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第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

第5章 見えない家族、見える家族 イメージの変容から

キーワード 近代家族 家族規範 私事化 多様化


1.知識としての家族

・知識としての家族…教科書で「理念型としての家族」が描かれているだけ
・家族の実態、家族の責任、家族の抱える問題…教科書に載らない

私たちは家族の中で生まれ、育ち、家族は最も身近な存在である。私たちの個人的な経験の大きさは、幼少期のみならず、成人に至っても家族を相対化することを難しくさせている。にもかかわらず、私たちは同じような家族意識を持ち、家族規範に縛られている。
では、私たちの家族のイメージは、どこからくるのか。

2.幻想としての家族

・私たちは日常会話の中でしばしば家族について語る。
話題となる「家族」は、規範としての家族、理想としての家族、自分自身の身近な家族などがかわるがわる登場する。特に伝統的家族をイメージする際には、ノスタルジーのもと寄せ集められた次のような断片がパッチワークのようにつなげられる。
(断片としての家族)・昔は大家族だった ・昔は三世代家族が多かった ・昔は子どもの数が多かった・昔は母親が専業主婦、父親は仕事中心の生活を送っていた・昔の子どもは家事をしていた

家族イメージのつくられ方
・昔の大家族のイメージ → 主に東北日本の家族
・現代の家族のイメージ → 東北から都市へ移動した次男、三男、娘たちの築いた核家族である。
・日常生活においてメディアから「家族」が流されている。
・新聞・雑誌の普及により都市家族と農村家族が混在した幻想としての家族が作り出された。
・パッチワークされた家族のイメージはテレビのホームドラマによって普及していった。
          
現実には多様な個人の家族経験は分節化し、常に「メディアで流される家族」と「個人の家族経験の一部」がつなぎ合わされ強化されていった。
→ それが「家族イメージ」

3.家族の何が変化したのか

「変化」していく家族
家族が多様化した。
高校教科書では、・少子高齢化と家族形態の変化、・家族がもつ役割の変化
厚生白書では、 ・単独世帯の増加による親族世帯の減少
     ・親族世帯のなかで核家族が増加している傾向
・「家族の果たす役割」
生活保障、経済的な機能→精神的な安定、子どもの養育へと変化

 高齢者が子どもと住む割合は確かに低下し、その他の親族世帯(3世代家族を主に含む)の割合は、2割以下に低下した。特に、高齢者から見れば子ども夫婦と同居する割合は、大きく低下した。
 高齢者と同居していた者が高齢になったときに核家族化により単身になったという変化ではなく、高齢者と別居していた次男三男夫婦が高齢になった時に夫婦のみ世帯、あるいは単身世帯になった。これが1970年代以降注視されていた核家族化の帰結である。

離婚・再婚の「変化」
・離婚は増加しており、有配偶離婚率(夫婦数に対する離婚数の比率)は1980年の3.03%から2000年には約2倍の5.98%にまでなり、2010年も5.72%と、高水準を維持。
・再婚は、たしかに増加しており、再婚によって生じる家族構成にも変化がある。
 
高度経済成長期から低成長期へ移行した頃、離別後に母親が子どもと暮らすことが多数を占めるようになると、子どもと別れて暮らす男性は子どものいない女性と「初婚家族」を形成し、子どもと暮らす女性は再婚しないという時期がしばらく続く。今日では、子どものいる女性の再婚割合が上昇している。

少子化や家族形成過程の大きな変化
 標準世帯=標準的な家族はマジョリティではないことや標準世帯を標準とすることの限界が広く認知されるようになった。それでもなお、通念的家族は残存し続けている。


4.「家族する」家族

標準的な家族の消滅 → むしろ「家族」の実践、「家族すること」は強化されている
 
家族は、
・法的な関係にある家族成員に対して責任を果たすよう促す圧力①
・家族の絆、情緒性への関心は高まり、「家族」の実践により親密な関係を形成確認しなければならないという圧力②
家族外部から、そして内部からさらされている。

圧力① 家族成員に対する責任の要請が強まったのは、1980年代の日本型福祉国家への舵切りであり、介護保険の導入後も家族への依存なしには高齢者個人が自立した生活を行うのが困難な状況は続いている。
参考 : 扶養義務者(家族)に利用者負担、在宅介護の指導、介護期間の長期化、長期入院問題

圧力② 今日でも、別所帯であるにもかかわらず稼得可能な家族がいる生活保護受給へのバッシング、夫婦別姓への反対や性別分業の肯定など旧来の家族を維持する仕組みの一部が持続、支持されていることからも、家族規範の強さをうかがい知れる。

