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『空間と政治地理』 第7章 レジュメ

第7章 思想としての地図―あるいは、「知の地政学」へ



【本章の要旨】 地図とは、思想や理念、イデオロギーの表象であり、社会関係や世界の反映である。宗教観や世界観等が表された「不透明な地図」、近現代の科学的な「透明で正確な地図」、そして路線図やガイドマップ等のヴァナキュラーな地図等がある。「知の地政学」として、これらの「思想としての地図」の協働やズレを読み解いていく必要がある。


7.1 地図が表現する思想/地図に内在する思想
7.1.1 「世界をかくの如く見よ」―地図のメッセージ
図7.1「神話的な世界図:ガジュ・ダヤク族(南ボルネオ)の世界図」・・・①
図7.2「計画図:東京戦災復興計画の土地利用計画」・・・②
図7.3「「透明」な地図:カッシニによるフランス国土図」・・・③
→いずれも理念や思想を描いた「思想を表現した地図」と言える。

①は、主観ないし共同主観的な「思想」や「理念」→「濁らされた/不透明」な地図
②は、思想や理念が地図に書き込まれ、同時に世界に理念や思想を投げかける
③は、透明な媒体?but,客観的な測定、調査、把握が統治や支配の実践と結びつく

①②は「価値」「理念」を表現し、③は客観的記述
②は③を前提としており、①と対立する
②は、①から③への歴史的移行の後に初めて可能となる
★つまり「不透明な地図」から「透明な地図」への移行が重要な論点

7.1.2 地図という思想
地図とは・・・地理的な世界に関する情報が選択あるいは創出され、二次元的な平面に記載されることで、直接眼にすることのできない地理的世界の広がりを一望可能な形で手に入れることを可能にする社会的媒体
・世界の対象化/「世界をかくの如く見よ」/世界像の提示→思想というより「知」と呼ぶべき。
→「知」は、「思想」の中にあり「思想」を表象する→「思想としての地図」

7.2 テクスト、地表、社会
7.2.1 「地理的世界」はどう存在するか
図7.4「ヘリフォード図」/図7.5「仏教系世界図」
→地理的世界であると同時に、地理的世界に関する想念。直接目に触れない世界の対象化。さらに「世界とどのように関係するのか」を表象するもの。
ex.ヘリフォード図の「余白」/地籍図の「所有権」や「占有権」/道路図や地形図に現れる共同の意思としての「道」や「山」。

7.2.2 イメージの檻
・地図に描かれた「情報」と読解者の存在
・地図を作ること自体が、世界に対するある態度=思想を実践すること
・「自画像としての地図」
・地図は「イメージの檻」を通じた世界像を示すと同時に、「イメージの檻」の存在自体も指し示している。

7.3 思想としての「透明さ」
7.3.1 「正確な地図」の政治経済学
・「事実」だけを描き出す「透明」で「正確」な近・現代の地図。
・地図が「進歩」「発達」してきたと理解すること自体が、一つの思想的態度。
・「透明で正確な地図」が描く国土の像は、近代的な国家の自画像であり、「世界の鏡」である。
→「透明で正確な地図」もまた社会的事実(デュルケーム)として現れる。

7.3.2 「知ること」と「知られること」
図7.6『世界の舞台』表紙
図7.7『アトラス』表紙
→「知る側」「知られる側」の非対称な関係が現れた地図(と表紙)
・非対称な関係と「透明さ」「正確さ」が結びつくことで、知と権力の結びつきがより強固になる。
・「透明さ」「正確さ」を前提とする思想が、人間と世界との間に広がり、人びとの意識と行為をとらえていった。
→透明さと正確さの中に、近代社会に固有の地政学の存在と作動を示している。

7.4 地図のポリフォニー/思想のポリフォニー
・「透明で正確な地図」に代表されること自体の思想性やイデオロギー性
図7.8「デザイン」としての地図:路線図
図7.9「デザイン」としての地図:ガイドマップ
・近現代においても「透明で正確」ではないヴァナキュラーな地図があるにもかかわらず、「非科学的で不正確な地図から科学的で正確な地図へ」という「進歩主義的地図史観」が支配的。
・ヴァナキュラーな地理学とヴァナキュラーな地図は、現代社会の中で日常的に生きられる地理的世界を支えている。
・これまでの歴史や思想史を支えてきた知のヘゲモニーに対する異議申し立てとして、歴史学や社会学において取り組まれてきた「社会史」の試みとの共通点。
→ポリフォニック(多声的)な歴史/構造(/地図?)
・しかし、ヴァナキュラーな地図や地理学もまた、「透明で正確な地図」と協働し、相互連関の中で生産・流通・利用されている。

★「透明で正確な地図」とヴァナキュラーな地理学や地図群が近代社会のいかなる点で協働し、いかなる点でズレを孕んでいるかを測定することが、「思想としての地図」のヘゲモニーの構造を読み解く試みとして構想されることになるだろう。それは地理学的な知と地図というメディアの内部における「知の地政学」の試みである。




■論点

・若林が注目した「透明で正確な地図」を支えるイデオロギーの影響力は強いものの、ヴァナキュラーであるとされる路線図やガイドマップもまた、権力や近代化を支えるイデオロギーを背景としているのではないか?イリイチの言うヴァナキュラーは非市場的価値を指すが、若林の「ヴァナキュラーな地図」を「非市場的価値を持つ地図」として読み替えてみると、どんな状況が考えられるだろうか。科学や権力のイデオロギーの現れとしての地図と、イリイチの文脈で言う「ヴァナキュラーな地図」のズレや協働は、どのような「思想としての地図」として見出すことが出来るだろうか。そこから、どのようなことが明らかになるだろうか。



・世界中を網羅した交通網や交通手段、情報ネットワークやメディアの影響は、むしろ「透明で正確な地図」を不要のものとし、若林の言うヴァナキュラーな世界像がポリフォニックに共存する「地理的世界観」が優勢になるのではないか。極端な話を考えるなら、「透明で正確な地図」が示す「正確な形」は無意味化し、路線図やガイドマップ的なものだけで生きていけるのではないか。たとえば関空やイタリアがどこにあるのか分からなくても、電車や飛行機を乗り継ぐという「知」があればどこにでも行けるだろう。また高速交通網が発達し、計画的に配置された郊外住宅や工業地帯を行き来するアメリカ人にとって、「透明で正確な地図」「ヴァナキュラーな地図」の意味はどのようなものだろうか。我々は、ポリフォニックな地理的世界ではなく、「地図や地理が不要な世界」を築こうとしているのではないか。

2007-01-16 23:10 : 『空間の政治地理』(06後期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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