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『空間の生産』Ⅴ

Ⅴ矛盾した空間


1

If

①空間の科学が存在する;②社会空間自身が二元性によって構成された;③空間が心的な現実を持つということができる

→空間の矛盾は存在しない。

社会空間は、空間の「純粋に」心的な形式と結びついた明確で特異な特徴を含んでいるが、この心的な空間を外部の余分な内容であるかのようにして切り離さない。

2

問:「複数の」「多面的視野の」「多機能的な」空間という発想を取り入れることで満足してよいのであろうか。

答:否。分析をさらに進めなければならない。

→「まず新しく次のような問いを、完全に明晰な表現で提起すべきであろう。」(P426)

○デカルト空間

 デカルト空間は「直観」に開かれている。←デカルト的直観とは反対に、空間の論理を決定するのは、「物」を構成する諸関係のネットワークだけなのである。

現代の思想においては、現実的なものの分野全体を論理に還元しようとする多大な努力が払われてきた。

3

論理的な関係とは、包含と排除の関係であり、結合と分離の関係であり、内包と説明との関係であり、反復法と繰り返しとの関係であり、帰納と反復との関係である。

論理的な関係を表現することができるのは、幾何学的な図式である。

But

幾何学的な図式の表現は、それなしでも済ますことができる厳密に形式的な性格の関係を説明してくれるだけである。

客観的な「諸属性」とは、物質的な対称性と物質的な複製のことであり、そこには包含と排除の関係が重ねあわされている。

形式の重要性を理解するということは、形式の重要性を限定することでもある。形式は、いわゆる「歴史的」過程においてどのように把握されるかによって変容する。

「われわれがここで直面している論理構造とは、つぎのような二つの対立しあうアプローチによって記述され理解されるようなものではなかろうか。」(P429)

①第一のアプローチは、空間の諸部分を、それゆえ空間の中のものを列挙する。‐内包

②第二のアプローチは、空間の全体を、つまり社会の総体を編成している諸関係を記述する。‐説明

○仮説

「内包と説明という、空間を理解するこの二つの方法を正確に照応させることによって、われわれは空間の内部において能動的諸要因が変容を引き起こす過程と、社会的で心的な空間が総体として生成してくる過程をともに把握することができよう。」



この仮説を「純粋な」抽象の領域に封じ込めることはできない。

4

還元主義をとことん押し進めることによって、時間が空間に還元され、使用価値が交換価値に還元され、物が記号に還元され、「現実」が記号の領域に還元される。さらにそこにはもうひとつの還元が伴う。つまり、弁証法的運動が論理に還元され、社会空間が心的な空間に還元される。

ユークリッド空間と視覚的空間は、ともに実践の空間と同一視されている。

社会空間は実践の根拠地であって、たんに概念の適用だけから成り立っているわけではない。実践はまた、誤認でもあり、盲目性でもあり、生きられる経験の試練でもある。

「純粋に」思考された空間は「純粋の」同一性に似通っている。それは「純粋に」形式的な性格を持つがゆえに、空虚である。この空間に規定を導入するよりも前に、内容を導入しなければならない。                          ↑

時間

論理は、さまざまな秩序・次元・レベルを混同するのではなく、それらを識別することによってのみ具体化されるのである。

空間の幻想は、幾何学的空間、視覚的空間、社会空間の間の揺れ動きと相互の代替という空間相互の錯綜から生じてくるのである。

空間の概念は空間の中にはない。

時間の概念は時間の中にある時間ではない。

空間の概念はあらゆる可能な空間を表示し、内包する。とりわけ空間の概念は、表象の空間と空間の表象という二つの側面を含んでいる。

「それ以降、思考はつぎのようなディレンマに陥る。」(P435)

