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終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

終章Ⅱ 《都市的なるもの》の救出 ベンヤミンを補助線にルフェーヴルを読む(ルフェーブルについて)

3 アンリ・ルフェーヴルについて
3.1 ルフェーヴルの生涯
3.2 ルフェーヴルの考えについて
3.2.1 『〈都市的なるもの〉の現在』の記述の抜粋
3.2.2 『都市的世界』からの抜粋
3.2.3 『都市への権利』のあとがきからの抜粋

3 アンリ・ルフェーヴルについて

名前:アンリ・ルフェーヴル(Henri Lefebvre)
1901年生まれ、1991年没。
「日常生活批判」、「都市への権利」、「(社会)空間の生産」といった概念で知られる。
弁証法・疎外などの研究及びスターリニズム・実存主義・構築主義に批判を行った哲学者であった。

愛に欠けた日々にあってはエロスが愛の代用品となる。
―アンリ・ルフェーヴル
http://quotes.dictionary.com/In_this_loveless_everyday_life_eroticism_is_aより

3.1 ルフェーヴルの生涯
ルフェーヴルの生涯について、『都市的世界』からの記述を抜粋する。
ルフェーヴルは1901年に南フランスのアグモーで生まれた。(中略)彼の研究の出発点は自分が生まれ育ったフランス南西部のピレネー地方の農村地帯を背景にした農村社会学であった。そしてこの農村社会学の研究は、のちの日常生活批判、都市論、社会空間論というルフェーヴルのライフワークを生み出す基本的な視座をすでにはらんでいた。例えばルフェーヴルは農村の祭りが日常の抑圧されたエネルギーを解き放ち、人々の共同の絆を確かめ、自然の神秘的な力を制御して自然との共存を図る試みであることを指摘する。この認識は自然から切断されたばらばらの個人に分解され機械的なリズムに従って生きる近代の日常生活に対する批判の座標軸となった。
ルフェーヴルは1918年にエクスアンプロヴァンス大学を卒業後、翌年パリに移住し、24年以降はマルクス主義哲学研究グループに所属し、P.ニザン、N.グーテルマンらとともに雑誌『哲学』を刊行する。この研究活動を通じて、28年に共産党に入党する。第二次世界大戦後に党内でスターリン批判を展開し、58年にスターリン批判の雑誌『レタンセル』を発行して除名されるまでに30年にわたって党員として活動する。この間、タクシー・ドライバー等で生活の糧を得る在野の研究者のときもあった。40代後半からはパスカル、デカルト、マルクス、レーニンらの哲学関連の研究書を精力的に執筆する。
1948年に国立科学研究センター(CNRS)の研究員となり、本格的な研究生活に入る。54年には文学博士号を取得し、同センターの研究主任に任じられ、さらに60年には所長となる。続いて61年にはストラスブール大学の社会学教授に就任し、65年にはパリ大学ナンテール校の社会学教授として迎えられる。ルフェーヴルが都市に関する著書を精力的に執筆するのは、この両大学で社会学研究を行っていた時期である。ルフェーヴルは都市論を執筆した60年代後半から70年代前半の時期にパンプリュン(スペイン)、アテネ、テヘラン、京都など世界各地の都市を訪問し、自らの都市革命の構想を温めた。また68年5月以降にはM.カステル、M.マフェゾリ等の社会学者、建築家、政治学者らとともに雑誌『空間と社会』を刊行して、都市論、空間論を究明する共同作業に取り組む。この時期にルフェーヴルの名声は頂点に達する。ルフェーヴルはフランスの五月革命に象徴される大衆反乱の思想的なリーダーとして、都市論と空間論新しい思考の開拓者として脚光を浴びる。
だが、ルフェーヴルのプロブレマティークは、1980年代以降、構造主義、ポスト構造主義、脱構築主義といった諸思想が台頭する中で忘却されていく。(中略)そして91年に生誕の地に近いピレネー山脈の北麓のポーでその生涯を閉じる。彼の死後、彼の思想は、カルチュラル・スタディーズ、ポストマルクス主義、ポストモダン思想の中で再発見され、再評価されるようになり、『空間の生産』や『日常生活批判』の英語版をはじめとした各国語への翻訳も増えている。(47-49p)
(『社会学ベーシックス 第4巻 都市的世界』、井上俊・伊藤公雄編、2008年より。)

