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『都市空間の地理学』第6章

第6章 デイヴィッド・レイとウィリアム・バンギ-地理学的探検-

1.都市への探検
・「南方大陸」のイメージ→クックの探検(1768,1772)によって「南方大陸」の幻想は消滅
・1960's、レイとバンギの「探検」→黒人たちの異議申し立てへの応答
・「探検」が持つ権力性について意識しながら検討してみる。

2.デイヴィッド・レイ--モンロー・コミュニティへの探検
--1971年、デイヴィッド・レイはノース・フィラデルフィアにある黒人居住区、モンロー・コミュニティに6ヶ月の間住み込み、その後30ヶ月にわたる短期調査を行う。参与観察から得られた知見を『フロンティアの前哨地としての黒人インナーシティ--フィラデルフィア近隣社会のイメージと行動』として1974年に出版。→黒人コミュニティへの参与観察をクックの探検になぞらえる。

1960'sの抗議行動や暴動が頻発する都市状況に対して、不安を抱く白人社会。
→黒人コミュニティへの「偽りのイメージ」を覆すための方法
  →可視・不可視の場所の意味を解釈できるかどうか ex.)グラフィティの意味→ギャングの縄張りや抗争

●レイはインナーシティの黒人住民を取り巻く犯罪、麻薬、少年ギャングの抗争を巧みに地図化することで、白人主流社会から見た黒人社会のイメージが「幻」に過ぎないことを明示した。

シカゴ学派との関係:シンボリック相互作用論を問題視(シンボルを共有するコミュニティの存在を無条件に前提としてしまう危険性など)
→レイは、住人同士の連帯が妨げられている状況を見ていたため、コミュニティの困難を認識していた

●レイは、日常生活の側から都市空間を捉える可能性を開拓。

3.ウィリアム・バンギ--フィッツジェラルドへの探検
レイの評:「『フィッツジェラルド』は方法論的革命を促進する。行動的でミクロ地域的な焦点へと向かう移行であり、社会的・空間的な過程へと介入することを唱導する意向--参与観察者が伝統的に避けてきた関与--でもある」

バンギの著書『理論地理学』と対極にあるような『フィッツジェラルド』
→1960'sにバンギが行った、社会運動のあらゆる現場への「探検」;場所の固有性を示す膨大な視覚的資料
→バンギの問題意識は変化:「本に埋もれていては見ることが出来なかった世界」への開眼
「目にみえない景観」→土地に属さない小作人の地図の作成は困難/人間の景観は地図のレイヤー(層)
※レイヤーの最下層に、「無名のアメリカ人」としてのネイティブ・アメリカンの存在

バンギはルフェーブル『空間の生産』再読を通じ、空間編成の法則探求と場所の固有性の記述を結びつける議論を展開。
①経済発展の空間が作られる過程は、人々が生きる「社会的な領域」を作り出す過程でもある。
②さらに、作られた場所の意図通りに、人々は行為したり生活したりしない。(資本主義の論理からの逸脱)
「場所において経験が生きられ、遂行されるその仕方が、より広い空間的スケールに作用する政治的経済的実践とどのように関係し、またそのなかに埋め込まれているのか」(Merrifield,1993)を明らかにすることが重要。

4.「探検する側」の視点,「探検される側」の視点
フェミニスト地理学者たちの提起:女性である自分自身のフィールドワークの際、調査対象の女性より自分たちの権力性が大きい。さらに、論文や著作の中では、探検者の存在は消し去られてしまう。探検の成果は研究者の手にあり、調査対象であった人々の生活は何も変わらない。
→「見る側」と「見られる側」の決して平等ではない関係性
ハラウェイ「状況に置かれた知(situated knowledges)」:人々を抑圧せず、むしろ解放の力となる学問のあり方のために、「人々が地理学者のかけらを手にする」ことは可能?→「デトロイト地理学探検協会」の活動 
●バンギは、地図を権力に異議申し立てする側の言語へと変える可能性を示した。

5.対話としての探検
●レイとバンギの探検は、都市を批判的に想像する回路を切り開いた。
「探検者の知は状況から汲み取られ、また状況に返されるべきものであるという教訓。それが実践できれば、「発見」ではなく、さらなる対話の契機になる。そしてそのような対話こそが、新しい知を生み出す源泉になり、したがって私たちが世界を眺める新しい方法を学ぶ源泉になる」

■論点■
・「探検者が汲み取った知は、状況に返されるべき」という教訓の持つ幻想と困難
 昨今、大学と地域社会の協力関係を目指す動きが進みつつある。これは、大学の生き残りをかけた実践であり、「デトロイト地理学探検協会」のように「専門知」と「生きられた経験」「資本」「フィールド」の接合を目指したものである(知の還流というよりも、もっぱら「産官学民それぞれの利益の増大」を重視しているように思えるけれど・・・)。一方で、本章の筆者である原口剛のように、大阪・あいりん地区に住み込みながら野宿者やどや街の調査を行い、同時に現在も野宿者支援の活動を続けている研究者の実践もある。本章末尾で原口は、「新たな知の源泉となるから(調査対象との)対話を求める」と述べている。これは、調査者と調査対象者の間において知を媒介としたギブアンドテイクの関係を取り結ぶことで「フィールドに対する責任」を果たしつつ、新たな知を得るという一挙両得の方法である。しかし、そのことによってフェミニスト地理学者たちが指摘した「調査者と調査対象者の非対称な権力関係」がすべて解消されるわけではない。「デトロイト地理学探検協会」は結果として、権力に対抗する知としての地図を住民と共に生産した。それは、非対称な関係を是正するための知的還流が有効に作用した数少ないケースである。研究者が「フィールドに対する責任」を果たす方法は、「状況に置かれた知を、状況に返す」以外にないのだろうか。また「責任」を果たすようなフィールドを扱わない研究者の「責任」とは、いったい何であろうか。。。

・「状況に置かれた知」とは・・・


《後記》
ゼミでは、対話の可能性について先生より指摘があった。一つは、被調査者の声を文字として残し伝えるという研究者の役割である。もう一つは専門知としての地理学が持っている多層的なスケールからの目線を住民と共有することが考えられるという。いずれにせよ、対症療法ではなく、新たな知の獲得を目指すことが研究者の責任であり仕事であるということを強く認識する必要があるということが話された。しかし、いずれの状況であっても明確な答えがあるわけではなく、各自が問い続ける必要があるように感じた。

2007-11-16 16:29 : 『都市空間の地理学』(07後期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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