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『空間の生産』、1回目 《概説》

※大学院ゼミの1回目の前半は、昨年度後期に読んだ『都市空間の地理学』(大城直樹・加藤政洋編,ミネルヴァ書房,2006年)の「第12章 アンリ・ルフェーブル -空間論とその後-」に基づいた報告を行いました。

※後半は、『空間の生産』ルフェーブルによる「序文」と、レミ・エスによる「まえがき」についての報告を行い、ルフェーブルの空間理論の概要について議論しました。

1 空間論的転回
・・・都市、地域、場所、景観、地図という空間化された表象自体の歴史性、政治性、社会性を問うと同時に、人間の知覚、思考、行為を包摂した社会それ自体の空間性を捉え返す・・・・ルフェーブルの空間論が方向付けたもの

2 日常生活批判
『日常生活批判序説』:フランス南部の農村の祭りに関心を寄せたルフェーブル
→日常から離れない祭りのあり方。祭りによって日常が拡大され賛美される。
→ところが、近代の「時計時間」によって農村の日常生活の諸様式は破綻。闘争の場を労働の場から日常生活に移行させる。
構造主義批判:日常生活は、体系の内部で行為主体によって変革されうる弁証法的運動を内在化した動態的かつ不定型なもの。

3 都市論
・「都市(la ville)」と「都市的なるもの(l'urbain)」の二重性から都市を捉える
・遡及的-漸進的方法(転繹法):都市の変遷や履歴を辿り、過去を逆照射。
・都市が「外破-内破」され、農村/都市の対立ではなく、都市内部に構造的矛盾が移行
→意思決定の中心と消費の中心が結びつき、権力の集権化が堅固なものになる。
「都市への権利」:都市生活へ、刷新された中心へ、出会いや交換の場所へ、これらの時や場所の充分で十全的な使用を許すような生活のリズムや時間割へ・・・などの権利
→ミクロレベル、マクロレベルを切り離さずに識別する分析の必要性(P,M,G)
■都市とは、人々の活動や経験の媒介=メディアであると同時にその結果なのである。それは諸々の闘争、戦略と戦術が繰り広げられると同時に、人びとの身体感覚や世界像の社会形態が生成する地平である。

4 空間の生産
・空間は生産されると同時に、社会的諸関係が生産され再生産されるメディアでもある。
・そこに内在する戦略、利害関係、権力作用を読み解く必要がある。
・とりわけ、「社会学的想像力」と「地理学的想像力」、「空間的分業」、「社会-空間弁証法」によって批判的に読み解く。
【権力の目】に示された空間をめぐる諸力の作用
空間の表象-思考されるもの-:知と権力が結びつき空間化する。ex.)都市計画、建築、施設
表象の空間-生きられる経験-:状況の構築、祝祭、革命
空間的実践-知覚されるもの-:状況づけられた実践、構造の二重性、構造化する構造の契機、
→構造主義批判としての「権力の目」。抽象的空間が日常生活を一方的に規定し、支配するわけではない。
→ルフェーブルはこの三項による三重の弁証法的関係を重視→ソジャの「三元弁証法」

5 国家論
ルフェーブルは国家と国民の結びつきの歴史、政治的関係、ナショナルアイデンティティに言及。
→資本主義は、帝国主義の領土争いと市場の空間への「暴力」介入する国家権力との結合によって推進。
国家による蓄積体制と調整様式→「国家管理の生産様式」
■「脱領土化」された抽象など存在しない。
→都市は「諸種のフロー」の調整地として重要な位置を占め続ける。
ニール・スミス/ブレンナー:「スケールの生産」の観点からルフェーブルを読み直し、多元的なスケールが構造化され、都市や国家が再構築される過程(ガヴァナンス)に着目。
※社会的構築物としての「スケール」/スケールをめぐるせめぎあい/スケール設定の背後にある政治性やイデオロギー
「世界化」:「世界的なもの(le mondial)」と「総体的なもの(le gloval)」という二つの側面
→地理的範疇と全体性。後者の意味を含ませることで「自主管理(autogestion)」「都市への権利」や「差異への権利」の獲得を、国家的、超国家的なスケールをも含み込んだ重層性の中で捉え返す。
→「自主管理」による「空間化された弁証法」を通して資本主義国家の論理を抑制!

