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第7章 きしむワーク 行政のはざまで

第7章 きしむワーク 行政のはざまで

Key words: 都市雑業  人間らしい働き方と生活  アウトリーチ ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

1.ワークの面から見た都市

都市部のワークの実情(P122表7-1より)
・就労機会の圧倒的な多さ (ワークの「量」)
・非正規の新規求人が4割弱を占める (ワークの「質」)
⇒都市における人手不足は著しいが、そのほとんどが「システムの高速稼働が可能なように作業を加える業務」
言わば「都市雑業」であり、あまり人が好んで就くような職種ではない

都市では選ばなければ仕事は見つかる

都市では・・・
経済のグローバル化の中で「底辺への競争」に歯止めが掛からず、①労働条件のさらなる引き下げと②業務のさらなる下方分解が進んでいる
①従業上の地位の「変更」等によりコストの「高すぎる」労働者を安く使用する
②出来る限り訓練コストが少なくなるよう「それなら誰でも出来る」と言える業務を作り出す

⇒人間らしい働き方と生活が実現するとは言えない労働状況下にある都市でも、就労機会が多いことからワークを求めての人口流入は止まない

2.ワーク・ライフ・リスクの非可視化と潜在化

「選ばなければ仕事は見つかる」都市部…ワーク・ライフ・リスクが非可視化そして潜在化しやすい
⇒無職状態を挟みながら溢れる都市雑業を転々としながらなんとか「もって」しまう
(地方部の工業団地…リスクは大手の撤退、職場の消滅など目に見える形で顕在化する)


このような労働状況下におかれた都市勤労層のしんどい状況とは?
稼得単独世帯
生産年齢にあって一人暮らしをしている勤労者(雨宮処凛さんの例)
若者の暮らしは都市雑業を転々とすることによりなんとか「もって」しまう(not 人間らしい働き方生き方)

核家族世帯
「夫婦と子供から成る世帯」について考察
高度成長期以降の典型的な家族モデル「夫が正社員で働き、妻は専業主婦か家計補助のパート」
年功賃金制から職能資格制度に変わりつつある現在、このモデルは決して安定したものでは無くなる
⇒リーマンショック等大きな構造転換が訪れるとリスクは非常に悪化した形で表れる
But 問題なのは潜在的なリスクの存在、「職を選ぶ」ことによりリスクは突如顕在化してくる

生活保護受給者
就労している生活保護受給者…常に潜在的なリスクに曝されている
⇒正しく職業訓練を受けて就業したとしてもディーセント・ワークが保障されるとは限らない
∴雇用形態はどうであれ、人間らしい働き方を保障出来ない社会構造に問題があるのでは

3.先進的基礎自治体の取り組み

都市勤労層のしんどい状況に対処する主体…「行政に最も近い行政単位」基礎自治体
But ほとんどの基礎自治体には雇用行政の経験がない


国と自治体の「分業」により、基礎自治体には労政と福祉を繋ぐノウハウが欠如している
先進的な自治体はこれらを繋ぐ様々な施策に取り組んでいる(Ex.大阪府豊中市)

その特徴…
①組織間の連携
②アウトリーチな取り組み
アウトリーチ…福祉などの分野における地域社会への奉仕活動

未だ先進的な自治体のみの動きに留まっている
その理由…
①「法律による行政の原理」、加えて行政の対処する範囲の拡大
②「申請主義」

先進自治体の取り組みは問題の「解決」というより「可視化」として評価されるべき

<論点>
論点① 私たちは働く際には何かやりがいを持っている。それでは私たちは仕事の何にやりがいを見出すのだろうか。そしてそれは如何なる理由で見出すのだろうか。

論点② 今回見たような「人間らしい働き方と生活」が保障されない社会構造を変革するために、1)行政、2)労働組合、3)労働者本人がすべきこととは何だろうか。


<第1班>
論点①
 

P1020548.jpg

私たちはまだ「アルバイト」としての仕事しか経験したことがないため、まずアルバイト先を決めたときの基準を出し合った。それらは大きく自分のスキルアップにつながるか、自分の個性が活かせるか、それが社会貢献となるかなどの「自己実現系」、賃金、職場と自宅の距離、雰囲気などの「職場環境系」、仕事内容の楽さなどの「その他」にカテゴライズできた。

