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『社会を越える社会学』第4章

第4章 感覚


はじめに
「現在多くの文献では人間主体の死が語られている」
人間の生に特有のパタンを創出し、それを持続させるという人間主体の役割や、そのために人間だけがもつと思われてきた力についてさまざまな言説や学問での疑問
(例:主体の死についてのポスト構造主義的分析、人類学からの「サイボーグ文化」の問い質し、人工器官テクノロジーが人間に暗示するものについての分析など)
○人間は種固有といえる成果を実現する能力をもっているのか?

モノが人間主体の単なる容れ物ではくネットワークの内部で人間が果たす役割を規定しながら、「行為項(アクタン)」として様々に機能できる点については言及
→機械、モノ、テクノロジーは人間とともに一体となって構成されている。
それゆえ、モノは人間が行為主体( エージェンシー)を生じさせるあり方において決定的な役割を担っているようにみえる。

行為主体は人間と非-人間との連鎖やネットワークの形成・再形成の中で成立。
これらの結びつき、ネットワークは時間の経過、空間全体を通してみても安定化の度合いに大きくばらつきがある
→社会秩序をもたらすというより秩序化の傾向を付随的に生み出すだけ(人間は中心軸からはずされた説明)

ラトゥールはハイブリッドもしくは可変的な幾何学的付置が認識の対象とする
→人間は媒介者や通訳者として定義
非-人間は信頼性の欠けたところがある普通の人間に成り代わることができる
(適切な行動をとるように人間を規律訓練するのに要する甚大な労力の消耗は非―人間に代役を務めさせることで回避)
・ハイブリッドの一例「市民=銃」
発砲において協働的な行為主体を認識するような説明を展開すべき
4章での考察→モノや機械との関係のなかで「人間」の感覚が果たす役割について
身体の役割を具体化させるために、多様なハイブリッドの感覚構成について詳細な検討を展開が不可欠
ポパーは「閉じた社会」について
「それはまだ具体的諸個人からなる具体的集団であり、相互の関わりは単に分業や商品や商品交換といった抽象的な社会関係ばかりでなく、触覚、嗅覚、視覚のような具体的な身体的関係でもある」と特徴付けている
→ここでは移動性を持つ「開かれた社会」において多様な感覚が働いているか分析
移行しつつある新しい社会「リスク社会」では、予測不可能で、補償措置がとれず、無限定で、説明不可能であるため感覚は無力。
(例:放射能)

各々の感覚は空間内での人々の方向付け、空間的諸関係の自覚、特定のミクロ/マクロ環境の質の評価に寄与(ロダウェイ)
また、生活の中でそれぞれの相関的重要性を示すメタファーを生み出す
(例:慣用句)
種々の感覚が相互連関し、さまざまなモノからなるひとつの感受された環境を生産するには以下の5つの仕方が存在
① 感覚相互間の協働
② 異なる感覚の間のヒエラルキー(例:西洋文化に見られる視覚優位)
③ ある感覚が他の感覚に後続して発達するという順序関係
④ 他の感覚作用が及ぶよりも先に各々の感覚の効果がぶつかる閾
⑤ ある特定の感覚とモノとの互報関係
視覚を巡る議論では視覚と他の感覚との関係性が示される

視覚性
視覚のヘゲモニーは西洋の社会思想と文化を特徴付けるもの
(例:新しい建築様式におけるステンドグラス、モノとメタファーとしての鏡、活版印刷)
→視覚は近代的認識論の土台をなすもの
また、視覚は西洋文化の想像力の歴史において決定的な役割を果たす
「近代科学が台頭し、印刷においてはグーテンベルグが革命を起こし、絵画においてはアルベルティが遠近法を強調したのにともなって、視覚は近代になるととくに強い影響力を与えられた。」(ジェイ)
マクルーハンは事物が現実的であるためには、それが可視でなくてはならないと主張
ニーチェは抽象的思考の概念の裡に本来備わっている視覚的側面を強調

ジンメルの視覚に関する3つの一般的な要点
① 目は比類のない「社会学的な働き」へとあてられている
→相互の注視は諸個人同士の連結と相互作用をもたらす「最も完全な互報関係」
②耳で聞くものはすでに過去のものであり、所有できるようなものを何も提供しないのに対し、視覚だけは所有を可能にする
→視覚は他者の所有だけでなく離れたところにあるモノや環境の所有をも可能にする
(ヒトとモノを遠隔から統御可能)
③ 視覚のメディア化の広がりがみられる(デジタルカメラや電子的な表象様式)
ジンメルが感覚を検討して以来、視覚は途方もなく拡張されてきた
また、視覚の精緻化は他の感覚の変容も引き起こす
(例:レコード、テープ、CDなどの聴覚の変容、バーチャル・リアリティによる触覚の変容)

