スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
-------- --:-- : スポンサー広告 :

フィールドワーク@灘区の被災地の感想

sawaです。
雨かと思いましたが、一転して日差しのきつい一日でした。
有意義な一日でした。ご苦労様でした。
フィールドワーク@灘区の被災地の感想をコメントでお寄せください。また、六甲道南の再開発地区でのイタリア広場の意味を考えて、お答えをお書きください。右下すぐの「コメント」をクリックすれば、書き込めます。
お待ちしております。

住居跡

イタリア広場

地蔵

2006-06-24 11:20 : フィールドワーク@神戸市灘区の被災地(2006.6.24) : コメント : 13 :
コメントの投稿
非公開コメント

サワが六甲道南の再開発地区に来るたびに感じるのは、だんだん震災以前の記憶が遠くなってゆく恐怖感です。地元民でかつ、燃えたぎる琵琶町のそばをただだまって避難したサワにとって、この地を踏むたびに過去の記憶がよみがえります。しかし、何度も来るたびにその記憶が、その風景が、現在の風景によってすこしずつベールをかぶされてゆくもどかしさを感じます。
広大な公園、イタリア広場。このには、商店街があって、八幡神社の御旅所があり、灘予備校があり、アパートがあり・・・。出来ることなら、この芝生に、かつての地割りを書きたい。多くの人びとが住んでいた証として。そして多くの人びとがここで死んだ証として。
2006-06-28 17:42 : sawa URL : 編集
遅くなりました><
イタリア広場。なんて高貴な名前なのか。その煌びやかなネーミングに反してアンニュイなモチーフ!…色が良くないとか、存在意図がよくわからないという意見が多くあったし、自身もこれはどうかと思った。しかし同時に、そうした批判も見通した上で敢えてそういうものを持ってきたのかとも思った。
この街に来た「新参者」として、この再建された街にこれからどのように溶け込んでいくのか。少なくとも兵庫県内で、国道2号線沿いにあのようなスペースがあるのはここくらいだろう。「これはなんだろう?」「これなんやわけわからんし。」「この左右非対称な起伏は何?」「すごくおしゃれで、神戸らしい。」…などなど。地域の人たちによって不思議がられ、さまざまな感情を抱かれ、登って景色を見てみたり、寝転がってみたり。そしてそうした過程の中で、徐々に街の一員として溶け込んでいく。あるいは溶け込まれずに存在する。
転じて、かつての形跡がほとんどないくらい再建された街が、震災以前からの住民たちにどう受け止められ、受け入れられていくのか。あるいは、震災後にこの街に移り住んできた人をいかに歓迎するのか。復興事業や政策などが街・住民に受け入れられるのか…。そうした周辺社会からの受容に関しての『象徴』、もしくは『挑戦』といったようなものを感じた。
「最初は嫌いだったけど、接してみたら意外といいヤツじゃん!」って、人間関係でもしばしば。イタリア広場もまた然り。というのは考えすぎかもしれないが。
また、「灘」という名前に関連して、海の様子を表しているようにも思えた。


