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『空間の生産』

『空間の生産』Ⅱ9-12

Ⅱ社会空間
9
 史的唯物論は単に事物と作品の生産を、つまりこれらの生産の(二重の)歴史を対象とするだけではない。その対象は空間と時間にまで押し広げられる。史的唯物論は、自然を「原料」として用いつつ、生産および生産物の概念を発展させ、事物(財、物)でもあり作品でもある空間をふくみこむようになる。

 歴史の外観は、つまり歴史の「要約」と「索引」は、単に哲学のなかに見出されるだけではない。歴史の外観は哲学を超えて、抽象と具体を包み込む空間の生産のなかにも見出される。それによって、抽象と具体は哲学の絶対的領域に取り残される代わりに、歴史化されるのである。

 空間の歴史についてのいわゆる歴史的な時期は、資本の蓄積の時期に照応している。この時期は資本蓄積の原始的段階をもって始まり、抽象が全面的に支配する世界市場を持って終わる。
 弁証法的唯物論についても、同じく豊富化され、裏づけられ、変容させられる。新しい弁証法の運動は、作品-生産物、反復-差異という形で現れる。
生産的活動は、総合的で社会的な労働であると同時に、分割された細分化労働でもある。また生産的活動の独自な生産物である空間は、生産的活動の道具でもある。

社会諸関係の存在様式とは正確には何であるのか?←空間の研究によって答えることができる
社会的生産諸関係はみずからを空間に投影し、空間を生産しつつみずからを空間に刻み込む。

空間の弁証法は、時間から生じてみずからを実現する。
空間の諸矛盾は、歴史的時間から生ずる諸矛盾を廃棄せずに、歴史から抜け出して、それらの古い諸矛盾を世界的規模の同時性においてより高次のレベルに送りこむ。

10
 空間に時間を組み入れるという問題については、つまり空間領域を生み出す(生産する)時間的な過程については、すべてが語り尽くされたというわけではない。それどころか、それについてはほとんど語られていない。
 時間が種から(したがって絶対的ではなく相対的な起源から)展開して空間においてみずからを実現するという時間-空間図式は、いまだほとんど探求されていない。
11
 言説の諸部分と同様に、空間の諸部分は分節=連節化されている。それらはたがいにふくみこみあい、たがいに排除しあっている。言語活動においても、空間においても、以前と以降があるが、他方では現在的なものが過去と未来をともに支配する。
→次のようなしごくもっともな問いを立てねばなるまい。
Q1.風景、記念建造物、建築物など、実践的・社会的活動によってかたちづくられた諸種の空間は、はたして意味作用を持つのであろうか。
A1.はい。

Q2.ひとつの社会集団あるいは複数の社会集団が占拠する空間は、メッセージとしてみなすことができるのであろうか。
A2.はい・いいえ。

Q3.(建築あるいは都市の)作品は、マス・メディアの傑出した事例とみなされるべきなのであろうか。
A3.ノーコメント(答えは後ほど)。

Q4.社会空間は、読解‐著述といった一定の実践に属する言語活動として、言説として、考えることができるのであろうか。
A4.ノーコメント(答えは後ほど)。

 言語活動および(言語的・非言語的な)記号システムの認識が、空間を認識しようとする試みにとって大いに有益である。
             ↓
Before:
空間のそれぞれの断片や要素を別々に検討する傾向にあった。そしてそれらの断片や要素をそれぞれ個別の過去に結びつけ、語源的にとりあつかう傾向が強かった。

Nowadays:
諸種の総体が、布置構造が、網状組織が、検討されている。言語崇拝は支配している。

言説は、空間に対して印をつけるということを離れては、死んだ空虚であり、単なる無駄なおしゃべりである。
空間の理論(および空間の生産の理論)と言語活動の理論(および言語活動の生産の理論)との間のアナロジーが考えられるのは、一定の範囲内においてだけである。

網状組織は意味を含んでいる。→空間を考慮しつつ暮らし行動する者にとって意味であり、身体を備えた「主体」にとっての、またときには「集団的主体」にとっての意味である。

