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『空間の生産』Ⅲ(11-17)

III 空間の構築技法(11-17)

11、
○意識と無意識
意識=「自己意識」という分身を含み、自らの内部でそれを維持する。
無意識=鏡の映像・反復・幻影としての意識である。
無意識の定式化:不意識を完全に実体化し自然化することであり、無意識を意識の上また
は下に位置づける事である⇒しかし、このような定式化は、イデオロギー的な愚行に陥る。

意識は認識と無知との間には、実際に媒介として機能する仲介物が存在するが、この仲介物はまた仲介を妨げるもの、つまり誤認でもある。⇒自らを誤認する。意識は、認識に席を譲る。意識を認識の場としてこのように認識することによって、誤認の出現が可能になる。つまり一方には完全で透明な認識があり、他方には深淵、神秘、不透明の領域が、つまり無意識がある。
無意識は正しいわけでも間違っているわけでもない。だからそれは、真実であると同時に虚偽でもある。無意識は理性をともなった幻想に、つまり一種の幻影効果に似ている。無意識を物神化する傾向は、無意識のイメージのうちに内在している。そのために、この理念は存在論、形而上学、死の衝動といったものに道を開くのである。
無意識とは、経験の想像的・現実的な場であり、文化として知られる「輝ける」実体に対する平衡力である。

・眠り 「夢の空間」。つまり想像的であると同時に現実的であるこの空間は、言語活動の空間とは異なっている。欲望は求められるだけで、もはや現実はされない。それは享楽の空間であり、事実、この空間は快楽の潜在的な支配を打ち立てる。
⇒夢の空間は、疎遠で疎外された空間であるが、同時にまたもっとも身近な空間でもある。感覚的・官能的な性格を有している。

・視覚に限定された空間は、おびただしい数の群集・物・事物・身体を含んでいる。それらの群集・物・事物・身体が互いに異なっているのは、場と場の地域的な独自性によってであり、それらの「主体」との関係によってである。



・社会空間とイデオロギー
 社会空間はイデオロギーを中立の空間に投影することによってではなく、イデオロギーは個々の活動の位置を指し示し、ある場所は聖なる場として、他の場所はそうではないものとして、指し示す。イデオロギーは空間の中にあり、空間に属している。
社会空間を生産するのは生産諸力と生産諸関係である。
社会空間の内部における官能的な空間は、「無意識的に」劇場化された作用のうちに存する。
官能的・感覚的な空間は、諸種の社会空間の堆積作用と相互浸透の中で存続し続けるひと
つの堆積層であり、一つの成層にすぎない。

物であれ、空間であれ、およそ生産物からは、生産的活動のあらゆる痕跡が可能な限り消
去される。

空間においては、なにものも決して消滅しない。いかなる地点も、いかなる場も、そうで
ある。しかしながら生産的労働を生産物の中に隠蔽することには、重要な意味がある。社
会空間は社会的労働の空間とは一致しない。だからといって、社会空間は享楽の空間であ
り非労働の空間だというわけではない。

物から労働の痕跡が消去されて初めて、生産され製作される物が労働の空間から物を取り
巻く社会空間へと移行するようになる、という事なのである。それゆえ、もちろん商品に
ついても同じ事が言えるのである。


12、
身振りの概念=労働の動作。あらゆる専門化された活動や場の外にある。要するに、それ自体として規範化された活動や場(労働、戦争、宗教、正義と結びついたような活動や場)の外にある。
身体と空間=けっして切り離す事ができない。個人は自分の身体を自分自身の空間に位置づけ、身体の周囲の空間を感じる。

社会的な身振りが利用する主要な物質的装置は、分節された動きからなっている。人間の
四肢は、洗練され複合的な形で分節されている。身体的な身振りは、労働領域の外部にお
いても、内部においても、互いに結びついて、言語活動と身振りの活動を「分節化する」
頭脳部分の発展に寄与した。


コード(象徴・記号・信号)=このようなコード化された規則に基づいて、諸種の身振り
が結び合われる。これらのコードは個々の社会に特有なものである、社会への帰属を定め
る。

身振りの様式における場と空間の重要性=一方には、地面と足と低い部分の四肢があり、
他方には、頭、及び頭を覆うもの(ひげ、かつら、髪)などがある。身振りの様式はイデ
オロギーをはらんでおり、そのイデオロギーを実践へと結びつける。
身振りの領域は、ほとんど無限に多様な、それゆえ限定しえないコードを包含していると
はいえない。「副次的コード」と一般的コードについての論点??

