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『都市のリアル』の書評が三田社会学に掲載されました

澤ゼミで昨年度講読した『都市のリアル』の書評が「三田社会学」第20号(2015年)に掲載されました。
この書評は、ゼミでの討論を元に作成したものです。

http://www.mita-sociology.jp/
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2015-07-15 20:20 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ベンヤミンについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ベンヤミンについて)

2 ヴァルター・ベンヤミンについて 
2.1 生まれと育ちについて
2.1.1 幼少期
2.1.2 ギムナジウムと寄宿学校時代
2.1.3 フライブルグ大学・ベルリン大学時代
2.1.4 青年運動との訣別
2.1.5 博士号取得後
2.1.6 アーシャ・ラツィスとの出会いと、共産主義への接近
2.1.7 亡命
2.2 ベンヤミンの「翻訳」について
2.2.1 ブーバー宛の書簡
2.2.2 「言語一般および人間の言語について」から
2.2.3 「翻訳者の使命」から




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2015-01-23 16:50 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

3 アンリ・ルフェーヴルについて
3.1 ルフェーヴルの生涯
3.2 ルフェーヴルの考えについて
3.2.1 『〈都市的なるもの〉の現在』の記述の抜粋
3.2.2 『都市的世界』からの抜粋
3.2.3 『都市への権利』のあとがきからの抜粋

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2015-01-22 16:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(終章Ⅱについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(終章Ⅱについて)

4 終章Ⅱについて
4.1 今回のテーマ
4.2 ルフェーヴルと《都市的なるもの》
4.2.1 ルフェーヴルとベンヤミン
4.2.2 《都市的なるもの》
4.2.3 使用価値の領域
4.2.4 出会いと集まりの場
4.2.5 可能的かつ潜在的な対象
4.3 問い逃がされる残余
4.3.1 都市社会のスペクトル〈幽霊〉
4.3.2 都市論への「翻訳」
4.3.3 専門領域が問い逃す残余
4.4 ベンヤミンと翻訳
4.4.1 翻訳可能性
4.4.2 純粋言語
4.4.3 翻訳者の課題
4.5 都市論への「翻訳」
4.5.1 領域横断性との差異
4.5.2 《都市的なるもの》の救出
4.5.3 おわりに

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2015-01-21 16:55 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(論点について)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(論点について)

5 論点について
5.1 今まであった論点について振り返り
5.2 終章Ⅱについて
5.3 今回の議論の目的設定
5.4 論点1
5.5 論点2


注記:この章に関しては、現在ブログ掲載の作業中で、未完成です。

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2015-01-20 16:57 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

終章Ⅰ 上からと下から ―都市を見る漱石の目、鷗外の目―

終章Ⅰ 上からと下から ―都市を見る漱石の目、鷗外の目―

キーワード
夏目漱石のロンドン 森鷗外のベルリン 上からの視点 下からの視点
遠近法空間と生きられた空間


【モダンの空間】
1970年代 空間論的転回が社会学に波及し、新都市社会学という大きな流れへ
→都市をモダンの現象として捉え、モダンの空間のありようと関連・再考する動き

ポストモダン論議の深まり
モダンの空間の認識≠「生きられた空間」から「遠近法空間」への発展主義的な二項対立図式
=「生きられた空間」と「遠近法空間」が併存しせめぎ合う両義的な地平
※グローバル化の深化に伴って浮上したグローカル化の位置づけと密接な関係

【「遠近法空間」と「生きられた空間」】
「遠近法空間」…空間の画一化・均質化
空間の「絶対性」を前提、「幾何学の連続的空間」として敷衍
→認識主体の視覚を至上とする遠近法主義と「全体化」の論理が支配
「単線的で同質的で連続的な空間」であるクロック・タイムと啓蒙の認識を構成
→国民国家の形成に貢献(国土空間の創出・人々の規律化)

「生きられた空間」…空間の内的差異・分節化
感覚的・質的に生きることで、様々な社会でたどられた経路・パターンを共有することで得られる「動き、近接性、特異性、知覚、象徴性、意味とともにある空間」
→非連続的で非同型的
範型は意味を運ぶものとして捉え、ルフェーヴルの空間認識で見出される

※「生きられた空間」論調の背景
グローバル化が進みヒトやイメージの移動と電子的メディアが決定的になるなか、人々が自分たち自身の社会のリズムや歴史以外に多くの空間があるという認識が背景に
→「遠近法空間」が社会の後景となり、「生きられた空間」社会の前景へ

モダンな空間→「遠近法空間」として捉え、「生きられた空間」を反措定として位置付ける論調×
両者がダイナミックにからみ合う地平で捉える論調が強調

※都市へのまなざし
「遠近法空間」として見据える立場=「上からの視点」→森鷗外『舞姫』
「生きられた空間」として見据える立場=「下からの視点」→夏目漱石『倫敦塔』

【上からの視点――鴎外の都市へのまなざし】
鷗外『舞姫』=「上からの視点」→都市を視覚的・静止的に捉える「鳥の目」に基づく
上から「他者」として客観的に凝視するまなざし
主客二分法に立脚した認識論優位の立場

【下からの視点――漱石の都市へのまなざし】
漱石『倫敦塔』→「下からの視点」→都市を聴覚的・触覚的に捉える「虫の耳、皮膚」に基づく
※都市の基調をなす動きや音に対する内的恐怖
都市を内側から描写する「都市住民」としてのまなざし
主客二分法を超えたところでの存在論的立場

【モダンの空間の両義性】
「上からの視点(認識論的立場)」と「下からの視点(存在論的立場)」のせめぎ合い
  →時代状況や知の動向によって強くもなり、弱くもなる
両者のどちらかが優位であるというような二項対立図式に委ねてしまことはできない

コミュニタリアニズムの議論→「生きられた空間」に焦点
新自由主義に基づく議論→資本のグローバルな展開とともに均一・均質な「幾何学的空間」が肯定され、「遠近法空間」に焦点
 →そうした線形図式に陥る危険性から脱却し、モダンの空間の両義性認識の中核をなす「上からの視点」と「下からの視点」の対抗的相補性の議論へ

【いま再び漱石の「下からの視点」を問う】
「上からの視点」が浮き彫りにした「外部空間」としての迷路的空間
  →「上からの視点」では「遠近法空間」の周縁としか捉えられない
  →「下からの視点」では「生きられた空間」として捉え、「遠近法空間」との繋がりを見出す
   内在的な関わりによって都市に対する総体的な認識が切り開かれる
    
 鷗外の「上からの視点」→「遠近法空間」は視覚的・静止的描写に依拠したため、都市の構造から乖離、一方向的に均一・均質に展びていく幾何学的平面に還元
 漱石の「下からの視点」→内面的恐怖とともに、「遠近法空間」で切り離された都市の構造が持つダイナミクス/躍動する生の豊かさを捉え、「遠近法空間」と「生きられた空間」の間にある相互に包み込み、包み込まれる関係を構築

【論点】
<論点1>
・普段、私たちは自分たちが住む都市の様々な空間をどのように捉えているのか。その捉え方が「上からの視点(遠近法空間)」か「下からの視点(生きられた空間)」かどうか分類してみる。
<論点2>
・本章では「遠近法空間」と「生きられた空間」を二項対立図式ではなく、対抗的相補性として両者を捉えようとする議論を深め、モダンの空間の両義性の認識を探ろうとしていた。そこで1つ目の論点で得た分類を活用し、現代の都市において「遠近法空間」と「生きられた空間」同士がどのような繋がりを見せているのか考えてみよう。

第1班
<論点1>
CIMG2836.jpg

このグループでは、自分たちの都市空間のとらえ方を具体的に出してみることにした。
まず「上からの視点」で出てきたのは、住宅街、商業地域、農業地域という土地の使われ方によるとらえ方、住宅地図、地図、衛星写真、山の頂上やビルという鳥瞰的なとらえ方が多く出てきた。そのほかには、行った事のない土地をネットのマップで調べる、人口統計で町の特徴をとらえる等の視点が出てきた。
これらは、都市を外から見る把握方法であり、まさに視覚優位の、静止的な都市のとらえ方であると言える。これらに共通しているのは、私たちの「上からの視点」であり、ランドマークとなる建物・目印、道路のつながり、土地の使われ方を、どの土地であっても同じ目線で、「何の違和感も抱かずに入り込み、しかも徹頭徹尾『上から』『外から』他者として見下ろすという態度」(テキストP215)で見ている点である。このような私たち自身の態度については、話し合いの中で確認できた。
 しかし、私たちの経験する「上からの視点」の中に、鴎外と同じような「上昇志向」を経験したかどうかを話し合う時間がなかった。神戸大学に進学して、キャンパスから神戸の街を見下ろしたときや、神戸大学の学生になって誇らしい気持ちで通学路を歩いたときのことを出し合ってもよかったと思う。
そうすれば、鴎外が感じた都市に対する「自負心」や「他者として利用する」気持ちなどが理解できたかもしれない。
 次に「下からの視点」では、経験に基づいて多くのとらえ方が出てきた。それらの点をさらに共通する観点で分類してみると、「人」と「環境」とに分けられると考えた。
 「人」では、都市に暮らす人(若者、高齢者の割合)、観光客の多さ、人の多さ、人の交流、着ているもの、幼少時代の経験などをあげた。視覚・触覚などの感覚で都市をとらえるという視点は難しいと感じた。「環境」では、町の臭い、町の雰囲気、動物・植物の存在、街の照明(明るさ)、商店の種類、人の話し声、神聖な場所の存在、鉄道・道路などの生活空間などをあげた。漱石が感じた「街が発する激しい動きや音に対する内面的恐怖」を感じる場合を検討すると、「環境」については、「快/不快」で考えてみる視点があるという意見が出た。そして、不快と感じる環境の中で、内面的恐怖を感じる人がいるのではないかと考えた。例えば、街の照明(明るさ)、町の臭い、鉄道・道路などの生活空間などである。これらはまた、人によって感じ方が異なる感覚である。しかし、あくまで「都市に住まう者」が感じる視点であることに違いないものをあげられたと思う。

<論点2>
CIMG2838.jpg

 現代の都市における「上からの視点」と「下からの視点」の繋がりを具体的な問題で考えてみようとした。ただし繋がり方には大きく二通りあると考えた。一つは、「上からの視点」と「下からの視点」がぶつかり合っている例であり、もう一つは、問題の解決へのつながりを見つけようとする例である。
 まず、ぶつかり合っている例としては、「総合病院の建設が患者・医師・地域のつながりの希薄化をもたらしている」場合があること、「高層マンションの建設が人口の密集を生み出したが、住民同士のつながりが弱まった」場合が多いこと、「市町村合併が古い地名を無くし、サービスの低下により生活の豊かさがなくなった」例があること、「地方都市に大学を誘致したが、若者のマナーの悪さが住環境の悪化をもたらしている」例があることなどをあげた。これらの例をグループで検討するなかで、それぞれの例の中に、「上からの視点」と「下からの視点」を見ることができるが、どちらかの視点がより大事にされなければならないというものではなく、実際には両方の視点がともに大事にされなくてはならないと考えた。現実の中では、「上からの視点」には都市の内部に生きる人びとの「研ぎ澄まされた日常感覚」が欠如しているといえる。
 さらに、問題の解決へのつながりを見つけようとする例では、「ホタルが住める川の環境を守ろうとする住民の取り組みを、環境保全の施政をアピールしたい行政が後押しする」例があること、「街灯のない道路を怖いと感じる住民の要望に、住みよい街づくり・防犯のまちをアピールしたい行政が応えた」例があること、「小学校の通学区域の再編で、面積や人口を基準に区域割りしようとする行政に対して、住民側から子どもの通学時間による疲労度や、昔からの地域や親や子どものつながりによる見直しを求めた結果、改善が実現した」例があることなどである。これらの例にみられるのは、「都市の内部に暮らす人びとの生活者の日常感覚」が生かされていることである。

第2班
<論点1>
CIMG2837.jpg

<論点2>
CIMG2839.jpg
2014-12-31 16:39 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第11 章 「サウンドスケープ今昔 ―あふれる音の向こうに―」

第11 章 「サウンドスケープ今昔 ―あふれる音の向こうに―」

KEY WORDS: はとバス うたごえ なつメロ ご当地ソング サンドスケープ


○はじめに
首都・東京…ランドスケープ(景色)の変容が目まぐるしい
→東京に住まう人にとって、拠って立つ場所が虚ろに。
⇔「うたごえバス」=これらの人を包む、空間と時間を越えた社会化の装置として機能。
想い出の東京を歌と共に過去へとさかのぼらせる。

同じ歌によって各々が想いを馳せることで、自らのアイデンティティを手繰る同志としての紐帯が発生
=「歌う」という目的集団に参加した個人がアイデンティティを編み上げる手段

1.サウンドスケープ・うたごえ・なつメロ
「サウンドスケープ」=音風景。「目に見えない音を軸に、環境を再認識すること(環境工学・小松)」
音楽学者・辻本:
サウンドスケープ研究対象…農村や島嶼等の地域社会+グローバル化した現代の都市の音文化
→現代的で都市的な音風景にフィールドワークを広げることを提案
サウンドスケープの特徴:「美しい音」を志向する音風景の「デザイン」という要素が含まれ
音に対する快・不快の主観性が曖昧
⇔ありのままの社会を捉えようとする社会科学分野では、既に都市の若者のストリートライブが研究
⇒サウンドスケープ研究=社会科学との連携で、従来の問題を乗り越える可能性

筆者の批判:既存の社会科学が取り扱うサウンドスケープの研究領域
=「都市部」の「文化に先進的な」一部の「若者」に限定的

本章の「うたごえバス」=従来サウンドスケープ研究の対象外であった「普通の」「中高年」が主役
○音楽の三層構造
①「コモン・ミュージック」=同世代共通音楽。特定の世代が同調できる音楽ジャンルが存在することで、特定世代を囲い込んで輪切りにする効果。
②「スタンダード」=時代を超えた名曲。
③「パーソナル・ミュージック」=他者に知られず、自分だけでこっそりと愛したい曲。
⇒仮説:「音楽の三層構造」理論がうたごえ世代とうたごえバスレパートリーの関係にも言えるのか。

○「うたごえ」と「なつメロ」
「うたごえ」=うたごえ運動(戦後)→うたごえブーム(1950 年代~60 年半ば)
〈労働運動〉 〈うたごえ喫茶…労働歌・ロシア民謡〉

「なつかしのうたごえサロン」(現在)…中高年層の大衆的ブームだった広義の「うたごえ」を懐かしむ心情(≠運動)

