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修士論文・2008年1月提出

澤ゼミ生による修士論文・2008年1月提出

都市空間における場所の記憶の再生産
―阪神淡路大震災のモニュメントに着目して


要旨

1995(平成7)年1月17日午前5時46分に発生した阪神・淡路大震災は、一瞬にして街を壊滅させ、6434名の命を奪い、被災者に多くの怒り・悲しみをもたらした。震災から13年が経過した現在、時間の経過とともに震災の記憶は過去に起こったものとして押し流され、マスメディアに話題として取り上げられることも少なくなった。そして被災地では、震災を直接経験していない世代・住民が増えている。被災地は外観上ほぼ復興を遂げ、人口は震災前の水準まで戻った。しかし震災が起きたことが嘘のように整然と整備された街には、今なお心の傷を抱えている人々や苦しい生活を強いられている人々が、苦汁の日々を過ごしていることを忘れてはならない。こうした背景から、震災の記憶が風化されていってしまうことに、被災地内部から危機感を唱える声も多く聞かれる。一方で、近年では日本各地で防災対策や災害教育が行なわれるようになり、震災の「教訓」として自治体や防災センターなどが発信している「防災」の意識が、全国に広がっている。教育現場においても、副読本のなかに阪神・淡路大震災を取り入れたり、上級生が下級生に震災を語り継ぐ場を設けるなどの取り組みがなされている。震災の語り部となった人は、自らの被災経験や当時の状況を大衆に語ることで、「防災」「教訓」に回収され得ない多様な記憶を後世に伝える活動を行なっている。そして神戸ルミナリエや震災モニュメント交流ウォークといった、震災に端を発した行事も登場するなど、記憶がさまざまな場所・かたちで伝えられ、再生産されていく。

神戸や阪神地域を語る上で、震災の記憶は「防災」の文脈として語られることが多い。報道番組や雑誌などでは、しばしば「50年以内に、阪神・淡路大震災より大きな地震が起こる。」「東京が数年以内に起こる大地震によって壊滅してしまう。」などという言説とともに、倒れた高速道路や全焼した商店街を空撮した映像を放映し、阪神・淡路大震災当時の悲惨な様子が映し出される。そうした映像によって多くの人たちは、描き出された「悲惨な被災地」のイメージによっていっそう不安を煽られ、阪神・淡路大震災の記憶を「反省」や「教訓」として伝えていかねばならないという感情が沸く。こうしたイメージは時に「阪神・淡路大震災の反省を生かした」ことをアピールし、震災を商品化した「防災グッズ」や「耐震マンション」などの宣伝としても利用されるなど、震災の記憶は被災地外部においてもこのようにして様々なかたちで再生産されている。

神戸市をはじめ被災地域においても震災復興事業が進められ、住宅供給がなされたものの、そこには決して良いとはいえない住宅環境であったことや、減歩問題をはじめ多くの土地に関わるローカルなポリティクスがはたらいていた。こうした問題は地域の潜在的な社会構造を再生産することとなる。特に神戸では、震災後も市はマスタープランをほとんど修正せず、神戸空港の建設などが進められたことに対して、「見た目だけの復興や開発にお金を掛けるよりも、被災者支援を重視すべきではないのか」といった住民たちの行政への批判の声が相次いだ。港湾、高速道路など都市インフラなどが再建される一方で、住宅や小規模店舗など生活支援が遅れたため復興の「影」として二重ローン苦や孤独死、高い失業率などの立ち遅れが著しく、二極化した復興の現状があらわになった。

阪神・淡路大震災の被害によって、被災地では犠牲者の記憶や地域コミュニティの記憶、生活難の記憶など多様な記憶が生まれた。その後時間の経過とともに、震災の記憶を伝える媒介(メディア)が登場した。媒体は個人レベルの記憶を後世に伝えるものから、被災地を越えて大衆レベルの記憶として各地へ伝えるものまで存在する。両者とも「命の大切さを伝える」ことや「大きな被害・悲しみが二度と起こり得ないために伝える」という目的は共通しているが、その目的のための方法・手段は主体によってそれぞれ異なる。そのため震災の記憶もまた、主体によって「防災」や「教訓」として回収されるものと、「治癒」・「鎮魂」の意味を持つがひとつの物語には回収されないものに分類して考え得るものだといえる。個人レベルの記憶を伝える媒体には、語り部や震災モニュメント、交流ウォーク、追悼式典などが挙げられ、いずれも遺族や被災者、自治会、NPOが主体となって主催されている。こうした媒体が伝える記憶は、家族や学校、町内で亡くなった人の記憶であったり、町内の結束あるいは被害の記憶であったり、被災前の景観であったりと、多様かつ固有なものである。震災モニュメントをめぐって、交流ウォークや伝承活動は被災地を超えて広がっており、それが震災の枠をこえてさまざまな苦しみを抱えた人たちの心の癒しになっている。個人的記憶のなかには、時間の経過とともに主体が不在となることによって消滅するものもある。