今回歩いた六甲周辺は、地元といっても、当時阪急沿線よりも北に住んでいた小学生の自分にとって、六甲道駅より南側は未知の世界に等しかった。六甲道より南側は、当時は(恐らく)今みたいに高層マンションもなければパチンコ屋やたいした行政・商業施設もない。よほどの用事でない限り足を運ぶこともない。まさにメイン六甲が六甲メインとして存在していた…かどうかは?だが。その六甲周辺が、復興重点地区としてかつての姿が思い出せないほどに変わってしまった。一井サイクルの北にあった公園や、六甲道商店街西側に出来た公園とその周辺。確かにきれいだし、避難所にも十分なり得る。でも、画一的で生活感が感じられない。うちの実家の近くも震災当時街がほぼ全滅して、今はきれいに整備されているが、なんともニュータウンという感じがして生活感がない。それも年月がたてば新しいライフスタイルとしての生活感が生み出されるのかもしれない。
同時に、その新しい区画からちょっと細い路地に出ると一気に古い家が並んでいるといったギャップが、とても新鮮でもあった。生活感が無いということ自体が悪いことだとは言えないだろうが、かつて住んでいた人のアイデンティティが見受けられにくくなっていることは少々寂しいことだと思う。鷹取地区では、家が壊れ、やっと再建しても、区画整備のために立ち退きを要求され、またその家が取り壊され、新たな土地が決められる。公園設置や道路の幅を広げなければならなかったから、当然元の土地よりもだいぶん狭くなる。彼らは、2度その人たちの家が壊されることになるわけだった。果たして六甲道周辺でもそうだったのだろうか?
小学校のグラウンド前で、当時の仮設住宅の写真を見ながらあいざわさんのお話を聞いて、自分の小学校の頃を思い出した。学校が3月に再開された時、たしかグラウンドは地面が割れて使えなかったので、体育館や小講堂などに避難している人たちがたくさんいたが、あまりその人たちと関わることはなかった。お互いにそういう風にしていたのだろう。
震災そのものだけではなく、その前後の生活再建における人間同士のかかわり・社会(いい意味でも悪い意味でも)は、想像以上に複雑に絡み合っていて一筋縄ではいかないものであるのだと感じさせられた。

P.S.宮本君いじりすぎました。ごめんね。笑
2006-06-28 14:24 : yoshy URL : 編集
<フィールドワーク>
 震災の1カ月ほど後に「今は何も思わないかも知れないが、とりあえず何でもいいから見ておけ」と言われ、父親に連れてこられた時のことを思い出したが、どこもかしこもブルーシートや瓦礫の山だったのを覚えている。ちなみに当時僕は生徒会に入っていて、復興支援のためのタオルやら毛布やらを小学校で集めて持っていったのだが、「がんばってください」という声をかけるのがひどく残酷に思えた記憶がある。
 僕はいわゆる引越し族で、小さい頃から引越しを繰り返してきたせいか、「故郷」が何なのか、どんなところなのかよくわからない。生まれた会津田部原なのか、幼稚園を過ごした会津田島
なのか、小学生を過ごした大阪なのか、それとも今住んでいる奈良なのか…。新たな場所で生活することに対する抵抗はあまりなく、不便でなければどこでもいいとさえ思う。震災で家を失った人々がどうしても元の家の近くに住みたい、と言ってきかないのが一瞬、不思議に感じたが、自分はそういった人々にどうこう言える立場ではない。彼らにとってそれはかけがえのないものなのだ。
<イタリア広場>
 このモニュメントについて何も知らない友人が以前、一言めに「中途半端だね。何かしたいんならもっと面白く作ったらいいのに。」と言っていた…まさしく第3者の感想だろう。自分は、上に向かって伸びる斜面が希望とか、願いとかいったものを表してしているのだろうとは思ったが、何よりも国道に向かって下り坂になる斜面でボール遊びをする子供たちを見て危なそうで見ていられなかった。後で説明を見て色々(作者の意図は)わかったが、おそらくあの広場を一瞬見ただけではそれら全ては伝わらない。
 記念碑という形の、悲しみとか辛さといった一意のものにするのではなく、それらを「土台」にした遊び=明るさの要素も入れたかったのではないのだろうかと感じた。
2006-06-27 14:55 : ゆだ URL : 編集
暑かったです
☆フィールドワーク感想

