スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- : スポンサー広告 :

第6章 あるけど、ないコミュニティ 町内会のゆくえ

第6章 あるけど、ないコミュニティ 町内会のゆくえ
 
keyword:地域コミュニティ、町内会、ガバナンス、NPO、社会関係資本


はじめに―ある地域リーダーの想いから(後述)

1.日本における地域コミュニティの歴史
《現状》
定義として
地域コミュニティ:一定の地理的範囲を基盤とし、その地域に関わる様々な活動を自主的・主体的に展開している社会集団の総体

既存のコミュニティの限界・衰退から、「新たなコミュニティの在り方」をめぐる議論の活性化

1968年以降段階的に町内会・自治会への参加率が減少

《町内会の源流》
地域コミュニティの変遷
明治期:限定的な自治・公共的課題においての中央に対する従属
    →最終的には地方行政組織の業務まで補完
戦時期:「総力戦」の下で行政機関と直結・配給や資源回収、庶務・事務まで

《町内会の廃止・再生》
戦後GHQの指示により解体

名称を借り、形態変化によって存続 ⇒存続の基盤は流動的

戦後高度成長における「生活様式」の私事化
⇒人同士のつながり(社会関係資本)が薄れる=基底的コミュニティの衰退
⇔住民運動・市民運動の増加
⇔既成の地域住民組織の衰退 

2.コミュニティ政策の展開
町内会組織:行政機能の補完、公共サービス的側面を持つようになる

コミュニティ政策:「対話と付き合いの場」の構築に傾倒していく


《伝統的秩序》
中央―地方の権力構造からみた町内会
⇒委託・委任先としての行政末端
⇔補助金、情報を見返りとしたロビイング機能が期待される

⇒地域住民が「独自に活動するゆとり」がある場合、行政との関係は連帯方式となる。

《都市化・個人化》
・「コミュニティ」
→「伝統的住民層」から「市民型住民層」への転換を想定していた
  ⇔
  町内会を排除しようとする一方で、基幹的組織として町内会が必要であった

高度成長での都市化・個人化
⇒町内会との距離、時には嫌悪感
 ⇒半強制加入として高い組織率を維持(=非自発的参加)
   ⇔
  「加入すれど参加せず」=『あるけど、ないコミュニティ』の形成

《地域自治区の形成》
・モデル・コミュニティ地区認定(71~73)
・コミュニティ推進地区認定(83~85)
・コミュニティ活動活性化地区設定(90~92) ⇒これらにおいても町内会は中核的な組織として位置づけ

21世紀以降の地方分権の動き
「コミュニティ」政策が、施設整備から転換
・「地域自治区」の創設、「地域評議会」の設定 → 行政、評議会、自治体の三層構造が成立

《行政の効率化と住民自治活動の背反》
地域自治区:合併以前の市町村を地理的範囲⇔協議会:小学校区を範囲
☆行政区域と生活空間は必ずしも一致しない。
 ⇒各機関の領域が曖昧であることは参加、意志決定にたいして足を引っ張ることにならないか?

これらは公共性を論じるうえでの基底の担い手として重要な要素である

3.町内会の存在価値
《町内会の基盤》
町内会:高い組織率を誇るも半強制的な参加によってであり、「個人の自発的な参加を基礎とする組織」とはいいがたい。
→この状態で表面的に活発な町内会の成功事例の模倣は、失敗例の踏襲につながる

地域再生:「小さなニーズにこたえながら地道な努力のを重ねて活性化」し、「心をとらえたソフト事業が導いた活性化は持続可能性が高い」との指摘

《サバイバルの岐路》
・山積した業務と町内会のキャパシティの限界
 ―業務:行政情報の連絡、回覧、広報配布、清掃、美化、防犯、防災、以下多数
 ―役職:時間にゆとりある退職世代が兼任、一手に担う傾向
 
☆継続可能性(=固定化)という点での限界・危機・弱体化

町内会→オープンな参加による住民自治を通じての地域活性化が不可欠(筆者結論)

4.「あたらしい公共」
ガバナンス:公共性の規定、秩序化の過程を中心とする
→ローカルガバナンス:「新しい」「公共性」-地域社会の自発的な動員、資源配分の変革が求められる。
 ⇒過去の日本的「公共」 名目:社会秩序維持、不特定多数の利益維持、安定、増大
             実質:争点の選択、決定といった社会的メカニズムの「官」による独占
 地方分権の流れとして地域への権限移譲(故に、ローカルガバナンスの重要性が上昇)

