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『社会を越える社会学』第3章(後半)

第三章 旅行 (後半 pp.114-137)

モノの移動
・本章では、どのようにして「移動している事物が、それをめぐる人間的、社会的文脈を照らし出す」のかという点について検討していく。
・モノはしばしば人の移動とともに旅をする。これは、文化もある意味では旅をするのであって、特定の場所にルーツをもつ一連のモノに単純に固定されているわけではない。モノは住まうのと同じくらい旅をしているように見える。

◇ラリーが論じる三種類の移動するモノ
①旅行者‐モノ(Traveller-objects)
・ 内在的に意味を保持しているため、旅をする。もとあった場所との真正的な関係を担保しているので、場所と文化は、空間を横断するスムーズな移動のなかでも一つに結びついている。商品とは距離を置いており、それゆえ個々にアウラを具えている。
(例)芸術作品や手工芸品、民俗的あるいは国民的に意義のある品々など。

②日帰り旅行者‐モノ(Tripper-objects)
・儀礼や慣習に左右されずに、特定の居住の場所と結びついているため旅をする。こうしたモノの旅は、その旅行者が最終的に落ち着く場所によって目的論的に決定される。日帰り旅行者‐モノがもつ意味は恣意的で、そのモノが最終的に落ち着く場所を介して生み出される。
(例)土産や記念品、掘り出し物、絵ハガキ、写真など。

③観光客‐モノ(Tourist-objects)
・すべて移動のためにあるようなモノ。「仲介者」によって存在するモノ、あるいは仲介者のモノ。こうしたモノの意味は、「グローバル・コレクション」や「ウェストコーストサーフ社の入浴剤」のように、モノの移動を通じて規定される。異国情緒あふれる人や場所のイメージが体系的に配置され、循環していく中で、イメージとモノが互いに本物らしさを認証し合う。
(例)Tシャツ、多くのテレビ番組、食品類や商品

・私たちが「モノ」と考えているものの大部分は、相当な数の物質的、象徴的な要素からなっており、それら一つ一つの要素は、後にモノとなるものを構成するうえで欠くことができない。
・そうしたモノは、さまざまなやり方で消費され、使用されうる。それ自体で完結するようなモノなど存在しないのである。例えば、ウォークマンの紹介、改良、そして潜在的発展とマーケティングにとっては、消費者の活動が決定的だったのである。
・また、ある種のものは、「中古品」になって、感情が込められていくにつれて、交換価値が失われていく。深い感情的な思い入れは、身体の移動あるいは想像上の移動を通じて生じてくる。

◇ソニー・ウォークマン
それぞれの社会は、生産物にたいして、物質的もしくは文化的に「貢献」している。なぜなら、物質的、情報的なイメージの構成要素は、ある特定の場所で結合するが、それまでの長大な旅である組み立ての場を経て、そのモノは、ローカル、ナショナル、トランスナショナルな諸要素の複雑な結合からなる構成体を示すからである。それは一つの文化的な歩みを示しているといえる。この好例がソニー・ウォークマンである。ウォークマンは、日本的なデザインをもつとともに、西洋的な美意識の産物でもあるハイブリッドであり、テクノロジーとイメージの複合的で相互交差的なフローに由来しているのである。

・想像上の移動
◇テレビ
①モノとしてのテレビ
テレビは、部屋に入る者のまなざしを方向づける。テレビが部屋の焦点となり、家具と構成しあって生み出すのは、テレビを介して遥か彼方の世界と文化的なやりとりをしながら住まうのに適した部屋である。
②メディアとしてのテレビ
テレビはたった一台で、数多くのメディアを備えている。メディアの産出物は、時間をコード化するが、その一環として、特定の出来事を「生中継」で公開するということが伴う。生中継される出来事の消費を通して、ある意味で人は同時に二つの場所に居合わせることができる。想像上の旅行は、私たちの生活の一部になっているとともに、場所と結びついた歴史的な感覚といったものを掘り崩していく。
③文化としてのテレビ
ラジオとテレビは、世帯とその彼方にある世界との支配的なコミュニケーションの交流を生み出す。様々な意味でテレビは文化なのである。マスメディアの所有権がますます集中しているにも関らず、視聴者はいっそう分断され、多様化してきたようにみえる。私たちが暮らしているのは、グローバル・ヴィレッジではなく、グローバルに生産され、ローカルに配分された特性のコテージなのである。テレビは一つのグローバル・ヴィレッジを生み出し、私的と公的、表舞台と舞台裏、遠くと近くの区別を曖昧にするのである。

・本やラジオに比べ、メディア映像がしばしば意味と解釈の安定的な形態を提供しているのは、そうしたイメージが私たちの小さな世界すべてにとって一般的な特徴をなしているからだ、というパラドックス(例:テレビ局が『ワシントン・ポスト』紙の記事を報じたことで初めてウォーターゲート事件が「現実」のものになった)
 