大衆レベルの記憶を伝える媒体には、主に5章で述べたような「人と未来防災センター」などの記念館・資料館やルミナリエといった震災を商品化・観光地化したものが挙げられ、行政やマスメディアなどが主体となっている。震災の記憶を個人や地域を超えたよりマクロなスケールで捉え、震災当時充分に機能することができなかった行政諸機関や対応の拙さの反省、あるいは今後の地震研究や耐震など防災対策の文脈で語られることが多い。震災の記憶はこうした大衆レベルの媒体を通ることによって「防災」や「教訓」として回収され、他の地域で起こった災害においてもそうした記憶が想起されることとなる。ここでは個人の死や自治会レベルでの記憶は語られない。記憶とは、歴史との相互作用でありながら、絶えず現在を再定義し、未来へ投影する進行形のものである。つまり記憶するということは集積ではなく生成し続けるダイナミックなものであるといえる。記憶をかたちにすることによって、記憶はメディアに込められ、「造られるもの」、「表現されるもの」、「移動するもの」となって再生産されていく。震災にまつわるさまざまな記念行事・イベントが開催され、震災の記憶が絶えず再定義・再生産され、そして設置背景には人と人とのつながりや記憶・表象の選択がある。「防災」と「教訓」の観点から震災を伝えようとする「人と未来防災センター」など、公が主体となって展開する活動と、一方モニュメント交流ウォークや語り部活動などを通して犠牲者の記憶を「個としての死」から「みんなの死」ととらえ、NPO団体が中心となって癒しの場を提供する活動の存在。そしてそれらは、それらは同じ都市空間において、震災を伝える「共通の記憶」の場所で、力を補いあいながら展開しているのである。

震災の記憶が「未来への展望」としての「防災」を想起させることで、他の被災地に潜む社会的不平等の記憶が忘却させられてしまっている。そうした記憶の存在を普段認識することのない社会環境が存在する限りは、今後災害が日本のどこかで起こり得た場合、支配的な社会システムの縁辺部において、社会的に排除されたまま自らを代表する集合的主体すら形成することができない多くの人々が災害の記憶からも排除され、社会的不平等が再生産されることになってしまうのだ。その際、被災地内部、そして日本社会に潜在的に内在している社会的不平等、それを容認している現代社会構造をも想起されなければならないのである。震災のある記憶が、地震の被害と住宅難の「教訓」として回収され、「震災の体験と教訓を生かした『安全・安心』と『共生』の文化」が前面に押し出され推進されることによって、どういった人々の震災の経験が記憶から排除されているのかという問題にも、注目していく必要がある。震災から13年が過ぎ、震災を知らない世代が増え続けると同時に、震災関連の報道番組なども追悼行事の縮小を反映し、2005年をピークに約3割に減少したという。そのような現状のなかで、はたして震災の記憶は今後どのようなかたちで語り継がれ、都市空間においてどのような文脈のなかで想起されるのだろうか。メディアの多様化に相まって、記憶の伝え方にもある種のオリジナリティと多様性が問われる現在、震災の風化を防ぐための仕掛けづくりと工夫がなされているが、それを「防災」だけではなく、震災モニュメントに刻まれているような当時の現状や地域の背景、その場所にあった命の記憶として、伝えていく必要がある。そして今なお震災によって“大きな荷物”を背負って生きている人たちが多く存在していること、そしてそうした人たちが、震災や被災者といった枠組みを超えて、新しい出会いの場を築いているということも、伝えていかなければならない。肉親や大切な人を奪われた悲しみは、どんなに表現しようとしても表現しきれないものである。街や生活は、そのかたちを変えたとしても、再建することが可能だ。しかし失われた命は取り戻されることはない。取り戻されることがないゆえに、その人の生きた証を遺し、霊を慰め、「語り継ぐ」ことで癒しのプロセスを得ようとする。遺族にとって震災は、過去の事ではなく、常に「つい先日」の出来事であり、「その時」なのである。時間と街の変容によって記憶が風化されるのではなく、メディアが記憶を風化させる力を、そして同じくらいに記憶を伝える力を持ち合わせている。メディアへの関心の有無が、今後の震災の記憶の行く末を左右する。
2008-02-05 11:14 : 大学院ゼミ情報 : コメント : 0 :
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