《「公」の再編成》
地方分権化:資源投入の前提として、住民参加・協議・協働・情報公開 (理想?)
 ⇒住民と行政の連帯がこれまで以上に求められる
  ex)阪神震災時の住民連帯を平時においても発揮するようなもの

《町内会の自己変革》
・町内会に求められるもの
 →広域的な共同・連帯、影響力の強化 ⇔閉鎖的な地域内社会関係に留まる=先細り
・流動的な対応、多様性の創出、新しい公共への行動主体としてのNPOへの期待

・社会関係資本
→ブリッジング:結びつけ、関係性を持たせる機能。橋渡し
→バインディング:結びつきの強化、結束。

「自由で個性豊かな社会」
→捜索する問題に対して、多層的、公範囲なネットワークの創出と、問題に対する個別的な対応
 ⇒その中での町内会の立ち位置

《結び》
「あるけど、ないコミュニティ」の改革
「もめて徹底的に話し合った方がよりよいものが生まれた」
コミュニティの住民の自律性が根本的には必要であり、その確立には「公共心の覚醒」が必要
 ←コミュニティの文脈の発掘もそれを呼び覚ます重要な要因の一つ(⇒10章)

5.はじめに――ある地域リーダーの想いから
Aさん
・行政と住民の希望のミスマッチ
・伝統的規範の威圧感
・地域のつながりの強さと行政の政策の受け入れの相関
⇒マンション住民の連帯、自治会、NPOの創設を、ホワイトカラー層9割のモダンな高層集合住宅にて再現しようという努力
⇔行政企画のイベントへの町内会有志によるパレードにはAさんは参加しなかった

論点
1: 自分の知っている・体験したことのある・自分の地域で見聞きしている町内会活動、地域コミュニティを挙げてみる。
2: 先にあげた活動、コミュニティは活発か、それを踏まえて住民参加への動機づけには何が必要か、何が阻害要因となっているか。


<第1班>
論点1「自身の出身地における地域活動」

P1030307.jpg


・目的
まず自身のバックグラウンドについて話し合い、相手の価値観への理解や地域活動の構造についての見解を深める。

・出身地について
HD・・・昭和に開発された町出身(神奈川)
KS・・・ニュータウン出身(神戸)
OG・・・ニュータウン出身(滋賀)
KN・・・電車がない農業中心の町(山梨)

・地域活動について
HD・・・防犯パトロール、芋煮会など
KS・・・自治会が解散した
OG・・・最近になって認められた自治会
     力が入っている地域の運動会
     地蔵盆(地蔵自体はない)
KN・・・出し物(全体運動)
     農業器具の持ち合い
     ゴルフ大会(青年部や壮年部などに分かれて)
     子育ての相互扶助組織

論点2:「地域活動を阻害する要因とその構造について」
P1030310.jpg

・目的
上で話し合った事を基に、地域活動を阻害/促進させる要素について話し合う

・内容
まず、「地域活動の意義とは?」という話で、セーフティネット形成に役立つという点で合意が成立。
同時に人間関係を形成する必要ができるために、色々と面倒事もできるという面についても指摘があった。
なぜならば、地縁を形成する際「イエ」という枠組みの存在が鍵となるために、
その「イエ」-「地域」力学に従う必要がしばしばあるためである。

次に、実際に地域活動がどのように受け入れらているかという点に着目。
子ども―青年―親―祖父母という「世代」で受け入れ方が決まるのではという点を指摘した。
世代で受け入れ方が決まる理由の中でも一番重要なものとして、「地域における役割」があるという話をした。
このことから、労働に対する関わり方(あるいは、どのように関わっていると見なされているか)が個人の社会的評価の契機になるとも考える事が出来る。
例えば、「OL=結婚相手を探しに来ている」というロジックのように、労働態度と個人評価(社会階層評価)のつながりが密接であると考えることができる。