→心的なものと社会的なものを切断するか、それとも両者を混同し融合するか。

5

○ピカソ

ピカソは表面を構造化するのに力を注いだ。

かれは第三の次元を描かれた表面に還元すると同時に、この第三の次元を描かれた事物の多面的な側面の同時存在によって回復するという逆説的な過程に取り組んだ。



つぎのような事態が同時に生じてくる。→

一方では、参照基準が客観的に終わりを告げ、他方では、均質的であると同時に打ち砕かれた空間が、すなわち構造によって魅惑を発揮する空間が成立する。

表現と意味との分離は、つまり意味するものの解放は、巨大な帰結をもたらす。

意味するものの解放は意味それ自身にまで押し広げられる。意味において、記号と記号が指し示すものとが切り離される。

ピカソは決して世界を征服しなかったし、ましてや世界に回収もされなかった。

かれは、現存する世界がはらみ、期待する「ヴィジョン」を提供した。

「ピカソは細分化された空間のこの矛盾を発見し暴き出すことによって、細分化された空間から新しい空間が、つまり差異の空間が出現することを立証したのである。」(P438)

6

「物質はもはや空間をたんに覆うものにすぎず、したがって物質はその支配権を空間に宿る光に譲り渡す。」(P439)

7

○芸術

問題とされているのは、たんに芸術の歴史における方向転換なのではなく、近代社会と近代社会の空間の歴史における方向転換なのである。

物が理解されるのは、今や物を取り巻いているものやカンバス空間全体との知覚しうる関係においてであり、それゆえ解読可能で可視的な関係においてである。

クレーにおいても、ピカソにおいても、空間は「主体」から、感情的なものから、表現性から、引き離されている。

その代りに、空間はそれ自身で意味をもつものとして提示される。

画家の任務は、空間の社会的・政治的な変容を暴き出すことにある。

8

○空間の考察

空間の考察は古典哲学の外で定式化され、また美学固有の作品の外で定式化され、「現実」との結びつきを追求してきたが、この同じ時期に、いわゆる「先進」諸国では、この空間の考察が分裂化し始める。



まず文化の空間に関する命題があわれ始め、ついで、行動の空間に関する命題が現れる。

つまり、文化主義的人類学は行動主義心理学と対立するようになる。ただし、この二つの学説は米国でひとつに結びつく。

9

○抽象空間

抽象空間を抽象的に考えることはできない。抽象空間は「内容」を持っている。だがこの内容が抽象によって「理解される」のは、内容を取り扱う実践を通してなのである。

抽象空間が抽象的に理解されるのは、論理を弁証法から切り離すことによってのみであり、矛盾を虚偽の整合性へと還元することによってであり、その還元の残り物をごちゃまぜにすることによってのみである。

抽象的労働とは、労働一般であり、社会的平均労働である。

抽象空間とは、均質化する傾向が、圧力と抑圧によって、諸種の手段を用いて、作用する空間である。

抽象空間は、分析的知性の肥大化を、国家及び官僚主義的国家の理性を、「純粋」知を、権力の言説を、同時に含んでいる。この抽象空間は、つまり官僚主義の空間は「論理」を伴っており、この「論理」によって自己の諸矛盾を覆いつつ、みずからを包み隠す。

○均質化の空間

均質化の空間はいささかも均質ではない。均質化の空間は多次元的で多元的なやり方で、分散させられた諸断片と諸要因を力ずくでふくみこみ統一する。

10

抽象空間とは、整合性の名の下における不整合であり、統一における分離と分裂であり、安定性の見せかけの下での変動とはかなさであり、論理の外観と結合の効果的な作用の内部で繰り広げられる紛争の関係なのである。