●音楽学者二者による「うたごえ運動」の意義
・長木:「参加者が現場で自ら方法論を発見する道筋に力点を置く姿勢」を再評価
・渡辺:「労働歌(=下層)と唱歌(上層)が癒着しあって、『コミュニティーソング』となったことの特異性」+戦後の「うたごえ運動」
=官民やイデオロギーを超越し、「国民音楽」を目指して機能。
「なつメロ」=過去の特定の時点を人々に想起させる存在。「あの頃」を思い出させるノスタルジアの音楽。

相違点:「うたごえ」…世代限定の輪切り可≠「なつメロ」…世代限定の輪切り不可
→「うたごえ」=昭和20~30 年代に青春時代を過ごした世代をラベリングする一種のジャンル化

次節:戦後すぐのなつメロである「うたごえ」をサウンドスケープと捉え、車窓からの東京の風景と関連づけて提示

2.走る走馬灯―うたごえバス
○「走るうたごえ」
はとバス「あの歌この歌東京ドライブ」A・B コース
A コース:「あの歌が聞きたい!!なつかしの名曲で綴る東京ドライブ」
昭和20~30 年代の歌謡曲。下町めぐり(靖国神社)。客層60 代後半~70 代中心。
戦後の東京を舞台にしたご当地ソング。
→・集団就職や進学での上京組…故郷に家族を残し単身上京した当時の様子を想起。
・敗戦後の復興や高度経済成長期に若者が懸命に働いた記憶を想起。
B コース:「よみがえる青春!!フォークソング・ヒット歌謡で綴る東京ドライブ」
昭和40~50 年代のフォーク。山の手コース(都庁)。客層40 代後半~60 代。

●「うたごえバス」の特徴
・20 曲近い歌を歌い続ける
・現役ガイドに加えてOG ガイドが同乗し、都内の名所ごとの今昔比較やご当地ソングの披露を行う

客のツアーの目的=昭和の東京を生きたOG ガイドの肉声(←「懐かしさ」=歌声)によって呼び寄せられた昭和の東京にいざなわれること。(≠観光地見学)
⇒A コース=終戦と復興、平和…集合的記憶 両コース共通
B コース=個人的記憶 …「コモン・ミュージック」で各々の青春を想起
→昔の歌…集合的記憶と綾なす個人の思い出の瞬時再現可

3.サウンドスケープ・記憶・メディア
○「東京の歌」の変遷
第11章 1

○うたごえバスのコース選定方法
①歌よりその時代を生きた人々の思い出に強く結びつく場所を選定
②その場所にそぐう歌を選曲
⇔うたごえバスの下町コースで歌われる歌=輝かしい時代の東京を歌った「東京憧憬」・「上京」ソング

これらのご当地ソングに出てくる地名は期せずして、ご当地ソングゆかりの観光地に該当

乗客:「輝いていた頃の東京は車窓からリアルに見えなくても、歌うことでそれぞれが当時記憶を再構成」
=「昭和の東京」の喚起←OG ガイドと当時の歌なしには不可
∴うたごえ世代(=乗客):「憧れの東京」=サウンドスケープの中に存在≠ラウンドスケープ
→社会学者・佐藤:「音」=「見えないものを位置づけ、感じ取る日常の想像力」の発揮に期待
文化人類学者・アパデュライ:「想像力が社会生活で並外れた力を得た」
⇒筆者:うたごえバス=リアルと想像力の曖昧な境界を走る
→即席のコミュニティーを現出させる装置

○うたごえバスの人気の高さはどうしてか?
社会学者・デーヴィス…
音楽や映画等の視聴覚メディア=大量生産・意味の画一化がされやすく、後の時代に象徴的に制御される可能性が高い。
⇒メディアによるノスタルジア支配の理論←中高年・うたごえ世代を中心とする「うたごえバス」の人気の背景
=「マスメディアが中高年の青春の歌をノスタルジアの下に再編成し、受け手はこれを享受」

○おわりに
修学旅行見学コースの変化
従来の「浅草」「上野」「銀座」+テレビ局などメディア関係・アニメーション
→メディア中心地・東京への憧れは形を変えて継続
修学旅行での同級生との共有体験…・集合的記憶として個人の内面に蓄積。
・中高年となった時に集合的アイデンティティを確認する材料。

共通の聴覚体験=都市で生き抜くための「伴走者」となることを教示
⇒「歌」を結び目とした新たな紐帯の誕生(≠既存の地域や職場等の所属集団)

[論点]
①あなたのこれまでの人生の中で、心に残っている曲を(出来れば)理由も付して挙げ、「音楽の三層構造」のいずれに該当するか分類してみる。

②本章は、「歌(とりわけコモンミュージック)」を基に世代別の集合的記憶や個人的記憶を想起させることで新たな人間間の繋がりを創り出そうとしている試みの一つであった。このように固定的な既存の所属集団のコミュニティーとは違った、新たなコミュニティーの創成方法を企画してみよう。


<第1班>
論点①

CIMG2830.jpg

最初に、各自の心に残っている歌を理由も付けて、挙げられるだけ挙げた。次にそれを発売或いは流行した時期別に並び替え、さらに音楽の三層構造である「コモン」/「スタンダード」/「パーソナル」のいずれかに割り振った。すると、大学生世代が当事者世代として耳にしている歌(2000 年代)は主にテレビの主題歌やCM 挿入歌、学校の卒業式で合唱曲として歌ったことのあるものが多かったため、三層構造のいずれに入っていても、他の年代の曲に比べて認知度は高かった。しかし、時代が遡るにつれて、大学生世代の認知度は名曲と呼ばれる「スタンダード」のみに偏りを見せるようになり、「コモン」や「パーソナル」に属する曲は、親など上の世代の影響や映画・小説・ラジオなどで各々が認知してその曲を聴くようになるというプロセスを踏んでいるので、全体としての認知度は低下する傾向を見せた。
私たちの班では、現役をリタイアされたと同時に社会人入試で入られた方がいらっしゃったので、70 年代前後に青春時代を過ごされた方の記憶に残る音楽観も見ることができた。
分布を確認すると70 年代に多く分布し、理由と重ね合わせてみると受験勉強や子供の出産時の喜び、家族愛など若い時代の体験や経験と曲が一緒になって記憶され、歌と共に当時が想起されていることが確認できた。また、古い時代に分類された曲ほど「スタンダード」に分類されていないものであっても、いまなお多くの人に認知されているものが多く、メディアがテレビ・ラジオ中心で、今よりも「音楽」という分野が細分化されていないこともわかった。

論点②
CIMG2833.jpg
地縁等に基づくコミュニティとは別に新たなコミュニティの在り方を考えるという論点であったため、私たちの班は設定を「自分たちが現役を退いた際に作れるコミュニティ」として議論を始めた。
論点①の後半でも述べたように、例えば「音楽」という分野は現在では昔に比べて細分化されている傾向にあって、本章で取り上げられていたような「うたごえバス」で歌われる、同世代がほとんどみんな知っている歌の数というのは、我々大学生世代(20 代前半)では少ないのが現状である。
しかしながらコミュニティというのは、本章でいう場合の「コモンミュージック」にあたる同世代で共有できる何か軸となる「モノ」が不可欠である。そこで、媒体となる「モノ」を子供時代に流行った「ゲーム類」として設定した。
これは我々の世代であれば多かれ少なかれ触れたことのある遊びであるため、懐かしさや集合的記憶の想起は比較的簡単に行われやすく、高齢期に入ったのちでも、これらを媒体にして同世代のコミュニティを再編成できると思われる。
設定では、特に老人ホームを核として地域の同世代の住民も参加できるようになれば、より広い範囲で継続的な同世代のコミュニティが実現できる可能性がある。
また現在でも存在する趣味仲間で集う団体やサークルなども一つのコミュニティの形として続いていくと考えられる。
前者の「モノ」を媒体としたコミュニティも基本的にはそれを囲んで直にコミュニケーションを図られる形が本来的には望ましいが、通信機器を使いこなしている世代が老齢期を迎えた際は、必ずしも直接的に集わなくとも、オンラインでのつながりを持つという新しいコミュニティの在り方もこれからは出てくるのではないかという声もあった。
課題としては、いくら同世代であっても「ゲーム類」というものに固執した際、それに触れてこなかった人がコミュニティに入りづらいことや「ゲーム」というものの性質上、体を動かす機会が少ないことから健康面での不安が残るといった指摘ができる。

<第2班>
論点①

CIMG2831.jpg


論点②
CIMG2834.jpg

第3班
論点①


CIMG2832.jpg

論点②CIMG2835.jpg
まずは、新たなコミュニティとなる基盤として、人々をどのようにつなぐのか?について話し合いました。結果、人々のもつ”記憶”を基にすることに決まりました。
また、新たなコミュニティの分類として、継続的なコミュニティを目的とするのか、あるいはその場限りのコミュニティ形成を目的とするのかについても話し合い、継続的なコミュニティの形成を目的とすることになりました。
このようにして、私たちの班では、「人々の記憶を想起させることで継続的なコミュニティをつくること」を基本とし、コミュニティ創成の方法を考えていきました。
本文では人々を”歌”でつなぐ事例が挙げられていましたが、今回私たちの班では”玩具”を用いて人々をつなぐ企画を考えました。
玩具、おもちゃは形は変われど世代を超えて愛されており、現在遊ばれているおもちゃの中にも過去のおもちゃが元となって新たなおもちゃとして遊ばれているものもあります。
また、個人が遊んだという記憶と、ある特定の世代が持つ”このおもちゃ”で遊んだという記憶、あるいは親子が同じようなおもちゃで遊んだという世代を超えた記憶を持つ等といったいう側面を持ちます。
その面を活かして、私たちは、世代を超えて高齢者や親世代と子ども、また親同士や子ども同士をつなぐことが可能ではないかと考えました。
その具体案として今回挙げられたのが、昔のおもちゃと今のおもちゃを使ったイベントの企画です。量販店やSCなどで子どもを連れた高齢者や親をターゲットとし、おもちゃに触れる機会を設けることで、人々の交流を図ろうとするものです。この企画を継続的に行うことで、「毎週見かけるあの子(人)」という認識を持たせ、人々の交流が生まれることを意図しています。
全体として、私たちが議論しているときも「あのおもちゃで遊んだ」「今はないけど、あれあったよね」といった自分たちの過去を懐かしみ、おもちゃで遊んだ記憶を共有する様子が見られていたのが印象的でした。
2014-11-14 16:22 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第9章 「新しい絆のゆくえ ソーシャル・キャピタルのいまを解く」

第9章 「新しい絆のゆくえ ソーシャル・キャピタルのいまを解く」

KEY WORDS: ソーシャル・キャピタル コミュニティ再建 震災 社会的孤立


1,個人化する社会とソーシャル・キャピタル 極度の「個人化」やコミュニティにおけるつながりの希薄化
⇒孤独死や「無縁社会」などの社会問題が深刻化
 人間関係が分断されていく現代社会
…この現状に対して、コミュニティにおける絆の再生という文脈から注目される概念
                 ↓
  Social Capital(社会関係資本 以下SC)とは…
 あるグループ内、あるいはグループ間のネットワーク(絆)、互酬性などの規範、信頼
 
日本では伝統的に、地縁血縁に基づいて相互扶助機能を持つ“結”や“講”といった地縁型共同性が強固に存在
  →共同体の規範を生み、帰属心を高める地縁型SC。
しかし…
 都市化の進展によって弱体化、機能縮小傾向
      ↕
〈「絆」再認識の契機としての大震災〉
 ①阪神淡路大震災後、仮設住宅が郊外に建設されたことで被災者をとりまくSCが分断され、被災者の孤独死が社会問題に。
 ②東日本大震災では、被災地域に地域共同体の伝統が存続し、相互扶助の絆が強固に残っていることがわかり、地縁型SCのメリットが見直される。
                  ↓
 ~本章の目的~
 地域のつながりをいかに再生させ、コミュニティの再建につなげるのか、SCが震災の復興過程でどのような役割を果たすのかを明らかにする。

2,ソーシャル・キャピタルという視座
〈SCをめぐる議論〉
・1910年ハニファン(米)が、学校に対するコミュニティの関与を強調する際に利用。
・都市研究の領域では、ジェイコブズが『アメリカ大都市の生と死』(1961)の中で、伝統的な都市コミュニティにおけるユニークな近隣のネットワークに注目し、これをSCと捉える視点を提示。
・パットナムがイタリア北部と南部の市民活動を比較し、「協働的行動を容易にすることにより社会の効率を改善しうる信頼、規範(互酬性)、ネットワークのような社会的組織の特徴」としてのSCを定義し、重要性を明らかにしたことで、SCの概念が脚光を浴びる。
    ↓
SCの基本概念の登場
⇒個人のネットワークを「社会関係資本」として可視化、社会的文脈の中に無意識に埋め込まれていた「つながり」に光を当てることが可能に。

「役割から見るSCの区分」

・結束型
…集団や組織の内部におけるネットワークが集団の結束力を高める。
特徴:非常に強い結束力、排他性、内部の閉鎖的な関係性
例:労働組合 エスニック集団 

・橋渡し型
…集団や組織のネットワークが外部集団との結びつきをもたらす。
特徴:開放的、情報が収集しやすく革新的な動きが可能
例:NPO 環境団体

※両者は補完的な関係にある。

3,2つの大震災とソーシャル・キャピタル<阪神・淡路大震災と孤独死>
「震災弱者(高齢者や障害者)」が優先的に仮設住宅に入居できた。
しかし…
住み慣れたコミュニティを離れ、周囲とのかかわりが薄い土地での生活(「社会的孤立」)。
生活や生命を支えていた最小限の支え合いの関係性を失い、人間関係から分断される
(孤独な「生」)。
最終的に200名以上の「孤独死」
  外部からの多様なボランティア団体・NPO・NGO(橋渡し型SC)の介入
  被災者の生きがいとなる仕事づくりなどの活動を展開

<東日本大震災と地縁型SC>
 三陸海岸沿い…地縁型SCが強い地域が多い。
         ⇔仮設住宅への移動によりコミュニティの分断・変化 
 例:宮城県女川町竹浦地区
   地縁型SCが強固
→住民の希望を基に、住民主体で集落全体の復興プランを提案する先進的な取り組み
 ①集落ごとの現地高台移転に向け、勉強会・候補地調査・住民アンケート
②伝統芸能「獅子振り」の復活を集落の「絆」を取り戻すきっかけに。
③外部からの移住者や専門家などを積極的に受け入れる(橋渡し型SCへの働きかけ)

(復興を阻む問題点)
 1,「平等性・公平性」を主張する行政との衝突
 2,個人財産に対する補助金などの公的介入の問題
  (竹浦地区の復興住宅建築の設計には、建築の専門コンサルタントの趣向が強く入っている。←公的資金を支出するべきか?)