6 リズム分析
「リズム分析」:人間相互の日常的関係と国家構造の歴史的な変容との相互作用を検討し、身体を取り巻く時空間の重層性の分析を構想。マルクスとニーチェを架橋した論拠。
身体のリズム:生理的なリズム、社会的なリズム、操作されたリズム。季節の周期(自然)と結びつくだけでなく、住居や建物、都市、風景など(第二の自然)の周期が共鳴する。「都市は一つの音楽のように聴かれる」
「街路における経験を身体、メディア、技術、資本など諸種のリズムの重奏から捉えた「街路の地理学」を導き出すことはもちろん、再開発にともなう直線的な時間の循環には回収されない都市の記憶や精神的地層をも掘り起こすことが可能」

7 図式化を超えて
空間-社会のハイフンの関係を考察する参照点としてのルフェーブルの空間論
「ただし、ルフェーブルの言う3つの契機をいたずらに図式化して分類の道具とすることは、新たな抽象的空間の構築につながりかねない。それゆえ都市空間の重層性という言葉自体による還元ではなく、その具体的な断層や亀裂を多様な位置から動態的に拓いていくことが求められるだろう。」
・空間としての身体の加工(タトゥーやファッション?)、下位文化やストリート文化の研究にも光を当てることが可能。

※参考:世界的なもの(le mondial)は、「世界的なショー/大会」などの使い方をするそうで、英語のinternationalとは違う言葉だとのこと。(シモン氏より)

■論点
1.本章末尾「情報技術が組み込まれた都市と身体の関係性を多次元的なスケールの入れ子状態の中で捉え返す」とは、具体的にどのようなテーマが考えられるのか。(情報技術を駆使した監視社会や消費行動のあり方、それらを通じた都市に対する意識の変化・・・など?)
2.「図式化して分類の道具とすることが新たな抽象空間の構築につながる」ことを避け、「具体的な断層や亀裂を多様な位置から動態的に拓く」とはどういうことか。(観察した状況を図式に押し込めないという意味なら分かるが、何をどのように「拓く」のか?)
3.ルフェーブル-グレゴリーが提起した「権力の目」に対して、「権力構造を単純化しすぎている」「ローカルな権力構造の差異を無視している」といった批判がある(ex.大城・荒山『空間から場所へ』)。p.199では「ギデンズの観点に接続する」と示唆されているが、ギデンズは権力ではなく主体間のパワーの相互作用から構造の変革を捉えている。ならば、ギデンズの視点から権力の目の図式を捉え直すと、どんなことが言えるだろうか?
4.「時計時間」と「伝統的時間」をふまえたリズム分析は興味深いと感じたが、具体的にはどのような「リズム」を対象化し、どのような手法によって何を分析していくことができるのだろうか。




『空間の生産』
(アンリ・ルフェーブル、1974年 /日本語版:斉藤日出治 訳/青木書店、2000年)
第3版序文(p3-15)

伝統的な空間概念:「空間は空虚な環境であり、内容とは無関係な容器」(p3-4)

「複数の空間」が受け入れられた場合でも、諸種の表象の、特に日常的なものの周辺に、うまく吸収しえない相対性の概念がうちたてられた、にすぎない。

だがしかし

 「暗黙の、それとは気づかぬ、あいまいな(わけのわからぬ)矛盾とともに、現在の社会と生産様式における実践は、諸種の断片的な表象や知識とは別の意味を帯びるようになる」(p4)

空間の計画策定の現状:新自由主義(資本を利用するための国家管理/金融手段による計画策定)による混乱

 「空間の理論と空間の実践との間に注目すべき矛盾が生じている。・・・この矛盾は空間に関する議論を紛糾させる諸種のイデオロギーによって覆われている。・・・これらのイデオロギーは、宇宙的なものから人間的なものへと、マクロ的なものからミクロ的なものへと、そして機能から構造へと、構成概念や方法論への配慮もなしに飛躍する。はなはだしい混乱に満ちた空間領域のイデオロギーが、合理的な知と、効果的ではあるが専制的な計画策定と、陳腐でありきたりの表象と激突する」(p5)

 「利益を極大化する以外の戦略もなければ、合理性も独自な創造力もなしに、・・・大がかりで「野蛮な」都市計画と建設がおこなわれ、だれもがわかるような有害をひき起こした。・・・それが「近代世界」というみせかけの下でおこなわれたのである!」(p6)

この混乱を脱するために
社会空間を生産物(しかし、「総合性」という性格を備えている)として考察:

