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『都市空間の地理学』第7章

第7章 トルステン・ヘーゲルストランド--時間地理学

1 都市のフレキシブル化と生活の質
「時間どろぼう」‐人びとを経済的にはどんどん豊かにしていくけれども人びとの時間を奪っていく。
 近代的な時間の導入、近代的生産様式の普及→人びとの毎日の仕事は、労働時間管理によって行われるようになった。
 「フレキシブル」な生産形態→単位時間当たりにより多種・多数の活動が詰め込まれるようになった→経済的に豊かになったのに、生活全体が「豊かに」なったという自覚のないまま、多忙な日常を過ごす人びとが増加している
 個人収入の増加や社会経済の成長≠「生活の質quality of life」の向上

 時間地理学の目的‐人びとの生活する時間・空間が物理的・社会的にどのようにして編成されているものであるかを明らかにし、その改善を行うこと

2 ヘーゲルストランドによる基本概念の提唱
 時間地理学は初めて提唱されたのは1969年にコペンハーゲンで開催された地域科学会で行われた会長講演であった。
 人間=お金、物?
 ヘーゲルストランド‐人間が時間の流れのなかで特定され、個人の生活は本人の意図のもとにあるものとして扱われ、集計された行動の像がそうした事実を失わないような研究の方法が必要である

 時空間パス(図7-1,P101)
 パス(path,経路):daily path, weekly path, life path
 パスの概念によって、人間の行動を個人単位で記述することが可能となるが、このように記述される人間の行動は、「制約」という見方から分析・解釈される。
 
時間地理学では、その制約を3つの制約に分類している。
1.能力の制約→ex.睡眠、食事,交通手段の違いによるプリズム(prism)の変化
2.結合の制約→ex.バンドル(bundle)
3.権威の制約→ex.法律、習慣   ドメイン(domain)‐時空間的な範域
 以上の3つの制約同士が、時空間上で組み合わされつつ、日常生活の枠組みが形成される。

3 地域計画のツール?景観研究?社会構造?
 時間地理学は3つの方向への分派が著しくなっている。(P103)
1.初期の構想を継承し、プランニングのツールとしての応用を目指す研究
2.個人と個人を取り巻く自然的な要素、社会的な要素の相互性を明らかにする「景観」研究
3.主にスウェーデン国外の研究者によってなされた個人生活と社会の構造・制度との相互関係を明らかにすることに関心を持つ研究

4 社会科学的男性性に対する批判
 時間地理学に対し、様々な批判があるが、より根本的な批判は、1980年代以降盛んとなったフェミニスト地理学の側からなされている。
 例①身体の差異→パスとは、あくまで位置のみを示す明快に境界づけられ無色透明なものとしてコード化された男性主義的な身体である(ローズ)
  ②外的環境・公的空間への参加に関わるような活動のみが、大部分の時間地理学的な研究が対象としてきた活動であった

 公的空間=合理性の空間=男性的なるものであるという暗黙の前提によって時間地理学の空間・時間は定義づけられている。このような見方にもとづく時間地理学の空間は、観察者の男性中心主義的なポジショナリティを隠蔽しながら、普遍的・中立的な空間として表象される。→「社会科学的男性性」(ローズ)

5 コンピュータ技術・ITの進展と時空間
コンピュータ技術・ITは、一方で時間地理学の研究方法そのものにも大きな変革を与え、また他方で、時間・空間の制約を緩和するイノベーションという意味で研究対象として重要な意味を持っている。
1.GISとGPSの利用 
 「移動のアート」→従来のように時空間パスが何らかの行動の結果を記録するというだけでなく、記録し表現されるもののために行動が行われるという、これまでとは逆の作用をGPSはもたらしているのである。
2.拡張性(extensibility)
 拡張性とは、人間が移動やコミュニケーションによって距離摩擦を乗り越える能力であり、様々な交通手段や電話やインターネットなどの通信手段の発達によって、人間は様々な場所と関係を取り結び生活することが可能となったことを指す。

 人間は、拡張性によって、つねに時空間内で変化し、無限の広がりを持ちうる⇔人間の核には、生体としてつねに有限性をもった身体がある
人間の拡張性によって、身体の制約を乗り越えることも可能となる。

課題:
a. ITによる拡張性が、生活全体にどのように作用するのか?
b.時間地理学の視点にある男性性をいかにして克服していくのか?

6 生活の質は計量可能か
 生活の質は本当に時間量という計量可能な単位に還元されうるものか、個々人の経験はパスに還元可能であるのか?
 時間地理学はもちろん、生活の質に対する社会科学的な見方そのものが持つ限界をどのように超えていけばよいのか?

問題点または論点
 今日の世界では時計とかを使って簡単に時間をはかることができる。しかし、好きな人と一緒にいるときは一時間がほんの一瞬だと思えるかもしれないが、悲しいときは永遠の長さに感じられるだろう。つまり、同じ一時間であっても、われわれにとっての意味がぜんぜん違うということである。それでは、時間をはかるのはいったいどんな意味を持つのか。
 人間は長くてもせいぜい百年ちょっとしか生きることが出来ない。この限られた時間のなかにいかに生活の質(QOL)を高めるかに関心を寄せるべきであろう。QOLをはかる基準は何か。どんな生活は質の高い生活だと言えるのか。経済的に豊かな生活?精神的に豊かな生活?自己実現ができた生活?…その答えはおそらく人それぞれだろう。
 限られる時間で個人能力を最大限に発揮し、やりたいことをやり遂げ、周りの人ないし社会全体に貢献できる生活は質の高い生活だと言えるのではないかと私には思う。(一種の完璧主義になりがちであるかもしれないが)ここで、地理的障壁をなくすことが求められるだろう。簡単に言うと、それは最小限の時間に最大の情報を入手することであり、最大の距離を移動することでも意味している。ただ、その目的を問う必要がある。
 時間地理学に対し、フェミニスト側から「社会学的男性性」という批判がある。人びとを同質な個人としてデータや図式に反映するとき、どうしても男女の異質性が無視されがちである。もちろん、男女の違いのほか、人種や民族等の違いも同様である。われわれが求められるのはそのような違いを認めるかどうかではない。われわれが求められるのはおそらく違いを認める上で何をすべきかであろう。その答えを見出すのはきわめて難しいことである。人間社会を挙げて対処しないと答えを見出せないかもしれない。
 個人レベルで高い生活の質を求めることがさほど難しくないかもしれない。しかし、社会レベルになると、そう簡単にはいかない。それぞれの利益がコンフリクトしあって、二者択一の窮地に強いられることがただある。つまり、個人と個人の利益、個人と全体の利益にはジレンマが存在することである。
 以上のことに対し、確かな答えがないかもしれないが、その答えを見出すのは各研究分野の課題であろう。

2007-11-30 18:25 : 『都市空間の地理学』(07後期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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