 何に関しても、人それぞれの立場が異なり、ものごとの見方も違います。阪神大震災という一つの大きな災害についても、大まかな部分(ある側面)では同じような印象を与えるものが、本質的な中身の部分や地震によって生じた様々な事柄についての細かい部分についてはそれぞれの個人や集団によってその受け止め方や意味合い、解釈の仕方等が変わってくると思います。
 地震の後の復興については、地元住民に関しては、宅地関係の理由で愛着を持った土地から離れなければいけなかった人と無事元の場所で家を再建できた人とでは少し意味合いが違うだろうし、ボランティアに関しても、災害当事者阪神地域に近い場所から来る人と、阪神地域から離れたところから来る人とでも災害の捉え方は異なる部分があると思います。それは、復興後の神戸を見る見方においても同じで、直接地震を経験し、建物の崩壊を目の当たりにしている(極めて地域的な)人にとっての復興の意味合いと、直接的には地震を経験していない人やほとんど地震を経験していない人にとっての復興は見方が異なります。その例が山手幹線沿いの元地蔵市場の場所に建てられた建造物なのではないかと思います。地元にとっては全く役に立たない、意味を感じられないものでも、外にいる人から見ればそれが意味を持っているように見える・・・というふうに。
 僕も、地震を経験していませんし、それに近い経験もありません。地震が起こる前の神戸も直接体験してるわけではないので、最初からほぼ何も「ない」状態でフィールドワークを行ったことになります。そのため、どうしても視点が第三者的なものになってしまう傾向にあり、地元志向だとか地元住民にとって~~という視点が抜けてしまいがちでした。なので、澤先生の直接的体験のお話や、相澤さんのボランティアの話、一井サイクルのおっちゃんの話にはすごく刺激を受けました。しかし、そうやって写真や話を聞いて想像することでしか地震を体験できないところが残念なのですが。
 今回の巡検を通して、フィールドワークというのはどのような立場に立って、どのような視点をもって行うのが良いのだろうか・・・ということを改めて考えました。 

☆イタリア広場

 個人的には「ゆがみ」や「ねじれ」がすごく気になっていました。どこを見ても、規則正しい形をしていないように思えたので、そこに(説明にもあった)大地の揺れとか不安定さを表しているのかなと思いました。説明を見て初めて、坂の部分が山を示していてそれが希望にもつながっているということがわかるような気もしますが、その説明がなければ本当に「?」でした。その説明も「あ、そうだったのか!!」と素直に感じられず、いまいち納得できないのはなんでなんだろう・・・ 建物自体の意味を考えるとなんか気持ち悪いです。あの桜の木たちが大きく育って満開になった時、何かがわかるんでしょうか?
 イタリア広場を含めて、あの駅の南側の公園は非常に多くの人でにぎわっていて、だいたいが親と子供だったので、新しい交流の場としては役に立っているんだろうなと思いました。あのイタリア広場も適度に子供が遊べる広さで、子供の興味をひきそうな形をしているし、あの小さな子供たちにとってはアスレチック的な意味合いが強いのでしょう。
 あの坂になっている部分は子供でも簡単に柵を超えられそうなのですが、そこは親達が見ているのでしょうか?地面のでこぼこや、妙な段差、低い柵・・・・・イタリア広場にはもしかしたらそのような「ちょっと危ない」要素も含まれていて、子供がそれを認識するとともに、親や周りの人が「危なくはないか」と子供を見守らせている部分もあるのかもしれないなと思いました。

2006-06-27 12:04 : みやもと URL : 編集
感想など
□イタリア広場について
 初めてイタリア広場を見たとき(数ヶ月前)には、ここでインラインスケートや、スケボーができるんだろうな、とわくわくしていた。だが、滑れば国道二号線に突っ込んでしまうだろうな、とも思っていた。その時、人は殆ど広場に近づいていなかったと思う。
 では、こいつをどんな風に使っていけばいいのだろう。完成したばかりのイタリア広場の活用法を皆が考えあぐねているように見えた。
 フィールドワーク当日に見た広場は、人(子どもプラス親)がウロウロしていた。座り談笑するもの、遊び走り回るもの。スタイリッシュな広場だからと言って、何か特別なことができるわけではない。
 私には、広場はW杯の影響からか、スタジアムの形に見えた。山に向かって伸びる二本の道の間には、箱庭が見えた。芝、土。人。イタリア、と聞いてからか、西洋風、脱(?)日本風の広場に見えた。それが震災の復興や輝く神戸の未来を表現しているとは受け取らなかった。
 モニュメントとしての意味だけなら構わないが、「広場」と名づけるのなら、広場にして欲しい。広場ではなく、狭場だ。
 ここは何なのだろう?人にそう思われながら、広場は単なる謎な六甲道南の風景として溶け込んでいくのかもしれない。
 