「空間を、もはや受動的なものとして、からっぽものとして考えることはできない。空間は「生産物」と同様に、交換され、消費され、消費する以外の意味をもたない。空間は生産物として、相互作用や反作用を通して、生産それ自身に介入する。・・・空間は生産物-生産者であり、経済的な諸関係と社会的な諸関係の担い手である。空間はまた、再生産に、生産装置の再生産に、拡大再生産に、そして空間が実際に「現場で」実現する諸関係の再生産に、ふくまれないであろうか」(p7)

「空間がたちあらわれ、かたちづくられて、それがあるときはもろもろの「レベル」(引用者注:「土台-構造-上部構造」と分類されるもの)の一方に介入し、あるときには他方に介入する・・・その介入は不均等な形ではあるが、至るところでおこなわれる。空間の生産は・・・実践の諸側面と結びついて、それらを調整する。つまりまさしく「実践」を通して実践の諸側面を結び合わせるであろう」(p8)

※「社会空間は生産様式が及ぼす効果であると同時に、生産様式の原因であり理由である・・・生産様式とともに変化する!」(p9)

※「生産様式は社会諸関係を現場で設計する。それがまた、社会諸関係に反作用する。だが、社会諸関係と空間の諸関係(あるいは空間-時間の諸関係)の間には、あらかじめ定められた正確な照応関係が存在するわけではない。資本主義の生産様式がその当初から示唆をあたえたり聡明な判断を下すことによってあらかじめ空間を拡張するように「命じた」ということもできない。なんとこの空間的拡張は今日では地球全体にまで及んだのである!」(p12-13)

空間には歴史が存在する:

「空間の概念は、心的なものと文化的なものとを、社会的なものと歴史的なものとを結びつける。それは、この概念が発見・・・し、生産・・・し、創造・・・する複合的過程を再構成するからである。」(p9)

「空間のあらゆる装置は、知性を通して諸要因を並列させ、物質的に組み合わせて、それらの同時性を生産することに依拠している」(p9)

例:「遠近法という新しい空間の生産は、経済の変容・・・と切り離せない。」(p9)

 「「近代世界」の空間は、均質性-断片化-序列化というはっきりとした性格をもっている。・・・均質性といっても、それは計画の均質性ではなく、構造の均質性である。ひとびとは「集合」しているが、それは虚偽であり、事実上は隔離されている。というのも逆説的なことにこの均質空間は・・・断片化されているからである。・・・この空間は厳格な序列化をともなっている。・・・序列化はこの空間の奇妙な論理を支配する。この序列化の論理は幻想的に情報化に結びつけられる。そのために、「現実の」諸関係と諸種の紛争が均質性の下で包み隠される。そのうえ、(均質性-断片化-序列化の)論理を備えた空間のこの法則と図式は・・・ある種の一般性に達しているように思われる。それは知と文化においても、社会全体の機能様式においても、同じような作用をともなっている」(p10-11)・・・M・フーコーの影響?

例:バウハウスとコルビュジェは「近代世界という口実の下に生産様式の概念をないがしろにした」(p10)

 「二〇世紀に世界的な規模で築き上げられたのは、新しい空間である。この新しい空間の生産はとどまるところを知らずに続いている。新しい生産様式(新しい社会)が、それに先立ってかたちづくられた既存の空間をわがものとする。つまりみずからの目的のために既存の空間を整備する。ゆっくりとした変容が進んで、すでにうち固められた空間領域を侵食する。だがときには、不意の激しい変化を生ずることもある(二〇世紀の農村の風景の場合がそれである)」(p13)

ルフェーブルの著作意図

「本書がこころみようとしたのは・・・生産された空間を通して、また生産された空間によって、今日の社会の起源を再発見すること」(p11)

「本書のデッサンを要約してみよう。・・・その方法とは、社会空間を歴史と起源において「回顧的に」研究する方法であり、現在から出発してその起源へとさかのぼり、ついで現実的なものへとたちもどる方法である」(p11)・・・可能性と将来性をかいま見ることはできる

「この研究はそれぞれの次元における個別研究を自由に認め、それらの個別研究を一般的分析や一般的理論に組み入れる」(p11)・・・論理的な意味連関と絡み合いはそれ自体として理解されるが、紛争、闘争、矛盾を排除するものではないし、合意、協調、調和を排除することもない

