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『空間の生産』Ⅰ(前半)

アンリ・ルフェーブル『空間の生産』(青木書店、2000年)

Ⅰ 作品のデッサン DESSEIN DE L'OUVRAGE(pp.35-67)



空間:厳密に地理学的な概念?空虚な場?ユークリッド的?等方的?無限的?科学に属す? →社会空間と言うと、奇妙な響きになる。

アリストテレス:空間と時間はカテゴリーに属す。→命名可能な対象となる。

デカルト:空間は神の領域?

カント:空間は相対的、認識の道具、意識の内部的・理念的な構造に結びつけられる。

空間をめぐる長い論争→空間の哲学から空間の科学への移行

→反省と鏡の客観的な効果の問題という、明白で具体的な諸問題を提起する。



数学者が空間と時間を支配する。

空間の「無限性」:非ユークリッド空間、湾曲空間、x次元の空間、布置空間、抽象空間・・・・

数学的なものと現実的なものの間には深い溝が。数学者はこの問題を哲学者に委ねられた。

数学の空間、つまり人間的空間の心的能力や論理から、まず自然へ、ついで実践へ、さらには社会生活の理論へいかに移行するのか?



空間の規定とは「心的な事物」あるいは「心的な場」→場の論理として提示された集合理論→「集合」が流布し、「論理」を伴ったが、それはデカルト哲学とは何の共通点もない。

何の限界もなき心的空間概念→あれこれの空間が果てしなく語られるだけで、社会的なものやものを相手にする人びとの空間へのつながりが不明。

科学的言説による、考える「わたし」と、考えられる客体の対比。

「集団的主体」=言語の主体としての人民は一掃された。

《コギト》(我思う)の再登場→現象学をはじめとして、 思考する《主体》と思考される《本質》との同一性を臆面もなく提示

言語学者チョムスキー←彼は心的空間を社会空間から隔てる巨大な溝を無視。

ほとんどの者が何のためらいもなく心的なものから社会的なものへと飛躍する。

心的空間が、不可避的な循環・円環によって、今度は社会的実践から切り離された「理論的実践」の場となり、この場が《知》の基軸としてうち固められる。

心的空間と技術官僚が執務室で黙々と執務する空間との間には特殊な親近性がある。

デカルトの《主観性》とヘーゲルの《概念》の結婚から引き継がれた《知》

心的空間と現実空間の同一性は、心的なもの、身体的なもの、社会的なものの間に溝をうがつ。



認識論的、哲学的な考察は空間の科学のための基盤は与えない。

空間のなかにあるものの目録、空間に関する言説と空間の認識とは違う。

記号学に限界を設ける必要がある。

→文学的テクストのコードを社会空間の解読手段としての利用は、社会空間をメッセージに、社会空間の利用を読解に還元してしまう?=歴史と実践を一掃すること。

→空間の裁断の断片化=「諸種の要因」を単純化する科学的技法。玄人筋が建築空間、造形空間、文学空間について再現なく語る。おびただしい数の空間にわれわれは直面する。

→これらはすべて「科学的規定」という口実の下に受け入れられたアプローチ

空間的実践とは社会的実践のあらゆる局面・要素・契機をたがいに切り離すことによってそれらを空間的分野へと投影する。しかし、社会全体は国家権力に従属したまま。

「空間の科学」とは①知の政治的な利用、②知の政治的な利用を隠すイデオロギー、③一種のコンピュータ・シミュレーションである。

→分析に基づく空間の真理が存在する一方で、真なる空間を築くことができるわけではないことに注意。

また知が権力の名において遂行する傾向の逆転を必要とする。



「資本主義」「影響力」とは何を意味する?貨幣の介入能力?

①諸資本が、互いに絡み合うさまざまな市場とともに資本主義を構成する。

②階級のヘゲモニーという側面。ヘゲモニー概念は、空間に関するブルジョアジーの行動を分析する際にも役立てることができる。

→空間の知と行動は現存の生産様式において能動的な側面をもっている。知や技術の利用したシステムの構築を通じ、空間の手段を通じてヘゲモニーを行使する。



「統一理論」・・・物理学の場、心的な場、社会的な場などを含む「場」の間の理論的な統一を発見すること。

住居、都市、領土の専門職がときに入り交じり、ときに断絶する。

エネルギーは空間において展開される。空間をだれが占拠し、いかに占拠するのか?

社会的実践は物理学のモデルに従って認識すると失敗する。

エネルギーは展開を持つことで実在性を持つ。エネルギー-空間-時間は、場(局地的な空間・時間)の無限の多様性の中で凝集する。

社会的エネルギーを物理的エネルギーに合致させる必要はない。こういった還元論は拒絶すべき。



物理空間、心的空間、社会空間を隔てる分離。とりわけ心的カテゴリーを扱う「観念的」空間を社会的実践の空間である「現実の」空間から隔ててる距離。

現実には、この二種類の空間のそれぞれがもう一方と絡み合い、それを支え、前提としているのである。

哲学者は、直観において把握されうるデカルト的空間の成立に貢献した。→ギリシャ哲学はギリシャ都市という「現実の」空間との密接な結びつきを保っていただけに、残念。

文学者に取り上げられ記述された空間は、優れた分析なのか?建築はどうか?