16世紀において視覚性は他の感覚との独立したものではない(「相互作用」)
16世紀以降「社会」の管理が進み、まなざしを利用することで推し進められてきた視覚性は尋問と監視ができる「社会」の構成の中心となる。
「その一つ一つが可視的で判読可能であるような透明な社会」
畏怖と恐れの源泉であった荒野、荒涼とした自然は視覚消費を待ち受ける場所へ変容。
→「大都会の自然」の発生

視覚が他の感覚から分離され、視力が感覚作用のヒエラルキーの中で主要なものになるとき、「社会」の権力/知の様態は変容
「理論」の観念は距離をおいて対象を眺め、そこから超然とした「観照」をもたらす外部観察者という考え方が前提。社会もまた遠くから眺められ、離れたところにあるものとして統制可能な対象と見なされる

前章で論じた旅行様式と感覚の結びつき
移動を通じて「社会」なるものが認識されるようになる。
・ 「写真撮影者」のハイブリッド
写真を作りたいという欲望の3つの支流
① モースらによる自らの心象と体験を永久に固定できないことへの欲求不満(撮る欲望)の表現
② 風景鑑賞の性質の大きな展開
身体的旅行は科学的にではなく、風景の鑑識眼を通じて正当化(眺めをともなうもの)
③ 作家や芸術家による自らの風景体験の興奮を留めておきたいという欲望の明言

1790年以降この3つの支流が合流し、「イメージ生産の産業化」と関連。
「消費と流通が形づくる新たなる均質的領域」の重要な要素となる
→視覚イメージに可動性と交換可能性が与えられる
ハイブリッドな写真撮影者は包括とともに排除をおこなうような美学を備える
→支配的な一連の視覚イメージを作り出す

写真撮影の慣行は風景を支配するものであり、どのように環境を支配してきたかを物語るもの( 女性に対する男性のまなざしも含まれる)
身体的移動に密接に関係する風景と地図も見るもの-見られるものの権力関係が想定されている。
→視覚による抽象化と表象を通じて自然と社会の諸相を把捉するもの

20世紀末の視覚文化としてテレビのスクリーンが3章の内容に加えて2つの重要性をもつ
① 標準的な世帯の空間とその日常に組み込まれており、居住の場として一体化しており
それは現実の地理とは形態の異なる「バーチャル地理」を介して組織されている
「われわれはもはやルーツをもたない。われわれにあるのはアンテナなのである」
② テレビとの関係において必然的に含まれる支配的な感覚とは聴くことである
テレビをつけたままで活動がおこなわれる→ある種の「サウンドスケープ」

また、スクリーンは現代社会の内部で視覚を変容させる→「認識の自動化」
ショッピングセンターなどで自動的に人々を捕らえる「監視社会」への形態の変化。

われわれはスペクタクルの社会に生きていることで、視覚が最も軽薄なものになりつつある。
・ 「超-現実」分析による観光旅行者批判
→超-現実的な場所で遭遇できないものは「バロック」(動的で予測できないもの、驚きをもたらすもの)

フェミニストによる視線の重視の議論
視覚の重視は身体が環境と取り持つ関係を困窮化させると同時にポルノ写真を介して働く窃視による女性身体の支配や自然と風景の支配をおこなう

最後に
モノとテクノロジーを通して視覚は拡張したが、互報性ももたなくなる。
→視覚とモノとの関係が皮相なものになることを意味している

嗅ぐこと、聴くこと、触ること
19世紀において、視覚によっての下層階級の取り締まりともに接触の回避がおこなわれる
(例:他者と接触せずに視線を投げかけられるバルコニー)
バルコニーや摩天楼は「接触」と「匂い」を避けて群衆を眺められる場所。
BUT「匂い」は嫌悪感をコード化するものでありながら、取締りが困難。文化構成において重要なもの
→文明人にとって匂いは蔑まれるものであるものの、魅力と恐怖感を同時に生み出すもの
諸種の空間の生産は嗅覚と結びついている(ルフェーベル)
「『主体』と『客体』との間には親密さが存在するが、それこそこの嗅覚の世界と嗅覚が住まう場にほかならない」
嗅覚の直接性・近接性⇔視覚の抽象的・構成的傾向

石鹸の生み出した「自然で衛生的な身体」という新しい観念は労働者階級の「悪臭」など階級の隔たりを生む強固な土台となる
「匂いによって誘発される抗しがたい嫌悪」(ジンメル)
近代社会においても公衆衛生システムの発達により匂いを隔離している
(例:下水道)
強い匂い=危険なもの(ガス、下水、汚水など) としてモダニティは排除。
BUTフローするこれらの物体は「家」に入り込む危険性を持つ
女性はこれらの流動物を家事労働として責任をもつ
男性はこれらの漏出し、女性が手におえなくなったときにだけ責任を持つ