「家族する」とはどういうことか
・家族 : 「所与のもの」→「構築されるもの」と見る視覚の変化、あるいは多様化
・「家族する」こと : 「表面的とするもの」→「現代家族の中核的なもの」へと変化
・「自分が家族だと思う範囲」→「家族」とする見方→「ファミリー・アイデンティティ」
・家族することの有無 →「家族のメンバー」の確定

 主観的家族の定義においては、メンバーシップの条件は外され、家族の機能については精神的な安定のみを、そして強調されるのは関係性である。ありのままの自分を受け入れてくれるというこの関係を形成するために、家族のなかで家族を演じ、互いの演技により家族する家族は成立していく。

 ただし、日本においては、男女あるいは夫婦としての感情的関係は希薄である。
 日本における家族の親密性はケア役割と稼得役割の分業によって結びついてきた。
・「家族する」ことは、夫婦関係の希薄な日本において重要な感情表現ではない。
・「家族する」ことは親子中心に行われてきたともいえる。
・「家族する」ことに価値が置かれる一方、通念的家族、従来の家族規範は、多様化の陰に隠れながら維持されている。

5.孤立する家族、個人
    
私事化
・ 公的な関心や集団に関することよりも、自分自身の私的な関心によって行動基準を変えていく傾向が強くなることを「私事化」と呼ぶ。
・私事化の傾向が強くなれば、人々は公共善ではなく利益追求に向かうため、相互の連帯に弛緩(しかん=ゆるむこと、たるむこと)が起こり、共同性に揺らぎが現れる。
(「日本社会の変化と規範意識」 森田 洋司氏(大阪樟蔭女子大学学長))
・家族の変化としては、形態の多様化よりも、私事化の方が大きな変化ではないか。
・私事化は「家内領域と公共領域の分離」は個々の家族が自律性を高めていく過程であり、「わたくし」を「おおやけ」より優先させる生活意識やライフスタイルの普遍化していく過程にも重なる。
 
 しかし、私事化において自律とされているものは、むしろ分離、孤立であり、ばらばらの個に解体される現象をさしている。

・このような見方は、都市化によりコミュニティが解体し、人々が孤立したとするコミュニティ解体論や家族崩壊論とも重なる。
・社会制度との関連では、政府の政策的取り組みが、改善するはずの(生活保障の)状況をかえって悪化させるという事態「生活保障の逆機能」に立ち至っている。
   ※世界トップクラスの相対的貧困率、自殺率、世界最低クラスの出生率など
・「男性稼ぎ主」型の社会では、事業主が社会保険料負担を回避するためにフルタイム雇用者を絞り込み、若者と女性が労働市場の外に排除されている。その結果ますます社会保障の対象となる人々が増加している。(「男性稼ぎ主」型の逆機能)
・従来家族機能とされていた生活保障が社会化したにもかかわらず、それは十分ではなく、かえって貧困が放置されるようになっている。(家族の逆機能)

6.明日の「家族」

・私たちが見ているのは、「現実の家族」ではなく「幻想としての家族」である。
・「幻想としての家族」は、「現実の家族」を覆い隠している。
・幻想や理想像のままに家族の機能をあてにすることは、逆機能としてあらわれ個人の生活リスクを高めているのである。
※家族には成員の強い情緒的関係性があるはずなのに、成員間に支配・被支配の関係がうまれることによって「子どもや高齢者への虐待」「DV」「家庭内暴力」などがおこる。
※家族同居による老親扶養は、身辺介護、情緒的援助がしやすいはずなのに、扶養者・被扶養者の関係に情緒的葛藤やプライバシーの侵害などがおこる。

家族形成の過程は多様化し、それは家族の内実をも多様化させている。
家族に対する見方や家族意識も多様化の途にあるが、いまだ私たちは家族の呪縛のなかにいる。もはや家族とは目に見えた確かなものではない。「家族」することを否定したり、従来の家族という形態に異論を唱えたりしても、それでもなお、「親密圏」と言ってもいいが、必ずしも家族とは限らない家族的存在を求めている。

論点①
「メディアに登場する家族には、どのような家族像があるか、それはどのような社会を反映しているだろうか。現実の家族、幻想としての家族という視点も加えて議論してみよう。」
メディア : 雑誌、テレビドラマ、コマーシャル、映画、ニュース、新聞、アニメなど。

論点②
「家族が私事化するということは、具体的にどのようなことをいうのか。そして、そのことがなぜ分離、孤立になるのか、なぜばらばらな個に解体されることになるのか、原因を探り、それを解決する手立てを議論してみよう。」


