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『都市のリアル』第10章 文化を編みなおす 夢物語から立ち上がる

第10章 文化を編みなおす 夢物語から立ち上がる
Keywords:文化遺産、保存の欲望、集合的記憶、ナラティブ

1.都市と文化遺産
物語行為としての保存
都市文化:都市生活者としての自己について了解し、都市に住まううえで重要な資源
文化遺産:都市文化的な意味の文化価値が高いがゆえに、保存の対象とされているもの

・文化遺産の保存は、個人の趣味嗜好の表明にとどまらず、自分が何者として都市に向き合い、何を精神生活の支えにしているのかに関する、間接的な「語り」にもなっている
→この「語り」は既に定着したストーリーではなく、展開の余地を残した流動的なナラティブ
→都市はいま、このナラティブの飽和状態にあり、遺産保存という営みは、都市に充満した自己物語
→遺産保存の営みを都市生活者による物語行為として把握し、文化遺産をめぐる個人誌的な展開を踏まえることが議論のスタート地点

文化財と文化遺産―ゆらぐ価値の審級
文化財:「国にとして誇れるものを国が指定し、国が管理する」というイメージ=「公」
→保存の公共性を国家が認定するという保存様式は、すぐれて「近代的」なもの

・何でも保存したがる近代の欲望を「博物館学的欲望」と呼ぶ(荻野 2002)
その欲望を国家が肯定し、専門家が審査して、直接の所有者が守るという「三極構造」がこれを下支えしている

・文化財は「個人的によい」という主観的価値から「学術的によい」という客観的価値への昇格し、「国や国民にとってよい」という公共的価値の保証される
→この直線的なストーリーを「価値の審級」と呼ぶ。また、この「価値の審級」は近代社会を支配する原理であり、さまざまなかたちで事物に作用してきた
→この「価値の審級」が揺らぎを見せていることが、文化財保護行政のもとで制度化された保存から、都市生活者が思いおもいの「文化遺産」を見出す保存への変化を導いている

都市という歴史的環境
歴史的環境:出来事の記憶やノスタルジックな感情、過去と対話する心的態度を呼び起こすような痕跡が、方々に埋め込まれた空間を指す
→人間が環境に働きかけ、同時に環境の影響を受けてきた相互作用の履歴としての、「環境文化」が蓄積されている。
→環境文化の地層は、幾重もの時間的な厚みを持っている

・文化遺産へのこうした環境の視点は
①文化遺産概念をめぐるヨーロッパ中心主義への反省
②高度経済成長による産業公害への異議申し立てのつぎに顕在化した、都市型・生活型公害(生活の共同性は希薄だが、近隣の暮らしぶりを牽制し合う規範による)に対する環境意識の高まり
→文化遺産は生活の文脈から離れて単体で存在するのではなく、環境の視点が不可欠であり、歴史的環境という都市への視角は①②を反映している


2.保存の営みとモダニティ
近い過去の保存
「近い過去」=限りなく「現代」に近い過去
→人によってはもはや「近い過去」どころか「現在」

・「制度的再帰性」の高まり
制度的再帰性:私たちが社会活動や自然への働きかけをする際、伝統的な考え方や方法を参照するよりも、次々に生産される知識や情報をもとに軌道修正を繰り返すようになる性質のこと(ベック・ギデンズ・ラッシュ 1997)
→新しい知識や情報を参照しながら、過去や伝統を一歩ひいてながめ、つきはなして評価に付すといった再帰的な個人こそが、近い過去の保存を担っているものではないか

集合的記憶という困難
・再帰的な個人による文化遺産の保存が盛んになる一方、個人的ではない集合的な記憶を保存する活動が難しくなっている
集合的記憶:個々人の記憶と歴史化した記憶のあいだに位置し、集団内のコミュニケーションにおいて幾度も想起され、その内容を確かめ合うなかで保持され、それを経験してない者にも伝達・共有されるような記憶(アルヴァックス 1989)

・いま集合的記憶が成立しづらくなっているのは、記憶を想起させる素材や場面がなく、記憶を確かめ合う相手や機会もなく、記憶を継承することが軽視されているから

・こんにち集合的記憶は、ツーリズムや遺産産業(heritage industry)をめぐるグローバルな資本の動向と無縁ではありえず、その文脈のもとで、「再発見」「再評価」される対象になっている。
→その動向は先読みが難しく、現代社会では、私たち自身の原風景やルーツがどこで見出され、「集合的記憶」として本質化されるかは予測不可能

・人びとは「保存」に消極的であり積極的

「保存」のリスク化と近代批判
・文化遺産の保存が「これがあるから、この都市で暮らせる(暮らせない)」というふうに、ますます都市生活に直結した自己投影的なものになり、リスクをめぐる合意形成そのものが拒否される傾向が見られる
→近代社会の「合意形成」というシステム自体が、「近代的なもの」への批判精神のもとで遠ざけられている