4,ソーシャル・キャピタルの多様な側面
〈橋渡し型SCの立ち上がり〉
 東日本大震災後、地縁型SCの重要性の再確認
加えて…
 橋渡し型SCを基盤とするNPO・NGOの活動
 (例:被災地にて活動する多数のボランティア組織や民間団体同士の活動内容の調整)
  =被災地コミュニティと外部団体・専門家をつなぐネットワーク(橋渡し型SC)の
   存在の重要性

〈地縁型SCとコミュニティの分断〉
 ・地縁型SCが逆に人間関係を複雑にしてしまう状況
  例:津波の被害から逃れ家が残った「在宅被災者」と、家が流され避難生活を送る被災者の間の軋轢。
       “自分だけ家が残ったという「後ろめたさ」「罪悪感」”
 
・地縁型SCが強固だったからこそ浮かび上がる経済格差
  例:高台移転及び住宅再建において
     自力で家を建てられる=経済的余裕がある
     建てられない=経済的余裕がない

5,ソーシャル・キャピタルと市民社会
2つの大震災によって浮き彫りになった SC が人々の「生」に与える影響の大きさ
            ↓
    結束型SCと橋渡し型SCの補完的な基盤
⇒国家にも市場にも収斂されない市民社会を生む。

SCの強固さが個人の自由な選択を阻んだり
人間関係を複雑化したりする側面も見据えたうえで…

震災によって創出・再生されたさまざまなつながりが、SCとして社会に根付く。

市民社会の成熟を導く原動力に。


[論点]

①あなたの所属するコミュニティの中で、日常生活の様々な場面においてSCが機能したと考えられる経験があれば挙げてみる。ない場合、機能すると期待される場面を考えてみる。
②個人化、人間関係の希薄化が進行する現代社会においてもSCがプラスに機能するコミュニティを創り上げるために、個人・地域・行政が果たすべき役割をそれぞれ考えてみる。(教科書に取り上げられた2つの大震災から見えたSCの重要性を参考に。)

第1班
<論点1>


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Social Capital/社会関係資本がどのような場所で発生するか、と考えたときに、考えられるコミュニティの形態は不特定多数が集まり、そこで橋渡し型のコミュニティが生まれる場、もしくは、或る程度特定の少数の人が集まり、そのつながりを強化する結束型のコミュニティが生まれる場の二つが考えられる。
前者はカフェ、バーや、交流会のようなものが考えられ、後者は地域のコミュニティ機構が考えられる。この二つは完全に独立したものではなく、相互の連なりの中にあるものであり、例えばインターネット上のSNSで形成されるコミュニティはいずれの側面も持ちうるものだろうという意見が挙げられた。

<論点2>
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この論点に対しては、SCを取り巻くそれぞれの構造を理解し、そして限界を指摘するという形で議論が展開された。というのも、地域で形成されるSCと、行政が形成しようとするSCの間にギャップが存在しているということ。そして行政側がそれを活用しようとするけれども、制度上の限界があること。
また、地域側から、要望を出そうにも、それが行政という枠組みの中へと落としこまれるために、そのままでの採用は難しいということが多い。そのギャップを埋め、相互の間を取り持つ形での運用が期待されるのがNPOなどの組織であるが、それも行政側からの資金による運営で在ることが多く、完全に対等で独
立し、相互作用を生むような個人-地域-行政の関係を形成する事は難しいのではないかという結論に至った。

第2班
<論点1>

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所属しているコミュニティでソーシャルキャピタルが機能したと考えられる経験ということで、具体的なコミュニティであった経験を列挙していった。それらを分類していく中で、家族や地縁といった比較的長期に渡って継続して機能するソーシャルキャピタルや、テスト対策など、何かあるときにお互いに利害関係が一致するときだけ機能するソーシャルキャピタルが存在することが分かった。また、ネット上のコミュニティにおけるつながりも不特定多数が存在するソーシャルキャピタルと言えるのではないか、という話が挙がった。

<論点2>
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ソーシャルキャピタルがプラスに機能するコミュニティの創成ということで、具体的に「都市部で災害が発生したときに機能するコミュニティ」を創るために、日頃から個人・地域・行政がそれぞれ果たすべき役割を考えた。
個人としては、積極的にあいさつを交わしたり、防災訓練などの地域活動に参加したりして、日頃から顔見知りを作っておくということが挙げられた。地域としては、顔見知りを作ったり、有事の際に優先的に対応しないといけない高齢者を把握しておいたりするためにも、防災訓練を積極的に実施したり、地域住民の安否を確認するために、名簿を作成したりLINEグループを作成したりするという意見が挙がった。行政としては、防災訓練やまちづくりの指導を行ったり、実際に災害が起きたときに備えて公園の整備をしたりするという意見が挙がった。
ソーシャルキャピタルが上手く機能するコミュニティを創るためには、個々人からの情報提供が非常に重要であるが、それは裏を返せばプライバシーを公開することにも繋がる。個人化、人間関係の希薄化が著しい都市部でそのようなコミュニティを形成していくのは非常に難しいことだと感じた。

第3版
<論点1>

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①現在持っているコミュニティとそこから受けるpositiveとnegative
私たちが現在持っているコミュニティを分類し、そこから受けるpositiveな面とnegativeな面をあげた。血縁、友人、バイト関係、趣味関係、同郷団体等があがったが、そこから私たちが享受しているのは、情報やごはんのお裾分け等の「モノの共有」と心の支え、記憶等の「感情の共有」である。しかし、必ずしもこのように良いものばかりを享受しているわけではなく、コミュニティとしての繋がりがあるからこその義務感や、振り返りたくない過去を振り返らざるを得ない環境等、negativeなものも同時に受け取ることとなっている。

<論点2>
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セーフティーネット祭りを企画しよう
コンセプトは「非日常をもって非日常を制す」である。常識はずれの議論かもしれないが、本気である。非日常というのはpositiveなものとnegativeなものとがある。positiveなものの代表例を祭り、negativeなものの代表例を災害とする。セーフティーネット祭りとは、災害時に備えたセーフティーネットをつくるためのものである。そこでは、避難経路を神輿ではなく家財道具や担架を担いでみんなで練り歩いたり、タダで炊き出しを食べながらおしゃべりをしたりする。PRのポスターは付近の地図を拡大し、避難経路を赤線で引いたデザインにする。祭りの参加者に配られるのは、災害時に包帯にもなり、防寒具にもなる(これは自身が東日本大震災で被災された方から伺った)フェイスタオルである。開催までの流れは以下の通りである。
①「祭りって楽しそうだなあ」と思う。
②運営団体の発足。(ここでこの運営団体に参加するのは、無意味なことでもたのしければやりたい!といったタイプの人間で構わない。強制力がありすぎると、地域住民間に溝ができる恐れ。)
③行政へ、資金援助や広報をお願いする。
④開催へ(その際、この祭りは多くの地域住民並びにNPO、外部の人間に参加してもらうことが目的であるから、参加しやすいオープンな雰囲気が欠かせない)
この祭りでできたセーフティネットや学んだ防災に関する知識は災害という別の非日常で活かす。あえて防災訓練といわず、イベント化するのは、たのしみながらでないと続かないと考えたからであり、また、都市部や郊外等、場所の歴史がない地域において、1年の中で特別な存在となり、地域の繋がりも強固になると考えたからである。コミュニティは作るものであるが、作り方にはいろいろな方法がある。人間関係が希薄になりがちな地域における、非常時に機能する新たなコミュニティの形成方法を考えた結果、「セーフティーネット祭り」という画期的なアイディアにたどり着いた。

<総合司会>
教科書の本文からも、議論からも、ソーシャルキャピタルというのは普段は意識されにくく、震災など何か有事の際に初めて意識され、機能するものだという印象を受けた。しかし、現代社会は人とのつながりが薄れ、個人化・人間関係の希薄化が進行している。その結果、阪神・淡路大震災では200人以上の人が孤独死で亡くなってしまった。反対に、東日本大震災では地縁によるソーシャルキャピタルが強すぎるために、被災状況の差によって人間関係が複雑化してしまっているという現状もある。
ソーシャルキャピタルというのは人とのつながりや信頼から成る生身で非常に難しいものであると思う。だからこそ、そのようなつながり(悪く言えばしがらみ)から逃れたいがために、人間関係の希薄化が進行していると考えられる。面倒な人間関係を全て取っ払ってしまったときに残るのは、第8章でも挙げられていた孤独死に至る「孤独な生」なのではないだろうか。
人とつながる以上、面倒なしがらみも一緒に抱えてしまうのはある意味で仕方のないことなのではないだろうか。そのような側面を意識しつつ、孤独な生を防ぎ、有事の際にもソーシャルキャピタルが機能しうるコミュニティを創っていくための生き方を日頃から意識しなければならないと感じた。
2014-11-12 18:12 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第8章 生と死のあいだ 都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護

第8章 生と死のあいだ 都市高齢者の孤独に向き合う医療と介護

KEY WARDS → 孤独死 自発的な社会的排除 ケイパビリティ エイジング・イン・プレイス


1.都市高齢者の「いま」
 孤独死の時代
「無縁死」(孤独死)=「ひとり孤独に亡くなり引き取り手もない死」→年間3万2千人
                          (年間の死亡者数は約100万人)
 ↓この現象は加速度的に進む
 少子高齢社会の到来が主たる原因
 →総人口は減少するが、75歳以上の人口が大きく増加。
  (75歳を越えると医療や介護の必要性が一気に高まる)
 →この現象は都市部で特に顕著
  →高度経済成長期に地方から都市に出てきた団塊の世代が都市部で高齢期に突入する
 ↓
 高齢世帯(高齢単身・夫婦のみ世帯)の増加⇔三世代世帯は減少
 ↓
 多世帯・大家族を前提として高齢期の生活を支えることは難しくなりつつある。
 →孤独死の割合がさらに高まる

 都市高齢者の身体と生活の危うさ
高齢化問題→平均寿命の延びが大きく影響(2009年時点で男性79.6年、女性86.4年)

平均寿命≠健康寿命(健康に生きられる期間)
死亡原因…がん、心疾患、脳血管疾患
介護が必要になる原因…脳血管疾患、認知症、老衰、間接疾患、骨折・転倒
→適切な治療を受けても生活自立度は低下する。

75歳以上人口の増加に伴って要介護度の高い高齢者も急増する
→実際に介護をしているのは6割以上が同居家族。
 都市高齢者世帯を中心に、要介護度の高まりとともに、「老老介護」の占める割合も絶対数も高まる→日常的な介護者がいない単身高齢者の増大も予想される

高齢者世帯の家計
収入に対して支出が上回る
(高齢無職単身世帯で3万783円、2人以上世帯で5万2873円(総務省「家計調査」2011年))
→預貯金の取り崩しによって生計を維持
→生活保護受給者の増加

生活の困窮は、預貯金が底をつくまで家庭内で不可視化される ≒ 家族介護
→可視化されるのは、家庭と家計が崩壊したとき
→問題の本質が見えにくくなっている。明らかになったときには手遅れということも。

「自己責任」の風潮の広まり
→「自分のことで家族や他人に迷惑をかけたくない」という思い
 「他人の世話になる無力な自己」を拒否するプライド
→自ら進んで社会の周縁に身を置いてしまう=自発的な社会的排除

孤独死
物理的な孤独死→世帯構成の変容から見ても必然の流れ
社会的・精神的な孤独死=「緩やかな自死」→自己決定の問題として済ませてはいけない

2.都市高齢者の孤独と医療
 都市高齢者を取り巻く医療の変容
死亡場所の国際比較→日本は圧倒的に病院での死亡が多い。
病気という「異常」を治療する場で、生命にとっては「正常」な現象である死を迎える。
→介護施設や高齢者住宅(心身に障害を有した高齢者の受け皿)の整備が不十分
⇔医療機関が社会福祉的な機能を担う

⇔人々の生と死を支えてきた医療の崩壊
1980年代~医療費抑制政策⇔高齢化の進行+医療の高度化=医療需要の増大
↓結果
医師不足、診療機能の縮小、救急患者の受け入れ不能といった問題の発生
 ⇔
病床数は他国を圧倒→低密度医療が進められた結果、急性期医療の需要増大に対応できず
 ↓対策
医療機関の「再編・集約化」「機能分化」→急性期医療の効率的な提供をめざす
→急性期病院の入院日数の短縮
 →退院時期とは、急性期病院への入院非適応となり、地域や他医療機関での療養が可能になったときを指す
 →患者・家族は「追い出された」という感覚を持つこともある。

「病院で死ねない」状況 ← 死亡者数の増大が原因 
(2040年には49万人の看取り場所が不足する見込み(「わが国の医療についての基本資料」))

今日の高齢者
病院での積極的な治療<住み慣れた地域や家庭での日常生活を望む
→「平穏死」「自然死」
住み慣れた家や地域での日常生活維持は心身の健康維持という観点からも望ましい。

在宅医療…1人ひとりの患者の希望を実現するべく、主として患者の自宅における適度な医療提供を通じて、可能な限り患者とその家族の生活を尊重し、患者とその家族のQOL(生活の質)の向上を図ろうとするもの
 ↓
「治す医療」から「支える医療」へ
一人ひとりの患者・家族の生活状況を踏まえた、治す医療と支える医療の連携が重要

 治す医療と支える医療のあいだ
急性期病院の退院支援の現場←治す医療と支える医療のはざまに立つ
→治療後も高度な医療提供や看護・介護を受けないと生活が送れなくなる
理由①医療の高度化による長期延命
 →侵襲度の高い医療処置(気管切開、人工呼吸器、経管栄養など)を受けたために、自宅復帰や施設移行が困難になる
理由②長期伏臥により認知症を含む廃用症候群が生じる
 →身体活動量が低下し、心身機能の二次的障害が発生
理由③疾患の慢性化、合併症や後遺症の併発
 →退院後も継続した治療や医療管理が必要

病院は高度な医療管理と医療安全のために均質化された「非日常」の空間
 ↓
患者は生活の自律を失い、受け身の医療が展開される可能性がある
 ↓
医療が生の自律を奪ってしまう危険性