<第1班>
論点①
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メディアに登場する家族像や家族形態を列挙し、それを年代別に整理していった。それらを基にして、家族像の変遷にはどのような社会的な要因が関連しているのかを話し合った。結論としては、核家族という形態は現在も維持されているが、結婚に対しての価値観の変化や夫婦間での価値観の違い、私事化の進展などから、夫婦別姓、別居、母子家庭、父子家庭、離婚、再婚、おひとりさまなど、多様な家族像が想定された。

論点②
P1020547.jpg

そもそも、核家族という理想的な家族像があることが前提で論点が設定されていたが、前述の議論より、私事化が進展し、多様な家族像が想定され、それは解決すべきものなのだろうか、というところから議論をした。私事化によって形成された多様な家族像は、親から子どもへと引き継がれ、少子化→労働人口の減少→社会保障の崩壊というスパイラルが生み出されるのではないか、という結論に至った。

このスパイラルによる問題を解決するために、私事化してしまった多様な家族像を核家族に戻すことは現実的ではないため、家族によらない解決策が必要だと考えたが、明確な解決策は提示できなかった。

<第2班>
論点①

P1020539.jpg

まず最初に、班の人がそれぞれ具体例をポストイットに書き込む。
「限定せずに思いついたものを書いてゆく」形式。
一つ目のテーマに用いれる時間が二十分のうち五分程度をその時間に充てる。
(その事例書き込みの時間中にどのような事をすると、より実りのある議論になるのだろうか・・・)

5分終了の後、各自それぞれ提出。
一人一人に書き込んだ内容にばらつきがみられる。
ニュースで報道された事項を書く者と、家族をテーマにした作品を挙げる者。
また、レジュメに書かれていた「メディア」の定義は「雑誌、ドラマ、CM、映画、ニュース、新聞、アニメ」となっている。
時間制限をかけられた状況、あるいは思いつくままに書いていく状況だと、近いものから拾っていく傾向にあるのだろうか。

提出ののち、家族を主題に取り上げた報道や作品が多いという話題に。
恐らく、「情緒的関係」と見なされている事や、社会関係の基礎単位であるためという事項がある。
また、それを取り上げる側、作品を作る側の意図もあると思われた。
報道者の精神、芸術家の精神、営利行為の精神、などいくつかにパターン化される精神性(意図?)の存在にも注目できたらと思った。
あるいは、メディア全体を取り巻く力学にも目を向けられたらなおよかった。
テーマが「メディアにおいて家族はどのような表象として取り上げられているか」であるので、
それを生の物語として取り扱う事は避けるべきだろうと後々思った。

ポストイットを「報道/作品/CM(で取り上げられた家族)」という3分類で分けることに。
いずれのものもこの3分類のうちのいずれかに当てはまったため。
かつ、作品系のポストイットの種類がそこまで多くはなかったので、「小説/映画/・・・」などで分けるより一まとめにしてしまった方がよいと判断。

☆疑問点
・「SNS」はメディアなのだろうか。
・フェイスブックなどは「閉じた関係」だが、ツイッター、掲示板などは大よそ「開かれた関係」に近いと見なすことに妥当性があるはず。
現実の関係は「ウチ/ソト」、「馬があう/あわない」や「親密/疎遠」「知り合い/知らない人」といった切り分けがなされる。
ネット上の情報の相互関係はそれとどのような違いがあるのだろうか。
・「SNSにおけるウチ/ソト」とはどのように定義できるのだろうか。
・メディアは「公」という性質が強いように思うが、
情報の行き交い方に違いがあるインターネット空間では「ウチ/ソト」を分けるものは何なのだろうか。


論点②

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論点①と同様に5分かけて例を出す。
「孤食」「町内会の意義の低下」「2世帯住宅の増加」など。
それぞれを「家の中の私事化」と「家族間の指示化」に分ける。
次に、私事化の原因と、その結果起きる問題を挙げる。
原因を「物質的原因」と「精神的原因」の二つに分ける。
物質的原因として、「食事にかけるコストの低下」「ウチとソトを明確に分けない建築様式」などを挙げた。
おそらく、食事に関しては「労働時間の在り方」や「子どもが学校に行っていない」などが加えてあげられ、
かつ町内会に関しては「長屋制度が風化した」、「都市の過密化の結果、隣近所で知り合わなければいけない数が増えすぎたため」なども加えられるかと考える。
ただ、同時に「私事化以前の社会状況」について豊富で正確な知識があるわけではないため、どうしてもイメージで語るところが大きい。
そこはどうやって解決できるだろうか・・・
議論にipadだのインターネットで調べる、本や論文を見ることができる状態を作ることでそれをある程度改善できるだろうか・・・
できたとしても、様々な制限や偏見をぬぐえない所がある。
今の検索システム(ciniiも)はどうしても「検索ワードに関わるリンク」をそのまま出す。
ネットに存在する言説を分析した結果も出してほしい。
「こういう言葉と一緒に用いられます」だの、「こういう風に議論で使われています」だの。
「ネット上に存在する知識を整理してその結果を、定式化・文章化して出してくる」言説分析の仕組みがあるサービスがあったらうれしいですね。
図とかも自動で調べた上で、それをチャート化して、根幹の主張と対立する主張をまとめてくれたり。
あったとしても、それに頼り切る事はできませんが。