抽象空間は、戦略が繰り広げられる場であると同時に、「模倣」があおりたてられ論じられる場でもある。

11

抽象空間はまた、頭語反復が行われる空間であり、性に関する奇妙な代替が行われる空間である。

○隠喩化の空間

この空間では、女性に代わって女性の映像が支配し、女性の身体が断片化され、欲望が打ち砕かれ、生活が粉みじんになる。

○性、身体

性は自然性という規定を失って、身体の「文化」にむなしく訴え、特定の場と器官に位置を定められ、特定化され、特別視される。

空間は抽象の作用を受けて、専門化された場に分断され、そのために身体それ自身も細分化され、粉々にされる。

身体の死は二重の性格をもつ。→①象徴的な性格;②具体的な性格

象徴的な性格を持つのは、身体の生きた統一性が断片化されるからである。

具体的な性格を持つのは、暴力が作用するからである。

女性の身体は、交換価値へと、商品の記号へと、そして商品それ自身へと、変貌を遂げる。

性と性行為が、快楽と生理的な満足とが一体化するのは、「余暇」を専門にする場における余暇活動においてである。

空間は虚偽意識の対象なのではなく、むしろ虚偽意識を生み出す場であり環境である。

12

映像空間は、歴史と歴史の暴力を引き継ぐにもかかわらず、先行の空間(自然の空間と歴史の空間)を還元する。それは「自然」の景観と都市の景観が破壊されることを意味する。

解読可能性という視点からつくられた空間を読解することは、一種の同義反復に結びつく。

それは「純粋の」幻想的な透明性という同義反復である。

13

○住まうことと住居

この同じ抽象空間において、この抽象空間がうちたてられる過程で、ひとつの代替が生ずる。

その代替とは、住まうことが住居へと代替されることである。

住居を特徴づけているのは、機能的な抽象である。

支配階級は抽象空間を権力の道具として利用する。だがだからと言って、そのほかの利用法が排除されるわけではない。つまり抽象空間は、生産と生産手段を組織するためにも、つまり利潤を生み出すためにも、利用されるのである。

例:貴族の宮殿や大邸宅⇔ブルジョアジーのマンション

空間に関する支配的な言説は、現実的なものから意味を盗み取る。そして現実的なものをイデオロギーの衣装でおおう。だがイデオロギーの衣装は逆に非イデオロギー的なものであるかのように見える。

その衣装とは、美学と審美主義という仮装であり、合理性と合理主義という仮装である。

古典的な(デカルトの)合理性は、科学技術の技術官僚の合理性においてますますその度を強めているかのように見える。だがそのとき、古典的な合理性はその反対物に転化する。つまり、それは粉々に砕かれた現実の不条理性へと転化する。

抽象空間は抑圧を本性としている。

芸術品は一般に抽象的であり、したがって具象性を持たないが、にもかかわらず具象化の役割を果たす。この具象化に見事に照応しているのが、都市計画のモデルと全体の配置図である。

