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E班の進捗状況

E)他の地域との比較

進捗状況は、コメントに書き込んでください。
2006-07-12 14:59 : フィールドワーク@福山・鞆の浦の歴史的景観保全(2006.9.15-16) : コメント : 16 :
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当日レジュメ
澤ゼミ合宿@鞆の浦
E班:他の地域の事例と比較

■はじめに
 鞆の浦の道路問題は、「まちなみ保全」や「文化景観保全」に取り組んできた他の地域と共通した部分があると思います。他の地域ではどのように開発と保全の問題に取り組んできたのかを調べることで、鞆の浦の道路問題の未来が見えてきたらいいなぁ、と考えています。

■資料
『季刊 まちづくり』学芸出版社(1,4,11号)
『町並みまちづくり物語』古今書院,西村幸夫,1997年
『歴史を未来につなぐまちづくり・みちづくり』学芸出版社,新谷 洋二編著,2006年
※各種webサイトはブログの書き込み制限にひっかかるので、上記書き込み参照

■まとめ
 いくつかの資料にあたってみましたが、他の地域においても、歴史的な町並みをどう保全するのかという計画と、自動車交通をどうするのかという広域的な道路計画の問題をセットで考えるのが定番のようです。一方で鞆の浦の場合は、道路問題と町並み保全の問題を二者択一のように扱っています。他の事例が示す用に、道路か保存かという二者択一を迫るのは後の地域社会に大きなしこりを残すことにつながります。賛成と反対に分かれるのではなく、住民と「架橋反対派」がどの程度の一体感を持っているのかという点に、鞆の浦架橋問題が大きく左右されるのかもしれません。また将来的に撤去が可能な設計の橋を構想することも必要かもしれません。

■景観法
 2004年に景観法という法律が制定されました。「良好な景観は、現在及び将来における国民共通の資産」「良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるもの」として、行政が景観づくりを担う主体となることができるようになりました。(wikipedia「景観法」参照)

 それまで、マンション開発や都市デザインにおいて、緩やかな規制や「お願い」のレベルとどまっていた景観行政ですが、この法律によって景観形成に対して強制力を持つようになります。現在、滋賀県の近江八幡などが景観法に定められた景観行政として「景観計画区域」を指定しています。また重要伝統的建造物群保存地区を抱える近江八幡は、国の重要文化的景観の第一号として指定されたそうです。(wikipedia「重要伝統的建造物群保存地区」)

 なおこの重要文化的景観は「人と自然の共同作品」としての景観保全を目的とするもので、以下の地区が国のモデル地区として指定されています。(参照サイト:「文化財保護の新政策 「文化的景観」について」都市環境デザイン会議関西ブロックセミナーより)

中標津の格子状防風林(北海道室標郡中標津町)
大谷石(採石場)の景観(栃木県宇都宮市)
大山の千枚田(千葉県鴨川市)
安土・八幡の水郷景観(滋賀県近江八幡市)
北山杉の林業景観(京都府京都市)
稲美のため池群(兵庫県加古郡稲美町)
宇和島の段々畑(愛媛県宇和島市)
柳川の堀割景観(福岡県柳川市)
蕨野の棚田(佐賀県唐津市)

 ご存知かも知れませんが、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の指定をめぐって、鞆の浦では大きな問題になっています。上述のwikipedia「重伝建」の項目では、以下のように記述されています。
--------------
市当局は「鞆港埋立による架橋計画と町並み保存は一体」との考えから、埋め立て架橋計画の白紙化と共に町並み保存計画も白紙化された。 この件に関して、重伝建の選定を望む住民などは、架橋計画とは切り離して町並み保存計画を進めるよう要望している。
--------------
現時点で保存と開発の対立がここまで先鋭化している例は、他に見当たりません。過去に遡れば、いくつかの例を挙げられるかもしれません。

■愛知県犬山市の都市計画道路撤回の事例
 愛知県犬山市では、都市計画道路をストップし、古い町並みを守りました。都市計画道路の是非が1995年の市長選の争点となり、反対派市長が当選し、既に都市計画決定されていた17m道路の計画が撤回されたそうです。当時は、公共事業抑制論がおこっていた頃で、国交省にも慎重論が生まれていたことが追い風になったそうです。国宝犬山城の大手門に向かうメインストリートの拡幅を行わない代わりに、通過交通の処理が大きな課題となり、現在新たな地域構想の下でまちづくりが進められています。

