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『さまよえる近代』 解説 レジュメ

『さまよえる近代』
訳者あとがき(門田健一)/解説(吉見俊哉)



訳語における配慮点

1.nation/nationsヒトの大規模な移動と電子メディアの影響によって、近代国民-国家が単一のネーションへと還元される状況が揺さぶられる。→「民族」が、国家の手から逃れ始めた。※単数形には「国民」を、複数形には「民族」を、単複の政治的交渉が前景化しているコンテクストでは「民族=国民」を訳語として採用することで、nationに孕まれる動態性を訳出。

2.implosive・「内破的」の意味。内部から外部へというイメージに反する内実を持つ概念として。・マクルーハンの「外爆発/内爆発」という概念との類似性。→爆発的に発生する民族的暴力は、グローバルなネットワークを介したコミュニケーションの稠密化によって、同時多発的に発生する。→二分法を前提としながらも、二分法が破綻して一元化された状況。

解説「グローバル化の多元的な解析のために」(吉見俊哉)
Ⅰ (アパデュライの非決定論的なアプローチ)

【5つのスケープ(地景)】
エスノスケープ・メディアスケープ・テクノスケープ・ファイナンススケープ・イデオスケープ
→アンダーソンの「想像の共同体」を念頭に置きながら、アパデュライは「想像の世界imagined world」が、地球上の諸集団によって、矛盾と分裂、よじ捩れのなかっで生きられていく多層的なプロセスを捉えようとした。
※スケープ→多国籍企業や国家から、ディアスポラ集団や家族、個人までの諸レベルの主体の位置に応じて異なる仕方で屈折して想像されるものであることを示すため。

【グローバル化の重層的かつ乖離的な構造】
・人口のトランスナショナルな移動とメディアに媒介されたイメージや観念の越境が結びつくことで、近代的な主体性の生産が不安定にされていく状況にある。
・非同型的な5つのスケープ;多国籍企業や金融市場、宗教運動や闘争的な民族組織、テロ組織、NGOによる国境なきボランティア活動、自然保護運動のグローバルな生の政治、展覧会や国際イベントとブルジョア的嗜好、市場での価値が戦略的に結びつくファッションやアートまで、多様なエージェントが非同型的な基盤を築きつつある。

【「想像力」の持つ力】
イメージと人びとが流動的かつ乖離的に出会う世界では、メディアを通じて培われる想像力が増大する。
→あらゆる社会的主体にとって中心的な作用を及ぼす。
・人びとの想像力を自らの資源として独占しようとする国家→国内の集団すべてを体系的に博物館に収めて表象し、ナショナルな伝統を再想起させるような国家の象徴戦略。
But,グローバルな環境下で国民国家は時代遅れとなり、忠誠とアイデンティティを支える別の組織体に地位を奪われた。同時に、領土的国家から分離した仕方での「祖国」へのトランスナショナルな欲望が促されていく。
→「祖国はもはや脱領土化した集団的想像力にしか存在しないのだが、その結果、祖国はときに空想的で一面的になり、新たな民族紛争の火種にもなっていく。」

【集合的想像力の作用】
「地域での個人や集団のローカルな実践と電子的近接というグローバルな集合的夢想を同時に扱う民族誌的記述の方法を求めている。」

Ⅱ (近年のグローバル化への代表的アプローチとの比較)

【カステルのアプローチ】(中枢管理機能の強化)
今日の社会を特徴づけている資本、商品、労働力、技術、イメージ、知識などの脱領域的なフローを支えているマテリアルな基盤を「フローの空間」と呼び、ネットワークにおける特定の統御的な中心点の存在と、ネットワークを管理していくエリートたちの役割を強調。

「グローバルシティは場所ではなくプロセス」(カステル)
高度化したサービスの生産と消費の諸中心とそれらに従属した地域社会が、情報のフローに支えられながらグローバルなネットワークに直接結び付けられていくプロセスであり、そうしたなかでそれまで後背地域との結びつきは弱められていく。(→カステルは金融や資本の面でのグローバルな統合秩序の強化に重きを置いた議論。)

【ネグリ・ハートの「帝国」論】(法的・管理的次元でのグローバルな統合秩序の浮上)
・ネグリらの考えるグローバルな管理社会では、かつては国家と資本の間に存在した軋轢が解消されており、資本と管理の入り組んだシステムが、国家の行政管理的な次元を飲み込んでしまっている。
・「帝国」の枠組みの中では、行政管理はフラクタルになり、諸々の差異を管理することによって散種的、手段的に機能し始める。→「万人を平等に扱うかつての普遍性の行政管理原理は、各人を個別的に扱うという手続きの差異化と特異化に取って代わられていくが、これはむしろ新たな区分、差異、障壁、配置と動員の戦略を伴った管理システムの浮上なのである。」

【シラー】(1970年代、文化の送り手に対する批判)
・文化帝国主義の問題。アメリカの覇権は「血と鉄」「エコノミクスとエレクトロニクスの結婚」が担ってきた。
・自由貿易は、国境を越える自由な情報フローを生み出した。しかし、アメリカ的生活への欲望が、貧しい、傷つきやすい社会に埋め込まれていくチャンネルとして機能し、ローカルな文化の自律的な発展を困難にしてしまう。