14

○企業、都市

空間の裂け目は紛争を生み出すが、この紛争が生ずるのは、異なった角度からアプローチする二つの別々の内容がひとつの形式へと向かうときである。

資本主義の企業は労働者を完全に従属させ従える企業の小島を打ち立てるが、そのかぎりでは、これらの小島は社会空間の内部でたがいに分断されている。

大都市の空間を考える際に、企業から出発することはできない。→いかに巨大な企業を思い浮かべようとも、企業のモデルにもとづいて都市を管理することはできない。

都市では、社会的分業が技術的分業を支配する‐都市の本質的な機能

企業は、社会組織の全体主義的形式へと向かう。

都市は、暴力にもかかわらず、あるいは暴力を通して、民主主義を維持する。

15

○禁止

抽象空間において伝達される意味は禁止にある。

禁止とはいわば社会的秩序の否定的な基盤であるが、抽象空間ではこの禁止が支配する。

禁止のほとんどは目に見えない。

禁止とは所有の裏面であり、所有を守る固い殻である。それは、私的所有の支配の下で空間を否定的に領有することなのである。

空間は、割り振られる場と禁じられる場とに分断される。

空間はさらに、労働の空間に、余暇の空間に、昼と夜の空間に、細分される。

16

諸種の断片の集合を均質な全体性において支え維持することができるのは、行為だけである。

権力はたしかにみずからが支配する現実の中に姿を現すが、権力は同時にその現実の背後に身を隠す。

政治的権威は、「強制‐抑圧‐圧制」の循環を生み出す。

空間は、政治領域による経済領域の統合を可能にするものである。「権力の中枢となる」地帯はあらゆる方向に影響を発揮する。

空間を生産するのは政治権力それ自体ではない。だが政治権力はたしかに空間を再生産する。

権力は「空間の組織」の下にみずからを包み隠す。

問:権力はなにに対してみずからを包み隠そうとするのであろうか。

答:権力に対立するすべてのものに対してである。

権力のこの行動は暴力を介して行われる。

17

マルクスの思想には、今日避けるべき二つの誤謬が、つまり二つの幻想がある。

                   ↓

①マルクスの思想をひとつの体系とみなして、それを既存の学問の中に組み入れ、この思想に認識論的な基準を適用しようとすること。

②ラディカルな批判という口実のもとに、つまり異議申し立てを異議申し立ての原理そのものにまで押し広げるという口実の下に、マルクスの思想をぶち壊そうとすること。

①のアプローチは、絶対知の理念に魅せられており、絶対知が存在して、それが既存の「現実」そのものに適応されるという命題を受け入れる。

②のアプローチは、知を根底から掘り崩すことによって「現実」を打ち砕くことができると考える破壊と自己破壊の幻惑に魅せられている。

マルクスの著作において頂点を極めた政治経済学の運命をその誕生から衰退にいたるまで復元することは、今日では可能である。

生産と生産性は、たんに社会的な動因となるだけではなく、歴史哲学や新興科学である政治経済学と結びついて、世界の概念の合理的な根拠にもなったのである。だがまもなく、陳腐化が始まる。

マルクスは総合的概念(時間、歴史、社会的実践)の名の下に、自己自身の批判を政治経済学に結びつけた。

この図式によれば、知を批判することのない知は存在せず、批判的知のない知は存在しない。科学としての政治経済学は「実証」科学ではないし、そうではありえない。つまり経済領域と政治領域の双方の批判であり、両者を統一したと思われているものの批判である。

生産様式という概念は生産諸関係の概念を包み込んでいるが、それとまったく同一ではない。生産様式と生産諸関係との間には関連がある。

「資本論」におけるマルクスのねらいは、資本制生産様式とブルジョア社会を分析し解明する際に、二元論の図式にしたがうことであり、「資本と労働」や「ブルジョアジーとプロレタリアート」の対立にしたがうことであった。

だがこの二項対立は、歴史に由来する第三の項目の消滅を前提としていた。

                   ↓

それは、土地であり、土地所有者階級であり、土地地代であり、農業それ自体である。

この二項図式では、社会的実践の空間が見逃される。時間はマイナーな役割しか持たず、図式それ自身が、抽象的な心的な空間の中に位置づけられる。時間は社会的労働の尺度に還元される。

マルクスは三位一体の範式を提示する。

→三つの側面:土地、資本、労働。言い換えれば、地代、利潤、賃金がそれである。

問:土地とは何か。

答:それはたんなる農業ではない。それは地下と地下資源である。それはまた国土と結びついた国民国家でもある。それゆえ、それはまた絶対的な意味における政治であり、政治戦略である。

今日とりわけ「資本論」を必要としているのは、つぎの理由からである。つまり、今日では、資本主義を、より一般的には経済成長を維持するためには、それを空間全体に押し広げるほかないからである。

空間・大地・土地は、工業生産によって消滅させられることも、吸収されることもなかった。その逆にそれらは資本主義に組み込まれる。それらは資本主義の拡張とともに、特定の要因や機能として力を発揮する。

資本主義の拡張とは、能動的なものである。つまり生産諸力が、新しい生産方式が、飛躍的に前進する。ただし、それはあくまで資本主義の生産様式と資本主義の生産諸関係の枠内における飛躍的な前進である。したがって生産と生産諸力の拡張は、引き続き生産諸関係の再生産を伴った。

資本主義は、たんに既存の空間を、つまり「大地」を独占しただけではなく、自己自身の空間を生産する傾向にある。

資本主義を空間へと拡張するこの傾向は新しい諸矛盾を引き起こす。そしてこれらの矛盾のいくつかは、ただちに通俗化された諸種の表象を生み出した。

例:汚染の問題

マルクスの三項図式の理論においては、イデオロギーと政治的実践が切り離されない。権力は「土地」と「労働」と「資本」を全体として維持し、かつそれらを別々に再生するのである。