 
2006-06-27 02:01 : はまだ URL : 編集
震災時の被害現場写真、現在の様相、その変容、10年余の物理的、空間的な変貌には改めて驚きました。
人々の苦痛、復興への挑戦心,協働への努力、将来へ向かう意志の強さと苦労などを実感しました。有意義な機会となりました。

モニュメントについて

イタリアの建築家、ラウラマッシーノ、バルバラアニヨレットのモニュメントにたいするコンセプトについては、全く知識はありません。私の直感だけを報告します。

1 なにも考えないで、モニュメントに接してほしい。接する人々の鎮魂の志をうけとめてくれる場所だ。 

2 モニュメントから見える六甲山、「美しく動かない」。「平和が動かない」ように、山は見守つているのだ。

  と制作者が考えていたら嬉しくおもいます。 竹内の直感です。
2006-06-26 22:54 : たけうち URL : 編集
*フィールドワークの感想
 澤先生が住んでいらした場所である楠ヶ丘付近のことがよく印象に残っています。震災前の知り合いの住人の見ていたもの、感じていたことに思いをめぐらせて、震災や復興を被災者の立場から捉えようとする貴重な機会になりました。実際被災していない人にとって震災や復興というのは視覚的に認識することが最も一般的でしょうが、被災された人にとっては精神的にも大きな傷を受けたことを認識しました。
先日“ALWAYS”という東京タワーを建設し、戦後復興に沸く東京を舞台にした映画を観ました。その一場面に空襲で妻と娘を亡くした医者が、家族との生活を夢の中で思い出しているシーンで、「もはや戦後ではないというが…」というセリフがありました。この医者にとっては視覚的には東京タワーも建設されているのに、まだ戦争での心の傷は癒えていないのです。このようなことも震災の被災者の気持ちにつながる部分があるのでは、と感じました。

*イタリア広場について
 上面が神戸の地面を表していて、その切れ込みは地震で受けた傷を表しており、その傷から若木が育っているのに希望を表しているように感じました。しかし子供の遊び場なら材質を考慮してほしいと思いました。なぜイタリアかも不自然に感じました。
2006-06-26 15:46 : やなぎ URL : 編集
晴れ女(男?)は誰だ?!
【巡検の感想】
 これまでにも澤ゼミで何度か通ったコースでしたが、毎回新たな発見があるので勉強になります。今回、最も強く印象に残ったのは、徳井会館と交番の裏手にあった、燈篭や地蔵がずらっと並べてある空間でした。相澤さんが震災復興のボランティアに関わるなかで体験されたやるせない気持ちと、大切そうに並べられ赤いよだれかけをつけられたこぶし大の石を重ね合わせると、人間の喪失感や恐怖の記憶に無意識のうちに触れてしまっているかもしれない自分はいったいどうすればいいのだろう?私には何ができるのだろう?という思いに駆られます。そんなときに私たちを救ってくれるのは、何よりも、当時の出来事の「生き証人」として生の声をくださる人々です。バイク屋のおじさん、貴重なお話をどうもありがとうございました。また、学生の一団がウロウロしているということで、なんだろう?と脚を止めて震災の碑を認識することになった通行人の方たちや、地蔵さんの上をのん気に這い回るダンゴムシも、私たちのフィールドワークを意味あるものにしてくれるのです・・・!

【イタリア広場の解釈】
◆第一印象
・濃いブルーグレイのタイル・・・山、海、空、大地・・・コンクリートの冷たい灰色とは違う、自然の温かみを感じさせるどっしりとした存在感。
・陽光の降り注ぐ芝生広場から、トンネルのような小道を通って「イタリア広場」に至る・・・深海に潜り込んだような感覚。動から静に移行する感覚。
・壁がせり上がった小道を通って視野が大きく開ける場所に出るという体験は、野球場などで、暗い屋内(ベンチ裏、一般客通路)と明るい屋外(グラウンド、スタンド)とを行き来する感覚にも似ている。