「社会空間に関する探求は、総合性に焦点をあてる。・・・この総合性の探求は具体的で特定化された「現場における」探求を排除しない」(p12)・・・「長期的展望を欠く」危険性がある。たがいに絡み合っているものを切り離し、「たがいに結びついている」ものを分離する、そして、断片化を承認する危険性がある。

これからの課題

「断片化された空間と多面的ネットワーク(引用者注:「断片化に抗して合理的でないにせよすくなくとも均質性を再建する」(p14))との関係を説き明かさなければならない・・・この関係こそ、序列化を通して、また序列化に抗して、現存の生産様式から生じてくる「あるもの」を、あちこちで、見抜くことができるのではなかろうか。この「あるもの」は、現存の生産様式の諸矛盾をヴェールで覆い隠すのではなく、それらを暴き出すことによってその諸矛盾を生み出すのである」(p14)

疑問・論点:
① 「だが調和のとれた国民的空間を生産するということは、「無統制な」都市化の中にわずかばかりの配置をおこなうことであり、それは利潤の追求にしたがうことにほかならない」(p4)の文意がよくわかりませんでした・・・
② ルフェーブルは、新自由主義に対して、どのような見解をもっているのだろうか?(おそらくは、かなり否定的?)

第4版 まえがき(p16-30/レミ・エスによる)

アンリ・ルフェーブルとは?
・20世紀のフランスの著者の中で翻訳がもっとも多い著者の一人。
・その知的生涯は、第一次世界大戦期に始まり、ベルリンの壁が崩壊した後の1991年をもって終わる。
哲学・社会学・歴史学・経済学・政治科学・科学・言語学・論理学・情報理論に精通。
ルフェーブルの都市・都市領域・空間に関する探究
・1950年代には農村社会学者であった → 1970年には都市領域の専門家になった
・都市・空間・都市領域のテーマは世界的な影響力をもつに至った


農村の衰退を観察する中から根づいたもので、そこから・・・

第一段階:『都市への権利』(1968年)・・・都市がいたるところで衰退しつつある

「都市と都市領域は使用価値に属するはずのものであるが、工業化によって商品経済が一般化するとともに使用価値の様式にもとづいた生きられる都市が打ち砕かれる。交換価値は住まうことにおける社会的な暮らしの衰退を正当化する」(p21)

「都市領域は、政治的戦略と密接に結びついた認識の戦略をひきおこす。ルフェーブルはこのような知の戦略を思考しうる潜在性・可能性・地平を評価しようとする。・・・われわれが本書に見出すのは、祭りや遊びに関する諸理念である」(p21-22)

第二段階:雑誌『空間と社会』第一号の巻頭論文「空間と政治に関する考察」(1970年)

・・・空間は政治的であり、戦略的である

「空間はそれ自身で独立に考えられている。空間は政治的なものの外にある。それこそまさにイデオロギーである。だがなにものも、諸種の欲求がこの記号論理の中に組みこまれるのを保証してはくれない」(p23)

「空間は外見とは反対に均質なものではない。空間の生産は、いかなる商品であれ商品の生産にたとえることができる。だが商品の生産と空間の生産との間には弁証法が存在する」(p23)

「理論と経験をたえずつきあわせ都市社会の実践という総合的な実践に道を開くためには、認識の戦略が練り上げられなければならない。・・・認識の役割は、「不可能であるようにみえるものを可能にするようにして」現実的なもの、可能なもの、不可能なものを節合しうる弁証法の分析を手探りで具体化することである」(p24)

・・疎外の概念と日常生活批判?
具体的には:
『空間と政治』(1973年)・・・空間との関係から社会階級を分析
・フランスの不均衡発展・パリと周辺との矛盾
・支配階級のよる(労働者階級を分散させることを目的とした)空間の道具的利用

回顧的-前進的な方法の産物としての『空間の生産』

「ルフェーブルは現存するものの分析から出発する。現在の諸矛盾を理解するために、かれは過去にさかのぼる。現在の諸矛盾はいかなる時期に生じたのか。そしてかれは現在にたちもどる。ついで未来において実現しうる可能性について構想する。それゆえ未来予測が必要となる。都市と農村の危機に対して、ルフェーブルが提起したのは都市領域という概念であった。いまやかれは空間の概念を考える」(p27)

2008-04-25 13:46 : 『空間の生産』(08院ゼミ) : コメント : 0 :
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