そして、「受け入れる顕在的動機」にも注目。
「楽しいから」「しかたがないから」「伝統だから」といった、「何を動機を表現する言葉として用いているか」という点は重要。
確かに、「つきあいだから」かつ「楽しいから」そして・・・といったように、動機は幾重にも重なっていることが当たり前ではあるが、同時に「動機語として何が用いられているか」という点に着目する事は、表面(建前)の機能理解につながる。
それは、社会学的問題の理解及び社会問題の理解という二重の意味で重要である。
つまり、「表面上このような言葉を用いることは、人間のいかなる性質をあらわしているか」という点と、
「建前上このように言われている事がどのような問題を助長するか」という2点である。

・総括
結果的に、農業主体の町出身であるKNさんの町が一番地域活動が盛んだった。
これが必然だとするならば、テンニースがいう所の「ゲゼルシャフト/ゲマインシャフト」の議論と重なり、理解しやすい。
地域・自治体活動が盛んであるメカニズムとして、「その地域における定住者の割合」や「地域の人たちが一緒になって解決しなければいけない問題」の存在があるように思われた。
去年の卒論のテーマと重なる点でもある。

・反省点
地域活動を引き起こす力学について言及することはできたが、「なにがきっかけとなりうるか?」/「いかに働きかけ、よい地域活動を作るか?」という点(最初の点)や、「どのような地域活動は維持するか?」という点(継続する点)についての議論が足りなかった。
かつ、マクロ視点も同時に足りていなかった。産業構造や土木・建築技術の進展、などの「どのような時代に生きているのか」という視点が足りていなかった。
ただ同時に、時代論をする場合には「直線的時代観」か「円環的時代観」なのかという、歴史観/時代観についての議論で時間を幾分かとる必要はあると考える。
それと、「デザインの問題」とされる点についても言及できればなおよかった。
「イギリスにおける電力問題の解決の為に、電機ケトルの容量を減らす」という話もあるように、「問題解決のカギは思考に直接影響を与えるのではなく、思考/欲望に関わる道具に対して解決策を講じる」という見方もある。
この見方ができると非常に強い。(http://digitalcast.jp/v/19634/ より)

<第2班>
論点1
P1030308.jpg
<議論の目的と手順>

メンバーが知っているor身近にある地域コミュニティを列挙し、特徴ごとに分類する。地域コミュニティ内あるいは他コミュニティ間にある社会関係資本を見出す。

<各々のコミュニティとその特徴>

①包括的コミュニティ…商工会、観光協会、青年会議所
特徴→地域企業や商店の活性化を促進することで、伝統的地域コミュニティを持続させる特徴を持つ。一方で外部の社会にも働きかける。

②伝統的コミュニティ…町内会、青年団、農会、PTAなど
特徴→地域の構成員のつながりを持続させることに重きを置くコミュニティ。しかし元々必要にかられて半強制的に参加するコミュニティであるため、個人化が進むと淘汰されやすい。ムラ社会的側面が強い。

③新しいコミュニティ…地域NPO、市民団体、ライオンズクラブ
特徴→特定の目的(社会奉仕、地域活性化、問題啓発など…)を持つコミュニティ。既存のコミュニティで解決できない部分を補う。内外にかかわらず多様な構成員によって組織されるが、持続性に課題。

<社会関係資本>
かつては②の内部に強固に存在したが、近年の個人化や地域の過疎によって資本蓄積量は減っている。②を包括し外部発信性を持つ①についても構成員が②の人間 である場合が多く、同様のことが言える。③の役割は②や①の内部の資本蓄積量を時代に合わせて再び増加させることにあるが、その前提としてまず③自身が既 存のコミュニティとの社会関係を築く必要がある。

論点2
P1030311.jpg

<議論の目的と手順>
上で話し合った内容をもとに、社会関係資本を充実させるコミュニティのあり方を時代の流れに合わせて考察する。そのために①~③のコミュニティが持つ限界性を明らかにし、それらの弱点を補うものとして新しいコミュニティを位置づける。

<現代地域コミュニティの限界>
か つては②の伝統的コミュニティが地域の結束を高め、①がその経済的サポートをする存在として機能していた。しかし農村→都市への人口移動、核家族化の進行 によって、既存のコミュニティの構成員の減少、またその閉鎖的性質ゆえに新しい住民が構成員に成り得ない状況が生まれている。世代や居住年数によるコミュ ニティの分断が存在する。地方では過疎化と高齢化が進み、若者がコミュニティの担い手になれない。都会では個人化が進んでおり、そもそも居住地域にコミュ ニティを作る必要性を感じていない人が多い。

