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『社会を越える社会学』第2章

第2章 メタファー(隠喩)

メタファー(隠喩):比喩法の一。「…のようだ」「…のごとし」などの形を用いず、そのものの特徴を直接他のもので表現する方法。「花のかんばせ」「金は力なり」の類。暗喩。(大辞泉より)
◎言語に不可欠なものであり、あらゆる言語の『偏在原理』である。(テレンス・ホークス)
◎人間の思考過程がおしなべてメタファー的である。(レイコフ、ジョンソン)
 →「人間の概念体系はメタファーを介して構造化され規定されており、新たな意味やリアリティも、さまざまな種類のメタファー的思考に依存している。」

p.39「さまざまなメタファーの個々の生産性を評価することには、意味と解釈についての複雑な問題が伴う」→「証拠と<理論としてのメタファー>との関係は間接的であるにもかかわらず、メタファーを評価するための1つの材料として「状況のコンテクスト」にもとづく様々な種類の経験的証拠が用いられる。
⇒具体的に目に映るものにたとえると、どうしても実体的で一定の秩序を持つものとして社会をとらえることになってしまうという点で、理解しやすいは反面危険である。

(→この書では、「すべての人間の思考はメタファーを伴う」立場で、ネットワーク、フロー、旅のメタファーに依拠した理論を展開。)

メタファー的思考の影響力を捉えることが困難であった理由について。
◎社会科学によるメタファー的思考の忘却
 「社会科学は、メタファー的あるいは形而上学的であり、したがって観察科学の確実性の範囲を超えているものすべてを消し去りながら、自らを誇示しようとしてきた」(クーン)
 ≒「有機体のアナロジー」に対する批判
1960~70 方法論的個人主義者:交換のメタファー、実証主義:視覚のメタファー
⇒有機体のメタファーの拒否を通して、新たなメタファーを用いた思考法を発展。
 
ステイシー…フーコーのまなざしの分析を通して、空間と視覚のメタファーについて検討。
「可視的自然」をめぐっての科学の発展は視覚による分類法によって体系化され、そこから自らのメタファーを自然なものとする新たな視覚的認識論が発展。

社会的に影響を及ぼすようになってきたメタファーについて、グローバル化に目を向けることで領域(リージョン)、ネットワーク、流動体といった空間的メタファーの有効性を考察。しかしながらp.46「地球(グローブ)それじたいがメタファーであるため、決して単純な問題ではない。実際にはただ1つの『地球』などというものはなく、むしろ地球とグローバル性についてのさまざまなメタファーが存在している。」…二肢的想定を具現する地球のメタファーがグローバル化概念の中心をなしている。
移動性のメタファー

主体はとりわけエクリチュール(文字、表現)の流動を通して構成される。
移動と旅行のメタファーについて:「ノマド(遊牧民)のメタファー」
p.48「ノマドは…逃走線によって構成されており、脱―領土化した社会を特徴づけている。」
移民のように、以後に再領土化されることがない。
 ⇔「ポリス」(国家)(第8章)
ノマド的な脱―領土化 =「西洋」の男性的、白人的、帝国的アカデミックな文化の周縁化

身体移動、バーチャルな移動、モノの移動なしにはノマド主義を思い描くことはできない。
固定化された場所が存在しない。
「遊歩者から滑空者への移行」
ノマドの時代…「居場所に拘束されずに暮らせる」=p.50「自分たちが移住者なのか、本当の『世界を渡り歩く遊牧民』なのかを考えなければならなくなるだろう。」

放浪者と観光客のメタファー(バウマン)、ノマドと旅のメタファーに見られる男性主義的特徴への批判(ウォルフ、ヨキネン、ベイヨラ)、船のメタファー(ポール・ギルロイ)、モーテルのメタファー(クリフォード)=本物の場所とはなりえない。「一時休止」を表象

モルとロウによる領域、ネットワーク、流動体(フロー)のメタファーについての分析について。(p.54~)「血液」についての議論を援用して社会生活の空間的形態に言及=流動体の空間の概念を用いて貧血症における観察。「フローの目撃」


グローバルなもののメタファー

グローバル化が社会の概念(=領域のメタファー)をいかに破砕し、社会学の主要な言説の枠組みを問題化しているのかについて。
「行動や動機が、いまやグローバル化に組織された文化によって生み出されている」という見方ではなく、むしろ領域としての社会のメタファーが、ネットワークや流動体として把握されるグローバルなもののメタファーへと置き換えられることを意味する。(p.58)

新たな機械とテクノロジー、インフラの発展…「ますます短くなっている瞬間的な時間において、ナショナルな社会の内部をフローすると同時にナショナルな社会を超えてフローする。」
ネットワーク=相互に結び付けられた結節点(ノード)の連なりであり、空間の内にあるとともにそれ自体が空間をなしており、時間的かつ空間的なものである。

「スケイプ」と「フロー」の違いについて。(p.62~)
スケイプ=機械、テクノロジー、組織、テキスト、アクターからなるネットワーク
フローの中継を可能とする相互に連結された結節点を構成
時間と空間の次元が再構成される
一方で、実質的にそこから排除される人たちの存在
スケイプのグローバル化…国連、世界銀行、マイクロソフトなど。

