー対策や待機児童対策、高齢者向け産業の振興などが必要であろう。さらに、「マイノリティへの対応」として、新たな労働力としての移民の受け入れや、それらの人々の低賃金対策・治安対策などが重要ではないかと考えた。

<第2班>
論点①
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論点②
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<第3班>
論点①
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まず私たちの班では、同時多発テロと東日本大震災というどちらも国難的な危機的事態に対するそれぞれの対応とその中で生じた問題について列挙した。次にそれを項目ごとにくくりだすことで、「お金」や「差別」といった項目で両者に問題が生じていることが見られたが、その内容はそれぞれの「危機」発生の地域差、すなわち各地域が「危機」以前にはらんでいる問題が異なることから、同じ項目であってもその内容はその地域を色濃く反映するものになった。また、この2つの「危機」におけるその後の対応を考えていくうえで、これらが生じた「場所」の特性が対比的に異なること(米:都市・人為的・ビル2棟⇔日:地方・自然・広範囲)も注目された。最後に、先述にもあるように、「危機」を契機としてそれまで内包されていた地域の問題が一気に表面化し、それが「危機」への対処をより難しくさせている要因の一つなのではないかという結論にたどり着いた。

論点②
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少子高齢化に伴う人口減少社会のわが国において、今後採るべき都市像とは如何なるものかとして議論を始めたところ、そもそもテキストに挙げられている「都市のコンパクト化」の是非が問われ出し、コンパクト化によるメリット(利便性・機能性の向上、自己完結性)よりも、その裏に潜む様々な弊害(今地方と呼ばれる地域に住まう人のその土地への気持ちや愛着を反故とする姿勢)のほうが多大なのではないかという意見から、私たちの班では、「都市のコンパクト化」とは異なった形の都市像を構築すべきであるという方向で議論を深めることとなった。
 都市のコンパクト化は、同時にある特定の地域に人を多く住まわせ、その範囲内で生活を完結させることを想定させるため、現存の過疎化した地域に住まう人と当該地域での産業は縮小していかざるを得ない方向で捉えられており、事実上都市との地域間格差を包括的に解消する方策とはなりえていない。そのため、現在地方が抱える財政や上述の地域間格差といった解決すべき問題を踏まえた上で提案されたのが、「中規模で且つ同等の規模の都市」が分立するという都市像である。これらの都市はそれぞれが互いに近接しあっており、コミュニティバス等の公共交通機関で連絡されていて、都市と都市が「点」ではなく「線・面」として関わり合いを有している。また同時にこれらの街は教育機関(特に中高等教育)や病院、買い物施設等の暮らしに必要最低限の機能を持ち、労働の面では地域の特性を有した産業に特化していて、その点では近隣都市と補完関係にある。
 つまり、それぞれの都市が中規模程度で密に連帯が取れる環境下においては、生活がそれらの地域内で完結するため、外部に流出する人間は「その地域では果たせない何か」を追う者のみで、とりわけ若年層の過度な流出を防げることが見込まれる。そして、こうした若年層の定着は都市内の世代間の人口差の減少や地域間の財政面での格差の減少に寄与するのではないかという結論に至った。また同時に、このような都市の構造によって、一般的な暮らしを営むのに過不足のない街では、一度外部に出た者による再定住の増加の可能性も大きくなるのでは、というところで議論が落ち着いた。

<総合司会コメント>
現代都市は様々な危機を抱えているといえる。テロ事件、自然災害などのような予知不能なリスクは、都市が直面している危機をさらに深刻化されている。
危機への対応の視点から、現代都市のあるべきビジョンについてはどうやって考えればいいのか。答えは決して経済の繁栄のみならず、住民一人ひとりの「生活の質」を確保することに重点をおく、「持続可能」な都市づくりを目標とするはずである。
討議中二ューヨークと東日本大震災被災地の実際例を手掛かりとして、各グループは日本が選択すべき都市像について、危機管理と住みやすい都市の提言や、コンパクト化都市への異議などをそれぞれに構想した。その同時に、リスクを直面する時の現代都市の脆さも十分に認識し、安心・安全な都市ビジョンを目指す時の、監視社会の強化によりコミュニティの崩壊などの諸困難を挙げられた。
2014-06-24 15:18 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
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