こうした既存のコミュニ ティの弱体化によって社会関係資本が軟弱なものとなった現在、個別対応の形で存在するのが③である。成功例として地域社会のコミュニティビジネス、災害被 災地の復興支援、環境・景観保全活動、地域学童教育などがある。しかしこれらはすべて既存のコミュニティでは対応できなくなったものを部分的に補う側面が 強く、同じ地域内にも恩恵を受ける人とそうでない人を生み出す。また担い手が外部の人間や既存のコミュニティの比較的高齢な人間であることが多く、ひとた び表面的に問題が解決した形になると、コミュニティ自体が持続しないという面もある。結局のところ、さらなる個人化を促進させる結果にもつながる。

<将来の展望と限界>
こ のように既存のコミュニティとそれを補完する部分的コミュニティは、それぞれ限界性を持っている。両者を包括するものとして、行政などがそれぞれのコミュ ニティの構成員を繋ぎ、新たなコミュニティを創りだす場を提供していくことが求められる。いわゆる“ブリッジとしてのガバナンス"であり、そのガバナンス の主体はあくまで構成員であって行政ではない。しかし、こうした新たなコミュニティが個人化が進む現代社会において果たして実現可能かどうかについて、有 効な回答を出すことができない。参加のインセンティブを生み出すことは容易ではなく、持続性にも問題がある。限界性を克服するための新しいコミュニティそ のものが、プランニングの段階で既に限界性を持つという袋小路に陥っているのである。

<第3班>

P1030305.jpg

P1030309.jpg


地域コミュニティには、子供会、婦人会などある程度強制力を持ったものから、住民同士の交流を図る運動会やボーリング大会、住民主体で行われる子育てサークルなど様々なものがある。
地域コミュニティの中には形骸化、マンネリ化したものもあり、そのような地域コミュニティでは主体的な活動が行われにくくなってしまっている。
社会関係資本としての人とのつながりを求める人が地域コミュニティに参加していくことで、主体的な活動が促されていく。

<総合司会コメント>
個人の経験から具体例を出すとき、それは当然、個人の住む地域の特徴を大きく反映したものとなる。そしてまた、必要とされるコミュニティの種類も場所によって変わってくるだろうと思う。今回の議論参加者の出身は様々で、とても興味深かった。そして、今後のコミュニティの充実のための議論も三者三様であった。

東日本大震災以降、「絆」という言葉がいたるところで使われ、コミュニティの重要性が語られている。もちろん、コミュニティは大切である。しかし、今回の議論で様々なコミュニティの性格が、断片的ではあるが、分かった気がする。土地ごとにコミュニティは様々である。したがって、今後、新たなコミュニティ作り、コミュニティとコミュニティをつなぐ工夫、コミュニティへの参加を促す動機づけ等、コミュニティについての議論をする際、ひとつの理想的なプランではなく、場所に応じて変えられる柔軟な解決策を考えていかねばならないのではないか。



スポンサーサイト
2014-05-31 23:47 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

近江八幡を「第10章 文化を編みなおす」から読み直す

ゼミでフィールドワークを行った近江八幡を、テキスト(都市のリアル)の「第10章 文化を編みなおす」から読み直す。
前回の第10章の議論を下敷きに、近江八幡の文化遺産の有り様について以下の2点について議論を行いました。

論点1
文化的景観に溢れた地域において、保存の欲望はどういた意味を持つのか。

論点2
「外」から来た人間にとって「内」の人間の保存の欲望によって守られた景観はどういった意味を持つのか。

※ 論点1の文化的景観に溢れた地域とは近江八幡のことを指し、論点2の「外」から来た人間は観光客、「内」の人間は地元民を指す。

<第1班>

論点1
P1030297.jpg
クリックすると別画面で拡大します(以下同じ)

都市のリアルから引用すれば、それは住民連帯や町づくり、アイデンティティの形成や再生産としてとらえられる。また、そこには保存するというリスク、特に金銭・資金面でのリスクが働くと考えられ、観光化が容易か否かというバイアスのもとでの取捨選択が起こるのではないかと考えられる。残しやすいものから順に残されていくと考えられる一方で、個人が残したいと思うものを個人が集団に働きかけ、合意形成がなされればそれもまた観光化の中に取り込まれうる。このプロセスは先述した住民連帯の形成や町づくりに該当する。

