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『さまよえる近代』 第7章 レジュメ

『さまよえる近代』

第7章 原初主義の後で




民族意識にまつわる事例は、ナショナリズムや暴力と固く結びついている。民族性が、形を変えたり集団的アイデンティティの原理にすぎない、集団利益を追求するための文化的装置と考えたり、果ては、両者を弁証法的に結合した何ものかと考えるだけでは、不十分である。われわれが必要としているのは、民族性に孕まれる近代性を探求する記述なのだ。

 近代的な民族性のもっとも鮮明な指標は、民族という名の下にまとめ上げられる集団が、その空間的広がりによっても、数字上においても、伝統的な人類学が対象としてきた民族集団をはるかに凌駕している。

原初主義という暗箱

原初主義的な命題は、その形式が多岐にわたろうとも実質上ほぼすべてが、二十世紀の民族性を解き明かす上で、ほとんど何の有効性ももたない。この主張を肉付けするにあたって、民族運動への新たなアプローチを提起し、原初主義的な命題がおおむね失効していると論じるとともに、社会的階層化の歴史的な構築された形式を民族性に読み取っていくにあたって、人類学の重要な先行研究を手がかりにするつもりである。

原初主義な議論の本質は、集団の情操はおしなべて、集団的アイデンティティ=われわれ性(we-ness)への強い意識を含み持つものだが、その源泉には、小規模で親密な集団集合体を結合させる愛をいう感情がある。その上で、血縁、大地、言語に対する権利の共有に下支えされた集合的アイデンティティをめぐる諸観念は、小集団を結合させる情操から、その情動的な力を引き出している。

原初主義的な命題は、どこに問題があるのか?その一つは、論理にかかわるものであるが、原初主義的議論、とりわけ、啓蒙主義に由来するラディカルな傾きが強い原初主義的な論議に孕まれる普遍救済論的な前提のうちに、包み隠されている。

過去三十年にわたって比較政治学の分野で書かれてきた文献の大部分では、構造的要因、文化的要因を参照しつつ、導き出された解答は、総じて破綻をきたしている。とういうのも、問いと解答が厄介にも共犯関係にあるということが、次第に明らかになりつつあるからである。つまり、政治参加や教育、動員、経済成長の西洋的モデルは、振興の国民を時代逆行的な原初主義から引き離すような意図されていたものの、現実にはまったく正反対の効果をもたらしてしまったことが、ますます明らかになりつつあるのである、西洋から下された処方箋そのものが、混乱を強める要因である。
 
情動の政治

 ほぼすべての原初主義的なモデルの背後には、政治と結びついた情動の理論も存在している。そうした理論を疑問に付すいくつかの優れた根拠がある。
第一の理由は、非西洋世界にあてがわれて来開発プロジェクトは、新たなるエリートと、カースト間や階級間に新たなる亀裂を生み出すのが常である。第二の理由は、過去二十年間のヨーロッパ代大陸系の政治理論とそのアメリカ的異変のいくつかに端を発する、幅広い文献から導かれたものである。この種の文献によって強調されているのは、集団政治、なかでも第三世界における集団政治を操っている原初的な小人の機械的な働きではなく、政治における想像力の役割を強調する、社会的で、政治的な思考法の例の要素である。

原初的な情操の創出が、往々して、近代化を目指す国家の障壁であることどころが、近代国民―国家のプロジェクトの根幹近くに位置しているということを、赤裸々に示してしまっている。たとえば、民族的であれ、宗教的であれ、分化的であれ、原理主義の多くは、多様な国民―国家によって、あるいはその一部の党派によって意図的に育まれ、そうすることで国民―国家は、国内に芽生えた異議を鎮圧し、国家の同質的な主権者を構築し、支配下にある多様な人々を最大限に監視し統制しようとしている。

 民族ををめぐる政治学にあてがわれている原初主義的な命題を維持することを困難にしているのは、主として文化人類学者によって展開されてきた知見=感情はもはや、普遍的で超社会的な基礎を構成する前文化的な素材ではない、という知見である。

民族的内破

 内破という比喩は、原初主義的な視点と結び付けられることの多い、外破という言葉に対して、意図的に提起されたものである。

 爆発的に発生する民族的暴力は、原初的紐帯が導火線となって引き起こされたのではなく、移動とメディアの節合によって達成されるグローバルなネットワークを介したコミュニケーションの稠密化によって同時多発的に発生する。
 内破とは、内―外の二分化法を前提としながら、それを内側から破っていくということではなく、内―外の空間的二分法が破綻をきたし、空間が差異を孕みつつも一元化された状況下において、民族への意識が爆発的に増大する事態をいうのである。それゆえ、民族性の内破的理解とは、民族性を原初的紐帯という隔離された何らかの本質によって規定されるものとしてではなく、グローバルなネットワークの真ん中で構築され、交渉され、動員される資源として捉えていく構えである。

近代の民族性

 今日の巨大な、そしてしばしば暴力的となる民族運動は、歴史と行為体、情動と政治、大規模な要因とローカルな要因との関係について、新たな理解を要求している。この要求に応える方法が、原初主義的な思考法によって押し付けられる内と外の弁証法に抵抗していき、代わりに、近代の民族性に固有の力学を解き明かす鍵となる、時間を越えた内破と外破の弁証法という視点から思考していくことである。

 近代の民族運動を、一連の興味深い連関を通して、国民―国家の危機と結びつけていくことができる。第一に、あらゆる国民―国家は、正統性をもった政治体がある種の自生的類縁性の所産でなければならないという観念に同調し、その発展に貢献してきた。第二に、公衆衛生事業から人口調査、家族計画から疫病対策、移民管理から言語政策にいたるまで、近代国民―国家のプロジェクトは、具体的な身体的な実践を大規模な集団的アイデンティティと結びつけてきたのである。最後に、民主主義的な国家機構においてであれ、非民主主義的な国家機構においてであれ、権利と権原をめぐる言語は、ますます全面的に、こうした大規模なアイデンティティとの結びつきを解きほぐせないまでに強めてきた。

 今日の民族的プロジェクトは、近代国民―国家の文化をめぐるこうした三つの特徴によって定義されつつある。




論点:
・多中心的システムとは?(P266)
・少数派や歴史的な被支配者集団の中に生まれる文化主義的な運動は、統計的に多数派を占める集団の文化主義と意識的な対話を開始する傾向にあるとは?(P277)


2006-07-04 22:10 : 『さまよえる近代』(06前期・院ゼミ) : コメント : 0 :
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