マルクスがねらいを定めたのは、知としての政治経済学の概念そのものであった。

問:マルクスによれば、経済学者とはいったい何者であるのか。

答:経済学者とは、(相対的な)欠乏を表明するもののことであり、古くさい希少性から可能性をはらんだ豊かさへの移行を表明するもののことである。

経済学者がおこなうのは、資本制生産様式とこの生産様式を管理する国家において、特定の社会が利用しうる労働力と生産能力を産業部門ごとに空間の枠組みに配分するという仕事である。そしてその最後に、経済学者はひとつの抽象空間を、あるいは複数の抽象空間を築き上げる。 

弁証法的な運動によって、今日のいわゆる消費社会における工業製品の新しい相対的な豊富さは、その逆の現象を、つまり新しい希少性を伴うことになる。

空間の不足は、明らかに社会・経済的な現象である。この不足が観察され現れるのは特定の地域だけである。→都市の近辺

○中枢性の問題

中枢性一般の問題は、とりわけ都市の中枢性の問題は、それほど単純ではない。この問題は空間の問題圏のあらゆる側面にまたがっている。この問題はたんに社会空間だけでなく、心的な空間にもかかわっている。

中枢性の問題を正しく提起し解決しようとすれば、弁証法を手がかりにしなければならない。だがそれはもはやヘーゲルの弁証法でも、マルクスの弁証法でもない。

中枢性とは、形式であり、それ自身は空虚なものである。だがそれは内容を要求する。

中枢性という形式は、同時性を意味しており、同時性の結果である。

中枢性は移動する。

問:この中枢性という点において、現代社会の新しさはどこにあるのか。

答:それは、今日の中枢性が全体的であろうとするということである。

この中枢性は、空間それ自身に内在する暴力を用いて、周辺のあらゆる諸要素を放逐する。

中枢は、一方では破壊的な傾向を持ち、他方では寛容の傾向を持つ。だが中枢はこのような対抗的な両傾向を持つにもかかわらず、富を、行動手段を、認識を、情報を、「文化」を集中する。

中枢性とその弁証法的運動が生じてくるのは、なによりもまず空間の希少性との関連においてである。「集権的な意思決定」は、社会を構成する諸要素をある限られた領域の内部でひとまとめにして、権力によって、権力のために利用しうるようにする。

集権的な意思決定は、生産諸関係を維持することを緊急の課題としているからである。同時に、集権的な意思決定は、たんに空間における矛盾なのではない。

弁証法による分析によってのみ、空間における矛盾と空間そのものの矛盾との間の正確な関係を見抜くことができる。またいずれの矛盾が強められ、いずれの矛盾が和らげられるのかを見抜くことができる。

心的な中枢性と社会的な中枢性を結びつけるのは、情報という媒介である。

○不動産産業、建築産業

「不動産」産業は、「建築」産業とともに、もはや産業循環の副次的な要因ではなくなる。

資本主義の歴史において、不動産は長い間マイナーな役割しか果たしてこなかった。

→その理由:

①建築用の土地や大地を支配したものが歴史上の支配的階級ではなく、その残余の階級に属していた。

②この生産部門を支配したのが手工業であった。

資本主義は土地を動産化し、建築部門と関連セクターがしだいに中心を占めるようになる。

不動産部門は、(経済成長の)全般的な不均等性と(総合的現実としての経済の)産業部門編成の一部をなしている。だが同時にこの部門は平均利潤率の低落傾向に反する闘争という資本の本質的な機能を持ち続ける。