「人間のために」整備されたシステムが人間の自律を喪失させ、不能化、システム依存、生の平板化へと陥らせる → 近代的逆説

人、物、場所とのつながりのなかで積極的に生きるという意志が失われることが問題
 ↓
患者や家族が、心身機能が低下した状態を受容し、新たな生活を主体的にイメージし、構築していくことが必要

 治す医療と支える医療をつなぐ退院支援
退院支援→に生活の自立・自律を第一に、医療を組み立てるという発想
①:できる限り早くから、自宅に帰るという目的意識を共有
  →医療者とともに、病気と向き合う気持ちを維持していくことができる
②:患者・家族が、病態を理解したうえで、実現可能な退院後の生活像を主体的に設計するための支援
  →入院中の医療やケアも患者が望む自立した生活を可能にする退院後の医療管理を念頭に置く
③:①②を踏まえて在宅療養の環境を整えるサービス調整を行う(従来の退院調整)

ケイパビリティ(潜在能力)
本人の主観的な選好や選択とは別に、ある1つの目的を達成するために採用できる手段の多様性のこと

ケイパビリティの平等
生きる手段の多様性が万人に広く開かれていること
 ↓
退院支援も、生きる手段が限定され、生の可能性を自発的に狭めてしまうなかで、その多様性を開き、当事者の主体性を取り戻そうとする営為(=エンパワメント)といえる

3.都市高齢者の孤独と介護
家族介護という神話
在宅療養に移行した際には、介護が問題となる
→自由な選択の結果としての家族介護と、代替となる選択肢がない家族介護は、意味合いがまったく異なる
 →家族介護が問題になったのは、従来の家族介護では支えきれないほど、介護が長期化・高度化・高密度化したから

高齢者施設は貧困者救済の延長線上にあり、施設介護はスティグマ化(他者や社会集団によって負の表象とされる)され、家族に在宅介護を強いる圧力として作用
→福祉政策の貧困は「日本型福祉社会」なるイデオロギーのもとに覆い隠されてきた
 ↓
2000年介護保険制度の実現→「介護の社会化」が部分的に実現
「保険」という制度に「受益者負担」の原則を持ち込むことで、公的サービス利用に対するスティグマをなくす効果があった
 ⇔
要介護度が高まると、家族の介護力なしで在宅の生活が可能になる段階には達していない

 施設介護からエイジング・イン・プレイスへ
介護保険施設への入所のニーズの高まり
 ⇔
施設定員数の不足、介護保険利用も居宅サービスが中心(特に都市部で顕著)、介護保険財政の逼迫により新たな施設建設も困難

施設入所→入所者の生の自律を削ぐという問題
→施設の類型により提供されるサービスが固定化されており、入所者のニーズに合わせた柔軟なサービスを提供することができない
→心身の状態の変化に応じて必要なサービスを提供してくれる施設に移るのも困難

「住まいとケア」の分離に根ざした「地域居住」(エイジング・イン・プレイス)の発想
→自宅に住まい、自らのケイパビリティを最大化するかたちで、さまざまなサービスを日常生活圏内でフレキシブルに組み合わせて提供してもらうスタイル(地域包括ケア)

2006年~地域密着型サービスが始まる。特に、小規模多機能型居宅介護施設
→生活圏内にある同一の施設が、デイサービス(通所)、ショートステイ、訪問介護などの多様なサービスを提供
 →住み慣れた地域や自宅での生活を支える

2012年~介護保険による24時間地域巡回型訪問介護サービスが始まる
→1日複数回・短時間の定期訪問や随時訪問により「必要なタイミング」で「必要な量と内容」のケアを提供する

地域密着型の介護事業者などによるフォーマルなネットワークと友人、隣人、ボランティア、NPOによるインフォーマルなネットワークを多様につなぐ都市生活空間が必要

「サービス中心モデル」:利用者の多様なニーズを画一化して施設をカテゴリー化し、固有性を有した人そのものをカテゴリー化してしまう
 ⇔
地域居住:本人が住みたい場所に住み、必要なケアをフレキシブルに提供
     →「住む人を選ばない、住む場所を押し付けない、住む時期を決めつけない、そして自己決定により町中を自由に動き回れることを可能にする」モデル

4.都市高齢者の「自立」に向けて
「無意味な延命」⇔さまざまな人やものとのつながりを土台とした「自立」的な生の構築
「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」が問われなければならない

経済的な貧困→就労機会の提供、生活保護の適用
心身の異常→必要な医療と介護の提供
住む場所や施設がない→サービス付きの高齢者住宅の整備
 ↓
都市高齢者は、それだけでは解決できない問題を抱えていく
 ↓
死の外部化によって成り立ってきた生産主義的な「都市」の論理という前提
→自らは標準化=規範化された都市生活から乖離してしまう
→そこから失望と諦念が生まれる
→自発的な社会的周縁化、社会的排除に至ってしまうという問題

医療と介護の役割
・心身の維持や回復
・生と死の分断ではなく、それが混在する中で、都市に住まい都市に生き都市に死ぬ人びとの人間性の維持と回復をもたらすものであるべき

○論点
1.介護保険が整備され、様々なサービスが提供されているが、私たちの祖父母は実際にどのような生活を送っているのだろうか?そして、そこにはどのような問題が潜んでいるのだろうか?

2.1を踏まえて、少子高齢化が急速に進展しているという前提のもと、私たちはどうやって生き、死を迎えたいか?そのためには何が必要なのだろうか?


<第1班>
論点①


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グループメンバーの祖父母、両親は皆多少の健康不安を抱えつつも元気であったことから、「なぜ元気に生活できるのか」を考えてみた。
その結果、3点が明らかになった。1点目は仕事などをしており、自律・自立していること。2点目は生きがいを持って生活していること。生きがいには自己完結型と他者との関わりが生じるものの2つがあると考えられる。最後の3点目は健康不安などを抱えつつも、その中で最期への準備をしていることだ。

論点②

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「孤独死」を迎えないためにはどうすればよいかを議論した。まず我々は「長生きをする」前提で議論を進めていることに気付いた。長生きするためには健康である必要があるが、身体的健康のみならず、精神的健康も非常に重要な観点になってくる。
議論内容に戻るが、「就職→結婚→子供・孫の誕生」が孤独死を防ぐための1つの流れではないかということになった。しかし、この流れの通りに生きなければ孤独死を迎えるということでもないし、この通りに生きても孤独死を迎える可能性は低くない。そのため考えたのは、「家族」だけではなく「家族以外の他者」とのつながりを切らないということだ。何らかのコミュニティに属すること、そしてコミュニティ自ら抜けるということを防ぐことが大切だと思われる。

<第2班>
論点①


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論点②
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[論点2]は教科書本文や[論点1]の内容を踏まえた上で、自らの生と死について考える議論となった。私たちにとっては、まだ「死」を直近のものとして捉えるのは少し難しいようにも思える。しかし、少子高齢化が進み、無縁社会とも言われる都市に住まい都市に死ぬ1人の人間として、生と死を分断することなく一本の繋がりとして捉えた時、望ましい「死」を迎えるためには「生」のあいだの様々な要素(就職・結婚・人とのつながり…)が必要になることが見えてきた。例えば、私たちにとって間近に控えた就職も、長い目で見れば1人ひとりの「死」につながる重要な選択の時だということ。とりわけ女性にとっては結婚が、居住地選択という点でその後の人生に大きく関わるということ。「死に方」につながる数々の問題がすでに私たちの目の前に存在していることに改めて気付いた。ここに、教科書本文にある“「どう死にたいか」を決定するためには、「どう生きたいか」を問わなければならない”という文章が、より説得力を持つものとして各班メンバーの心に残ることとなった。

<第3班>
論点①



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論点②
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<総合司会コメント>




2014-10-31 17:36 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 1 :

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

Key words: 都市雑業  人間らしい働き方と生活  アウトリーチ ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

1.ワークの面から見た都市

都市部のワークの実情(P122表7-1より)
・就労機会の圧倒的な多さ (ワークの「量」)
・非正規の新規求人が4割弱を占める (ワークの「質」)
⇒都市における人手不足は著しいが、そのほとんどが「システムの高速稼働が可能なように作業を加える業務」
言わば「都市雑業」であり、あまり人が好んで就くような職種ではない

都市では選ばなければ仕事は見つかる

都市では・・・
経済のグローバル化の中で「底辺への競争」に歯止めが掛からず、①労働条件のさらなる引き下げと②業務のさらなる下方分解が進んでいる
①従業上の地位の「変更」等によりコストの「高すぎる」労働者を安く使用する
②出来る限り訓練コストが少なくなるよう「それなら誰でも出来る」と言える業務を作り出す

⇒人間らしい働き方と生活が実現するとは言えない労働状況下にある都市でも、就労機会が多いことからワークを求めての人口流入は止まない

2.ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

「選ばなければ仕事は見つかる」都市部…ワーク・ライフ・リスクが非可視化そして潜在化しやすい
⇒無職状態を挟みながら溢れる都市雑業を転々としながらなんとか「もって」しまう
(地方部の工業団地…リスクは大手の撤退、職場の消滅など目に見える形で顕在化する)


このような労働状況下におかれた都市勤労層のしんどい状況とは?
稼得単独世帯
生産年齢にあって一人暮らしをしている勤労者(雨宮処凛さんの例)
若者の暮らしは都市雑業を転々とすることによりなんとか「もって」しまう(not 人間らしい働き方生き方)

核家族世帯
「夫婦と子供から成る世帯」について考察
高度成長期以降の典型的な家族モデル「夫が正社員で働き、妻は専業主婦か家計補助のパート」
年功賃金制から職能資格制度に変わりつつある現在、このモデルは決して安定したものでは無くなる
⇒リーマンショック等大きな構造転換が訪れるとリスクは非常に悪化した形で表れる
But 問題なのは潜在的なリスクの存在、「職を選ぶ」ことによりリスクは突如顕在化してくる

生活保護受給者
就労している生活保護受給者…常に潜在的なリスクに曝されている
⇒正しく職業訓練を受けて就業したとしてもディーセント・ワークが保障されるとは限らない
∴雇用形態はどうであれ、人間らしい働き方を保障出来ない社会構造に問題があるのでは

3.先進的基礎自治体の取り組み

都市勤労層のしんどい状況に対処する主体…「行政に最も近い行政単位」基礎自治体
But ほとんどの基礎自治体には雇用行政の経験がない


国と自治体の「分業」により、基礎自治体には労政と福祉を繋ぐノウハウが欠如している
先進的な自治体はこれらを繋ぐ様々な施策に取り組んでいる(Ex.大阪府豊中市)

その特徴…
①組織間の連携
②アウトリーチな取り組み
アウトリーチ…福祉などの分野における地域社会への奉仕活動

未だ先進的な自治体のみの動きに留まっている
その理由…
①「法律による行政の原理」、加えて行政の対処する範囲の拡大
②「申請主義」

先進自治体の取り組みは問題の「解決」というより「可視化」として評価されるべき

<論点>
論点① 私たちは働く際には何かやりがいを持っている。それでは私たちは仕事の何にやりがいを見出すのだろうか。そしてそれは如何なる理由で見出すのだろうか。

論点② 今回見たような「人間らしい働き方と生活」が保障されない社会構造を変革するために、1)行政、2)労働組合、3)労働者本人がすべきこととは何だろうか。


<第1班>
論点①
 

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私たちはまだ「アルバイト」としての仕事しか経験したことがないため、まずアルバイト先を決めたときの基準を出し合った。それらは大きく自分のスキルアップにつながるか、自分の個性が活かせるか、それが社会貢献となるかなどの「自己実現系」、賃金、職場と自宅の距離、雰囲気などの「職場環境系」、仕事内容の楽さなどの「その他」にカテゴライズできた。

しかし、それらはあくまでアルバイトを始めるにあたっての個々人の基準であり、「基準=やりがい」ではない。アルバイトを続けていくうちに私たちは何かを得るはずである。得るものについても出し合い、仕事能率の向上などの「達成系」、能力を認められたり、他人とのコミュニケーションがうまくいくなどの「認められる系」、賃金や好きなものに囲まれる環境など「もらう系」と3つにカテゴライズした。私たちは自分の中にある基準に従い仕事を選ぶが、それがやりがいになるためにはある程度の時間の経過が必要であり、そのやりがいは個々人によってさまざまであると議論をまとめた。

論点②

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まず最初に「人間らしい生き方=食べられるかどうか」、「人間らしい働き方=モノのように扱われることなく、自分の仕事にやりがいと誇りをもっている」と定義した。また、私たちの班では、労働は単なる作業とみなすか、社交の延長とみなすかの2種類あるとした。

人間らしい生き方をできない人々は労働を単なる作業とみなす可能性が高いのではないか。というのも、食べられないのだから、仕事に対してやりがいなどとは言っていられないと考えたからである。その解決策に関しては、今回の章に書いてあったことが当てはまるように思う。しかし、人間らしい生き方がすでにできている人々は次の段階を求める、すなわち仕事に対してやりがいをもとめるようになるのではないか。そしてまた、もともと人間らしい生活ができていた人々が急にその生活をすることが困難になった場合、本来ならば単なる作業の労働にいくと考えられるのだが、過去の仕事とどうしても比較してしまい、なかなか切り替えられないケースも想定できる。こちらに関しては、労働者の仕事に対する「なんか違うな」という気持ちの曖昧さにひとつの原因があると考えた。きちんと仕事とのマッチングができていればやりがいを感じることのない労働は減るのではないだろうか。

そもそも、この問題の原因はどこにあるのか。経済政策なのか、市場主義社会なのだろうか。議論は広がったが、どうしても終着点が見えなかった。澤先生もおっしゃったとおり、私たちには貧困の感覚が欠けている。当事者意識を持って議論をできないのは実に残念なことである。

<第2班>
論点①


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班員がバイトに対して持っている「働く際のやりがい」は、やはり「入口はお金が欲しい」というものだった。なぜだろうと考えた時、「マズローの欲求5段階説」に当てはめて考えてみてはどうかとなった。まず「給料」は一番低次な「安全・生理的欲求」に位置する。そして、「職場での楽しみや働きやすい雰囲気」を求めるのは「社会的欲求」に当たる。具体的に言うと、給料だけよく、職場の雰囲気が悪ければ「社会的欲求」は満たされずストレスがたまるということだ。達成感や顧客の満足などはさらに高次な「承認欲求・自己実現欲求」に位置し、この二つの欲求はリンクしている。結論としては「より高次の欲求が満たされる職場ほど仕事が長続きする」というものだった。