論点2
P1030300.jpg

他者を観光者としてとらえた場合、そこにある景観は、観光の中で消費される記号の一つと言える。それは興味関心の対象であり、観光という選択の中でのメニューの一つであり、その場所を表すアイコンであると言える。その作用は場所のイメージの固定化、そして再生産である。
一方他者をIターン者としてとらえる視点も存在するが、その場合土地の文脈を知る手だて以上になることは難しいのではないかという結論になった。

<第2班>
論点1
P1030298-2.jpg

保存の欲望がはたらくものは代替不可能なものであり、それに価値を見いだした「内」の人によりその他の「内」の人に価値が共有される。しかし、これはあくまでも保存の欲望がおこる表向きの理由であって、たとえ気付かなくても保存したいと思うものには、自己との関係、また資本との関係という裏向きの理由があると考え、このふたつが揃ってはじめて、人は保存の欲求を起こすのではないかというところに帰着した。したがって保存の欲望の意味は、誰かとそのものを共有するというところにあるのではないかと考える。

論点2
P1030301.jpg

近江八幡に行ったときに「いいなあ…」と思った場所をあげたが、場所ごとに満足した点と不満があった点の両方があることに気付いた。「外」の人間である観光客はその場所のありのままの姿をのぞみ、下手に作りすぎたものには惹かれない。その一方で、「内」の人間はきっちりと整ったものを見せたがる。ここの隔たりがどんどん開いてきているのではないか。「内」の人間が維持の欲望くらいを持つ方が、「外」の人間はその土地をたのしめるのかもしれない。したがって「外」の人間にとって保存の欲望は「内」の人間との隔たりを広げるものであると考える。

<第3班>
論点1
P1030299.jpg

近江八幡で鑑賞した文化遺産には、様々な人の保存の欲望から保存され、今に至るものが多くあった。現在、すべての文化遺産が保存当初の思いを持っ て保存にあたっているとは思えない。そこには必ず「観光」という目線が存在している。確かに当初の思いを大切にしながら保存にあたっている人もいるだろうが、観光資源という意味合いを捨てきってはいないはずだ。

論点2
P1030302.jpg

「内」の人間がもつ観光資源としての文化財保存を「外」から来た人間はどのように感じるのであろうか。今回の近江八幡で感じた、八幡堀めぐりでの 無機質なアナウンス。ここにはどうしても「金儲けの意図」というものを感じずにいられなかった。そこには一種の「いやらしさ」が存在し、あまり印 象のいいものでは無かった。対照的に郵便局の保存に従事しているおばさんの語りはとても印象が良かった。保存に前向きな態度がそうさせたのであろ う。結論、保存に対する意志が見える、見えないが外から来た人間にとっての意味を変えると思う。

<総合司会コメント>
地元住民は、当初はアイデンティティーの共有やまちづくりの側面から文化を保存したいという欲望が起こる。しかし、保存するメリットやリスクなどを考えて、保存されるものは次第に淘汰されていき、保存されるものも現段階では観光地化して残す以外になかなか有用な方法はない。
観光客はありのままの姿を求めて、観光地を訪れる。その際に観光地や名所などの見た目や人の温かさ、サービスの良さなどが観光客にとって訪れてよかったかどうかを大きく左右する。
変に作ったような観光地にしたり、お金儲けの色が出てしまっているような観光地は観光客にとってはあまり受けがよくない。
地元住民の保存に対する取り組みも、誤った方向に進めば努力が水の泡となってしまうということも十分に考えられる。
2014-05-26 16:53 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

フィールドワーク@近江八幡 2014年5月

フィールドワーク@近江八幡 2014年5月
クリックすると別画面で拡大されます(以下同様)
CIMG2686.jpg
旧八幡郵便局 ヴォーリーズ建築

CIMG2693.jpg
白雲閣

CIMG2688.jpg
CIMG2708.jpg
上の景観が下記のマンホールのデザインになったのでは?
CIMG2707小
CIMG2691.jpg
以上八幡堀の景観

2014-05-16 20:21 : 学部ゼミ情報 : コメント : 0 :

『都市のリアル』第10章 文化を編みなおす 夢物語から立ち上がる

第10章 文化を編みなおす 夢物語から立ち上がる
Keywords:文化遺産、保存の欲望、集合的記憶、ナラティブ

1.都市と文化遺産
物語行為としての保存
都市文化:都市生活者としての自己について了解し、都市に住まううえで重要な資源
文化遺産:都市文化的な意味の文化価値が高いがゆえに、保存の対象とされているもの