空間の動産化の過程は土地から始まる。土地は、まず伝統的な所有形式から、安定した財産相続から引き離されなければならない。

空間の互換性は、かならず数量化への強力な傾向をとれる。物理的な位置だけでなく、身体もまた、均質性の中に飲み込まれる。

空間の購買者が手に入れるのは、特定の距離である。それは自分の居住地から様々な場所までの距離である。ここで時間が舞台に登場する。

記号の価格は、実質的な交換価値に付け加えられるにすぎない。人は時間の使用を購買するのであり、この時間の使用は空間の使用価値の一部である。

18

○商品

問:商品とは何か。

答:商品とは社会的な「存在」である。それは、哲学の「客体」概念には還元しえない「物」である。

商品は、循環と交換ネットワークの長い連鎖をなしている。商品の言語活動があり、商品の世界がある。それゆえ商品の論理があり、戦略がある。

商品世界は、潜在的には無限の可能性を持つ数の商品を結び合わせて、空間に対して様々な提言を行い、行動を起こす。

空間が抽象的であるのは、空間を構成するあらゆる部分の互換性なしには空間の存在はありえないからであり、空間が具体的であるのは、空間が社会的に実在しており、それ自体で位置付けられているからである。

→空間は均質であるが、にもかかわらず断片化されている。

「商品世界」は独力で存在することができない。商品世界が存在するためには、労働が必要である。


19

本書で提示された命題(P493)

20

○自然の支配と自然の領有

自然の支配と自然の領有との間には対立がある。この対立は空間において繰り広げられる。

○機械

機械はエネルギーを用いて一連の生産的作業を成し遂げる。労働者は道具を操作する代わりに、いまや機械に使えるようになる。

機械が生まれたのは、農村であって、都市ではない。

だが機械はその当初から全く新しいものを生み出す可能性をはらんでいた。→生産過程の自動化

都市‐自然のエネルギーをとらえてそれを生産的に消費する巨大な機械、オートマトン

都市は確かに機械であるが、それはまた機械以上のものでもある。都市は社会集団の利用に適した機械である。

○固定資本

マルクスによれば、固定資本は社会的富の尺度である。

固定資本の概念は、いまや明らかに空間における投資にまで、またあらゆる種類の基盤整備にまで、押し広げられる。

○フロー

都市の空間は諸種のフローの相互関係を保証する役割を果たしている。

それぞれのフローを定義するのは、そのフローの起点であり、終点であり、中間経路である。だがそれぞれのフローがそれ自身で定義されうるとしても、そのフローが効力を持つのは、他のフローと関係を結ぶかぎりにおいてである。

21

○不変資本

マルクスによれば、不変資本は死んだ労働を意味する。

だが資本主義においては、死者が生者をとらえる。

資本家にとって生産手段は、労働者階級を支配し労働者階級を「労働させる」のに役立つ。

問:どうしたら生者が死者をとらえることができるのか。

答:空間の生産を通してである。

資本主義とブルジョアジーは死者による生者の支配にもとづいているがゆえに、資本主義とブルジョアジーにできるのは抽象を実現することだけである。

22

○社会空間

①社会空間は、生産諸力の中で役割を果たしている。

②社会空間は、特異な性格の生産物としてあらわれる。

③社会空間は、政治的道具であり、生産手段にもなる。

④社会空間は、生産諸関係と所有諸関係の再生産を支える。

⑤社会空間は、実践的にいうと、一連の制度的・イデオロギー的な上部構造に匹敵する。

⑥社会空間は、作品と再領有に関する様々な可能性をはらむ。

23

空間は、しだいに希少化しつつある資源を探索する機能を担うものとして、すでに再編されつつある。この再編を通して、大規模な紛争を経ながらも、少なくとも潜在的には、交換価値に対する使用価値の優位性が復権しつつある。

最高の財、それは時間と空間である。

世界市場は、国民国家を増殖させ、地域の差異と自己決定を生み出し、多民族国家や超国家企業を生み出す。国家と超国家企業は、この奇妙な分裂化への傾向を食い止めるが、それはまた自己自身の自立を強化するために分裂化を促しもする。

2008-11-06 23:25 : 『空間の生産』(08院ゼミ) : コメント : 0 :
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