スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- : スポンサー広告 :

『社会を越える社会学』第1章

ジョン・アーリ『社会を越える社会学』
序章/第1章「社会」

日本語版への序文
本書は現に社会科学の諸分野にひろがり、それらの性質を変えつつある新しい「移動論的転回」の初期の段階にあらわれた作品である。

○社会科学の諸分野のなかで、とりわけ都市分析はきわめて静態的なものになっている。
○社会的諸実践が意味するもの、すなわち旅は職場の同僚、余暇集団、…友人の間で複雑なつながりが形成されるのをうながすゆえに、社会生活にとってしばしば不可欠なものになる。
○断続的にみられるイメージとコミュニケーションにおいて実際に起きている移動と起こる可能性のある移動がどのようにして社会生活を組織し構成しているか。

「新しい移動」
移動は広範で包括的な意味で用いられる。移動が検討する対象になるものは、流動的な移動の相互依存の面においてであり、移動の個々の局面ではない。
「新しい移動」パラダイムが強調するのは、複雑にパタン化している、人々の多様で変転きわまりない社会的諸活動である。

場所はダイナミックなものである‐「動きの場」であり、頻繁に移動する。

第1章 社会
本書のねらい:21世紀における一つの「学問分野」としての社会学に必要とされる研究カテゴリーを発展させること。
本書は、ヒト、モノ、イメージ、情報、廃棄物の多種多様な移動について検討し、これらの移動相互の複雑な依存関係や、その社会的な帰結を研究対象にする[新たな]社会学の宣言を行う。
本書において展開する移動性についての定式化と、二十世紀の社会学についての見解との間には、様々なかたちでの切断が見られる。もっとも明らかに異なる点は、移動性を、社会的現象であると同時に地理的なものとしてとらえるという点にある。

Ⅰ[社会などというものは存在しない]‐マーガレット・サッチャー
○現在の様々な移動が問題にしているのは、まさに[国民‐国家‐社会]の意味なのである⇒社会などというものは存在しないというサッチャーの発言は適切なものであった。
○とりわけグローバルな市場などの、個々の男性と女性を超えた多くの「ポスト‐社会組成」的な過程を無視した⇒サッチャーは完全に間違っていた
 社会などというものは存在しないということは、個々の人間主体の力を意味しているのではなく、逆に、グローバル化の「非人間的」な過程に直面した人間主体の弱さを意味しているのである。

社会の概念が、社会学の言説において、とりわけ米国の社会学の言説において中心をなしてきたが、様々な社会学のパースペクティヴの中では、互いに矛盾するようなかたちで用いられているということが明らかである。さらに、社会の概念が有意味なものであるためには、社会の概念とその背景となった社会を、国民‐国家‐社会のシステムについても分析の中に位置づける必要がある。

社会‐社会学の中心をなす概念(もし存在とすれば)
社会の概念ほど無批判に使われている概念がない(Wallerstein 1987:315)しかし、「社会」という語について広範にわたる意見の相違と一貫性の欠如が見られる。
二十世紀の多くの社会学者が「社会」という場合、彼らが念頭にしているのは、もはや……国家の枠外にある「市民社会」や「人間社会」ではなく、国民国家という、いささか希薄な理想像である。
⇒社会についての理論家では、主権、ナショナル・シチズンシップ、社会的統治性がその中心に位置づけられている。
ナショナリズムは、社会的集合体の様々に異なるレベルにおいて生じる断片化された諸現象の中に見られるのだが、それらの形態は、不規則ながらも、奇妙なほど似かよっているのである。
「社会」と、とりわけ社会的階級といった、「社会」に特徴的なものである社会的区分は、「国民国家」と深くからみあっている。
集合的権力は、社会的統治性と、自然として社会を越えて存在するものとのきわめて明確な区別を含意していた。
モダニティとは、人間の進歩は「人間」と「自然」の関係の変容をとおしてというよりむしろ、自然の支配を尺度として評価されるものであるという信念をともなうものであった。
「社会組成的」モデル‐十数の北大西洋環帯の諸社会(日本も含む)

Ⅱ非人間的なグローバル化
 「グローバル化」という言葉は、グローバルな過程と、世界規模であらわれる結果の両方を意味するものであるため、特にわかりにくいものになっている‐本書では、グローバル化を前者の意味で用いる。
 グローバル化については、二つの対極的な立場が存在している。
①グローバル信者の立場‐グローバル化の諸過程によって、新しい時代、コスモポリタン的な「国境なき世界」の黄金時代が到来する
②グローバル化が国境なきユートピアではなく、新たな反ユートピアである。グローバルな世界が新しい中世主義、つまり「西洋」の近代以前の時代への回帰である。
 楽観主義的分析であれ悲観主義的分析であれ、社会関係を再構築しているのは非人間的なモノである。⇒社会関係は、機械、テクノロジー、モノ、テクスト、イメージ、物理的環境などを通して形成され、再形成されている。
 本書の各章では、複合的かつ可動的なハイブリッドが、社会学にとってこのうえなく重要であることを明らかにする。
 社会学は「社会という」領土の存在を承認していた。しかし、その領土は、新しい時間的、空間的トポロジーの権力の台頭によって変容したために、社会学は「アイデンティティの危機を経験している」のである(Rose 1996:328; Mol and Law 1994)。

Ⅲ社会学の更なる新しい方法的規準
 本章の結論として、今後数十年の社会学における「社会学の方法的規準」はどのようなものであるべきかについて明らかにする。
 社会は、必ずしも始原的な中心をめぐって組織されるわけではなく、部分的には主体とともに客体をとおして構成されるのであり、またその境界は穴だらけのものであるため、何がそのような社会の周縁を構成しているのか特定することは困難なのである。……環境との関係から自己‐再生産している実体は社会だけではないのである。(P32)
 本書のどの章で、どの規準を展開するかについてP33~34

疑問点及び論点
1、「移動論的転回」の意味について(Pxi)
2、「北大西洋環帯」を日本を含む欧米先進諸国をさす言葉として理解してもいいか。この語を使う目的は何であるか。単なる地理的位置を強調するのか。
3、「新しい移動」について
4、オートポイエーシス(P15)
5、静的から動的への視点転換によって社会がどう再認識されるか。そこに社会学の救い道あるのか。



20070511150014.jpg

↑ジョン・アーリさん

2007-05-11 14:55 : 『社会を越える社会学』(07前期・院ゼミ) : コメント : 0 :
コメントの投稿
非公開コメント

« next  ホーム  prev »

contents

過去の記事

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

訪問者数

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。