「解決」については、「全体、あるいはマクロ的問題について解決案を出すのは難しいので、ミクロあるいは局所的に解決する事を志向しよう」という方向性を主張。
揚げらていたものの中で「葬式に人が来ない」が局所的問題にとれたので(のちに説明するが、ここが問題になる)
葬式に人を来させるアイデアを出すことに。
「寺がそれで利益を上げていることが嫌だ」や「場所が面倒」、「多すぎると土日がどんどん潰れていく」などが問題点として挙がる。ただ、解決案を出すまでには至らなかった。

そして上記の問題について言及する。
「葬式を対象とすることに意義が感じられない」という声が上がる。
擬制的に、かつ時間との兼ね合いや、現実的な解決案が出せる可能性、今までになかった案が出せる可能性として葬式を挙げたつもりだったが、そこに社会的な意義がないと指摘。
確かに「葬式文化の復活」は目標としてしっくりこないというのも当然である。
それより「地縁でない、なんらかの集団・機能によって包摂される社会の設立のために」という大目標を掲げ、
それより下部の目標として、「地縁が減少した結果、認知症の老人を支える機能を持つ集団がなくなった。それを解決する仕組み作り」を掲げ、加えてより下部の目標として「認知症の老人が料金支払いを忘れない・間違えないサービス・システム作り」あるいは「認知症の老人は感情的になりやすい。町中でも激昂されている方を見かけるときがある。これをどう解決するか」というように問題を設定すればよかった。
つまり「解決の意義のある大きな問題」の1セグメントを対象とする。つまり「そこにカテゴライズされる問題分野」を考える。
上で言う所の「地縁消滅」―「高齢者問題」の関係である。
そして「それが具体的に問題として発生し、かつ頻繁に、それを患う人に多く起きる場面」を想定する。
「料金の支払い」がそれに当たる。
具体的な場面、かつ意義ある問題という2つの事項を押さえながら議論を進めれば、おそらくもっといい話し合いになっていたはず。そう思います。

<第3班>
論点①
P1020540.jpg

論点1をめぐって、私たちはまず「幻想としての家族」を出発点として、自分が思い出す家族のイメージをそれぞれポストイットに書き込む。そして挙げられたことは主にポジティブなことで、表面的ないいことばかりであった。幻想として家族のイメージは画一化され、断片化されたパッチワークのようなことと考える。
現実は本当に思う通りに順調に進むのかという疑問から、現実社会における家族のネガティブなことを考えなければならない。班の人が家族のネガティブな現実をポストイットについて、夫婦、子供、親(高齢者)、自分が死亡した後に生じた問題などの視点から、それぞれの問題点を書き込む。その結果、現実の多様化をわかるようになった。
そのネガティブな問題点の理由を考えるとき、私たちの知識が限りで、「利益求めのため」、「人間性の弱点」で止まって、家庭内だけの解決が難しいという結論がでた。


論点②

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<総合司会コメント>
近現代の三世代以上の大家族、核家族のモデルは実態に合わないものとなってきている。女性の社会進出による性別役割分担の変化、「家」から「個」への価値観の転換、さらに経済状況の変化による一億総中流モデルの崩壊、出産・育児を困難にさせる社会システム、こうした背景が複雑に絡み合って家族のあり方を変化させている。また、家族間コミュニティ(≒ご近所コミュニティ)の希薄化も、時を同じくして進む現象である。こうした中で高齢化や無縁化が大きな社会問題として取り上げられるようになっており、一方でそれをきめ細やかに包摂でき るだけの公的システムが機能不全に陥っている現状がある。

家族内、家族間、家族が属する社会、この3つが相互的に関わって問題を複雑化させている現状をどう捉えたらよいか。議論では家族の解体にまで話が及んだ。これまで家族が担ってきた機能は民間の外部サービスによって代行される。しかしその受益者とならない弱い立場の人々は、「自助」のもとに家族内外の自主的扶助を求められる。国家がそうした人々を包摂できるだけの体力を有していないことも事実である。現状をより正確に捉え解決につなげていくためには、まず家族の多様化を理解することと、その背景にある社会環境の変化に目を配ることが必要不可欠だろう。
2014-07-11 14:23 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
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