しかし、それらはあくまでアルバイトを始めるにあたっての個々人の基準であり、「基準=やりがい」ではない。アルバイトを続けていくうちに私たちは何かを得るはずである。得るものについても出し合い、仕事能率の向上などの「達成系」、能力を認められたり、他人とのコミュニケーションがうまくいくなどの「認められる系」、賃金や好きなものに囲まれる環境など「もらう系」と3つにカテゴライズした。私たちは自分の中にある基準に従い仕事を選ぶが、それがやりがいになるためにはある程度の時間の経過が必要であり、そのやりがいは個々人によってさまざまであると議論をまとめた。

論点②

P1020551.jpg

まず最初に「人間らしい生き方=食べられるかどうか」、「人間らしい働き方=モノのように扱われることなく、自分の仕事にやりがいと誇りをもっている」と定義した。また、私たちの班では、労働は単なる作業とみなすか、社交の延長とみなすかの2種類あるとした。

人間らしい生き方をできない人々は労働を単なる作業とみなす可能性が高いのではないか。というのも、食べられないのだから、仕事に対してやりがいなどとは言っていられないと考えたからである。その解決策に関しては、今回の章に書いてあったことが当てはまるように思う。しかし、人間らしい生き方がすでにできている人々は次の段階を求める、すなわち仕事に対してやりがいをもとめるようになるのではないか。そしてまた、もともと人間らしい生活ができていた人々が急にその生活をすることが困難になった場合、本来ならば単なる作業の労働にいくと考えられるのだが、過去の仕事とどうしても比較してしまい、なかなか切り替えられないケースも想定できる。こちらに関しては、労働者の仕事に対する「なんか違うな」という気持ちの曖昧さにひとつの原因があると考えた。きちんと仕事とのマッチングができていればやりがいを感じることのない労働は減るのではないだろうか。

そもそも、この問題の原因はどこにあるのか。経済政策なのか、市場主義社会なのだろうか。議論は広がったが、どうしても終着点が見えなかった。澤先生もおっしゃったとおり、私たちには貧困の感覚が欠けている。当事者意識を持って議論をできないのは実に残念なことである。

<第2班>
論点①


P1020549.jpg

班員がバイトに対して持っている「働く際のやりがい」は、やはり「入口はお金が欲しい」というものだった。なぜだろうと考えた時、「マズローの欲求5段階説」に当てはめて考えてみてはどうかとなった。まず「給料」は一番低次な「安全・生理的欲求」に位置する。そして、「職場での楽しみや働きやすい雰囲気」を求めるのは「社会的欲求」に当たる。具体的に言うと、給料だけよく、職場の雰囲気が悪ければ「社会的欲求」は満たされずストレスがたまるということだ。達成感や顧客の満足などはさらに高次な「承認欲求・自己実現欲求」に位置し、この二つの欲求はリンクしている。結論としては「より高次の欲求が満たされる職場ほど仕事が長続きする」というものだった。

論点②
P1020552.jpg

「人間らしい働き方と生活」は、私たちにとっては先述の「安全・生理的欲求」と「社会的欲求」のいずれもが満たされている「働き方や生活」である。そういった「働き方や生活」が保障されるために①行政は、「安全・生理的欲求」に関する賃金問題などの解決が求められ、②労働組合と③労働者には「社会的欲求」が満たされるような職場づくりが求められる。