◆都市社会学的視点――イタリア広場と芝生を結ぶ「通路」に焦点を当てた解釈
 通路から北側の景色を眺めると、ビルがちょうどそこだけぽっかり途切れて、六甲の山並みが覗いている。さらに、その小道が切り取った「スリット」から覗く芝生広場の向こうの方には、ピラミッド上の黒い塊が転がっている<または>埋まっている。あれは、震災で崩れ落ちた建物の一部だろうか?幼い頃遊んでいた玩具の欠片だろうか?それとも、今やりかけで机に積んだままの書類の山なのだろうか?記憶の深層からそれを眺めると、そういった生活上の一つ一つの出来事に心を揺さぶられている場合じゃないのかもしれないと思えてくる。しかしながら、目前の塊をどうにか対処しなければ生きていけないのが人間だ。それに、その塊が、自分が思っているよりもはるかに重大な衝撃を自分自身に与えていることもままある・・・。ああ、あの塊が気になる。
 通路を渡って、芝生広場に出てみる。子どもの歓声、大人のおしゃべり、ボールが刎ねる音、犬の鳴き声、・・・一瞬にしてワッと起こった出来事は、次の一瞬時に空と芝生と周りの風景に吸い込まれて消えていく。そして、休日の昼下がりの心地よい緩慢さだけがおおむね漂っている。芝生広場に向かい合うベンチに座って子どもの遊ぶのを眺めていると、背後にあるはずのもう一つの広場の存在はまるで忘れてしまう。
 以上は私がフィールドワークで得た私自身の身体的感覚の記述ですが、要するに、二つの広場をつなぐ「通路」は、人間が持ち合わせている様々な二面性を切り替える際の儀式を象徴していると思われます。具体的には、瞑想、祈り、葛藤など。ただし、イタリア広場に付属している「通路」は現実的な存在なので、いつでも、何度も行き来することができる、という意味で貴重なのだと思います。

◆都市空間における子どもたちの遊び場としてのイタリア広場
 人工物だけれども、「四角四面」じゃない。設計図が作りにくそう・・・。眺めているだけではわからないけど、そこに立ったり、座ったり、駆け回ったり、転んだりするうちに、微妙な傾斜や凹凸を肌で覚えて、身体的な経験として獲得されていく。自然環境に触れる機会の少ない都会の子どもたちへのせめてもの試練(?)なのでしょうか。
 気になったのは、芝生側には大人たちがたくさんいて、おしゃべりに興じたり、我が子のキャッチボールの相手をしたりと「保護者活動」に勤しんでいたのに対し、イタリア広場で遊ぶ子どもを直接的に「見守る」保護者が見当たらなかったことです。なぜでしょう?
2006-06-26 15:34 : ゴーハラ URL : 編集
<イタリア広場について>
 イタリア広場にはイタリア産のタイルが使用されており、同じ震災国のイタリアとの絆を感じさせるものだった。
 しかし、あのモニュメントは、そもそもそこで被災した人々の手によって生み出されたものでなければならないのではないだろうか。わざわざイタリアとの友情を示す必要はないだろう。なかには「なぜイタリアなの?」と疑問を抱く人もいるだろう。
 確かに、六甲の山々に向かって伸びていくようなスロープには「力強さ」や「希望」といったものを感じることはできたが、個人的には、2国沿いのあの場所に「イタリア広場」というのは違和感を覚える。
 子どもたちが楽しそうに遊んでいたのが印象的だった。作成者の意図はわからないが、広場で遊ぶ子どもたちが、「力強く」成長し、皆の「希望」の光になることを期待したのだろうかと僕は考えた。それならば、意味のあるモニュメントだと思う。
 これはどうでもいいことだが、個人的にはあの「青」はいただけない。アズーリファンの自分としては、もっと高貴で美しい青を使ってくれと言いたい。
2006-06-26 14:51 : さわだ URL : 編集
●フィールドワークの感想
帰りしにも話したことですが、相澤さんのボランティアの話が衝撃的でした。何が本当の親切なのか、努力のぶん見返りを求めてはいけないのか。自分だったら、と両者の立場を考えてみましたが、想像に難いものでした。「ありがとう」がかえってくるには、ある程度の余裕が必要なのですね。
要所要所で震災前後の写真を見比べましたが、壊れた家はなんだか違う〝モノ〟のようでした。被災者の方がどれほどのものを失くし、諦めてきたのか。そら恐ろしく思いました。