・文化遺産の保存は、個人の趣味嗜好の表明にとどまらず、自分が何者として都市に向き合い、何を精神生活の支えにしているのかに関する、間接的な「語り」にもなっている
→この「語り」は既に定着したストーリーではなく、展開の余地を残した流動的なナラティブ
→都市はいま、このナラティブの飽和状態にあり、遺産保存という営みは、都市に充満した自己物語
→遺産保存の営みを都市生活者による物語行為として把握し、文化遺産をめぐる個人誌的な展開を踏まえることが議論のスタート地点

文化財と文化遺産―ゆらぐ価値の審級
文化財:「国にとして誇れるものを国が指定し、国が管理する」というイメージ=「公」
→保存の公共性を国家が認定するという保存様式は、すぐれて「近代的」なもの

・何でも保存したがる近代の欲望を「博物館学的欲望」と呼ぶ(荻野 2002)
その欲望を国家が肯定し、専門家が審査して、直接の所有者が守るという「三極構造」がこれを下支えしている

・文化財は「個人的によい」という主観的価値から「学術的によい」という客観的価値への昇格し、「国や国民にとってよい」という公共的価値の保証される
→この直線的なストーリーを「価値の審級」と呼ぶ。また、この「価値の審級」は近代社会を支配する原理であり、さまざまなかたちで事物に作用してきた
→この「価値の審級」が揺らぎを見せていることが、文化財保護行政のもとで制度化された保存から、都市生活者が思いおもいの「文化遺産」を見出す保存への変化を導いている

都市という歴史的環境
歴史的環境:出来事の記憶やノスタルジックな感情、過去と対話する心的態度を呼び起こすような痕跡が、方々に埋め込まれた空間を指す
→人間が環境に働きかけ、同時に環境の影響を受けてきた相互作用の履歴としての、「環境文化」が蓄積されている。
→環境文化の地層は、幾重もの時間的な厚みを持っている

・文化遺産へのこうした環境の視点は
①文化遺産概念をめぐるヨーロッパ中心主義への反省
②高度経済成長による産業公害への異議申し立てのつぎに顕在化した、都市型・生活型公害(生活の共同性は希薄だが、近隣の暮らしぶりを牽制し合う規範による)に対する環境意識の高まり
→文化遺産は生活の文脈から離れて単体で存在するのではなく、環境の視点が不可欠であり、歴史的環境という都市への視角は①②を反映している


2.保存の営みとモダニティ
近い過去の保存
「近い過去」=限りなく「現代」に近い過去
→人によってはもはや「近い過去」どころか「現在」

・「制度的再帰性」の高まり
制度的再帰性:私たちが社会活動や自然への働きかけをする際、伝統的な考え方や方法を参照するよりも、次々に生産される知識や情報をもとに軌道修正を繰り返すようになる性質のこと(ベック・ギデンズ・ラッシュ 1997)
→新しい知識や情報を参照しながら、過去や伝統を一歩ひいてながめ、つきはなして評価に付すといった再帰的な個人こそが、近い過去の保存を担っているものではないか

集合的記憶という困難
・再帰的な個人による文化遺産の保存が盛んになる一方、個人的ではない集合的な記憶を保存する活動が難しくなっている
集合的記憶:個々人の記憶と歴史化した記憶のあいだに位置し、集団内のコミュニケーションにおいて幾度も想起され、その内容を確かめ合うなかで保持され、それを経験してない者にも伝達・共有されるような記憶(アルヴァックス 1989)

・いま集合的記憶が成立しづらくなっているのは、記憶を想起させる素材や場面がなく、記憶を確かめ合う相手や機会もなく、記憶を継承することが軽視されているから

・こんにち集合的記憶は、ツーリズムや遺産産業(heritage industry)をめぐるグローバルな資本の動向と無縁ではありえず、その文脈のもとで、「再発見」「再評価」される対象になっている。
→その動向は先読みが難しく、現代社会では、私たち自身の原風景やルーツがどこで見出され、「集合的記憶」として本質化されるかは予測不可能

