スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- : スポンサー広告 :

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

Key words: 都市雑業  人間らしい働き方と生活  アウトリーチ ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

1.ワークの面から見た都市

都市部のワークの実情(P122表7-1より)
・就労機会の圧倒的な多さ (ワークの「量」)
・非正規の新規求人が4割弱を占める (ワークの「質」)
⇒都市における人手不足は著しいが、そのほとんどが「システムの高速稼働が可能なように作業を加える業務」
言わば「都市雑業」であり、あまり人が好んで就くような職種ではない

都市では選ばなければ仕事は見つかる

都市では・・・
経済のグローバル化の中で「底辺への競争」に歯止めが掛からず、①労働条件のさらなる引き下げと②業務のさらなる下方分解が進んでいる
①従業上の地位の「変更」等によりコストの「高すぎる」労働者を安く使用する
②出来る限り訓練コストが少なくなるよう「それなら誰でも出来る」と言える業務を作り出す

⇒人間らしい働き方と生活が実現するとは言えない労働状況下にある都市でも、就労機会が多いことからワークを求めての人口流入は止まない

2.ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

「選ばなければ仕事は見つかる」都市部…ワーク・ライフ・リスクが非可視化そして潜在化しやすい
⇒無職状態を挟みながら溢れる都市雑業を転々としながらなんとか「もって」しまう
(地方部の工業団地…リスクは大手の撤退、職場の消滅など目に見える形で顕在化する)


このような労働状況下におかれた都市勤労層のしんどい状況とは?
稼得単独世帯
生産年齢にあって一人暮らしをしている勤労者(雨宮処凛さんの例)
若者の暮らしは都市雑業を転々とすることによりなんとか「もって」しまう(not 人間らしい働き方生き方)

核家族世帯
「夫婦と子供から成る世帯」について考察
高度成長期以降の典型的な家族モデル「夫が正社員で働き、妻は専業主婦か家計補助のパート」
年功賃金制から職能資格制度に変わりつつある現在、このモデルは決して安定したものでは無くなる
⇒リーマンショック等大きな構造転換が訪れるとリスクは非常に悪化した形で表れる
But 問題なのは潜在的なリスクの存在、「職を選ぶ」ことによりリスクは突如顕在化してくる

生活保護受給者
就労している生活保護受給者…常に潜在的なリスクに曝されている
⇒正しく職業訓練を受けて就業したとしてもディーセント・ワークが保障されるとは限らない
∴雇用形態はどうであれ、人間らしい働き方を保障出来ない社会構造に問題があるのでは

3.先進的基礎自治体の取り組み

都市勤労層のしんどい状況に対処する主体…「行政に最も近い行政単位」基礎自治体
But ほとんどの基礎自治体には雇用行政の経験がない


国と自治体の「分業」により、基礎自治体には労政と福祉を繋ぐノウハウが欠如している
先進的な自治体はこれらを繋ぐ様々な施策に取り組んでいる(Ex.大阪府豊中市)

その特徴…
①組織間の連携
②アウトリーチな取り組み
アウトリーチ…福祉などの分野における地域社会への奉仕活動

未だ先進的な自治体のみの動きに留まっている
その理由…
①「法律による行政の原理」、加えて行政の対処する範囲の拡大
②「申請主義」

先進自治体の取り組みは問題の「解決」というより「可視化」として評価されるべき

<論点>
論点① 私たちは働く際には何かやりがいを持っている。それでは私たちは仕事の何にやりがいを見出すのだろうか。そしてそれは如何なる理由で見出すのだろうか。

論点② 今回見たような「人間らしい働き方と生活」が保障されない社会構造を変革するために、1)行政、2)労働組合、3)労働者本人がすべきこととは何だろうか。


<第1班>
論点①
 

P1020548.jpg

私たちはまだ「アルバイト」としての仕事しか経験したことがないため、まずアルバイト先を決めたときの基準を出し合った。それらは大きく自分のスキルアップにつながるか、自分の個性が活かせるか、それが社会貢献となるかなどの「自己実現系」、賃金、職場と自宅の距離、雰囲気などの「職場環境系」、仕事内容の楽さなどの「その他」にカテゴライズできた。

しかし、それらはあくまでアルバイトを始めるにあたっての個々人の基準であり、「基準=やりがい」ではない。アルバイトを続けていくうちに私たちは何かを得るはずである。得るものについても出し合い、仕事能率の向上などの「達成系」、能力を認められたり、他人とのコミュニケーションがうまくいくなどの「認められる系」、賃金や好きなものに囲まれる環境など「もらう系」と3つにカテゴライズした。私たちは自分の中にある基準に従い仕事を選ぶが、それがやりがいになるためにはある程度の時間の経過が必要であり、そのやりがいは個々人によってさまざまであると議論をまとめた。

論点②

P1020551.jpg

まず最初に「人間らしい生き方=食べられるかどうか」、「人間らしい働き方=モノのように扱われることなく、自分の仕事にやりがいと誇りをもっている」と定義した。また、私たちの班では、労働は単なる作業とみなすか、社交の延長とみなすかの2種類あるとした。