■和歌山県和歌山市和歌浦「不老橋景観論争」の事例
 和歌山県の和歌の浦では、「不老橋景観論争」という景観論争が起きました。
----------
 話は88年にさかのぼる。県が計画を公表した直後から住民や大学教授、文化人らが反対運動を展開。半年後には「和歌の浦を考える会」が結成され、県などに計画中止を再三陳情した。一方で、地元の自治会役員らは推進を陳情するなど、鞆と似かよった経過をたどった。
 双方の緊張が高まる中で県は89年5月,架橋工事に着手。同年12月、考える会のメンバーら13人が知事を相手取って和歌山地裁へ提訴した。原告側は歴史的な景観を損なうとして建設費の公費支出差止めを要求。この間も工事は続けられ、橋は91年3月に完成した。
●完成後に敗訴判決
 完成後に出た判決は原告敗訴。和歌の浦は文化財保護法などによる名勝に指定されておらず、歴史的文化的環境の保護は行政の裁量にゆだねられ、工事に違法はない―と退けられた。しかし、控訴はしなかった。
(以下略)
--------
(鞆の浦関連のサイトに「和歌の浦の教訓」というページがありました。ご参照ください。)

架橋後、通過交通の増大に伴う問題が発生しているようです。鞆の浦の人も、和歌の浦のケースは重視しているということのようです。


■北海道・小樽運河の事例

小樽運河戦争関連サイト参照
-------------
運河論争と景観条例の制定
 小樽の歴史遺産を語るにあたり、「運河論争」として全国的に有名な保存運動が展開され、小樽の景観行政のおこりのきっかけともなった小樽運河の埋立について、まずふれておかなくてはならないだろう。
 発端は、昭和41年に都市計画決定された、臨海線の開通にともなう運河埋立の立案であった。これから 5年後には札樽自動車道が開通し、車社会の到来が小樽まで足を伸ばし、運河埋立は現実のものとして眼前に迫ってきた。
 昭和48年に「小樽運河を守る会」が発足し、学識者、住民を巻き込んで多彩な運動を展開していった。函館と共催で昭和55年に行なった「全国街並みゼミ」も、この運動の一環である。これだけの盛り上がりを見せた保存運動だったが、結果はむなしく、若干の都市計画変更に反映されただけで、昭和57年に埋立工事が着工、61年、ついに小樽運河はその幅が半分に埋め立てられ、臨海線が開通した。
 運河保存運動が影響したのであろうか、昭和50年代半ばから、役所内で、歴史的建造物および景観についての意識が高まり、運河埋立工事着工の翌年にあたる昭和58年に「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定した。「歴史的建造物」の単体指定と、網かけによる歴史的な街並みの保全を目的とした「景観地区」指定、つまり「点」と「面」の二本柱による歴史的景観の保全を目的としたものであった。この条例のもと、昭和60年には28棟の歴史的建造物が選定され、そのうち13棟が「小樽市指定歴史的建造物」となり、平成4年3月までに31棟の歴史的建造物が指定された。昭和62年には、二ヵ所の歴史的景観地区(小樽運河周辺地区、色内大通・緑山手通り地区)が指定されている。
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小樽運河、埋め立て賛成派の人が回顧している小樽商工会議所のページの一部参照。

 論争を経て歴史的建築保全の動きが高まり、道路開発によって周辺地域の整備につながり、北海道における一大観光地が形成されたと説明するのは簡単です。鞆の浦の場合と同じとは言えませんが、景観と開発の問題を考える上では欠かすことができない「事件」だったと言えます。

■橋の撤去(日本橋)
 一方で、最近では一度架けた橋を取り除く動きが出てきています。たとえば東京・日本橋では、首都高の再構築計画と併せて日本橋地域全体の景観整備を行う構想が出ているようです。
(日本橋地域のまちづくりHPより)
(首都高速道路株式会社HPより)

・このサイト内では、欧米の地域再生の事例紹介も充実しています。
・小泉首相の発言も話題になりました。
・「悪い景観百選」にも選ばれたようです。

■橋の撤去(韓国)
 韓国ではソウルの清渓(チョゲ)川という川の上に高架道路が走っていましたが、最近高架が撤去されて話題になりました。

 もちろん「復元」といっても、もともとの川の景観を復元した訳ではなく、まったく新しく河川公園と川に面した地域の再開発を行ったという説明の方がしっくりくるかもしれません。大都会のど真ん中に自然を再現した潤いのある空間が生み出された一方で、工事以前にそこで商売を営んでいた屋台などは近隣のスタジアム内に移転を余儀なくされるなどの厳しい現実もあります。