論点②
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「人間らしい働き方と生活」は、私たちにとっては先述の「安全・生理的欲求」と「社会的欲求」のいずれもが満たされている「働き方や生活」である。そういった「働き方や生活」が保障されるために①行政は、「安全・生理的欲求」に関する賃金問題などの解決が求められ、②労働組合と③労働者には「社会的欲求」が満たされるような職場づくりが求められる。

<第3班>
論点①


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まず初めに、仕事に対するやりがいを個人の経験に基づいて各自が挙げた。すると「やりがい」を「自分自身に求めるもの」/「他者に求めるもの」の2種類に分けられることができた。次に前者の内で優先順位をつけると、「生活のためにお金を得る」という項目が最初に核となる部分として存在し、これをさらに追求する過程で他の「自己のため」に属するやりがいを同時的に追求・達成していくことで、この連関が環状となって、さらに自己を上昇させ、仕事によって総じて自己を高めようという意識が形成されているのではないかという議論がでた。また同時に、後者に対するやりがいは、前者の連関のサイクルが好循環となって機能した時にのみ、つまり労働者自身にとって精神・金銭面で余裕のある時にだけ強く意識されるものである。そのため、前者の好循環のサイクルから外れたような労働環境におかれた労働者には、後者にやりがいを見出すまで思いが及ばないのではないかと考えられ、企業の人件費削減等の労働者への圧力は仕事に対する「やりがい」の幅を縮減している要因の一つとも捉えることができ、非正規で低賃金労働者層の増えた我が国では仕事にやりがいを感じられない人が増加していると考えられる。

論点②

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論点①での議論を踏まえ、「人間らしい働き方と生活」を保障するために、行政・労組・労働者に企業を加え、この四者が行うべきことを列挙したが、いずれも過去に行われていた制度や方針、或いは日本の企業が現在国際的におかれている状況下においては実行されるのが極めて現実的でないと考えられる案などが出され、議論は袋小路に陥った。そこで、社会構造の抜本的な改革は難しくとも、将来日本の労働市場を支える子供たちを救う手だてはないだろうかという議論になった。そもそも子供は親の収入の多寡によって、その教育の水準が左右されやすく、特に低所得層の子供は教育水準が低いため、個人の持ちうる能力を十分に引き出せずに、結局親と同等の経済的階層を引き継ぐことになりやすい。こうした家庭に、行政の施策として学習のための費用の一部を補助し、子供には基礎的な学力を等しく付けさせて、せめてもの機会の均等を図るべきだという話がまとまった。

 しかし、こうした低所得層の子供に対する学習援助が行われても、有能な一部の人間は論点①の前者の好循環サイクルに乗れる可能性は確かに高まるが、その他の多くは競争社会の企業で篩いにかけられて依然そこからは外れることとなることは明白であり、根本的な解決策を見出すことはできないまま、議論は終了した。

<総合司会コメント>
都市で働く人々のなかに、仕事に生きがいを持てない人が増加している。本来労働(仕事)は、「生活の糧(賃金)を得ると言うだけでなく、自分の能力を発達させ、社会に役立ち、職場で仲間と出会い、協力し合うという、社会人としての生き方そのものだったのである。」(暉峻淑子(2012)「社会人の生き方」岩波新書)しかし、現実には、ようやくその日が暮らせる生活の糧しかえられない人、ますます単純化される仕事に長時間拘束される人、就きたい仕事はあるが、正規の仕事はなく日々雑業に追われている人など、しんどさを抱える人々が都市にはあふれている。まじめにこつこつ努力することが成功への近道だった時代は、はるかに過去のものとなったのだろう。私たち一人ひとりのまじめな努力では解決できない労働に関する「しんどさ」「きしみ」が、どこからくるのかを考えようとした。多くの議論が現実からかけ離れた上滑りになってしまうのは、高齢者や貧困層など社会的弱者と言われる人々の生活実態を理解できていないからであろう。

さらに、論点②において「社会構造を変革するために」論議したが、社会の変革がどういうところから起こるのか、それは私たち以外のだれかが取り組む問題なのか、私たち自身の取り組みなのか、経験がないためになかなか問題を掘り下げられないもどかしさを感じた。同じ人間として、わが身をきしむ現実の場に置いてみて、その現実に対して何が必要か、私たち一人ひとりに何ができるかを議論できる力が必要だと感じた。

2014-07-21 15:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

キーワード 近代家族 家族規範 私事化 多様化


1.知識としての家族

・知識としての家族…教科書で「理念型としての家族」が描かれているだけ
・家族の実態、家族の責任、家族の抱える問題…教科書に載らない

私たちは家族の中で生まれ、育ち、家族は最も身近な存在である。私たちの個人的な経験の大きさは、幼少期のみならず、成人に至っても家族を相対化することを難しくさせている。にもかかわらず、私たちは同じような家族意識を持ち、家族規範に縛られている。
では、私たちの家族のイメージは、どこからくるのか。

2.幻想としての家族

・私たちは日常会話の中でしばしば家族について語る。
話題となる「家族」は、規範としての家族、理想としての家族、自分自身の身近な家族などがかわるがわる登場する。特に伝統的家族をイメージする際には、ノスタルジーのもと寄せ集められた次のような断片がパッチワークのようにつなげられる。
(断片としての家族)・昔は大家族だった ・昔は三世代家族が多かった ・昔は子どもの数が多かった・昔は母親が専業主婦、父親は仕事中心の生活を送っていた・昔の子どもは家事をしていた

家族イメージのつくられ方
・昔の大家族のイメージ → 主に東北日本の家族
・現代の家族のイメージ → 東北から都市へ移動した次男、三男、娘たちの築いた核家族である。
・日常生活においてメディアから「家族」が流されている。
・新聞・雑誌の普及により都市家族と農村家族が混在した幻想としての家族が作り出された。
・パッチワークされた家族のイメージはテレビのホームドラマによって普及していった。
          
現実には多様な個人の家族経験は分節化し、常に「メディアで流される家族」と「個人の家族経験の一部」がつなぎ合わされ強化されていった。
→ それが「家族イメージ」

3.家族の何が変化したのか

「変化」していく家族
家族が多様化した。
高校教科書では、・少子高齢化と家族形態の変化、・家族がもつ役割の変化
厚生白書では、 ・単独世帯の増加による親族世帯の減少
     ・親族世帯のなかで核家族が増加している傾向
・「家族の果たす役割」
生活保障、経済的な機能→精神的な安定、子どもの養育へと変化

 高齢者が子どもと住む割合は確かに低下し、その他の親族世帯(3世代家族を主に含む)の割合は、2割以下に低下した。特に、高齢者から見れば子ども夫婦と同居する割合は、大きく低下した。
 高齢者と同居していた者が高齢になったときに核家族化により単身になったという変化ではなく、高齢者と別居していた次男三男夫婦が高齢になった時に夫婦のみ世帯、あるいは単身世帯になった。これが1970年代以降注視されていた核家族化の帰結である。

離婚・再婚の「変化」
・離婚は増加しており、有配偶離婚率(夫婦数に対する離婚数の比率)は1980年の3.03%から2000年には約2倍の5.98%にまでなり、2010年も5.72%と、高水準を維持。
・再婚は、たしかに増加しており、再婚によって生じる家族構成にも変化がある。
 
高度経済成長期から低成長期へ移行した頃、離別後に母親が子どもと暮らすことが多数を占めるようになると、子どもと別れて暮らす男性は子どものいない女性と「初婚家族」を形成し、子どもと暮らす女性は再婚しないという時期がしばらく続く。今日では、子どものいる女性の再婚割合が上昇している。

少子化や家族形成過程の大きな変化
 標準世帯=標準的な家族はマジョリティではないことや標準世帯を標準とすることの限界が広く認知されるようになった。それでもなお、通念的家族は残存し続けている。


4.「家族する」家族

標準的な家族の消滅 → むしろ「家族」の実践、「家族すること」は強化されている
 
家族は、
・法的な関係にある家族成員に対して責任を果たすよう促す圧力①
・家族の絆、情緒性への関心は高まり、「家族」の実践により親密な関係を形成確認しなければならないという圧力②
家族外部から、そして内部からさらされている。

圧力① 家族成員に対する責任の要請が強まったのは、1980年代の日本型福祉国家への舵切りであり、介護保険の導入後も家族への依存なしには高齢者個人が自立した生活を行うのが困難な状況は続いている。
参考 : 扶養義務者(家族)に利用者負担、在宅介護の指導、介護期間の長期化、長期入院問題

圧力② 今日でも、別所帯であるにもかかわらず稼得可能な家族がいる生活保護受給へのバッシング、夫婦別姓への反対や性別分業の肯定など旧来の家族を維持する仕組みの一部が持続、支持されていることからも、家族規範の強さをうかがい知れる。

「家族する」とはどういうことか
・家族 : 「所与のもの」→「構築されるもの」と見る視覚の変化、あるいは多様化
・「家族する」こと : 「表面的とするもの」→「現代家族の中核的なもの」へと変化
・「自分が家族だと思う範囲」→「家族」とする見方→「ファミリー・アイデンティティ」
・家族することの有無 →「家族のメンバー」の確定

 主観的家族の定義においては、メンバーシップの条件は外され、家族の機能については精神的な安定のみを、そして強調されるのは関係性である。ありのままの自分を受け入れてくれるというこの関係を形成するために、家族のなかで家族を演じ、互いの演技により家族する家族は成立していく。

 ただし、日本においては、男女あるいは夫婦としての感情的関係は希薄である。
 日本における家族の親密性はケア役割と稼得役割の分業によって結びついてきた。
・「家族する」ことは、夫婦関係の希薄な日本において重要な感情表現ではない。
・「家族する」ことは親子中心に行われてきたともいえる。
・「家族する」ことに価値が置かれる一方、通念的家族、従来の家族規範は、多様化の陰に隠れながら維持されている。

5.孤立する家族、個人
    
私事化
・ 公的な関心や集団に関することよりも、自分自身の私的な関心によって行動基準を変えていく傾向が強くなることを「私事化」と呼ぶ。
・私事化の傾向が強くなれば、人々は公共善ではなく利益追求に向かうため、相互の連帯に弛緩(しかん=ゆるむこと、たるむこと)が起こり、共同性に揺らぎが現れる。
(「日本社会の変化と規範意識」 森田 洋司氏(大阪樟蔭女子大学学長))
・家族の変化としては、形態の多様化よりも、私事化の方が大きな変化ではないか。
・私事化は「家内領域と公共領域の分離」は個々の家族が自律性を高めていく過程であり、「わたくし」を「おおやけ」より優先させる生活意識やライフスタイルの普遍化していく過程にも重なる。
 
 しかし、私事化において自律とされているものは、むしろ分離、孤立であり、ばらばらの個に解体される現象をさしている。

・このような見方は、都市化によりコミュニティが解体し、人々が孤立したとするコミュニティ解体論や家族崩壊論とも重なる。
・社会制度との関連では、政府の政策的取り組みが、改善するはずの(生活保障の)状況をかえって悪化させるという事態「生活保障の逆機能」に立ち至っている。
   ※世界トップクラスの相対的貧困率、自殺率、世界最低クラスの出生率など
・「男性稼ぎ主」型の社会では、事業主が社会保険料負担を回避するためにフルタイム雇用者を絞り込み、若者と女性が労働市場の外に排除されている。その結果ますます社会保障の対象となる人々が増加している。(「男性稼ぎ主」型の逆機能)
・従来家族機能とされていた生活保障が社会化したにもかかわらず、それは十分ではなく、かえって貧困が放置されるようになっている。(家族の逆機能)

6.明日の「家族」

・私たちが見ているのは、「現実の家族」ではなく「幻想としての家族」である。
・「幻想としての家族」は、「現実の家族」を覆い隠している。
・幻想や理想像のままに家族の機能をあてにすることは、逆機能としてあらわれ個人の生活リスクを高めているのである。
※家族には成員の強い情緒的関係性があるはずなのに、成員間に支配・被支配の関係がうまれることによって「子どもや高齢者への虐待」「DV」「家庭内暴力」などがおこる。
※家族同居による老親扶養は、身辺介護、情緒的援助がしやすいはずなのに、扶養者・被扶養者の関係に情緒的葛藤やプライバシーの侵害などがおこる。

家族形成の過程は多様化し、それは家族の内実をも多様化させている。
家族に対する見方や家族意識も多様化の途にあるが、いまだ私たちは家族の呪縛のなかにいる。もはや家族とは目に見えた確かなものではない。「家族」することを否定したり、従来の家族という形態に異論を唱えたりしても、それでもなお、「親密圏」と言ってもいいが、必ずしも家族とは限らない家族的存在を求めている。

論点①
「メディアに登場する家族には、どのような家族像があるか、それはどのような社会を反映しているだろうか。現実の家族、幻想としての家族という視点も加えて議論してみよう。」
メディア : 雑誌、テレビドラマ、コマーシャル、映画、ニュース、新聞、アニメなど。

論点②
「家族が私事化するということは、具体的にどのようなことをいうのか。そして、そのことがなぜ分離、孤立になるのか、なぜばらばらな個に解体されることになるのか、原因を探り、それを解決する手立てを議論してみよう。」


<第1班>
論点①
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メディアに登場する家族像や家族形態を列挙し、それを年代別に整理していった。それらを基にして、家族像の変遷にはどのような社会的な要因が関連しているのかを話し合った。結論としては、核家族という形態は現在も維持されているが、結婚に対しての価値観の変化や夫婦間での価値観の違い、私事化の進展などから、夫婦別姓、別居、母子家庭、父子家庭、離婚、再婚、おひとりさまなど、多様な家族像が想定された。

論点②
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そもそも、核家族という理想的な家族像があることが前提で論点が設定されていたが、前述の議論より、私事化が進展し、多様な家族像が想定され、それは解決すべきものなのだろうか、というところから議論をした。私事化によって形成された多様な家族像は、親から子どもへと引き継がれ、少子化→労働人口の減少→社会保障の崩壊というスパイラルが生み出されるのではないか、という結論に至った。

このスパイラルによる問題を解決するために、私事化してしまった多様な家族像を核家族に戻すことは現実的ではないため、家族によらない解決策が必要だと考えたが、明確な解決策は提示できなかった。

<第2班>
論点①

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まず最初に、班の人がそれぞれ具体例をポストイットに書き込む。
「限定せずに思いついたものを書いてゆく」形式。
一つ目のテーマに用いれる時間が二十分のうち五分程度をその時間に充てる。
(その事例書き込みの時間中にどのような事をすると、より実りのある議論になるのだろうか・・・)