これまでの議論の目的は身振りを合理化することになるのではなく、身振りの様式と空間
との関係を解明することにあった。身振りはさまざまな空間を生み出す。身振りによって
、みぶりのために、さまざまな空間が生産されるのである。身振りの空間がそれ自身の象
徴体系を備えた世界の概念と結びつくようになるとき、壮大な創造物が生ずる。身振りの
空間はみずからを象徴的に表現し、特定の社会の内部における特定の集団の実践に組み込
まれることが出来たのである。それゆえこの空間では、生活が有限性における自我の瞑想
と超越論的な無限性の瞑想との間でバランスをとり、静寂さからなる幸福と不満足の承認
をともに経験する。(例:クロイスター)

13、
全体性―世界性の弁証法的運動は次の三つの契機を経る。
①、空間の中の事物。生産は依然として自然を尊重し、空間の諸部分を選択し、それらの
諸部分を選択し、それらの諸部分をその内容に沿って利用しながら、行われる。
②、この先史から、いくつかの社会が現われ、歴史的な地平へと移行する。つまり(富の、
認識の、技術の)蓄積の地平へ、それゆえまず交換のための生産の地平へ、ついで貨幣と資本のための生産の地平へと、移行する。
③、いまや空間と事物は相対化され、再び結び付けられる。空間の内容が、そしてまず時
間が、思考を通して空間において回復される。だが、資本主義とその実践が発展するとともに、空間と時間との関係においてある困難が生じてくる。資本主義は、社会諸関係を再生産することによって、事物の生産ではなく、むしろ新しい社会諸関係の生産を押しとどめることができないような限界に達しつつある。新しい諸関係は時間と空間のおなじみの統一の中に、そして同時に時間と空間の新しい統一の中に、存するであろう。この統一は、長い間無視され、引き裂かれ、統一の代わりに軽率にも空間が時間の優位に立ってきたのである。


マルクスの[『資本論』]『経済学批判要綱』について:「商品世界」と世界市場の拡張がもたらす意味と帰結を考察したのだ。だがマルクスが考察した意味と帰結は、当時は、歴史がごく潜在的にのみほのめかしたことにすぎなかったのである。今日、生産することの理念は、もはやあれこれの物や作品を生産する事だけではなく、空間の生産にまで及んでいる。(⇒国家自身の空間、政治的空間、世界市場、国家の自己破壊…)

14、
記念建造物の空間は、社会の各成員に、その社会に帰属しているというイメージと自己の社会的様相のイメージを与える。ただし、各人はこの社会空間におけるそれぞれの位置に応じる同時に、≪権威≫と≪良識≫の諸条件も含まれる。したがって、記念建造物は一定の「合意」を実現した。⇒抑圧の要因と熱狂の要因に変身したものである。
一方、太古の昔から、社会の破壊を願う征服者や革命家は、この記念建造物を燃やしたり、取り壊すことによって、社会を破壊しようとした。ときには、かれらは自分自身の利益のために記念建造物をうまく流用したこともある。利用のほうが交換のコードよりも奥が深い。

記念建造物(超越性・不滅性)は時間が推移することへの激しい恐れと死を前にした苦悩を輝きへと変身させる。だが、記念建造物の「永続性」は完全に幻想化することはできない。記念建造物の不滅性は権力への意思を刻印している。

記念建造物の空間を正確にていぎするためには、記号学のカテゴリー形成(コード化)と象徴による説明が限定されなければならない。記念建造物は、言語活動や言説にも、さらには言語活動の研究において開拓された諸カテゴリーや諸概念にも、還元することができないということである。記念建造物の作品が果たす社会的・政治的な機能は、社会を構成し社会を基礎づけるさまざまな「システム」と「副次的システム」を、つまりさまざまなコードと副次的コードを貫いている。だが、記念建造物の空間においては、記号の死の契機(要因)が消え去ることができる。空間の行動は、紛争を乗り越える。空間の活動によって、日常の心配事は集団の喜びへと移り変わる事ができるのである(?)