【サイード】
「一握りの多国籍企業によって牛耳られているマス・メディアの巨大なシステムが、国境をかいくぐり、世界中ほとんど至る所に出没し、ローカルな日常を呑み込んでいる。」
・トランスナショナルなメディアは、「たんに完璧な統合化の進んだ現実のネットワークであるばかりか、世界をひとつに結び合わせるきわめて効果的な<接合様式>」となっている。

Ⅲ (アパデュライの議論の重要性)

・弱化する国民国家の枠組みの一方で、浮上する新たなシステムに注目。
・アパデュライは他の誰よりも、新たな構造体多次元性、フラクタル(自己相似的?)な非決定性を強調。新しいグローバルな秩序は複合的で重層的、乖離的な傾向を持つと考える。
→特にNGOや国際組織、コミュニケーション圏は、相互に影響しあいながらフラクタルな運動を増殖させている。

【アパデュライのロカリティ把握】
社会の過去の伝統による所与なのではなく、むしろ「本来的に瓦解しやすい社会的達成」として創出され、諸々の境界線を維持する仕掛けや儀礼、表象行為、言説戦略などを通じて経験され、維持されていく。
→「ローカルな主体がまずあって儀礼がなされているというよりも、そのような儀礼こそがローカルな主体を産出しているのである」
→「通過儀礼がローカリティを生み出すために人びとの身体を集合的に参加していく儀礼であるだけでなく、住居の建築や集落の配置、道や通路、田畑の造成からさまざまな地図化の実践まで、人類学者達によって探求されてきた諸々の空間的実践が、ローカリティが生産されるマテリアルなプロセスをなしている」

【ローカル・ノレッジ】(ローカリティをさまざまな条件下で生産かつ再生産する手法についての知識)(ギアーツ)
ローカリティはそもそも空間的な仕掛けや儀礼、日常の緒実践の中で社会的に構築されてきたものであり、そのような構築には、メディアや移動の技術が不可分に関与してきた。
But,「ローカルは諸々の技術的媒介から切り離せないし、グローバルなものによってローカルが解体させられるだけとは考えられない。グローバルによってローカルなものが構築され、達成されていく契機に目を向けなければならないのである。」

【アパデュライの5つのスケープとローカリティ】
近接ないし近隣は、ローカルの舞台。一方でローカリティは常にコンテクスト被規定的であると同時にコンテクスト生成的でもある。
→「グローバル化に巻き込まれた自分たちの居場所、すなわち構築物としてのローカリティを探求していくには、これまでの人類学や民俗誌のアプローチを戦略的に組み直し、メディアやトランスナショナルな文化をめぐる理論的な展望を接合していかなければならない。」

★このような複眼的視点を、自分たちの研究フィールドや事例に用いてみる。


論点
・メディアを通じた想像力は、ローカリティの構築にそれほど強い影響を与えるものなのか?そもそも、アパデュライの言う想像力とは、どんなものなのか?(ex.インドのクリケットにおける想像力?)
・それぞれのスケープ(民族・メディア・技術・金融・イデオロギー)の「複合的で重層的」かつ「乖離的」な結びつきや相互作用は、身近な事例としてはどのようなものがあり得るだろうか?
・ローカル・ノレッジがグローバルなものによって構築されるのは、どんな時・状態だろうか?
・たとえば大きな災害が発生したとき、アパデュライの主張を前提とするならば、どのような想像力によって、どのようなロカリティが生成されるのだろうか。


資料:書評「移民知識人の世界認識」
 グローバル化によって世界の固有文化は脅かされ同質化が進むのか。あるいはむしろ文化的差異が強調され、互いの異質性が際立ってくるのか。どちらの現象も目撃されており、1人の人間の中にも両方の要素が入り込んでいるのが実状だろう。「グローバル・スタンダード」の開く可能性には抗(あらが)いがたいが、「グローバル化はアメリカ文化の押しつけにすぎない」といった反発も絶えず芽生えてくる。グローバル化のある一面だけを切り取って推進論や反対論を戦わすのではなく、さまざまな異なる立場に共通に課された条件をとらえることはできないものか。 アパデュライはグローバル化という現象の両義性・多義性、その「とらえどころのなさ」をそのまま把握するための理論的視座を定式化するという難題に挑戦した。大規模な人口移動と電子メディアの発達がもたらす「グローバルな文化的プロセス」に着目し、そこに「トランスナショナルな文化のフロー」の五つの次元を見出す。それぞれの次元は「ランドスケープ」(地景)という耳慣れない概念で表現される。「地景」(あるいは「景観」)とは、物理的には単一でありながら、その場に足を踏み入れたものの立つ位置によって見え方が全く異なってくる。 地域共同体や国家を超えた人間の流れからなる「民族の地景」、テクノロジーの流動・移転からなる「技術の地景」、グローバル市場における資金流動による「資本の地景」、イメージやイデオロギーの生成と流通がなされる「メディアの地景」と「観念の地景」といった次元が「複合的で重層的」に、そして「乖離(かいり)」によって結びつき不可測の結果をもたらす。それにより「近代」は不確定なプロセスとして「さまよい」はじめる。著者はここに現代社会の困難と希望を共に見出す。「ローカル」なものからの切断を経験した移民の知識人による世界認識の表明である。(評者・池内恵(日文研助教授) / 読売新聞 2004.09.19)

2006-05-12 22:48 : 『さまよえる近代』(06前期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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