5分終了の後、各自それぞれ提出。
一人一人に書き込んだ内容にばらつきがみられる。
ニュースで報道された事項を書く者と、家族をテーマにした作品を挙げる者。
また、レジュメに書かれていた「メディア」の定義は「雑誌、ドラマ、CM、映画、ニュース、新聞、アニメ」となっている。
時間制限をかけられた状況、あるいは思いつくままに書いていく状況だと、近いものから拾っていく傾向にあるのだろうか。

提出ののち、家族を主題に取り上げた報道や作品が多いという話題に。
恐らく、「情緒的関係」と見なされている事や、社会関係の基礎単位であるためという事項がある。
また、それを取り上げる側、作品を作る側の意図もあると思われた。
報道者の精神、芸術家の精神、営利行為の精神、などいくつかにパターン化される精神性(意図?)の存在にも注目できたらと思った。
あるいは、メディア全体を取り巻く力学にも目を向けられたらなおよかった。
テーマが「メディアにおいて家族はどのような表象として取り上げられているか」であるので、
それを生の物語として取り扱う事は避けるべきだろうと後々思った。

ポストイットを「報道/作品/CM(で取り上げられた家族)」という3分類で分けることに。
いずれのものもこの3分類のうちのいずれかに当てはまったため。
かつ、作品系のポストイットの種類がそこまで多くはなかったので、「小説/映画/・・・」などで分けるより一まとめにしてしまった方がよいと判断。

☆疑問点
・「SNS」はメディアなのだろうか。
・フェイスブックなどは「閉じた関係」だが、ツイッター、掲示板などは大よそ「開かれた関係」に近いと見なすことに妥当性があるはず。
現実の関係は「ウチ/ソト」、「馬があう/あわない」や「親密/疎遠」「知り合い/知らない人」といった切り分けがなされる。
ネット上の情報の相互関係はそれとどのような違いがあるのだろうか。
・「SNSにおけるウチ/ソト」とはどのように定義できるのだろうか。
・メディアは「公」という性質が強いように思うが、
情報の行き交い方に違いがあるインターネット空間では「ウチ/ソト」を分けるものは何なのだろうか。


論点②

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論点①と同様に5分かけて例を出す。
「孤食」「町内会の意義の低下」「2世帯住宅の増加」など。
それぞれを「家の中の私事化」と「家族間の指示化」に分ける。
次に、私事化の原因と、その結果起きる問題を挙げる。
原因を「物質的原因」と「精神的原因」の二つに分ける。
物質的原因として、「食事にかけるコストの低下」「ウチとソトを明確に分けない建築様式」などを挙げた。
おそらく、食事に関しては「労働時間の在り方」や「子どもが学校に行っていない」などが加えてあげられ、
かつ町内会に関しては「長屋制度が風化した」、「都市の過密化の結果、隣近所で知り合わなければいけない数が増えすぎたため」なども加えられるかと考える。
ただ、同時に「私事化以前の社会状況」について豊富で正確な知識があるわけではないため、どうしてもイメージで語るところが大きい。
そこはどうやって解決できるだろうか・・・
議論にipadだのインターネットで調べる、本や論文を見ることができる状態を作ることでそれをある程度改善できるだろうか・・・
できたとしても、様々な制限や偏見をぬぐえない所がある。
今の検索システム(ciniiも)はどうしても「検索ワードに関わるリンク」をそのまま出す。
ネットに存在する言説を分析した結果も出してほしい。
「こういう言葉と一緒に用いられます」だの、「こういう風に議論で使われています」だの。
「ネット上に存在する知識を整理してその結果を、定式化・文章化して出してくる」言説分析の仕組みがあるサービスがあったらうれしいですね。
図とかも自動で調べた上で、それをチャート化して、根幹の主張と対立する主張をまとめてくれたり。
あったとしても、それに頼り切る事はできませんが。

「解決」については、「全体、あるいはマクロ的問題について解決案を出すのは難しいので、ミクロあるいは局所的に解決する事を志向しよう」という方向性を主張。
揚げらていたものの中で「葬式に人が来ない」が局所的問題にとれたので(のちに説明するが、ここが問題になる)
葬式に人を来させるアイデアを出すことに。
「寺がそれで利益を上げていることが嫌だ」や「場所が面倒」、「多すぎると土日がどんどん潰れていく」などが問題点として挙がる。ただ、解決案を出すまでには至らなかった。

そして上記の問題について言及する。
「葬式を対象とすることに意義が感じられない」という声が上がる。
擬制的に、かつ時間との兼ね合いや、現実的な解決案が出せる可能性、今までになかった案が出せる可能性として葬式を挙げたつもりだったが、そこに社会的な意義がないと指摘。
確かに「葬式文化の復活」は目標としてしっくりこないというのも当然である。
それより「地縁でない、なんらかの集団・機能によって包摂される社会の設立のために」という大目標を掲げ、
それより下部の目標として、「地縁が減少した結果、認知症の老人を支える機能を持つ集団がなくなった。それを解決する仕組み作り」を掲げ、加えてより下部の目標として「認知症の老人が料金支払いを忘れない・間違えないサービス・システム作り」あるいは「認知症の老人は感情的になりやすい。町中でも激昂されている方を見かけるときがある。これをどう解決するか」というように問題を設定すればよかった。
つまり「解決の意義のある大きな問題」の1セグメントを対象とする。つまり「そこにカテゴライズされる問題分野」を考える。
上で言う所の「地縁消滅」―「高齢者問題」の関係である。
そして「それが具体的に問題として発生し、かつ頻繁に、それを患う人に多く起きる場面」を想定する。
「料金の支払い」がそれに当たる。
具体的な場面、かつ意義ある問題という2つの事項を押さえながら議論を進めれば、おそらくもっといい話し合いになっていたはず。そう思います。

<第3班>
論点①
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論点1をめぐって、私たちはまず「幻想としての家族」を出発点として、自分が思い出す家族のイメージをそれぞれポストイットに書き込む。そして挙げられたことは主にポジティブなことで、表面的ないいことばかりであった。幻想として家族のイメージは画一化され、断片化されたパッチワークのようなことと考える。
現実は本当に思う通りに順調に進むのかという疑問から、現実社会における家族のネガティブなことを考えなければならない。班の人が家族のネガティブな現実をポストイットについて、夫婦、子供、親(高齢者)、自分が死亡した後に生じた問題などの視点から、それぞれの問題点を書き込む。その結果、現実の多様化をわかるようになった。
そのネガティブな問題点の理由を考えるとき、私たちの知識が限りで、「利益求めのため」、「人間性の弱点」で止まって、家庭内だけの解決が難しいという結論がでた。


論点②

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<総合司会コメント>
近現代の三世代以上の大家族、核家族のモデルは実態に合わないものとなってきている。女性の社会進出による性別役割分担の変化、「家」から「個」への価値観の転換、さらに経済状況の変化による一億総中流モデルの崩壊、出産・育児を困難にさせる社会システム、こうした背景が複雑に絡み合って家族のあり方を変化させている。また、家族間コミュニティ(≒ご近所コミュニティ)の希薄化も、時を同じくして進む現象である。こうした中で高齢化や無縁化が大きな社会問題として取り上げられるようになっており、一方でそれをきめ細やかに包摂でき るだけの公的システムが機能不全に陥っている現状がある。

家族内、家族間、家族が属する社会、この3つが相互的に関わって問題を複雑化させている現状をどう捉えたらよいか。議論では家族の解体にまで話が及んだ。これまで家族が担ってきた機能は民間の外部サービスによって代行される。しかしその受益者とならない弱い立場の人々は、「自助」のもとに家族内外の自主的扶助を求められる。国家がそうした人々を包摂できるだけの体力を有していないことも事実である。現状をより正確に捉え解決につなげていくためには、まず家族の多様化を理解することと、その背景にある社会環境の変化に目を配ることが必要不可欠だろう。
2014-07-11 14:23 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第4章 働くものの目線 サービス産業化する都市の内側

働くものの目線 サービス産業化する都市の内側
<本章の目的>
非正規雇用の従業員と一部の正規雇用の管理職からなる外食産業の現場にスポットを当て、低コスト・効率重視の現代都市的労働のあり様を浮かび上がらせる。

<キーワード>
「サービス産業」「店舗管理職」「非正規雇用」「フロアコントロール」


1.序論・サービス産業化する都市

20世紀における都市への人口集中(1920年代:18.0%⇒1970年代:75%)
産業集中が主な要因
都市型産業は第1次→第2次→第3次へとシフト(P.クラークの法則)
隆盛を極める第3次産業は非正規雇用に依存
⇒この中で外食産業にフォーカス

・外食産業の市場規模は約23兆2386億円(2012)
⇒中でもファストフードの売り上げは上昇傾向
●好調の外在的要因
①廉価での顧客に対するニーズ適応
②駅近・駐車場無料・ドライブスルーなどの高アクセシビリティ
③ 24時間営業と都市のフレキシブルな労働形態とのマッチング

●内在的要因
①テレビ・雑誌・ソーシャルメディアを用いた宣伝効果
②女性など新規顧客獲得努力
③人件費抑制の雇用形態(外食産業では91.1%が非正規雇用)
*弊害…すき家ワンオペ問題、マクドナルド「名ばかり管理職」問題

2.外食ファストフード店舗の実態調査

・ファストフード店における業務管理

QSC(Quality、Service、Cleanlines)の徹底
そのもとで管理職は

販売促進業務 売上数値管理 人材育成・面談 設備管理
この4つに従事

特に重視されるのが⇒フロアコントロール

顧客がいるフロアをつぶさに観察しながら、最短時間での商品提供に向けクルーの連携を図ること。
・フロアコントロールに必要なのは
クルー管理の技術…店舗ごとの仕事の流れ・ルール伝達
実地での商品提供業務の指導(OJT)でクルーの連鎖的機能を狙う
適材適所のクルー配置…商品提供が円滑でない場合カウンターの人員配置を工夫
母数を増やすより効率的

少ないコストで短時間にどれだけの売り上げを伸ばせるか
=低賃金と高い労働生産性が必須条件…「時間が無い」は許されない
*もちろん、時間が無い中での衛生管理も欠かさず(監査不合格なら店舗管理職の賃金に影響)

的確な指示と配置で
1時間に8万円の売り上げ+フロアの連携が上手くいく
→クルーのモチベーション上昇

・店舗管理者に求められる資質

クルーとの距離を保ちながら適性を見抜く判断力
働くことが楽しいと思える職場をつくれる構築力

自ら仕事を創出できる発見力

クルーとの信頼関係を構築できる人柄

・こんな時には…?
年配の部下を扱うときは、プライドを損なわせない配慮が必要
クルー間でのトラブルにはシフトの組み替え
クルーの能力によって接し方を変えない
→別クルーの前で同僚の評価をするのはNG
⇒「馴れ合いは禁止」「仕事とプライベートの切り替えを徹底」

・24時間のシフト編成と売上
シフト編成はクルー間の横の集団関係を構築する上で重要
馴れ合い重視・機械的どちらもNG

<クルー同士のマッチングを重視>
大学生と夜間高校生のクルー組み合わせ…生活環境が異なる者同士の化学反応
欠員フォローで細かく対応
→クルー同士のチームワーク意識を醸成

+で…人件費抑制の心がけ、販売促進意識の向上
→労働生産性と利益率が向上

But! 人材不足問題
24時間シフトに対してクルー人員は不足傾向
●求人時の問題
①競合他社との差異化戦略の不足②対外的ブランディング戦略機能せず
③学生アルバイト軽視
●採用後の問題…離職率の高さ
原因…流動化された労働市場(主婦層・学生が主)、店舗管理職の過剰労働
→子育てクルーは昇進拒否・離職傾向

対応策…店舗間の人員補充(ヘルプクルー経験を通した店舗間連携の深まりにも期待)
しかし、突然の深夜帯ヘルプ・長距離移動ヘルプの頻発
⇒さらなる労働環境の悪化に

3.まとめ・店舗管理職の都市労働

明確な目標+現状改善=純利益増大(合理的経営へ)
そのために
店舗管理職が抱える仕事…店舗経営、管理業務、人材育成
求められるクルーマネジメントとフロアコントロール→労働生産性向上と利益率アップ
⇒しかしこれらは管理職の過剰労働につながりやすい

労働市場の流動化が進んだ外食産業…出ていくものを惜しむことのできない都市労働の実態が浮かびあがる

<論点>

①本章の調査内容や付録の新聞記事の内容を踏まえ、飲食業の店舗管理職者および非正規クルーが置かれている労働環境上の問題点を挙げ、その原因を考察する。(グループメンバーの個人的体験もあり)

②飲食業の人手不足問題および過重労働問題について、有効な解決策を提示する。この時「ブラック企業は労働力移動によって自然淘汰される」という結論に留まることなく、現場労働者・企業・行政・消費者が改善へ向けてどのような行動をとることができるか、現場レベルと政策レベルの両方から考察する。


<第1班>

論点①

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労働環境上の問題点を各自で思い思いに書きだした上で、責任者/非正規雇用者/労働を取り巻く環境の三つのカテゴリに分類した。それを基に議論を重ねると、人口集中や、利便性の追求、都市的が都市たるものとして求められた結果として議題の労働環境が必然的にうみだされているのではないか。という構造が見て取れた。同時に、非正規労働における労働組合の不存在、また都市住民による就労先としての需要といった要因が絡み、健全とはいえない今の環境を維持しているのではないか、と考えられた。

論点②

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前述の議論を踏まえて、あげた原因をもとに現場/消費者/企業/行政の観点から、どのような対応が考えられるか、ということについてそれぞれ意見を挙げた。いずれも理想的なものではあるが、現場においては抵抗力の上昇、消費者においては購買選択の中への労働環境指標の導入促進、企業においては将来的な購買層を育てるための投資という考え方、行政としては労働基準監督官の増員や、法令順守の徹底。などが挙げられた。
この議論では、法律の機能不全が前提にあるため、新たな規制を設けて改善するという意見よりも、意識改革といった方面での意見が多かった。

<第2班>

論点①

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はじめに、各々のアルバイトでの実体験などをもとに労働環境上、問題であると考えられる項目について列挙した。次にそれをふまえて、それらの要因や原因の属性が『個人』/『労働環境全体』のどちらにあるのかを二分類し、さらにそれらを『外在的』/『内在的』なもので分け、計4分類で振り分けた。すると、正規・非正規間の賃金差が仕事へのモチベーションの違いに繋がり、それに起因して全体としての仕事の質に対する向上の阻害が生じるといったことや立場の違いによって根本的にクルー間での意思疎通が円滑に図られていないこと、地位や賃金に見合わない労働量を負わされていることなどが、それぞれがはじめに挙げた具体的事象の根本に潜在している問題なのではないか、という結論に達した。