 日本橋や清渓川の架橋撤去の事例を見ていると、大きな費用がかかるものの、付け加えたような建造物は後から撤去することができるということに気がつきます。たとえば京都は景観問題で何かと話題になります。京都ホテル、京都駅、京都タワー、フランス橋(計画発表段階で頓挫)等々、高い建物や奇抜なデザインの建物ができるたびに論争が起きます。できてしまうと論争は下火になりますが、将来的に議論が盛り上がればそれらを撤去することが可能です。もちろん、一度できてしまうと滅多なことでは撤去されませんが、建物が破壊されることとは分けて考える必要があると思います。
 鞆の浦の架橋計画がどうなるかはまだ分かりませんが、将来的に橋を撤去することもあり得るという想定の下で計画を進めるというのは考えられないでしょうか。
2006-09-14 16:10 : あいざわ URL : 編集
架橋は
日本橋や清渓川の架橋撤去の事例を見ていると、大きな費用がかかるものの、付け加えたような建造物は後から撤去することができるんだということに気がつきます。

たとえば京都は景観問題で何かと話題になります。京都ホテル、京都駅、京都タワー、フランス橋(計画発表段階で頓挫)等々、高い建物や奇抜なデザインの建物ができるたびに、論争が起きます。できてしまうと論争は下火になりますが、どうしてもイヤなら撤去できます。一度できてしまうと、滅多なことでは撤去されませんが。

鞆の浦の架橋計画がどうなるかはまだ分かりませんが、将来的に撤去することもあり得るという想定の下で計画を進めるというのはあり得るのでしょうか。
2006-09-13 19:29 : あいざわ URL : 編集
清渓川の
こんなニュースも
http://www.janjan.jp/world/0603/0603070426/1.php
2006-09-13 19:05 : あいざわ URL : 編集
韓国では
また韓国・ソウルでは清渓(チョゲ)川という川の上に高架道路が走っていましたが、最近高架が撤去されて話題になりました。
http://www.labornetjp.org/Members/Staff/blog/188
またはhttp://www.mizuho-ir.co.jp/research/seoul050217.html

もちろん「復元」といっても、もともとの川の景観を復元した訳ではなく、まったく新しく河川公園と川に面した地域の再開発を行ったという説明の方がしっくりくるかもしれません。

大都会のど真ん中に自然を再現した潤いのある空間が生み出された一方で、工事以前にそこで商売を営んでいた屋台などは近隣のスタジアム内に移転を余儀なくされるなどの厳しい現実もあります。

http://www.k5.dion.ne.jp/~jarn/seoul/seoul.htm

http://www.seoulnavi.com/area/area_r_list.html?bid=sp002&area2
http://allabout.co.jp/travel/travelkorea/closeup/CU20060207H/
2006-09-13 19:04 : あいざわ URL : 編集
橋の撤去(日本橋)
一方で、最近では一度架けた橋を取り除く動きが出てきています。たとえば東京・日本橋では、首都高の再構築計画と併せて日本橋地域全体の景観整備を行う構想が出ているようです。

http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/michikeikan/rekishi.html(日本橋地域のまちづくりHPより)
またはhttp://www.shutoko.jp/qa/other.html#02(首都高速道路株式会社HPより)

↓このサイト内では、欧米の地域再生の事例紹介も充実しています。
http://www.ktr.mlit.go.jp/toukoku/michikeikan/rekishi.html

小泉首相の発言も話題になりました。

http://www.gamenews.ne.jp/archives/2005/12/post_319.html

「悪い景観百選」にも選ばれたようです。
http://kenplatz.nikkeibp.co.jp/free/NEWS/20051213/126516/main.shtml
2006-09-13 18:51 : あいざわ URL : 編集
http://hoba02-ue.eng.hokudai.ac.jp/archi/property/otaru.htm
-------------
運河論争と景観条例の制定
 小樽の歴史遺産を語るにあたり、「運河論争」として全国的に有名な保存運動が展開され、小樽の景観行政のおこりのきっかけともなった小樽運河の埋立について、まずふれておかなくてはならないだろう。