人間らしい生き方をできない人々は労働を単なる作業とみなす可能性が高いのではないか。というのも、食べられないのだから、仕事に対してやりがいなどとは言っていられないと考えたからである。その解決策に関しては、今回の章に書いてあったことが当てはまるように思う。しかし、人間らしい生き方がすでにできている人々は次の段階を求める、すなわち仕事に対してやりがいをもとめるようになるのではないか。そしてまた、もともと人間らしい生活ができていた人々が急にその生活をすることが困難になった場合、本来ならば単なる作業の労働にいくと考えられるのだが、過去の仕事とどうしても比較してしまい、なかなか切り替えられないケースも想定できる。こちらに関しては、労働者の仕事に対する「なんか違うな」という気持ちの曖昧さにひとつの原因があると考えた。きちんと仕事とのマッチングができていればやりがいを感じることのない労働は減るのではないだろうか。

そもそも、この問題の原因はどこにあるのか。経済政策なのか、市場主義社会なのだろうか。議論は広がったが、どうしても終着点が見えなかった。澤先生もおっしゃったとおり、私たちには貧困の感覚が欠けている。当事者意識を持って議論をできないのは実に残念なことである。

<第2班>
論点①


P1020549.jpg

班員がバイトに対して持っている「働く際のやりがい」は、やはり「入口はお金が欲しい」というものだった。なぜだろうと考えた時、「マズローの欲求5段階説」に当てはめて考えてみてはどうかとなった。まず「給料」は一番低次な「安全・生理的欲求」に位置する。そして、「職場での楽しみや働きやすい雰囲気」を求めるのは「社会的欲求」に当たる。具体的に言うと、給料だけよく、職場の雰囲気が悪ければ「社会的欲求」は満たされずストレスがたまるということだ。達成感や顧客の満足などはさらに高次な「承認欲求・自己実現欲求」に位置し、この二つの欲求はリンクしている。結論としては「より高次の欲求が満たされる職場ほど仕事が長続きする」というものだった。

論点②
P1020552.jpg

「人間らしい働き方と生活」は、私たちにとっては先述の「安全・生理的欲求」と「社会的欲求」のいずれもが満たされている「働き方や生活」である。そういった「働き方や生活」が保障されるために①行政は、「安全・生理的欲求」に関する賃金問題などの解決が求められ、②労働組合と③労働者には「社会的欲求」が満たされるような職場づくりが求められる。

<第3班>
論点①


P1020550.jpg

まず初めに、仕事に対するやりがいを個人の経験に基づいて各自が挙げた。すると「やりがい」を「自分自身に求めるもの」/「他者に求めるもの」の2種類に分けられることができた。次に前者の内で優先順位をつけると、「生活のためにお金を得る」という項目が最初に核となる部分として存在し、これをさらに追求する過程で他の「自己のため」に属するやりがいを同時的に追求・達成していくことで、この連関が環状となって、さらに自己を上昇させ、仕事によって総じて自己を高めようという意識が形成されているのではないかという議論がでた。また同時に、後者に対するやりがいは、前者の連関のサイクルが好循環となって機能した時にのみ、つまり労働者自身にとって精神・金銭面で余裕のある時にだけ強く意識されるものである。そのため、前者の好循環のサイクルから外れたような労働環境におかれた労働者には、後者にやりがいを見出すまで思いが及ばないのではないかと考えられ、企業の人件費削減等の労働者への圧力は仕事に対する「やりがい」の幅を縮減している要因の一つとも捉えることができ、非正規で低賃金労働者層の増えた我が国では仕事にやりがいを感じられない人が増加していると考えられる。

論点②

P1020553.jpg

論点①での議論を踏まえ、「人間らしい働き方と生活」を保障するために、行政・労組・労働者に企業を加え、この四者が行うべきことを列挙したが、いずれも過去に行われていた制度や方針、或いは日本の企業が現在国際的におかれている状況下においては実行されるのが極めて現実的でないと考えられる案などが出され、議論は袋小路に陥った。そこで、社会構造の抜本的な改革は難しくとも、将来日本の労働市場を支える子供たちを救う手だてはないだろうかという議論になった。そもそも子供は親の収入の多寡によって、その教育の水準が左右されやすく、特に低所得層の子供は教育水準が低いため、個人の持ちうる能力を十分に引き出せずに、結局親と同等の経済的階層を引き継ぐことになりやすい。こうした家庭に、行政の施策として学習のための費用の一部を補助し、子供には基礎的な学力を等しく付けさせて、せめてもの機会の均等を図るべきだという話がまとまった。

 しかし、こうした低所得層の子供に対する学習援助が行われても、有能な一部の人間は論点①の前者の好循環サイクルに乗れる可能性は確かに高まるが、その他の多くは競争社会の企業で篩いにかけられて依然そこからは外れることとなることは明白であり、根本的な解決策を見出すことはできないまま、議論は終了した。