・行政側は、合意形成を経ていないという意味で「公共的」ではない一部の住民ニーズによる保存事業の予算化をリスクとみなす立場をとる一方で、ニーズの優先順位を知りたい。
→まちづくりを担う人びとは都市の成長原理を担保しつつ「こういうものもあっていいはず」「あってはいけない理由はない」という論理で保存を主張
→この文化遺産の保存が、地域の社会的弱者(おもに若年滞留層や高齢者)のシェルターとして機能するような「近代批判の解放区」をつくる意味を持ちうる。
→その解放区に都市のモダニティが凝縮されている


3.つなぐ都市の文化力
文化遺産の他者性
・どのような文化力があれば、文化遺産の保存を通して、都市に生きる知恵をつなぐことができるのか
→カギを握るものとしての「他者性」

・文化の「遺産」とは、過去に生きた人びとによる自己了解の地層、つまり「都市‐自己のかかわり合い」の無数のパターン
→そこには「場所」に根ざした生をつむいできた無数の他者が存在する

・文化遺産の保存は、過去に息づく他者の「親しみ」「異質さ」双方との間合いをはかる、表裏一体の離接的な対話
→遠い/近い過去のなかに「食えない他者」を見出して離接的な対話を続ける力が時間的な次元の文化力

・空間的な次元において文化遺産の他者性を担保するためには、「領域的なもの」を脱する必要がある
→そのために、オルタナティブな都市の「語り口」、すなわち個人化した「マイ文化遺産」の保存によって裁断された都市空間を新たに編みなおすナラティブを示すことが大切
→編成原理のひとつには移動(mobility)があげられる
領域を横断していく「移動」は、空間と空間に新たな文脈を与える物語行為にほかならない(ド・セルトー 1987)
→脱領域的なナラティブをつむぐ力となる、もうひとつの「つなぐ都市」の文化力

ナラティブの重ね書き―第三の文化力
①歴史的過去に見出した「異質な他者」との離接的な対話力
②移動する他者」とともに、脱領域的な新しい空間の編成原理を提起する力
③「ナラティブ」の複層性を保ち、性急に予定調和の「ストーリー」には収斂させない、「重ね書き」の描写力
→この③の力こそ、①②を基礎づける文化力であり、都市の文化遺産に紐づけられたナラティブの飽和状態にどう向き合うかに関する力である。


<レジュメ担当者からの論点の提示>
論点1 文化遺産をどれだけ意識しているのか?(自分の人生とどう関係するか?)
論点2 前項をふまえ、これからの文化の保存についてどのようなスタンスをとることが考えられ、どのように実践していけるのか?


<班ごとの議論の紹介>
<第1班>
論点1
CIMG2673 - コピー
画像をクリックすると大きくなります。

文化の継承・共有は、とりわけ日本において重視され、教育によって幼少期より刷り込まれる。次世代がその文化に意味を見いだせれば保存するが、意味を見いだせなかった場合、それは破壊される。しかし、破壊されたとしても復元的な開発が行われるという可能性は捨てきれない。文化と自己は教育によって結び付けられるものであると考えた。

論点2
CIMG2683.jpg
画像をクリックすると大きくなります。

保存される文化というものは、意味のあるものであり、それは時代のニーズに沿っているかによる。したがって、文化遺産の保存に対しては「再帰的近代化」の立場をとるが、これは成熟した先進国だから可能なことであり、難しいことである。この保存活動については、小さな地域においては、地域間の世代交流によって良質なコミュニティを形成することによって上手な取捨選択ができるのではないかと考えた。


<第2班>
論点1
CIMG2676.jpg
それぞれ文化遺産に対する地元からのまなざしについて考えてみると、それは、地域教育、観光政策などによって形づくられたものという側面がある。ローカルでマイナーなものは、生活にとけこみ、当たり前と認識されるか、もしくは、忘却されていく。このまなざしは内/外の人によって、様々に異なるが、まなざしが政策や観光化によって意味付けが異なっていった例として兵庫県の竹田城があげられるだろう。

論点2
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文化の保存への関わり方を考えた場合、第一に手段としての活用が考えられた。それは、地元再発見といった形での地域コミュにディの結びつきを強めるための手法、観光化のための手段、また、企業や行政の思惑の中でであったりという場合が考えられる。というのも個人の資本での保存活動には限界がある。故にこのような、手段としての活用となるのであろう。一方で個人が行う場合それは趣味やライフワークといった方にになるだろう。しかしながら、その動機として、博物学的欲求の存在は認められる。
どちらのケースにも消費社会的であると言った否定、自己実現として有用という肯定は可能であるだろう。
けれどもいずれの場合にも、保存されるものは必然的な淘汰の下にあるだろう.