フロー=国境内外を移動するヒト、イメージ、情報、貨幣、廃棄物
 機会や欲望の提供とともに、新たなリスクをも生み出した
 既存の社会の領域とは無関係に時間・空間を横断して結合・再結合される
国家のような社会組成的なものの権力を弱める
 
マクドナルド化…あらゆる国・地域においてテクノロジー、技術、テキスト、ブランドといった効果的なネットワークによって「良い」ものを供給。→「オリジナルよりリアル」な体験のシミュレーションを提示
p.67「人々はますます自らの観光客としての経験、余暇の経験が『日々の生活と同様にマクドナルド化する』ことを望んでいる。」(リッツァ)
グローバル化=文化的な均質化(=アメリカナイズ)

p.68,69グローバルな流動体…不均質で予期できない移動をするフロー
 ただ脱領土化した移動性
 必ずしも最終的な状態、目的があるわけではない
 特定の時間性に従って移動
 スケイプの「壁」を通り抜けたり、逃れたりする
 権力は支配/従属関係の中へと拡散する
 
p.70~流動体の重要性の事例
①フランスのミニテル
ナショナルないし社会組成的なネットワークは空間の差異を解消し、すべての加入者を同じナショナルなパターンで結びつけたが、インターネットの普及によって衰退。⇒インターネットは流動体としての社会生活のメタファーとなった。

②「東欧」における共産主義国家体制の崩壊につながるフロー
 包括的な文化や強固なナショナルなネットワークの形成に力を注いだ。しかし実際にはそれぞれの社会の領域的境界は流動体のような動きによってすり抜けられ、侵犯された。
 「商品、サービス、記号、イメージ、ヒトの不可避な流れは、最も強力に管理されたナショナルな境界をも越えていった」(p.75)

③「抵抗のアイデンティティ」による組織集団
 フローへの対抗…それぞれのナショナルな社会の「脱―全体化」を促進している。

p.79主体はもはや解体の過程にある市民社会の基礎として構成されているのではなく、様々なグローバルなプロセスへ、共同的な抵抗の延長として構成されている。(カステル)

球体(グローブ)と圏域(スフィア)

現在の環境主義の文脈における球体と圏域としての地球について。(インゴールドの考察)
→グローバルな環境の変化という表現は、地球が環境上の脅威にさらされているという考えを暗に含んでいる。
実際にじかに見たり触れたりしたことのない球体としての地球(グローブ)のイメージが、模型や写真、動画などによってどれほど我々に馴染みのあるものになっているか…地球のイメージが人間の直接的な感覚を基にしているわけではないことを示唆。
「グローバルな環境は生活世界ではなく、生活から切り離された世界である。」(p.81)
地球の写真は、視覚的な表象の驚異的な力を示している。

それと対比させるもの=「圏域」の概念
p.82「圏域のメタファーから球体のメタファーへの移行は、感覚の多様性に裏打ちされた生きられた経験の母体から世界が徐々に隔たっていく過程である。」

視覚中心主義の台頭による、グローバルなものとローカルなものとの二分法の構成、再生産が行われた。その中では環境=グローバルなもの…ローカルなものとしての環境と対立、と理解されているが、環境をグローバルなものとみなすことは、客観化にもとづくグローバルな存在論を特権化することを意味している。

グローバルな思考の発展そのものに文化的解釈が伴っている。そして一連の環境の「悪化」がグローバルな規模で進んでいるとみなされるようになっている。=グローバルな創造の共同体
ローカルという概念には非メタファー的なところがあるが、明確に境界付けられたコミュニティ(帰属意識と温かさによって特徴づけられる緊密な社会的関係)の概念を想起させるという意味で、ローカルという言葉はメタファー的となる。→「一個の球体という視覚に依存した考え方とは対照をなしている。」p.85


疑問点、論点
◎「ノマド的メタファー」とは、二重のメタファーということか?
(メタファーのメタファーはあるのか。)
◎「メタファー」と「メタファー的」の差異はどこにあるか。
◎何者かになる自由がない立場の人たち、生地から移動しないような村社会におけるメタファーは存在するか。(たとえば、インドの人々)
◎p.53「場所とロカールの感覚は破壊される」「モーテルは決して本物の場所とはなりえない」とあるが、「本物の場所」とは何を指すのか。
◎グローバル化あるいは視覚中心主義によるグローバル・ローカルの考え方、メタファーの概念は、我々をとりまく社会環境や思考にいかに、どういった功罪をもたらしているか。(「我々をとりまく社会環境」というような言い方が、これらに影響しているのだろうか…?)


◎今日の感想

何をもってメタファーとするか、という判断は難しいですね。疑問点を話し合う際、ノマド的なものの例を事前に挙げていれば、より円滑な議論ができたかと思いました。グローバルに対するローカルの概念や、マクドナルド化の功罪については、さらに議論の余地があると思いました。P.N.野菜生活

2007-05-18 15:46 : 『社会を越える社会学』(07前期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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