●イタリア広場
ああして子供たちが遊ぶ姿こそが復興の象徴と言えるかもしれません。意図されてはいなかったでしょうが、なんだか〝遊んでもいい範囲〟のようにも見えました。比較的小さな子どもと、保護者が多かったからかもしれませんが。
しかしイタリアのタイルはいただけません。子供がこけそうで危なっかしい…使ってみたかっただけ感が否めません。せめて坂の部分は段差をなくせば良かったのにと思います。
2006-06-26 03:27 : 中野 URL : 編集
郊外在住北区民
中高時代には北区は三田市民だとよく言われました。確かに震災の被害もなくて、震災後近くの農家でできるお米で被災地用におにぎりを作り続け、中学生以上は朝からバンに乗り込みボランティアにでかけて、町は小学生ばっかという記憶しか残っていません。
「フィールドワークの感想」
小さい頃から郊外に住んでいる私には、六甲の風景は全く違和感を感じませんでした。山を崩した20年しかたってない場所と六甲が同じ風景ということは震災の影響の大きさを表しているのでしょう。このあいだ震災後初めて、北区に移住する前の場所に行きました。六甲とは違いまだランドマークが残っているのでどこが被害を受けてとか、自分の思い出の場所も確認することができました。私なんて小さくて記憶もほとんどないくせに愛着がこんなにあるのに、思い出のランドマークが失われたということは、長年住み続けた方たちにとってはどんな思いだったことでしょう。
「イタリア広場について」
私は個人的に素敵な場所だなと思いました。もし誰も気にしないのであれば、私も1日中あそこで遊んでいられると思いました。子どもたちの遊ぶ姿を見て、日常とも溶け込んでいるようでした。それが神戸を表す山であろうが、地震から立ち直る誇りの象徴であろうが、一見無駄で、あるべき意味のない建築物だからこそ私たちにとってそこは基地やボール遊びや、シェスタの場所になりえるのだろうと思いました。ブランコだったらブランコをこがなければなりませんが、イタリア広場では想像力を働かせてどんな遊び場にも変化します。都会っ子にとっての「山」みたいなものになるのかもしれません。
2006-06-25 23:56 : かくむ URL : 編集
身体感覚と場所の意味
暑かったですね。日焼け止めクリームの力に救われました。

先生に見えるもの、バイク屋の一井のおっちゃんに見えるもの、僕に見えるものは、それぞれが違うんだということを再認識しました。つまり、住民の方にとってもそれぞれに違う見方や意味を持っているんだろうな、と。

そう考えると、イタリア広場で遊ぶ子どもにとっては、それがイタリアかどうかというよりも「芝生楽しい」とか「青い坂でボールが転がる」という経験が大事なのかな、なんて考えたりしました。その後、荒川修作の養老天命反転地http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A4%8A%E8%80%81%E5%A4%A9%E5%91%BD%E5%8F%8D%E8%BB%A2%E5%9C%B0
を思い出したりしていました。「身体感覚」が楽しめる公園ということで。
2006-06-25 13:53 : あいざわ URL : 編集
フィールドワークについて
阪神大震災の被害の大きかった灘区六甲周辺を散策しました。日常生活で過ごしている町を被災地というフィルターで見ると、突然違った一面が見れた気がして新鮮でした。
そして自分の家がフィールドワークされるのはこんな気分なのかということにも気付かされた、新鮮づくしな今日でした。
2006-06-24 23:01 : うらべ URL : 編集
« next  ホーム  prev »

contents

過去の記事

天気予報


-天気予報コム- -FC2-

ブログ検索

訪問者数

QRコード

QRコード
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。