・人びとは「保存」に消極的であり積極的

「保存」のリスク化と近代批判
・文化遺産の保存が「これがあるから、この都市で暮らせる(暮らせない)」というふうに、ますます都市生活に直結した自己投影的なものになり、リスクをめぐる合意形成そのものが拒否される傾向が見られる
→近代社会の「合意形成」というシステム自体が、「近代的なもの」への批判精神のもとで遠ざけられている

・行政側は、合意形成を経ていないという意味で「公共的」ではない一部の住民ニーズによる保存事業の予算化をリスクとみなす立場をとる一方で、ニーズの優先順位を知りたい。
→まちづくりを担う人びとは都市の成長原理を担保しつつ「こういうものもあっていいはず」「あってはいけない理由はない」という論理で保存を主張
→この文化遺産の保存が、地域の社会的弱者(おもに若年滞留層や高齢者)のシェルターとして機能するような「近代批判の解放区」をつくる意味を持ちうる。
→その解放区に都市のモダニティが凝縮されている


3.つなぐ都市の文化力
文化遺産の他者性
・どのような文化力があれば、文化遺産の保存を通して、都市に生きる知恵をつなぐことができるのか
→カギを握るものとしての「他者性」

・文化の「遺産」とは、過去に生きた人びとによる自己了解の地層、つまり「都市‐自己のかかわり合い」の無数のパターン
→そこには「場所」に根ざした生をつむいできた無数の他者が存在する

・文化遺産の保存は、過去に息づく他者の「親しみ」「異質さ」双方との間合いをはかる、表裏一体の離接的な対話
→遠い/近い過去のなかに「食えない他者」を見出して離接的な対話を続ける力が時間的な次元の文化力

・空間的な次元において文化遺産の他者性を担保するためには、「領域的なもの」を脱する必要がある
→そのために、オルタナティブな都市の「語り口」、すなわち個人化した「マイ文化遺産」の保存によって裁断された都市空間を新たに編みなおすナラティブを示すことが大切
→編成原理のひとつには移動(mobility)があげられる
領域を横断していく「移動」は、空間と空間に新たな文脈を与える物語行為にほかならない(ド・セルトー 1987)
→脱領域的なナラティブをつむぐ力となる、もうひとつの「つなぐ都市」の文化力

ナラティブの重ね書き―第三の文化力
①歴史的過去に見出した「異質な他者」との離接的な対話力
②移動する他者」とともに、脱領域的な新しい空間の編成原理を提起する力
③「ナラティブ」の複層性を保ち、性急に予定調和の「ストーリー」には収斂させない、「重ね書き」の描写力
→この③の力こそ、①②を基礎づける文化力であり、都市の文化遺産に紐づけられたナラティブの飽和状態にどう向き合うかに関する力である。


<レジュメ担当者からの論点の提示>
論点1 文化遺産をどれだけ意識しているのか?(自分の人生とどう関係するか?)
論点2 前項をふまえ、これからの文化の保存についてどのようなスタンスをとることが考えられ、どのように実践していけるのか?


<班ごとの議論の紹介>
<第1班>
論点1
CIMG2673 - コピー
画像をクリックすると大きくなります。

文化の継承・共有は、とりわけ日本において重視され、教育によって幼少期より刷り込まれる。次世代がその文化に意味を見いだせれば保存するが、意味を見いだせなかった場合、それは破壊される。しかし、破壊されたとしても復元的な開発が行われるという可能性は捨てきれない。文化と自己は教育によって結び付けられるものであると考えた。

論点2
CIMG2683.jpg
画像をクリックすると大きくなります。

保存される文化というものは、意味のあるものであり、それは時代のニーズに沿っているかによる。したがって、文化遺産の保存に対しては「再帰的近代化」の立場をとるが、これは成熟した先進国だから可能なことであり、難しいことである。この保存活動については、小さな地域においては、地域間の世代交流によって良質なコミュニティを形成することによって上手な取捨選択ができるのではないかと考えた。


<第2班>
論点1
CIMG2676.jpg
それぞれ文化遺産に対する地元からのまなざしについて考えてみると、それは、地域教育、観光政策などによって形づくられたものという側面がある。ローカルでマイナーなものは、生活にとけこみ、当たり前と認識されるか、もしくは、忘却されていく。このまなざしは内/外の人によって、様々に異なるが、まなざしが政策や観光化によって意味付けが異なっていった例として兵庫県の竹田城があげられるだろう。