 発端は、昭和41年に都市計画決定された、臨海線の開通にともなう運河埋立の立案であった。これから 5年後には札樽自動車道が開通し、車社会の到来が小樽まで足を伸ばし、運河埋立は現実のものとして眼前に迫ってきた。

 昭和48年に「小樽運河を守る会」が発足し、学識者、住民を巻き込んで多彩な運動を展開していった。函館と共催で昭和55年に行なった「全国街並みゼミ」も、この運動の一環である。これだけの盛り上がりを見せた保存運動だったが、結果はむなしく、若干の都市計画変更に反映されただけで、昭和57年に埋立工事が着工、61年、ついに小樽運河はその幅が半分に埋め立てられ、臨海線が開通した。

 運河保存運動が影響したのであろうか、昭和50年代半ばから、役所内で、歴史的建造物および景観についての意識が高まり、運河埋立工事着工の翌年にあたる昭和58年に「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定した。「歴史的建造物」の単体指定と、網かけによる歴史的な街並みの保全を目的とした「景観地区」指定、つまり「点」と「面」の二本柱による歴史的景観の保全を目的としたものであった。この条例のもと、昭和60年には28棟の歴史的建造物が選定され、そのうち13棟が「小樽市指定歴史的建造物」となり、平成4年3月までに31棟の歴史的建造物が指定された。昭和62年には、二ヵ所の歴史的景観地区(小樽運河周辺地区、色内大通・緑山手通り地区)が指定されている。
------------------

(以下あいざわのコメント)
論争を経て歴史的建築保全の動きが高まり、道路開発によって周辺地域の整備につながり、北海道における一大観光地が形成されたと説明するのは簡単です。鞆の浦の場合と同じとは言えませんが、景観と開発の問題を考える上では欠かすことができない「事件」だったと言えます。
2006-08-29 20:13 : あいざわ URL : 編集
小樽運河戦争関連サイト

http://www2.aasa.ac.jp/people/kanare/1702.htm
2006-08-29 20:06 : あいざわ URL : 編集
小樽運河、埋め立て賛成派の人が回顧している小樽商工会議所のページの一部。

http://www.otarucci.jp/kiseki/kiseki-12c.html
2006-08-29 20:00 : あいざわ URL : 編集
和歌山県の和歌の浦では、「不老橋景観論争」という景観論争が起きました。

鞆の浦関連のサイトに「和歌の浦の教訓」というページがありました。ご参照ください。
http://www.sawasen.jp/tomonoura/wakanoura.html

以下、コピペです。
----------
話は88年にさかのぼる。県が計画を公表した直後から住民や大学教授、文化人らが反対運動を展開。半年後には「和歌の浦を考える会」が結成され、県などに計画中止を再三陳情した。一方で、地元の自治会役員らは推進を陳情するなど、鞆と似かよった経過をたどった。
 双方の緊張が高まる中で県は89年5月,架橋工事に着手。同年12月、考える会のメンバーら13人が知事を相手取って和歌山地裁へ提訴した。原告側は歴史的な景観を損なうとして建設費の公費支出差止めを要求。この間も工事は続けられ、橋は91年3月に完成した。
●完成後に敗訴判決
 完成後に出た判決は原告敗訴。和歌の浦は文化財保護法などによる名勝に指定されておらず、歴史的文化的環境の保護は行政の裁量にゆだねられ、工事に違法はない―と退けられた。しかし、控訴はしなかった。
(以下略)
--------
コピペは以上。

架橋後、通過交通の増大に伴う問題が発生しているようです。鞆の浦の人も、和歌の浦のケースは重視しているってことでしょうか。
2006-08-27 16:01 : あいざわ URL : 編集
愛知県犬山市では、都市計画道路をストップし、古い町並みを守りました。都市計画道路の是非が1995年の市長選の争点となり、反対派市長が当選し、既に都市計画決定されていた17m道路の計画が撤回されたそうです。
 当時は、公共事業抑制論がおこっていた頃で、国交省にも慎重論が生まれていたことが追い風になったそうです。
 国宝犬山城の大手門に向かうメインストリートの拡幅を行わない代わりに、通過交通の処理が大きな課題となり、現在新たな地域構想の下でまちづくりが進められています。

http://chushinshigaichi-go.jp/followup/H15/instance/377-1.htm
2006-08-25 15:16 : あいざわ URL : 編集
http://www.sawasen.jp/tomonoura/bbs39/bbs39.cgi