論点②

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先に挙げた問題の根源を自由競争の資本主義社会における廉価での過剰な顧客サービス主義構造にみた私たちは、この構造自体が人手不足や過重労働問題に否応無しに直結することから、これらを回避する策として、最も強制力を持つ行政には、これまで個々人の主観の域を脱せなかった過重労働の基準を『労働量』という数値化された明確な条件として法的に策定し、それをクリアしない限りにおいて企業の操業を規制するという案が出た。しかし、これだけでは企業側からの反発も当然予想されるため、協力的に賛同した企業には社会貢献推進企業として消費者に提示できるなどのメリットを用意して、行政―企業間で妥協点を見出す必要性がある。また、議論ではこの他、労働者/消費者の立場からも改善を図る策を検討したがいずれも強制力を持たないために、結果として行政を通じての改善が現実的ではないかという意見も見られたが、そのように働きかけを行うのは他でもない労働者/消費者の側であることから、労働環境に関する課題への意識を持ち、実際に行動におこすことの不可欠性があると言える。

<第3班>

論点①

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教科書の内容やグループメンバーの実体験を踏まえ、飲食業の労働環境の問題点として大きく分けて3つが挙げられた。1つ目に、年齢層も多様でかつ社会的立場も異なる者どうしが同じ環境で働くことによる、人間関係の煩わしさ。2つ目に、管理職とアルバイトどちらにも過剰労働を強いる、慢性的な人員不足。そして3つ目に企業の人件費削減を受けた賃金の低さだ。
 飲食業においては、以上のようなマイナスイメージが増大することで人員不足が深刻化し、現場の労働環境はさらに悪化するという負のスパイラルに陥っているのではないかと結論付けられた。

論点②

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利潤の最大化を図る企業、給料や生きがいを求める現場の労働者、利便性を求める消費者。現状の問題点は、飲食業が成長を遂げる中で消費者が求めるサービスの質の高まりとともに、現場を顧みない企業側の過剰サービスによって発生していると考えられる。
このことを踏まえると、消費者側にできることは「現場労働者へのねぎらいを忘れない」などといった精神面での改善くらいしか考えが及ばなかった。しかし、企業側に対しては政策レベルでの解決策として、何らかの規制強化をしたり規則を設けたりすることで「無意味な24時間営業を減らす。」「店舗数を減らして1店舗の人員を増やす。」「現場に目を行き届かせ、ゆとりある働き方を促す。」などが可能であると考えた。
以上のように、行き過ぎたサービスが今本当に必要なのか企業側と消費者側が共に再考し、現場の負担を減らすための取り組みが、現場レベル・政策レベルで可能であるという考えに至った。

<総合司会コメント>

第三次産業の労働環境をテーマに扱っているが、これらの問題は都市であること・都市を構成する要素と不可分に関わっている。それは人口の集中であり、また、非フルタイム労働者としての若者、女性が求める就労先としての存在でもあり、そして第三次産業に従事する者を対象とした市場である。言いかえれば一次産業、二次産業を主とする地方では都市のような飲食、コンビニエンスストアのあり方と、地方にあるそれとでは少し様相が異なってくる。

労働環境の問題について、現場を回すには圧倒的に不足している人員と、対して可能な限り人権費を削減したい経営側との相互の不一致、またその印象により労働者の定着がすすまないという負のスパイラル、人的資源をすり減らして利益を生み出しているといったような都市の中の矛盾の一つの顕在化とも取れるだろう。

法律の順守は前提として過剰サービス気味にある現状から抑制方向に入る、労働者が抵抗力を持つ、など、意識改革、啓蒙的な部分での改善が必要という意見があげられた一方、非正規での労働組合という意見がすくなかったとの先生の指摘もあった。
2014-07-10 19:35 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第3章 不安の深層から 見えない犯罪の裏側を探る−

第3章 不安の深層から 見えない犯罪の裏側を探る−

KEY WORDS:安全・安心、セキュリティの技術、都市環境、防犯のまなざし

本章の目的

地域防犯活動におけるセキュリティの技術とまなざしの倫理を明らかにし、不安と環境の循環を超える都市コミュニティの可能性にせまる

1 流動化する社会と見えない犯罪

都市のモビリティと逸脱
・モビリティの発展…境界の乗り越え、逸脱の偏在
・セキュリティの技術の発展… 都市空間の境界の再形成・可視化、発展の方向付け
不可視かつ境界を越えるリスク要因を科学技術によって可視化することは、現代社会の流動性を扱う際の端的な様式を成し、同様に、見えない犯罪への対応にも当てはまる。

犯罪における境界のゆらぎ
・近年における犯罪にかかわる諸特徴
環境因への着目→「地域社会がどうあるべきか」という議論
「体感治安」への着目
いつ何時でも、あらゆるもの・こと・場所が機会となって、どんな人でも犯罪に関わる/巻き込まれるかもしれないという不安は、コミュニティ全体の議論へ、同時に、境界の必要性についての議論へ

境界の乗り越えと消滅
・「地理的境界」の消滅…犯罪行動に伴う範囲の広域化
・「社会的境界」の消滅…治安のための共同体そのものが犯罪の温床となりえるリスク社会の自己再帰性を表す
・地理的・社会的境界の消滅…いつでもどこでも薄く広く危険が存在する状況

2 犯罪を可視化するセキュリティの技術

移動のトレースとデータベース
・自動車ナンバー読み取り装置によるデータベース化や防犯カメラ設置数の増加
→「個人監視」から「大量監視」へ

排除と必然性の環境
・「データ監視」の出現…治安維持のみならず、排除のための新たな境界、自己を他者とは異なる明確な主体となることを促す
・インターネットショッピングのおすすめ商品、SNSの「知り合いかも?」
→規制の存在に気づかせることなく、技術的・物理的に行為の可能性の縮減する規制の方法
→自らが特定の何者かになる「自由」を与えてくれる(ように思える)
→自分の行為と志向性との間に矛盾や摩擦を感じない

データベースが、事前に偶然性を必然性に変える

スキャナー化するまなざし
・犯罪の事前予防・防止への関心の強まり
「状況的モデル」
「コミュニティ・モデル」
犯罪環境に着目するまなざしは、都市空間を犯罪環境の要素となる地点の集合に分解、記号化、変換し、新たに編集可能な都市空間を構成することで、あるべき安全な環境を見出そうとする

・犯罪者の主体像の転換
 
割れた窓を見つけ出す
・「割れ窓理論」…日本においても支柱とされた
犯罪環境への着目は、制度化されたまなざしを生み出し、新たな境界の再生産を導くための「防犯のまなざし」を提供する。
 
境界形成と防犯のまなざし
・環境犯罪学の立場から(小宮信夫)
「領域性」…「物理的なバリア」、「心理的なバリア」からなる
「監視性」…「領域内をみやすくしてきちんとフォロー」、「みようとする意識、地域への関心、当事者意識」からなる
・防犯に適した環境整備への批判
犯罪の場所の移転を促し、犯罪予防の環境を用意できない地域が不利益を被る可能性。市民相互の信頼の喪失。社会的排除。公共空間の私事化など
  
3 地域防犯活動による境界形成

準備される共同性
・防犯ボランティア団体のはたらき…失われた共同性を取り戻そうとする
安全・安心まちづくりは、ハード面での整備だけでなく、共同体的価値を有する環境・地域社会の構築を目指すものである
 
自明でアクティブな行為主体
・地域社会・防犯ボランティア団体の構成の偏り
・「資格/能力ある市民」…安全・安心まちづくりという共同体的価値のもとに形成される縄張り意識と当事者意識、擬似的な公共空間の中で地域防犯活動が実施され、そこで活動する主体
→共同体的価値、セキュリティの技術によって能力が供給
→「困難の物語」を共有することなく、境界を形成し排除の倫理を宿す可能性
 
仙台M地区における地域防犯活動の始まり
・地域の変化に対応しようとする活動から生じる
安全・安心への邁進とその後の取り組み
・取り組みが注目され、対外的な評価を意識した
→結果、隊員間のコミュニケーションの希薄、意識・意欲の差が生じた

4 まちを見出す新たな可能性

地域の安全・安心を別の観点から捉える機会はどこにあるのか?
→歴史的まちづくりの視点、価値の多様性を基底として見出されるのでは

鹿児島市Y地区の概要—−自動車社会化
・住宅地・自動車社会→空き巣、車上荒らしの増加

まちのよさを生かす防犯NPO
・まちづくりNPO法人「ねぎぼうず」から防犯NPO「おげんきかい」へ
まちの時間的・空間的拡がりへの意識をいかに保ち、より多くの成員と共有し、防犯のまなざしを相対化する中で、「まちづくり防犯NPO」としての利点をどのように生かしていくのか?
→根本は地域を見直し、つなぎ、心を開くことができる場所づくり

おわりに

・地域防犯/ボランティア活動については、防犯のまなざしを絶対的なものとしない限りで評価可能なものとなる。
→防犯が目的であるだけでなく、まちをつくる手段としてセキュリティの技術を相対 
 化しながらそれとつきあう姿勢の必要性
・「防犯のまなざし」の影響力の強まり
→多様性の縮減、境界の中に閉じる傾向
⇔日常生活とまちづくりが持つ多様性・潜在性の評価が課題

論点
①私たちの日常生活において、データベース化、セキュリティ技術の向上、防犯のまなざし、安全・安心のまちづくりへの取り組み等といったものはどのような場や時に使用され、機能しているか。(排除だったり、規制だったり、必然性を生んだり…)
② ①より、多くのものに守られ、規制されている現在の都市環境においては、安全・安心に関して様々な矛盾や二面性、不安定さを持っているといえる。その様な不安定な都市環境の中で、私たちは個人、あるいは地域としてどのようなことを考えながら、あるいは重視しながら他者と関わっていくことができるだろうか。


<第1班>
論点①
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論点①に対して、私たちのグループはデータベース化社会、セキュリティ技術の向上を背景とする現代社会の、犯罪に対する防犯対策から考え始めた。防犯対策の具体例を挙げた上で、「どのような時に機能しているか」に関して、犯罪前の予防策としての「事前防犯」と犯罪後の対応策としての「犯罪後対策」の二つを分けられた。そして、挙げられた防犯対策を「排除」(境界により、自己と他者を明確的に分離する方法)と「規制」(技術的、物理的に犯罪行為の可能性の縮減する方法)の二つを分けられた。「どのような場に機能しているか」に関して、「乗り物、学校、駅」など私たちの日常生活に関われている場所を考えた。したがって、犯罪の危機は私たちの身近いところに潜んで、いつ何時でも、あらゆるもの・こと・場所が機会となって、どんな人でも犯罪に関わる、巻き込まれる可能性があることがよくわかるようになった。防犯対策、あるいは治安維持への取り組みは個人対応や組織管理などいろんな対応形式があって、一体どのような取り組み方は良いなのか、論点②の討議で明らかにしたいと思う。

論点②
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論点②に対して、私たちのグループは都市環境の安全、安心に関する二面性の視点から考え始めた。論点①に挙げられた防犯対策が安心感に与える効果を準として、軸を作った。一般論としては、ゲーテッドコミュニティーやオートロックなどが確かに犯罪者を排除されることに機能し、人々に安心感に与え、治安維持にもいいと言える。しかし、監視カメラの設置、刃物規制や、行動追跡など、治安維持に効く一方で、監視社会が人々に不安感を与えるのも事実である。
このような二面性に対して、監視社会の穴を陥らないため、地域内の結びつくことを強める必要があると考える。理想像としては、個人対応や、コミュニティ単位の防犯、信頼関係を作るのはとても大事だと思う。一方で、現況としては、犯罪に関わる人の論理観に委ねる部分があって、機械的な防犯対策をすべて放棄することも不可能であり、できるだけ利用範囲内で、不正利用にならないよう、厳格に規制する必要があると私たちが考えた。

<第2班>
論点①

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論点②
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<第3班>

論点①

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①私たちの日常生活において、データベース化、セキュリティ技術の向上、防犯のまなざし、安全・安心のまちづくりへの取り組み等といったものはどのような場や時に使用され、機能しているか。(排除だったり、規制だったり、必然性を生んだり…)

⇒まず、議論を始めるにあたって、論点の中で例示されている4点を中心として、身の回りで使用、機能していると感じているものを挙げていき、4つに分類わけを行った。そして、それらがどのように関連しているか、重なっているかについて話し合うことで整理していった。ここでポイントとなったのが、安全や安心を目的とし、技術の向上や防犯を行うことが、一方で排除や規制といった負の面も生み出しているのではないかという両義性であった。例を挙げると、人々の情報のデータベース化を行い、日常生活の効率化を図る一方で、そのデータベースによって人々が分類、区別され、その結果、排除が生まれてしまうのである。
以上、このような両義性を班員で共有し、重要な点とすることで、論点②につなげることにした。

論点②

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論点①より、多くのものに守られ、規制されている現在の都市環境においては、安全・安心に関して様々な矛盾や二面性、不安定さを持っているといえる。その様な不安定な都市環境の中で、私たちは個人、あるいは地域としてどのようなことを考えながら、あるいは重視しながら他者と関わっていくことができるだろうか。
⇒この議論においては、論点①より得た両義性を基に、そのような両義性、矛盾をもちながらどのように私たちはコミュニティの中で関わりうるかについて考えた。この議論でのポイントは、議論の本筋を安心・安全や、防犯、セキュリティ、データベースの4点とそれらが生む両義性ではなく、別の観点からとらえるということであった。まちづくりをしていくうちに、防犯、安全・安心が包括されていくような視点からコミュニティを考える、というものである。そこでは、両義性や矛盾でよって形成された、すべてが自己責任といった“閉じた社会”ではなく、責任を個人に求めることのない“開かれた社会”となるのである。また、その「“開かれた社会”とは何か?」、「そういった社会にするためには?」という問いに対する手がかりとなるものが、あいさつであったり、テキスト中においては、歴史的まちづくりの視点、まちづくり防犯NPOといったりするものである。時間的な制限もあり、今回の議論は以上でまとまることとなったが、この点は今後より議論が必要な部分であると考えられる。