<総合司会コメント>
都市で働く人々のなかに、仕事に生きがいを持てない人が増加している。本来労働(仕事)は、「生活の糧(賃金)を得ると言うだけでなく、自分の能力を発達させ、社会に役立ち、職場で仲間と出会い、協力し合うという、社会人としての生き方そのものだったのである。」(暉峻淑子(2012)「社会人の生き方」岩波新書)しかし、現実には、ようやくその日が暮らせる生活の糧しかえられない人、ますます単純化される仕事に長時間拘束される人、就きたい仕事はあるが、正規の仕事はなく日々雑業に追われている人など、しんどさを抱える人々が都市にはあふれている。まじめにこつこつ努力することが成功への近道だった時代は、はるかに過去のものとなったのだろう。私たち一人ひとりのまじめな努力では解決できない労働に関する「しんどさ」「きしみ」が、どこからくるのかを考えようとした。多くの議論が現実からかけ離れた上滑りになってしまうのは、高齢者や貧困層など社会的弱者と言われる人々の生活実態を理解できていないからであろう。

さらに、論点②において「社会構造を変革するために」論議したが、社会の変革がどういうところから起こるのか、それは私たち以外のだれかが取り組む問題なのか、私たち自身の取り組みなのか、経験がないためになかなか問題を掘り下げられないもどかしさを感じた。同じ人間として、わが身をきしむ現実の場に置いてみて、その現実に対して何が必要か、私たち一人ひとりに何ができるかを議論できる力が必要だと感じた。

スポンサーサイト
2014-07-21 15:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

キーワード 近代家族 家族規範 私事化 多様化


1.知識としての家族

・知識としての家族…教科書で「理念型としての家族」が描かれているだけ
・家族の実態、家族の責任、家族の抱える問題…教科書に載らない

私たちは家族の中で生まれ、育ち、家族は最も身近な存在である。私たちの個人的な経験の大きさは、幼少期のみならず、成人に至っても家族を相対化することを難しくさせている。にもかかわらず、私たちは同じような家族意識を持ち、家族規範に縛られている。
では、私たちの家族のイメージは、どこからくるのか。

2.幻想としての家族

・私たちは日常会話の中でしばしば家族について語る。
話題となる「家族」は、規範としての家族、理想としての家族、自分自身の身近な家族などがかわるがわる登場する。特に伝統的家族をイメージする際には、ノスタルジーのもと寄せ集められた次のような断片がパッチワークのようにつなげられる。
(断片としての家族)・昔は大家族だった ・昔は三世代家族が多かった ・昔は子どもの数が多かった・昔は母親が専業主婦、父親は仕事中心の生活を送っていた・昔の子どもは家事をしていた

家族イメージのつくられ方
・昔の大家族のイメージ → 主に東北日本の家族
・現代の家族のイメージ → 東北から都市へ移動した次男、三男、娘たちの築いた核家族である。
・日常生活においてメディアから「家族」が流されている。
・新聞・雑誌の普及により都市家族と農村家族が混在した幻想としての家族が作り出された。
・パッチワークされた家族のイメージはテレビのホームドラマによって普及していった。
          
現実には多様な個人の家族経験は分節化し、常に「メディアで流される家族」と「個人の家族経験の一部」がつなぎ合わされ強化されていった。
→ それが「家族イメージ」

3.家族の何が変化したのか

「変化」していく家族
家族が多様化した。
高校教科書では、・少子高齢化と家族形態の変化、・家族がもつ役割の変化
厚生白書では、 ・単独世帯の増加による親族世帯の減少
     ・親族世帯のなかで核家族が増加している傾向
・「家族の果たす役割」
生活保障、経済的な機能→精神的な安定、子どもの養育へと変化

 高齢者が子どもと住む割合は確かに低下し、その他の親族世帯(3世代家族を主に含む)の割合は、2割以下に低下した。特に、高齢者から見れば子ども夫婦と同居する割合は、大きく低下した。
 高齢者と同居していた者が高齢になったときに核家族化により単身になったという変化ではなく、高齢者と別居していた次男三男夫婦が高齢になった時に夫婦のみ世帯、あるいは単身世帯になった。これが1970年代以降注視されていた核家族化の帰結である。

離婚・再婚の「変化」
・離婚は増加しており、有配偶離婚率(夫婦数に対する離婚数の比率)は1980年の3.03%から2000年には約2倍の5.98%にまでなり、2010年も5.72%と、高水準を維持。
・再婚は、たしかに増加しており、再婚によって生じる家族構成にも変化がある。
 
高度経済成長期から低成長期へ移行した頃、離別後に母親が子どもと暮らすことが多数を占めるようになると、子どもと別れて暮らす男性は子どものいない女性と「初婚家族」を形成し、子どもと暮らす女性は再婚しないという時期がしばらく続く。今日では、子どものいる女性の再婚割合が上昇している。

少子化や家族形成過程の大きな変化
 標準世帯=標準的な家族はマジョリティではないことや標準世帯を標準とすることの限界が広く認知されるようになった。それでもなお、通念的家族は残存し続けている。


4.「家族する」家族

標準的な家族の消滅 → むしろ「家族」の実践、「家族すること」は強化されている
 
家族は、
・法的な関係にある家族成員に対して責任を果たすよう促す圧力①
・家族の絆、情緒性への関心は高まり、「家族」の実践により親密な関係を形成確認しなければならないという圧力②
家族外部から、そして内部からさらされている。