↑架橋問題に関して、ここの掲示板がかなりhotなようです。目を通しておいて損はないと思います。匿名投稿なので、2ch化しつつあるのかもしれませんけど。。。
2006-08-25 14:52 : あいざわ URL : 編集
ご存知かも知れませんが、重要伝統的建造物群保存地区(重伝建)の指定をめぐって、鞆の浦では大きな問題になっています。上述のwikipedia「重伝建」の項目では、以下のように記述されています。
--------------
市当局は「鞆港埋立による架橋計画と町並み保存は一体」との考えから、埋め立て架橋計画の白紙化と共に町並み保存計画も白紙化された。 この件に関して、重伝建の選定を望む住民などは、架橋計画とは切り離して町並み保存計画を進めるよう要望している。
--------------

現時点で保存と開発の対立がここまで先鋭化している例は、他に見当たりません。過去に遡れば、いくつかの例を挙げられるかもしれません。
2006-08-25 14:47 : あいざわ URL : 編集
2004年に景観法という法律が制定されました。「良好な景観は、現在及び将来における国民共通の資産」「良好な景観は、地域の自然、歴史、文化等と人々の生活、経済活動等との調和により形成されるもの」として、行政が景観づくりを担う主体となることができるようになりました。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%AF%E8%A6%B3%E6%B3%95
(wikipedia「景観法」)

それまで、マンション開発や都市デザインにおいて、緩やかな規制や「お願い」のレベルとどまっていた景観行政ですが、この法律によって景観形成に対して強制力を持つようになります。

現在、滋賀県の近江八幡などが景観法に定められた景観行政として「景観計画区域」を指定しています。また重要伝統的建造物群保存地区を抱える近江八幡は、国の重要文化的景観の第一号として指定されたそうです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E8%A6%81%E4%BC%9D%E7%B5%B1%E7%9A%84%E5%BB%BA%E9%80%A0%E7%89%A9%E7%BE%A4%E4%BF%9D%E5%AD%98%E5%9C%B0%E5%8C%BA
(wikipedia「重要伝統的建造物群保存地区」)

なお、この重要文化的景観は「人と自然の共同作品」としての景観保全を目的とするもので、以下の地区が国のモデル地区として指定されています。

http://www.gakugei-pub.jp/judi/semina/s0504/index.htm
(「文化財保護の新政策 「文化的景観」について」都市環境デザイン会議関西ブロックセミナーより)

中標津の格子状防風林(北海道室標郡中標津町)
大谷石(採石場)の景観(栃木県宇都宮市)
大山の千枚田(千葉県鴨川市)
安土・八幡の水郷景観(滋賀県近江八幡市)
北山杉の林業景観(京都府京都市)
稲美のため池群(兵庫県加古郡稲美町)
宇和島の段々畑(愛媛県宇和島市)
柳川の堀割景観(福岡県柳川市)
蕨野の棚田(佐賀県唐津市)
2006-08-25 14:39 : あいざわ URL : 編集
いくつかの資料にあたってみましたが、他の地域においても、歴史的な町並みをどう保全するのかという計画と、自動車交通をどうするのかという広域的な道路計画の問題をセットで考えるのが定番のようです。

一方で鞆の浦の場合は、道路問題と町並み保全の問題が、ちゃんとつながっていないような印象を持つようになりました。住民と「架橋反対派」がどの程度の一体感を持っているのかという点に左右されることなのかもしれません。
2006-08-16 16:34 : あいざわ URL : 編集
本や資料を探し中です。
現在、景観保全と地域開発に関する本や資料などを探しています。

『季刊 まちづくり』『町並みまちづくり物語』『歴史を未来につなぐまちづくり・みちづくり』などの本を読んでみる予定です。
2006-07-18 22:19 : あいざわ URL : 編集
ひとり班です・・・。
鞆の浦の道路問題は、「まちなみ保全」や「文化景観保全」に取り組んできた他の地域と共通した部分があると思います。

そのため、他の地域ではどのように開発と保全の問題に取り組んできたのかを調べることで、鞆の浦の道路問題の未来が見えてきたらいいなぁ、と考えています。

現在、小樽、柳川、犬山などが思いつきましたが、今後もう少し、鞆の浦に似た事例を探したいと思います。
2006-07-15 00:20 : あいざわ URL : 編集
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