 現在フランス及び他の諸国では、二つの哲学/言語理論が存在している。
①いかなる記号も孤立しては存在しえない。したがって諸種の記号の絡み合いと分節が極めて重要になる。
 言語学は知の本質を、つまり絶対知の原理を含んでおり、知が獲得される序列を決定する。
 記号の理論は集合の理論に結び付けられ、したがって集合の理論を介して論理学に結び付けられる。
 なぜ、近年のフランスにおいてこのアプローチが多大の成功を収めたのであろうか。
a.そのようなアプローチによって、社会空間を全体として支配すると考えられる中心的な位置に知が、それゆえ普遍性が根付くことになるからである。
 b.このようなものの考え方が、デカルトの、そして西洋の、ヨーロッパ中心主義的《ロゴス》を救済しようとするものだからである。

②言語活動や発話や言葉にそれほど高い価値を置くことはできない。《言葉》は決して世界を救わなかったし、これからも世界を救うことはできまい。
 記号は言葉と死の間に、そして人間の意識と死に至る行動との間に、密接な結びつきがあることを明るみに出す。←(記号の重要性)
 記号が凶器と結びつき、凶器の中に見出されるとき、記号はひとの役に立つ。→権力への意志という目的に役立つ。
 記号は「存在」の分身であるが、この「存在」を解体することができ、これらの「存在」をうちくだき、破壊し、したがってまたそれらの「存在」を別の形で作りかえることができる。
 記号は破壊力を持つ。空間もまた、破壊的な性格をもつと思われる。

 言語活動(あるいは言語哲学)においては、この二つの方向がその純粋形態で別々に提示されることはまれである。フランスの理論家のほとんどはこの両方向の妥協を追求する。
 二つの方向を妥協させる提言は、空間を安易に言語哲学の手にゆだねることによって、空間を犠牲にしてしまう。だがこの妥協案は実際には全く役に立たない。意味作用の過程(意味作用の実践)が生ずるのは空間においてであるから、この過程を日常の言説や文学の言説に(つまりテクストに)還元することはできない。

 我々がなすべき仕事は、この両義性に賭けることではなく、矛盾を明らかにしてそれを解決することであり、空間がこの矛盾を解決しうるということを指し示すことである。

 空間は物的生産と結びつく。
→①空間は財や交換対象と結びついている。
 ②空間は知識の蓄積から生ずるより高次元で考えられた生産過程と結びつく。
 ③空間は意味表現の過程というもっとも自由な創造的過程と結びつく。

 ニーチェは、かれの哲学的(メタ哲学的)で詩的な著作の全体を通して、抽象的思考を構成する隠喩と換喩が視覚的性格によって支配されていることを繰り返し強調している。
 歴史的時間の経過とともに、視覚的なものは、他の諸感覚から生じてくる思考と行為の諸要因を支配するようになる。

 4つの結論(P215~P217)

12
Q.生産の概念が空間と結びつくとき、この概念はなぜあいまいなものになってしまうのであろうか。

 絶対知と新しい教条主義の主張は社会的なものを心的なものに、実践的なものを心的なものに、それぞれ還元する。そして同時に、私的所有の法則を知それ自身にまで拡張しようとする。

Q.空間は何について意味表現を行うのか。
A.なすべきこととなすべきではないことについての意味表現である。

 空間は結果であり、かつ原因である。空間は生産物であり、かつ生産者である。空間はまた重要な争点である。空間は特定の戦略の一部として展開される計画と行動の場であり、それゆえ来るべき将来の賭けの対象でもある。

 空間は解読され把握されるために生産されたわけではなく、むしろ特定の都市環境の中で身体と暮らしを有する人々によって生きられるために生産されたのである。

解読可能性という外観は多くのことを包み隠す。
a.〈見えるもの‐解読しうるもの〉が何「である」のか、そして〈見えるもの‐解読しうるもの〉がいかなる罠にとらえられているのか。
b.垂直性が何「である」のか。
 透明性と解読可能性の空間は意図的に包み隠された内容をはらんでいる。男根崇拝の領域が、いわゆる男らしさの領域がそれである。
だがそれだけでなく、それはまた抑圧の空間でもある。この空間では、なにものも権力のまなざしから逃れることはできない。

私生活の空間は閉じられなければならず、完結し完成されているという印象を持たねばならない⇔公共空間は外に向かって開かれるべきである
However生起しつつあるのは、まさしくその正反対の事態なのである。

疑問点または論点
1.ルフェーブルは何をイメージして第12節の最後の結論を出したのか。
2.記号・言語活動と空間の関係について

2008-06-20 16:09 : 『空間の生産』(08院ゼミ) : コメント : 0 :
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