<第3班>
論点1

CIMG2679.jpg
文化遺産に対する意識
文化遺産が保存に繋がるということ、そこには対象物が①特定の個人にとってのみ意味を持つ物 ②一般的に大多数にとって意味を持つ物 のどちらなのかということが重要に思える。②のような意識を持つことが保存に繋げるためには肝要であるのではないか。

論点2
CIMG2685.jpg

文化遺産保存
前論点は対象の意味、「自己の思い」というのがあれば保存に繋がる、という事を確認した。では自己の思いと保存の間にある物は?
それは実用性であったりカネ、言葉にできない感情(大義名分と表現した)だと考える。
もし思いが無ければ、それは文化遺産の破壊や消滅に繋がってしまう。


<総合司会コメント>
文化遺産の意識に関しては、実際に自分が学んだり体験したりすることによって、意識の程度が変わってきます。意識が高まれば後世に伝えたい、残したいという気持ちが生まれます。
しかし、自分だけでなく周りの人間や、企業、自治体などに需要やメリットがなければ、文化遺産の保存を実際に行うのは難しくなります。
多くのものにメリットがある文化遺産が残され、そうでないものは自然に淘汰されていきます。
残されるもの、なくなるものはその時代の時代背景や権威者の影響によって大きく変化すると考えられます。

2014-05-09 17:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 2 :
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Re: お礼
> 編者のお一人の方からコメントをいただきました。ありがとうございます。近代性の両義性、空間スケールの階層性に関するご指摘、今後も大切な視点として捉えていきたいと、ゼミの主催者として考えております。次回は、この章をベースに、ゼミで行った近江八幡でのフィールドワークの振り返りの議論をブログで紹介します。今後ともよろしくお願いします。
2014-05-26 16:24 : 澤ゼミ URL : 編集
1回目の議論を拝見しての感想です
 こんにちは。『都市のリアル』編者の1人の近森高明と申します。一回目のゼミブログを拝見しました。
 まずは全体的な感想ですが、テキストに書いてあることを理解するだけでなく、それを自分なりに消化し、独自の問題設定をしたうえで、各班でオリジナルな議論が活発に交わされている様子に感心させられました。
 各班のまとめの文章を読むかぎりでは、何らかのモノやコトが「文化遺産」として保存の対象と位置づけられるには、そのモノやコトに「意味」や「価値」がみいだされる必要がある、という理解が、3つの班に共通した議論のベースになっているように感じました。そして、それら「意味」や「価値」を、どのような社会的水準で問題とするかで、それぞれの班の議論がわかれているように思われます。
 第1班は、それら「意味」や「価値」の持続可能性を問題にし、それを実質的に支えるものとして、教育と、世代交流による良質なコミュニティの形成というファクターをあげているように思いました。また第2班は、「意味」や「価値」のあり方を左右する複数の社会的アクターの存在に注目し、企業、行政、そして個人レベルでの関与が、どのような力関係にあるのかをあぶり出そうとしているように感じました。そしてまた第3班は、そのような「意味」や「価値」を、個人レベルの「思い」にまでいったん還元し、それを集合的なレベルで実現するには、どのような社会的条件が必要なのか(実用性、カネ、大義名分)を割り出そうとしているものと理解しました。
 こうしてみると、それぞれの班が、独自のパースペクティヴ(対象をどのような問題としてとらえるかの視座)をもって、同じ問題について立体的な議論を展開していることが実感できます。
 それを踏まえて、以下、こういう視点があってもいいかな、と思うことを、2点ほどアドバイスさせていただきます。
 第一に、逆説的な因果関係へのまなざし。社会学では、ウェーバーの有名な「プロテスタンティズムの禁欲倫理が、むしろ資本主義の形成に寄与した」という主張に代表されるように、パラドキシカルな因果関係に強い関心を抱きます。テキストでも、「人びとをつなぎとめるはずの文化遺産があふれかえった結果、都市に分断が生じている」とか、「集合的記憶が成り立ちにくいからこそ、むしろ保存への強いドライブが生じる」といった逆説が指摘されています。「意図せざる結果」という言葉もありますが、こうした逆説的なロジックが働く局面に注目してみると、文化遺産をめぐる問題について、さらに広がりをもった議論が展開できるかもしれません。
 第二に、社会を動かすマクロな力への想像力。今回は問題設定の時点で、私たちは文化遺産をどう意識しているのかという、身の回りのミクロなレベルに引きつけた視点からの問いかけになっていました。もちろん身近なレベルから問題を考えるのは重要で、そこからみえてくるものも多数あるわけですが、同時に、グローバルな資本の動きなど、ものごとを動かすマクロな力への想像力も必要かと思われます。世界遺産をめぐるグローバルな記憶の政治を見据えながら、とりあえず身近な「文化遺産」を保存しておくという動きが生じているといったことも、テキストでは指摘されていました。グローバルな力を、すべてを規定する根底的要因ととらえてしまうと、それはそれで視野が狭くなってしまいますが、どこかで意識しておくというスタンスがあるといいかと思います。
 ちょっと張り切って書きすぎた気もしますが、以上、1回分を拝見してのコメントとさせていただきます。それでは今後とも、ゼミでの活発な議論の様子がブログにアップされるのを、楽しみにしております。
2014-05-26 15:16 : 近森高明 URL : 編集
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