3.2 ルフェーヴルの考えについて
いくつかの書籍から、ルフェーヴルに関する論考について触れることに、ある程度の概要を得たいと思う。
以下の文章を要約すると、ルフェーヴルは
1. 都市の性格を、人を集める力=生産力つまり中枢性
2. 及び知識や慣習を人から人へ伝える媒介性だと捉え、
3. 工業都市の後に都市社会が成立すると考え
4. 国家と企業により、都市社会は工業都市へ通し戻される方向へ力が働いており
5. その結果、都市と田舎の違いが薄れていく「都市の網の目」という状態になる
とした。

3.2.1 『〈都市的なるもの〉の現在』の記述の抜粋
ルフェーヴルは「都市への権利(Le Droit à la Ville)」[ルフェーヴル 1968]を語ることにより〈都市的なるもの〉に希望を託す。[ルフェーヴル 1974、2000]。イゾトピー(同域、隔離的抽象空間)と呼べる産業(工業)都市が体現してきたモダニティーの空間化(「都市計画」)の先に、まだ十分には姿を現していない「都市社会」(工業化と区別される都市化を全うした社会)が構想される。それは盲域としてのヘテロトピー(異域、差異化空間)を自覚的に構築する過程であり、生きられる身体に対応する「表象の空間」[ルフェーヴル 2000]の胚胎する可能性にかける都市革命の希求なのである。つまり、都市形式としてのイゾトピーとヘテロトピーとの拮抗するダイナミズムを通じて、生活世界(〈生きられたもの〉)からの日常生活(工業的都市計画の産出する日常性)批判という都市的実践を敢行するという戦略である。都市化を工業化の結果であるという見方を廃して、工業化は都市化の一段階であるとの見方に立つルフェーヴルの預言書『都市革命』の刊行は1970年であった。その後、可能的なるものとして潜在している「都市社会」はどのように実現に向かっているのか。工業化が優勢であった時代の後に都市化が優勢になるとルフェーヴルは言うのだが、進行する現実の事態はそう簡単には判定を下せない。ルフェーヴルの革命思想には、確かにカステルが批判するように〈都市的なるもの〉と社会運動とを接合する現実的理論化が不十分かもしれないが(中略)要約すると、ルフェーヴルの日常生活批判を受け取りつつも、その主張の曖昧さ(日常生活の人間疎外克服の観念論的批判)を払拭すべく、支配の社会的・技術的関係を歴史的過程(発展様式論)の中に把握し都市社会運動の克服すべき闘争相手を確定することの重要性を説いている[カステル 1984、1997]
『〈都市的なるもの〉の現在 文化人類学的考察』、東京大学出版会、関根康正編、2004年

図1



まずここから、ルフェーヴルの考えについて以下の点が理解できる。
1. 産業・工業都市をモダニティーの表れと考えている。
2. 〈生きられたもの〉と比較し「工業社会の日常性」を批判しようと試みる
3. 都市は工業化の結果現れたものではなく、都市化の一段階として工業化がある