コミュニケーションや記号の集合といった概念(ポストモダン的概念?)は、空間の分析を専門領域の中に閉じこめてしまう危険性も。

空間の分析は、やはり哲学に。ヘーゲルが具体的普遍と名付けたものはいまなお意味を持つ。→「空間を生産する」という考え方。

→これらの概念および概念相互の諸関係について完全な説明をおこなう必要がある。→特殊性、一般性、個別性というさまざまな契機に分解すること。



社会空間を表す言葉(部屋、角、広場、センター、場・・・)は、社会空間の特殊な利用法、つまり空間的実践を示している。

→それらの言葉がいかなる範列、いかなる統字法によって組織されているのか?

ふたつの可能性:①未知のコードであり、我々は思惟を用いてこのコードを再建し説明する方法、②思考力によって素材(言葉それ自身)と物質的装置(言葉に加えられた操作)にもとづいて空間のコードを築き上げる方法

→いずれにしても、我々の思考力によって「空間のシステム」を構築することになる。

本書は、諸種の空間とそれらの空間が生成する様態とをひとつの理論にまとめ、空間そのものの現実的な生産を説き明かすこと。

問い:論理的・認識論的・発生論的に言って、言語活動は社会空間に先行するのか、社会空間を随伴するのか、あるいは社会空間につきしたがうのか。言語活動は社会空間の前提条件であるのか、それとも社会空間を定式化したものであるのか。

→すでに生産されている空間を解読し読み取ることはできる。空間には意味作用の過程がはらまれている。

「主体」 は、みずからの空間を手に入れると同時に、空間の中で行動しその空間をふくみこむ「主体」の質を手に入れる。

空間のコード:もし空間のコードが個々の空間的社会的実践を特徴づけたなら、コード化が空間とともに生産されたなら、いかにコード化が発生し、いかに作用し、いかに衰退するのかを理論によって説き明かさねばならない。

→コードの概念を弁証法化したい。コードは、「主体」とその空間との、「主体」とその環境との間の相互作用の中に位置する。

→コード形成とコード解読が生成し消滅する過程を明らかにする。



シュルレアリスム:内部空間の解読、見るという行為より視覚的なものを特権視、「聴きとる」という姿勢をめったにとらない。

ヘーゲルの追求:象徴を異常に発揚し、愛する対象に感情を、それゆえ主観を過剰に詰め込む。

→言語活動の力だけでは何も変化させなかった。

バタイユ:内的経験の空間と物理的自然の空間および社会空間の間の結びつきを追求。 悲劇に満ちた空間の全体の理解。

ジャック・ラフィット:機械学。技術官僚家のユートピア。受動的で静的な機械と建築ならびに植物界と、能動的で反省能力に富む動物界の類比。

→専門性の反省的な志向は、包み隠された潜在的な領域を避ける。思惟の空間と社会空間においてはすべてが正面きって「互いに向き合う関係」に還元されてしまうかのよう。

10

物理的、心的社会的な空間の統一理論の探求が放棄されてしまったのか?

ヘーゲル:空間が国家に奉仕されるものへと物神化され、その結果、哲学と実践的活動は時間の復権を求めた。

ニーチェ:力(エネルギー)と時間と空間の関係におけるやっかいな問題。循環的で反復的な生と死の時間・空間

→マルクス的で楽観的な歴史的規定とは何ら共通性を持たない。

20世紀後半に到来したもの:

①国家の強化により時間は打ち砕かれ、社会的・「文化的」な領域を平板にし、紛争と矛盾を廃絶する論理を強化し、抵抗するものは骨抜きにし粉砕し制圧する。

②権力の暴力に対し、秩序転覆の暴力が応答する。

③権力の決定的な均衡が達成され、労働者は最後の言葉を発しなかった。

ヘーゲル、マルクス、ニーチェの命題と仮説を互いに突き合わせる容易ではない作業。

11

空間に関する諸コードがいかに破壊され、コードの効果を確認し、新しいコードを打ち立てることが必要。

生産物の研究から生産の研究への移行が必要。

12

空間とは生産物である。という命題を受け入れる前に・・・。

生産された空間は思想と行動の手段として役立つと同時に支配と権力の手段でもある。

しかし、空間の完全な征服はうまくいかない。空間は具体的で道具的であるが、 知による対象化に還元されるばかりでもない。

問い:社会諸関係は空間に含まれるのはなぜか?どのような関係にあるのか?空間の社会的性格を解き明かすことが課題となる。



■本発表のまとめ

・「心的空間」への批判。「心的空間」の「社会的空間」に対する優越の歴史。

・「空間の科学」による支配と限界。空間を扱う知をめぐる権力性の影響と限界。

・エネルギーは場(空間?)においてのみ展開し、過程としての「展開」からのみ捉えられる。

・空間を捉える理論の欠落。空間コードを捉える視点の欠落。



■確認したい点

・「 空間のコード」(§8、§11)についてのイメージをもう少し増やしたい。



■論点

・「心的空間」とは、空間性を顧慮しない一点世界としての経済学、社会学、哲学的思考と重複する部分としてイメージされる批判されるが、哲学や科学技術をすべて「心的空間」の概念に還元してしまうことで生じる問題はないのか?それと関連して、社会空間の概念がオルタナティブとして提起されるが、心的空間、社会空間、物理空間の三元論を成立させる根拠は何か?









2008-05-16 15:18 : 『空間の生産』(08院ゼミ) : コメント : 0 :
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