圧力① 家族成員に対する責任の要請が強まったのは、1980年代の日本型福祉国家への舵切りであり、介護保険の導入後も家族への依存なしには高齢者個人が自立した生活を行うのが困難な状況は続いている。
参考 : 扶養義務者(家族)に利用者負担、在宅介護の指導、介護期間の長期化、長期入院問題

圧力② 今日でも、別所帯であるにもかかわらず稼得可能な家族がいる生活保護受給へのバッシング、夫婦別姓への反対や性別分業の肯定など旧来の家族を維持する仕組みの一部が持続、支持されていることからも、家族規範の強さをうかがい知れる。

「家族する」とはどういうことか
・家族 : 「所与のもの」→「構築されるもの」と見る視覚の変化、あるいは多様化
・「家族する」こと : 「表面的とするもの」→「現代家族の中核的なもの」へと変化
・「自分が家族だと思う範囲」→「家族」とする見方→「ファミリー・アイデンティティ」
・家族することの有無 →「家族のメンバー」の確定

 主観的家族の定義においては、メンバーシップの条件は外され、家族の機能については精神的な安定のみを、そして強調されるのは関係性である。ありのままの自分を受け入れてくれるというこの関係を形成するために、家族のなかで家族を演じ、互いの演技により家族する家族は成立していく。

 ただし、日本においては、男女あるいは夫婦としての感情的関係は希薄である。
 日本における家族の親密性はケア役割と稼得役割の分業によって結びついてきた。
・「家族する」ことは、夫婦関係の希薄な日本において重要な感情表現ではない。
・「家族する」ことは親子中心に行われてきたともいえる。
・「家族する」ことに価値が置かれる一方、通念的家族、従来の家族規範は、多様化の陰に隠れながら維持されている。

5.孤立する家族、個人
    
私事化
・ 公的な関心や集団に関することよりも、自分自身の私的な関心によって行動基準を変えていく傾向が強くなることを「私事化」と呼ぶ。
・私事化の傾向が強くなれば、人々は公共善ではなく利益追求に向かうため、相互の連帯に弛緩(しかん=ゆるむこと、たるむこと)が起こり、共同性に揺らぎが現れる。
(「日本社会の変化と規範意識」 森田 洋司氏(大阪樟蔭女子大学学長))
・家族の変化としては、形態の多様化よりも、私事化の方が大きな変化ではないか。
・私事化は「家内領域と公共領域の分離」は個々の家族が自律性を高めていく過程であり、「わたくし」を「おおやけ」より優先させる生活意識やライフスタイルの普遍化していく過程にも重なる。
 
 しかし、私事化において自律とされているものは、むしろ分離、孤立であり、ばらばらの個に解体される現象をさしている。

・このような見方は、都市化によりコミュニティが解体し、人々が孤立したとするコミュニティ解体論や家族崩壊論とも重なる。
・社会制度との関連では、政府の政策的取り組みが、改善するはずの(生活保障の)状況をかえって悪化させるという事態「生活保障の逆機能」に立ち至っている。
   ※世界トップクラスの相対的貧困率、自殺率、世界最低クラスの出生率など
・「男性稼ぎ主」型の社会では、事業主が社会保険料負担を回避するためにフルタイム雇用者を絞り込み、若者と女性が労働市場の外に排除されている。その結果ますます社会保障の対象となる人々が増加している。(「男性稼ぎ主」型の逆機能)
・従来家族機能とされていた生活保障が社会化したにもかかわらず、それは十分ではなく、かえって貧困が放置されるようになっている。(家族の逆機能)

6.明日の「家族」

・私たちが見ているのは、「現実の家族」ではなく「幻想としての家族」である。
・「幻想としての家族」は、「現実の家族」を覆い隠している。
・幻想や理想像のままに家族の機能をあてにすることは、逆機能としてあらわれ個人の生活リスクを高めているのである。
※家族には成員の強い情緒的関係性があるはずなのに、成員間に支配・被支配の関係がうまれることによって「子どもや高齢者への虐待」「DV」「家庭内暴力」などがおこる。
※家族同居による老親扶養は、身辺介護、情緒的援助がしやすいはずなのに、扶養者・被扶養者の関係に情緒的葛藤やプライバシーの侵害などがおこる。

家族形成の過程は多様化し、それは家族の内実をも多様化させている。
家族に対する見方や家族意識も多様化の途にあるが、いまだ私たちは家族の呪縛のなかにいる。もはや家族とは目に見えた確かなものではない。「家族」することを否定したり、従来の家族という形態に異論を唱えたりしても、それでもなお、「親密圏」と言ってもいいが、必ずしも家族とは限らない家族的存在を求めている。

論点①
「メディアに登場する家族には、どのような家族像があるか、それはどのような社会を反映しているだろうか。現実の家族、幻想としての家族という視点も加えて議論してみよう。」
メディア : 雑誌、テレビドラマ、コマーシャル、映画、ニュース、新聞、アニメなど。

論点②
「家族が私事化するということは、具体的にどのようなことをいうのか。そして、そのことがなぜ分離、孤立になるのか、なぜばらばらな個に解体されることになるのか、原因を探り、それを解決する手立てを議論してみよう。」