・バーチャルな旅行
◇コンピュータ
テレビと同様、通信手段の脱物質化を伴う。ハイムによれば、私たちがいとも容易くハイパーテキスト・リンクを伝って跳び移るとき、サイバースペースは「摩擦も時間もない媒介物のなかを運ばれるような感触をもつ。一切飛躍はない。なぜならあらゆる存在が・・・・・・同時に存在しているからである」。将来は、ほとんどの感覚がデジタル情報に変換され、コンピュータ端末を通して送受信されるということもありうる(味と匂いは最大の課題となるだろう!)。

◇インターネットや携帯電話
戦後のエレクトロニクスを基盤とするテクノロジーの成長の仕方は、予想可能なものであったが、多様なメディアのデジタルな集束性と双方向性は、高度にパタン化されて入るが予測不可能な「社会的」帰結をもたらす。インターネットは、それ自体が新奇な一つの社会‐技術的現象で、しかもそれは無定形で混沌としており、たえず変化するため予測不可能なものである。テクノロジーがいかに発展していくかは、多様な社会でさまざまな社会的営為に関与している何百万という人々の居住の実際を、テクノロジーが変容させていく仕方に左右されるのである。コンピュータ=ユーザー=機械のハイブリッドとしては、携帯電話が顕著な例である。

◇サイバースペース
サイバースペースとは、いくつものバーチャルな「コミュニティ」が重なり合って多次元的に組み合わされたものであり、しかもそれは世界規模でネットワーク化され、コンピュータによって維持され、アクセスされ、生成される。サイバースペースでは人体の境界は曖昧である。身体は、人間の皮膚を境界にして「自然に」規定されるというよりも、むしろすぐれて技術社会的なものとして再構成されている。ハイムによれば、コンピュータにはエロス的な魅力があるという。

◇新しい多様な社会性に対する肯定的な見解と否定的な見解
・スタフォード(肯定的)
「言語外的なメッセージ、双方向的な発話行為、身振り手振りでの会話、生き生きとしたパントマイム」が際限なく飛び交う世界。

・ライプニッツのモナトロジーから引き出されてきた形而上学(否定的)
世界を多数のモナドから構成されたものとして捉える。モナドが見つめるのは、自らの個別的な願望や理想の投影である。

◇バーチャル・コミュニティ
・かつて国家社会の内部に組織されていた社会生活が、バーチャル・コミュニティに移行しつつある。こうした事態は、新しい「グローバルな市民社会」への道を拓くかもしれない。そうした市民社会には、学習の新しい形態、新たな対抗文化の確立、著作権やプライバシーが意味するものの変容、直接民主主義への新しい大きな機会の創出を伴う。

・コンピュータに媒介されたコミュニティというのは「疑う余地もなく、人々が依然としてフェイス・トゥ・フェイスで会いながら、しかし、“会う”も“フェイス”も以前とは全く異なった定義のもとにあるような社会的空間」である。

・多くのバーチャル・コミュニティでは、アイデンティティじたいが可動的になっており、人々は「デジタル・ノマド」になって、固定されたアイデンティの内外をフローすることができる。

・「現実のコミュニティ」がもつ実体を欠いているという主張があるが、バーチャル・コミュニティの内部でさえ、断続的な「現前-対応可能性」(実際に会って対話ができること)が重要である。したがって、バーチャルな旅行は、信頼関係の発展には対面的な対話が不可欠であるという点に関連させて、理解されねばならない。むしろ、人々は身体的旅行をすればするほど、ますますサイバースペースにおいても旅をするようになるのだ。

◇バーチャル・コミュニティの問題点
・バーチャルで身体的な旅行を通じて促されるといわれる、脱中心的なコスモポリタニズム的な言説については、わずかな徴候しか見出せなかった。

・第四の関係性と呼ばれる監視と管理の諸形態は、アクセスと権利の新たな不平等を生み出す。電子的に監視された安全なルートに沿って信頼できる人々の移動を誘導しながら、同時に不審人物の移動を監視し、周縁においやり、電子ゲットーを生じさせている。

・「視覚機械」の発達が、サイボーグに関する宣言や規約の急増をさらに導いている。

・結び
一般的には、これまで論じてきた旅行のスケイプの発達は新たな空間的不平等を生み出す。そうしたスケイプは、それを配置することができるような組織の権力を強化すると同時に、そこから排除された人々の権力を弱める。これには社会的不平等の新たな空間化と、権力/知の新たな布置構成がともなう。



疑問点など
・旅行者、日帰り旅行者、観光客の区別。特に「旅行者」と「観光客」の違いについて。

・バーチャル・コミュニティが直接民主主義への新しい大きな機会を創出することや、電子ゲットーを生み出すことを主張しているが、デジタル・デバイドの問題が置き去りにされたままこのような方向に進んでいくと、コンピュータを使いこなせない高齢者や、貧困のため情報機器を入手できない人々は、より一層困難な状況に追い込まれるのではないか。

・「人々は身体的旅行をすればするほど、ますますサイバースペースにおいても旅をするようになる」とあるが、IT役員の話(p.135)だけで断言できるだろうか。むしろ、身体的旅行をしない人ほどサイバースペースでの旅をするのではないか。

2007-06-15 15:18 : 『社会を越える社会学』(07前期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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