匂いにおいて近代社会は「危険」な存在でありながら、誘導には成功していない。
→「自然」への文化的転回により反故にされている

音も匂い同様、感覚をON/OFFにすることはできない
視覚は距離を保っているのとは逆に聴覚はその中心に立たざるを得ない
聴覚とは常に他者と結びつけるもの「活動の所産」
また、「沈黙の音」のように不穏な沈黙の場でさえ聴力の力は存在
(騒音は自然の特権であった)

アボリジニーやアフリカ系アメリカ人など声/音の文化から視覚の文化へと歴史的推移があったことと言われ、アフリカ社会では例外的なことに視覚よりも他の感覚に優れた統合を見出していた。

ポストモダン的な新たなサウンドスケイプの偶像としてソニーウォークマンがあげられる
→公共の場においても私的な空間を構成できるもの( 現代においては携帯電話)
同時に音は不自然で環境汚染を引き起こすもの「騒音公害」としてみなされるようになっている。それゆえ、サウンドスケイプは巨大な論争の場となりうる。

触覚においては「未知なるものとの接触」を避けるため都市を変容させる取り組みに著者は注目している。
女性の感覚を取り仕切っているのは触覚であり、人間の身体的具現化の意義においても接触という一種の互報関係の間を移動している。
また触覚はモノと取り持つ関係の中心をなしてもいるのである。

結び
認識論や科学的方法の基盤としての視覚的観察など途方も無く大きな力が視覚によって行使されてきた。
BUT視覚は単純に独自の道は歩んでおらず、20世紀には批判がみられるととも新たな視覚的パラダイムが発達

モノと環境は欲望と嫌悪感双方の複合的な源泉として構成され、強力なハイブリッドの形態が発達しており、その他の感覚を回避したり、促進する多様な通路に沿って
様々な物体のフローを調整し、誘導する

種々の感覚とそれに関連する諸々の移動は様々な時間的リズムを刻む。
次章では視覚が新しい時間(瞬間的時間の発達)と大きく絡まりあってきている点について論じる

論点・疑問点
◎ 女性的な感覚と男性的な感覚との違いはあるのか?
◎ 直接的な感覚( 嗅覚、味覚など)にバーチャルなものは存在しないのか?
(合成甘味料や香料は実際に体験しながらも、そのものを体験していないのではないか)
◎写真と風景画にはどこがどう異なるか?(三次元のものを二次元におこす点では同じではないのだろうか)

2007-06-29 16:00 : 『社会を越える社会学』(07前期・院ゼミ) : コメント : 2 :
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ゼミでも話題になりましたが、写真は現在加工が極めてたやすくなってきました。したがって、「真に写す」という概念が揺らぎつつある。このあたりをどう捉えるのか、つまり写真と絵画の境界が曖昧になっているのではないかという、ゼミでの指摘でした。
上記の本は、結構有名な本で、皆さんにもお薦めする本です。
2007-07-03 16:25 : sawa URL : 編集
論点にあげていた「写真と風景画にはどこがどう異なるか?(三次元のものを二次元におこす点では同じではないのだろうか)」について、関心があったものの議論があまりできなかったので、ここでも議論とかそういうの出来たらいいかなあと思って書き込んでみました。

最近ちょうど佐藤郁哉の本を読んでいるのですが、そこに著者が書いていることには
「写真はしばしばあまりにも饒舌であり、視覚のレトリックとトリックを巧みに使って私たちを欺くことがある」(『フィールドワーク 書を持って街へ出よう』p.210)
「カメラは私たちの視覚に課せられた時間と空間の制約の幅を飛躍的に拡張し……私たちの無意識的な視覚の世界を明らかにしてくれる」(同書p.211)とありました。
カメラ(写真)は、一般的にはその時その場所を「真に写す」というものというイメージがあるが、では我々の視覚や感覚そのものを表わし、伝えるものなのかどうか。
ならば写真は同じ地点、時間なら誰が撮っても同じ様なものになるのではないか?でも一方で、それも実はそう思わされているだけであって、撮るさいあるいは写真の題名にも、多分に主観が入りうるのではないか。
風景画には、写真と違って瞬時にその場面を保存したり忠実ではないが、一方でよりリアリティを伝えるなど写真の制約を補完し得るものでもあると思います。
「三次元のものを二次元におこす点では同じ」だが、どちらも立体を平面に表わすのには限界があるのと、写真は風景画と比べて「一見」受け入れられやすいものということがあげられると思いました。

と、あまりまとまりのない文章でしかも佐藤郁哉の受け売りみたいな感じになってなくもないですが(^_^;)
2007-06-30 00:30 : yoshy URL : 編集
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