3.2.2 『都市的世界』からの抜粋
都市的なものは工業化によって生み出され、工業化がはらむ傾向であり、その潜在的な可能性である。産業革命とともに出現した工業化社会は、商業取引を発展させ、工業生産を拡張し、富の動産化を推進した。工業化社会では、あらゆるものが私的所有の対象とされ、私的所有物の価値を増殖する資本循環の運動によって社会が組織され、交換価値の支配が一般化する。
ほかならぬこの工業社会の発展が、都市的なものを呼び起こす。都市的なものとは、交換価値の一般化が都市生活に及ぼす質的な変容である。工業化社会における私的所有の追求は、諸個人の利害対立や階級闘争を激化させ、その諸矛盾を調整するために多元的なレベルで人々の共同的・公共的な関係の組織化をもたらす。都市部と郊外との階層化された空間が編成され、高級住宅街と労働者街が出現する。都市生活のためのインフラ(上下水道、電力、ガス、公共輸送網)が整備され、都市型生活様式が定着する。単に工業生産の空間だけでなく、余暇と消費の文化の空間が組織されるようになる。このような都市化の諸現象は、市場取引を合理的に組織したり、経済成長をプログラムするという課題を超えた(ママ)多様な社会諸関係の組織化や権力諸関係の編成という課題を提起する。ルフェーヴルはこの後者の課題を「都市のプロブレマティーク」と呼ぶ。

図2


その結果、工業化と都市化の関係が逆転する。それまで都市化が主導して都市化の諸現象を生み出していたが、しだいに都市的なものの諸課題が支配的となり、工業化は都市化の一段階となり、一契機となる。
したがって、都市的なものは資本制生産様式の単なる上部構造ではなくなる。都市的なものはむしろ資本制生産様式を編成する主要な場となり、工業化をその場に従属させるようになる。都市は生産諸関係を組織する場となることによって、それ自身が一つの巨大な生産力となる。ここで生産力とは、人々を結合し組織する力であり、交通形態を意味する。20世紀資本主義の最大の生産力とは、人々を一定の空間に集結し、人々の出会いを組織する都市自身である。かつてマニファクチュア(工場制手工業)が分散していた道具と労働力を工場に集結することによって生産力となったように、また産業資本が市民的交通形態を通して無数の孤立した労働力を結合し集合労働力を組織したように、今日では都市化がもたらす人々の出会いや集結こそが最大の生産力となる。ルフェーヴルは都市的なものが新しい差異を生み出し、それらの差異が集結する力を持つことによって、生産力となることを強調する。都市的なものは、工業化の過程で生じたさまざまな隔離や分断や葛藤を集結させ、新しい共同的関係を築き上げる。都市は新しい諸関係を生み出しそれらを凝縮する「社会的コンデンサー」である。

図3


都市はこの生産力をどのように組織するかをめぐる社会闘争の主戦場となる。近代の資本主義社会は、工業化がもたらす価値と剰余価値*6の生産・分配をめぐる社会闘争を中心課題としてきた。だが、都市社会は、それを超える(ママ)社会闘争の課題を提起する。都市は人々を分断し、分断した諸個人を階層化し、多様な差異を生み出し、かつそれらの差異を結合するからである。これらの階層化・差異化・組織化は、剰余価値の分配という経済的な課題を超えた(ママ)人々の社会的承認や権利の諸問題を提起し、それをめぐる紛争を激化させる。都市社会は、諸種の葛藤や隔離や分断を生み出し、社会諸関係を分裂させると同時に、この分裂を融和させる幻想も生み出す。
だがこの都市的なものの領域は、工業化がはらむ可能性であるがゆえに、人々は工業化を見ても都市化を見ることができない。都市の諸現象が工業化に還元され、工業的合理性の枠組みで現実が捉えられているために、都市の領域は「盲域」となる。人々は都市の領域を見ていながら、それが見えていない。とりわけ都市問題に関わる専門家は、全体的な社会現象としての都市現象を分断し部分に還元して捉えようとする。経済学、歴史学、社会学、人口統計学は都市の領域を分断して、分析的に研究する。この断片化を推進する科学帝国主義のために都市の領域は盲域となる。