<第1班>
論点①
P1020541.jpg

メディアに登場する家族像や家族形態を列挙し、それを年代別に整理していった。それらを基にして、家族像の変遷にはどのような社会的な要因が関連しているのかを話し合った。結論としては、核家族という形態は現在も維持されているが、結婚に対しての価値観の変化や夫婦間での価値観の違い、私事化の進展などから、夫婦別姓、別居、母子家庭、父子家庭、離婚、再婚、おひとりさまなど、多様な家族像が想定された。

論点②
P1020547.jpg

そもそも、核家族という理想的な家族像があることが前提で論点が設定されていたが、前述の議論より、私事化が進展し、多様な家族像が想定され、それは解決すべきものなのだろうか、というところから議論をした。私事化によって形成された多様な家族像は、親から子どもへと引き継がれ、少子化→労働人口の減少→社会保障の崩壊というスパイラルが生み出されるのではないか、という結論に至った。

このスパイラルによる問題を解決するために、私事化してしまった多様な家族像を核家族に戻すことは現実的ではないため、家族によらない解決策が必要だと考えたが、明確な解決策は提示できなかった。

<第2班>
論点①

P1020539.jpg

まず最初に、班の人がそれぞれ具体例をポストイットに書き込む。
「限定せずに思いついたものを書いてゆく」形式。
一つ目のテーマに用いれる時間が二十分のうち五分程度をその時間に充てる。
(その事例書き込みの時間中にどのような事をすると、より実りのある議論になるのだろうか・・・)

5分終了の後、各自それぞれ提出。
一人一人に書き込んだ内容にばらつきがみられる。
ニュースで報道された事項を書く者と、家族をテーマにした作品を挙げる者。
また、レジュメに書かれていた「メディア」の定義は「雑誌、ドラマ、CM、映画、ニュース、新聞、アニメ」となっている。
時間制限をかけられた状況、あるいは思いつくままに書いていく状況だと、近いものから拾っていく傾向にあるのだろうか。

提出ののち、家族を主題に取り上げた報道や作品が多いという話題に。
恐らく、「情緒的関係」と見なされている事や、社会関係の基礎単位であるためという事項がある。
また、それを取り上げる側、作品を作る側の意図もあると思われた。
報道者の精神、芸術家の精神、営利行為の精神、などいくつかにパターン化される精神性(意図?)の存在にも注目できたらと思った。
あるいは、メディア全体を取り巻く力学にも目を向けられたらなおよかった。
テーマが「メディアにおいて家族はどのような表象として取り上げられているか」であるので、
それを生の物語として取り扱う事は避けるべきだろうと後々思った。

ポストイットを「報道/作品/CM(で取り上げられた家族)」という3分類で分けることに。
いずれのものもこの3分類のうちのいずれかに当てはまったため。
かつ、作品系のポストイットの種類がそこまで多くはなかったので、「小説/映画/・・・」などで分けるより一まとめにしてしまった方がよいと判断。

☆疑問点
・「SNS」はメディアなのだろうか。
・フェイスブックなどは「閉じた関係」だが、ツイッター、掲示板などは大よそ「開かれた関係」に近いと見なすことに妥当性があるはず。
現実の関係は「ウチ/ソト」、「馬があう/あわない」や「親密/疎遠」「知り合い/知らない人」といった切り分けがなされる。
ネット上の情報の相互関係はそれとどのような違いがあるのだろうか。
・「SNSにおけるウチ/ソト」とはどのように定義できるのだろうか。
・メディアは「公」という性質が強いように思うが、
情報の行き交い方に違いがあるインターネット空間では「ウチ/ソト」を分けるものは何なのだろうか。


論点②

P1020542.jpg

論点①と同様に5分かけて例を出す。
「孤食」「町内会の意義の低下」「2世帯住宅の増加」など。
それぞれを「家の中の私事化」と「家族間の指示化」に分ける。
次に、私事化の原因と、その結果起きる問題を挙げる。
原因を「物質的原因」と「精神的原因」の二つに分ける。
物質的原因として、「食事にかけるコストの低下」「ウチとソトを明確に分けない建築様式」などを挙げた。
おそらく、食事に関しては「労働時間の在り方」や「子どもが学校に行っていない」などが加えてあげられ、
かつ町内会に関しては「長屋制度が風化した」、「都市の過密化の結果、隣近所で知り合わなければいけない数が増えすぎたため」なども加えられるかと考える。
ただ、同時に「私事化以前の社会状況」について豊富で正確な知識があるわけではないため、どうしてもイメージで語るところが大きい。
そこはどうやって解決できるだろうか・・・
議論にipadだのインターネットで調べる、本や論文を見ることができる状態を作ることでそれをある程度改善できるだろうか・・・
できたとしても、様々な制限や偏見をぬぐえない所がある。
今の検索システム(ciniiも)はどうしても「検索ワードに関わるリンク」をそのまま出す。
ネットに存在する言説を分析した結果も出してほしい。
「こういう言葉と一緒に用いられます」だの、「こういう風に議論で使われています」だの。
「ネット上に存在する知識を整理してその結果を、定式化・文章化して出してくる」言説分析の仕組みがあるサービスがあったらうれしいですね。
図とかも自動で調べた上で、それをチャート化して、根幹の主張と対立する主張をまとめてくれたり。
あったとしても、それに頼り切る事はできませんが。