<総合司会コメント>
私たちの日常生活のありとあらゆる場面において安心・安全な社会づくりへの取り組みが行われている。それは事前対策もあれば、事後対策もある。担い手も個人や組織と様々だ。また自主防犯・カメラでの監視・データベース化と時代が進むにつれて効率化も進んでいる。しかし、効率化によって排除や、表向きは防犯のために行った事であっても結果として不安が増大するなどという裏目が出てしまう事がより顕著になってきた。そうした二面性を持つ安心・安全への街づくりは、多様性を失い、同質性を高めた、「閉じた社会」をつくりあげてしまう。結果として少し怪しいと感じたらすぐに排除の力が働く社会になってしまうのだ。
 そうした社会にならないためにはどうしたら良いのか。議論ではそこまで話が及んだ。挨拶程度が出来る近隣との付き合いや、NPOを活かした街づくりが必要なのではないかという意見が出た。だが現実的には、人々の倫理観や価値観は人それぞれであるため、そうした社会の実現も難しいのかも知れない。
2014-06-27 15:47 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第2章 都市は甦るか 〜不安感の漂う中で〜

第2章 都市は甦るか 〜不安感の漂う中で〜

KEY WORDS:危機・世界都市・人口問題・犯罪リスク

1.現代都市と危機

1-a)はじめに
・都市にとっての危機:天災・大事件
→都市にとって危機が持つ意味とは何か・都市は危機をどう回避するか(危機回避の方策)
・危機の例 ニューヨーク:治安問題(事件)同時多発テロ事件(大事件)
日本東北沿岸部:東日本大震災(天災)

1-b)現代都市と危機の諸相
都市社会学者ワースによる都市の定義(米):「人口量の多さ」「居住者の社会的異質性」「人口密度の高さ」から定義
日本:高度経済成長期の都市化 
→大部分の日本人が集合的に生活する空間、緊密に依存しあう空間に
(現代都市のなりたちが内包する危機やリスクとの関連)
・都市は同時代の社会問題や、個人の日常生活を取り巻くリスクを先鋭的にあらわす
・水道・交通・施設などの物理的インフラ網に支えられる都市は、そのネットワークが緊密で高度であるほど不測の事態への対応が困難
・都市を生活共同体としてのコミュニティと見た場合、「匿名性」や「人間関係の希薄さ」と特徴づけられる都市的な人間関係は意思決定の難しさにつながる(リスクへの対応に関して)
→「若さ」「健康」「仕事の安定」など個人の生活レベルに問題がない場合
=リスクと認識されにくい
→災害など個人で制御不能な危機を想定すると、大きなリスクになる
・人口規模や人口構成の安定性(自治体・行政目線)は住民の「生活の質」を左右しかねない重要な要素
→バランス崩壊で都市の危機を招きかねない(cf.少子高齢化社会)

2.世界都市と近年の危機

2-a)「世界都市」ニューヨーク
・ニューヨーク:東京・ロンドンに並ぶ「世界都市(Global city)」
・1970年代:経済衰退の「底」→工業都市からの脱却:「世界都市」戦略
→金融市場の世界的中心地・世界レベルの観光・エンターテイメントの都として経済再生に成功
・ニューヨークの特徴:多人種・多民族集団→「異質なもの」に寛容・開放的
⇔異質な集団間の差別・軋轢の可能性

2-b)犯罪リスクの政治化
・ニューヨーク「9・11」以前の危機:犯罪問題
→1970・80年代に犯罪率急増: 「凶悪犯罪が多発する危険な街」
→ジュリアーニ前市長による施策:軽微な犯罪も徹底的に取り締まる
→警察官による路上パトロールを徹底(「割れ窓理論」)
→1990年代に殺人率大幅減:「安心・安全で清潔な街」へと変化

2-c)払った代償
・ニューヨーク市警の治安維持活動に問題点:
人種・民族的マイノリティに偏向した不当な停止・送検(stop and frisk)を実施
→多数の市民の「不安」は軽減される⇔マイノリティを中心とする市民の安全が代償に
(example) タイムズスクエアの再開発(1990年代後半)
圧力に抗うことが出来ない人々にとっての公共空間の再生
=不動産会社・巨大法人の利害に基づく空間の再編
=公共空間からのコミュニティの撤退を意味するのでは?

2-d)「9・11テロ」の発生
「9・11同時多発テロ」:都市とリスクを論じる上で重要
→テロ:人口密度が高い現代都市がテロ攻撃に対して脆弱で無防備であることを明らかに
→市民の心に「恐怖心」を植え付ける
→「テロとの戦い」:様々なテロ対策
⇔(無差別)テロ:個人レベルでは制御できない →得体の知れない恐怖・不安
→主権国家の主張の正当性が意味をなさない空間
→リスク制御としてのテロ対策:否応なしに政治問題の中心
⇔リスク評価は困難・終わりが見えない課題

2-d)「不安」社会と監視空間
テロ抑止の方策:監視体制の強化
→監視カメラ・手荷物検査・インターネット上の監視・盗聴など
=「安全のためには手段を選ばない」 ⇔市民が等しく負担するわけではない
→アフリカ系男性・アラブ系イスラム教徒などにしわ寄せ:嫌がらせ・ヘイトクライム
→市民の犠牲が代償となった未然抑止策⇔テロ未遂事件(2010年)
→さらなる監視の強化・「不安」への対応がエンドレス化
→秩序の維持や再生のために多様性・異質性への寛容といった都市の魅力が失われる可能性

3.日本の都市の危機

3-a)「3・11」の発生
東日本大震災:日本社会にとって未曾有の出来事・危機の象徴
→津波・原発事故・都市機能麻痺(首都圏の帰宅困難者など)

3-b)3・11大震災の甚大な被害
・未曾有の災害:複数県にまたがる被害
→・漁業・水産加工業などの主要産業が壊滅=雇用の喪失
・放射能汚染:原発事故の収束・汚染地域の住民の将来の見通しは立たず

3-c)震災から2年の課題
・順調に進まない復興
・問題と課題
①人口流出(特に若年層):震災前からの課題でもある
 復興ビジョンの策定が長期化するほど人口流出加速
②意思決定の主体性:「当事者の意思」or「行政・国のリーダーシップ」
被災者が望む復興ビジョンと県・国が望む復興ビジョンとの不一致
③復興における将来的な地域格差:意思決定・手続き=自治体の境界で縛り
NPO・ボランティアなどの受け入れに自治体で差
職員不足・大規模な合併に伴う地域間の復興への温度差
→被災自治体の積極的連携で再生を模索するのが望ましい?

3-d)東北から日本へ~都市の共通の課題
被災地から離れつつある人々の心:震災以前から問題を抱える日本列島を反映
→被災地支援の余裕がない
・「活性化」の頓挫→構造的問題に直面
・少子高齢化社会→医療・福祉の深刻な状況
・難しい経済成長・国や地方自治体の財政難など

3-e)都市間競争の激化と地域間格差
生き残りをかける構想:「都市間競争」
人口変動のリスクを制御する従来の都市経営に限界
→公共投資は財政難のなか容易に使えない
「ハードからソフトへ」:有効な手段は未だ模索中
競争の勝ち組?である東京:団地の高齢化・孤立死・買い物難民問題など
→現代日本:地方・大都市圏関係なく諸問題解決のニーズは高まっている
⇔行政の財政難・人的資源難・地域住民組織の形骸化や弱体化などの共通の課題
→解決は困難な状況

4.持続可能な都市を求めて

4-a)「持続可能」の意味するもの
都市としての安定性を高め、住民の生活を向上させる取り組み
→ニューヨーク:競争を通じた経済成長の獲得をもっとも重視(犠牲はつきもの)
⇔日本の都市のビジョンは不透明→「持続可能な都市」思想
=住民1人の生活の質の確保を重視する都市づくり(画期的方策見つかっていない)

4-b)日本での取り組み:脱成長時代の都市経営モデルの模索
人口増を目指す「企業誘致」「郊外への拡大的開発」からの脱却
→都市のコンパクト化・環境との共生(代替・自然エネルギーの開発促進)

4-c)地域住民組織の課題
家族だけに個人の生活を支える機能を求めることは不可能←高齢化・小家族化
→「孤立死」抑止・防犯や防災における地域社会の重要性
⇔地域住民組織:弱体化・若者や働き盛りの人々の参加が少ない

4-d)おわりに
地縁:集団的生活の危機を乗り越えるために必要なものとして再評価
→居住する地域が抱える問題・危機を認識
→問題・危機への対処への取り組みに自ら関わろうとする意識が必要
=住民1人1人が責任をもって意思決定のプロセスに参加する姿勢が地域社会には不可欠。
→そのうえでNPO・専門職・行政との協働のあり方を模索していくべき

<論点>
論点①:「危機」への対応における問題点について、ニューヨークと東日本大震災被災地とを比較・整理してみる。
論点②:①を受けて、ニューヨークのような格差を前提とした都市づくりではない、日本が選択すべき都市像とは何かを考えてみる。



<第1班>
論点①
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論点①ニューヨークと東日本被災地の、「危機」への対応を、対になる観点で整理できると考えた。ニューヨークは「危機的状況の発生自体を防ぐ」という観点で、テロ対策、監視システムの構築、軽犯罪の取り締まりなどに取り組み、東日本被災地は、「発生後の被害を減らす」という観点で防波堤の建設、住民の高台移転などに取り組んでいる。また、政府主導の対応としてニューヨークでは、危機管理に関わる情報のデータベース化とそれへのアクセス管理が、東日本被災地では、代替・自然エネルギーの開発や廃棄物処理場問題に関わる現場との意見のすり合わせが求められる。
しかし問題の表面化、深刻化もすすみ、ニューヨークでは「都市の魅力が失われる」「社会に不安が蔓延する」「対イスラムへの図式化が進む」ことが心配される。これに対して東日本被災地では「少子高齢化が急速に進行」「地方の財政難」「放射線対策の遅れ」などが心配されるというように整理してみた。


論点②
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論点②日本が選択すべき都市像に関わるキーワードは、「危機管理」と「住みやすい都市」であると考えた。危機管理として今求められる災害対策は、「都市の直下型地震対策」「行政機能のマヒ」「帰宅難民」「避難場所の確保」などである。これ等の課題に対しては、例えば、「防災訓練の実施」「都市機能の分散」などが急務とされている。さらに日本においてもテロ対策が危機管理の重要な課題となっている。個人情報の特定や監視カメラの配備などによる犯罪リスクの軽減は、今後ますます必要とされると考える。
「住みやすい都市」に関わるキーワードとして、「労働問題」「人口問題」「マイノリティへの対応」を考えた。「労働問題」に関しては、低賃金の解消、基幹産業の活性化などで働きやすい都市環境を作る必要がある。また、「人口問題」に関しては、少子高齢化対策が急務であると考える。内容的には、子育て支援策や都市のバリアフリー対策や待機児童対策、高齢者向け産業の振興などが必要であろう。さらに、「マイノリティへの対応」として、新たな労働力としての移民の受け入れや、それらの人々の低賃金対策・治安対策などが重要ではないかと考えた。

<第2班>
論点①
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論点②
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<第3班>
論点①
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まず私たちの班では、同時多発テロと東日本大震災というどちらも国難的な危機的事態に対するそれぞれの対応とその中で生じた問題について列挙した。次にそれを項目ごとにくくりだすことで、「お金」や「差別」といった項目で両者に問題が生じていることが見られたが、その内容はそれぞれの「危機」発生の地域差、すなわち各地域が「危機」以前にはらんでいる問題が異なることから、同じ項目であってもその内容はその地域を色濃く反映するものになった。また、この2つの「危機」におけるその後の対応を考えていくうえで、これらが生じた「場所」の特性が対比的に異なること(米:都市・人為的・ビル2棟⇔日:地方・自然・広範囲)も注目された。最後に、先述にもあるように、「危機」を契機としてそれまで内包されていた地域の問題が一気に表面化し、それが「危機」への対処をより難しくさせている要因の一つなのではないかという結論にたどり着いた。

論点②
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少子高齢化に伴う人口減少社会のわが国において、今後採るべき都市像とは如何なるものかとして議論を始めたところ、そもそもテキストに挙げられている「都市のコンパクト化」の是非が問われ出し、コンパクト化によるメリット(利便性・機能性の向上、自己完結性)よりも、その裏に潜む様々な弊害(今地方と呼ばれる地域に住まう人のその土地への気持ちや愛着を反故とする姿勢)のほうが多大なのではないかという意見から、私たちの班では、「都市のコンパクト化」とは異なった形の都市像を構築すべきであるという方向で議論を深めることとなった。
 都市のコンパクト化は、同時にある特定の地域に人を多く住まわせ、その範囲内で生活を完結させることを想定させるため、現存の過疎化した地域に住まう人と当該地域での産業は縮小していかざるを得ない方向で捉えられており、事実上都市との地域間格差を包括的に解消する方策とはなりえていない。そのため、現在地方が抱える財政や上述の地域間格差といった解決すべき問題を踏まえた上で提案されたのが、「中規模で且つ同等の規模の都市」が分立するという都市像である。これらの都市はそれぞれが互いに近接しあっており、コミュニティバス等の公共交通機関で連絡されていて、都市と都市が「点」ではなく「線・面」として関わり合いを有している。また同時にこれらの街は教育機関(特に中高等教育)や病院、買い物施設等の暮らしに必要最低限の機能を持ち、労働の面では地域の特性を有した産業に特化していて、その点では近隣都市と補完関係にある。
 つまり、それぞれの都市が中規模程度で密に連帯が取れる環境下においては、生活がそれらの地域内で完結するため、外部に流出する人間は「その地域では果たせない何か」を追う者のみで、とりわけ若年層の過度な流出を防げることが見込まれる。そして、こうした若年層の定着は都市内の世代間の人口差の減少や地域間の財政面での格差の減少に寄与するのではないかという結論に至った。また同時に、このような都市の構造によって、一般的な暮らしを営むのに過不足のない街では、一度外部に出た者による再定住の増加の可能性も大きくなるのでは、というところで議論が落ち着いた。

<総合司会コメント>
現代都市は様々な危機を抱えているといえる。テロ事件、自然災害などのような予知不能なリスクは、都市が直面している危機をさらに深刻化されている。
危機への対応の視点から、現代都市のあるべきビジョンについてはどうやって考えればいいのか。答えは決して経済の繁栄のみならず、住民一人ひとりの「生活の質」を確保することに重点をおく、「持続可能」な都市づくりを目標とするはずである。
討議中二ューヨークと東日本大震災被災地の実際例を手掛かりとして、各グループは日本が選択すべき都市像について、危機管理と住みやすい都市の提言や、コンパクト化都市への異議などをそれぞれに構想した。その同時に、リスクを直面する時の現代都市の脆さも十分に認識し、安心・安全な都市ビジョンを目指す時の、監視社会の強化によりコミュニティの崩壊などの諸困難を挙げられた。
2014-06-24 15:18 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
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