<第3班>
論点①


P1020550.jpg

まず初めに、仕事に対するやりがいを個人の経験に基づいて各自が挙げた。すると「やりがい」を「自分自身に求めるもの」/「他者に求めるもの」の2種類に分けられることができた。次に前者の内で優先順位をつけると、「生活のためにお金を得る」という項目が最初に核となる部分として存在し、これをさらに追求する過程で他の「自己のため」に属するやりがいを同時的に追求・達成していくことで、この連関が環状となって、さらに自己を上昇させ、仕事によって総じて自己を高めようという意識が形成されているのではないかという議論がでた。また同時に、後者に対するやりがいは、前者の連関のサイクルが好循環となって機能した時にのみ、つまり労働者自身にとって精神・金銭面で余裕のある時にだけ強く意識されるものである。そのため、前者の好循環のサイクルから外れたような労働環境におかれた労働者には、後者にやりがいを見出すまで思いが及ばないのではないかと考えられ、企業の人件費削減等の労働者への圧力は仕事に対する「やりがい」の幅を縮減している要因の一つとも捉えることができ、非正規で低賃金労働者層の増えた我が国では仕事にやりがいを感じられない人が増加していると考えられる。

論点②

P1020553.jpg

論点①での議論を踏まえ、「人間らしい働き方と生活」を保障するために、行政・労組・労働者に企業を加え、この四者が行うべきことを列挙したが、いずれも過去に行われていた制度や方針、或いは日本の企業が現在国際的におかれている状況下においては実行されるのが極めて現実的でないと考えられる案などが出され、議論は袋小路に陥った。そこで、社会構造の抜本的な改革は難しくとも、将来日本の労働市場を支える子供たちを救う手だてはないだろうかという議論になった。そもそも子供は親の収入の多寡によって、その教育の水準が左右されやすく、特に低所得層の子供は教育水準が低いため、個人の持ちうる能力を十分に引き出せずに、結局親と同等の経済的階層を引き継ぐことになりやすい。こうした家庭に、行政の施策として学習のための費用の一部を補助し、子供には基礎的な学力を等しく付けさせて、せめてもの機会の均等を図るべきだという話がまとまった。

 しかし、こうした低所得層の子供に対する学習援助が行われても、有能な一部の人間は論点①の前者の好循環サイクルに乗れる可能性は確かに高まるが、その他の多くは競争社会の企業で篩いにかけられて依然そこからは外れることとなることは明白であり、根本的な解決策を見出すことはできないまま、議論は終了した。

<総合司会コメント>
都市で働く人々のなかに、仕事に生きがいを持てない人が増加している。本来労働(仕事)は、「生活の糧(賃金)を得ると言うだけでなく、自分の能力を発達させ、社会に役立ち、職場で仲間と出会い、協力し合うという、社会人としての生き方そのものだったのである。」(暉峻淑子(2012)「社会人の生き方」岩波新書)しかし、現実には、ようやくその日が暮らせる生活の糧しかえられない人、ますます単純化される仕事に長時間拘束される人、就きたい仕事はあるが、正規の仕事はなく日々雑業に追われている人など、しんどさを抱える人々が都市にはあふれている。まじめにこつこつ努力することが成功への近道だった時代は、はるかに過去のものとなったのだろう。私たち一人ひとりのまじめな努力では解決できない労働に関する「しんどさ」「きしみ」が、どこからくるのかを考えようとした。多くの議論が現実からかけ離れた上滑りになってしまうのは、高齢者や貧困層など社会的弱者と言われる人々の生活実態を理解できていないからであろう。

さらに、論点②において「社会構造を変革するために」論議したが、社会の変革がどういうところから起こるのか、それは私たち以外のだれかが取り組む問題なのか、私たち自身の取り組みなのか、経験がないためになかなか問題を掘り下げられないもどかしさを感じた。同じ人間として、わが身をきしむ現実の場に置いてみて、その現実に対して何が必要か、私たち一人ひとりに何ができるかを議論できる力が必要だと感じた。

2014-07-21 15:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
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