都市的なものへの着眼は、都市の歴史認識を呼び起こす。近代の都市を生み出した工業化は、古代都市や中世の商業都市・政治都市を炸裂させ解体する。この解体が何を意味するのかは、工業化ののちに出現する都市社会によって明らかとなる。工業化が都市社会という人々の出会いを組織し、時間と空間をわがものとして獲得する自由の可能性の領域を切り開くことによって、近代以前の諸都市がモニュメントの象徴によって包み込まれた有機的な全体の社会であることが、つまり1つの芸術作品であることが浮かび上がる。工業化の果てに出現する都市社会が、古代・中世の都市をそのような作品として再発見する。そして作品として再発見された過去の都市が、工業的理性に支配された近代都市を批判する機軸となる。というのも、近代の工業都市は、作品ではなく機械のような反復的リズムによって組織される技術品であり、古代・中世都市における象徴の体系が崩壊した単なる記号の寄せ集めとなるからである。そこでは、幻想のスペクタクル(ネオンや広告塔、衣服のファッション、ショッピング・モールの空間、テーマパークなど)が分断された諸個人をかろうじてつなぎとめる。未来が過去を照らし出し、可能的なもの、潜在的なものが既存のものを再吟味するこの認識方法を、ルフェーヴルは「回顧的・遡及的方法」あるいは「転繹法」と呼ぶ。

20世紀の資本主義は、都市社会を生み出しながらそれを工業化へと還元することによって、資本の蓄積過程の広大な領域を切り開く。ルフェーヴルは1970年代に資本蓄積のこの巨大な転換を察知する。この時期に、不動産、建築、金融、開発業等の企業家が都市開発を推進し、投資の主要な対象が工業製品よりもむしろ電力、ガス、上下水道、交通輸送網、医療機関、レジャー・スポーツ・センター等の生産と消費の建造環境に向けられるようになる。ルフェーヴルは日常的な工業生産の循環経路が行き詰まると、資本は不動産という第2の部門に投資を振り向けるようになる、と言う。資本による剰余価値の生産が不動産や土地の投機的活動を主要な源泉とするようになる。この「投資の第二循環」が都市の空間を組織し整備する。このとき空間はもはや社会諸関係に先立つ客観的な枠組みでなく、その逆に社会諸関係を組織する領域としての性格をあらわにし、空間には政治が作用するようになる。この空間の政治を媒介にして、空間が投資の対象となり、商品化され取引されるようになる。こうしてルフェーヴルは、空間の政治を介した都市社会の工業化への還元というプロブレマティークから「空間の生産」という広大な研究領域を開いていく。
都市計画は、この空間の政治の主要な担い手である。都市計画は、社会空間の生産を方向づける回路をなし、工業生産物の循環と不動産の循環を仲介する蝶番の役割を、あるいは両者の循環回路を円滑に推進するための潤滑油の役割を、果たす。都市計画は企業の生産活動を整備するだけでなく、都市住民の居住地を整備し、消費文化を誘導する。それは生産を管理するだけでなく、消費や余暇や文化等の社会生活の総体を管理する。それは都市的なものに潜在する人々の社会的な欲求を資本の価値増殖に向けて誘導する回路となる。言い換えれば、都市的なものを工業的なものに回収する導線となる。

都市社会は国民国家の領域を超えていく。それは地球的な性格を帯びるようになる。社会諸関係が複合化し、その複合的な絡み合いが社会の空間を占拠し、国境を超えた(ママ)都市社会が出現する。ルフェーヴルはすでに1970年の時点で、グローバリゼーションが単に市場取引の地球的な規模の進展であるだけではなく、都市的なものの地球的な拡大であることを洞察していた。都市現象のグローバリゼーションとは、貿易や直接投資や金融取引の世界的なネットワークの形成だけではなく、人々の出会いや集結の、あるいは文化・知識・情報を介した人々の複合的な社会諸関係の、グローバルなネットワークの形成を意味する。このネットワークは、資本のグローバルな投資循環を制御しつつ、都市の社会的欲求の自己組織化を追及する可能性をはらむ。その意味で、都市社会とはグローバルな社会であり、都市革命とはグローバルな革命として展開するほかないものである。