「解決」については、「全体、あるいはマクロ的問題について解決案を出すのは難しいので、ミクロあるいは局所的に解決する事を志向しよう」という方向性を主張。
揚げらていたものの中で「葬式に人が来ない」が局所的問題にとれたので(のちに説明するが、ここが問題になる)
葬式に人を来させるアイデアを出すことに。
「寺がそれで利益を上げていることが嫌だ」や「場所が面倒」、「多すぎると土日がどんどん潰れていく」などが問題点として挙がる。ただ、解決案を出すまでには至らなかった。

そして上記の問題について言及する。
「葬式を対象とすることに意義が感じられない」という声が上がる。
擬制的に、かつ時間との兼ね合いや、現実的な解決案が出せる可能性、今までになかった案が出せる可能性として葬式を挙げたつもりだったが、そこに社会的な意義がないと指摘。
確かに「葬式文化の復活」は目標としてしっくりこないというのも当然である。
それより「地縁でない、なんらかの集団・機能によって包摂される社会の設立のために」という大目標を掲げ、
それより下部の目標として、「地縁が減少した結果、認知症の老人を支える機能を持つ集団がなくなった。それを解決する仕組み作り」を掲げ、加えてより下部の目標として「認知症の老人が料金支払いを忘れない・間違えないサービス・システム作り」あるいは「認知症の老人は感情的になりやすい。町中でも激昂されている方を見かけるときがある。これをどう解決するか」というように問題を設定すればよかった。
つまり「解決の意義のある大きな問題」の1セグメントを対象とする。つまり「そこにカテゴライズされる問題分野」を考える。
上で言う所の「地縁消滅」―「高齢者問題」の関係である。
そして「それが具体的に問題として発生し、かつ頻繁に、それを患う人に多く起きる場面」を想定する。
「料金の支払い」がそれに当たる。
具体的な場面、かつ意義ある問題という2つの事項を押さえながら議論を進めれば、おそらくもっといい話し合いになっていたはず。そう思います。

<第3班>
論点①
P1020540.jpg

論点1をめぐって、私たちはまず「幻想としての家族」を出発点として、自分が思い出す家族のイメージをそれぞれポストイットに書き込む。そして挙げられたことは主にポジティブなことで、表面的ないいことばかりであった。幻想として家族のイメージは画一化され、断片化されたパッチワークのようなことと考える。
現実は本当に思う通りに順調に進むのかという疑問から、現実社会における家族のネガティブなことを考えなければならない。班の人が家族のネガティブな現実をポストイットについて、夫婦、子供、親(高齢者)、自分が死亡した後に生じた問題などの視点から、それぞれの問題点を書き込む。その結果、現実の多様化をわかるようになった。
そのネガティブな問題点の理由を考えるとき、私たちの知識が限りで、「利益求めのため」、「人間性の弱点」で止まって、家庭内だけの解決が難しいという結論がでた。


論点②

P1020544.jpg


<総合司会コメント>
近現代の三世代以上の大家族、核家族のモデルは実態に合わないものとなってきている。女性の社会進出による性別役割分担の変化、「家」から「個」への価値観の転換、さらに経済状況の変化による一億総中流モデルの崩壊、出産・育児を困難にさせる社会システム、こうした背景が複雑に絡み合って家族のあり方を変化させている。また、家族間コミュニティ(≒ご近所コミュニティ)の希薄化も、時を同じくして進む現象である。こうした中で高齢化や無縁化が大きな社会問題として取り上げられるようになっており、一方でそれをきめ細やかに包摂でき るだけの公的システムが機能不全に陥っている現状がある。

家族内、家族間、家族が属する社会、この3つが相互的に関わって問題を複雑化させている現状をどう捉えたらよいか。議論では家族の解体にまで話が及んだ。これまで家族が担ってきた機能は民間の外部サービスによって代行される。しかしその受益者とならない弱い立場の人々は、「自助」のもとに家族内外の自主的扶助を求められる。国家がそうした人々を包摂できるだけの体力を有していないことも事実である。現状をより正確に捉え解決につなげていくためには、まず家族の多様化を理解することと、その背景にある社会環境の変化に目を配ることが必要不可欠だろう。
2014-07-11 14:23 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :

第4章 働くものの目線 サービス産業化する都市の内側

働くものの目線 サービス産業化する都市の内側
<本章の目的>
非正規雇用の従業員と一部の正規雇用の管理職からなる外食産業の現場にスポットを当て、低コスト・効率重視の現代都市的労働のあり様を浮かび上がらせる。

<キーワード>
「サービス産業」「店舗管理職」「非正規雇用」「フロアコントロール」


1.序論・サービス産業化する都市

20世紀における都市への人口集中(1920年代:18.0%⇒1970年代:75%)
産業集中が主な要因
都市型産業は第1次→第2次→第3次へとシフト(P.クラークの法則)
隆盛を極める第3次産業は非正規雇用に依存
⇒この中で外食産業にフォーカス