論点2
CIMG2681.jpg

文化の保存への関わり方を考えた場合、第一に手段としての活用が考えられた。それは、地元再発見といった形での地域コミュにディの結びつきを強めるための手法、観光化のための手段、また、企業や行政の思惑の中でであったりという場合が考えられる。というのも個人の資本での保存活動には限界がある。故にこのような、手段としての活用となるのであろう。一方で個人が行う場合それは趣味やライフワークといった方にになるだろう。しかしながら、その動機として、博物学的欲求の存在は認められる。
どちらのケースにも消費社会的であると言った否定、自己実現として有用という肯定は可能であるだろう。
けれどもいずれの場合にも、保存されるものは必然的な淘汰の下にあるだろう.


<第3班>
論点1

CIMG2679.jpg
文化遺産に対する意識
文化遺産が保存に繋がるということ、そこには対象物が①特定の個人にとってのみ意味を持つ物 ②一般的に大多数にとって意味を持つ物 のどちらなのかということが重要に思える。②のような意識を持つことが保存に繋げるためには肝要であるのではないか。

論点2
CIMG2685.jpg

文化遺産保存
前論点は対象の意味、「自己の思い」というのがあれば保存に繋がる、という事を確認した。では自己の思いと保存の間にある物は?
それは実用性であったりカネ、言葉にできない感情(大義名分と表現した)だと考える。
もし思いが無ければ、それは文化遺産の破壊や消滅に繋がってしまう。


<総合司会コメント>
文化遺産の意識に関しては、実際に自分が学んだり体験したりすることによって、意識の程度が変わってきます。意識が高まれば後世に伝えたい、残したいという気持ちが生まれます。
しかし、自分だけでなく周りの人間や、企業、自治体などに需要やメリットがなければ、文化遺産の保存を実際に行うのは難しくなります。
多くのものにメリットがある文化遺産が残され、そうでないものは自然に淘汰されていきます。
残されるもの、なくなるものはその時代の時代背景や権威者の影響によって大きく変化すると考えられます。

2014-05-09 17:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 2 :

澤ゼミ生が行った『都市のリアル』の議論の紹介

澤ゼミ生が行った『都市のリアル』の議論の紹介を、このブログで紹介したいと思います。
ゼミでは、1回あたり、1章について議論を行います。
1)レジュメ担当者による内容紹介
レジュメ担当者が、テキストの内容に沿いながら、紹介します。内容の紹介の後、レジュメ担当者はゼミで行う議論の論点を2つ提示します。
2)班ごとによる議論
澤ゼミの参加者はおおむね12〜15名程度です。学部の3年生と4年生と大学院生が参加しています。3班に分かれて(1つの班で4−5名)、論点1について模造紙と付箋を道具にして、KJ法を使いながら議論を進め、班のリーダーが議論の内容を発表します。各班(3班)の発表が終わった後、質疑応答を行います。これが終了した後、論点2について、同じ作業を行います。
3)総合司会による議論のまとめ
論点の2つを交差させながら、議論が進み、議論の終了後、総合司会が、全体の議論をまとめます。

上記の1)レジュメ担当者の内容紹介と論点の提示、2)模造紙と付箋を使ったKJ法による班ごとの議論、3)総合司会により議論のまとめを、このブログで紹介します。
模造紙に関しては、デジカメで写真を撮り、画像として掲載しています。各画像は、サムネイルで掲載して小さいですが、クリックすると拡大され、付箋の字を読むことができます。

また、コメント欄を設けております。これはゼミでの議論がゼミの中だけにとどまらず、編者や著者や同じ本を読んでいる人々との知的交流の場になるとの思いで設けました。
いたずらコメントを排除するために、承認制としており、コメントが反映するのに路間がかかりこと、ご了承ください。

ブログの右欄のcontentsに、『都市のリアル』(14前期学部ゼミ)の項目があります、ここをクリックすると、『都市のリアル』に関する記事だけを読むことができます。下記をクリックしても同じ効果があります。
『都市のリアル』(14前期学部ゼミ)

なお、こちらの都合で、第1章から順番に進むのではなく、まずは第10章、第6章という順番です。これは、ゼミ運営の都合です。
それでは、なにとぞよろしくお願いします。
2014-05-01 13:48 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
ホーム

contents

過去の記事

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

訪問者数

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。