3.2.3 『都市への権利』のあとがきからの抜粋
・60年代のルフェーヴルの危機意識について
1950年代半ばから60年代のヨーロッパでは、「都市への資本と人口の集中化と同時に郊外の開発が進行する現象」つまり集中―分散、および「労働者、外国人、学生などを特定の地区に集約させる現象」つまり統合―隔離が顕著になった。工業化によって都市は経済発展によってその規模を拡大し、農村から資源を吸収・解体することで「都市の織り目」が形成すると考えた。つまり都市と農村の二項対立的な図式が有効ではなくなり、都市それ自体へと構造的矛盾が発生したのである。
60年代後半においては、国家による都市計画や民間資本による都市開発が空間の商品化や交換価値への拡大をよりいっそう拡大させた。資本主義が国家の論理と結びつきながら、自らの尊属の道具として空間を支配・コントロールするようになったのである。従来居住することは人間の根源とむすびついたものであり、共同体や社会生活に主体的に参与することを意味していた。しかし、ニュータウンのような国家による都市開発は今日住することの意義を画一化してしまったのである。そして均質化と同時に序列化が進むと指摘する。
また、ディヴェロッパーの開発は、モノとしての住居や家屋を売ると言うよりもむしろ、幸福のイデオロギーを通じた都市開発を売っているといったほうがふさわしく、都市計画を交換価値のみに還元してしまっていると批判する。(ディヴェロッパーが「空間が幸福を具現化しているもの」というように振る舞い、空間が人々の消費の対象となっていると考えた)
ルフェーヴルは都市における「中枢的機能」つまり第一にはモノやヒトを集め、創発を起こさせ、第二には異質なものや社会的弱者を排除する作用を持つ機能から、政治と消費の中心が結びつく権力の集権化によって、人々が疎外されていると考えた。これから疎外されない権利を「都市(ville)への権利」として唱えた。
都市への権利は単なる住民参加とは異なり、「自主管理」が可能な権利である。そして、その権利は「都市における人々の自由な権利」というよりもむしろ、「人々の出会いや交配による創発」という集合的な力の行使に捧げられたものである。
・ルフェーヴルにとっての都市
ルフェーヴルにとって都市とは明確な地理的境界を持ったものでもなければ、社会的出来事の容器でもない。ルフェーヴルは都市を、はじめからそこに存在する所与の実態としてではなく、現実化の過程にある潜在的なものとして捉えた。
また、都市の性格で中枢性と並んで注目したものが「媒介性」である。ルフェーヴルは都市とは遠い秩序と近い秩序の仲介であるとし、「都市、それはさまざまな媒介の中のひとつの媒介である。都市は、近い秩序を内包しつつ、それを維持し、生産や所有の諸関係を保持する。都市は、それらの関係の再生産の場である」と述べた。つまり都市とは、人々の活動や経験の媒介であると同時にその結果なのである。都市をメディアとして捉える見方は都市を集合的作品とする見方と関係している。ルフェーヴルは「都市は書き(エクリール)、そして処方する(プレスクリール)」という。都市をテクストとして捉える視座があるが、「一冊の本があるだけでは十分でないのである」、「都市的なるものは、ひとつの体系として、すなわちすでに完結した一冊の本として、市民に押し付けられるのではなく、多かれ少なかれ、市民たちの作品なのだ」と付け加える。
ただし、都市をテクストとして記号学の観点から捉えることに注意を促している。意味の体系として捉えると、ある種のイデオロギーに回収されてしまうからだという。すなわち「《都市的なるもの》を《意味するもの=意味されるもの》という関係に帰着させること」は、「都市的なるもの」を都市的実践から切り離してしまうというのだ。つまり、都市をテクストとして捉える上で、主体の自由な読みを手放しで認めるのではなく、主体が置かれている状況が常になんらかの経済的、政治的構造によって制約を受けていることに注意を払い、逆に都市を読まされているかもしれないと言う点に自覚的になるべきだという。

2015-01-22 16:51 : 『都市のリアル』(14年度学部ゼミ) : コメント : 0 :
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