・外食産業の市場規模は約23兆2386億円(2012)
⇒中でもファストフードの売り上げは上昇傾向
●好調の外在的要因
①廉価での顧客に対するニーズ適応
②駅近・駐車場無料・ドライブスルーなどの高アクセシビリティ
③ 24時間営業と都市のフレキシブルな労働形態とのマッチング

●内在的要因
①テレビ・雑誌・ソーシャルメディアを用いた宣伝効果
②女性など新規顧客獲得努力
③人件費抑制の雇用形態(外食産業では91.1%が非正規雇用)
*弊害…すき家ワンオペ問題、マクドナルド「名ばかり管理職」問題

2.外食ファストフード店舗の実態調査

・ファストフード店における業務管理

QSC(Quality、Service、Cleanlines)の徹底
そのもとで管理職は

販売促進業務 売上数値管理 人材育成・面談 設備管理
この4つに従事

特に重視されるのが⇒フロアコントロール

顧客がいるフロアをつぶさに観察しながら、最短時間での商品提供に向けクルーの連携を図ること。
・フロアコントロールに必要なのは
クルー管理の技術…店舗ごとの仕事の流れ・ルール伝達
実地での商品提供業務の指導(OJT)でクルーの連鎖的機能を狙う
適材適所のクルー配置…商品提供が円滑でない場合カウンターの人員配置を工夫
母数を増やすより効率的

少ないコストで短時間にどれだけの売り上げを伸ばせるか
=低賃金と高い労働生産性が必須条件…「時間が無い」は許されない
*もちろん、時間が無い中での衛生管理も欠かさず(監査不合格なら店舗管理職の賃金に影響)

的確な指示と配置で
1時間に8万円の売り上げ+フロアの連携が上手くいく
→クルーのモチベーション上昇

・店舗管理者に求められる資質

クルーとの距離を保ちながら適性を見抜く判断力
働くことが楽しいと思える職場をつくれる構築力

自ら仕事を創出できる発見力

クルーとの信頼関係を構築できる人柄

・こんな時には…?
年配の部下を扱うときは、プライドを損なわせない配慮が必要
クルー間でのトラブルにはシフトの組み替え
クルーの能力によって接し方を変えない
→別クルーの前で同僚の評価をするのはNG
⇒「馴れ合いは禁止」「仕事とプライベートの切り替えを徹底」

・24時間のシフト編成と売上
シフト編成はクルー間の横の集団関係を構築する上で重要
馴れ合い重視・機械的どちらもNG

<クルー同士のマッチングを重視>
大学生と夜間高校生のクルー組み合わせ…生活環境が異なる者同士の化学反応
欠員フォローで細かく対応
→クルー同士のチームワーク意識を醸成

+で…人件費抑制の心がけ、販売促進意識の向上
→労働生産性と利益率が向上

But! 人材不足問題
24時間シフトに対してクルー人員は不足傾向
●求人時の問題
①競合他社との差異化戦略の不足②対外的ブランディング戦略機能せず
③学生アルバイト軽視
●採用後の問題…離職率の高さ
原因…流動化された労働市場(主婦層・学生が主)、店舗管理職の過剰労働
→子育てクルーは昇進拒否・離職傾向

対応策…店舗間の人員補充(ヘルプクルー経験を通した店舗間連携の深まりにも期待)
しかし、突然の深夜帯ヘルプ・長距離移動ヘルプの頻発
⇒さらなる労働環境の悪化に

3.まとめ・店舗管理職の都市労働

明確な目標+現状改善=純利益増大(合理的経営へ)
そのために
店舗管理職が抱える仕事…店舗経営、管理業務、人材育成
求められるクルーマネジメントとフロアコントロール→労働生産性向上と利益率アップ
⇒しかしこれらは管理職の過剰労働につながりやすい

労働市場の流動化が進んだ外食産業…出ていくものを惜しむことのできない都市労働の実態が浮かびあがる

<論点>

①本章の調査内容や付録の新聞記事の内容を踏まえ、飲食業の店舗管理職者および非正規クルーが置かれている労働環境上の問題点を挙げ、その原因を考察する。(グループメンバーの個人的体験もあり)

②飲食業の人手不足問題および過重労働問題について、有効な解決策を提示する。この時「ブラック企業は労働力移動によって自然淘汰される」という結論に留まることなく、現場労働者・企業・行政・消費者が改善へ向けてどのような行動をとることができるか、現場レベルと政策レベルの両方から考察する。


<第1班>

論点①

P1020533.jpg


労働環境上の問題点を各自で思い思いに書きだした上で、責任者/非正規雇用者/労働を取り巻く環境の三つのカテゴリに分類した。それを基に議論を重ねると、人口集中や、利便性の追求、都市的が都市たるものとして求められた結果として議題の労働環境が必然的にうみだされているのではないか。という構造が見て取れた。同時に、非正規労働における労働組合の不存在、また都市住民による就労先としての需要といった要因が絡み、健全とはいえない今の環境を維持しているのではないか、と考えられた。