15、
記念建造物を否定形で定義しておく必要がある。記念建造物は、物でもなければ、多様な者の集計でもない。彫刻でもなければ、図像でもないし、物質的な処理がもたらす結果でもない。

感情のレベルは、それゆえ対称とリズムに結び付けられた身体のレベルは、記念建造物の空間の「属性」に変容せられ、政治的・宗教的な集合体に固有な象徴に、つまり政治的・宗教的な集合体として調整された象徴に変容させられる。

記念建造物の空間は、たんに造形的な性格をもつだけでも、またまなざしを通して理解されるだけでもない。この空間は聴覚的な属性をも備えている。もしこの属性を持たなければ、記念建造物の不朽性は損なわれる。

記念建造物の空間には、何人かの精神分析家や、言語学者たちが分析した二つの原初的な過程が作用しているという事ができる:①換喩を意味する転移、部分から全体への移行、隣接性。②交替に関わる凝集、隠喩、類似性。

1920~30年代にロシアの建築家たちが提起した「社会的圧縮機」
それぞれの記念建造物の空間は、社会の隠喩的で、なかば形而上学的な支柱になる。この支柱は代替の作用を通して生み出される。この代替においては、宗教領域と政治領域がそれらの諸属性を象徴的・儀礼的に互いに交換し合う。そしてこの代替過程で、聖なるものの権威と権威の聖なる性格とがたがいに転移させられ、それだけ互いに占められる。

16、
社会空間の複合性(記念建造物空間の複合性)は、多くの差異を解き放ち展開する。はじめは単純に見えたものが、いまや完全に複合的なものとしてあらわれる。
社会空間の複合性と言説の複合性とは、次の点で全く違っているのである。
①社会空間においては、特異性のレベルが身体を軸にして配置される。つまり特異性のレベルが各自の身体及び身体間の結びつきを軸にして配置される。
②特異性は形を変えて別のレベルに再び現われる。それは普遍性の、つまり社会的実践のレベルである。これは政治的発話の空間であり、指令と処方の空間である。
③特異性のレベルが再び形を変えて現われる。それは、集団に、とりわけ家族に、帰らせられる個別性のレベルである。それは、許されたものとして、あるいは禁じられたものとして定義される空間である。


17、
資本主義的空間の統一的母胎である建築は、その優位性において、権力による統治の対象と商業取引の対象を首尾よく結びつける。
総合的な空間を規定するのは建築技法の領域ではない。理由は①総合的レベルは弁証法的運動に属しており、この運動の二項対立、対照と補完性、幻影効果と反復性といったものには還元しえない。総合的なレベルは三元素、三極の対立、三極の結合を活性化する(?)。資本主義は三つの要因、三つの項目、三つの契機からなっている。土地・労働・資本がそれであり、地代・賃金・利潤がそれである。この最後の利潤は、剰余価値という総合的な単位でくくられる。さらに、総合的レベルは別の存在様式をもっており、その効果も部分的な諸効果とは質的に異なっている。(私的な領域…公的な領域)



疑問と論点
1、「記念建造物の空間においては、記号の死の契機(要因)が消え去ることができる。空間の行動は、紛争を乗り越える。空間の活動によって、日常の心配事は集団の喜びへと移り変わる事ができるのである」(?)P326

2、資本主義の認識が、空間論を介して解釈できるか?空間を変えれば、ポスト資本主義はどんなイメージになるのでしょうか?空間を変えるとしたら、どのように変えたらいいのでしょうか?






2008-08-07 17:46 : 『空間の生産』(08院ゼミ) : コメント : 0 :
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