論点②

P1020536.jpg

前述の議論を踏まえて、あげた原因をもとに現場/消費者/企業/行政の観点から、どのような対応が考えられるか、ということについてそれぞれ意見を挙げた。いずれも理想的なものではあるが、現場においては抵抗力の上昇、消費者においては購買選択の中への労働環境指標の導入促進、企業においては将来的な購買層を育てるための投資という考え方、行政としては労働基準監督官の増員や、法令順守の徹底。などが挙げられた。
この議論では、法律の機能不全が前提にあるため、新たな規制を設けて改善するという意見よりも、意識改革といった方面での意見が多かった。

<第2班>

論点①

P1020534.jpg

はじめに、各々のアルバイトでの実体験などをもとに労働環境上、問題であると考えられる項目について列挙した。次にそれをふまえて、それらの要因や原因の属性が『個人』/『労働環境全体』のどちらにあるのかを二分類し、さらにそれらを『外在的』/『内在的』なもので分け、計4分類で振り分けた。すると、正規・非正規間の賃金差が仕事へのモチベーションの違いに繋がり、それに起因して全体としての仕事の質に対する向上の阻害が生じるといったことや立場の違いによって根本的にクルー間での意思疎通が円滑に図られていないこと、地位や賃金に見合わない労働量を負わされていることなどが、それぞれがはじめに挙げた具体的事象の根本に潜在している問題なのではないか、という結論に達した。

論点②

P1020537.jpg

先に挙げた問題の根源を自由競争の資本主義社会における廉価での過剰な顧客サービス主義構造にみた私たちは、この構造自体が人手不足や過重労働問題に否応無しに直結することから、これらを回避する策として、最も強制力を持つ行政には、これまで個々人の主観の域を脱せなかった過重労働の基準を『労働量』という数値化された明確な条件として法的に策定し、それをクリアしない限りにおいて企業の操業を規制するという案が出た。しかし、これだけでは企業側からの反発も当然予想されるため、協力的に賛同した企業には社会貢献推進企業として消費者に提示できるなどのメリットを用意して、行政―企業間で妥協点を見出す必要性がある。また、議論ではこの他、労働者/消費者の立場からも改善を図る策を検討したがいずれも強制力を持たないために、結果として行政を通じての改善が現実的ではないかという意見も見られたが、そのように働きかけを行うのは他でもない労働者/消費者の側であることから、労働環境に関する課題への意識を持ち、実際に行動におこすことの不可欠性があると言える。

<第3班>

論点①

P1020535.jpg

教科書の内容やグループメンバーの実体験を踏まえ、飲食業の労働環境の問題点として大きく分けて3つが挙げられた。1つ目に、年齢層も多様でかつ社会的立場も異なる者どうしが同じ環境で働くことによる、人間関係の煩わしさ。2つ目に、管理職とアルバイトどちらにも過剰労働を強いる、慢性的な人員不足。そして3つ目に企業の人件費削減を受けた賃金の低さだ。
 飲食業においては、以上のようなマイナスイメージが増大することで人員不足が深刻化し、現場の労働環境はさらに悪化するという負のスパイラルに陥っているのではないかと結論付けられた。

論点②

P1020538.jpg

利潤の最大化を図る企業、給料や生きがいを求める現場の労働者、利便性を求める消費者。現状の問題点は、飲食業が成長を遂げる中で消費者が求めるサービスの質の高まりとともに、現場を顧みない企業側の過剰サービスによって発生していると考えられる。
このことを踏まえると、消費者側にできることは「現場労働者へのねぎらいを忘れない」などといった精神面での改善くらいしか考えが及ばなかった。しかし、企業側に対しては政策レベルでの解決策として、何らかの規制強化をしたり規則を設けたりすることで「無意味な24時間営業を減らす。」「店舗数を減らして1店舗の人員を増やす。」「現場に目を行き届かせ、ゆとりある働き方を促す。」などが可能であると考えた。
以上のように、行き過ぎたサービスが今本当に必要なのか企業側と消費者側が共に再考し、現場の負担を減らすための取り組みが、現場レベル・政策レベルで可能であるという考えに至った。

<総合司会コメント>

第三次産業の労働環境をテーマに扱っているが、これらの問題は都市であること・都市を構成する要素と不可分に関わっている。それは人口の集中であり、また、非フルタイム労働者としての若者、女性が求める就労先としての存在でもあり、そして第三次産業に従事する者を対象とした市場である。言いかえれば一次産業、二次産業を主とする地方では都市のような飲食、コンビニエンスストアのあり方と、地方にあるそれとでは少し様相が異なってくる。

労働環境の問題について、現場を回すには圧倒的に不足している人員と、対して可能な限り人権費を削減したい経営側との相互の不一致、またその印象により労働者の定着がすすまないという負のスパイラル、人的資源をすり減らして利益を生み出しているといったような都市の中の矛盾の一つの顕在化とも取れるだろう。

法律の順守は前提として過剰サービス気味にある現状から抑制方向に入る、労働者が抵抗力を持つ、など、意識改革、啓蒙的な部分での改善が必要という意見があげられた一方、非正規での労働組合という意見がすくなかったとの先生の指摘もあった。
2014-07-10 19:35 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
ホーム

contents

過去の記事

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

訪問者数

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。